○山内説明員 これは法制局で調べました例がお手元に参っておるかとも思いますが、新憲法になりまして、第一回国会から二十二国会まで調べましたところ、第一回国会におきましては、地方税法の同一条項のうちのしかも特定条項の
改正につきまして、二度議決が行われたことがございます。これは、地方税法の第四十五条の三の第一項にありますところの、百二十円という金額が明示されておるのであります。これは当時の府県民税の賦課総額の算定基準になりまするところの金額なのでございますが、これを第一国会におきまして百八十円と一回改めまして、その
あとすぐ二百四十円に改めておるのであります。百八十円の例は昭和二十二年
法律百五十六号になって現われております。次の二百四十円にいたしましたのは、昭和二十二年
法律百八十号になって現われておるのでございます。それから、その地方税法の同じく六十五条第一項中に、八十円というのがございます。これが、先ほど申し上げましたように、百五十六号、百八十号と両度の
改正を受けまして、八十円が百二十円になりまして、次いで百六十円になっております。それから、これは市町村民税の賦課総額の算定基準になっておるところの金額であります。それを受けまして、これは八十五条の四のうち百二十円、八十円、百二十円、三百円というのが、それぞれ百八十円、百二十円、百八十円、二百円になり、さらに次いで、二百四十円、百六十円、二百四十円、四百円というふうになっております。これはむしろ四十五条の三と六十五条の
条文の
改正に伴う準用規定でございますので、これは手当をいたしたわけでありまするが、地方税法の
改正につきまして、第一国会におきましては再度の議決が行われております。
それから、第二国会におきましては、復興金融公庫法というのが当時ございました。これの
改正がやはり二度行われております。これは第三条と第四条第一項に五百五十億円という金額がございますが、これが最初七百億円になりましたものが、すぐ次に九百億円になっておるのであります。これは、最初の方は昭和二十三年
法律七号、二度目の方は昭和二十三年
法律二十四号によって
改正されております。この復興金融公庫の七百億円というのは資本金額及び
政府の出資額を再度改めた例でございます。
それから、第二国会からやや飛びまして、第七国会におきましては、あの
政府職員の新給与実施に関する
法律の有効期限の一年延長を
内容といたしました同法の一部を
改正する
法律案が内閣から
提出されまして、
衆議院では可決されたのであります。可決されましたのは、昭和二十五年三月三十日でございますが、
衆議院では翌日に
修正議決がなされたのであります。
衆議院でこれを三分の二で再議決をいたそうとされたのでありまするが、その三分の二の再議決が成り立ちませんので、この
政府職員の新給与実施に関する
法律というのは昭和二十五年三月三十一日に一たん失効いたしたのであります。しかし、翌四月一日に至りまして、議員の発表によりまして、一般職の職員の給与に関する
法律案が
提出されまして、同日
衆議院におきましても
参議院におきましても可決されて、
法律となったのでございます。この一般職の職員の給与に関する
法律案、それから成立いたさないところの
政府職員の新給与実施に関する
法律の一部を
改正する
法律案も、ともに昭和二十五年四月以降の
政府職員に対する給与の支払いに関しまして根拠と基準を設けようとするものであった点におきましては、同じ趣旨であったわけであります。そのために、
衆議院の議院
運営委員会におきましては、一事不再議の原則に抵触するかどうかという議論がなされたのでありますが、議院
運営委員会においては、
衆議院の事務総長から、この両者の
法案を比較いたした場合に、題名を初めといたしまして、本則及び附則中の一部条項に相違があるというふうに述べられまして、結局一事不再議の適用がないものとして取り扱われたわけでございます。
それから、第十三回国会におきましては、最初に国家行政組織法の同一条項中の、しかも特定
事項の
改正につきまして三度の議決が行われているのであります。当時の国家行政組織法には第二十四条の二という規定がございまして、この規定は、各府省、当時は総理府と法務府、それから各省、経済安定本部、この三つの種類の組織につきまして、その内部の官房及び局に部を設けるという期間を暫定的に定めておったわけであります。第二十四条の二はそういうことを定めておったわけであります。その暫定の期間が五月三十一日というふうになっておったのでありますが、それが最初は六月二十日と
改正されました。これは昭和二十七年
法律百五十九号で
改正されたわけでありますが、次にその六月三十日となったものが七月三十一日に直りまして、それが昭和二十七年
法律二百二十一号でそうなりました。さらに三度目にそれを「当分の間」と改めたわけでございます。結局そういった、内部の官房なり局なりに部を置くことができるという期間は、当分の間置くことができるというふうに、
最後は直ったわけでありますが、そういった
事項が同じ国会において三度
改正がなされておるわけでございます。
それから、同じ第十三回国会におきましては、行政機関職員定員法について、そういった再三の議決が行われておるのであります。これは、行政機関職員定員法というのは、第二条第一項の表と表がありまして、この表で各府省の定員をずっときめておるのであります。そのうち、例を申しますと、文部省の項に六万二千五百二十八人という数字が上っておったのでありますが、それを六万二千五百八十八人に、さらに六万二千六百二十一人に改めてあります。それから、その表の中に運輸省の項というのがございますが、これはこの項の中に最初一万三千六百回十五人という人数が上っておったのでありますが、それが一万三千八百二十九人、次いで一万三千八百十七人、次いで一万七千六百三十九人というふうに、三度議決がなされております。
それから、もう
一つ、十三回国会におきましては、海上警備隊の給与等に関する
法律案が、両議院で可決され、
法律となりましたが、この
法律案は、別に両議院の議決によって制定されましたところの保安庁法によって廃止されておるのであります。
それから、第十九回国会におきましても、行政機関職員定員法の第二条第一項の表の農林省の項における数字が、両度の
改正を受けております。
昨年の第二十二国会におきましては、補助金等の臨時特例等に関する
法律について同様の例がございます。補助金等の臨時特例等に関する
法律の附則第十項には、昭和三十年三月三十一日という日にちが上っておりましたが、これが最初昭和三十年五月三十一日、次に昭和三十年六月三十日、次いで昭和三十一年三月三十一日というふうに、三度の
改正を受けたのでございます。補助金等の臨時特例等に関する
法律の有効期間は、当初昭和三十年三月三十一日までとなっておったのでありますが、昭和三十年度の予算は、四月及び五月につきましては暫定予算として成立する見込みでありましたので、まずその延長をはかりますために、同法の有効期間を昭和三十年五月三十一日までといたしたのでございます。これは昭和三十年
法律第六号による
改正でそうなったわけであります。次に、六月以降につきましては、本予算が成立するという見込みで、この
法律の有効期間を昭和三十一年三月三十一日、つまり今年の三月三十一日までとしたい、こういう同法の一部
改正案が
政府から
提出されたのでありますが、予算の
審議がおくれまして、六月についてもまた暫定予算となる見込みでありましたので、別に議員から発議がございまして、同法の有効期間を昭和三十年六月三十日までとする
法律案が
提出されまして、昭和三十年
法律第十三号として一たん成立いたしたのであります。その際、
衆議院の補助金等の整理等に関する特別
委員会におきまして、この
法律の有効期間を一たん昭和三十年六月三十日までとしたならば、七月以降に本予算が成立する見込みとなりました場合に、この
法律の有効期間を昭和三十一年三月三十一日までとするという
内容の一部
改正案を
審議することは、一事不再議の原則に反するではないかという点が論議されたのでありますが、この
法律の有効期間を昭和三十年六月三十日までとすることは、六月における暫定予算と見合う
関係においていたすのでありますし、その後昭和三十一年三月三十一日までとすることは、本予算の成立に見合う
関係においていたすのでありますから、一事不再議の原則の適用はないという説明が行われたのであります。現に、その後本予算の成立が見込まれることになりまして、七月以降は本予算の成立が見込まれることになりましたのに伴いまして、最初
政府から
提出された
法律案はちょっとした
修正をいたしまして、そして昭和三十年
法律第三十号として成立いたしまして、結局、その補助金等の臨時特例等に関する
法律案は、昭和三十一年三月三十一日まで有効といたすということになったわけであります。
法制局で調べました例は、以上申し上げた
通りでございます。