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山本(勝)小
委員 その今の認否の問題が非常にむずかしいという、確かにそうだろうと思いますが、しかしこれをむずかしい、むずかしいといってただ引っぱっていく、その
案件が片づかないというのでは、結局いつまでたってもそのむずかしさが緩和しないでいくということになって、多
賀谷委員が言ったように、もう法律でやったって片がつかぬということにもなるんじゃないかと思うのです。理論的に言うと、きちんとわからぬけれども、ちょうどいなかで何か事件が起ったときに、自動車なら自動車が家の中へ居眠り運転で入ってきたようなときでも、それはわからぬが、しかし話をして幾らでおさめておこう。厳密な計算などわからぬけれども、ことに人が死んだような場合など、金で計算などできやしないが、払う方の人も金が少いのだし、金持ならよけいとったらいいけれども、少いのだからこの返で手を打とうというようなことで片づけていくことはできないかどうか。たとえば炭坑を掘っていって、炭坑ができたというので大ぜい人が集まってきて家を建てた、坑夫もたくさんいるので、店もできた、ふろ庵もできた。ところが炭坑がだんだん掘っていって棒が尽きてしまって、その炭坑が消えてしまったら、ふろ屋も栄えないし岡死人も栄えないというのは、これは法律上言う
鉱害じゃないでしょうけれども、しかし因果関係はあります。それから私ども住んでおるところでも、工場ができてきて
水道をうんと深く掘ってたくさん使うために、昔は百二十尺くらい掘ったらどんどん吹いておったやつが、今は幾ら掘ったって吹かぬようになってしまう、そのほかに水が悪くなってどうにもならぬ。そういう場合は別の法律で片づけようとしておりますけれども、むずかしさはやはり
鉱害と同じようなむずかしさがあります。その辺は全部飲用に適せずという水なんです。それをしかたがないからみなあきらめて飲んでおるのですが、
賠償も要求しません、またできもしない。何かその場で片づけてしまって、
あとへ残さぬような簡易な
方法で、手を打ってしまう。そうして
あとはあきらめる。どうせもうかると思って来たのがもうからないのだから、あきらめてしまう。私ちょっとしばらく通産省におったときに九州へ行ってああいう
鉱害問題を見たが、これはむずかしいなと思った。
ボタ山の話も出ましたけれども、その後あの
ボタ山の土を利用して、れんがかわらを作ることを発明した人がある。それで通産省の方でそれの補助金をもらってくれといって頼まれたことがあるのですが、そういう
ボタ山を急に財産に変えるような
方法でもあって、そういう
方法をうんと
考えてやらぬと、そこから硫黄が流れてきたが、
加害者不明だということでいつまでやっていたって、これでは奔命に疲れてしまいはしないか。また同じような
ケースがほかに幾らでもある。煙突を立てたために、すすが入ってきて、目に見えないけれども胸を悪くしたという者も出て、これも被
掛者だということになってくる。どこかで筋を引くことをその局に当る人に
考えてもらわねばいかぬが、ただじんぜんとして過ごしているのではなかろうかという感じを受けてきたのですが、その辺はどうですか、そんなことはありませんか。