○秋草
説明員 御
説明申し上げます。三福ビルの売却の経緯でございますが、いわゆる三福事件と称しまして、約十一年ほど前に新聞紙上などをにぎわした問題がございます。この問題は非常に古い話でございますので一応省略させていただきますが、
結論的に申しますと、当時あの三福ビルの借家権の問題につきまして訴訟が起りまして、大臣は一松さんで、当時逓信省から電気通信省にかけての問題でありましたが、裁判で敗訴になりました。そうしてこの
建物はその後終戦とともに駐留軍が使われることになりまして、手のつけら丸ない
建物になっていました。ところがその後接収が解除になりましたが、私
どもの
建物は当時の構想と全く変って不用な
建物となりましたので、これを売却すべく考えたのであります。
売却につきましてはまず
指名競争入札というものを第一回に行いました。御案内のように
指名競争の
指名者というものは何らかの縁故がなければならないというので、株式会社三福、株式会社新宿デパート、これは仮称でありますが、その発起人会、こういうものに
指名競争いたさせましたが、ついに私
どもの入札
価格に達しませんで入札執行はできなくなったのであります。その後直ちにこれを
一般競争入札に付しまして、新聞公告等に掲載いたしまして入札者を募集いたしたのでありますが、それが
昭和二十八年十月二十六日であります。そのときに入札の申込者は
株式会社松庫商店、それから株式会社近隣洋行、それから個人として佐藤雅雄、こういう三方がお見えになりまして入札に参加されたわけであります。入札の期日は
昭和二十八年十一月四日でございます。ところがその入札の結果、開票いたしますと、第一回入札において二億二百二万円というものをもちまして一番札の松庫商店が落札いたしました。それぞれ他の入札者はむろんこの額よりも下回っておりますが、御参考までに申し上げますと、近隣洋行は二億百十一万円、佐藤雅雄は一億九千六百十七万円でございました。御参考までに当時の予定
価格を申し上げますと、私
どもの予定
価格は一億八千五百万円でございました。意外な高値で入ったわけであります。
そこで私
どもは入札とともに契約保証金を松庫商店から三千万円を徴収いたしまして、直ちに全額の代金の納入を督促いたしたのであります。当時松庫商店の商売はくず鉄業でありまして、鉄の値段が急激に下ってきたということが大きな原因だったと思いますが、要するに私
どもが予定した期間までに代金の納入が困難であるということを何回となく陳情して参ったわけであります。私
どもはこれに対しまして便々と許すということはいたしませんで、これに対して強硬にいろいろな手を使って代金の納入を督促したのでありますが、なかなか一度にこの巨大な金は入らなかったのであります。そこで最後に、私
どもは、この代金について分割で延納を認める、ただしそれに対しては日歩二銭七厘の利息を延滞についてつけろということを強く申しまして、これを約六回にわたって分納をしまして、ついに全代金の二億二百二万円というものを
昭和三十年九月二十六日に全額元金を収納するとともに、その過程におきまして、十二回にわたって利子の徴収を着実に行いまして、実に利子の総額二千五百余万円を徴収することになり、全部この
建物の引き渡しを完了いたしました。念のために申し上げますが、私
どもは
建物を渡しておいて代金を延納さしたのではないのでございまして、
建物はあくまでも渡さずに、最後まで私
どもは
建物を公社のものとして金だけを取り、金の取り立てが全部終り、利子が全部終った暁の三十年九月に
建物の権利書その他を一切引き渡ししまして、今日この
建物は何ら私
どもの関知するところではないように完全に結了をいたしております。
以上をもって簡単に御報告を終ります。