○
宿谷参考人 北京に開かれました
日本商品展覧会の開催中、
即売品の件についてきょう御喚問がございまして、詳細にお答え申し上げたいのですが、私が出発をいたしました当時にはまだ
数量等が明瞭になっておりませんために、
あとからその
数量を調べて
日本に戻ってくるように申して参りました。昨晩ようやくこちらに資料を持って戻って参りましたが、まだ私の手元に届いておりませんために、その
参考品等をここで御披露を申し上げられないのでございます。いずれ別の機会に
数量等がわかりましたら提出いたしまして御
参考に供したいと思います。
事の起りを少し申し上げてみたいと思いますが、実はこの
展覧会の開幕の
予定日が十月二日になっております。何せ
出品物が非常に多量でございましたために、
現地における陳列その他の
準備がなかなか大
へんな難事業でございまして、
予定よりも四日延長いたしまして、十月六日に開幕したのであります。実はこの
北京の
展覧会において、
即売品に対して
北京市民の
購買意欲と申しますか、これを非常に
期待しておりました。
日本の
即売品をだれもかれも求めたいということから、中には高額のものをほしいというので、
市民のうちでは
積立金をして
日本の
商品の到着を待とうというのもございましたそうです。
現地の方へ
先発隊が行っておりまして、それから
情報が始終入っておりました。ですからこの
即売品というものに対して
市民は非常な
期待を寄せておったということは事実なんでございます。残念ながら途中で
注文金額、
数量が増額されましたために、
国内におきましてその
商品の取りそろえに相当時間がかかったのでありますが、六日の日に売り出すべきものが全体で受注をいたしました
金額の約四分の一ほどしか到着しておらない。この
状況では一日で売り尽されてしまうであろう、かえって
混雑を増すから、第二便が着いてから
品物を売り出そうということで、
中国側がそういう
方針を立てたのであります。もとよりこの
即売品につきましては、御承知の
通り中国側におきましては
百貨公司、
国家経営の
百貨店が全部扱っていることでして、
展覧会自身が直接
自分で
販売することを許されないのでございます。そういうわけで、
販売のやり方、方式、また
金額等におきましては、
中国側が全部取り扱うことになっております。そういうわけでもう少し
品物が到着してから開始しようといううちに、だんだんとおくれまして、ついに第二便の入りましたのが、十月のたしか二十日に
天津に船が着いたと記憶いたしております。一方ではもうあまりおそくなるから、二十三日には断行しようという
方針がきまっておりましたので、
現物が
天津に到着いたしますと、
特別便で
北京に取り寄せて、その
品物を点検するいとまもなく
売り出しを開始したのであります。先ほど申しましたように
市民の
期待があまりに広く高かったものでありますから
——中には不意に売り出されて、先に買われてしまうと困るからというので、
グループグループから代表を送っておいて、早朝の四時半か五時ごろから
会場へ詰めかけては
連絡をして、きょうもなかった、きょうもなかったというようなことも、私はうわさに聞いております。それほど大きな
期待をかけておりましたので、大
へん混雑するであろうということは、
中国側も想像しておったようでございます。さて二十三日に
売り出しにかかろうといたしましたときに、もう
お客が殺到いたしまして、売り場は裏の広場の西側の方に二カ所と、東側に一カ所、
展覧会の前にそういう
商品を扱う
百貨公司の出店がございますので、そこと四カ所で、
品物を分類いたしまして売ることにきめたのであります。いきなりそこに殺到してきまして、たとえば
万年筆など、
日本の場合でしたら、
百貨店へ行きまして購入しても、私
どもは一応インクを吸わして書いてみて、
ペン先の調子を見て
自分が引き取ってくるという慣習がある。
万年筆のようなものは大ていそういう経路を経て手に入ってくるわけです。それが何しろ
あとから押すな押すなの
状況で売場に行列したものですから、ついに丸太を持ってきまして制限して、
品物を箱のまま渡す、お金をもらう、こうやって各
商品を渡しておったのであります。こういう
混雑の中に向うさんの方でも売りましたし、第一、開梱したときに
購入者側として厳重な
商品検査というものを行ういとまがなかったところに問題の発生する
原因もあったのではないかということが想像されるのでございます。そして二十三日に
売り出しまして、私がこの問題が起ったのを耳にいたしましたのが、ちょうど午後の五時ごろだったと思います。
売り出した
品物が
お客からこういうわけだと持ってこられた、不
良品が出ておるんだということを聞きまして、実に私は驚いたのでございます。と申しますのが、
新聞で、内地の
報道機関で御存じだと思いますが、
展覧会の盛大さが、私
どもが開きます当時に予想しておりました以上のにぎわいを呈しまして、大
へんな
参観者で、第一日は十二万八千もあの狭いところに
入場者があったようなわけで、連日そういう
状況で、少くて五万、六万という
参観者を毎日得ておりました。総数では百二十八万かと記憶いたしますが、わずか二十日間ほどにそれくらいの
入場者を見たという
盛況ぶりであって、
準備その他についても、
中国側の
関係機関が夜を徹して協力していただいて、むしろこの繁栄さについては、
中国側の御協力のたまものだと私
どもは考えております。それほどお世話になっていた。そうして
市民から、また
周辺からも、続々と
参観者が詰めかけられるほどの盛大さを示しておる中に、たとい少数であってもそういう問題が発生したということは、私
ども団員一同全く色を失うほどの打撃を受けたのであります。それを耳にいたしましたから、さっそく
先方さんの
百貨公司、つまり直接
販売の衝に当っている
責任者、それから
雑貨公司、これは
日本と
商品の
輸入契約をいたしましたところ、ここの
責任者にお会いしまして、こういう不
良品がたとい一個でもできて、
市民のお
怒りを買ったことはまことに申しわけない、
国内はともかくといたしまして、これは
展覧会の全
責任でございますから、不
良品についてはすぐお取りかえをして差し上げて下さい、もしお返し下さることがあったらば、現金をもってお返ししていただきたい。さらにほかに何かございますかということをそのとき申し上げたら、実は
ボールペンの
しんのないのが出てきた。それじゃ
品物を
一つ見せてもらいたいということで、さっそく
ペンとか、あるいは
ボールペンの
しんのないようなものを見せていただきましたが、事実そういう姿になっております。それから
ペンなどはやはり頭の方が食い違いになっていたり、先が曲っていたりしたものも五、六本私は拝見いたしました。何かはかに気がついたものがございましたら、それも十分
検査なさってから売っていただきたいから、
売り出しをとめていただきたいということを強く申し入れました。今晩は徹夜しても
一つ調べてそれから
売り出しましょう。だが、
ペンというようなものに対して
お客が非常にほしがっているから、できるだけいいものを出すが、調べた上で
売り出しますという約束で別れたのであります。そのときに話の中に、
数量は後日お届けいたしますけれ
ども、
オーバー生地が実はございます。これは
日本から
サンプルが行きまして、それも見た目だけで
注文を発して
日本から取り寄せた。どうもこれが
生地がもろい。こうして切ればぴりっと切れてしまう。
あとでわかったことですが、
日本から行きました
見本をそういう
強度試験をやってみなかったために、姿を見ただけで、非常に手ざわりもよし、
品物もりっぱに見えるものですから、それを購入した。これも非常にもろいものでした。これは全部売りどめして下さいということを申したのですが、これは
見本を見て私の方も
検査をしなかったのが
手落ちだったけれ
ども、
価格も安いし、そのまま引き取ってございますから、むろん
あとの処置は別として、これは全然
中国側の
責任だから、問題になりませんという
態度でございました。二十五日の日になりまして、この日も非常に殺到いたしておりました。その
万年筆等が出ましたから、さだめし
即売の度合いも落ちるんじゃないかということを考えておりましたところ、やはり二十四日の日も売れ、二十五日も相当売れたらしい。二十五日の日は、
中国側の党のえらい
方々がたくさんに御
家族連れで夕刻から見えることになっているから、
団長は帰らぬようにしてくれということで、私は
会場にとどまっておりました。その
方々を御案内してそちこちお見せいたしておりますうちに、八時ごろに
——夜になってしまったのです。問題はこのときから外部に実は出て参りまして、前に売り出されました
万年筆を持って帰って使ってみたら、使えないものがあった。それから一方には、
群衆の中には、当日
即売品を買うべく三時間もあるいは四時間も前から行列の中に入って待っておったところが、定時間がきたものですからぴしゃっと
販売をとめたということで、待っていた人が、こんなに待たしておいて買えないで帰るというのはどういうわけだといって、これもねじ込んだ口になるのでしょう。ちょうど
会場の裏に
外貨展覧部というのがございます。これは外国から
中国へ来て
展覧会を開くときの
事務機関でございます。ここに押しかけて来て、
責任者に会わせろというようなわけで、私その晩その話をまだ聞きませんでした、
あとから聞いたのですが、そういうわけでそこに
群衆が殺到して、
団長に会わせろというわけで
先方に迫ったそうです。ちょうどそれが三階の建物です。
正面玄関から三階に上るようになっている。三階の
部長室のところまで参りまして、
中国側では話がつかぬから、こちらに会わせろというわけで強硬に迫って、どうしても帰らない。やむを得ず
中国側では、多分これは警察官というふうに私聞きましたけれ
ども、毎日百五十名ほどの警官が館の
周辺を始終監視してくれておったのです。その人々を呼んで、
群衆に対してよく納得させるように、
品物も取りかえるし、買う人については館の中で
臨時即売所を作るから、そこで買ってくれないかと一方には説得もし、それから不
良品については取りかえるからということを申しておった。だんだんそういう話をして、夜十時過ぎまで、解散させるのにかかったということを、私は
あとで
部長から伺いました。ちょうどたまたまそのときに
読売新聞の
——これは申し落しましたが、
日本から
読売、
朝日、毎日、
共同、それから
日本経済だと思いました。そのほか
業界紙等で約八社と記憶いたしますが、この
展覧会に関しまして
現地に
特派員が派遣されております。そのうちに
読売の
記者、それから
朝日の
記者でしたか、あるいは産経かもしれません。この
人たち三、四人が、あまり人込みであるものですから、帰りがけにのぞいてみたら
混雑していた。ちょうど赤いきれ地の
新聞記者のしるしをつけておりまして、服装がみなせびろを着ておったものですから、それを見て
群衆の
人たちは、これが
日本の
展覧会かと言って、血相を変えて取り囲んだそうです。すぐその
事態の
内容がわかったので、
中国側の
部長に会おうとして階段を登って行こうとしたのですが、なかなか登れなかったという話で、結局
先方の
部長に会見できたそうです。これは翌日私がその話を聞いたのです。そのときの
怒り方というのは、ちょうど
戦争中または
戦争直後の
日本人に対する憎悪の感情を出しておられた。全く
自分たちも、あまり盛大のうちにこういう問題が起ったので、どうしていいかわからなかった、こう翌日言っておりました。そういう
状況のうちにすぐかけつけて
日本に
電報を打った。連日
会場に詰めかけて様子を見つつ、多分
情報を
日本に送っていたんだろうと思います。これがその事件が広がった
状況でございます。
それから私はそういう
事態を聞きましたので、おそらくまだお返しにならない方もおありだろうと思うから、
新聞の
広告をさしてもらいたい、不
良品が混入しておって申しわけないから、これは
展覧会が閉幕されても後に
百貨公司でお取りかえをいたします、また住所のわかっておるところはお届けもいたしますからということを、
新聞、ラジオを通じて私の方では発表して、広く
陳謝の意を表したいということを申し入れたのでございますが、
中国側で申しますのは、
自分の方でこれをどう取り扱うかまだ
方針を検討中だから、広く
市民にあなたの方の誠意を披瀝するについては、こちらから
連絡をするから待ってくれということを申されました。私は待っておりましたが、なかなか答えが出ませんでした。そのときこういうことを言っておりました。この
展覧会の大
成功ということは、
日本と
中国の間の
貿易の大
発展をするきっかけを両国の間に作ったのだ。その大
発展をする途上にある
できごとでもあるし、
展覧会がこれだけの
成功をしておるのだから、そのうちの
一つとしてのほんの欠点にすぎないのだから、そう心配しなくてもよろしい、これの取扱い方については、十分研究して御
連絡を申し上げるということでした。さほどに問題が起りましたので、
即売の
あとの売れ行きはどうかと思いましたが、これも引き続いて会期中
品物が売れておりました。そうしてこの
展覧会に協力した
従業員全部に
特別販売日という日を一日設けました。そうして二十九日まで
即売を続けたという
状況であります。
先ほど申し上げました
通り、
中国側では、なるべく未然に防いで広げないという
方針をとっておりました。そうしてこれを堅持しておったようです。その次に私は、ちょうど二十六日かと思いますが、やはり
雷任民氏と会いまして、
陳謝をするとともに、まだお取りかえに来られない方もおありだと思うので、ぜひ
広告をさせてもらいたいということを申し入れましたが、やはり前と同じように、今
自分の方も
方針を研究中だけれ
ども、問題にしないでよろしい、
中国側もこれを問題にしようと思う意思が現在のところはないのだ、もうこのことは忘れた方がよろしいというほどの好意的な
態度を示しておりました。そうしてどうもなかなか真相を私
どもに教えていただけないのです。しかしさほどに不
良品も出ているので、一度倉庫を見せていただきたいということを申し入れて、私も現実にどの程度に出るものか、またほかに売り出さぬ物でどういうような
品物があるかということもよく承知いたしたいので、現場に案内していただきまして、不
良品とおぼしきものを取り出していただいて拝見したが、事実先ほど申し上げましたように、どうも使用にたえないものを相当に混入しておった点が明瞭に確かめられたのであります。元来私は
輸出入関係についての事務的な取扱いその他には知識がございませんから、関係しておりました団員の一人と一緒に参りまして、いろいろ
荷姿とか、
内容の
検査表とかな
ども説明を聞きつつ拝見したのであります。特に
中国では問題にしないという
態度をその当時からだんだんはっきりして参りましたが、
数字の大体はわかりました。
現物等は先ほど申し上げた
通り、きょうまだここに持ち出すまでに至っておりませんが、出ておりますものは、まず
万年筆でございます。
注文しました
総量がたしか七千ダースでしたか、
中国側で購買したもので
万年筆の不
良品の出たケースのものが三千七百ダース購入されております。そのうち売却したもので三百五十本だけ不
良品として戻って交換いたしました。そのほかに
検査いたしまして不
良品として
先方がはねたものが相当ございますようです。これは明日でございませんと
数字がはっきりいたしません。それからもう
一つ別の
万年筆がございます。品名は
リスト、前に申し上げたものは
ベルマンです。この
リストの方は百ダース購入していただいたうち二十本だけ不
良品として戻された。
先方さんのおっしゃるには百ダースのうちで二十本くらい不良の出るのはこれはもうやむを得ないことである、そう問題にいたしませんという寛大なお話をしておられました。それからもう
一つは
レインコートです。
ビニールの
レインコートですが、これは
先方と契約して送りましたものが約五千枚でございます。売却しました
総量が千四百枚ほどですが、不
良品として戻ってきましたのが約九百枚ございます。不
良品の中には、これは
お客さんも購入した方も気がつかなかったのでございますが、皆一々穴があいているかあいてないか調べるためにこういう調べ方をしたのだと思います。小さい穴のあるもの、及び
帽子の破れておるもの、つまり
レインコートの
帽子の頂点のところが破けておる。これは私拝見しましたが、
帽子の上の
接着点がうまくいっておらなかったのだろうと思います。それから
帽子の
ボタンが四個つくということになっておるそうですが、中に
帽子の
ボタンが三個しかついてないのがあって、一方の着る方は四個で
帽子の方は三個だ、こういうものも多少混入しておりましたそうで、約九百枚
販売不能、つまり返されたものがありました。こういう
状況でございます。
問題をしぼって参りますと、今の
ベルマンという
万年筆と
ビニールの
レインコートの二つが顕著のものだと思うのであります。そのほかに多少
取引上の
——先方にも、先ほど申し上げた
オーバー地、これなどの
見本を見て
価格を承知して買ったもので、
自分の方の
手落ちもあるから問題にしない。ただし売り出せばむろん
お客さんから返品をされる性質のもので、こういうものを売り出すことは
日本商品の
信用を傷つけるから
自分の方では売らないということを申しておりまするし、私
どももそうしてほしいと思っております。この
サンプルは持ち帰ってきておりませんから
電報を打ちまして取り寄せますが、
商取引上の習慣から申しますれば、こちら側にも全然
手落ちはなかったし、また向う側では
共同試験でもやって、
再生品でありますか、破れるかどうかを
検査して買えば問題なかったのですが、全然そういうことをおやりにならなかったので、
自分の方にも
手落ちがあるということをはっきり申しております。
大体こういう
状況でございますが、実は
周恩来首相のところにまでこの問題が伝わっておりまして、
周恩来首相から十分な
調査をして
報告書を出すようにということでありましたので、今度持って戻って参ります
品物も出したがらなかったそうです。書いたものも現在では出す立場にない。
百貨公司だけの権限においてこれが扱えなくなったのは、
国際貿易委員会の問題として取り上げ、内閣から
調査方を要求されておるのだから、
自分たちの
機関では処理できない。本月のたしか十五、六日ごろまでに
報告書を提出することになっておるそうです。それが過ぎたらばもっとこまかい点についてあなたの方にお知らせいたしましょうということになっているようでございます。
こういう不
良品の出たことはもう事実でございまして、私
どもその他の者も
品物を拝見している者がたくさんございまするし、
日本から来られた
新聞記者もその
実情をよく見て戻ってきておられますから、この点については間違いはないものと思います。