○
中原委員 その
生産性向上のことは、もちろん現状の
日本の
産業構造の
規模の中で、今あなたがおっしゃったような
傾向はこれから出ようとする
一つの形です。今までの災害の
状況というものはそうではなくて、まだそこまで必ずしも高度の
機械化に成功していない。今の災害というのは過去の形の中での災害だと思うのです。従って過去の形の中であるいは現在までの形の中で災害が起ってくるということは、やはり
生産率を高めようとするためのせっかちな強化が当然起ってくるからです。これは全然無
関係ではないのです。やはり
関係があると思います。しかしながら今お言葉のように、高度な機械を取り入れながら
生産規模の進歩性を確保していくということになれば、そういう中から起ってくるのは、幸いにも災害が減るとしまして、やはり
失業は当然予想されてくる。
労働力がだんだん縮小されていくということになると思うわけです。従ってこの点は当然そこに
失業と
生産性の問題というものがからみついてくることが予想されるわけでありまして、これは
議論する必要はありませんけれ
ども、決して
楽観材料にはならない。もちろん私は
生産性が高まって、
日本の
産業が
拡大して
完全雇用がもし幸いに保障されてくるならば、非常にうれしいことでありましてわれわれは双手をあげて賛成しますけれ
ども、その過程においては非常に大きな犠牲の万かむしろ先行するのではないか、そういうことがいろいろ過去の国際的な経験の中から出ておると思います。
生産性向上は
日本が初めてやるわけではないのでありまして、各国のいろいろな経験も相次いで
報告されておるわけでありますから、そういう中から考えられることは、どうしてもその過程における犠牲が非常に大きい。これは現実の
経済機構の中では避けられないことであるかもしれませんけれ
ども、しかしそういうことが避けられないことであるとしましても、その
経済の持っておる矛盾の中にやはり問題点が出てくると思います。いずれにしましても、そういうことですから、この問題は問題を後日に譲ることといたしまして、とにかく
政府がそういう段階の中で
労働政策をどのようにとっていくかについて、非常な注意をみな持っておるわけです。従って今後おとりになる
労働政策については、少くとも
労働に問題をしわ寄せすることが当然であるというような考え方でやられることがあったのでは、大へんだと思いますので、あえて申し上げておるわけなんです。従って
先ほどからも問題になりましたように、
労働者が少しでも
労働条件をよくしようとするために、いろいろな動きを示すのですが、そのいろいろな動きに対して
政府がまず法規を、場合によれば
改正でなくむしろ改悪して、その
労働者のすなおな動きを抑圧しようとする、そういうことを予想せしめるような言動をお用いになられたり、あるいは
労働者の当然の権利として争議権の行使、あるいはその他の
労働条件をよくするためのいろいろな
労働側の動きに対して、何かワクをはめるような動きを示されるということが、やはり
政府の
方針としては適当なことではないか、むしろそういうことはかえって問題を悪化させることに役立つのほかはないではないかというふうに気づかうわけです。そういう意味で、
政府が今までもそうであったし、これからもおとりになるのであろうと思われる
労働政策の中に、真実に
日本の
経済が国民のための
経済としての性格を持ち、従ってその
経済の
上昇、発展が国民の生活の
上昇と安定になるための
施策を持たれなければ、そしてそのための実現の
努力をせられなければ、今までのいろいろなお説を伺いまして非常にりっぱであったと思いますけれ
ども、そのりっぱなお説が全部美辞麗句に終ってしまうのではないかというふうに
感じられるわけなんです。これは決して私の思い過ごしでも何でもない。今までの経験からもそうなってくる。だから事があらたまるにつれてだんだん人権がむしろ抑圧されてくる、縮小されてくる。あるいは
労働者の
労働権がだんだん不安になってくる、こういう
傾向が最近露骨に出ておる特徴なんです。そこで私はそれではいけない、それはとんでもない逆コースである、そういうことでは人類の社会は一歩も前進するものではない、むしろだんだん人類の社会が後退してしまうのではないか、こういうことを感ずるわけです。
時間もないようでありますから、ただ一応それだけのことを申し上げまして、なお次の機会にこまかい問題についてもう少し聞かしてほしいと思っております。本日はこれだけにして
質疑を終ります。