○竹内
参考人 私、
日本製薬団体連合会の専務理事をいたしております
竹内甲子二と申します。私は、ただいま
河口さん、西野さんのお話によりまして、もう御質問程度に応ずればいいんじゃないかというふうに存じておりましたが、先ほど野沢先生から私にしゃべれというようなお言葉がありましたので、少ししゃべらしていただきたいと存じます。先生のお話にもございましたように、
日本の薬について詳しいから何かその点を話せということでございました。この点は清水先生から大部分お話になりました。まことに私
ども同感で、清水先生のお話に全く敬意を表するものでございます。
大体清水先生がおっしゃいますように、
日本の薬というもの、
製薬業というものの推移を見ますと、第一次欧州戦争までは、
日本の
製薬業というものは
製薬企業らしい
企業じゃなかった。それが第一次欧州戦争によりまして、薬というものがどこで作られているかといいますと、ほとんどドイツが作っているということが発見されました。これではいけないというので、世界の各国がきそって
製薬業をいろいろ
研究したように私は聞いております。そのために
日本においても同様、
製薬業をいろいろ熱心に
研究いたしました。清水先生もおっしゃいますように、主として衛生試験所等が試作しまして、そういうものを民間に移して、民間人は非常な苦心をしてどうやら世界の水準に達するであろうと思われるような状況になりましたときに、再び第二次世界戦争が始まりまして、御
承知の通り、
日本の
製薬企業というものはほとんど壊滅したわけであります。そのようなわけで非常に惨たんたるものになったのでありますが、戦後におきまして、また官民の非常な熱心によりまして今日の状態になりました。私は
昭和二十一年に現在のような製薬の
企業に
関係いたすことになりましたので、非常に苦心の跡を知っているのでございます。たとえばペニシリンに例をとりましても、二十一年当時は森永が三島に
工場を持っておりまして、その
工場へ参りますと、例のペニシリンの培養な
どもほんとうに幼稚な
方法でしておりまして、ロスが多い。
歩どまりなどはほとんど問題にならぬような状況でございました。その後苦心惨たんいたしまして、今日のような単基培養になり、世界に一、二を争うようなりっぱな制度となったわけであります。ほかの
医薬品につきましても、非常に苦心したものでございます。このことについては私も清水先生のお説に同感でございます。
そのようなわけで、私一、二申し上げたいと存じますのは、こうして参っておりますが、ただ今日
医薬品というふうに一本に申しておりますが、これはもとから申しますと、
薬品営業並びに
薬品取扱い規則、普通これを薬律と申しております。これは明治二十二年に出ました法律でありますが、この薬律が主として医師に売ります薬の取締りをいたしております。従ってこの中には
薬品という字が使ってございます。そこで、この
薬品と申しますものは今日申します公定書の
医薬品、
日本薬局方それから
国民医薬品集というような公正書にあるもの、それから公定書にはないけれ
ども、主としてこれは医者が用いますので、そうしたものをいずれの薬局方にも記載せざる
薬品または製剤というような言葉がございまして、これを新薬、新製剤といっておりますが、要するに新薬、新製剤と申しまして、局方外のもの、これがお医者さんにやる薬であります。そうして薬律によって規制をしております。それからもう
一つ売薬法というのがございます。売薬法と申しますのは、昔からあります漢薬を主としたもの、あるいは明治以後におきまして、西洋の
医薬品も
原料になっている製剤でございます。そうした製剤を主として民衆に売る目的を有するもの、これを売薬法によって売薬として規制している。そういうふうに売薬というものはほとんど民衆に売るものだ、それから新薬、新製剤と申しますものが医者に売るものだ。それから薬局方のものあるいは
国民医薬品というようなものは、当時は薬局方が主でございますが、こういうものは医者が主として使うもの、医者に主として売るものだというわけで区別して参っておりました。そして医者に売りますもの要するに新薬、新製剤あるいは局方の
薬品等につきましては、別に広告取締り規定というようなものはございません。こういうものは主として医師に売るものだから、これを通俗的な広告をすれば売薬法に触れるのじゃないかというような観点から、別に規定がございません。ただ売薬法により売薬というものの広告を厳重に取り締ってきました、その売薬法というものが廃止になりまして薬事法一本になりまして、そこで初めて
医薬品全体に対して広告取締りというものが出ました。それは売薬法にあったところの広告の取締り規定がそのまま規定をされていると私は存じているようなわけでございます。このようなわけでございますで、どうも
一般に混同しやすい。みそもくそも一緒というような状況に外部から考えられやすいのでございます。
そこで広告についてでございますが、ただいま
河口参考人からお話にございましたが、大体におきまして公定書にありますものは医者が周知しております。これは試験法等もはっきりしたものができておりまして、そうして
日本薬局方にのりあるいは
国民医薬品集にのったものにつきましてはさほどの広告をする必要はないのでございます。でありますからそういうようなものはほとんど広告というものはないと見て差しつかえないと思います。そこで次に新薬、新製剤と申しておったもの、今日それは
医薬品一本になっておりますが、これが要するにお医者さんに売るものでありまして、新薬というものは新しくできたものでございますから、どうしても広告しなければお医者さんが知ってくれません。知ってくれなければ使ってもらいようがない。りっぱな新薬ができても、二年三年
研究しまして、苦心してどんないい薬ができましても、これを使ってもらえなければ全く
国民に対して相済まぬことであります。これを医者に知ってもらうにはどうしても広告しなければならぬ。お医者さんだけに知ってもらえば、新聞には出さなくてもいいじゃないかといいますが、今日の
日本の国状におきましては、お医者さんは必ず日刊新聞を見ておりますので、そういうものに新薬の広告が出ておると私は見ているのであります。これにつきましては先ほど来お話がありましたように、量産されますれば需要がふえましてだんだんと値が下ってくる、これは多くの新薬の歴史を見ますと、量産によって
値段が下っているカーブが出ておるわけであります。すべてみなそうとは申し上げませんが、大部分がそういうカーブをたどっております。やがてこれが周知されまして公定書に載りますと、もうそのような広告はしなくてもよろしい、また新しく出たところの新薬について広告をしていくというような結果になっていくと思っております。
それから第三番目に、先ほど申しました売薬と申します、民衆に主として売るものであります。これは昔からいわゆる大衆相手でございますので、これに対しては昔から広告、宣伝がなされておるわけでございますが、売薬と申しますものを今日、
家庭薬と民間で言っておりますが、こういうものにつきましては、いろいろな習慣から大体定価をつけまして売っているようなものでございまして、相当の広告はしておりますが、広告もしてたくさん作れるようになったから、それじゃ
値段を引くかというと、もう定価はつけてありますので、
値段を引くことはなかなかむずかしいと思います。従ってこれらにつきましては、良心的なものは
内容をふやすというようなことによってサービスをしておる、このように存じております。このように広告の点におきまして三色の点があるわけでございます。
それからいま
一つ薬価基準の問題でございます。先ほど
滝井先生からもお話を承わりました社会
医療、要するに
社会保険というものが
一つの
ワクによって、医師も国家も被
保険者もみんな非常に損をしておるのだというわけでありました。当然
製薬業にも相当のあれをすべきだという御議論はよく私
どもも承わっておるのでございます。これは私
どもの考えといたしましては、製薬工業と申しますものは、先ほど清水さんからのお話もございましたが、私
ども健康保険に
関係いたします大きなものは、単味の薬を作るいわゆる
製造工業でございます。
化学工業でございます。製薬工業と申しましても
化学工業の一分野でございまして、
製造面におきましては、たとえば肥料工業におきましても、あるいは染料工業におきましても、
医薬品工業におきましても、私は工業の面では変りはないと思っております。しかしながらただその工業が生み出したところの
医薬品そのもの、
製品そのもの、商品そのものが、一部分が
健康保険という非常に公共的なそうした面に使われるということであります。従いまして私
どもこの点を考えておりますと、そうした面に使われるからして
医薬品はまず純良でなければならない。それからいま
一つは、この
医薬品は非常に変化もしやすい、取扱いが大事である、従って取扱いに正確を期さねばならない、こういうような
意味合いからこれを厳重に規制しておるのが今日の薬事法であると存じておるわけなのであります。薬事法によりまして製薬工業というものには相当規制が行われていると存じております。ただ
健康保険、
社会保険というものに対しましては、経済の面で非常に規制されておる面が強い、医師に対しましても非常に規制されておるのじゃないかということでございます。従いまして
医薬品も
原価でなければならぬということであります。これにつきましては、
医薬品に対しましても当然私
どもは相当の
原価にするということを考えねばならぬと思っておりますが、ただ医師の
技術料というものと、商品でありますところの
医薬品の
価格を比較するということにつきましては、これは若干の疑問があるわけであります。一方は
技術料でございます。しかしながらこの商品としましても、これはいろいろ言われておるように、ぜひ安くしなければならぬというので、
製薬業界におきましても、
企業の合理化をはかり、極力安くはかっておるわけでございます。しかしながら一方にいろいろな規制がしてあるのだから、
価格の面でもどうかしなければいかぬのじゃないかということを私
どもも考えてみますと、結局マル公を作って統制するということ、そうでなければ結局現在の市場にあるところの
価格というものについて何らかの規制とするということ以外にちょっと私
ども考えられません。先ほど
今井先生のお話もございましたが、
会社を指定して云々ということもなかなか困難なようでございます。そういうわけでございますが、今日マル公を作るということは、他のものが自由経済時代におきまして、薬の
製品だけのマル公なんというものは問題にならぬと思います。そうしますと、やはり現在あります
薬価基準の制度というものは仕方がないじゃないかと私は考えます。この
薬価基準がいろいろ甘いとか辛いとかいうお話もございますが、
薬価基準と申しましても、これは別に統制しておるわけではございません。
一つの
支払い基準でございますが、どうも
薬価基準というものは、だんだんと
値段を安くする作用がございます、お医者さんが
薬価基準にたとえば百円となっておりますと百円以下で買う、非常に値切るというような傾向が強いのです。商売でございますので、いろいろな点から競争するとか、そうしてだんだん安くされる。これが安くなった時分にまた調査がありまして、そうして市場
価格を調査して、また
バルク・
ラインを作るというように、それが二度、三度いきますと、だんだんと
薬価基準が下っていくわけであります。現に下っておるわけでございます。私
ども業界から見ぶすと、この
薬価基準の
ワクというもりは、相当に業界としては痛いものであるというように存じておりますので、私
どもとしましては、
医薬品の価相については全く野放しであるというふうな考え方を持っておらないような次第でございます。なおいろいろ御質問があると存じますが、一応終らせていただきます。