○
八木(
一男)
委員 厚生大臣の強い御
所信を伺いまして、その点については非常に心強く存じております。
厚生大臣は今
健康保険法の問題で非常に重要な
職責におありになるわけでございますが、私
どもの
考えでは、その問題は大きい小さいはありますけれ
ども、この問題で御
所信に邁進されて、
小林さんの
行政によって、そのままにほっといたならば命がなくなる人が助かったというようなことになりましたならば、ほかの問題がどうあろうとも
小林厚生大臣の大きい業績になると私
どもは思うわけでございます。そういう意味で、この点について
ほんとうに
小林さんの人情味あふれた
行政をぜひお願いしたいと思うわけでございます。この際特に申し添えたいわけでございます。が、
小林さんに、私前に
療養所の
実態の
お話え申し上げたことがないのでありますけれ
ども、
喀血患者につきましては、親族に
結核患者がおられない方は、
喀血をするような人は非常にだめなんじゃないか、あるいはその時助かっても一月か二月後になるんじゃないかというような
考え方のもとに、いろいろなことを
考えておられる方もなきにしもあらずと思います。ところがそういうわけではなくて、
喀血というものはその場を救いましたならば
あとどんどん回復するわけでございます。御
承知の
通り血が気管支の一部分を閉塞いたしまして、半分首を締められたような格好で
喀血患者はなくなるわけございます。そこでその場にすぐつき添いがおって、その血を出してやるとができましたならば、その人はその場で命を失うことを免れる。
喀血をするような
患者が現在
胸郭成形の
手術とか
肺切除の
手術をやりましたときには、その後に回復してりっぱに
社会の一員として人生を送っていけるような事実がございます。いろいろな人がそういうことで再生の
喜びをになっておるわけでございます。そこでこの新
看護体制で、そういうような助かる命がちょっとしたことでなくなる人が中にあるわけでございます。非常に残念なことでございます。この
程度でいいというようないろいろな
厚生省側の
基準をきめたいというようなお
考えがあるように私
どもは
考えるわけでございますが、その
基準のきめ方が過酷であるために助かる命なのに死んでいく人がたくさんある、そういう
事例がたくさんあるわけであります。
厚生大臣は、今まで起ったことにつきましてはいたしかたないわけでございますが、それを例といたしまして、今後そういうものは絶対に起らないようにぜひ
考えていただきたいと思います。
厚生大臣はそういう死人を出さないようにしたいというお
考えを確かに持っていらっしゃると思います。もちろん
医務局長も
社会局長も
保険局長もそういう
考えはおありだと思うのでございますけれ
ども、ほかの大きな問題とからみ合せによってその問題はしかたがないというようなお
考えになっていらっしゃる気味がないとは言われないと思います。もし三
局長にそういうお
考えがありましたならば、人命というものはほかのどんな大きな問題よりも尊いという
立場を、もう一回繰り返して思い起していただいて、無慈悲な
行政にならないようにしていただきたいのでございます。それをぜひお願いしたいわけでございます。それには四月から二本建ということをとっていただくのが最も必要ではないかと思うのであります。そのほかにまた命の問題は別条ない、だからこの
程度の、たとえば常勤でやっていけるんだというお
考えが
厚生省側と所側にあるように見受けられますけれ
ども、
結核患者というものは、非常に不幸なものでございまして、
厚生省側から見れば、たとえば
生活保護でこれを療養さしているのだ、
ほんとうなら死んでしまうところを
生活保護でただで
病院に入ることができる。薬ももらえればいろいろ処置もしてもらえる。だからぜいたくだというような
考え方を持っておられる方も、
厚生省の中には一人や二人はおられるのではないかと僕は思うのでございますが、そういう
考えは大間違いで、憲法の条章を引きずり出すまでもなく、すべての人が健康にして文化的な生活をする権利を持っているはずであります。ところがこの
人たちは、そういう不幸な目にあって、療養をしている。国家の手で療養さしてやるのだから
あとはぜいたくは言うなという
考え方があるかもしれませんが、
患者は非常に不幸でございます。経済的な
立場もその間に失います。その間いつでも生命の恐怖にさらされております。それなのに規格的な
看護とか規格的な処置によりまして、苦痛も訴えることのできないような
状態に今追いやろうとしているわけであります。常勤が八人に一人いればいいというような
考え方は、
病人の
立場にならない人はそのようなことを
考えられるかもしれませんけれ
ども、
病人の
立場になったら
ほんとうにたまったものではないわけでございます。二時間も三時間も四時間も五時間もかかる
手術を受けて、身動きできない、痛くてたまらないといっても、さすってもらえない。
手術の
あと汗でぐしょぐしょになったので、それを取りかえてもらおうと思っても、今度の新
看護体制になると一日に一回あるかなしでございますから、その汗でぐしょぐしょになって気持が悪くても、取りかえてくれませんので寝ることもできません。寝なければそのときの苦痛は忘れられないわけであります。ところが
患者はなおればいいのだ、苦痛があっても苦痛などはがまんすべきだというような
考え方が今度の新
看護体制の中に横溢しているように私
どもは思います。
患者というものは生命の危険にさらされて、そうして経済的基盤を失って、
あとの就職もわからない非常に不幸なものでございます。その不幸な人人に痛いのはお前らの勝手だ、それを忍べというような
行政は、非常に過酷だと思うわけであります。現在の新
看護体制の説明を先ほど来聞いておりますが、
患者の幸福を追及する人権をじゅうりんしたやり方だと私
どもは思うわけでございます。
厚生省の
立場として大蔵省に予算要求してもなかなか通らないという
立場もあるでしょう。しかしそちらの方に押されのではなく、
患者の不幸が少しでも少くなるという
立場に立って、
厚生省の方から大蔵省の方に押し返していただくのが
ほんとうではないかと思うのでありますけれ
ども、現在の
厚生行政は、大蔵省の主計局から押されて、弱い
患者だとかつき添い婦だとかという方に力を向けていくというようなやり方をやっておられるのが、
厚生省のやり方でございます。
厚生省の
局長さんにしても、課長さんにしても中にはさまってつらい
立場にあるかもしれませんが、同じ苦労をするなら弱い者のために苦労をすべきであって、強い、財布をにぎっている大蔵省のために苦労をするというような
態度を直していただきたいと思います。
厚生大臣も
厚生省の
行政をぜひそういう
方向に持っていっていただきたいと思うわけでございます。
今度はつき添い婦の問題について申し上げますけれ
ども、御
承知の通り、つき添い婦というものは、非常に不幸な
状態にございます。その大多数が夫を失った人でございます。戦争で夫を失った者でございます。みずから好んで失ったのではないのでございます。そうして現在夫がある人も、夫が
病気で、戦前、戦時中、戦後の無理のために重い結核になって、夫の結核を療養させるためにつき添い婦になっている人が大部分でございます。その
人たちは二人、三人の子供をかかえて、子供を養わなければならない母親である
人たちが大部分でございます。仕事がない間休んで食いつなぎのできるような財産を持っている人はほとんどございません。現在所に泊っている人がおられますけれ
ども、新
看護体制で追い出されようとしているが、かかるべき家のある人はほとんどありません。そうしてどうにもこうにもならないときに助けてくれる人がほとんどないような
状態でございます。そういう人を皆さん方のやり方で路頭にほうり出すことになるわけでございます。どこの官庁でも、
内閣全体で
行政整理を
考えておるときに、その官庁では自分の官庁から首切りは出ないように一生懸命
考えるのが通例であります。どこの
局長さんでも、どこの
大臣でも自分のところから首切りを出さないために必死にがんばるのが
ほんとうでございます。ところがこのつき添い
制度に関する限り、直接雇用ではないからといって、
厚生省のやり方で数千人のこういう非常に不幸な人が路頭にほうり出されるような方法をみずから作っておるわけでございます。実に何と言っていいかわからないような
状態でございます。
小林厚生大臣は、
大臣になられる前にこの新
看護体制がきめられわけでございます。ですから
大臣としては計画については
責任がございません。しかし実施についてはどうか間違いがないようにしていただきたい。つき添い婦についての
厚生省側の調べはいろいろ精密なものもございますでしょうけれ
ども、底に流れるものは、会社の社長の
立場であって、つき添い婦を切って、新しく学校を出た准
看護婦をそこに採用したいという、古い者を切り捨てて、能率があって、おとなしく働く者を新しく雇いたいという強欲非道な――慈愛の深い社長もおりますけれ
ども、最も強欲非道な社長の
立場としてこのつき添い婦の首切りをやっておるように私
どもは思うわけでございます。
厚生大臣はそういうお
考えはないと思う。これは
医務局並びに
療養所の所管の方に対しては非常に暴言であるかもしれませんけれ
ども、私
どもはそう感ずるわけでございます。
厚生大臣はそういう私
どもの
意見を十分
考えて、御自分の
厚生省の中の
医務局であり、
療養所課ではありますけれ
ども、そのやり方の中には、やはり切る
立場としての報告があるということを参酌されまして、それは割り引きして
考えてしただきたい。直接つき添い婦の声を聞いてから両方を参酌して御判断願いたい。また重症
患者につき添い婦をつけてほしいという声を直接に何カ所も前ぶれなしに聞いてからやっていただきたいと思います。
厚生省は大蔵省に弱くても、管理しておる
療養所課にはなかなか強い官庁であります。にらみが非常にきく官庁であります。東京
療養所についてもだいぶ強いにらみがきいておるように私は聞いております。そのにらみがきいて、ぜん立てができたところに
厚生大臣が行かれましても、実情はわかりません。だから
厚生大臣は私
どもと一緒に突発的にどこかの
療養所に行って
患者の声やつき添い婦の声を聞いて、この問題を処理してほしいと思うわけでございますが、そういうお気持がおありになるかどうか、ぜひおありになっていただきたいと思います。それをちょっと伺いたいと思います。