○森(三)
委員 一事不再議の問題が発展いたしまして、立会演説会の利害得失に本論が入ってしまったのでありますが、この一事不再議の問題につきましては、われわれの同僚
委員からもしばしば
質問がなされ、これに対して、太田長官は、ただいま御答弁になったような御
意見を述べておられたのであります。従いまして、私は、これはどうしても今後検討しなければならぬ問題であるし、尤ほど、最終的には
国会が
良識をもって
判断すべき問題であるということを、先般の参考人の
中村教授からも言われたということを私も申しました。それに対して、太田長官もそれを肯定しておられまするが、しかし、われわれが最終的にこの
国会の権威によって
判断をすると言いましても、その
判断をする材料つまりわれわれがこれを一事不再議であるかどうかということ存
判断するところの材料というものは、やはり、書物なり、あるいは当所の
意見を聞くなり、判例を調べるなり、議事規則を調べるとか、あるいは各国の立法例を調べるとか、すなわちこれを諮るところの基準というものをわれわれ自体が備えなければ、これは諮ることができない。単なる審議論でもって、この一事不再議であるかどうかということを
判断するということは、はなはだ危険である。そのためにわれわれは先般参考人を呼んだのであります。単に
国会が最終的な
判断をするのだといいましても、それではわれわれの職責は足らないのです。やはりその基準となるところの検討を加えまするには、学者の参考
意見であるとかあるいは学説判例等を十分研究しなければならない。そのためには、私どもは、先般来、この参考人は社会党から申し出た参考人であるから、自民党の側においても、自民党の諸君の説を支持するところの参考人を招聘して、当
委員で述べてもらいたい。お互い両々、積極論、消極論というようなものがこの
委員会において学者等から開陳せられまして、そうしてそういう基準をわれわれがとって、もって
国会の最終的な見解を下すならよろしいのでありますが、自民党の諸君は、一事不再議にあらずと主張するのはよろしいが、それを指示するところの
根拠を十分私は御検討願っておらないと思うのでありまして、はなはだその点は遺憾であります。この点につきましては、われわれは、先ほども申し上げましたように、本法案の
内容の審議と並行いたしまして、今後一事不再議の問題をわれわれはあらゆる機会に
質問せんとするものでありますが、太田長官におかれましても、単に形式面にとらわれず、十分
一つあらゆる角度からとの一事不再議の問題を検討せられまして、すみやかにこれに抵触する部分に対しましては
修正されるなり撤回されることを、私は強く要望する次第でございます。
そこで、私は、いよいよ本論に入りまして、すなわち
選挙費用の節減と粛正、これに関して
質問をしたいと思うのであります。ところで、その順序からいたしまして、ちょうど立会演説会の問題が出たのでありますが、ちょっと
内容に入るようでありますが、太田長官は、立会演説会は中
選挙区においては非常に効果があった、自分もその立会演説会の恩恵を非常に受けたというようなことを言われております。そこで、中
選挙区であれば立会演説会が効果があり、太田長官もそのおかげで当選したというようなお言葉がありました。中
選挙区の場合には、たとえば五人区なら五人、区の場合には、
候補者は十人あるいは十一名、十二名くらいのところでありますが、それを一ぺんに十一人、十二人の人がやるのでありません。それは太田長官も御
承知の
通りでありまして、これを一班、二班、三班等と適当に三、四人に分けてやっておるわけであります。そうしてその分け方の
内容には、
保守党あるいは革新党というような、イデオロギー、政策の異なるところの
候補者存入れまぜまして、一堂においてその冬
候補者が三十分程反の立会演説をする。ある場合においては聴衆がこれに対して
質問をする。
選挙中は聴衆有権者の中から非常に評判のいい
制度であります。これは、
終戦後大
選挙区が行われましたときに、われわれむこの大
選挙区当時立候補したのでありますが、新聞社その他文化団体等が主催いたしまして、立会演脱会を開いて、われわれ
候補者を招聘しまして、各党の
意見を十分国民に知らしめるというような方法をとったのであります。これが受けまして、その次の中
選挙区からはこれが法制化されて、長官も言われる
通り、非常に効果をおさめてきたのです。従って、この小
選挙区制になりました場合においても、たとえば一人一区の場合、二人一区の場合等におきしては、二人一区の場合なんかは当然五人や六人の――東京一区の
ごときは五人区でもって四十人も五十人も出ておる。従って、一人区でありましても、二人区でありましても、区によっては五人やあるいは六人の
候補者というものが
考えられるわけです。そうしますと、有権者の側から見るならば、
一つの会場に行って、
保守党もあるいは革新
政党も、その
候補者が入り乱れて、三十分なり四十分の立会演説会を開催するのです。
候補者が少ければ、大体全部の時間で二時間程度費すのであります。三十分、四十分、あるいは五十分もわれわれはやったこともあるのです。当該
選挙管理委員会が認めれば、時間の延長は、お互いに平等に延長することができるのでありますから、いつぞや何人かによって言われましたように、立会演説会では、時間が少くて、自分の政見を十分述べることができないんだというような御
意見がありましたが、今日、
国会の本
会議の
質問あるいは討論におきましても、短かきは十分、長くて二十五分、三十分、この程度のものであります。立会演説会において三、四十分やるならば、相当の政見の
趣旨、目的というものはそれこそ十分述べられる。これを廃止したということは、すなわち私がこれから
質問せんとするところの政界の浄化、粛正、そのためには
選挙の公営をやることによって
選挙費用の軽減をはかる。この重大な
選挙費用の軽減の目的を、立会演説会というあの戦後設けられた
制度の、最も民主的に、しかも最も
選挙民に歓迎されたところの立会演説会という大運な費用節減の柱を、私は、今回の
選挙法において、もぎとってしまったと思うのであります。この点は、太田さんも、中
選挙区においては立会演説会というものは非常にいいものだと礼賛されておる。とってもって、この小
選挙区の場合にどこが悪いのか。
区域が狭いとかなんとか言われますが、中
選挙区の場合におきましても、おのずからその
候補者の分布によって全部回るということはありません。私どもは、五人区でありますが、同僚の
候補者もおりまして、自分たちの回るところはその約半数の面積でありまして、これは、中
選挙区においても、おのずからその舞台というものは制限されておるのであります。私は、従来、この
公職選挙法改正の
委員を長くやっておりますが、この立会演説会を廃止せよというような声は、いまだか
つて保守党の
委員諸君からも聞いておりません。むしろ、どの
候補者でも、どの
委員諸君でも、立会演説会は非常にいいものだ、特に、ある
委員の
ごときは、全部公営を徹底せんとするならば、そうして
候補者の負担存軽減せんとするならば、立会演説会一本でいいんだ、立会演説会一本でもって、そうして、その
候補者を公営の自動車に乗せて、次から次へと村々で立会演説会をやり、そうして政見発表すればそれで足るのだ、あとの運動は全部廃止してもいいというような極論を述べる人さえあるわけです。これも
一つの
選挙公営の徹底であり、
選挙費用の節減は理論としては成り立たぬことはないと思う。そうすれば全く
候補者に費用がかからないことは明らかであります。自分はからだだけ持っていって自動車に乗っておればいい。そうすれば、その公営の自動車が、ずっと村々の立会演説会の会場を案内してくれるのでありまして、自分はその会場へ行って三十分、四十分の立会演説さえやればいいのです。もっともとれは理想論である。そうばかりはいきませんけれども、その他ラジオ、新聞等、それからまた
選挙公報等いろいろな組み合せになっておりまするが、この立会演説会一本でもよいというような
意見が従来行われておるのです。それはなぜかといいますと、非常に立会演説会というものは有権者つまり聴衆に歓迎されておる。一人の
候補者の
意見を聞くのではありませんから、少くとも三人、四人、場合によっては五人ぐらいの
候補者の
意見を聞くのでありますか、非常に時間的にも便宜であり、
政党と
政党との政策を比較検討する上において、これほど有益なものはないわけであります。現在でも、太田長官、小
選挙区が是なりや非なりやというので、新聞、雑誌、放送論会というものが各所に行われているじやありませんか。すなわち今日の
政党政治は政策の戦いであります。お互いにその政策を掲げまして、お互いの政策を批判検討する。そうしてこれを国民に批判せしめる。それには立会演説会ぐらいよい
制度はないじやありませんか。しかもこれが公営で行われる。この立会演説会を廃止するということは、いかにも私は今回の
選挙法改正の大きなみそであったと思うのであります。先般も
選挙費用の軽減を太田長官も言われておりましたが、今回のこの
選挙法の
改正を見ますと、
選挙費用の軽減というものはほとんど見るべきものはありません。むしろ、逆に、その
選挙費用の軽減を最も具体化しておるところの、公営で行われる立会演説会という大きな柱を切り倒してしまって、そうして個人演説会にほとんど切りかえてしまいました。そこで私はこの立会演説会と個人演説会を比較するわけでありますが、ちょっと
質問が長くなりますが、その個人演説会というものを太田長官も
選挙をおやりになってお知りだ。これは
早川さんもお知りだ。この個人演説会というものは法規でもって六十回ときめられておりますが、実際行なって見ると、この個人演説会は人が集まらないのです。しかもとれには若干費用がかかる。太田さんの
選挙区でば、太田さんの場合には集まるるかもしれませんが、しかし、集まるといっても、立会演説会の比じやございません。これは問題にならない。しかも、立会演説会というものは、
原則として
候補者でなければ立会演説会に出ることはできないのです。代理が出る場合には人数の制限、資格の制限がある。公職の
候補者がみずから立会演説会に出て、そうして演説をなすにあらざれば、代理を立ててやるということは全く例外です。そこに立会演説会のよさというものが非常にあるわけです。ところが、個人演説会というものはどうでありますか。
候補者は出ましても、ただ泣き言を並べる人が多い。太田さんのような識見の豊富ね方ならば堂々とやれるかもしれませんが、普通の場合は、
候補者が、もう声がかれて出ませんから、よろしくお願いしますと簡単なあいさつをして、あとは何々会の会長であるとか、何々会の
委員長であるとか昔ならば陸軍大将とか、海軍大将とか、そういうような肩書きのある人を地方へ連れて行って、中央からこういう陸海軍の将官がだれだれ
候補者を応援した、――すなわち、戦時中でありますから、肩書きのある者が来ると、有権者は、その
候補者というものはああいう人物によって支持されておるのかというような錯覚を起す、こういうような運動が序開されておった。ところが、そういうような中央から知名の士を連れてきて、文豪であるとか、あるいはまた俳優であるとか、女優であるとかいうような、そういう人集めのためのものを連れて来ますと、この費用というものは、長官、莫大なものですよ。これはあなたもお知りのはずだちょうど昔のあの買収
選挙が行われたときの
選挙が同じ形になってしまう。すなわち、
選挙というものが、立会演説という非常に陽気ねものから、今度は非常に不活発な陰気な、すなわち個別訪問とかあるいは『収、情実因縁というように陰の暗い
選挙運動に転化するおそれがあるのであります。しかもそれには莫大な金がやはり結ばれてくる。これは非店におそるべきところの改悪である。このように私は
考えるのであります。この立会演説会の廃止こそは、これは改めていただいて、残さなければならない。私は
一つ十分思いをいたしていただきたいと思うのであります。これに対するところの御答弁を願いたいと思います。非常に長いようですけれども、これは重大な問題ですから、立会演説会と個人演説会を比較検討して私は申し上げた。