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塩沢参考人 ただいま御
質問の
本件が
計画されました当初の
経緯についてお答えいたします。
当時私
東京都の
都市計画課長をやっておりまして、将来の
東京都の
交通というものが、戦後非常に重要な問題として
都市計画の
一環として考えられて参ったのであります。特に
自動車交通の将来の
処理については、かねて
終戦直後から非常に大きな問題として
関係方面で十分
研究されておりましたし、都の
都市計画当局にとりましても、
復興都市計画の
一つの大きな課題となっておったのです。と申しますのは、
自動車台数がだんだん増加して参りますことと、
利用率が高まることから、将来の
街路交通がいつかは行き詰まるであろう。御
承知のように最近は
都心部の各
交差点いずれも
飽和点に達しておりまして、すでにもう
交通の限界に達しておるような
状況でございます。
終戦直後からこれを予測しまして、将来の
交通対処のためにはどういう方針で臨むべきかというのが、これは国におきましてももちろん
研究されておりましたが、
東京都としても非常に大きな問題として
研究を重ねて参ったのであります。そのために、
戦災復興の
都市計画、
街路計画というものも、十分これを考えて
都市計画の
決定をいたしましたが、しかしながら国の
状況あるいは都の財政というものから見ますと、当初立てました
計画を短時日の間に
実現するということはとうてい望み得ない。しかも
街路を単に広げるだけでは、御
承知のように
交差点の数が特に
都心部においては非常に多うございます。必ずしも幅員を広げるということだけでは将来の
交通に対しては十分でない、こういうような
観点からいたしまして、将来の
自動車交通には特別な方法を考えなければいかぬ。要しますに、
自動車専用道路の総合的な
計画を樹立しなければならない。それとともに
駐車場、これは路上も当然でございましょうが、特に
路外の
駐車場の配置というものを考えていかなければならないというような
経緯をもちまして、二十三年ごろからだと思っておりますが、いろいろ
現地の
調査あるいは
交通の将来の
推移等を予測しまして、なおいろいろ諸外国の
実例等も
参考にいたしまして、いずれにいたしましても
自動車交通のために専用する
道路というものが必要である、こういう結論に達したのであります。その後いろいろ
現地の
調査あるいは将来の大
東京の発展の
状況等も考え合せて、たとえば
交通需要がどういう
方向から一番多くあるか、あるいは
交通の経路というものが
都内のどういう地点をねらっておるかというようなこともいろいろ
調査いたしまして、いわゆる
高速道路網の
調査研究にかかったのであります。もちろんこの問題につきましては、先ほど申し上げましたように単に都だけではございません、国におきましてもいろいろ
研究されておりましたし、
民間におきましても
都市計画関係の
学者方がいろいろ
研究されておったようであります。というような
経緯をもちまして、
高速道路網の
必要性あるいはこれの
実現をいかにするかということを
研究して参ったのでございまして、二十四年だと思っております。二十四年ごろに都といたしまして一応の
高速道路網というものを考えまして、
最後の
決定までは至りませんでしたが、
構想としては持ったのでございます。その間先ほど申し上げましたように、
民間の
都市計画関係、
交通関係の方々のいろいろな案も、勧告というかあるいは都に対する助言といいますか、いろいろ都の
方面にお考えを申し出た方もございましたが、いずれにいたしましても、都といたしましては一応将来の
高速道路網というものを立案いたしまして、できるだけこの線に沿って各
方面の施策を総合していかなければならぬ。もちろん
高速道路網でございますので、
場所によりますとあるいは
高架道路になるところもございましょうし、あるいは
地形上地下になるところも予測されますので、なるべくそういうものの
実現が容易であるように、各
方面の施設を総合していかなければならぬ、こういうような問題になってきまして、よりより各
方面とは
協議を進めておったのであります。その間先ほど申し上げましたように、当時
民間からのいろいろの案もわれわれ
説明を受けましたし、またこれに対しても
検討を加えたのであります。というような
経過をとりまして、その後御
承知の
首都建設法が
住民投票の結果制定されまして、
首都建設委員会の成立とともに、
首都建設委員会の大きな問題としてこれを取り上げていただきまして、都の今までの、先ほど来申し上げましたような
経過を十分
説明いたしまして、
首都建設委員会で御
検討願ったのであります。この結果が四十九キロの線となりまして、
首都建設委員会の
決定を見たわけでございます。現在
首都建設委員会の
決定の線がいわゆる
東京都区部に対しまして
最後の
高速道路として
決定を見ておるのであります。
大要経過は以上であります。