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上林委員長 先ほど
委員長席で申し上げました
通り、この問題を、案件の内省を知りましたのがけさでございますが、
山本君の
発言の
内容全般にわたっての事実を、ただいま申し上げるわけにいかぬと思いますが、幸いこれに関連する私の
資料が
手元にありますので、わかっている範囲内のことを一応申し上げまして、なお速記録を
調査した上で、詳細に具体的に
発言の機会を得さしていただきたいと思います。
その前に理解を深めていただくために申し上げますが、山林の
払い下げ問題を取り上げましたのは、日本農民組合
山形県連合会でございます。私は
山形県連合会の会長でございます。
責任者であることは間違いございません。なおその主体になりましたのが
横山支部でございます。日農の
組合員と、先ほど何か御
発言の中に第三者ということがございましたが、私もあまり法律の専門家でございませんけれども、農民組合の
責任者が、農民組合のためになることをすることが第三者に対する活動なのかどうか私はちょっと理解に苦しむのですが、私は第三者ではないと思います。
そこで具体的に
内容を申し上げますと、御存じの
通り農民組合は、基本的な活動の一つとして土地問題を取り上げることは、これは洋の東西を問わず、私どもの大きな
目的の一つであります。この問題も日本農民組合
山形県連合会の第八回定期大会(一九五五年十二月三日)に
報告されている
事項であります。その
報告書の必要な範囲だけをちょっと読んでみます。その方が早いと思いますから……。「一、土地闘争、農業経営上絶対に確保しなければならない基本的な条件は、すなわち土地、資本、労力の三要素である。従って土地と結びつかない農業農民は、およそその存在意義もない」そういう書き出しがら、「山林解放闘争等も組織的に活発に行われた。特にそのおもなるものをあげると」と、多くの山林解放闘争の一つとして、今指摘されました北村山郡の
横山支部の
払い下げ問題が
報告されております。項目だけを読んでみますが、「
国有林(
薪炭林)
払い下げ運動。一、関係者北村山郡
横山支部長高橋伊勢治、氏外十五名。二、石数百六十石(雑木)。三、
運動開始二十八年六月二十日。四、
要求実現三十年六月十九日。(註)高橋支部長は三十年九月十七日、十八日の大高根軍事基地反対闘争において、警察の
暴力行使のため九月二十七日死亡」こういう
報告書が出ております。これが事実ですから、この問題があったことは事実です。なおちょっと私記憶を呼びさましているんですが、この十六名は貧農です。いわゆる零細農です。従来の
経過の
資料を今探さしておりますが、ないということですから、あとから御
報告申し上げますが、同じ部落内で富農層には、いわゆる
薪炭林以上のものを
払い下げておることが明らかになりました。それから同じ部落内に居住して、あすの生活もやっていけない十六人の零細農には、
払い下げをしなかったのです。だから私は農民
運動家として、日本農民組合の
責任者として、組合支部が取り上げ、県連合会が取り上げて、零細農の解放のために
国有林の
払い下げ運動をやるなどということは、私は絶対間違ってないと思います。それを御批判になるならどうぞ御批判になって下さい。——これが
国有林の事実関係でございます。
それから
どぶろくの問題ですが、これも幸い第八回の定期大会で
報告されておりますから事実を申し上げます。これは大会で
報告されている承認
事項ですから、私は自分の意志を全然交えないで申し上げます。
報告事項の第六、農民不当弾圧排除、人権擁護闘争、
鶴岡税務署管内における酒税法違反容疑の摘発は、年間百数十件に及んでいる。この摘発にからんで、農民に対する人権じゅうりんの行為がしばしばあった。そしてこのような越権行為を多くの農民から指摘されて、税務当局の
責任者がみずから辞意を表明する事態すらあった。
しかし摘発された多くの農民は、国家権力を背景とする暴圧に対して心底から憤激していても、みずからの権利を擁護する自覚に乏しいために、事実と相違する強要によって多大の犠牲をこうむってきた。特にその代表的なものは、今年三月大山町に発生した
斎藤正子氏(
日農組合員)に対する
税務署と
検察庁の横暴きわまる抑圧である。
これが今指摘された
事項だと思いますから、これも読ませていただきます。
そしてこの戦いを通して検察側のわが日農に対する弾圧と組織分断工作は熾烈なものがあった。さらにこの
事件の直接動機となった
佐藤長治郎は、
検事の不当逮捕による一方月間の勾留のため身心ともに疲労し、また釈放後の
検事の謀略と暴圧に耐えかねて、遂に十一月九日、ゆく秋とともにこの世を去った事実は悲壮なものがあった。以下
事件発生当時からの
経過は別紙の
通りであるが、この
事件について明らかになった問題点は次のように指摘できる。
一、税務当局は
斎藤正子宅の捜査に当って
裁判所から出される家宅捜査令状を二回にわたって使用したこと。
二、右捜査に当って本人不在のため小中学校生徒を強制的に立会人としたこと。
註、教育
委員会で問題となっている。
三、
斎藤正子宅を数回にわたって捜査したが、酒税法違反となるべき証拠がなかった。にもかかわらず
税務署は
佐藤長治郎の一方的供述によって告発したこと。
四、
税務署は
佐藤長治郎の
妻末代を取り調べるに当って産後一カ月足らずの未だ回復しない健康状態をも考えず乳児と一緒にジープに便乗させ、八時間にわたる強制取調べをなしたこと。そのため本人は病状が悪化しその後も治療を受けている。
五、税務当局は
斎藤正子に対し、
証拠隠滅のおそれあるとして緊急非常事態における異例の措置である直接告発(直告)制度に基いて、
事件発生以来三カ月半
経過した七月十三日その
手続をとったこと。
六、直告を受けた検察当局は
斎藤正子を取り調べた結果この
事件には無関係であることを確認したにもかかわらず、その後二カ月半
経過した九月三十日緊急逮捕を行なったこと。このため
斎藤正子は十日間の勾留を受け、早場米最盛期に重大な支障を、来した。
七、
佐藤長治郎は、九月十二日より十月十日までの二十九日間の勾留によって、身心ともに疲労し、勾留中
検事、看守、小使等によって事実無根の自白を強要されたこと。
八、
佐藤長治郎本人の
事件は、その後の公判によって解決したが、
長治郎の一方的供述によって不法逮捕を受けた
斎藤正子の公判に対して、
検事側より
長治郎が証人として喚問されるや、にわかに神経衰弱を来たし、また勾留中の疲労が悪化し、十一月九日死去したこと。
註、
検事が
佐藤長治郎に対して自白を強要して策謀の事実や、わが日農に対する組織分断工作の
政治的事実については、目下
斎藤正子の公判流行中であるので公表は避ける。
「不当弾圧の
経過」これに関係ある問題だけを申し上げます。
(一)、三月三十日、
鶴岡税務署間税
係員池田豊、同入江慎一の両名が、西川郡大山大字下川
斎藤正子宅を酒税法違反容疑のため家宅捜査を
執行した。そのとき斎藤宅には、よそに女中奉公をしている
正子の長女よし(十八才)が留守居をしていたので、
係員は捜査令状を提示して、その立ち会いの
もとに捜査を行なったが、違反となるべき証拠品がなかった。
註、入江
係員は当日
正子宅にだれもいないので、すぐ帰ってきたと言っているが、よしさんは捜査を行なった日は、三月二十九日か三十日か忘れたと言っているが、出張簿には三十日と明記されてあった。(十月三日確認)
(二)、四月二日、同間税
係員池田、入江は
斎藤正子宅の第二回捜査を行なったが、前回と同様証拠品がなかった。そのとき捜査に立ち会ったのは、
正子の次女中学二年ゆきみ(十四才)と長男中学一年良助(十三才)であった。
註、未成年者が立ち会った事実については、
池田、入江
係員も認めている。また立ち会って両名は、そのとき捜査令状の提示はなかったと言っているが、税務暑員は捜査令状を提示したと言明している、なお捜査令状は立会人の署名捺印はとっていない。
(三)、これも十月三日確認。六月三十日、
鶴岡税務署間税
係員、
池田、入江の両名は、
鶴岡市大学福田
佐藤長治郎宅を酒税法違反容疑で家宅捜査を行なった結果、現品として清酒三合と子供のノート一冊発見し押収した。なお当日押収したノートには「何本、何円」とあるのは全部酒であると言明したので、その出どころを追及された結果、四十才くらいの女の人から買ったと答弁したので、その女の家を知っているだろうと言われ、大山町大字下川
斎藤正子宅前まで
税務署のジープに便乗させられて案内した。
(四)、七月二日、
鶴岡税務署宿直室において佐藤長治部の
妻末代は、間税
係員池田豊より
長治郎と共犯であるとの容疑で取調べを受けた。そのとき
末代は
斎藤正子より譲り受けたものであるとの陳述をなした。
註、このとき
末代は産後一カ月で、このため病気が悪化し、その後治療を受けている。
(五)、七月二日、
税務署間税
係員池田、入江の両名は、
斎藤正子宅に出張し、
斎藤正子の取調べを行うのであったが、
正子は農作業のため不在であった。そのとき両名の
係員は
正子の母春代(六十五才)と子供二人がいたので、「
正子はどこにいる」と尋ねたので、春代は、「
正子は麦畑にいっている」と答えた。そこで両
係員は
正子のいるところに案内せよとのことであったが、春代は、「自動車に乗ると目まいがするから」と言って拒んだところ、さらに両
係員は、春代のそばにいた良助(十三才)に案内を命じたが応じませんので、良助のそばにいた正助(八才)の手を引っぱって、拒むのも聞かず無理やりジープに乗せ、ナシ畑や山小屋を探し、その後麦畑に案内させたが、
正子はいなかった。そこで両
係員は七月四日に
税務署に出頭せよと言い残して帰った。
詳しい
報告が出ておりますから、少し中を省略して申し上げますが、今公判係属中で、弁護士もちゃんとおってまだ公判を係属しているのですが、その記録が全部ありますけれども、あまり繁雑になりますから省略いたします。今の
どぶろくの問題は、この事実だろうと思います。
斎藤正子さんは、農民組合の
組合員でありますから、農民組合の支部が決議し、県連合会が決議して取り上げた問題を、たとい私は直接関係がなくとも、
責任がありますから、これは私は当然やらなければならぬ問題であると思っておりました。
それから
謝礼云々の問題がございましたが、農民
組合員のために、農民組合の幹部が仕事をなす場合に、
謝礼をもらうなんということはありません。あるいは弁護士が担当しておりますから、弁護士の費用を相談した等のことはあったかもしれませんが、私は全然関係はございません。
なお、けさの東京新聞に北陸電力の問題に関連して、何か私が
政治資金を
要求したというような記事が出ておりました。新聞記事でございますので、あるいはこういう問題を釈明するのはどうかと思いますが、先ほどの
理事会で私は率直に話をさせてもらいたい、こういうことを申し上げましたので、御了解していただけると思いますが、この問題は
理事会で申し合せができまして、私ども現地に行った関係もありまして、お前も入って四人
委員会で一つ相談したらどうかという申し合せができたわけであります。しかし四人
委員会の会合の全体をここで申し上げることは、不見識と思いますから申し上げませんが、
政治資金の問題は、これは率直に申し上げますと、私は半ば冗談だったろうと理解したいのですが、私と同席しておりました
田中彰治君とか、あるいは
松岡松平さんは
発言したかどうかわかりませんけれども、たまたま雑談の中に出たことでありまして、私は一ぺんも、そんなことは冗談でも言ったことはありません。なお北電の
責任者と会う場合に、私一人で会ったことは一ぺんもございません。これは先ほどもお話を申し上げたら、
田中彰治君も、自分も
発言しておきたい、こういう話がございましたので、私からもはっきり申し上げておきます。
それから最後に、私が前の
営林局長の水野君を、この問題のために呼んだということをいっておりますが、私は呼んだことは一ぺんもございません。ただ私は
国会議員である限りは、これ
はアメリカのよさを学ぼうと思った点もありますが、
陳情は丁寧に聞く心がまえを持っております。採用するかしないかは別ですが、
陳情は、役人であれ、民間の人であれ、あるいは
身分の低い人であれ、私はほんとうに丁寧に聞く努力を払っております。従って、水野君が出張、して私に打ち合せたいと言ってきた場合に、私は会見を拒否したことはありません。これは私の心がまえです。
身分の低い人であろうが、
身分の高い人であろうが、役人であろうが民間人であろうが、それはかまいません。自分は自分の良識をもって判断して、採用すべきものは採用します。あるいは採用すべからざるものは採用しません。これは
国会議員をやつている以上は、私は一つの座右の銘といいますか、そういう心がまえでやっていきたいと思いますから、だから水野君は懇意でもありますし、来た場合には私はいつでも会っておりました。
それから、何か私がつけ届けをもらったようなことを言っておりますが、これは私全く心外です。心外という言葉よりも、私が今この国税の乱費を究明したりする立場にある限りは、より以上身辺を清潔にしようとする努力を払っております。これは私がどこまでやっていけるかどうかということは、皆様の御批判にまかせますが、しかしこの
決算委員会で国税の乱費なり国税の行方を追及しておるという立場にある限りは、必要以上に自分の私生活なり自分の身辺の清潔さを、何とか守っていきたいと思っております。これは心がまえでありますから、別に皆様に押しつけはいたしませんが、先ほど私の同僚の
中村委員からお話がございましたように、小
委員会で
投書でも取り上げるということでありますから、どうぞ十分
真相を究明してもらって、幸い
山本小
委員長も、
内容については
責任を持つと言っておりますから、どうぞそういうふうに取り扱っていただきたいと思います。
なお速記を見ないと、全部は尽せませんので、速記を見た上でなお私が釈明すべき点があれば十分釈明したいと思います。全部これは農民組合の
会議で決定したことを取り上げておるのであって、それがいけなかったら私
責任を持ちます、これは大会の記録かちょうど一冊ありましたものですから、事実が全部明らかになりましたが、以上が大要一身上の弁明であります。