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土屋参考人 政党法の話をせよというのでお
呼び出しを受けたのでありますが、私は別に
政党の研究をしておるものでもございません。ただ、近ごろ
政党について若干の関心を持ちまして、
外国の
雑誌等を注意しておりますと、この間、たしかことしの一月五日でありますかに出ました
ドイツのある
雑誌に、
西独基本法の上における
政党の
法律上の地位という
論文が載っておりまして、それを読みまして教えられるところがたくさんございました。あるいは皆さんの御
参考になるかと思いまして、図書館で出しております
雑誌の「レフアレンス」というのに載せておきましたが、そういうことであるいはお
呼び出しになったかと思うのであります。従いまして、皆様の御満足のいくようなお話はできませんことを、あらかじめおわびいたしておきます。
政党そのものに関する
法律というのは、私
寡聞にしてまだ実は見たことがない。
外国にも
政党を
そのものずばり
規定した
法律はないようであります。
政党に関する
法律はございます。たとえば一九五〇年の
南アフリカ連邦の
共産主義弾圧に関する
法律があります。それから、同じようなのが例のアメリカ合衆国の
ムント・ニクソン法の
国内安全保障法、同じ一九五〇年にオーストラリアで
共産党の
解散に関する
法律が出ておる。こういうような
法律には、
共産党のような
暴力革命をする
政党を禁止するというようなことが書いてございますが、それはそのために書かれたものでありまして、
政党そのものを
規定したものではないのであります。
しからば、
政党というものは
法律の
対象にならないかと申しますと、近年までは確かにそういう
傾向があった。つまり、
立法者は
法律で
政党を
規定することを避けているような
傾向があったように思うのであります。たとえば、
近代的民主的憲法の代表のようにいわれております
ワイマールの
憲法も、
政党に関しては何ら
規定しておりません。そこで、
ドイツの有名な
法学者のグスターフ・ラードブルッフという人がこれを批評しておりまして、
ワイマール憲法が
政党を無視したことは
憲法生活の
現実に反するものである、すべて人の集団において、集合的な
意見または
意思の
決定がなされる場合には、全体と
個人との中間に有機的な
組織がなくては社会学的に不可能で、
政党は、憲政の実際において、
選挙議会及び政府の
結成及び
政策に関して重要な任務を有しておる、このように全体の
生活上重要な役割を持っておるものであるから、これを無制限な
結社の自由に一任することはできないわけである、しかるに、
ワイマール憲法が
政治の
現実を無視して
政党を
憲法上の一
制度として認めなかったのは、伝統的な――新
国家においても
首尾一貫をしないが、固持せられている
官僚国家のイデオロギーのためであろうということをラードブルッフが言っております。このように、第二次戦争前ころまでは、
政党を
法律で
規定するということは回避しておる。ところが、最近に至りましては、やはり
政党も
法律で
規定すべきものであるという
意見がだんだん出て参りまして、あとで申し上げますが、
西ドイツのごときは、目下その準備をいたしておりますから、近き将来には
政党法が生まれるだろうと思いますが、今日のところはまだ
政党法というものは
寡聞にして私たちは知らないのであります。
憲法になりますと、これは若干の
規定があるようであります。
政党も
結社の自由でありますから、
結社の自由というところまで
政党に関する
規定だというふうに解釈を広げて参りますと、これはいわゆる
基本的人権の重要なものの
一つでありますから、ほとんどすべての
近代憲法はこれを認めております。それは、鉄のカーテンの向う側にある国でも同様でありまして、たとえば
ブルガリアの
憲法、これは一九四七年でありますが、これは第八十七条一項に、「
ブルガリア国民は、
団体、
組合及び
組織が現在の
憲法によって定められた、国及び公の
秩序に反するものでなければ、これを
組織する
権利を有する。」こういう
規定を置いております。それから、一九四八年の
チェコスロバキアの
憲法、これも「
結社の
権利は、
人民民主主義制度又は
公共の安寧及び
秩序が脅かされない限り、保障される。」こういうふうに、
共産国においても
結社の自由は認めております。
民主国においてはもちろんでありまして、たとえば一九四八年の
イタリア共和国の
憲法十八条には、「
市民は、刑法により
個人に禁止されていない
目的のために、許可を要せず、自由に
結社を
組織する
権利を有する。」それから、
西ドイツでありますが、
ドイツ連邦共和国基本法の九条二項に「
団体であって、その
目的又は
活動が
刑罰法規に違反しているもの及び
憲法的秩序に又は国際間の理解に反しているものは、禁止する。」これはちょうど
反対で、一方には
結社の自由を認めると同時に、
反対にこういうものはいけないといって禁止をする。禁止しておりますから、禁止していないものは自由になるわけでありますが、そういうものはちょいちょいございます。たとえば一九三三年の
ペルー共和国憲法、これは、「国は、国際的な
組織を有する
政党は、合法的なものとは認めない。」たとえばインタナショナルのようなものは合法的なものとは認めない。「このような
政党に属する者は、いかなる
政治的職務を行うこともできない。」それから、一九四〇年の
キューバの
憲法では、「
共和国の
民主的代議政体に
反対し、又は
完全無欠な
国民主権に侵害を加える
政治団体の
結成及び
存立は違法とする。」このように、逆にこういうものは許さないという
見地から
規定したものもあり、それからこういうものは許すという
見地から
規定しているもの、表と裏の両方からそれぞれの
規定があります。
これをさらに
政党にしぼりまして
規定しておるところもございます。
イタリアのことを先刻申し上げましたが、これは十八条を申し上げたので、その次の条文の四十九条には、「すべての
市民は、民主的な方法により、国の
政策の
決定に参与するために、自由に結合して、
政党を組成する
権利を有する。」というのが、
イタリア共和国の
憲法であります。これは、
政党というものをはっきりうたって、
政党組織の自由を認めております。同じようなものが、たとえば先ほど申し上げました
キューバにもございます。それは「
政党及び
政治団体の
結成は、制限されない。但し、人種、性、又は階級を
基礎とする
政治団体は、
結成することができない。」これは
キューバであります。こういうふうに、いろいろと
各国の新しい
憲法に
政党に関する
規定がぼつぼつ散在しておりますが、今申し上げましたように、きわめて空漠たるものでありまして、その
内容があまりつかまえどころがない。ただひとり、
西ドイツの
連邦共和国の
基本法、
憲法でありますが、これの第二十一条にはやや具体的な
規定が出ております。それは、読み上げてみますと、「
政党は、
国民の
政治的意思の形成に協力する。その設立は、自由とする。
政党の
内部的秩序は、民主的諸原則に一致しなければならない。
政党は、その
資金の出所について、公開の
説明をしなければならない。」これが第一項であります。第二項でありますが、「その
目的又は党員の行動に徴し、自由で民主的な
基本的秩序を妨害し、若しくは廃止し、又は
ドイツ連邦共和国の
存立を危うくすることとなるような
政党は、
違憲とする。
違憲の問題については、
連邦憲法裁判所が、
決定する。」これが第二項であります。第三項に、「その
細目は、
連邦法律で定める。」こういう
規定がありまして、私の知っております
範囲では、
ドイツ連邦共和国の
憲法の
規定が、
政党について一番具体的に
規定したものではないかと思うのであります。
そこで、この
内容につきまして、先程ちょっと申し上げました
雑誌に出ておりました
論文、これはザイケという人の書いた
論文でありますが、その
論文について若干の
説明をしてみたいと思います。
第一に、
西独基本法が二十一条の
規定を置いたということは非常に重大なことでありまして、これは、今まででも、
ドイツの
法律で
政党に関することを
規定したものは、あったことはあったのでありまするたとえば、
選挙法では、これは
ワイマール時代の
選挙法でありますが、その
選挙法で、
政党が
名簿を提出するとか、
政党がどうするとか、
選挙法にしばしば
政党という文字が出ております。そのほかにも
政党に関する
規定が出ておりましたから、
法律が
政党というものを全然認めなかったのではないのでありますが、しかし、この
基本法二十一条によりまして、初めて
政党は
一つの
憲法秩序として認められた。
ドイツの
憲法上、
政党というものは無視できないものになった。これは非常に大きな
一つの問題である、
ドイツの
法制史上こういうことは初めてだとこの人は強く言っておりますが、いかにもそうであろうと思います。
政党を
憲法上の
秩序として認めたところは、ほかにはあまりないように私は考えます。ところが、先刻読み上げました第三項の「
細目は、
連邦法律で定める。」この
法律が実はできていないのであります。昨年の十一月四日の
ドイツ新聞を見ますと、
連邦内務省に
調査委員会が置かれたようであります。これは各
大学の
教授――
国法学、史学、
政治学の
大学教授十六人が
委員となって、
政党に関する
調査をする。
各国における
政党の本質及び機能、いかなる程度まで
政党は法の支配を受けるべきか、
基本法第二十一条は
ドイツ政党の特質に合致するかどうか、
政党の
定義、
政党の
内部秩序、
政党の
解散、
政党の
財務、
基本法第二十一条による
政党財務報告の問題、なおこれに関連して国費をもって
政党に補助することの可否、こういうような問題を取り上げて研究する
委員会が作られたということが報道せられておりました。先般東京におります
ドイツ大使館へ聞きましたところが、その
委員会は現在できておるのだ、来年の中ごろまでに答申を提出する予定であるということであります。従いまして、来年の中ごろになりますと、
委員会の報告が現われて参りまして、それについての
ドイツの政府なり議会の
意見も出てくるだろうと思いますが、ただいまのところは、目下
調査中でありますから、詳しいことはわかりません。そこで、これから申し上げることも、今の
基本法の条文についてのこの学者の解釈を御紹介するのにとどまるのであります。なお、つけ加えて申し上げておきますが、私がこれから申し上げますことは、
政党についての普通妥当的な考えではございません。およそ
政党というものはこうあるべきものだということを申し上げるのではないのでありまして、
ドイツの現在の
基本法における
政党はこういうものであるということを申し上げるのでありますから、日本と
ドイツと
憲法は違いますから、今申し上げておりますことを直ちに日本へ持ってきて、すぐそのまま当てはめるというわけにはいかないだろうと思います。しかし、大体
政党というものについての大筋は違いませんから、これから皆様が
政党法を御立案になりますときに、ある程度の御
参考にはなるかと思うのであります。そこで第一に、ただいま申し上げましたように、この
規定によりまして
ドイツで初めて
政党が
憲法上の
政党になった。これはまず疑いないところでありますが、それをどう解釈するか。ある人は、これによって
ドイツ憲法は
政党国家を認めたものである、パルタイ・シュクートを認めたものであるということを言う人がございます。パルタイ・シュタートというものはどういうものか。たとえば、君主国において君主が
国家秩序を支配したように、パルタイ・シュタートでは
政党が
国家秩序を支配するものである、ちょうど現在のソビエト・ロシヤにおいて
共産党が支配しているように、そういうような意味の
政党国家というものをこの
憲法が認めたということを言う学者がある。しかしながら、それはそうでないということを第一番にこれは言っております。その言っております言い方が、ちょっと私はおもしろいと思ったのでありますが、なるほどこの
基本法によって
政党というものを認めました。認めましたけれども、しかしそれは無制限には認めておらない。ある
一定のワクの中で認めておる。だから、
政党の働きはそのワクを出るわけにはいかないのであるから、
政党国家ではないということを言うのであります。そのワクというのはどういうことであるかと申しますと、先刻申し上げましたように、
国民の
政治的意思の形成に協力する、これが大きなワクであります。それは
ドイツの
憲法の解釈から出てくるのだというのでありますが、
ドイツの
憲法によりますと、国の権力は、すべて人民に淵源する。しかしながら、その権力の行使についてはそれぞれの方法がある。
一つはこういうのであります。これは二十条でありますが、「すべての国権は
国民より発する。国権は
選挙及び投票において
国民により、並びに立法、行政権及び司法の特別の機関により行使される。」この
憲法の大原則によりまして、国権は全部
国民に淵源するのであるけれども、その行使の方法は四つある。
一つは
国民がみずからやるんだ、
一つは立法権である、
一つは行政権である、
一つは司法権であるというふうに、三権でなくて、四権分立の思想をとっておる。この四権分立の
一つは、
国民がみずからやる。すなわち、
選挙の投票によって
国民が
国家意思を
決定するのでありますが、その
国家意思の
決定のことを、この
基本法において
国民意思の
決定と言っておる。でありますから、
政党のやることは、
選挙及び投票において
国民が
国民の
意思を発表するその
範囲に限られる。立法、司法、行政というものについては
政党は関係しないというのが
一つのワクであります。それから、協力するということを言っておりますが、協力というのは、決して
政党が
国民意思の形成を独占するのではない。モノポールするのではない。だから、
政党以外の者が
国民意思の
決定をしても一向差しつかえないのだ。それから、これは
決定するのではない。
政党が
国民にかわって
国民意思を
決定するのでもない。それは
国民が
決定する。その
決定するのに
政党はただ参加するだけだというので、この参加ということに非常に重要な意味を置いております。だから、
政党がこういうふうに
国民意思の形成に協力をいたしますが、しかしながら、その
範囲はおのずから限定されて参るのでありまして一番
政党が
活動するのは
選挙の部面であります。
選挙をはずしては
政党というものの存在は考えられないということを申すのであります。
選挙は、もちろん議員の
選挙もございますが、そのほかに大統領の
選挙がある。大統領は連邦議会と参議院との合同の
会議で
選挙するのでありますが、その大統領の
選挙にもやはり
政党は
活動する。それからカンツラー、首相でありますが、首相の
選挙、これは下院が
選挙するのでありますが、そのカンツラーの
選挙にも参与する。しかし、それはそれだけなんです。しかし、それから先も立法は
国会がやるのであって、
政党がやるのではない。そこで、
国会の中に、日本で言いますと各派と申しますか、そういうものがあります。これは議院法といいますか、議事規則といいますか、それにはっきりうたってあるのでありますが、フラクツィオンというのがある。このフラクツィオンがすべて
国会の議事の運営をやっていくのであります。このフラクツィオンを形成することもやはり
選挙。だから、議員を
選挙すること、大統領を
選挙すること、総理大臣を
選挙すること、それからフラクツィオンを作ること、この四つの点までは、これは
政党がやるのであるけれども、それから先は
政党は手をつけないのだ。だから、立法はすべて
国会がやるのであって
政党がやるのではない。
国会と
政党とはっきり使い分けておる。これはイギリスにおいても、大体これに近いことが言えると思うのでありますが、御承知の
通り、イギリスでは、議院
政党とそれから院外
政党とを区別しております。同じものが両方に関係しておるのでありますけれども、観念上実際の働きにおいて議院
政党と院外
政党は働く分野が違っておりますが、それと同じような考えであろう思います。でありますから、政府を
組織する場合において、総理大臣を選ぶのは、これは
政党の関係する
範囲でありますけれども、選ばれた総理大臣が今度は内閣の閣僚を作るというのは、これは総理大臣の権限であって
政党はこれに対して何らくちばしをいれることはできない。従って、理論上からいえば、
政党に関係のない専門家だけの、議員をはずした大臣を作っても理屈はよいわけだということを申すのであります。それから立法、行政、これにつきまして
政治の実際においては
政党がいろいろと働きかけておることは、これは否定することができない事実でありますけれども、
法律上の観念とすれば、
政党の仕事は、立法はすべて
国会がし、
国会議員がするのであるけれども、
政党がするのではない。行政は政府がするのであって、これがやはり議員を通じて働きかけはしますけれども、しかし
政党が行政を動かしておるのではない、こういうふうに
一定のワクがあって、ワクの
範囲内で仕事をするのだから、だからパルタイ・シュタートではないということを第一段に言っております。これは、日本で今度
政党法を作ります場合に、どの程度まで一体政府は
憲法で認むべきものであるか、
政党万能でいくのか、あるいは
政党の仕事には
一定の限界を設けようかということについて、
一つの
参考になるであろうかと思うのであります。
それから、第二の点は、
政党とは何ぞやという問題でありますが、これは何も
定義がないのであります。そこで、新しく生まれます
政党法におそらく書かれるであろうと思うのでありますが、現在のところではこういう解釈をしております。
政党は
一つの
結社である。これは間違いありません。あるものは法人格を持つものもあるだろうし、あるものは法人格を持たないものもあるであろうが、とにかく
一つの
結社である。それから、ただの
結社ではない、
政治的の仕事をする
政治結社。
政治結社というのはしからば一体どういうものを
政治結社と言うか。これは
政治的の案件に影響を及ぼすことを
目的とするところの
結社である、そういう判例があります。それから、さらにまた、
政治的案件とは、
国家、その
憲法、行政及び立法、
国民の
国民としての
権利及び
国家双互間の関係を直接に包含するものであり、
国民、
国家及び民族の存在に関するものである、こういうような判例があるそうでありますが、要するに
結社の中で
政治的の
結社が
政党である。さらに、この
政治的
結社の中をもう
一つしぼって参りまして、直接に
国民意思の形成に参与する、つまり
選挙に関係するものでなければ
政党とは言えないというふうに、この学者ははっきり言っております。日本の
政治資金規正法は、「
公職の
候補者を推薦し、支持し、若しくはこれに
反対する」ものと並べて「
政治上の
主義若しくは
施策を推進し、支持し、若しくはこれに
反対」する、こういう条項が入っておりますが、この人の学説でいきますと、後段の
選挙をやらない
部分は
政党とは言えないということになるわけであります。そこで、日本で
政党法を作ります場合に、その辺をどういたしますか、たとえば、先刻川原先生のお話もありましたが、いわゆるプレッシャー・グループの中には、このような「
政治上の
主義若しくは
施策を推進し、支持し、若しくはこれに
反対」する
団体があるかもしれない。そういうものは日本の
政治資金規正法では
政党に近く見られるけれども、
ドイツの考え方でいくと、
政党ではないというふうにはっきり分けておるのでありますから、果して日本で将来そういうものをどういうふうに扱うかということが、
一つの問題だろうと思います。それから、
政治結社であり、
国民の
意思の形成に参与する、この三つの条件だけあれば、それで
政党は十分である、それ以上に要求する必要はない、たとえば、
政党のプログラムというものはどういうものでなければならないとか、あるいは
政党のプログラムに盛るべきものは少くともこれだけのものは盛らなければならぬとか、こういうようなことは言う必要はないということをその学者は申しておるのであります。こういう
団体でありまして、いやしくも、
政党となる以上は、今できたと思うとすぐなくなるようなものではいけない。ある程度固定性を持っているものでなければいけない。それから相当十分な期間にわたって存在するものでなければいけないということであります。でありますから、設立者だけあって、党員が一向ない
政党、
政党という看板は上げたけれども何も仕事をしないもの、こういうものは
政党の概念に入らないだろう。これだけの条件があればそれで
政党になるのであるから、
政党が
法律上法人であるとかないとか、公法人であるとか私法人であるとか、そういうことは一切問題にならないと言っております。それのみならず、
政党は
国家の機関ではない、これは純然たる民間の機内である、そこで
国民と
国家というものとを結びつけるものが
政党の使命であって、従って国費をもって
政党の費用をまかなうことは適当でないというのであります。これは同じようなことを言っておるアーネスト・パーカーという学者が、
政党とは、一方の端が社会にあり、そうして他方の端が
国家にあるところの橋だということを言っておるそうでありますが、これは同じような考えだと思います。要するに、
政党というものは、
国家の機関ではない、
国家と離れて
国民と
国家との中間にあるものが
政党だということを言っております。
それから、第三が
政党の自由ということであります。
政党のその設立は自由とする。この自由ということについて若干のお話を申し上げますと、これは一切自由だ、だから一番大事なことは
国家の許可というものは全然いかぬ、
政党については設立を
国家が許可することは絶対にいけない、しかしながら、行政上の便宜上届出をするくらいのことはまあよかろうということであります。それからして、
政党の自由ということは、設立について干渉を受けることはないという自由と
政党の発展が自由である。
政党の発展が自由であるということの
一つに、合憲的な野党、
憲法に従った野党、これは
一つの自由である。これは
政党についてどうしても認めなくちゃいけない。これだけのことはいえる。しかし、
政党は、自由であるからといって、勝手なことをしてはいけない。
政党といえどもやはり一般の
法規に従わなくちゃいけない。
政党の自由ということは、決して
法律を無視していいというわけではない。もう
一つ、
政党の自由についてあとにも出てきますけれども、
解散の問題であります。普通の
結社ですと、日本の
法律は少し違いますけれども、
ドイツの
法律によりますと、行政処分で
解散を命ずることができる。ところが、
政党はできないんで、
連邦憲法裁判所の判決によらないと
解散が命ぜられないのでありますが、これもやはり
政党の存在の自由の
一つの重要な点であると申せます。
その次は、
政党の
内部秩序の問題ですが、
政党の
内部秩序は民主的諸原則に適合しなければならないということが
基本法にうたってある。そして、民主的諸原則というものは一体どういうことか、これも
憲法には何にもないのでありますから、もちろん今後の
政党法において
規定せらるべき重要な事項になるのでありますが、この人がこういうものが民主的の
政党の
内部秩序であろうといってあげておりますことが、四つばかりあるのです。その
一つは、下から上へということでなければならない。
政党の指導機関は、規則正しく適当の期間内に循環してくる
選挙によって、党員の多数の
意思に基いてその役員を選出しなければならない。従って、上級の党機関による任命または承認の
制度は許されない。
政党の役員は全部公選でやらなくちゃいけない。それから第二は、党の執行機関は、党員総会または代議員会に対し責任を負い、その適当なコントロールのもとにある。第三が、基本的な党の
意思決定、それは党則、綱領、
解散、他党との合同等の
決定は、党員総会または代議員会に一任せられる。それから第四が、下級の党機関及び一般党員が、党の綱領の原則の
範囲内において適当な
意思及び行動の自由を有すること、従って上部機構に対する無条件服従の要求とその約束、
意見の集団作成の絶対禁止、党員の党の執行機関の行動、なかんずく党からの除名に対し異議の申し立てを認めないということは、これは非民主的である。上級機関の決議に拘束されることは認められる。これらの点が
政党の民主的な
秩序であるということになるであろう。これは私どもより皆さんの方がずっと御承知だろうと思います。そこで、こういう民主的
秩序でなければいかぬと
基本法に書いてあるが、もしこれにはずれたらどうなるかということになりますと、現在のところではこれにはずれても別に何にも制裁方法はない。しかしながら、これがもしもたび重なったならば、第三項の
解散の理由の
一つになるだろう、すなわち自由民主的基本
秩序を害し、もしくは除却するものになるだろうということを申しております。
それから、第四番目の点は、
資金の問題でありますが、これは、日本の
政治資金規正法と同様に、
政党はその
資金の出所について報告を公開しなければならないという
規定であります。ただし、これは、
法律ができておりませんから、まだ
ドイツでは
現行法にはありません。従って、これはまだ実行されておりません。こういうことは
ドイツにはかってないことであるといっております。こういうものが行われて、果してこれがいいか悪いかということについての疑問の点があげてありますが、これは、個々の間接援助――他の
団体が金を出す場合は、これは公表できて縛れるけれども、金でやらないで間接に援助する、個々の党員に対する寄付、広告、印刷費の割引、専門家や
意見の提供といったような間接援助は、この公開では縛れないではないかというような疑問があるそうであります。
もう
一つ、最後に、大きな問題で、この著者ははっきり解決を与えておりませんが、
政党と議員の立場の問題であります。これは、
基本法の三十八条によりますと、議員は全
国民の代表者であって、委任及び指示に拘束されることなく、その良心のみに従って行動するという
規定があるのであります。これは、
規定があってもなくても、当然そうあるべきだと思うのでありますが、こういうものが一方においてありながら、一方において、党の規範というもの、党の規則を認めるということは、三十八条違反ではないかという問題がある。これをどういうふうにして解決するかということを言っておるのであります。この著者は、それは違反ではない、二十一条と三十八条とは決して矛盾するものではないということを言っておりますが、私にはなぜ矛盾しないかということはよくわからない。この問題はやはり大きな問題である。日本の
政党法ができる場合におきましても、
政党は、もちろん、党議がある以上は、この党議によって拘束されることは当然でありますけれども、しかしながら、議員というものは、申すまでもなく
国民全体の委嘱を受けたものであって、一党一派もしくはある利益の代表ではないのでありますから、そういう思想と党議の拘束とをどう調和するかということは、
政党法立案上の非常におもしろい問題であろうと思うのであります。大体そういうことがあるのでありますけれども、前申し上げましたように、まだ
法律ができておりませんから、これはくつ下の上からかゆいところをかくようなことで、まことに要領を得にくいのであります。
最後に、
一つ御
参考に申し上げますが、
ドイツは連邦でありまして、連邦の下に小さいたくさんの国がある。その国の
憲法の中に
一つ政党に関することを
規定したものがあったのです。今日ではもうなくなりました。それはバーゲンという国の
憲法に
規定がありました。それがちょっとおもしろいのですが、それを読み上げますと、「すべての
国民は
政党に賛成しその党員となる自由を有す。
政党又はその他の
政治的、社会
政策的又は宗教的
目的を追求する
結社への加入は、暴力、脅迫又はその他の威嚇を以てこれを強要してはならない」これは、
政党の自由の問題で、別に珍しいことはないのでありますが、その次の条文がちょっとおもしろい。
政党の責任という題でありまして、
政党は、それが政府の
組織に参加すると、その
反対に立つといなとにかかわらず――与党であっても、野党であっても、
政治生活の形成及び
国家の運営に対し共同の責任を有することを感じなければならぬ。野党であっても
国家の運営については責任があるのだということを考えなければいけない。第二項が、
政党が政府の
組織に参加した場合――与党の方のことが書いてあります。国の利益を党の利益に先行せしめることがその義務である。
政党は、新しい多数が形成せられれば、直ちにその責任を引き渡す用意をしていなくちゃいけない。だから、与党というものは、自分の党の利益よりも国の利益の方を重くしろ。それから
選挙に負けたらいつでも
反対党に引き渡せるようにしておけ。それは
憲法に書いてある。それから第三項に、「
政党が政府に対して
反対に立つ場合においては、政府及び政府に参加する
政党の行動を追究し及び必要な批判を行うのがその義務である。その批判は実質的、推進的及び建設的でなければならない。」その批判は空理空論ではいかぬ。「
政党は必要に応じて政府と共同責任を引受ける用意をしていなければならない。」だから、野党でも、場合によっては与党と政府共同責任を引き受ける用意をしなければならないという
規定がありました。これは一九四七年のバーゲンの
憲法であります。この
憲法は、先刻申し上げました
基本法ができる前の
憲法でありますが、一九五三年にバーゲンという国はなくなりまして、バーゲン・ユルテンベルヒという新しい国ができた。その
憲法にはこれは入っておりません、入っておらぬのが当然でありまして、すでに
基本法があるのでありますから、書いてないのですが、一九四七年のバーゲンの
憲法には、今申し上げましたようなおもしろい
規定が載っておりますから、御
参考までに申し上げておきます。
失礼いたしました。