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和田公述人 全労会議書記長の
和田でございます。今回の
健康保険法の
改正に関しまして、直接
健康保険の
適用を受けております私
たち労働者としては非常に大きな関心を持っておるわけであります。従来から
健康保険の
赤字というものが問題とせられるに従って
健康保険の
改正がしばしば日程に上って参っておりました。今回
厚生省は、相当大幅な
改正を企図し
政府提案として出て参ったわけでありますが、この
内容を見ますと、大きく分けまして、まず第一番目には、一部
負担という
制度によって
患者に
費用の一部を持たせる、さらに
標準報酬の
引き上げ、
継続給付の
制限あるいは被
扶養者の
範囲の
制限等によりまして
給付の面から
制限を加え、さらに
国庫負担によりまして
国庫から一部の
補助をする、このような方法によって、
政府の言をかりますれば三者三
泣きと言っておりますが、国も幾らか持つ、
患者も幾らか持ってもらう、あるいは
標準報酬の
引き上げ等によって
使用者にも幾らか持ってもらう、そのようにして現在当面しておる
健康保険の
赤字の危機を脱したい、こういうところにねらいがあるようでございます。そうしてそれにはそれぞれ
理由がつけられておるわけでございますが、単に
改正案として出て参りました
法律の面だけではなしに、その提案された
理由にも上りまして
意見を申し述べてみたいと思います。
まず第一の点といたしましては、一部
負担の
制度でございます。これは今日まで
初診料に対する五十円の一部
負担を除いては他にございませんでした。ただ被
扶養者に関しましては半額を
患者の方で持つという建前になっておったわけでございます。この一部
負担を施行するに関しまして、
患者は
受益者であるから、ここにも
赤字の一部を持ってもらうという
意味合いと、さらにみずから
医療に関して
患者も
責任を持つ、そういう
意味合いで、まるきりただでやったならばでたらめな
医療が行われやすいので、これに対してみずからも金を出すことによって
責任の
一部を分担することができるであろう、このような
理由が述べられておるようであります。しかし私
たちの立場から申し上げますならば、
患者が
受益者であるという
考え方自体に疑問があるわけであります。なるほど
病気になりましてその
患者がお
医者さんにかかる、
保険で見てもらいますからその
費用の
負担がかからない、そういう
意味においては
患者は
受益者であるように見えるわけでありますが、元来
保険という
制度を設けまして、
事業主も半分
負担をする、被
保険者も半分
負担をする、そのような
費用をもって
医療保険を運営していく、さらに大きくいいますならば、
医療保障制度という
制度を通じて
患者を救っていくことは、単に
患者だけが
受益者ではないと私
どもは
考えるわけであります。結局
早期に
病気を発見し、
早期に治療を加えることによって、
社会全体にも大きなプラスになる。また
企業なり
事業場において病人ができれば、いろいろそこで困難な
状態が発生いたしますけれ
ども、みんなが
責任を分担することによって、そういう弊害を除去していくというところにねらいがあるわけであります。従いまして、この
健康保険という
制度を通じての
受益者は単に
患者だけである、あるいは
患者が主たる
受益者であるというような
考え方は間違いでありまして、広く申し上げますならば、
国民全体、また
事業主であり、そこに働いておる
労働者全部が
受益者である、このような
考えに発して、初めて
保険料につきましても
労働者が持つ、また
事業、王も
保険料の半分を持つ、こういう根拠が生まれてきていると私は思います。従って
患者は、そういう
社会にできた
犠牲者に対して救済をしてやらなければならない
対象でありますから、ここに対して
負担は絶対にかけないようにするというのが理想的なのでございます。その
患者に
負担をかけるという
考え方は、むしろ
保険の
制度に対して逆行するものである、かように
考えるわけであります。
今日の
赤字が出てきておる
原因につきましては、いろいろありますが、まず
国庫負担の
実現ということが過表数年以来
社会保険審議会において決議をされて参りました。この
社会保険審議会は、御
承知の
通り公益委員、
事業主代表、被
保険者代表、三者の構成によるものでございますが、常に満場一致でこの点が決議されまして、少くとも二割の
国庫負担を
実現すべし、このように
政府に勧告しあるいは
要望されて参ったわけであります。今回は
政府管掌健康保険に対しまして、約三十億の
負担が行われておるわけでございますけれ
ども、これは一割にも満たない
金額であります。しかも
国庫負担ではなしに、
補助という形で出して参っておるわけであります。この
国庫負担の
要望に対しまして、往々私
たちが耳にいたします
理由は、
保険という
制度において
国庫負担をするということはおかしいではないか、あるいは現在
保険あるいは
医療保障の
適用を受けていない
国民が三千万人もおるという
状態において、
適用を受ける恵まれた一部の者にだけ
国庫が
負担をするということは筋が通らない等の理論を聞くわけでありますけれ
ども、これに対しても私
たちは異論を持っております。
まず、先ほ
ども申し上げましたように、この
保険の
制度を通じて
恩恵を受けるのは単に
患者のみではございません。それぞれの
企業であり、
企業に働く
従業員であり、
社会であり、大きくいっては
国家全体であるというふうに認識していいと思うのであります。しかも、三千万の
適用を受けていない者がいるという事実も重要でございますが、六千万の人々が何らかの形で
保険の
恩恵を受けているこの事実こそ、私
どもはより重視すべきだと思います。このように
考えますならば、この
保険に対しまして
国庫が二割
程度の
負担をするということは、何ら過当な
要望ではない、当然
実現されてしかるべきものである。その
金額にいたしましても、決して多額の
金額には及ばないのでありまして、百億にも満
たい金額でございます。これを今日の
国家財政からひねり出すという点においては、多くの困難はありましょうが、できない相談ではないというふうに
考えるわけであります。このような点から、私
どもは
国庫負担の
実現ということをぜひ実行していただきたい、このように
考えるわけでございます。さらに三者三
泣きという
政府提案の
理由によりまして、
事業主も被
保険者も
負担をしてもらうというような
意味合いから、
標準報酬の
引き上げという点が出ておりますけれ
ども、
標準報酬の
引き上げは単に
負担の増大だけではなしに、
給付の
対象の
基準にもなるもりでございますから、この原案については、私
どもはむしろ
給付の
基準として
考える場合に賛成の意を表したいと思います。それに伴って若干の
負担が伴うという点については、私
たちとしても忍ばなければならないと
考えるわけであります。しかしその他の
継続給付の
期間の延長あるいは被
扶養者の
範囲を
制限する等の
給付の
制限面につきましては、私
どもとしては賛成するわけに参りません。これらはできるだけ
現状維持ないしは
現状よりも改善されてしかるべきものである、このように
考えているわけであります。
ただ、
負担を国も持つ、
患者も持つ、
事業主も持つと、いろいろ言われておりますが、この中で
一つ今回の
健康保険改正については抜けておる点がございます。それは
保険料の
引き上げという点であります。この
保険料の
引き上げという点につきましては、先般千分の六十五の
法律による満限まで
引き上げておる今日、
保険料引き上げによって
負担を増大するだけの余裕が、
事業主にも被
保険者にもない。従いまして、こういう
状態において
保険料引き上げをすることは非常に困難であるということで、
政府は回避をされておるようでございます。しかし健康で働いておる者も、現に
事業を継続しておる者も、これ以上の
保険料の
負担にはたえられないという前提に立っておる
提案者側が、
病気にかかってより多くの出費をして、あるいは
職場を失い、収入を減らしておる
患者がさらに多くの
負担にたえ得るということを
考えたところには、大きな理論的な矛盾があると思います。働いておる者も
保険料のこれ以上の
負担にたえられないという認定に立っておりますならば、
患者はなおさらより以上の
負担にはたえられないというふうに
考えるのがしごく常識的なのであります。にもかかわらずあえて
保険料の
引き上げという提案を避けて、一部
負担という
制度で、最も苦しいところに
負担のしわ寄せをするという
考え方に達した
理由は、私はおそらく
事業主側の圧力によるものではないかというふうに
考えるわけであります。それは現在の
健康保険におきまして
保険料の
負担は労使が折半をいたしておるわけであります。
保険料の
引き上げという形で出て参りますと、この
負担をかぶる分は、被
保険者側も
事業主側もそれぞれひとしく
負担を負うことになるわけであります。しかし料率の
引き上げを避けて、一部
負担という
制度をもっていたしますならば、その
負担はすべての被
保険者側にかぶせる、しかも被
保険者側の一部の
患者という弱い層にかぶせるということになるわけでありまして、むしろ一部
負担という形で出ておりますが、その本質に入りますと、
保険料について労使が折半という原則をむしろこれによってくずしまして、被
保険者側、
労働者側の方に
負担を強化し、
事業主側の
負担を軽くするという積極的な意図がこの扱い方には含まれておるということは、数字の上ではっきりすると思う次第であります。こういうような形においてすべてが被
保険者側、
患者側の
負担にしわ寄せされる。こういう点に関しましては、私
どもは断じて承服いたしかねるわけであります。
さらに今回の
健康保険の
改正といたしましては、もう二つの点が出て参っております。それは従来
保険医、
保険薬剤師の
指定一本でございましたのを、
医療機関の
指定と医師の
登録制度という二つに分ける点であり、もう
一つは、
監督、監査の強化という点であります。私
どもは、今日までの
制度の実際を通じて見まして、
保険医師あるいは
保険薬剤師のみの
指定をもってはやはり工合が悪いのではないか、病院等の施設において、そういう
医療機関において
療養を受けるという建前になっておりまする以上、両方を総合した形にしてはっきり
責任を持ってもらう、さらにこれに対して必要とする助成、救済等の対策を講ずるならば、それを行うということが適当であろうというふうに
考えるわけであります。この点につきましては、あとの
監督、監査の強化の面についてさらに言及いたしたいと思います。この
監督、監査の強化という点についてもかなり反対が強いようであります。しかし私
どもは現在の
保険という
制度の実際を見た場合に、やはり
監督と監査というものは厳重に行われる必要があるというふうに感じております。事実被
保険者にも
保険証を不正に利用する、あるいは不正な受診をするという者が存在しておることは、私
たちの身辺にはっきりと見ることができるわけであります。また
事業主の側におきましてもいろいろと不正をやる、
標準報酬を低くやる、あるいは不正な手続によって不正な
診療を受けさせる等の行為が行われておることも事実であります。またお
医者さんの中にも不正なことをやる、あるいは不正な
請求をやるという人が存在しておることも事実であります。私
たちはこういう不正の存在というものに目をつぶることなく、不正はきびしく取り締る、そうしてほんとうに正しい
診療を受ける者が正しい
診療が受けられるようにしていくことが必要だと
考えます。むしろ今日不正の存在によって、逆に正しい立場をとっておる多くの、ほとんど絶対多数のお
医者さんなり被
保険者なりというものがより多くの被害をこうむるようなことは避けなければならないというふうに
考えておるわけであります。そういう
意味合いと、もう
一つは今の
保険が
医療を受けた者が直接金を支払うのではなく、
患者はからだだけで
医療機関に行く、
医療機関は支払い
機関に
費用声
請求するという形をとっておりまして、その
費用は
保険料として
政府がとるというように、この関係に一貫した輪のつながりというものがないわけでございまして、それぞれの場において切れ切れになっておるわけでございます。もし私が
個人の
責任で
医者に行く場合においては、
自分で見てもらったということにおいて金を支払うという立場をとるわけでありますから、そこに納得ずくで支払われるわけであります。先ほど申しましたようにばらばらになっておる
状態におきましては、どうしてもそこに不正の介在する余地が発生して来ざるを得ないわけであります。そういう
意味合いから申しましても、たとえば
医療機関の
指定と医師の
登録制の二本建の場合に、お
医者さんは見るだけでありまして、
費用の
請求等は大きな病院では事務長がやる等の形でもって
医療機関がやるわけでありまして、見た人と
費用を
請求する人との間につながりが断たれるというような問題も出てくるわけでありますから、そういう面から申し上げましても、
機関の
指定と医師の
登録制の二本建については、私
どもは必要な措置であるというふうに
考えておるわけであります。ただここで強調いたしたいのは、とかく従来の日本のやり方は
監督であるとか監査であるとかいう
取締りの面ばかり非常に強化されまして、救済の措置を欠いておるという点であります。この点におきまして、今回
政府から提案されました
健康保険の
改正案につきましては、この救済という点が非常に欠けておる。そういう点について、私
たちは改められる必要があると思います。お
医者さんが不当に
指定を取り消された場合、あるいは
監督監査の結果いろいろな措置をとられた
医療機関なり被
保険者なり
事業主が、そういうものが不服であるというような場合に、現行法におきましてははなはだ救済の措置が不便であり、かりに利用する
機会がありましても、非常に長い時間がかかって一方的に不利益をこうむる場合があるわけであります。従いまして、こういう場合にお
医者さんあるいは被
保険者あるいは
事業主、こういう人
たちの
権利が不当に
制限されることのないようにいたしまして、あくまでも
診療を正しく受けられ、適正な
給付を受けられ、そういう
診療意欲を阻害させないようにすると同時に、不正のものは厳重に取り締るという態勢をぜひとってもらいたいというふうに
考えるわけであります。こういう点につきましては、従来
社会保険審議会におきまして長い間かかっていろいろな
意見を総合して、昨年の十一月に
厚生省に
一つの
意見が答申されておるわけであります。しかしこの
社会保険審議会の
意見というものは
政府によってほとんど無視されまして今回のような
改正案になったことは、はなはだ遺憾に
考えるわけであります。
以上の点を総合して申し上げますならば、まず少くとも
国庫負担二割の
実現によって今日の
健康保険の危機を脱していただきたい。一部
負担の
制度につきましては、従来存在しておった五十円の一部
負担程度においてはやむを得ないかとも思いまするけれ
ども、それ以上の
制度を実施することについて反対である。さらに
継続給付の
制限が一年間の被
保険者の資格を要することになった点についても賛成できないわけであります。これらにつきましては、現在の六カ月というのが無理である、利益を受ける面において権衡を失すると申しますならば、単に継続して一年間の被
保険者であったとするだけでなく、過去三年間において継続いたしておりましても、一年間の被
保険者の
期間があったならば
継続給付が受けられるというふうに
改正をいたしますと、失業したりして被
保険者の資格を失った者で資格
期間が切れ切れになっておる者でも相当救済されるわけでありますから、どうしても六カ月では権衡を失するという積極的
理由があるならば、少くとも継続一カ年の被
保険者の
期間ではなく、過去何年間かに総計して一カ年間の被
保険者の
期間があるならばというふうにするくらいの親切さがあってもいいと思います。さらに被
扶養者の
範囲におきましては、大体
改正案でも不自由はございませんが、現実の日本の
社会情勢におきましては、直接扶養の
義務を負っておる三等親以外の遠い親戚等に不具、廃疾、子供、こういうものがある
状態におきまして、それが同一世帯にあって直接扶養の
義務を持っておるものにつきましては、被
扶養者の
範囲にすることが望ましい。こういうことによりまして、
給付の
制限は回避をしていただきたいというふうに
考えるわけであります。こういう
意見を申し述べますと、
国庫負担といっても限度があるから、もし予算で三十億なり四十億なりの金がどうしても出ないというような場合に、一体どうするのか、こういうような反問があると思いますが、これにつきましては、私
どもは一部
負担等のむちゃな
制度を実施することなく、当面借入金をもってしてでも
赤字は処理をいたしまして、あと一年でも時間をかけて、抜本的な
改正を
考えていただきたい。その抜本的な
改正のねらいといたしましては、今日の
健康保険の
赤字増大の最大
原因の
一つに、結核
療養費の増大ということでございます。それが総
医療費の三分の一を上回る
程度に増大しておる
状態、しかも結核の
療養につきましては、すでに被
保険の資格を失った者に対する
負担が相当多額に及んでおる
状態にかんがみまして、これらに対する抜本的対策を抜きにしては、単なる弥縫策にすぎないことになります。今ここで一部
負担の
制度を設けましても、また一年たつと
赤字が出てくる、さらに一部
負担のワクを広げることになって、とめ
どもないところにいってしまうおそれがありますので、十分に結核に対して抜本的な対策を講じる。さらに日本全体の
医療保障の方向というものを見きわめた上で、そういう大きな流れの中でどうしたらいいかという
改正案を
考えていただく。その上で借入金の
赤字等につきましては、償還財源として臨時付加的な料率で返済していく等のことも可能でありましょうし、また
国庫から
補助を出して、これを帳消しにするという方法も
考えられるわけであります。その抜本的な対策を抜きにいたしまして、一時的な弥縫策で今回の
健康保険の
改正を
考えることは望ましくない。中にはもちろん積極的な、いい方向を向いておるものもございますが、概して改悪である。特に被
保険者、なかんずく
患者に
負担が増加されるという点におきましては、私
どもは断じて賛成できないわけであります。この点を申し上げまして
公述を終りたいと思います。