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門司委員 私はそんなことを聞いているのではないのだよ。この税金は新しい税金ではないだろう。いつ根本的に
改正されたか。それ以前にこの税金はどういう
性格を持っておったか。税というものを三百代言の小手先だけで
考えているから税金の不平が出てくる。この税金の応能的の
性格というものは一体どこにあるか。税金の応能的の
性格というものは、今奥野君が言ったように、住んでおれば全部が納めるのが当りまえだということが、
一つの理論になっておる。だから頭割をかけておる。しかし納められない人に納めさせるわけにはいかぬから、所得のある人、納められる人に納めてもらうという形になっている。そういう形が出てくる。それはそれでいいことである。同時に所得に対する税金のかけ方もそれでいいのである。それが多いか少いか、不公平であるかということは、技術的な問題で、税の
性格からすれば別の問題だ。この二つはいいのだ。そのほかに忘れたものがありはせぬか。この税金の最も重大な
性格というものは、
地方自治体の恩恵を受けているということ、
地方自治体の保護を受けているということ。税金はすべてそうなんです。
地方自治体の恩恵を受けている、
国家の恩恵を受けているから、税金を納める。
国家の保護を受けているから税金を納める。安住して住んでいるから、お互いが安住して住むことのために
国家社会の秩序を維持しなければならない。
制度をこしらえなければならない。このために税金を納めている。この税の本質論からくる
性格に相反した税金を取っているから、こういう問題が起る。はっきり言ってみましょうか。
地方の
自治体の恩恵というのは、教育の問題がある、道路行政の問題がある。これらはすべて
地方の
自治体が教育行政をやっている。子供はみなそこへ通って、教育上恩恵を受けている。道路行政上の恩恵を受けている。そういうことのために税金を納めるのは当然なんだ。しかしながらその恩恵を受ける度合いというものはおのおの違う。これが忘れられているのですよ。たとえば横浜は総合大学を持っておる。大学の生徒一人に十万円かかる。少くとも一人一年十万円の金をかけなければ大学は出られやしない。教育は憲法で平等になっておる。しかしこの市立の大学に通える者はだれかということです。一般の庶民階級の子供はそこに通えますか。高等学校へ通えますか。教育の恩恵自体をとってみても、金をたくさんお持ちになっている方がよけい受けられるにきまっているのである。道路の改修によって便益を得る者はだれであるか。道路が改修されることによって、一般の市民は交通が便利になるというだけである。両側の土地をお持ちになっている方は、地価の値上りがするでしょう。これは固定資産税をかけているというかもしれないが、これらの問題はすべて
自治体の
一つの恩恵を受けていることである。警察の保護にしても、消防の保護にしても、そうでしょう。特に消防税という税金は今日ない。これは市民が平等に
負担するという形になっているからこういう形が出てくる。私は
市町村民税の
性格というものはそこになければいかぬと思う。お互いが納得する
——単にこれを所得だけにものを
考えていこうとすれば間違いが出てくると思う。
昭和二十四年まであった税金は一体どうなっておったか、はっきり言っておきたい。
昭和二十四年までは、この税金は住民税として取られておったでしょう。住民税のときのパーセンテージを調べてごらんなさい。どうなっておるか。東京都の分を調べてみればすぐわかる。一〇〇の中で一三%は資産割で取っておるでしょう。三三%は法人割で取っておるでしょう。残りの五〇%が各個人の所得と頭割にかけられておるでしょう。それが
昭和二十五年のシャウプの税制勧告によって資産割りをかけてはならない、法人割りをかけてはならないという形が出てきたことのために、一般住民に非常に過重になった。これからこの税金の不平が出てきたのでしょう。それまでこの税金に不平がありましたか。数字的にもっとはっきり申し上げてみましょうか。
昭和二十四年まで三越はたしか四十六万円の税金を納めております。帝国銀行は七十六万円納めておるはずだ。調べてごらんなさい。それが
昭和二十五年の税制改革で二千四百円で済んでいる。そうしてそのときに都民税がどれだけふえたか。この税金はこういう経緯を持っている税金ですよ。そこに不平があるのだ。駅長であるとか校長であるとか、いなかにおけるこれらの諸君は辞令一本で飛んでくる人である、また辞令一本で行く人である。しかしもらっている給料が多いからといって村のいかなる資産階級よりもよけいに税金を払っている、ここに不平があるのだ。だから税の本質から
考えて一体
改正される意思があるかないかということを聞いているのです。税の本質から来る税制の改革をやるということがいい。税金が高いとか安いとかいうことは別の問題だ。みんなが平等に高ければいい、平等に納めておれば不平が出てこないはずだ、平等に納めていないから不平が出てくるのだ、
一つ一つの税金をただ技術的だけで高いとか安いとかいって議論しているのは住民は災難なのです。区役所や市役所へ行ってごらんなさい、理解できますか。隣りにこんな大きな
財産家があるのに市民税は私たちの方がよけい納めておる、一体どういうわけだといわれて答弁できる議員がおりますか。これが今日不平が起る原因でしょう。だからこの税金を直そうとすれば税の本質までずっと掘り下げて、そうして不公平のないように
——高いとか安いとかいうことではない、高ければみんな高くていい、安ければみんな安くていい、無理な税金じゃないかということを聞いておるのです。新しい税金をきめたわけじゃないのです。こういうものの
考え方に対して
政府は一体何を
考えておるか。少くとも
国家権力によって取っていこうという税金ですから、やはり公平でなければならないのだ。何度も申し上げますが、高いとか安いとかいうことはそのときの国の情勢、
地方の
自治体の情勢、お互いの社会を持っている以上はそういうことはあり得ると思う。しかしその中にそういう不公平があってはならぬということです。税に不公平があるということは国の乱れるもとでしょう。われわれはそういうことを
考えているから聞いているのであって、小手先がどうのこうのを聞いているのじゃない。税制改革をやるならこの
市町村民税はそういう
一つの本質論に戻って
考えておるかどうかということなのです。
政府もその方針に従ってずっとやっている以上、あなたは実際はそう言えばいいのだ。
昭和二十五年から法人は十億の法人も二十万円の法人もすべて二千四百円で済んでおる。それがだんだん不平が出てきて、最近は所得の百分の十五なりあるいは百分の十三にふえているでしょう。
政府もこの原理に押されてここまで来たということです。この原理の透徹が足りない。これを完全にやるかどうかということなのです。一方においては国税であった例の
財産税を廃止したでしょう。
財産を持っている者からの
財産税を廃止する、
財産を持たざる勤労者についてはただ所得割りがこうなっているから頭割りがこうなっているからというのが問題なのです。私はそういう点を聞いているのであって、今の税法の中の数字がどっちにどう動こうとか、そういうことは時の情勢によって変る、だからそういう点について
自治庁はどう
考えるかということを聞いている。もし答弁ができるならば、はっきりここに聞かしてもらいたい。