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1956-05-08 第24回国会 衆議院 決算委員会 第32号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十一年五月八日(火曜日)     午前十時五十八分開議  出席委員    委員長 上林與市郎君    理事 生田 宏一君 理事 關谷 勝利君    理事 山本 猛夫君 理事 坂本 泰良君    理事 吉田 賢一君       臼井 莊一君    辻  政信君       林   博君    本名  武君       小松  幹君    佐竹 新市君       細田 綱吉君    吉川 兼光君  出席政府委員         防衛政務次官  永山 忠則君         防衛庁次長   増原 恵吉君         防衛庁参事官         (経理局長)  北島 武雄君         防衛庁参事官         (装備局長)  小山 雄二君  委員外出席者         防衛庁課長         (経理局監査課         長)      小笠原喜郎君         防衛庁課長         (装備局船舶課         長)      芥川 輝孝君         防衛庁事務官         (調達実施本部         長)      武内 征平君         防衛庁事務官         (調達実施本部         契約部長)   石井由太郎君         会計検査院事務         官         (第二局長)  保岡  豊君         証     人 杉山欽二郎君         証     人 沢   董君         証     人         (株式会社間組         経理課長)   塚元  彰君         証     人         (株式会社間組         経理部長)   日野 謙三君         専  門  員 黒田 久太君     ――――――――――――― 五月八日  委員松村謙三君及び山田長司君辞任につき、そ  の補欠として辻政信君及び佐竹新市君が議長の  指名で委員に選任された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  歳入歳出実況(パッカードマリン・エンジ  ンの払下げ及び購入等)に関する件     ―――――――――――――
  2. 上林與市郎

    上林委員長 これより会議を開きます。  歳入歳出実況(パッカードマリンエンジン払下げ及び購入等)に関する件につきまして調査を進めます。  本日は、各位のお手元に配付いたしてあります通り、四人の証人を予定いたしております。  それでは本件につき証人より証言を求めることといたします。御出頭になられました証人の方々は、日野謙三君、塚元彰君、杉山欽二郎君。間違いございませんね。――相違なきものと認めます。沢証人につきましては、いまだ出頭しておりませんが、その理由委員長において調査いたさせますが、事態がはっきりした上で、その取扱いについて理事会で協議してきめたいと存じますから、御了承願います。  あらかじめ文書で御通知いたしておきました通り、また十分御承知のことと存じますが、当決算委員会におきましては、昭和二十九年度決算中、防衛庁所管について審議を進めておったのでありますが、海上自衛隊における二十九年度及び三十年度造船計画中、雑船の中で、高速救命艇に用いたところの主機関につきまして、その購入に至るまでの経緯について、さらに詳細な調査の要を認めたわけでございます。すなわちその主機関は、一基当り一千二百五十万円のものを二基ずつ装備するもので、エンジン六基の代金としてすでに七千五百万円を支払っておるのであります。  ところがこの主機関すなわちパッカードマリンエンジンは、二十六年三月、当時の米軍立川基地より東京通産局余剰物資として二十二台を、ほかにホールスコット・エンジン二十八台とあわせて、いずれも単価七万二千円、総価額三百六十万円で放出されたものの一部であります。東京通産局は、同年五月これらを一括して松庫商店にいずれも単価十万五百円、総価額五百二万五千円で払い下げたのでありますが、その後これが松庫商店より三友産業株式会社間組富士重工業等民間業者の手を転々として、わずか三、四年の後に単価千二百五十万円で同じ国家の手に買い上げられたという経過をたどっているのでありまして、当委員会としては、この間の経緯を明らかにするために、さき松庫商店社長桑原用二郎君、元三友産業株式会社総務部長正木恒作君、富士重工業株式会社社長北謙治君、当時の東京通産局長山地八郎君、同公益事業部業務課長依田栄君及び当時の関東財務局長渡辺逸亀君を証人として喚問し、証言を求めたのでありますが、今回さらに皆さんに御出頭願い、証言を求めて事実関係を明らかにしたいと思うのであります。  証言を求める前に各証人に一言申し上げます。昭和二十二年法律第二百二十五号、議院における証人宣誓及び証言等に関する法律によりまして、証人証言を求める場合には、その前に宣誓をさせなければならないことと相なっております。宣誓または証言を拒むことのできるのは、証言が、証人または証人配偶者、四親等内の血族もしくは三親等内の姻族または証人とこれらの親族関係にあった者及び証人の後見人または証人の後見を受ける者の刑事上の訴追または処罰を招くおそれのある事項に関するとき、またはこれらの者の恥辱に帰すべき事項に関するとき、及び、医師歯科医師、薬剤師、薬種商、産婆、弁護士、弁理士弁護人公証人、宗教または祷祀の職にある者またはこれらの職にあった者がその職務上知った事実であって黙秘すべきものについて尋問を受けたときに限られておりまして、それ以外には証言を拒むことはできないことになっております。しかして、証人が正当の理由がなくて宣誓または証言を拒んだときは一年以下の禁錮または一万円以下の罰金に処せられ、かつ宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは三月以上十年以下の懲役に処せられることとなっておるのであります。一応このことを御承知になっておいていただきたいと思います。  では、法律の定めるところによりまして、証人宣誓を求めます。御起立を願います。  日野謙三君、代表して宣誓書の御朗読を願います。   〔証人日野謙三朗読〕    宣誓書   良心に従って、真実を述べ、何事も隠さず、また何事もつけ加えないことを誓います。
  3. 上林與市郎

    上林委員長 それでは宣誓書署名捺印して下さい。   〔証人宣誓書署名捺印
  4. 上林與市郎

    上林委員長 ではこれより証言を求めますが、証人が発言する場合には、そのつど委員長の許可を求められること、及び発言は証言を求められた範囲に限ることになっておりますから御了承願います。  証言を求める順序は、杉山欽二郎君、沢董君、塚元彰君、日野謙三君の順序でありますが、まず委員長から概括的に証言を求める予定でおりましたが、時間の関係もありますので、直ちに各委員から証言を求めることにいたしますから、了承いただきます。  それでは杉山欽二郎君以外の方は元の控室にお待ちを願います。  質問の通告がございますが、申し合せの順序に従って質疑を許します。吉田賢一君。
  5. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 杉山さんにお尋ねいたします。御承知通りにここは宣誓してありますので、一つ間違わぬようにお述べ願いたいと思います。  あなたがこの問題になっておりますパッカードエンジン間組から保安庁の方に――今日は防衛庁でございますが、売り込むに至った経緯、これをおもに聞きたいので、ございます。そこでまず第一に伺うことは、このパッカードエンジン松庫商店から三万産業が買い受けて、さらに間組へ売り渡した、こういうように述べられておるのであります。あなたはまず最初にどの段階関係をせられましたか。つまりあなたは松庫商店から買い取るときに、間組立場で、代表せられたようにも聞くのであります。あるいは松庫商店から買い取るときに、三友産業というものから買うというような関係にあったとも聞くのであります。その関係はいずれでもいいのでありますが、あなたはその段階におきましては、いずれの方へ関与せられて、何をなさったのですか。
  6. 杉山欽二郎

    杉山証人 二十六年の夏過ぎでしたか、私は丸の内の六階にある日本交易という会社大井田君に、アメリカのパッカードディーゼルエンジンが二十二台ほどあるので、これを一つあなたは昔間組に勤めていらっしゃったのだが、自家発電にでも御使用なさるようにお勧め方を願いたいということが、この仕事の発端であります。そして私は間さんの方に行きまして、その話をいたしました。間さんの方では水力工事をするのに自家発電に使用すればいいが、それほどのことをせぬでもいいじゃないか、うちとしてはそれは要らない、こういうことで断わられました。それから大井田君に本日はこういうわけだったという話をいたしました。大井田君はそれじゃこの話につきましては私は失格いたしましょうということで、大井田君のところへ正木君が持っていった話でありまして、大井田君が失格してから直接に私のところへ正木君が話を持ってきたのであります。
  7. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 あなたは間組顧問とかいう名称をもって歩いておられたようでありますが、間組顧問とかそういう関係がおありですか。
  8. 杉山欽二郎

    杉山証人 私は顧問名称をもって歩いたことはありません。
  9. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 間組顧問というような関係はあったのですか、ないのですか。
  10. 杉山欽二郎

    杉山証人 顧問関係はありません。
  11. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そうすると保安庁の方へ売り込んでくれというようなことをあなたに頼んだのは、結局だれになるのですか。
  12. 杉山欽二郎

    杉山証人 それは正木君がさきに申しました大井田君に引き続いて私にぜひお願いしたいと再三再四話がありましたので、また間組の方へ行きまして、実はこういう機械をどうか採用してもらいたいという話があるのですが、一つ金融をしていただきたいということを私お願いに行きました。ところが間組の方では、これはしっかりした会社発注書もあって、契約が結べた後ならば金融をしてもよいという話がありまして、また個人ではだめだ、会社形態をとってこい、こうおつしゃったのであります。そこで正木君にその話をいたしまして、正木君は三友産業社長岩間保樹君を紹介したのであります。そして運動者には沢董君と岩間君と正木君を紹介したのであります。そして間組三友との間の調節は私がやったのであります。
  13. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そうしますると、あなたへの依頼は、このエンジンによって間組から金融を受けるという依頼であった。それから結局正木に話をし、正木から岩間を紹介するに至った。その間にしかるべき会社であれば間組としては金融をしていいというような話であった。間組は買うとは言わなかったのですか。間組は金を貸しますということなんですか、それはどっちなんです。
  14. 杉山欽二郎

    杉山証人 金を金融していただくのですから、借りるということで、機械を買うという意思はなかったのであります。
  15. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そこで金額は何ほど金融の申し入れをいたしておりましたか。
  16. 杉山欽二郎

    杉山証人 それはさきに申しました田沢董君に運動方をお願いいたしまして、沢氏は初めに横浜の三菱重工業へその話を持っていったのであります。そしてその話は不幸にして途中切れがいたしました。その次に第一通商に話を持っていったのであります。それで第一通商の方は、向うでも非常に希望であったということでありました。
  17. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 私が聞きたいのは、間組金融依頼した金額は幾らか、こう聞きおるのです。
  18. 杉山欽二郎

    杉山証人 それは第一通商のオーターが出ましてから、機械を取りに行かなければならぬというので、松庫さんの方へ買いに行く金を合せて、運動費すべてで二千万お借りしたのであります。
  19. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 間組からだれが借りたのですか。
  20. 杉山欽二郎

    杉山証人 それは三友としての会社で、社長岩間でありますが、さしあたり最初からの正木君と私の話で、正木の方で私の名義にさせてくれといいますから、じゃよかろうというので正木君の名義にしましたから、そのときの二千万の受け取り正木君の受け取りになっております。
  21. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そうすると、正木君が間組から正木名義で、あなた方二人が話して二千万円の融資を受けた、こういうことなんですね。――間組から正木君の名義で二千万円の融資を受けた、こういうことなんですね。そこでその二千万円はどう使いましたか、その行き先だけ言ってもらいたい。
  22. 杉山欽二郎

    杉山証人 二千万円は、松庫商店の方へ千百万、生駒氏の方に百万、そしてみなの運動者、諸雑費という方にそれを回したのであります。
  23. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そうしますと、千百円が松庫へ、百万円が生駒へ、その他残額の八百万円がみなの運動考及び珀雑費、そのみなというのは覚えておられる人はだれだれになりますか。
  24. 杉山欽二郎

    杉山証人 運動の方は沢さんがやっておられましたから、沢さんの方にもお渡しし、また正木君はエンジニアでのりますから、エンジン関係の方はできております。それで岩間君はそれにする補佐役で、運動補佐として動いております。
  25. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 その運動した沢君に円ほど行きましたか。
  26. 杉山欽二郎

    杉山証人 千六百万ほど行っております。
  27. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 千六百万というと、少し計算が違うので、ただいま二千万円のうち千百万円が松庫、百万円が生駒、その残額は八百万円でありますから、一応そのうちから出た分を述べていただいて、後日合計千六百万円沢に行ったというのは、あとで伺ってもいいのでありますが、この八百万円は、今運動した人にそれぞれ分けたとおっしゃるんだから、運動した人は沢、正木岩間などが出てきておりますので、その際八百万円は、大体この三人にどれほどの割合で分配しましたか、あなたも入るのじゃないのですか。
  28. 杉山欽二郎

    杉山証人 それは三友の任になりますからしかとはわからぬのですが、残りの金はみんなで分けたのではありますが、諸雑費の方へたしかその半分くらい行っていると記憶するのであります。
  29. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 諸雑費といいますと、交通費になるのでしょうか。こういうふうに多数の人が会合したり運動せられるのですから、いずれ飲食費も入りましょうが、飲食費、料亭の支払い、そういうものは大体どれくらいかかるのでございましょうね。
  30. 杉山欽二郎

    杉山証人 合計が四年間通じて百九十五万ほどになっております。そして雑費は二百六十万ほどと覚えております。
  31. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 四年間を通じてのその計算は、またちょっと別の角度から問題を見ることになりまするので、この際八百万円のその内訳の諸雑費を聞きたかったのでありますが、それでは問題を飛ばしまして、そこでさきにちょっと千六百万円を沢へやったとおっしゃっておりましたが、その沢へというのは、また千六百万円を別に借り出した金ということになるのですか、それはどうなんですか。
  32. 杉山欽二郎

    杉山証人 その沢さんの方へ行きました運動費の千六百万というのは、間さんの方でちょうだいいたしました三友支払い金額のうちからそれは出ておるわけであります。
  33. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 三友へ支払う金額というのは、総計何ほどになっておったんですか。
  34. 杉山欽二郎

    杉山証人 それは全部の決算数字でありますか。
  35. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 全部でも内訳でも何でもようございます。
  36. 杉山欽二郎

    杉山証人 全部は一億四千七百万円であります。
  37. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 これはちょっとはっきりしておきますが、一億四千七百万円というのを三友ほんとうに払うつもりはあったんでしょうか。ここで宣誓しておられますので間違えぬように言ってもらいたい。三友ほんとうにお払いになるつもりがあったか。三友という会社は、国税庁の証言によりますと、これは税金を払う能力もない会社だそうであります。そうして正木という人がこの間証言したところによりますと、三友社長がだれやら知らず、三友の取締役がだれやらわからず、三友の本店がどこにあるか知りませんと言っておる。そういう会社へ一億四千万という金を払うとは常識上考えられませんのですが、あなたにお尋ねするのですが、それはそうではないのでしょうか。
  38. 杉山欽二郎

    杉山証人 それは三友会社は、私が岩間君から聞いたところでは、川崎に会社があり、出張所が目黒の平町にある。平町の出張所へも私は行きました。
  39. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 それはいいですが、三友へ一億四千七百万円支払うということは、そうではないのではないかということをあなたに確かめる。
  40. 杉山欽二郎

    杉山証人 それは仕事をしているうちに、次々と機械を装備し、あるいは運動をし、三年も続いてやったんでありますから、時々にあるいは二百万この際こういうことで要るから貸して下さい、あるいはこのたびは機械の部品を買うから千万貸して下さい、こう言って金融していった合計金が一億四千七百万で、その内訳を申しますと、七千三百二十三万円が三友皆さんに支払った金、そして三千六百万余の数字は、これは金利間組さんで立てかえた諸経費数字とであります。それを加えると、一億一千万弱になります。そうすると、そこに差引きが三千七百七十万余のものになります。これは十五台まとまったときに、その金は金利とかかった諸経費を引いた残額は返してやるから、それまでは組の方で預かっておくという約束でありましたのです。
  41. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 問題が少し混雑してきましたので、ちょっと整理しておかねばいかぬのですが、あなたはこのエンジンを売るということで、いろいろ御奔走になっておったのか。それともそうではなしに、あなたとしては間組立場でこういうふうにいろいろと運動しておられたのか。あなた自身もほかの人とともに売り込み運動にいろいろ奔走しておられた一人なんですか。どっちなんですか。
  42. 杉山欽二郎

    杉山証人 私はどうかしてこの機械が売れるものならば売ってあげて、そして金は間組さんの方で融資していただいたのだから、これをもってどうかまとめてあげたいという気持でおりました。
  43. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そしていろいろ運動費がいったようであります。運動費というのは、売り込みのおもな目的はどこなんでしょうか。こういうガソリンエンジン造船所で使うものではなし、民間で使うものではなし、軍が使う以外に方法がないということは、  一応常識になっているようなんであります。そこで結局はディーゼルとかなんとかいってごまかしておったようでありますけれども、結局はガソリンエンジンであるということが明らかにせられる以上は、保安庁の方へでも売り込まなければしようがないと思うのですが、保安庁の方へもいろいろ運動費がいった、こういうことなんですか。
  44. 杉山欽二郎

    杉山証人 それは最初大井田君、正木君のお話で、これはディーゼルマリンエンジンだからということでお話を進めたのであります。私は土建屋でありまして、機械の方は詳しくなかったものでありますから、それは間違いない、こう思って話をかけまして、第一通商へ話をしましてオーダーまでいただいたのでございますが、運転してみた結果で、これはガソリンエンジンだということがわかりまして、間組の方ではこれはディーゼルの話で持ってきたのに、ガソリンエンジンではないか。だからこのたびはこれで金融をとどめて、君たちに立てかえた金が当時四千万あります。その四千万を持ってきて機械を持って帰ってくれ、こういうことで三友岩間正木、私と三人を組でお呼びになって、その話がありましたのです。
  45. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 あなたのお話によりますと、間組立場は、当初はあなた方の話によって二千万、その後それぞれ何ほどか金が出た。結局七千三百二十三万円出たという御説明であるのだが、当初は金融のために金を出した。結局金融のために金を出したのだが、ついに自分所有にした、こういうことになるのですか。
  46. 杉山欽二郎

    杉山証人 そうして組の方へは先に申し上げましたように四千万返せ、そうして機械を持っていけとおっしゃったのですけれども、当時機械の方へも金を回し、運動にも金を出し雑費にも金を使うて、それを払うことができなかったのであります。それでありますし、その当時は台湾の中華民国の大使館へ売りつけるかたわら、第一通商がだめになりましたからそれをやっておったのであります。そしてその方でもまとまれば、その方はまたお返しするからぜひお願いしたいというて進んでおりましたのです。そうして二十九年の三月に、あなたの方で運動しておるやつは一つ打ち切ってくれぬかということで打ち切りまして、そして夏方三友の小払いの打ち切りをやりまして、二十九年の暮か三十年の春でしたか決算をいたしました。
  47. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 この間組は、あなたも御承知と思うのだけれども、三友と売り買いの契約をしている。三友は金の受け取りを出しておる。それは二十七年の七月二十六日付になっている、よろしゅうございますね。そうすると、実は金融のためにあなたらに金を出したのではなしに、松庫から買うときにすでに間組自分所有にするということにしておったというのが真相ではないのですか。
  48. 杉山欽二郎

    杉山証人 それは金融から始まったのではありますが、契約だけは、契約というとおかしいのでありますが、きめだけはしておかなければならぬということでしたことであります。
  49. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そうしますと、きめだけは間組が買い取ったことにしておる。それでそのものを売り込むということは、それぞれ多数の運動者があって売り込んだ結果、利益を得たら、それらの運動者間組がそれぞれ利益を分配する、こういうことにでもなるのですか。
  50. 杉山欽二郎

    杉山証人 それは先にあなたが申されたように、金融で進んだことではありますが、きめはきめたのでありますから、そのきめが成立すれば、その中にはみなの、三友初めの利益は含んでおったわけであります。
  51. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そうすると、三友初め多くの人が利益を得ることが目的であったようであるが、七千三百二十三万円を間組三友へ支払ったということでありますが、このうち多くの皆さんへ回っているということであるのだが、その皆さんへ回った金ですが、これをちょっとお話し願いたいのです。この中に今の沢の運動費千六百万円も出てくるのかと思いますが、その他あなたに言わせれば四年間というのでありますが、四年間にはずいぶん多くの人が出入りしておるようであります。第一あなたに伺いたいのは、その皆さ  んのうちには、そういうブローカーを商売にする人もあり、政界人もあり、それぞれ有名人もあり、有名でない人もずいぶんあると思います。一番に活躍しておりましたあなたが大体御承知だと思いまするが、お話しできます-か。お覚えになっている範囲でよろしゅうございます。
  52. 杉山欽二郎

    杉山証人 その数字は長くなります一ので、大体お話しします。
  53. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 沢に千六百万円いったごとく、ほかの人にもいっています  から-…。
  54. 杉山欽二郎

    杉山証人 大森トラクターが千六百万ほどと思います。それから松庫が千百万、そのときは持っていったのですけれども、あとからの換算がありましたから千六十万になっております。それから岩間君が九百万、沢さんは先に申しました千六百万、生駒君が二百二十万、正木君が六百五十万、杉山が七百五十万、雑費の一の方が、これはよくわからぬのですが、大体百九十万ほどと思います。この方が二百六、七十万と記憶しております。そうしてこれ以外の間組さんに持ってくるまで大井田君のところで前回雑費が八十万あります。大体、これは前回のことでありますから、はっきりした数字はまた後日よく調べまして御報告します。
  55. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 きょう御記憶の程度でいいと思いますが、それから四年間にだんだんと防衛庁関係保安庁関係がものになってしまいましたね。その間ずいぶんいろんな方が暗躍しておられるんだが、中代議士の事務所の方へは何ぼ持っていったんですか。
  56. 杉山欽二郎

    杉山証人 いやそういうことはありません。私は沢さんに運動は全部委任しておりますから、私はそのことは知りませんです。中さんのところへは一応あいさつには行ったことがありますが、そんなことは知りませんです。
  57. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そうしますと千六百万円は、沢が一人ふところへ入れたんでしょうか。
  58. 杉山欽二郎

    杉山証人 それは沢さんのところには運動する人がほかにも二、三おられましたから、そういう人たちで沢さんのところは処理できないのではないかと思います。これは私ではわかりませんから御当人にお聞きを願いたいです。
  59. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そこで二十七年から八年、九年にかけまして、中さんがなくなりまするまで、中さんの国会の事務所がこれらの活動の中心になっておったということは、多くの人の述べるところでありますが、そういう事実は御承知じゃないんですか。
  60. 杉山欽二郎

    杉山証人 それは記憶いたしませんです。
  61. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そうしますると、沢へ千六百万円、それから松庫が千六十万円、岩間が九百万円、生駒が二百二十万円、正木が六百五十万円、大森トラクターが千六百万円、それからあなたが七百五十万円、あなたの記憶は大体そうだというんですね。そうすると、よろしゅうございますか、これは要するに松庫エンジンを売った代金で、それ以外の人は全部運動費ということになるわけですか。
  62. 杉山欽二郎

    杉山証人 まあこれは運動費ということになるのじゃないか、-みな別に月給というやつは出さないんでありますから……。
  63. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 まことに莫大な運動費がここで支出されたんでありますが、結局保安庁防衛庁売り込み運動が成功したということになるんですね。どうです。
  64. 杉山欽二郎

    杉山証人 そうであります。
  65. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そこで、あなたとしてはいつまで関係しておられましたか。現にこの売り込みについてなお関係しておられるんですか。
  66. 杉山欽二郎

    杉山証人 私は関係しておりません。もう二十九年の三月に塚元課長さんから、この運動はやめてくれとおっしゃったから、それからは私やっておりません。
  67. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 もう一つ尋ねておきます。保安庁売り込み運動は二十七年の暮れに一いいですか、二十七年ですよ、二十七年の暮れにもう成功しておったということは御承知でありますか。
  68. 杉山欽二郎

    杉山証人 二十七年にはきまったようには記憶しておりません。
  69. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 表向ききまっておらずとも、大体内定はしたということは、そうしたら御承知ですか。
  70. 杉山欽二郎

    杉山証人 私は知りません。
  71. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 七百五十万もの運動費をもらったあなたですよ。エンジン保安庁との間に大体見込みがついた、どういうふうに話がついたというくらいのことを知らずに、莫大な金を受け取ってなさるのもちょっとふに落ちぬのです。ことにあなたは、当初からのいろいろな関係で一番主要な役割をしておられるのです。そうしたらどうですか、表に出た話じゃなく、裏に出た話をして下さい。
  72. 杉山欽二郎

    杉山証人 そう今おっしゃいますが、二十七年ではないのではないかと思います。その後きまったように思います。
  73. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 その後というのはいつですか。
  74. 杉山欽二郎

    杉山証人 それはよく記憶しておりません。
  75. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 もう一つ聞いておきます。それではその後にしろ、いつにしろ、この運動をする途中におきまして、結局パッカードエンジンにしたらよいというような大体の保安庁の内部の方向がきまって、当時の木村保安長官でありましたか、技術面に対する指示までもしたというようなことは御承知ですか。
  76. 杉山欽二郎

    杉山証人 それは沢さんが運動のしんになっておりまして、すべてのことは沢さんが交渉をなさっておられたのでありまして、私はその運動に対してはよく知らないのであります。
  77. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そうしたら砂田代議士も一役買われて相当奔走なさって、これも成功した大きな有力な原因になっておる、こういうことは聞いておりませんか。
  78. 杉山欽二郎

    杉山証人 聞いておりません。
  79. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 あなたは、沢だけが保安庁へ交渉に当り運動したというふうに思っておるのでしょうか。
  80. 杉山欽二郎

    杉山証人 そうとは思っておりません。これは沢さんから御依頼なさった人の運動もあったことと思っております。
  81. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 沢さんはだれに御依願になったのですか。
  82. 杉山欽二郎

    杉山証人 その御依頼なさった人は、中さんは私は聞きましたけれども、ほかの人は知りません。
  83. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 中さんというと中助松氏のことですか。
  84. 杉山欽二郎

    杉山証人 そうであります。一ぺんごあいさつに行ったことがあります。
  85. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 中代議士にどういうごあいさつをなさったのですか。
  86. 杉山欽二郎

    杉山証人 沢さんが、行ってごあいさつをしたらどうかと言うから、行ってごあいさつしたことがあります。それだけであります。
  87. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 ごあいさつといってもわからぬですが、やはり保安庁へいろいろ御尽力を願うことについて、ごあいさつするのが、これはブローカーの人の仁義だろうと思いますが、そういう点はどうだったのですか。
  88. 杉山欽二郎

    杉山証人 今申しましたことと同じで、私は行ってごあいさつしただけで、別にそれに対して何にもお話ししません。それは沢さんからお聞きしていただくとわかります。
  89. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 中さんの事務所の方へ相当な金が回りましたことは、あなたは知らぬのですか。
  90. 杉山欽二郎

    杉山証人 私はそれは知りません。沢さんには運動費として、今これだけ運動の金が要るからと言えば時々に渡したので、それは一ぺんに渡したものではありません。
  91. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 ほかの人に譲ります。
  92. 佐竹新市

    佐竹(新)委員 関連して……。ただいま杉山証人は、中助松さんを第二会館の部屋にたずねたことはない、ただ一回行ったきりだと言われましたが、中助松氏の部屋に菊岡という人がおったはずだ。それとあなたは再々会っておられるはずですが、その人をあなたは知りませんか。
  93. 杉山欽二郎

    杉山証人 菊岡という人が沢さんのところへいらっしゃったことは記憶し出ておりますが、中さんの菊岡さんがどうなったかというようなことは私は知らないのでございます。
  94. 佐竹新市

    佐竹(新)委員 きょう沢証人はここへ出てきておらぬのですが、沢証人は、あなたや間組さんと打ち合せて、沢証人をここへ出さないようにしていのではないか。
  95. 上林與市郎

    上林委員長 沢証人は出席しております。
  96. 佐竹新市

    佐竹(新)委員 それではお尋ねしますが、あなたは昭和二十七年の十二月三十日に中助松さんの部屋をたずねて行ったことがあるはずですが、よく記憶していますか。
  97. 杉山欽二郎

    杉山証人 記憶しません。
  98. 佐竹新市

    佐竹(新)委員 それではあなたは菊岡という人を全然知らないのですか。
  99. 杉山欽二郎

    杉山証人 菊岡さんとは二、三回会っておりますから、菊岡さんは知っておりますが、中さんのところへは、私はこあいさつに行ったことだけしかありませんので……。
  100. 佐竹新市

    佐竹(新)委員 それはいつごろ行かれたのですか。
  101. 杉山欽二郎

    杉山証人 日にちはよく記憶しておりませんが、一回は行きました。
  102. 佐竹新市

    佐竹(新)委員 その菊岡という人から私は直接に聞いておるのですが、あなたは塚元証人間組日野経理部長の承認を得て、砂田代議士へ渡すということで、現金百万円を受け取った、あなたは第二会館の中助松さんの部屋へたずねて行って、その中助松さんの部屋で菊岡英雄君と会って、そうして菊岡英雄氏とともに横浜駅へおもむいて、菊岡氏を通じて百万円を砂田代議士へ渡すということで、中代議士へ渡した、こう言っておるのですが、あなたはその事実はないと言うのですか。
  103. 杉山欽二郎

    杉山証人 それは先ほど申しましたように、一回あいさつをしに行っただけでありまして、運動すべては沢さんの方がやっておられたのですから、その件については私はよくわかりません。佐竹(新)委員 日野経理部長、それから間組塚元経理課長、この二人からあなたは百万円の金をもらって、そして中代議士の部屋へあなたがたずねて行ってあなたが菊岡へ渡した。そうして菊岡と一緒に横浜駅へ行って、中代議士のところで菊岡が中代議士へ渡した。こういうことを言っておるのですが、あなたはその事実はないと言うのですか。
  104. 杉山欽二郎

    杉山証人 それはよく記憶しません。
  105. 佐竹新市

    佐竹(新)委員 記憶せぬということは、行った事実があるように思うのですか。どうです。
  106. 杉山欽二郎

    杉山証人 ないように思います。
  107. 佐竹新市

    佐竹(新)委員 菊岡は行ったと言うのです。これは重大な問題なんです。後日、菊岡をこの委員会証人に求めて証言をしてもらわなければ、これは大きい問題です。あなたは経理部長経理課長からその承認を得て百万円の金を現金で持ってきて、そうしてこれを渡して下さいというときに、そういうことを言って菊岡は一緒に行ったというのです。その事実はないのですか。
  108. 杉山欽二郎

    杉山証人 記憶しておりません。
  109. 佐竹新市

    佐竹(新)委員 記憶しておらねばよいけれども、大体あなた方は先般も-沢証人が来ておれば後刻沢証人に問いますが、沢証人は第二会館において吉田委員と会われた、吉田委員と会われたときには吉田委員は初対面だから名刺を渡された、その名刺を持って行って社会党の方は全部押えたと言って間組へ行って、間組の方で相当な金を受け取っておるというような事実がある、みなあなた方らが指図して事件をうやむやにしようとしているのではないですか、どうですか。
  110. 杉山欽二郎

    杉山証人 そういうことは聞いておりませんし、そういうことはないと思います。
  111. 佐竹新市

    佐竹(新)委員 現にこの事件では菊岡という人が事件の中心であったことはあなたは御存じでありますか。防衛庁とかいろいろな方面に対してやったことは、全部初めからの運動の中心――今あなたが言われた沢君が菊岡氏を訪ねた、そうしてあらゆる運動の中心をやったことをあなたは御存じなんですか。それをきょう特に菊岡ということはよけるように、よけるようにされたことは、あなたらに何か思い当ることがあるのですか。
  112. 杉山欽二郎

    杉山証人 そういうことはありません。この人がこうで、あの人がああだというような私じゃございません。私はどうか皆さんがよいようにと思う気持で、何事もこの仕事の件については一生懸命に私はやってきたのであります。
  113. 佐竹新市

    佐竹(新)委員 皆さんによいようにということは、ものがあまり内容がわからぬために、あなたが一生懸命がんばってそのことを包み隠そうということがよいようにというふうに解釈してよろしいですか。
  114. 杉山欽二郎

    杉山証人 そういう意味でありません。私の言うのは、皆さんが気持よくそうしてこの仕事を完成さしたならばよいと思って邁進してやって、私は皆さんと気持よくその意味で相談にも乗りすべてにやってきた、それを言うのであります。
  115. 佐竹新市

    佐竹(新)委員 大体防衛庁では、今の松崎さんも、みな相当技術陣においては、このエンジンはどんなことをしてもだめなんだ、防衛庁の中にはだいぶ反対があった。ただあなたや塚元さんと深入りをして、そうしてものにしたのは、山下技官という人がおるが、あなたは山下技官を知っておられますか。
  116. 杉山欽二郎

    杉山証人 それは機械の運転に二、三人おいでになったときに、ごあいさつしたことは記憶しております。
  117. 佐竹新市

    佐竹(新)委員 あなたや塚元証人と一緒に銀座の六丁目の山下料亭というところでしょっちゅう会合して、この打ち合せを山下技官とやったというのですが、あなたはその事実をどうしても認めないのですか。
  118. 杉山欽二郎

    杉山証人 そういうことはありません。
  119. 佐竹新市

    佐竹(新)委員 ないといっても、一諸に行っている者があると言うているのに、あなたはどうしてもそれを認めぬのですか。もし後に事実そういうことかあるということになったら、あなたはいわゆる偽証になりますよ。
  120. 杉山欽二郎

    杉山証人 それは試運転をしたときに、お祝いの意味でお祝いをしたことは覚えておりますが、そのときに果していらっしゃったかいらっしゃらなかったかということは記憶しておりません。
  121. 佐竹新市

    佐竹(新)委員 試運転のときだけじゃない、試運転の前に防衛庁の中で反対が相当にあったときに、あなたや塚元さんが山下技官と山下料亭で再三、再四会って、そこでいろいろなことをした。そこが参謀本部であった。それから当時のいろいろな手を通じて――その当時の保安庁の北村研修所長、中村装備局長、林海幕総務部長、これらのところでどう政治工作をなされたか知らないが、よかろうということでとうとうあのむずかしい問題が売り込まれることに成功した。この成功に暗躍した人がだれであるか、あなたは知っておりますか。
  122. 杉山欽二郎

    杉山証人 それは前回から申しますように、運動は沢さんの方に一任してありますから、私はそういうところへはタッチしておりません。
  123. 佐竹新市

    佐竹(新)委員 沢さんはあなたにみな逐一運動の経過を事こまかに話をして、そしてあなたも沢さんも塚元さんも最後まで一心同体であったわけです。だからこれはどこをどういうようにして、どこがどうなっているかは、あなたがここで何ぼ否認されてもわれわれは調べてわかっておる。だからあなた方がどこをポイントとしてこの運動売り込みに成功したかということはあなたもわかっておると思う。わかっておらないなら私の方から言ってあげる。あなたは沢さんと一心同体で運動をやったのです。だからあなたはよくこの経過はわかっておるはずです。どうなのです。
  124. 杉山欽二郎

    杉山証人 一心同体とおっしゃいますが、運動の方は、何回言っても同じことであります。私は従来土建屋でありまして外交の方は非常に向かないので、沢さんに御一任してやったことですから、私の方ではよくそういうことを一々記憶しておりません。
  125. 佐竹新市

    佐竹(新)委員 それでは沢証人と塚本証人あとから出ますから、私はその方に質問したいと思いますので、この程度にします。
  126. 上林與市郎

    上林委員長 生田君。
  127. 生田宏一

    ○生田委員 さっきからお答えがあったものの中で、間組から二十九年にはあなたの方は手を引いてくれというのであなたの方は関係がなくなったという点、それは間組がどういうような考えであなたの方に手を引いてもらったのか、その聞の経緯について御説明願いたいと思います。
  128. 杉山欽二郎

    杉山証人 それはさきにも申しましたように、第一通商からキャンセルされまして、そうしてその当時にわれわれの方も運動がありましたが、それもうまくいかなかったもので、あまり長くなるからここらで一つ打ち切ってくれということで、二十九年の三月ころと思うのですがお話がありました。
  129. 生田宏一

    ○生田委員 そうすると保安庁の方へ間組が売り込んだのはそれ以後ということになりますか。
  130. 杉山欽二郎

    杉山証人 そうであります。その後であります。
  131. 生田宏一

    ○生田委員 第一通商の方からオーダーが来て、そうして商談が一応まとまったものが、ディーゼルでないということにはっきりしたのは二十七年のころじゃございませんか。
  132. 杉山欽二郎

    杉山証人 そうであります。
  133. 生田宏一

    ○生田委員 そうしますと、二十九年三月までに二カ年もそのままたっておるのですが、二十七年の理由が、二十九年にあなたに手を引いてくれといったときの理由でございますか。
  134. 杉山欽二郎

    杉山証人 いや、それは……。
  135. 生田宏一

    ○生田委員 だいぶお考えになっておるようでございますが、私は一つの推理を立てて伺っておるのです。間組が、最初のあなたのお話によると金融の側だということです。ところが、それは第一通商の方が買うということで金融を承諾した、その後第一通商の方が破談になったので、ディゼールだということでなしにガソリン用だということがわかったので、かなりたくさんの金、四千万円ばかり出したのであるが、四千万円はお前さんの方から支払ってくれればこの品物をこちらへ引き取ってくる、幾らで売れようとも間組としては希望はないから、こういうことをいわれたということをあなたが先ほど言われておる。それは二十七年以後のことに違いないと思う。二十七年以後でございますね。当然そうなると思いますが、金がなかったから、あなたの方では払えなかった。何とかこれをどこかで処分しなければ四千万円の金は払えないということになりますので、それで売り込みにいま一段の努力をした、こういうことになりますね。二十七年以後そういう努力を続けておったところが、二十九年になって間組の方が、正木君の証言によると一千五百万円を三友産業名義料として与え、あなたの書類にもそういうことが出ておる。無名義の何とかいうこと一が書いてありますね、ちょっと読んでみますから……。「間組においては二十九年三月、従来の形態(間組三友との間における無名契約的なもの?)について打切りの話があり、」といってありますから、非常にばく然としたお約束であったのでしょうけれども、三友が商売をすることについて間組金融をするというのが、考え方が、年がたつにつれて、また運動が進むにつれて、双方の間でいろいろ解釈の仕方やとり方が違った場面もあると思う。そういうような経過を経て、ついに間組がこの商売は二十九年三月には防衛庁なら防衛庁に売り込むことができるということが大体見通しがついたので、それで名義料を千五百万円三友へ渡して、今まで出した金については十五台分の方ができるならば十分に決済ができる額になるから、間組の方で引き取ってもよかろうというので、この商売は間組の方が引き取った。そういう段階になったので、間組はあれだけの大きな会社だから、あなた方のような人を入れて防衛庁と交渉するというようなことは筋の立たない話なので、間組本社と防衛庁の間で話をきめた、こういうことに自然になるかと思う。そこであなた方は間組の方から手を引いてくれ、しかしあなたにも七百五十万円、だれそれにも九百万円、だれそれにも六百五十万円というように、相当の運動費も渡してあることだから、それで皆さんの方は文句はなかろう、こういうことで間組が表面に乗り出したのじゃないか。そして最初金融ということが消えて、間組防衛庁の方へ売り込む、こういうことになったと私は一応推理して見ておるのですが、事実はそれと違いますか。その通りでございますか。
  136. 杉山欽二郎

    杉山証人 それはよく御説明を聞きましたが、間組さんの方では、富士重工から役所の方へ売り込みなさったでありましょう。
  137. 生田宏一

    ○生田委員 いや、私のお聞きしているのは、あなた方が断わられた理由はどこであったのか、こういうことです。
  138. 杉山欽二郎

    杉山証人 断わられたのは、あまり長くなったのと、それにつれてすべての経費もかかってくるので、ここで一つ打ち切ったらどうか、こういうようなことをおっしゃって、打ち切ったのであります。
  139. 生田宏一

    ○生田委員 そうすると、間組が何千万円か出した、その大金については、間組は、あなた方の方へ出し損を覚悟して打ち切ったのか、あるいはこの品物がもう少し高く売れるから、引き取っても損はしないというので打ち切ったのか、このどらかでございましょうか。
  140. 杉山欽二郎

    杉山証人 それは、もうあまり長くなるので、また内輪もめなんかしてはいけないというので打ち切ったものでございます。
  141. 生田宏一

    ○生田委員 そうすると品物は、間組の方が引き取ったのですか。
  142. 杉山欽二郎

    杉山証人 そうであります。さきに申しました一億四千七百万円の計算防衛庁へ渡しました。
  143. 生田宏一

    ○生田委員 間組が、あなたの方へ一億四千七百万を支払うことにして引き取ったのですか。あるいは間組がすでに出しただけの金額、あなたの方へ渡しただけの金額で引き取ったのか。あるいは間組は、なおその上に何千何百万円出す義務を負って引き取ったのですか。どちらでございますか。
  144. 杉山欽二郎

    杉山証人 それは、お組の方でどういうふうにお考えになったかわかりません。
  145. 生田宏一

    ○生田委員 おかしいですね。あなたは内輪もめがいくかもしれないと言われて、間組が打ち切ったのには、間組に何か理由があるのじゃなしに、あなた方の内輪の間に何かごたごたが起きそうだということで、間組はやむなく打ち切った。こういうようにあなたの言うのは聞えるのですが、そうすると自後において七千万円以上のものは、間組が義務を背負って打ち切ったはずはないのです。しかも原価というものはわずか松庫商店から五十万円、二十二台で一千百万円ですか、それを一千六十万円でやっているのですから、それだけしか原価はついていないものを七千万円も出して、六千万円というものはあなた方のふところに入っている。それがなおごたごたするのだから、あなた方に手を引いてくれというのに、どうしてその自後において七千幾百万円の義務を負うてその品物を間組が引き取らぬのでしょうか。あなた方の方はこれで引き下りますと言って引き下らなければならないような状態で、間組から拒絶を受けていると思いますがいかがですか。
  146. 杉山欽二郎

    杉山証人 それで引き下ったのであります。それで全部の総括した清算をその後にいたしたのであります。
  147. 生田宏一

    ○生田委員 その一億四千七百万円というものは、あなた方が間組から受け取る金額ですか。
  148. 杉山欽二郎

    杉山証人 そうであります。それはさきに申しました七千三百二十三万円と、それに対する金利と、それから諸経費を加えたものが、一億一千弱のもので、それを差し引いた三千七百七十万のものは、これは十五台まとまったときに、金利とそれから諸経費を引いた残額を払うからというて預けてあるのであります。
  149. 生田宏一

    ○生田委員 それじゃ伺いますが、かりに十五台まとまったとしますか。そうすると十五台まとまれば、間組は幾らもうかる計算になりますか。それはあなたよく御存じでしょう。
  150. 杉山欽二郎

    杉山証人 それは富士重工の整備費並びに部品をとったその額が私にはわかりませんから、その差し引きがつかないのですから、間組さんの方で幾ら金がもうかりますか、それはわかりません。
  151. 生田宏一

    ○生田委員 それは二百九十万円と、こういうことになっておりますので、それで計算してみていただいたらどうでしょう。三百万円といっておりますけれども、実際は二百九十万円、三百万円と計算して幾らもうかるでしょうか。
  152. 杉山欽二郎

    杉山証人 それがわからぬと、やはり計算が出ないのであります。
  153. 生田宏一

    ○生田委員 三百万円とわかっているのじゃないですか。
  154. 杉山欽二郎

    杉山証人 一台三百万円ですか。――(「鉛筆で計算しなさいよ。」と呼ぶ者あり)――それはよくわかりません。
  155. 生田宏一

    ○生田委員 それじゃ聞きますが、まる三カ年少々になると思いますが、その間の七千三百二十万円の金に対する・しかもそれは二十七年度、二十八年度、二十九年度と出ておりますので、まる三カ年と見て、金利関係からいえば一カ年半です。最初はわずかですからね。ですから二十九年度に出したものについては二カ年分、それから二十八年度に出したものは一カ年分だけしか日歩計算はできませんから、それで七千幾百万円に対する二カ年弱の金利計算をして、間組に対してあなた方は幾らの金をお出しになる御計算でございますか。それをお約束ができたそうですから…-・。ちょっと三千万円と聞いたのですが、間違いありませんか。
  156. 杉山欽二郎

    杉山証人 それは金利とそれから諸経費を加えたものが三千六百万、でありますから日歩二銭七厘か、三銭までいかずに換算したものとそれから諸経費を加えたものが三千六百万円……。
  157. 生田宏一

    ○生田委員 諸経費はそのうちの幾らでございますか。
  158. 杉山欽二郎

    杉山証人 それは今ここで忘れました。
  159. 生田宏一

    ○生田委員 あなたの前に来られた正木君は間組松庫商店との間における契約の担当者になっておりますね。その正木君が間組に対しては、日歩十銭にして三千万円の金利間組の方へ支払うことを了承したということをこの前の委員会証言をしておるのですが、それは間違いがございませんか。あなたは御存じないとおっしゃるのですが、あるいは御存じなければ御存じないでいいんですが、存じておられるならば、その金利計算というものは、日歩十銭にして三千万円とこう言っておるのは間違いがありませんか、どうですか。
  160. 杉山欽二郎

    杉山証人 日歩十銭という金利につきましては私は記憶がないのであります。
  161. 生田宏一

    ○生田委員 一億四千七百万円という金が出た計算の基礎はどういう理由でございますか。
  162. 杉山欽二郎

    杉山証人 それは最初ディーゼルであった場合には、全部整備して、部品をつけて商品として取り扱えるときにはたしか九百五十万だったですか、それを今度ディーゼルでない場合には、今度ガソリンに変りましたからそこで六十万減して、九百幾らだったかな、いや七百九十五万――一台七百九十五万はディーゼルのときで、それから六十万を引いた七百三十五万が一台のきめとして、最初松庫から入れたときは二十二台あったんですけれども、そのうち二台はホールス・コットでありまして、パッカードマリンエンジンは二十台ありました。それが今度はガソリンということがわかってからの契約ですから、その二十台に七百三十五万をかけたものが一億四千七百万円になるわけです。
  163. 生田宏一

    ○生田委員 この間防衛庁にお聞きしたときには二十二台ではなしに、二台はホールス・コットであったが、あとの五台が使用に耐えないものであったので、使えるものは十五台だ。それで  一億四千七百万円に対する十五台分の原価計算は九百五十万円になる。そしてそれに三百万円の手直し料を加える一と千二百五十万円になるのですが、そういうことで防衛庁は千二百五十万円を買ったということの官庁の物品購入の基礎を明らかにしておるのです。あなた方はなんでございますか、一億四千七百万円というのは、十五台分のものを防衛庁へ出したのですか。一億四千七百万という計算の基礎は、十五台のパッカードマリンエンジンじゃなしに、二十台のパッカードマリンエンジンを手に入れて、二十台分を基礎として出した数字だ、こういうことになりますね。今のあなたの言われることですとそういうことになりますね。そうすると、防衛庁の言うのとこの計算の基礎が違ってくるのですが、それはまたあと防衛庁に聞きますが、石井次長がおられますから、もし御説明ができるなら説明して下さい。
  164. 上林與市郎

    上林委員長 どうでしょうか、証人証言を終ったあとで……。
  165. 生田宏一

    ○生田委員 そうすると、もう一ぺん、一億四千五百万円をあなたが間組からもらう権利があるということを、一つこまかく数字をあげてみてくれませんか。そうしないと、間組が一億四千七百万円渡したと言い切っているのですから、一億四千七百万円という数字が出てきた基礎があなたの方でわかっているはずです。間組が幾らもうかるかもうからぬかは別として……。
  166. 杉山欽二郎

    杉山証人 それは先に申しましたように一台を整備して商品として取り扱えるようにしたときに、一台に対して七百三十五万の計算で二十台でありますから、一億四千七百万円になります。
  167. 生田宏一

    ○生田委員 一億四千七百万円という原価には、あなた方が運動費をもらった金も加わっているし、松庫へ払った千六十万円も入っているし、一切がっさい全部それに要した金ということになりますね。
  168. 杉山欽二郎

    杉山証人 さようでございます。
  169. 生田宏一

    ○生田委員 そうするとあなた方は五十万円で買ったものを間組に七百八十万円で売りつけたということになりますか、幾らになりますか。七百三十五万円ですか、売りつけたということになりますが、間違いございませんね。
  170. 杉山欽二郎

    杉山証人 それは今の整備費、それから部品代それに機械代、運動費、諸雑費、そういうようなものを全部加えるからそういう数字が出るのであります。
  171. 生田宏一

    ○生田委員 あなたはこの件で自分の資金は一銭も出しておらぬのでしょうね。
  172. 杉山欽二郎

    杉山証人 これは最初正木君が大井田君に持っていって、大井田君が私に話を持ってきた当時運動費がありませんでして、私は自分のうちを、大井田君の親戚の人に抵当に入れて金を借りてまでこの運動へ投資しました。
  173. 生田宏一

    ○生田委員 それが大体概算で幾らでございますか。
  174. 杉山欽二郎

    杉山証人 この金は最初のとっかかりで二十万ほどでありました。
  175. 生田宏一

    ○生田委員 二十万ということは一億四千七百万円から言えばほんの少額でございますから、それでお尋ねいたしますが、それ以外にはみな間組が出した金でございますね。
  176. 杉山欽二郎

    杉山証人 そうであります、ほとんど。
  177. 生田宏一

    ○生田委員 そうすると間組昭和二十七年には自分の方は三千三百万円金を出している。二十八年には二千二百九十八万円出している。二十九年の三月までにはわずかに四十八万円しか出していない。ですからあなた方が断わられるまでには――二十九年三月に手を引けと言われたときは、間組は五千六百五十万円しか金を出しておりません、よろしゅうございますか。にもかかわらず二十九年の三月以降は間組は二千二百万円金を出している。三十年には千七百万円出している。間としては九千五百五十万円しか出していない。これが一切に要した金です。それでもって一億四千七百万円という金を領収できるという計算が起きてこないじゃありませんか。二十九年三月には――そしてなおかつあなた方が手を引いたときには、わずか五千六百万円しか出していない、そうでしょう。そうすると一億四千七百万円という金は、あなたが手を引いたときを限度として計算をすべきものであって、その後においては間が幾ら金を使おうとあなたの知ったことじゃない、あなたの方に請求権はありません。一億七千五百万円を請求したのはどういうわけですか。
  178. 杉山欽二郎

    杉山証人 それは今の七千三百二十三万の三友の取引分と、さきにも申しましたように金利と組が立てかえた部品代とかいう経費を加えたものが三千六百万円余りになるのです。それを加えるから一億一千万円弱になるのですが、それを差し引くと三千七百七十万という数字が出るのであります。この出た数字は、十五台まとまったときには、この金利と諸経費を引いたあとのものは預かっておるものから返してやる、また今後金利もかかるだろうし、諸雑費もかかるからというお話でありました。
  179. 生田宏一

    ○生田委員 おかしいじゃありませんか。十五台話がまとまったということは間組の努力によってまとまった、そうでしょう。あなた方が手を引いた後のこの商談が成立するかしないかは間組の努力によるものであって、あなた一方の努力によるものではない、少くとも、あなた方が仲間割れをするような関係だからというので、間は打ち切ってもらいたいということであなた方を事件から切り離させた、それなのに取引の計算だけは間組が努力をして利益を得たものの中から間組があなた方の努力賃を支払う義務を負うというようなことは、普通の商取引じゃ考えられないことです。間組のようながっちりしたものがそんな金を払うとは考えられない、だから一億四千七百万円というのは、これは正木君が言っているように――この前この委員会で言っているのですが、これは実際に受け取った金額とは違うし、これは間組から頼まれてこう書いたのです。実際にわれわれと間組との間で相談して取引のできた数字じゃありませんと言っておる。これはにせの領収書だということを正木君はここではっきり言っておるのであります。私が今ちゃんとこのことの数字を立ててみても間組から頼まれて書いたというようにしか考えられない。何となればあなた方の努力によってできた商談じやなしに、あなた方が手を引いた後に間組が努力をしてできた商談です。あなた方は三年間御苦労なすったけれども、みな一人前六百万円から九百万円くらいのあなた方の努力に対する報酬というものは運動費の形式で間から出ている。なおその上に松庫へはわずかに一千四十万円しか払っていない。これは品物の原価ですよ。それをあなた方には五百万円から  一千万円の間の金が出ている。その上にまだ修繕費も出ている、手直し料も出ている、試運転の費用も出ている、それはみな間組から出ている。そういうふうに金を出しておいて、なおかっこの商談がまとまったらあなたには三千万円近くの金もまたこの上に差し上げますというようなばかな取引が一体世の中にあると思いますか。僕はないと思う。そこのところを、あなた方と間との間の取引の事情をほんとうに言って下さい。そうしないと防衛庁は  一体何をしておったかということにな-るのです。
  180. 杉山欽二郎

    杉山証人 そういうふうにおっしゃいますが、さきに申しました七千三百二十三万円の金利とそれから今の諸経費を入れたもので一億一千で、それを差し引いたものが三千七百七十万で、その金を間組さんの方でみなくれるのじゃありません。初めの約束で十五台売れたときには金利経費を引いた残額をやるというのですから、その計算をしてみて十五台がここ半年で売れればよろしいけれども、今まで三年も四年もかかっているのですから、また一年延びた場合に換算するともらえないことになるかもしれないのです。
  181. 生田宏一

    ○生田委員 それで伺いますが、あなたは金利関係でここ二、三年もたてばもらえなくなるのじゃないかと言っておられる。よろしゅうございますか、こういうような取引をしたときに、一方が金を立てかえてもらったり立てかえたりする場合に商売がおくれて金を立てかえた方が迷惑をごうむったときには金利計算をするのは当りまえです。たとえば間組が建設省の仕事をしたときに、工事が延びたからといって間組がもらう金利というものは、銀行だけで金を借りていれば銀行金利計算するのです。おそらく間組のようなものは銀行だけで借りておるに違いない、また個人で借りているところもありましょうけれども、そういうものがかりにあったところでああいう大きいところは銀行が取引先ですから銀行金利計算するのです。ところが七千万円の金を-昭和三十年度では九千万円になりますが、九千万円の金をまたこれで二カ年少々立てかえたということになるのでしょう、立てかえてやってみるとその金利が三千万円になる、これはもう銀行金利計算できない数です。また二年ほどすると三千万円が消えてしまうということになると、これ・もまた想像できない無茶な金利で、金利の取締りの法律からいえば、たとえば商売にしておればすぐに検挙される。こんな六千万円もの金利で、九千万円出して、そして三年の間に間組がとるということになれば、これは商売で少しももうからぬでも金利でよほどもうかったことになる。あなたはそういう正直なことを先ほど言われたのですが、もう二年もすれば金利でもらうものがなくなると言ったのは、この間の日歩十銭の金利はひどいじゃないかというようなことではな’かと思うのです。しかし間組は金貸し業じゃありませんから、かりに一時的に金利をそう高くとってもあるいは法律に触れないかもしれない、そこに僕は疑問の点があるのです。ですから一億四千七百万円というのはほんとうにあなた方が納得した数字なのか、あるいは防衛庁に売り込むために一億七千五百万円という金額をこしらえたのか、こしらえてみてあとであなた方――1この一億四千七百万円の領収書というのは事実に違っているのだということを正木君がこの委員会証言をしておるのですが、とするならば防衛庁に対しては間組が変なことをしたことになる、あなた方も一緒に謀議でそういうことをしたことになる、そういうことになっては困るからというので、あなた方としては、では金利でそれを一つ持ち上げようじゃないか、十五台売れなければその金利も加算していこうじゃないか、そうお考えになるのじゃないかと私は思う。私がそう思うのは、あなた一つ間違ったことを言っているのは、防衛庁へちょっと六台売れれば七千万円くらい入ってきます。そうすると間組が出した九千万円のうちの七千万円は三十一年度の三月には領収するわけです、立てかえ分はわずか二千万円になります、二千万円であと二年か三年いったところで売り込みの諸経費金利で三千万円消えてしまうという話はこれは主客転倒で、そんなべらぼうな話はありません。ですから一億四千七百万円というのは、当初は何げなしにこしらえた数字であったけれども、言訳しにくくなるから金利関係を出したのではないかと僕は推測しておるのです。その推測を、今あなたのお話ではどうしても釈然とできない、それで私はお尋ねしてみたのです。これは私の推理ですから間違っておるか間違っておらないか、また実際の社会常識からいって、私の言っておることは正しいと思いますが、それでもあなたはなお私の言っていることが違うとおっしゃるなら違う。その通りならその通りとおっしゃって下さい。それだけお答え願えれば私はお尋ねをやめておきます。
  182. 杉山欽二郎

    杉山証人 それは前回にも申し上げました通り金融で事が始まったときに、金利は長期化するということをはっきりと言われておりますから、私の方はその金利の換算とそれから立てかえた諸払いのものを換算して、そうして差し引かれてきたのだから、これは無理はないと私は思っております。
  183. 上林與市郎

    上林委員長 坂本君。
  184. 坂本泰良

    ○坂本委員 簡単に二点ばかり伺いますが、今じゅんじゅんと聞かれた点に関連するのですが、証人この領収書をちょっと見て下さい。それは一億四千七百万円の領収書なんですが、この領収書は正木証人証言によると、間組の応接間で経理課長立ち会いの上であなたも同道してその領収書を出した、こう言っておるのですが、あなた覚えはありませんか。
  185. 杉山欽二郎

    杉山証人 …………。
  186. 坂本泰良

    ○坂本委員 それは領収書を写真にとったのだから領収書そのままですよ。
  187. 杉山欽二郎

    杉山証人 これは私はよく記憶しておりませんですが、何かの間違いじゃないかとも思いますが……。
  188. 坂本泰良

    ○坂本委員 そういうとぼけたことを言わずに、あなたも立ち会って間組の応接間でもらったとあなたの親友の正木氏がそう証言しておるのですよ。
  189. 杉山欽二郎

    杉山証人 これは日にちは二十七年でありますか。
  190. 坂本泰良

    ○坂本委員 見て下さい。領収書を写真に写したのですから、領収書はそのようになっておるのです。
  191. 杉山欽二郎

    杉山証人 よくあとで調べてみます。
  192. 坂本泰良

    ○坂本委員 あとで調べるのでなくて、あなたは今日は証人ですからね。あなた立ち会いの上で間組の応接間でその領収書を間組にやった、こう言うでおるのですがね。あなたは覚えはありませんか。
  193. 杉山欽二郎

    杉山証人 一億四千万はさっきからずっと申しておりますように、それはちょうだいすべき金であるからちょうだいすべきでありますが、日にちがここに二十七年七月とありますから、そこがどうしたのだろうかと思うのであります。
  194. 坂本泰良

    ○坂本委員 正木恒作氏の証言によると、それは二十七年の九月ころに作ったので、日はさかのぼって七月二十六日にしたと言うのですがあなたは記憶いたしませんか。
  195. 杉山欽二郎

    杉山証人 それならばわかります。ただ私は証言に日にちが違うのではないかという懸念がありましたから……。
  196. 坂本泰良

    ○坂本委員 そういたしますと正木証人が言っているように、その日づけで――日づけはあなたは記憶なければ、日づけ以外のそういう領収書を二十七年九月ごろ正木氏と一緒に行って、間組に渡した、そういう記憶はありますか。
  197. 杉山欽二郎

    杉山証人 そこが私記憶がはっきりわからないのです。
  198. 坂本泰良

    ○坂本委員 それではこう聞きましょう。それでは日にちの点はわからぬが、その一億四千七百万円の領収書を間組に渡したことは覚えがありますか。
  199. 杉山欽二郎

    杉山証人 一億四千七百万という金はちょうだいすべき金ですから、領収書を出すのは当りまえでありますが……。日にちは……・。
  200. 坂本泰良

    ○坂本委員 それでは日にちの点にこだわらずに、そういう領収需を出したのは覚えがありますか。
  201. 杉山欽二郎

    杉山証人 忘れました。
  202. 坂本泰良

    ○坂本委員 知っていることを言わないと偽証になりますからね。その点よく気をつけて下さい。  もう一点お聞きしたいのは、先ほどの証言によると雑費の一は百九十万円、雑費の二は二百六、七十万円、そうおっしゃいましたが、これは二百六、七十万の方が運動するための、いろいろ商談その他で飲み食い、その他いろいろやられた雑費になるわけですか、どうですか。
  203. 杉山欽二郎

    杉山証人 その百九十万の方がそれであります。それから二百六、七十万と申しました方が、四年間通じこの諸雑費であります。一〇坂本委員 そういたしますと、百九十万がいろいろ商談その他をやるときの、いろいろ食事をするとか、そういう費用だ、そういうふうに受け取ってよいですか。
  204. 杉山欽二郎

    杉山証人 その百九十万でありますか――それはみなでそれまできた経費であります。
  205. 坂本泰良

    ○坂本委員 そういたしますと、その百九十万の飲み食いは、みなとおっしゃるから、あなた、沢、正木、こういう方々ですね。こういう方々が使われた金だ。こういうふうになるわけですね。
  206. 杉山欽二郎

    杉山証人 さようであります。それに台湾の方の運動をしたこともありますし、第一通商さんの方の話もありましたし、三菱重工の話もありましたし、それらが一貫してずっと要った雑費であります。
  207. 坂本泰良

    ○坂本委員 防衛庁運動した費用もやはりこれに入っておるのではありませんか。
  208. 杉山欽二郎

    杉山証人 それは私の方ではそういうのはありませんです。
  209. 坂本泰良

    ○坂本委員 先ほど来の証言によると、第一通商もあったでしょう。それから大森トラクターもあったでしょう。防衛庁もあったわけですね。だからあなた方が防衛庁その他で交渉する際に使った費用もこの中に入っておると思うのですがどうですか。
  210. 杉山欽二郎

    杉山証人 それは防衛庁に沢さんと一緒に行くようなことはありませんです。
  211. 坂本泰良

    ○坂本委員 山下技官が試運転に来た。銀座の山下料亭でやった。この費用もやはりこの百九十万円のうちに入っておりますか。
  212. 杉山欽二郎

    杉山証人 それはあのときの試運転の何でありましたが……。
  213. 坂本泰良

    ○坂本委員 これに入っておるでしょうか。
  214. 杉山欽二郎

    杉山証人 よく記憶しません。
  215. 坂本泰良

    ○坂本委員 あなたは運動をしたからといって七百五十万とっておられるが、どんな運動をされましたか。
  216. 杉山欽二郎

    杉山証人 私の七百五十万というのは、これに対する給料からすべて私としての範囲のものもありましたし、いろんなことで使ったのであります。
  217. 坂本泰良

    ○坂本委員 七百五十万という大金ですよ。どんな運動に使ったのですか。どういう運動をしたのですか。それとも運動もせずに七百五十万まる取りしたのですか。その点はどうですか。
  218. 杉山欽二郎

    杉山証人 その中には運動費も多少はありますが、それ以外は……。
  219. 坂本泰良

    ○坂本委員 そうすると、あなたはあまり運動費そのものは使わずに七百五十万もらった、こうなるわけですね。
  220. 杉山欽二郎

    杉山証人 月給からすべて私はこれで全部まかなったのでありますから……。
  221. 坂本泰良

    ○坂本委員 そうしたら月給からすべを「まかなったならば、このエンジンの売買についてどういう運動をされましたか。どういう仕事をしたのですしか。大きなところだけでいいですよ。
  222. 杉山欽二郎

    杉山証人 それは沢さんを運動者として運動していただくようにするため私がお願いした。操縦と、そしてそれに岩間君、それから正木君の何、間組さんに対する交渉、すべてを私がやったのでありますから、その辺は御想像にまかせます。
  223. 坂本泰良

    ○坂本委員 あなたは防衛庁の林幕僚長とか、北村研修所長というような方は知っておられますか。
  224. 杉山欽二郎

    杉山証人 一ぺんあいさつに行った折にいらっしゃったことは記憶しております。
  225. 坂本泰良

    ○坂本委員 中村装備局長は知っておりますか。
  226. 杉山欽二郎

    杉山証人 それは先に申しましたように、あいさつに行ったとき、一回知っております。
  227. 坂本泰良

    ○坂本委員 あなたは七百五十万円も運動費を取っておるわけですが、一回あいさつに行っただけじゃないでしょう。何回も売り込み運動に行っておるのじゃないですか。どうです、その点は……。
  228. 杉山欽二郎

    杉山証人 私はその運動にはたびたび行っておりません。私はあいさつに打った程度で、沢さんに行っていただいたのであります。
  229. 坂本泰良

    ○坂本委員 もうよろしゅうございます。
  230. 上林與市郎

    上林委員長 臼井君。
  231. 臼井莊一

    ○臼井委員 簡単に一点お伺いしますが、防衛庁が試運転に来られたのはいつごろでございますか。
  232. 杉山欽二郎

    杉山証人 よく記憶しませんが……。
  233. 臼井莊一

    ○臼井委員 あなたが二十九年三月に十を引くというそのときから起算したら、およそいつごろだったかということはわかりませんか。
  234. 杉山欽二郎

    杉山証人 日にちははっきり記憶しておりませんが、試運転においでになりとき、二回ほど記憶しております。
  235. 臼井莊一

    ○臼井委員 その来られた目的は、エンジン防衛庁に買ってもらいたいという運動をせられて、それで見に来られたのですか。
  236. 杉山欽二郎

    杉山証人 それは機械がどのくらいの能率かどうか、そういうことをお調べにおいでになったのじゃないかと思います。
  237. 臼井莊一

    ○臼井委員 そうすると、単にこのエンジンディーゼルであるかあるいはガソリンであるかというその鑑定を求めるためじゃなくて、場合によっては防衛庁で買おうというので二回ほど試運転で来た、こういうふうに了承してよろしいかどうか。
  238. 杉山欽二郎

    杉山証人 私のところは、機械の能率とかすべてをお調べにいらっしゃったことと思います。
  239. 上林與市郎

    上林委員長 細田君。簡単に願います。
  240. 細田綱吉

    ○細田委員 間組から最初二千万円融資を受けた、それはいつですか。
  241. 杉山欽二郎

    杉山証人 二十七年の七月ごろと記憶しております。
  242. 細田綱吉

    ○細田委員 それから間組に持ち込んだときはディーゼルエンジンだということで持ち込んだのですか。
  243. 杉山欽二郎

    杉山証人 ディーゼルエンジンということで持ち込んだのであります。
  244. 細田綱吉

    ○細田委員 それはいつごろですか。
  245. 杉山欽二郎

    杉山証人 それはさきに申しましたように、第一通商の話が出て、それがオーダーが出てきまったときに松庫商店へ納めるときのことなんです。
  246. 細田綱吉

    ○細田委員 年はいつですか。
  247. 杉山欽二郎

    杉山証人 日にちは確実なことはわかりませんが、二十七年です。
  248. 細田綱吉

    ○細田委員 ガソリンエンジンだということはいつわかったのですか。
  249. 杉山欽二郎

    杉山証人 ガソリンエンジンということはトラクターさんの方へ持って行って整備したときだったと記憶しております。
  250. 細田綱吉

    ○細田委員 それは大よそいつです。
  251. 杉山欽二郎

    杉山証人 日にちのことは記憶しておりません。
  252. 細田綱吉

    ○細田委員 これは普通、ガソリンエンジンディーゼルエンジンかは、専門家が見ればすぐわかる。間組では、品物になって、ただぽんと二千万円の金をあなたたちに出してくれた。
  253. 杉山欽二郎

    杉山証人 何でありますか。
  254. 細田綱吉

    ○細田委員 間組ではエンジンも見ないで、あなたたちに二千万円の融資を簡単にしてくれたのですかと言うのです。
  255. 杉山欽二郎

    杉山証人 それは機械をごらんになりました。
  256. 細田綱吉

    ○細田委員 だって違うじゃないか。大体トラクター、トラック屋で運んだときに、ガソリンエンジンだということがわかったと、こう言うのでしょう、あなたのおっしゃるのは。
  257. 杉山欽二郎

    杉山証人 さようです。
  258. 細田綱吉

    ○細田委員 それは二十七年七月以降だ、二千万円借りたのは二十七年の七月だと言うのでしょう。
  259. 杉山欽二郎

    杉山証人 さようです。
  260. 細田綱吉

    ○細田委員 だから違う。
  261. 杉山欽二郎

    杉山証人 だからそれはその前に、これは浅草の蔵前に機械があったのであります。それを見に行っていただいて、話がきまったから、新橋の汐留倉庫へ倉荷証券で入れたのであります。でありますから、日にちから申しますと、蔵前にあったのはそれよりずっと一前になって、その当時、組では見ていただいたのでありますから、よくわかっているはずであります。
  262. 細田綱吉

    ○細田委員 だから、あなたたちが間組に持ち込んで機械を見てもらったのだから、当初から間組ではガソリンエンジンだということはわかっていたわけでしょう。
  263. 杉山欽二郎

    杉山証人 組では、むろん間組さんでもわからず、私も知らなかったのであります。ただそのとき大井田さんが、これはディーゼルエンジンだか-らということと、それから正木君がこれはディーゼルエンジンだという話ですから、正木君はエンジニアでありますから、私もああそうかな、こう思ったのであります。だからその話をその通りに持っていったのであります。間組さんの方でもまたこれも調べなければならぬとお思いになったものですから、池貝のエンジニアの人をお呼びになって、ごらんになったのであります。そのときもディーゼルだとおっしゃったのであります。でありますから私としましても、ああこれはディーゼルでよかったなと思うておったのであります。その後トラクターで試験をしたときに、ガソリンじゃということで、私もびっくりしたのであります。それでそのときにも、私は正木君に言うたことを記憶しておりますが、ディーゼルガソリンとの差はどこにあるのかということを、私は正木君に聞いたことがあるのです。そのとき正木君いわく、ディーゼルというのは軽油や重油を使う機械ディーゼルであって、ガソリンガソリンを使うので、そこの差があるのだというから、トラクターで、じゃあ一つ軽油をもって試験をしてもらいたいというので、軽油も使うてエンジンを回したのであります。
  264. 上林與市郎

    上林委員長 杉山証人に対してはこの程度でいかがでしょうか。
  265. 細田綱吉

    ○細田委員 もう一点だけ。山下であなたがみんなと会って、そのときに集まっておる人はだれとだれでした。
  266. 杉山欽二郎

    杉山証人 よく記憶しておりませんです。
  267. 細田綱吉

    ○細田委員 そんなことはないでしょう。あなたはわざわざ慰労ですか何かで、集まったというのでしょう。さっきの話では、とにかく初めて一度会ったという。何回もあるなら、最初だれが来て、二回目だれが来たからわからないということもあるかもしれぬが、たった一回で、しかも慰労のためにやったというのでしょう。だれが来たのかわからないことはないと思うが、どうですか。
  268. 杉山欽二郎

    杉山証人 慰労ではありません。ちょうど私はその日は、何かの仕事の都合がありましたもので、その場所を、すぐほかへ用事があって変ったもので、よく記憶しておらないのです。
  269. 細田綱吉

    ○細田委員 その山下の会合は、主催者はだれでした。
  270. 杉山欽二郎

    杉山証人 山下の会合というて、それはさっき申された……。
  271. 細田綱吉

    ○細田委員 だれが招待した……。
  272. 杉山欽二郎

    杉山証人 試運転をしたときのことでありましょうか。
  273. 細田綱吉

    ○細田委員 そうそう、あなたがそのときだという、そのときの……、いやいや、だれが招待したのだという……。
  274. 杉山欽二郎

    杉山証人 それはよく記憶しておりません。
  275. 上林與市郎

    上林委員長 この程度でよろしいでしょう。  それでは杉山証人につきましてはこの程度で終ります。杉山証人には長時間御苦労様でした。退席されてけっこうです。  それでは次に沢証人より証言を求めることにいたします。  沢董君に相違ございませんね。
  276. 沢董

    沢証人 はあ、そうでございます。
  277. 上林與市郎

    上林委員長 相違なきものと認めます。  それではこれより証言を求めることといたしますが、証言を求める前に沢証人に一言申し上げます。昭和二十二年法律第二百二十五号、議院における証人宣誓及び証言等に関する法律によりまして、証人証言を求める場合には、その前に宣誓をしなければならないことと相なっております。宣誓または証言を拒むことのできるのは、証言が、証人または証人配偶者、四親等内の血族もしくは三親等内の姻族または証人とこれらの親族関係にあった者及び証人の後見人または証人の後見を受ける者の刑事上の訴追または処罰を招くおそれのある事項に関するとき、またはこれらの者の恥辱に帰すべき事項に関するとき、及び、医師歯科医師、薬剤師、薬種商、産婆、弁護士、弁理士弁護人公証人、宗教または祷祀の職にある者またはこれらの職にあった者が職務上知った事実であって黙秘すべきものについて尋問を受けたときに限られておりまして、それ以外には証言を拒むことはできないことになっております。しかして、証人が正当の理由がなくて宣誓または証言を拒んだときは一年以下の禁錮または一万円以下の罰金に処せられ、かつ宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは三月以上十年以下の懲役に処せられることとなっておる次第であります。このことを御承知になっておいていただきたいと思います。  では、法律の定めるところによりまして、証人宣誓を求めます。御起立を願います。  宣誓書朗読して下さい。   〔証人沢董朗読〕    宣誓書   良心に従って、真実を述べ、何事もかくさず、また何事もつけ加えないことを誓います。
  278. 上林與市郎

    上林委員長 それでは署名捺印願います。   〔証人宣誓書署名捺印
  279. 上林與市郎

    上林委員長 それではこれより証言を求めますが、証人が発言する場合にはそのつど委員長の許可を求められること、及び発言は証言を求められた範囲に限られることになっておりますから、御承知を願います。  それではただしまより尋問に入ります。発言の通告がございますが、御了承を願いました順序に従ってこれを許します。まず、吉田賢一君。
  280. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 証人に伺います。ただいまあなたがお読み上げになりました通りに、証人として証言せられる以上は、あなたの良心に従って述べていただかなければいけませんから、間違いのないように念を押しておきます。  さき杉山証人の述べるところによりますると、今問題になっておりまする間組から、富士重工の名義によって保安庁及び防衛庁へパッカードマリンエンジンを売り込んでおる案件につきまして、当初保安庁売り込み運動はあなたが主たる役割をしておったのである。各般の場合にほとんどあなたがやったのだ。こういうのが杉山証人証言だったのであります。そこであなたに逐次お伺いすることにいたしますが、第一、昭和二十七年ごろは、あなたと間組との関係はどういうことだったのでありましょうか。
  281. 沢董

    沢証人 御答弁申し上げます。昭和二十七年ごろは、私は間と直接関係は-なかったが、昭和七、八年ごろ、間の先々代副社長の楠目省介君と知り合いでありました。その関係で間は存じておりましたけれども、この件については初めて杉山君に紹介を受けた次第でございます。
  282. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そこでパッカードエンジン保安庁などへ売り込む運動につきましてあなたはいつだれから頼まれてこれに着手することになったのですか。
  283. 沢董

    沢証人 昭和二十七年六月の末、ころであったかと思います。杉山正木岩間という三人が私のところへ参りまして、パッカードディーゼルエンジンがあるが、あなたは顔がお広いから何とかこれを処理してもらいたいということだったので、私は、そう簡単にはいかぬけれども、一応エンジンというものに対する認識が薄いのだから、専門家に尋ねて、それから考えてやろうということで、その当時三菱の東日本重工業の横浜ドックの高橋渉外課長にこれを持っていって相談しに行ったことがあります。それから端を発してきたことなのであります。
  284. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そこで高橋に尋ねた結果はどういう答弁になったのでありましょうか。
  285. 沢董

    沢証人 高橋渉外課長は、名前を忘れましたけれども、技術課長の帆足とかいう人に相談をした結果、杉山正木が持ってきましたリストを見てみると、これがディーゼルエンジンでないような気がする。特殊なエンジンで、航空機の変体のマリンエンジンのように考えるが、おもしろい機械であるからよそにはあまり回さずに置いておいてもらたいものだという賛がありました。
  286. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 当時このエンジンはどこの所有であったとあなたは考えましたか。
  287. 沢董

    沢証人 正木杉山の話によると、自分らが所有いたしておるというような、権限の中にあるということを言っておったように記憶いたしております。
  288. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 自分たちの権限であろうかもしれませんが、所有者はだれであったか。つまり間であるのか、三友であるのか、松庫であるのか、それはどうだったのですか。
  289. 沢董

    沢証人 それは私はよくわかりません。
  290. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そこであなたは売却のあっせんをすることになったわけですか。
  291. 沢董

    沢証人 その通りであります。
  292. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そこでどの方面へあっせんをいたしましたか。
  293. 沢董

    沢証人 なるべくならば三菱商事の方にやってもらいたいと考えて三菱に交渉したのでありまするけれども、その間に話をいたしておきました三井系統の第一通商が話が進んで参りました。
  294. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 第一通商への売却の話はいつどういうふうな結末にあったのでありましょう。
  295. 沢董

    沢証人 第一通商の話は七月、ころだったと思っておりますが、ディーゼルエンジンであるということで正木杉山――このときに間が入ってきたわけでございますが、間さんの意見ではディーゼルエンジンだということでありますが、私は三菱で尋ねたときにはディーゼルでないように言うておるがどうかということであったけれども、間の塚元課長が池貝鉄工所の某重役、名前は忘れましたけれども、重役が見た結果もディーゼルであるということで、三井との間にコントラクトができたわけであります。
  296. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そこでその第一通商との売却の話は八台で結局それは第一通商の方からキャンセルしてきた、これは以前に正木証人の言ったことであるが、そうでありますか。
  297. 沢董

    沢証人 ゼィーゼル・エンジンでないということが大森のトラクターの工場で検査したときにわかったそうであります。そのときは私は立ち会っておりません。そういう結果において三井はこれをキャンセルしたそうであります。
  298. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そこで七月になつて、大森のトラクターの会社の名前が出たのですが、その当時はすでにそのエンジンは間の所有になっておったことは御承知ですか。
  299. 沢董

    沢証人 承知いたしております。
  300. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そこでその大森のトラクター工場へこのパッカードエンジンを見聞か視察か調査かに、当時の保安庁の係官が行ったという証言があるのですが、そういう事実がありましたかどうか。それでだれが参りましたか。その点をおっしゃってもらいたい。
  301. 沢董

    沢証人 私の存じておる範囲内においては、防衛庁の第二幕僚、その当時海幕でございますが、そこの矢幡という課長以下二、三名と三井の諸君と杉山正木の諸君が行かれたそうであります。私は行っておりませんので、その事情はわかりません。
  302. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 それはあなたはだれに聞いたんだろう、それから当時保安庁でありますが、保安庁の矢幡課長というのは船舶課長であろうと思うんですが、船舶課長がそこへ行くというのはどういうわけでありますか。
  303. 沢董

    沢証人 それは三井の渉外の者が保安庁で魚雷艇を作る計画が進められているので、それに載せるエンジンにこのディーゼルエンジンを載せてみたらよかろうというような案を三井の方方が考えられて、そうして保安庁に話をなさったそうです。
  304. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そうすると保安庁の内部で魚雷艇の建造の計画があるらしく、これに積み込むべき本件のエンジンを売り込む計画ということが表へ出てきたわけでありますが、しかしそれたけではちょっとなお取りつきにくいように思うのですが、ことにこの第一通商はその後キャンセルしておりますので、保安庁の方へ、当時もしくはその後だれがおもに売り込み運動に当りましたか。
  305. 沢董

    沢証人 保安庁に対して、三井が主たるもので、お話を進めておったのでありますけれども、何か強い線を押さなければならぬという考え方で、杉山正木が元海軍中将であった小林省三郎氏に頼んで、ちょうど小林省三郎中将がその在職中に、部下でありましたかどうかわかりませんけれども、その当時使っていられた現在の幕僚長の長沢中将、それと寺井という方がおられたそうであります。その方に御交渉あそばしておったことと存じております。
  306. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そういたしますと、それは小林省三郎元中将が、長沢浩氏並びに寺井氏に交渉したというのは、いつごろですか。
  307. 沢董

    沢証人 十分に記憶いたしておりませんけれども、二十七年の八月の中ごろではないかと存じております。
  308. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そういたしますと、そういう強い線から保安庁の方へ運動が開始いたされましたら、かなり急速に具体化するように思うのですが、あなた自身も保安庁の人々とお会いになったことはありませんか。
  309. 沢董

    沢証人 それは三井と小林省三郎さんとの話を進めておるが、なかなかはっきりせぬというので、事実保安庁にかかる御計画があるかどうかということで、私もそうなれば突き進んでいかなければならぬと思って、保安庁に飛び込んでいった次第であります。
  310. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 それはいつごろですか。
  311. 沢董

    沢証人 それは二十七年の九月末ごろかと思っております。
  312. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そうすると、あなたはだれの紹介でどこへ行き、どなたに会うということにいたしましたか。
  313. 沢董

    沢証人 そういう紹介も大して必要はありませんので、その管轄は時の内局、装備局が主たるものなりと考えまして、装備局長中村さんのところへ私が参りまして、かかる御計画があるかどうかということをお尋ね申し上げたのであります。ところが局長は御存じがない。そこで小林省三郎中将のお話を承わったときに、山本武器課長も御存じであるというお名前が出たから、山本武器課長という方はおいでになるかどうかということをお尋ねいたしました。ちょうどその武器課長がおられまして、お呼び願い、船舶課長の芥川さんもおいでになりました結果、そう  いうことはよく存じておらぬということになったのであります、そこでさっそくそれでは幕僚に聞いてみた方がよかろうということで電話をかけましたところが、そのときの記憶はありませんが、多分矢幡課長かあるいは松崎部長であったかの御答弁では、七月ごろそういう話はあったが、今のところまだ具体的になっておりませんという御答弁があったのであります。
  314. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 七月ごろ話はあっが、いまだ具体的にはなっておらぬ、つまり魚雷艇の建造の問題のようでありますが、それは九月ころの話です。ところであなたは、その外の政界の関係で、中というなくなった代議士と御懇意ではありませんか。
  315. 沢董

    沢証人 友だちであります。
  316. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そこで中元代議士との間にいろいろと御相談もあって、その上で保安庁の方へ話に行かれたのではないでしょうか。杉山もそういう趣旨のことをあなたがおもにやられたというふうに言っておるのですが、その点どうですか。
  317. 沢董

    沢証人 それは相前後いたしております。大へん違うことと思います。私の先ほど申し上げた通り最初は中村局長に私が参りまして、事務当局に話を進めておったのでありますが、たまたま中君がここの議席におられました  ときに、中君と会ったときに、こういうおもしろいエンジンがあるのだ、戦時中日本の潜水艦がことごとくこのパッカードエンジンをつけた魚雷艇に沈没されたのだ、おれはどうしてもああいうりっぱなエンジンをつけてみたいという気がしておる、なおかついろいろ専門家に聞いてみると、ああいうものをほしいという意見も今日持っておるから、中君どうだ、一つ骨を折ってみないか、おれも活動するからということで、相談いたしたのであります。
  318. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 中元代議士が、そういう御懇意の間柄である。そこでいろいろと相談になったようであるが、その中代議士は、また砂田重政代議士とは特別に親交があるということも存じておりませんか。
  319. 沢董

    沢証人 存じております。
  320. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そこで砂田代議士が特にまたあっせんをせられて、そうして中君なりあなたなりが一そう保安庁の方と話し合いがスムーズにできるようになった、そういう次第はあるのですか、いかがですか。
  321. 沢董

    沢証人 ございます。
  322. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 どういう次第で砂田代議士のあっせんがあり、どういうふうにしてあなたが中君との間に話があり、また保安庁にだんだんに話し合うようになったか、そこを述べていただきたい。
  323. 沢董

    沢証人 砂田さんが南方の司政官をしておられたときに、中君が下におりました。そのときに保安庁次長増原さんがやはりそこの部下におられえたそうでありまして、中君は増原さんとも別懇の間柄である。そういう関係で砂田さんから押していただけると非常にいいだろうというのが、中君の御意見であった。なおまた木村長官とも御別懇の間柄であるということで、それは形式的の推薦と言おうか、何と言おうか、まあ圧力が加わったかも存じませんが、そういう次第であります。
  324. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 ところで、そのような関係のほかに、さらに中代議士は、もう一人大物の力を借りたらいいだろうというようなことで、大野さんの方にもお話になったということはないのですか。
  325. 沢董

    沢証人 それは大野伴睦さんには、やはり明治大学時代には中さんは非常に別懇だそうでして、お話しようということであったが、事実お話なさったかどうかということは、私はよくその間の事情はわかりません。
  326. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そこでそういうふうに砂田重政氏と特殊な関係があり、圧力になったかどうかはあなたも御承知でないということでありますが、ともかくそういうような有力な人が保安庁の方へ働きかけるということになりますと、あなた方のみで、またブローカーの杉山とか何がしが交渉するよりも、やはり多少は情勢展開に工合がいいことになるのでございましょうね。
  327. 沢董

    沢証人 それは皆様の御案内のように、各官庁といわず、大きい会社といわず、下の方と上の方とが十分に合致しなければ、なかなか仕事というものははかどらぬものでございますから、やはり上と下というものが合致しなければならぬものだと思って、私もやりました。
  328. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 あなたはずいぶんとお骨折りになっておるのだが、間組が町有者である。そうすると売れ込みが成功すれば相当もうかるだろうというのが、常識で考えることです。従ってこれは月給とか報酬とか、何かそういう約束があったわけですか。
  329. 沢董

    沢証人 それは間組とかパッカードエンジンということにおいてのみではなくて、一番最初に三菱や何かに話をするときに、すでに彼らは私に一台百万円、二千万円差し上げるから何とかしていただきたいということで、私に依頼してきた次第であります。
  330. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 それはだれからですか。
  331. 沢董

    沢証人 それは杉山正木岩間の連中が参りまして、私に頼んだ次第であります。
  332. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 杉山岩間などはやはりブローカーのようでありますが、間組からそういう話はなかったのでございますか。
  333. 沢董

    沢証人 間組からそういう話は、ございません。
  334. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そこで、これはパッカードエンジン――現在防衛庁間組所有物を買い込んでおります。その間に価格等についてもいろいろと話し合いが出ただろうと思うのでありますが、防衛庁もしくは保安庁の当局、技術部とかあるいは価格関係の当局の人々から、このパッカードマリンエンジンがどのくらいで買い得る、購入ができる、こういうような話は出なかったのですか。
  335. 沢董

    沢証人 そういう話は早くありまし、大体このエンジンは幾らくらいで、もしも契約ができたらお納めになれるものであろうかということを松崎収術部長からお話があったから、何でも聞くところによると三菱のジェット・C・エンジンで四千万円くらいかかる、それからこのパッカードは少くとも三千五百万円くらいのものだということであるが、そうですね大体常識で、私が聞いているところでは、馬力一万円くらいがほんとうじゃなかろうかと僕は思うんだという話をしたところが、そうですね、馬力一万円というのは常識でしょうけれども、八千五百円という程度じゃなかろうかということは話がありました。
  336. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そこでパッカードマリンエンジンは通産省から松庫商店なるものへ二十六年、つまり前年二十六年に一基十万円余りで売却したものである、こういうような原価はお話にならなかったですか。
  337. 沢董

    沢証人 その点は全然存じておりません。
  338. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 知らなかったのですね。そこで二十七年の年末にはすでにこのパッカードエンジン保安庁で使用してよろしいというような趣旨の大体の方針がきまって、それに基いて大蔵省へ予算要求もした、こういうこと、並びにその数は二隻に対して一隻に三基ずつ備えつける、こういうようなところまで具体化したということはお聞きになりませなんだか。
  339. 沢董

    沢証人 ただいまのお尋ねの趣旨は、なんでございますか、パッカードエンジンを二隻につけるという具体案が出たかどうかとおっしゃるのですか。
  340. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 お尋ねの趣旨は、二十七年の末、秋から冬にかけまして二十八年度の予算要求が行われます。二十八年度の雑船建造計画のうちに、このパッカードエンジンを備えつけるという船が魚雷艇という名前か、もしくは魚雷艇でなければほかの名前で、丙型駆潜艇ということに後日称呼しております、それでもよろしいが、いずれにしてもそのような船に積み込む、一隻に三基設置するというような計画で予算要求をするということに決定した、こういうことはわかりませんか。
  341. 沢董

    沢証人 わかります。それは大体そういううわさでありまして、そのときにおそらくはパッカードエンジンとしてではないと思います。ガソリンエンジンを一隻の船に三基つけるということになっておったと聞き及んでおります。
  342. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そこでその予算なるものは結局どうなったかはお聞きになりませなんだか。
  343. 沢董

    沢証人 二十八年度予算は、あのと-きに解散がありましたためだいぶおくれましたけれども通過して、魚雷艇九隻はできたはずでございます。
  344. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 するとその中にはガソリンエンジンは使用するということにならなかったのでありますか。
  345. 沢董

    沢証人 その通りであります。
  346. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 当時最初ガソリンエンジンということは、諸般の事情から推測いたしまして本件パッカードエンジンであろうと思いますが、それをしないことになったというのはどういう事情に基くのでございますか、二十八年度です。
  347. 沢董

    沢証人 お答え申し上げます。ちょっと長くなるかもしれません。
  348. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 要点だけでよろしい。
  349. 沢董

    沢証人 要点だけ申し上げます。この理由は、日本の政府からアメリカ政府に対してパーツの要求をいたしました結果、三カ月おくれまして米軍の作戦部から反対意見が参りまして、このエンジンは重要なものであって自分の方で戦時の場合使わなければならぬというようなことからして、なおかつ今作るとするならば価格が非常に上回るだろう、なお今製造を中止しておるから今やるわけにいかぬ、それでガス・タービンを使えということで向うの命令が来たわけであります。
  350. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そういうことはどこがやったのですか。
  351. 沢董

    沢証人 それはその当時保安庁装備局長の名において米国大使館に向けて通達を出した次第でありますが、直うの作戦部を通じて日本の技術部長あて反対意見が参った次第であります。
  352. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そこで結局このガソリンエンジンは――パッカードマリンエンジンは、保安庁、今の防衛庁へ売り込むことに成功したということは御承知ですか。
  353. 沢董

    沢証人 どういうことですか。
  354. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 最終に保安庁へ、今の防衛庁間組から売り込むことに成功したことは御承知ですか。
  355. 沢董

    沢証人 聞き及んでおります。
  356. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そこで方面をかえまして少し金銭のことを伺うのでありまますが、間組から相当の金が出たというのであります。七千数百万円出たということを今杉山証人は言うのですが、あなたの聞いたところによると、  一体金銭は何ほど、だれに渡ったということになりますか。第あなた自身が何ほど受け取りましたか。いつ。
  357. 沢董

    沢証人 私は時々刻々、その杉山が持って参りました金は総体で二千万円のうち、千五、六百万円は来ておると思っております。
  358. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 それはいつからいつまでです。
  359. 沢董

    沢証人 昭和二十七年の七月の末ご  ろでございましたか、それから昭和二十九年までにかけての間だと思います。
  360. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そこであなたが受け取った千五、六百万円の金は、自分が  一人ふところへ入れたのであるかほか  の人へ渡したのであるか、その点いかがですか。
  361. 沢董

    沢証人 四、五人のものに分配してやっております。
  362. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 その名前を言っていただきたい。
  363. 沢董

    沢証人 佐藤愛雄、菊岡英雄-…・。
  364. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 金額と名前を言うて下さい。
  365. 沢董

    沢証人 金額の詳細はわかりませんが、佐藤愛雄に約二百万円でございます。菊岡に百十四、五万です。中助松に六百万円ちょっと出ておりましょうか、その他約三、四年にわたってのいろいろな経費というものも出ておりますが、大体その程度でなかろうかと思っております。
  366. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 他人へ渡ったのは今の三人ですか。それでその他の経費は、あなたもしくは多くの人が一緒に使った経費ということにでもなるのか、その点いかがですか。
  367. 沢董

    沢証人 その通りでございます。
  368. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そうしますと大体これで九百十万円余であるので、残額の六百万円ないしは七百万円ほどがあなたのふところへ入る、もしくはその他の経費に使われた、こういう計算らしい。そこで間組からは七千万円以上お金が出たと杉山は言うのですが、千五百万円以外はだれへ渡されたのですか。
  369. 沢董

    沢証人 私はその間組から杉山に入ったという金額は存じません。
  370. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 間組が大体どのくらいそれなら出したとお思いになりますか。あなたもこういう重要な役割をせられて、ことに中代議士に六百万円お渡しになっているようなことでありますから、そのくらいの分配をする以上は、間組が出した金の総額が千五、六百になるのかあるいはもっと多くなるのかということはおわかりだろうと思う。大体でよろしいが、結局どのくらい間組が出しておるのでしょうか。ほんとうに出した額を……。
  371. 沢董

    沢証人 申し上げます。今新聞紙上で承わりますと、七千五百万出ているということを杉山が言っておることを初めて知った次第で、そのほかといたしまして、倉庫料金、トラクターにおける整備費並びに富士工業におけるところのテスト費用、それからメタルを伊藤忠商店から間が買ったと称するのであるから、その費用を含めるとまずスペアを入れてメタル材だけで約二千万円近くになるのではなかろうか。それから大森のトラクターの整備費と倉庫料金というものを入れてこれが約一千四、五百万円になるのじゃなかろうかと思うが、その数字と、間がそうしたようなものを払った金利がどれだけの金が出たかということは予測はつきませんから、この点は私はわかりません。しかし少くとも金利を年六分と見ましても、長年の間であるから一千万や二千万近くの金利を払っておるのではなかろうか、こう考えられます。
  372. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そうしますと、メタル代とか大森のトラクター、あなたに払ったもの、金利その他若干ということなんだが、杉山とか正木とかあるいは生駒岩間とか、あるいは正木の言うのによると、三友産業名義借料を千五百万円払った、そういうようなことを言ったりするのですが、そういう金も実際出たのであるかどうか。あなたが今陳述せられたのによりますと、大した金額になりませんのですが、私が指摘しましたそういうような金もしくは使途へ相当金が流れておるのでしょうか。たとえば、繰り返しますと、正木の言うところによれば、三友産業へ千五百万円を名義借料で払ったというのであります。あるいは岩間へ九百万円、あるいは正木に六百五十万円とか生駒へ二百二十万円払ったというようなことも言うであります。そういうようなことはいかがですか。
  373. 沢董

    沢証人 その点は、彼らの詳細はわかりませんです。話は聞いておっても、私としてはわかりません。
  374. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 お確かめしておきますが、三友産業というのはほかの調査によればほとんど破産会社で、千万円とかそういった大金を動かす力もなければ受け取る力も全然ないということなのですが、あなたはそういうようなところへはいっておるというふうにお思いにになりますか。
  375. 沢董

    沢証人 三友ほんとう仕事をしておるかどうかということは、私はその当時調査する必要もないから、気にとめておりませんでした。
  376. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そこで今同僚の委員からきょう初めてこういうことが杉山に対して発問されたのですが、あなたは社会党を押えたからというようなことを言って二百万円を間組から受け取ったというような事実はあるのですか。
  377. 沢董

    沢証人 絶対にございません。
  378. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 ここは宣誓をされた場であるので、証言に偽わりがあると偽証でわれわれは告発しなければならぬのですが、それは間違いありませんか。
  379. 沢董

    沢証人 受け取った覚えはございません。
  380. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 それでは問題を転じまして、六百万円を中元代議士が受け取られたようであるが、中代議士もずいぶんと奔走になったかと思うのだが、しかし、他の同僚もしくは先輩の代議士も動かし、いろいろとあちらこちらで奔走した以上は、中代議士も自分だけふところに入れておくというのもいかがかと思う。ことにこれは死亡された代議士であるから、その人の名誉のためにも……。書して置かなければならぬのですが、これは、他へ分配をせられたもの、またほかの費用に使われたもの、こういうふうに推測もできるのです・が、その辺はいかがなものでしょう。
  381. 沢董

    沢証人 そういうことは中君はなかったと存じております。
  382. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 なかったという意味は、つまり他へ分配をするもしくは他の経費に使うということがなかっただろう、こういう意味でありますか。
  383. 沢董

    沢証人 さようでございます。中君はその当時売り出しておるので、自分が相当金が要ったろうと思いますから、そういうことはないと思います。
  384. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 もう一つ最後に伺っておきますが、保安庁において一基千二百五十万円で買ったのは、間組が一億四千七百万円も三友産業へ支払っておるということを認めて、それが非常に重要な根拠になって価格決定をしたらしいのであります。そういたしますると、保安庁も一億四千七百万円を間組が支払ったかどうかを確認する各般の手続、調査をやっただろうと思う。そこで、中間に立って奔走する人が、そういう間組が金を支出しておる使途あるいはその額、こういうことについて調査したことがないとはちょっと考えられない。あなた自身も――あなたというよりもこの中に立って奔走した多くの人々も、間組が金を出した場所というものは今お述べになった以外によく調べておられなければ、この相当な価格が出てこないようにも思うのであります。念のために聞くのでありますが、間組として今お述べになった以外に金を出しているのか出していないのか、もしくは、これは一つの推測になりますけれども、直接それぞれと政府当局を動かすために使用したような金はあったのじゃないか、この辺についてはどうお考えになっておりましょう。
  385. 沢董

    沢証人 私が防衛庁保安庁の方をやっておりました当時は、一銭もございません。それで、二十九年五月ごろでしたか、初めてじかに交渉なさるように、間の課長と富士重工業の井上技術部長と畑技長を連れていってあいさつさせて、そこで、私はこれで一切手を引いておくからあなた方で技術的の方面も研究し合って御契約なさるがいいだろうということで、私はのいたのでありますから、その後のことに関してはわかりませんけれども、私の知っておる範囲では、ございません。
  386. 上林與市郎

    上林委員長 次に佐竹君。
  387. 佐竹新市

    佐竹(新)委員 証人にお尋ねしますが、証人が今度の売り込みで非常に中心になっておった、そういうことがいわれておりまするが、大体今吉田委員の言われましたような防衛庁に食い込んでいくということについて、自分一人で、だれも紹介者なしに行ったといわれておりますが、その通りでありますか。
  388. 沢董

    沢証人 紹介者なしということは、局長に会いに行きまするときは、お互いに知っている人の間柄で参りまするが、それは元鉄道におりました西総局長官に紹介を受けまして、名刺だけはちょうだいして参りました。
  389. 佐竹新市

    佐竹(新)委員 そういう小林関係でありますか、そういう人の紹介がもちろんあって。当時の中代議士のところにしょっちゅおりました。今あなたが百数十万円をあなたの受け取られた金の中から渡したという菊岡英雄というのは、あなたは御存じですか。
  390. 沢董

    沢証人 知っております。
  391. 佐竹新市

    佐竹(新)委員 これが中代議士と懇意であったのか、あなたが懇意であったのか、菊岡英雄が最初防衛庁、当時の保安庁にあなたを連れて行った、こういうように言っておるのですが、どうですか。
  392. 沢董

    沢証人 違います。
  393. 佐竹新市

    佐竹(新)委員 菊岡英雄という者とあなたと懇意になられたいきさつはどういうことですか。
  394. 沢董

    沢証人 菊岡英雄とは戦争当時に私存じあげておったわけであります。
  395. 佐竹新市

    佐竹(新)委員 今あなたは菊岡英雄にも百十数万円の金を渡したといっておられますが、菊岡英雄は、この運動のためにむしろ自分がある菓子屋から百万円くらいの金を借りた、それを大蔵省方面やあるいは防衛庁方面や、いろいろ動くための最初運動費に使ったために、この金が返ってこないので、菓子屋はついに破産して、今はどこかに間借りしておる。従ってこの運動に関して一銭も金を受け取っていない、こういうように言っておるのですが、その事実はありませんか。
  396. 沢董

    沢証人 そんなことはありません。
  397. 佐竹新市

    佐竹(新)委員 菊岡にどこで何ぼ、どこでどのくらい渡したというようなことに、具体的にあなたは御承知でありましょうから、中さんの方や佐藤さんの方も――中さんは死んでおられないけれども、菊岡はまだ生きておられるのですが、どこで何ぼ渡したということがわかれば、大体言っていただきたい。
  398. 沢董

    沢証人 領収書を取ってあります分もありますし、領収書を取っておらない分もあります。領収書を取ってある分は四十七万円ございます。その他十万円、五万円、五万円というふうにしばしばやっておりますから、総計算でどれくらいになるかよくわかりませんが、やっております。領収書はいつでもお目にかけます。
  399. 佐竹新市

    佐竹(新)委員 そうしますとその領収書はあなたはお持ちですか。
  400. 沢董

    沢証人 持っております。
  401. 佐竹新市

    佐竹(新)委員 ここにありますか。
  402. 沢董

    沢証人 ここにはございません。後日お目にかけます。
  403. 佐竹新市

    佐竹(新)委員 その運動でしばしば銀座三丁目の山下料亭で会合をされておるのでありますが、前の杉山証人もそれを認めておりますが、あなたはそれに加わられたことがありますか。
  404. 沢董

    沢証人 二回くらいございましょう。
  405. 佐竹新市

    佐竹(新)委員 その山下料亭に二回くらい行かれた、どういう人が行ったのですか。どういう人と会合しておるのですか。
  406. 沢董

    沢証人 大体何人くらいでしょうか、杉山君と私と塚元課長と夕飯を食べたことが二回ばかりあります。山下-という方がいらっしゃいました。それだけでございます。
  407. 佐竹新市

    佐竹(新)委員 山下というのは、今の防衛庁の山下技官ですか。
  408. 沢董

    沢証人 その通りでございます。
  409. 佐竹新市

    佐竹(新)委員 そこの会合をされた金はだれが出したのですか。
  410. 沢董

    沢証人 それは私よく存じません。杉山ではなかろうかと思います。
  411. 佐竹新市

    佐竹(新)委員 杉山は出しておらぬというのです。忘れてわからぬ、こう言うのです。だれが出したのですか。
  412. 沢董

    沢証人 さあ――それは杉山君がお払いになっているのじゃないですか。
  413. 佐竹新市

    佐竹(新)委員 その前に大体パッカードエンジンをどうしても防衛庁自体では買えぬのだ、大蔵省の方へ予算を取るべく運動をされたのか、そういうことはありませんですか。
  414. 沢董

    沢証人 ありません。必要ないことです。
  415. 佐竹新市

    佐竹(新)委員 そのときには防衛庁の方にまだ予算がない。大蔵省の方で予算を立てなければ買えないということですか。
  416. 沢董

    沢証人 それは保安庁と大蔵省との会議できめるべきものでしょうから、われわれの関与するところではないと思います。
  417. 佐竹新市

    佐竹(新)委員 間組塚元氏と今の杉山氏に菊岡を紹介したのは、あなたが紹介したのか、だれですか。
  418. 沢董

    沢証人 私が紹介をしました。
  419. 佐竹新市

    佐竹(新)委員 あなたが紹介されたときには、この菊岡はあなたと防衛庁を相当あちこち一緒に行っているはずなんですが、それを御存じなら言ってもらいたい。
  420. 沢董

    沢証人 菊岡君と行ったときにはだれとだれのところへ行ったとおっしゃるのですか。
  421. 佐竹新市

    佐竹(新)委員 そうです。
  422. 沢董

    沢証人 菊岡君と紹介を受けましたのは研修所長の北村さんだけでございます。
  423. 佐竹新市

    佐竹(新)委員 今吉田委員からも言われましたが、なお十分ではありませんけれども、防衛庁にこの売り込みの成功をした一番原動力はどこであったか、あなたは相当中心者ですから、どこであったと考えられるからお聞きしたい。
  424. 沢董

    沢証人 最初は次長初め皆さんが御存じであったというようなものの、やはり推進力は松崎部長のところだろうと私は考えます。
  425. 佐竹新市

    佐竹(新)委員 松崎部長がその推進力になったということは、どういうところからわかったのですか。
  426. 沢董

    沢証人 私が熱心に何回となく通った、その熱心さにほだされたのではないかと思います。
  427. 佐竹新市

    佐竹(新)委員 私の話を聞いているところによると、当時の松崎部長はこれは保安庁では使えないというので、むしろ増原さんも松崎部長さんも反対をした。また技術陣は全部反対をした、こういうように聞いているのですが、松崎さんでなくて、ほかの方ではないのですか。
  428. 沢董

    沢証人 私の知っている範囲内においては松崎さんが最後におきめになったのではなかろうかと思いますが、その後は技術方面の方がなさったのでございましょうが、私の考えではそうではないかと思います。
  429. 佐竹新市

    佐竹(新)委員 山下技官というのは、どういうような方ですか。
  430. 沢董

    沢証人 山下技官というのは、あのエンジンでもって一ぺん作ってみたいという理想を持っているということを言うておりましたが……。
  431. 佐竹新市

    佐竹(新)委員 間組塚元経理課長と山下技官とは再々この問題で折衝をしていると言われますが、どうですか。
  432. 沢董

    沢証人 あるいはあったかもしれません。
  433. 上林與市郎

    上林委員長 次に生田宏一君。
  434. 生田宏一

    ○生田委員 同僚の吉田賢一君がどういうわけで御存じであったか知りませんが、証人間組へ行かれて、社会党を押えたから、そのお礼に二百万円もらったというような風聞が出ておるのですが、そういうことをこの委員会で聞こうとは私は夢にも想像しなかったのです。証人吉田賢一君とお会いになったことがありますか。
  435. 沢董

    沢証人 会ったことはありますが、そんなことはありません。だれがそんなことを言いましたか。
  436. 生田宏一

    ○生田委員 吉田賢一君が今質問したから聞いておるのです。
  437. 沢董

    沢証人 いや、そうじゃないのです。二百万円をとったというのは、どなたがおっしゃったのですか。
  438. 生田宏一

    ○生田委員 吉田賢一君が今言ったじゃないか。それだから聞いている。そういうような風聞が流れておるので、それが真実かどうかということを吉田君が聞いておるじゃないか。
  439. 沢董

    沢証人 私はないと申し上げたのです。
  440. 生田宏一

    ○生田委員 それではお尋ねしますが、吉田賢一君とはどういうお話をなすったのですか。御面会のときにはどういうことで吉田君とお会いになったのですか。
  441. 沢董

    沢証人 どういうことでお話なさったかということですが、私の実際の事情を申し上げたのでありますから、何もございません。
  442. 生田宏一

    ○生田委員 あなたと吉田君とお会いになったのは、どういう動機でどういうような内容のことをお話になったのですかということを聞いておるのです。
  443. 沢董

    沢証人 新聞でやかましくなっておるし、皆さん困っておるというのであるから、私が帰ってきましてお話申し上げましょうというて申し上げました。
  444. 生田宏一

    ○生田委員 そうすると、あなたと吉田君とお会いになったのは、あなたがおたずねになったのですか。
  445. 沢董

    沢証人 私がたずねました。
  446. 生田宏一

    ○生田委員 あなたは吉田君とは初対面でございますか。
  447. 沢董

    沢証人 初対面でございます。
  448. 生田宏一

    ○生田委員 初対面の方で、そうしてあなたが吉田君のところにおたずねになって、そうして私がお話をしましょうということでございますと、あなたはどういうお気持で何をお話しましょうという気になったのですか。
  449. 沢董

    沢証人 いや、私の友人で吉田さんを存じ上げている方があって、私にぜひ会ってくれと申しますから、委員会にかかっているのだから、お話申し上げるならいつでもお話し申し上げましょう、私はどこで申し上げても変ったことは申し上げませんから、お目にかかってお話申し上げますということでお会いしました。
  450. 生田宏一

    ○生田委員 そのときに吉田さんとお話になったのは、大体あなたがきょう証言されたことをお話になったのですか。
  451. 沢董

    沢証人 そうでございます。
  452. 生田宏一

    ○生田委員 大体吉田さんにお話をしておいて、なお委員会へ呼んでいただけるならば委員会で申し上げる、こういうことであったのですか。
  453. 沢董

    沢証人 その通りでございます。
  454. 佐竹新市

    佐竹(新)委員 証人にお伺いしますが、実はあなたが吉田さんの名刺を持って――それを私はよそから聞いたのです。私は吉田さんが名刺を渡されているのも知らない。たずねたということも知らない。ところがあなたは、この名刺をよそへ持っていって、そうして社会党の方はこれで押えたということであなたが相当な金をもらっておるということを私は聞いておるのです。
  455. 沢董

    沢証人 虚構の事実であります。
  456. 佐竹新市

    佐竹(新)委員 あなたは大菩薩峠の手前にある菊岡氏の宅におったことがあるでしょう。
  457. 沢董

    沢証人 ありません。
  458. 佐竹新市

    佐竹(新)委員 またその近くに菊岡氏としばらくおったことはありませんか。
  459. 沢董

    沢証人 菊岡は私のところに泊っておりますし、お互いに泊ったことがあります。
  460. 佐竹新市

    佐竹(新)委員 あなたはその当時は非常に金もない。困っておった。最近になって、あなたは自動車で乗り歩いて、りっぱな服を着て、そうしてあっちこっちへ菊岡のあとを追っかけておるというように話を聞いておりますが、どうですか。
  461. 沢董

    沢証人 全然ありません。私はかくのごとき姿でありますから、ありません。
  462. 佐竹新市

    佐竹(新)委員 これは私は確実な人からそういうことを聞いておるのです。後日菊岡氏を証人として呼び出したら、あなたの方が偽証になるか、菊岡氏が偽証になるか……。
  463. 沢董

    沢証人 申し上げます。自動車で乗り回したということは、私の友人の内田という人のせがれさんが、よそから自動車を借りてきておった。その自動車で二、三回乗ったことはありますけれども、自動車に乗って歩くような裕福な身分ではありません。
  464. 佐竹新市

    佐竹(新)委員 内田さんという方はどういう方ですか。
  465. 沢董

    沢証人 私の長年の先輩であります。友人としてつき合っております。
  466. 細田綱吉

    ○細田委員 あなたは今御商売は何ですか。
  467. 沢董

    沢証人 私は伊勢崎の織物会社の取締役をいたしております。
  468. 細田綱吉

    ○細田委員 従来は何をしておられましたか。
  469. 沢董

    沢証人 戦争中は塩かますの会社をいたしておりました。塩かますを回収して鉱山系統に回しておった会社であります。
  470. 細田綱吉

    ○細田委員 その前は……。
  471. 沢董

    沢証人 その前は貿易会社であります。
  472. 細田綱吉

    ○細田委員 どういう方面で…j。
  473. 沢董

    沢証人 生糸貿易でありまして、上海の貿易をいたしておりました。
  474. 吉川兼光

    ○吉川(兼)委員 ただいまの御証言の中に、あなたが取得されました千五、六百万円の金を何人かの人でお分けになったという中に、なくなりました中代議士に六百万円やられておるということですが、中君はこの六百万円の金をあなたから贈られるに値するだけの運動をどういうふうにやったかという具体的なことを一つ……。
  475. 沢董

    沢証人 それは後ほど書類でお目にかけまするが、中さんの直接とったものと、中さんが死んで後に秘書と称する者が子供の養育費のためにといって持っていった金がありますので、総計して約六百万円になるということを申し上げたのであります。
  476. 吉川兼光

    ○吉川(兼)委員 それをあなたは今明瞭におわかりのようですが、どうか後ほどとおっしゃらずに、今おっしゃっていただきたいと思います。
  477. 沢董

    沢証人 領収書を持ってくると申し上げる次第でございます。
  478. 吉川兼光

    ○吉川(兼)委員 領収書は私の方で提示を求めてからでけっこうでございます。あなたの御記憶のところでよろしゅうございますから一つ……。
  479. 沢董

    沢証人 中さんに直接にお渡し申し上げたのが約三百万円と存じております。それと秘書が持って参りましたのが、百八十一万一千円というはしたがついておるのが、一回、百二十万円が一回でございます。
  480. 吉川兼光

    ○吉川(兼)委員 秘書に二回渡して三百万円、こういうことですね。
  481. 沢董

    沢証人 その通りでございます。
  482. 吉川兼光

    ○吉川(兼)委員 それはわかりましたが、中君が、あなたがいわゆる運動をして取得しましたお金の中から、三百万、後に三百万、合計六百万の金をあなたから受け取るに値するどういう運動をだれに向ってやったかということを聞きたい。
  483. 沢董

    沢証人 現職の議員でありまするから、相当御活動なし得る力があったと思いますので、私は差し上げました次第であります。
  484. 吉川兼光

    ○吉川(兼)委員 どうも先刻も吉田君の質問に対しまして、中君はえらく売り出しておったから金が要ったろうというような話ですが、現職の議員は四百何人かおるわけですから、現職の議員なるがゆえにその運動の金を受け取るのはおかしいので、その現職の議員が、あなたの想像される有力なところを発揮して、どこに向ってどういう運動をやったということをあなたは御存じのはずですから、それを伺いたい。
  485. 沢董

    沢証人 これは友情でありまして、中君が少くとも男を売り出す以上は、中君に使わすということは私は人間として当りまえだと思って差し上げておりますので、どこへ運動してどれだけの力ということは、少くともあの熱のある男でありますから、そんな金を使わぬでもやり切ると思っております。ただ中君の私用にお使いあそばせばいいという考えであります。
  486. 吉川兼光

    ○吉川(兼)委員 私の質問の趣旨があなたによくわかっておらないようですが、要するにこの問題について中君はどこに向ってどういう運動をやったかということをあなたは御存じかと聞いておるのであって、今あなたの言っておるのを聞いておりますと、中君は金がなくても運動をやるだろうとかいろいろなあなたの私見が加わるようですが、あなたの見た中観をここで聞こうとしているのじゃないのです。中君はこのガソリンエンジン売り込みに対してどこでどういうことをやったか、またその中君の金はどこへどういうふうに行ったと思うか、こういうような具体的なことが聞きたいのです。抽象論はけっこうですから……。
  487. 沢董

    沢証人 中君は砂田先生にはお話をなさったか、おそらく大野伴睦さんにもお話なさったと思います。それから増原さんともお会いになっておると思いまするが、金を中君がどこで使ったかということは私にはわかりません。ないと私は思っておりますけれども、わかりません。
  488. 吉川兼光

    ○吉川(兼)委員 今お話に出ました大野さん、砂田さんそれから増原次長、そういう人たちに中君から働きかけたということをあなたはお聞きになったのですか。
  489. 沢董

    沢証人 聞いております。
  490. 吉川兼光

    ○吉川(兼)委員 それはどういうとこりでどういう話をした、またどういう相手がそれに対して反対を示したといようなことをお聞きになったと思いますが、それを一つ
  491. 沢董

    沢証人 どこでお会いしたということは申しませんでしたから、よく存じません。
  492. 吉川兼光

    ○吉川(兼)委員 反応は。
  493. 沢董

    沢証人 反応はだんだんありそうだということを聞いております。
  494. 坂本泰良

    ○坂本委員 私も一、二点お聞きしたいのです。ただいまの吉川委員の続きになるのですが、中代議士の運動の反応があったということは、どういう点でそういう言葉が出るわけですか。その点聞かしていただきたい。
  495. 沢董

    沢証人 魚雷艇九隻がいよいよ予算案の上に載ってくるということは、反応が出てきたものと私は考えております。
  496. 坂本泰良

    ○坂本委員 このエンジンが魚雷艇に使われるようになった、そういうことがきまった、これは中代議士の運動によるものだ、こういうふうに考えられたわけですか。
  497. 沢董

    沢証人 中代議士の運動だけによるものとは考えておりません。
  498. 坂本泰良

    ○坂本委員 ほかにどういうふうな方々が運動されたでしょうか。
  499. 沢董

    沢証人 ひとり運動だけでなく、実費的にそうしたような世界的の品物がいいかどうかということも一つのバロメーターになっておるのではなかろうかと私は考えます。
  500. 坂本泰良

    ○坂本委員 そこで、このエンジン関係で受け取られた千五、六百万円の中から中代議士に六百万渡されたのはそういう運動費に相当使われた。それはそういう関係があるから渡されたのですか、それとも全然関係なしにエンジンの千五、六百万円の中からただ政治献金みたいにあなたが中代議士にやられたのですか、それはどちらですか。
  501. 沢董

    沢証人 六百万円と申しますから大きく考えられますけれども、あとの百八十一万何がしと百二十万というのは、中君がなくなってから本田秘書が持っていったから中君には三百万円そこそこです。(「それを初めから言えばいい」と呼ぶ者あり)それは申し上げてあったのでございます。
  502. 坂本泰良

    ○坂本委員 この金はするとあなたの個人の金でなくて、やはり千六百一万円の受け取った金からやられた、こういうふうに聞いてよろしゅうございますか。
  503. 沢董

    沢証人 けっこうでございましょう。
  504. 坂本泰良

    ○坂本委員 そこでこの六百万円という金を運動について渡されたことがわれわれ非常に疑問になるわけです。ただ運動して口添えをしただけではあまりに額が多過ぎるのじゃないか。やはりこれに対しては、いろいろ運動するについてただで話もできぬでしゃうから、飲食費の方面にもずいぶん使ったのではないかと想像されますが、証人はその点はいかがですか。
  505. 沢董

    沢証人 私はそうも考えておりません。
  506. 坂本泰良

    ○坂本委員 それからもう一点ですが、杉山証人証言によりますと、あなたの防衛庁関係に使われたいろいろの飲食費、それから自分たちが使った飲食費に百九十万円使っておる・こういう証言をいたしておるのですが、あなたは防衛庁関係運動されるについて、この中から飲食費その他については何回くらいやりましたか、その点をお聞きしたい。
  507. 沢董

    沢証人 先ほど申し上げたように、二回くらいございます。
  508. 坂本泰良

    ○坂本委員 そうしますとわずかな金なんですね。先ほど杉山証人証言によると、この防衛庁関係にも相当使った、その金も合せて百九十万と言っておるわけですが、百九十万という金ですよ、だから二回くらいのものじゃないと思うのですが、その点間違いないのですか。
  509. 沢董

    沢証人 間違いありません。それは杉山君がどういうことを申し上げたか知りませんけれども、杉山君と三井さんあたりの当時飲んだ金が含まれておるので、防衛庁関係にそんなに使っておらぬと私は思うのです。
  510. 坂本泰良

    ○坂本委員 そうしますと、あなたの手元にこのエンジン関係で金が残っておるが、あなたがもらわれた金はどのくらいですか。
  511. 沢董

    沢証人 車賃や何かを差し引いて、私の実質に使ったものは四百万くらいあると思っております。
  512. 坂本泰良

    ○坂本委員 車代その他飲食費も入れてですか。
  513. 沢董

    沢証人 それは別でございます。
  514. 細田綱吉

    ○細田委員 あなたが千大百万円受け取っておるその金は、間組から出ておるということは御存じなんですね。
  515. 沢董

    沢証人 存じております。
  516. 細田綱吉

    ○細田委員 さっきから伺っておると、あなたは中代議士なんかに無条件で、ただ男を売るために三百万円を渡した、あるいは死んだ後に約二回にわたって三百万、これは遺族の生活費その他跡始末の金だ。そうすると間組があなたに渡したときは何のために千五、六百万という金を渡したと思っておられますか。
  517. 沢董

    沢証人 私は一ぺんにじゃなく、時時に費用を二千万円の約束の中から杉山から直接受け取った次第でありますから、間組がどういうふうに思っておるか存じません。
  518. 細田綱吉

    ○細田委員 そうすると間組はあんたをそんなに信用して、あなたが何に使ってもいいんだ、パッカードエンジン売り込み以外何に使ってもいいんだというふうな部分が相当含まれていると思ってあなたはお金をもらったのですか。
  519. 沢董

    沢証人 お言葉を返すようでありますけれども、少くとも杉山君の話によりますと、自分の売り上げる機械代金の中からあなたに渡しておるんだということを聞いております。だから間組が直接どう思っておるか存じません。
  520. 細田綱吉

    ○細田委員 その売り上げ代金の中からくれるんだというわけですね。そうすると前渡しというような性格のものです。それである限りは売り上げられなかったら間組としては大へんでしょう。これはだれが考えてもそうです。だからそんなに野放図にこんなでかい金をあなたに渡すというはずはないと思う。従って先ほど同僚委員から伺ったように、中代議士が何に使おうと私はちっとも知らなかったというようなことは、これはちょっと常識じゃ聞かれませんですね。従って中代議士の運動のためにこの金をあなたを通じて渡したんだ、こうしか受け取れないのです。それから先ほどあなたは四百万円ばかり飲み食いや自動車のほか使ったと申しましたが、その金はどういう方面にお使いになっておりますか。
  521. 沢董

    沢証人 防衛庁へ行ったりいろいろなことをいたしました車代はその当時莫大にかかっております。一日雇っておると六千円とられる場合もございますし、ちょっと拾いましても三千円ばかりかかるときもあります。田無の工場へ行ったりいろいろの場合を換算いたしますと、約四年間にわたりまして六、七十万の車賃がかかっておると思っております。
  522. 細田綱吉

    ○細田委員 あなたがさっきおっしゃったのは、飲み食いや車賃のほかに四百万円使っておる、こういうことです。
  523. 沢董

    沢証人 それは私が使・っております。
  524. 細田綱吉

    ○細田委員 それはどういう方面にお使いになっておりますか。
  525. 沢董

    沢証人 それは私の生活費に使っております。
  526. 細田綱吉

    ○細田委員 そうすると、間組というのはわれわれが聞いているよりもはるかに大尽で、おうようだと思う。中代議士にどういうふうに渡そうと、三百万、六百万という金はどうでもいい。あなたの言うのは、三年も四年もの長きであったかもしれませんが、かりに四百万円といえば年に約百三十万くらいである。これをあなたの生活費によこす、なおほかに飲み食いの金をよこす、こういうことはちょっと考えられませんが、確かに間違いありませんか。
  527. 沢董

    沢証人 飲み食いの金をよこせと言って取っておりません。
  528. 細田綱吉

    ○細田委員 生活費だと言って取っているんですか。
  529. 沢董

    沢証人 私の利益金の前渡し金を私は杉山君からちょうだいしたわけです。
  530. 細田綱吉

    ○細田委員 あなたはよほどの金を使って防衛庁へ何回も行かれたそうですが、主としてだれに会われたか。一
  531. 沢董

    沢証人 中村局長のとき、あるいは今の久保局長のときも参っておりますし、松崎さんのところへも参っておりますし、矢幡さんのところへも一回一行っております。それから芥川さんのところへも行ったこともありますし、北村研修所長のところへも行ったことがございますし、増原さんのところへも行ったこともございます。
  532. 細田綱吉

    ○細田委員 そういう場合に、あなたはだれの紹介で行かれたんですか。
  533. 沢董

    沢証人 先ほど申し上げましたように、中村氏の場合は、小西君の御紹介でありますし、それから増原さんの場合は、中さんの御紹介でお伺いしたわけです。北村さんの場合は、菊岡さんの紹介であります。あとは事務的なことでございますから、紹介がなくとも、局長室へ呼んでいただいて話をしております。
  534. 坂本泰良

    ○坂本委員 先ほどの吉田委員に対する答弁の確認になるかもわからないのですが、二十七年の暮れごろは、このエンジン防衛庁、当時の海上保安庁が買い上げるという大体の約束ができていたかどうか、その点をお聞きしたい。
  535. 沢董

    沢証人 買い上げる約束というものはできていないはずです。買い上げるのでなく、魚雷艇に一基ガソリンエンジンを使うということに大体話が進んでおるということになっておったわけであります。
  536. 坂本泰良

    ○坂本委員 そういたしますと、防衛庁は魚雷艇に使うことが決定している。そうするとあなたたちはそれでも買い上げになるものだ、こういう確信のもとにあなた自身としては千五、六百万円の金を受け取られたわけですか。
  537. 沢董

    沢証人 その通りであります。ガソリンエンジンということは暗黙の間に、最終に要るものは何であるかと言えばパッカードエンジンだ、パッカードエンジンであるならば、米軍の方から来ないとすればやはり日本にあるもの、日本にあるものとすれば、他にあればこれは競争入札、なければ随意契約という意味合いで、その当時からパッカードエンジンというものは日本には間組以外になかったという一のでありますから、随意契約ということになったと信じております。
  538. 上林與市郎

    上林委員長 各委員の質疑は終了いたしました。それでは沢証人に対する尋問はこの程度で終ります。  沢証人には長時間まことに御苦労さまでございました。  この際暫時休憩いたしまして、午後三時半より再開して、日野塚元両氏より証言を求めることにいたします。    午後二時二十四分休憩      ――――◇―――――    午後三時三十七分開議
  539. 上林與市郎

    上林委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  それではただいまより塚元証人より証言を求めることといたします。塚元彰君。  それではただいまより証言を求めることにいたします。委員長よりの概括的な尋問は省略いたしまして、直ちに委員各位よりの質疑に入ります。  質疑の通告が、ございますので、申し合せの順序によりまして発言を許します。吉田賢一君。
  540. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 塚元さんにお尋ねいたしますが、あなたは間組株式会社の何をお勤めになっていらっしゃいますか。
  541. 塚元彰

    塚元証人 経理部門を担当いたしております。
  542. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 いつからでございますか。経理課長ということですか。
  543. 塚元彰

    塚元証人 昭和十七年から経理部に勤務いたしております。現在経理課長を勤めております。
  544. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 昭和十七年ないし三十年に至りますまで、やはり経理課長一でありましたか。
  545. 塚元彰

    塚元証人 そうでございます。
  546. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そこで伺いますが、先月東京国税局からあなたの方へ、あなたの方の金銭の支出に関する帳簿を写しに行ったことは御承知でございますか。
  547. 塚元彰

    塚元証人 存じ上げております。
  548. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そこで同国税局から当委員会にあてて、ただいま問題になっております保安庁及び防衛庁へあなたの方の所有物を富士重工株式会社から売り渡しましたパッカードマリンエンジンに関連して支出した計算書が出されているのであります。これによって少し伺ってみたいと思います。  第一、あなたの方が三友もしくは三友産業へ相当お出しになっているんだが、この三友と称するのは三友産業株式会社のことであろうと思いますが、そうでありますか。
  549. 塚元彰

    塚元証人 そうであります。
  550. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そこで最初昭和二十七年七月二十九日、二千万円、その後十数回にわたりまして三友産業へ金を渡したとなっております。合計しますると五千七十四万五百円、こうなっておりまするが、これはいかがです。
  551. 塚元彰

    塚元証人 もっと多い数字だと記憶いたしておりますが……。
  552. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 ともかくあなたの方で三友もしくは三友産業というものに対しては、ただいま申し上げました数 ・字になります。杉山欽二郎というものに対してまた別に七百五十二万九千円、こういうことにもなっておりまするが、もっと多い数字というのはどういう趣旨でありますか。
  553. 塚元彰

    塚元証人 当時の事情を申し上げます。株式会社間組が、なぜこのエンジン関係いたしましたかと申しますと……。
  554. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 ちょっとお待ち下さい。
  555. 上林與市郎

    上林委員長 質問に対して答弁して下さい。
  556. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 あなたの方がこのエンジン関係なさった問題は、別の角度から伺います。そこで問答を整理していかなければいけませんので、まず出された金銭について伺っていきます。それで、そうであるのかそうでないのか、その趣旨内容をお述べ下さればよいのであります。違っておれば違っておるでいいのですよ。
  557. 塚元彰

    塚元証人 ただいまのお話よりもつと多いと思います。
  558. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 では三友産業株式会社へ五千余万円以上、何ほどお出しになっておりますか。
  559. 塚元彰

    塚元証人 全部で一億四千七百万であります。
  560. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 一億四千七百万円を三友産業へお出しになった。きょうは一つほんとうのことを言うていただかぬと問題であります。と言いますのは、御承知通りに、宣誓をしておられまするから、良心に従って御記憶のまま言うてもらわなければいかぬのであります。正木恒作証人は五千八百三十余万円と二千万円、こういうことを述べ、それから一億四千七百万円というこの数字は、受け取りは出したけれども金はもらっておらぬ、あなたの方に頼まれて書いたのだ。こういうことを言っておるのであります。一億四千七百万円は、ほかのいろんな証人などの証言から帰納すれば、お出しになっておらぬことが大体確実なんですが、ほんとうのことを言ってもらわぬと困ります。いかがですか。
  561. 塚元彰

    塚元証人 一億四千七百万という数字は確実な数字であります。両方納得いたしまして、両者調印いたしました数字ではございます。
  562. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 一億四千七百万円を支出したということはどこからも出てこないのです。国税局で写してもらったあなたの帳簿の内容から見ても、出てこないのですよ。ほんとうのことを言って下さい。
  563. 塚元彰

    塚元証人 三十年の五月ころに振りかえがおきておると思います。
  564. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 もっと詳しく聞くか、それならば三友産業へいつ何ほど渡したのです。
  565. 塚元彰

    塚元証人 三友産業との話し合いは……。
  566. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 話し合いじゃなしに、金はいつ幾ら渡したかというのです。
  567. 塚元彰

    塚元証人 第一通商から契約を廃棄されましたとき、われわれはその出した金につきまして償還方を厳談いたしたのでありますが、その節三友産業につきまして、これが売却までに要する一切の費用、金利、そういったものはこの契約単価でお支払いいたしますかつ、待っていただきたい、こういう申出がございました。自来継続いたしまして、三十年の初めごろだったと思いますが、いつまでも仮払い金勘定に置くわけに参りませんので、三友関係者を呼びまして、三友に現金で直接渡したものと、それから間組三友のために仮立かえしました金額、そういったものを差し引いて渡したわけでございます。
  568. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 三友へ現実に交付した金額は幾らになるのです。
  569. 塚元彰

    塚元証人 給料が五万円の人がおりまして、二万円会社から立てかえ払いを受けた場合、現金三万円いただいたと仮定いたしましたとき、やはりわれわれは五万円払ったと思っておるのであります。三友産業には一億四千七百万円払ったと、私はこう考えるのであります。
  570. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 わかりませんね。結論として一億四千七百万円渡したものと思うというのでは、それは御説明にならぬのです。具体的に現実にそれならばいつ何がしを渡したということの似説明を願わなければ、それは答弁にならぬ。
  571. 塚元彰

    塚元証人 三友産業に直接現金で渡しました額は七千三百万余と、そのほかに、株式会社間組三友産業に立てかえいたしました金額が三千六百万余と記憶いたしております。それから一度渡したのでありますが、三友と当初の約定に基きまして、売却できるまでの費用、こういうことでございましたので、これは一応預からしてくれ、十五台まとまればそこで清算しようということで、両者納得いたしまして預かった金額がございます。
  572. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 その最後の、費用、預かった金額というと、幾らですか。
  573. 塚元彰

    塚元証人 当時三千七百万見当だったと思います。現在は千九百万弱になっております。
  574. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 現金七千三百万円をだれに渡したのです。そもそも三友産業というのは、国税庁の当委員会における答弁によれば、当時すでに納税者の帳簿から抹消されておった。それは納税の能力もなし営業もしておらぬ、そのような状態にあったのですでに名簿からは削除されておるという状態にあった。こういうものにあなたは七千三百万渡したというのだが、一体だれに渡したのか。
  575. 塚元彰

    塚元証人 当時三友関係者、あります杉山欽二郎正木恒作、岩間社長、三人を呼びまして、金銭的な支出については杉山欽二郎を通して渡すと-いうことは了解を得ましたので、主と一して杉山欽二郎として渡したように記憶いたしております。
  576. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 関係者といえども、とおっしゃるが、三友産業へ金を渡すというのに、三友の代表、権限を持っておる人に渡すというのが当然だろうと思う。相当資格、権限を有しておる者に渡さねば渡したことにならぬのじゃないか。あなた個人の金じゃないでしょう。間組の金です。あなたも経理課長として、長年の間その道の通の人である。経理課長として間組の金を渡すときに、会社の金を渡すときに、受け取るべき本人がその適格者であるかどうかということを調査するのは当然である。関係者とおっしゃるけれども、一体杉山正木などは三友産業の代表者として、あなたの方から金を受け取ったということを言っておりませんよ。それはどうなんです。わけのわからぬブローカーにお渡しになったというのがほんとうじゃないですか。
  577. 塚元彰

    塚元証人 私といたしましては、当時は三友を相手として支払ったと思っております。
  578. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 三友は当時一体何を商売してどのような資力があったのですか。
  579. 塚元彰

    塚元証人 私どもは三友を相手にしたのではなく、三友の持って参りました話に基きまして、三友産業が当時第一通商を通して、自分が持っているパッカードディーゼルエンジンが、新品と同様と言っておりましたが、近く売却できる予定になっておる。その事実を第一通商に確かめ、その信憑性を認めましたので、われわれはこの問題に入ったわけであります。
  580. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 しかしそうおっしゃるが、当時の事情はいろいろと文書も出ておるのであります。そもそも一体それはいつのことをおっしゃっておるのですか。
  581. 塚元彰

    塚元証人 二十七年の七月、ころと記憶いたしております。
  582. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 しかし二十七年の七月ごろにあなたの方へ話を持ってきたときに、すなわちあなたの方が七千三百万円の金を三友へ渡したと称するときに、いまだ三友が自己の所有物として、この問題になっておるパッカードマリンエンジンを持っておらなんだということくらいは知っておったでしょう。
  583. 塚元彰

    塚元証人 三友産業が持っておる、こう思っておりました。
  584. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 何によってそれは証明されておったわけですか。
  585. 塚元彰

    塚元証人 それは三友の言葉を信頼いたしたわけであります。
  586. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 七千万円からの金をあなたの使われておる会社の金を渡すときに、三友の言葉を信用するといったところが、客観的に三友というものは税務署へ税金も払えぬような破産状態にあったことは、今私が申し上げた通りなのであります。それはここで国税庁の法人税課長が説明したところなのです。よござんすか。そういうような、会社社長も加わっているけれども、そうでない者も加わって、しかもこれは非常に経済的に身分の薄いブローカーであります。そういう者に七千三百万円を渡すのに、言葉だけを信用して渡しましたというのではほんとうにできないのであります。それはあなたが経理を担当しないような一介の山出しの人であればいざ知らず、長年経理の専門家であります。金を出したり、入れたりするのがあなたの職じゃありませんか。その職の人が言葉だけを信じて、ボロ会社、破産会社へ七千万もの金を出すというのは、そんなことは想像されませんよ。実はそうでないというのがほんとうじゃないですか。ほんとうのところを言ってもらいたいのです。どうです。
  587. 塚元彰

    塚元証人 私は、当時三友が持っておる、こう思っておりました。
  588. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 三友が持っておると言ったところが、持っておる証拠は何もないはずです。なぜなら当時松庫が持っておるのですから-1松原が持っておった、いいですね。そこで実はそうでなくして、あなたの方は三友という会社を介在せしむることにして、そういうボロ会社でも何でもよいから、法人を中に介在せしむることにして、そうして松庫からこのエンジンを買うことにした、それがほんとうじゃないですか。そうしてその中間に立たしめたのがこれらの人々である。これがほんとうじゃないですか。
  589. 塚元彰

    塚元証人 そうではございません。
  590. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そうしたら七千三百万円という金は、主として杉山さんに渡したようなお話なんだが、なぜ杉山に渡し、なぜ岩間に渡さない。
  591. 塚元彰

    塚元証人 当時私のところへ来ましたのは杉山欽二郎正木恒作でございました。私は三友産業契約するからには正木さんの名前でもよいが、社長の印鑑証明と委任状を一つこれにつけていただきたい。こういうことは当時私はお願いいたしたのでありますが、それがいつまでたっても持ってこない、だんだん事情を調べてみますと、品物が違ってキャンセルされた、違約金の問題が-契約をごらんになっていただきますとわかりますが、載っております。そこで初めて三友という名前を正木さんが使ってわれわれと契約されたということがわかったのでありますが、その当時といたしましては、正木さんは三友の人だとこう思っておりました。
  592. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そうすると、正木三友の名をかたって、いわば自分立場を偽わって、あなたの方では三友社長の委任状がほしいと要求したが、それを持ってこない。結局三友の代理人ですか、三友の名前を正木が資格を偽わってあなたの方へ金を要求した、こういうことになったので杉山に渡した、こういう順序ですか、そういう関係になるのですか。
  593. 塚元彰

    塚元証人 そうでございます。
  594. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そうすると、あなたは杉山正木もしくは岩間も加えて、これらの人にだまされたという関係になるのですか。
  595. 塚元彰

    塚元証人 結果はそうでございます。
  596. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そういたしますると、その七千三百万円という金を、だますような人の杉山正木などに渡したのであるから、この金は一体どこへ行ったのです。
  597. 塚元彰

    塚元証人 その内容につきましては、三友に対する商品代金として渡したものでございまして、行く先は私は全然存じません。
  598. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 あなたの方は商品代金として七千三百万円を支払ったと、こうおっしゃるのですが、多くの証人は――ここでは何人か証人を調べておりますが、七千三百万円の商品代金と言った人は一人もいないのです。ことに松庫商店社長は、千万円前後、千六十万円もらったと言ったが、それは後日の証人も一致するのです。でありまするから、七千万円以上のものをパッカードエンジン二十台もしくはホールスコット二台を加えて二十二台をこの値段で買ったと言う人はだれ一人いないのです。ただ書類はあるのです。一億七千九百万円というホールスコット二台を加えたものの領収書が最初に出てくるのです。それから今度はホールス・コットを除いてパッカードエンジンのみの二十台ということにして、一億四千七百万円という領収書が、これはあとから出てくるのです。この領収書はあとから頼まれて――数額はそうじゃないけれども、間組に頼まれて作ったのであるというのはこれは正木証言なんです。正木はそう言うておるのですよ。あなたの方は何のことはない、正木にだまされた、杉山にだまされたと言うけれども、正木杉山と組んで、こういうような一億四千七百万円という二十台のパッカードエンジンの代金の領収書を発行せしめる、実にこういうことがほんとうであれば、正木のいうことが真であれば、実に奇怪なことをあなたはやることになるのです。ことに防衛庁はこのマリンエンジンを千二百万円で買った根拠は、あなたの方が一億四千七百万円を払ったことを真実なりと信じておったというのであります。あなたもだまされてうそだと言うし、あなたの方に要求せられたので証書を書いたと正木証人は言うし、このようにうそが組み合ってでき上っているような案件ではあるのです。いずれにしてもあなたの言うことが全くふに落ちません。一体この七千三百万円という金はどうなったとあなたは思いますか。全然わかりませんのか。
  599. 塚元彰

    塚元証人 七千三百万円のうち、こちらがわかっておりますのは、トラクター製作に払った金額は、一応三友依頼によりましてこちらが支払いましたので、ある程度全額ではないかもわかりませんが了解いたしております。その他の金額につきましては私は存じません。
  600. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 一体三友産業というものがボロ会社であって、破産状態であったというようなことは、その後は御承知になったのでしょうね。あなたの方は。
  601. 塚元彰

    塚元証人 現在は知っております。
  602. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 いつ知りましたか。
  603. 塚元彰

    塚元証人 大体二十八年の夏ごろだったと思います。
  604. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そうしますと、この金の内訳なるものは、大森トラクター製作所へ渡した分が何ほどであるかあなたははっきり言われないが、これは一応千三百六十八万三千余円ということにあなたの方の帳簿はなるのであります。その他についてはあなたの方はよくわからぬ。わからぬがともかく渡したと言うのだが、あなたは主人勤めであるから間組のために考えなければいけないのだが、ここは事の真相を明らかにしていただきまして、御協力を願いたいと思うので申し上げたいと思うのです。実は七千数百万円の金を出したと言いながら、それはそのうち相当額は環流してもとにもどってきておるというのがほんとうではないのでございますか。
  605. 塚元彰

    塚元証人 そのようなことはありません。
  606. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 ありませんけれども、何ぼ考えても七千三百万円もこの素性のわからないような人間に渡すということは考えられません。もっともあなたの方は、それはマリンエンジンを入手しているじゃないかと言うけれども、しかしそれは松庫が持っておった。松庫が持っておったのを昭和二十七年の七月二十五日、あなたの方が三友に発注したという書類は二十五日付です。そうして松庫三友へ売ったというのは二十六日付であります。そうして二十五日付で一億四千七百万円の領収書が出ておる。この領収書の出た由来を聞いてみると、二カ月ばかり後に作ったものである。しかもそれはあなたの方がたのんで作ったものであるということになりまするので、結局身分の薄い人々――身分の薄い人々というのは失礼だけれども、正木とか杉山とか沢とかいうような人々は、この第一通商との契約が解除になる前後においては、間組のちゃんと名前が出ております。これは七月であります。出てきておるということは、間組所有としてあちらこちらと売却の運動をしょったということになっておるのであります。ただ正木などの証言によりますと、あなたの方の所有物にはなっておるけれども、運動資金を借りて、売れたときには相当利益を得たいというような妙な契約があったということも推定されるのであります。されますけれども、ともかくあなたの方が所有しておったことはどうも間違いないと思う。ただしそれは一億四千七百万円を支払って、三友からこれを受け取ったというふうにはどうも理解ができぬのであります。ことにその代金の中核をなす現金の七千三百万円を三友へ支払ったということは何としても納得ができないのであります。さらにほかの証人も調べることになりますが、あなたの今おっしゃったところによれば、大森トラクターにあなたの方は千三百六十万円、杉山正木岩間などに杉山を通して払っているというようなことで、それから後の行方はわからないというのが今までの証言の概要でありますが、間違いないですか。
  607. 塚元彰

    塚元証人 間違いございません。
  608. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そうしますと、あなたの方はさらに第一通商あるいは沢、一生駒大井田というようなものにも数百万円もしくは千数百万円をそれぞれ渡したという事実はありますか。
  609. 塚元彰

    塚元証人 直接渡したことはございません。
  610. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 直接渡さなくても間接に渡してもらったということはどうですか。
  611. 塚元彰

    塚元証人 私どもはそういった関係のない人に直接払う義務はありません。三友がもしそういった必要のある人に払う場合は、われわれはその点につきましてはわかりません。
  612. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 三友々々と言うが、三友の正体は二十八年にすでに破産状態になっていることをあなたの方は確認しております。ところがこの金は二十九年まで連続して支払っている。でありますから三友を確認してから後に渡すことは考えられない。あなたの方は七千三百余万円が杉山正木などの手を通じて、今申し上げたこれらの人々に渡ったというようなことをあとか、らでもお聞きになりませんか。ともかくあなたの方の書類によれば、二十七年七月二十六日から防衛庁に猛烈に売り込み運動をやったことも御承知でしょう。それも知らないとは言えますまい。それも知らぬとは言えないでしょう。幾らあなたが経理課長で外に出ないとはいえ、あなたが全部支配しておったというように人々は言っている。ですから間組社長の意を受けてあなたが一切やったというからには、あなたの方は防衛庁売り込み運動をやるのに采配を振っておって、そこで金庫を明けて金を出す、これがほんとうだと思う。ブローカーに金を渡して、さきに出てきたのは千六百万円、受け取ったわけです。そういうものが出て参ります。そういうような場合に金を出す肝心のあなたが、その金をばらまいた先がわからないということは想像できぬ。念を押しておきますがはっきり言って下さい。
  613. 塚元彰

    塚元証人 私は当時第一通商契約を履行することに全力をあげておりましたので、その他のことにつきましては全然存じません。
  614. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 もうすでに第一通商の破約になるずっと以前のことでありますから、第一通商の破約になりましてキャンセルして以後でも、保安庁の方への売り込み運動があって、あなたの方の所有物を売り込む運動をするというこになったでしょう。
  615. 塚元彰

    塚元証人 第一通商からキャンセルを受けましたとき、先ほども申し上げましたように、その時期までに出た資金の償還につきまして厳談いたしたのでありますが、当時それらの関係者は今さら各方面に支払って自分の手元にない、近く台湾とかタイその他に売れる見込みがあるからしばらく待ってもらいたい、こういう申し出があったわけです。その申し出のとき、それじゃ申し出に合せまして、金利とか売却までにかかる諸費用、倉庫保管料、運賃、そういった経費は私どもで持ちますから待っていただきたい、こういう申し出があったわけでございます。
  616. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 あなたはしおらしいことをおっしゃっておるのですが、台湾へ出すとかタイ国へ出すとか、そんなことはこれまで出たことはないのです。しかし台湾とかタイ国は外国ですから、そういうことをわれわれは承知する手段もありません。そこであなたの方へ聞きますが、あなたが言うところによれば、一億四千七百万円金を渡したというのです。現金七千三百万円を渡したというのです。そこであなたの方は一体パッカードマリンエンジンのようなものをなぜ買うのです。あなたの方は土建業じゃありませんか。土建業がパッカードマリンエンジンみたいなものを買ってどうするのです。これは要するに安いものを買って一もうけしようというのがほんとうの腹じゃなかったのでしょうか。
  617. 塚元彰

    塚元証人 二十七年の七月ごろでございましたが、杉山欽二郎氏が三友産業の持っておりますパッカードディーゼル・ニンジンが近く第一通商に売却できるから、金融を援助してもらいたい。それにつきまして、売り上げ代金――当時第一通商契約の話は八台と申しておりました。九百二十万の単価で七千三百万何がしかの金になると思いますが、その金額間組に預け、御利用いただいていいから、とりあえず二千万貸してもらいたい。こちらも当時金融梗塞のときでございましたので、その事実がほんとうならと思いまして、第一通商に私が確かめに参りました。そのあくる日だったと記憶しておりますが、第一通商より、昨日の話は上の方の了解を得て正式に購入を決定いたしましたから御安心下さい、こういうお電話を私はいただいたわけであります。それに基きまして、金融手段といたしまして、お手元に差し上げましたようなオーダー、請書が成立して参ったのであります。
  618. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 あなたの方は、法務局の株式会社の登記事項によれば、土木建築その他工事の設計、施工に関する請負、受託というのが大体主たる営業になっている。よろしゅうございますね。金融業じゃないのです。ところが破産会社のi岩間関係しておるかどうかは別といたしまして、ともかく杉山という人は食うに困るような人だ。これが二千万円も金を貸してくれというのに、どこから持ってきたものかわからぬような、どういう経路で所有したかわからぬようなパッカードエンジンをあてに二千万円金を出すというのはどういうわけです。あなたの方は金融業じゃないでしょう。高利貸しじゃないでしょう。二千万円金を出すというのはどういうことです。一体そういうことはあなたの方の重役会においては、また社長においても、簡単に承諾しましたか。
  619. 塚元彰

    塚元証人 この件につきましては、社長は御存じありません。ただし私は経理部長の裁可は得たと思っております。
  620. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 しかし今申しますように、あなたの方は土建屋さんである。金融業ではない。金融業にしても、銀行その他相互銀行にしましても、個人の高利貸しにしましても、そう簡単に、こういうわけのわからぬもので、ことに政府が一基十万円余りで売った品物です。これに二千万円投じようというときには、何らかの経済的目当てがなければしませんよ。相当な確実な目当てがないと金融業なら一そうしませんよ。ましてあなたの方は船に関係ない商売だ。山が関係なんだ。土建屋さんだ。建築の関係だ。造船所じゃないです。船の商売じゃない。そういうブローカーではない。結局これは実はそうでなくして、あなたの方がこれを目当てがあるので買い取るということが真相ではないですか。そうでなければあなたの方がこんな二千万円の莫大な金を、わけもわからぬ杉山などの言葉に乗って貸し付けるはずがないと思うのです。しかもそれは社長にも相談せぬで、あなたと経理部長の二人でやった。そうして部長の裁可を得てやった、そういう独断は会社の建前からしたら許しがたいことです。あなたの方が金融業でもやっておるならばまた別でしょうけれども、経理部長というものはそんな権限はないでしょう。経理課長はもちろんのこと、それが取締役であっても、単独にはできないはずです。なぜなら会社の代理人であるから、会社の代表者ですから、その人が代表権限を持っておっても、いきますまい。やはりそれは会社の損害になるから背任ですよ。そういうことがないとするならば、会社利益を得る目的がなければならぬ。そうするとこれはもうかるめどがなければならぬ。確実に利益を得る経済的な裏づけがなければならぬ、こういうふうに考えるのです。この点について御説明はどうなりますか。
  621. 塚元彰

    塚元証人 私は第一通商のオーダーに基く単価が、当時のエンジンの価格というものと比べてみましてそう高いものでない。でありますから十万で出たとかそういうことは当時全然知らなかったわけであります。
  622. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 それでは聞きますが、あなたの方はこういうパッカードエンジンにつきまして金を出したり入れたりするのは、あなたと日野経理部長との間の相談でやっておった、こういうふうに聞いたらいいのですか。
  623. 塚元彰

    塚元証人 部長の御了解を得て支出をしております。
  624. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 ところがこれは別の問題でありますけれども、あなたの方はもうける目的でやったのではないような今のお話であります。また時価が、そういうふうに第一通商の会計役で大体相場が出たので、この値段で時価を見積って金を貸したようなお話であります。ところが実はいろいろな証言からわれわれ帰納いたしますと、やはりあなたの方は、松庫商店から中間の三友産業というものを作って、そうして買い受けたというふうにどうも推測するのであります。なぜかといいますと、あなたの方は別にまた昨年の十二月、横浜の丸藤株式会社から一これはおととし米軍から払い下げた原価が一基三万四千何がしです。三万四千数百円のものを、あなたの方は青木芳雄という人間から四基分と、それからあとの四基はスクラップにして、それ一切がっさいで二百万円で買い受けておる事実があるでしょう。
  625. 塚元彰

    塚元証人 買ったに相違ありません。
  626. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そこでこれはあなたの方がこんな商売人でないのになぜ買い受けるのですか。やはり防衛庁に売り込むということが目的ではないのですか。そこははっきりしなさいよ。
  627. 塚元彰

    塚元証人 現在持っておりますパッカードエンジンの部品補給、そういったあとの責任等を考えまして、納品後の責任、現在のパッカードエンジンを整備するために必要な部品、その両方を兼ね合せまして購入いたしました。
  628. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そういうでたらめなことをおっしゃらぬようにしてもらいたいのです。あなたの方は、防衛庁へ売るのにあとの責任云々とおっしゃるけれども、富士重工との間に契約もあるじゃありませんか。これは部品じゃないのです。同じ物件なんです。つまり富士重工が持っておるのがあるじやありませんか。だからあなたの方も、丸藤から青木の方に売って、青木からあなたの方が買った値段が半年の間に――丸藤の売ったのが一基三万五千円以下であります。それをあなたの方は五十万円で買っておるのです。しかもスクラップにしたものが四基分ある。これを防衛庁へ売って、あとの部品の心配があるから買っておきましたということは、あまりにもそらぞらしい御答弁ですよ。また防衛庁に対して売ったもののほかに、さらに完成したものを用意して待っておらなければならないという義務があるのですか。個人ならともかく、株式会社がそんなことができますか。株式会社防衛庁に対してそういう責任がありますか。あるということであれば、防衛庁にそういう義務をあなたの方に負わしておったかどうか聞きますよ。そんなむちゃなことをおっしゃるのは困ります。
  629. 塚元彰

    塚元証人 私は防衛庁だけさしているのではありません。十五台どこに売れるかわかりませんが、売るといった十五台ないし、あるいはもう少したくさんまとまるかもわかりませんが、まとまった製品に対する責任、そういったものを考えて購入していただきました。
  630. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 何のことをおっしゃっているかわけがわからぬ。それは五十万円でお買いになって、千二百五十万円に売ればずいぶんぼろいことです。ですからウの目タカの目で、どこかに同種のものがあったらと思って、あなたの方もお買いになったのであろう。青木はそういう能力がない。あなたの方は幸い能力がある。ことに数年間運動の結果実は結んでおるのであります。-富士重工の倉庫には防衛庁からとりにくるのを待機しておるのです。そういうときでありますから、あなたの方はさらにこれを売り込むべく安いものを買いあさったというのが真相でしょう。これが商売人の常です。そうでなくして、あなたが聖人君子みたいなことをおっしゃっても、それは通りませんよ。ですからこの事実から見ても、以前にお述べになりましたようなことは、あまりにそらぞらしいことではないかと思うのです。もっともきょうは、あなたのお立場経理課長でもあるし、間組に対して迷惑をかけたくないというような忠誠心から、そういうような御答弁になるのだと思えば、御同情申します。けれどもあなたは中心的な主役を演じているらしい。それで私どもは事態をはっきりするために、あなたの行為を究明していかなければならぬのであります。それで伺いますが、立てかえ三千大百万円というのは一体これは何です。
  631. 塚元彰

    塚元証人 正式に私どもの帳簿に入金いたします薪その他の諸掛りでございます。
  632. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 金利、諸掛り、そんなものを一体こういうところへ出して、あなたの方はそれでよいのでしょうか。そもそも金利というのであれば、それは代金に払ったのでも何でもないのじゃありませんか。しかも一億四千七百万円という代金の領収書をあなたの方は受け取っておるのでしょう。代金の領収書を受け取って、そうして金利をそういう中へ積算していくのはま  ことに筋の通らぬことであります。それは一体どういうことなのですか。実はそうではなくして、防衛庁が予算をうんと持っておる。一基に五千万円も持ったことがある。そういう予算を持っておるというので、金をとってやればいいというので、防衛庁との間に話があったかなかったかそれはわかりませんけれども、いずれにしても体裁をつくろうべく一億四千万円という領収書にしたということが真相で、実のところ立てかえでもなんでもない、これがほんとうじゃないのですか。
  633. 塚元彰

    塚元証人 防衛庁に対しましては、私どもの立場として御交渉申し上げました節は、時価でお願いいたしまして、その線を譲っておりません。
  634. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 あなたの方は防衛庁へ幾らで売るというつもりだったのですか。
  635. 塚元彰

    塚元証人 当時の記憶では最低千三百五十万円でお願いいたしたいと思いました。
  636. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 千三百五十万円とは少し欲が大き過ぎはしませんか。いくら何でも、杉山とか松崎という人やら岩間という人やら、何をしておるかわからぬような人に、あなたは相当莫大な金を渡して、またこれらの人の飲んだり食ったりする経費も使っております、あるいは調べたり自動車賃も使っておりますというようなのが説明で、それ以上はわからぬのです。ことに運動費を六百万円も某氏に渡したとかいろいろなことを言われておるのです。運動費を渡して、その運動費を全部かけていって国から金をとろうというのは、ほんとうに不届きじゃないのでしょうか。あなたよく考えて下さいよ。防衛庁といえども天から降ってくる金じゃないのですよ。これはみんな税金ですよ。税金で払うのですからそのつもりで考えて下さい。その防衛庁から金を取りむさぼったらいいというようなお考えで商売をしたら困りますよ。千三百万円で売りつけるというのは何事です。松庫さんがとっている金というのは何ほどですか。総計千六十一万円なんです。千六十万円で二十二基とっているのですよ。それをあなたは御承知だと思う。ことに三友会社がボロ会社であるということは、二十八年のときにすでに知っておられる。そういうものに河百万円かの金を渡した、あるいは千数百万円の金を渡した。まことにこれは申しわけないとしなければいかぬ。そのしりぬぐいを全部防衛庁にさすということは、それはむちゃな話だ。一基千三百五十万円で買ってもらうということはあまりぼろ過ぎはしませんか。暴利取締りという法律もあるのですよ。経理課長だから経済だとか経理だとか損とか益とかいうことはよく御承知だろうけれども、そんなむちゃなことはありませんよ。これらの人がみなもうけたか飲んだか食ったか知りません。豪遊をきわめたというような風説すらあるのです。豪遊をきわめたしりぬぐいを国民の税金で防衛庁にさすような売り込み方はひどいじゃありませんか。富士重工は千七百四十三万円かしらで吹き込んでいっているのです。あなたの千三百万円以上に売ろうというのは、ちょっと欲が深過ぎはしませんか。千三百万円なら二十基で何ぼですか、二億六千万円越えるのですよ。そしてまた四十数一万円で四基を青木商店から買い込んでいる。ぼろい話です。四十数万円で青木商店から買うて、部品がどうの、売り込んだあとの責任がどうのこうの、そんな聖人みたいなことをおっしゃらぬで下さい。ちょっと申しわけなかったという気持で過去を振り返ってみたらどうです。あなたは千三百万円で売ろうというのはほんとうにむちゃな話だと思いませんか。ブローカーがもうけた、そんなことを国民にみなしりぬぐいさせていいのですか。商売人というのはそんなことでいいのですか。ことにあなたは経理課長なんだ。もっと正しい態度でやって下さいよ。どういう態度でお考えになっていますか。
  637. 塚元彰

    塚元証人 私どもといたしましては、当時、松庫さんから十万円で得た、そういったことは全然知らずに第一通商契約をもとにしてオーダーを出したのであります。従って当社としましては、帳簿を見ていただきましても御了解いただけると思いますが、原価の上からいきましても、そうもうかっているという数字にはなっておりません。ただわれわれはそういったいきさつではなくて、物を売買する場合に、時価でそれが二千万円するものでございましたら、あるいは千五百万でもいいのでありますが、そういった時価に相応した金額で売買をお願いしたい、これは防衛庁ばかりでなく、ほかに交渉する場合にもそのつもりで折衝いたすつもりであります。
  638. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 あなたは時価でお願いするとおっしゃるが、青木商店から九十万円で買うたのは去年の七月ですよ。あなたの方の領収書によれば、あばたの方は青木商店に昭和三十年七月に二百万円を払っておる。いいですね。これは覚えておりましょう。そこでそれは去年の七月のことですよ。今年の三月には、あなたは千二百五十万円で二基売っておるのです。時価でというならば、あなたは青木商店から千二百万円で買えばいい。青木商店から五十万円で買うて、そうしてスクラップにしたと称するものが四基分、これはトラック何台分もある。それも買うた。それは四十数万円にしかついていない。それを買うて、時価で買うてもらうといいながら、千二百五十万円で三月に売っておる。今から十日ばかり前に二千五百万円富士が受け取っておるということくらいは知っておるでしょう。あなたは経理課長ですが、そんなむちゃなことがありますが。おっしゃること全く筋が通らないじゃありませんか、どうですか。
  639. 塚元彰

    塚元証人 パッカードの台数は当時二十台で契約いたしました。二十九年度防衛庁契約交渉が相当進展いたしております時期においては何台まとまるか、これは大きな疑問であったわけであります。結果的に昨年度買いましに品物があったから大体当初のエンジンの台数に近づいてきた、こう思っております。
  640. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 私が聞くのは、あなたは防衛庁に時価で買ってもらうつもりでありましたと言い、青木商店から本年の七月に五十万円で買うておる。そこで今から数日前に一基千二百五十万円で二基分受け取っておるじゃないですか。何でそんなむちゃなことをするのか。時価ならば何で時価で売らないのですか。あなたは買うものはたたいて、売るものは高く売るというのが本音じゃないのですか。ほんとうに時価なら――買うたものは時価でしょう。五十万円で買うたなら、五十万円で買うたからというて防衛庁に売ればいい。これは去年のことじゃありませんか。何でそんなむちゃなことをするのですか。
  641. 塚元彰

    塚元証人 五十万円で買うたのは製品で買ったわけではありません。おそらく使える部品が何ほどかあるだろうという前提で買ったわけであります。
  642. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 あなたが青木から買った四基は、いつ富士重工へ持っていったのですか。
  643. 塚元彰

    塚元証人 昨年の夏ごろであったと思います。
  644. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 わかりました。われわれも現物を見てきておるのです。幾らか使える部品があろうかというような、そんなうそをおっしゃらないで下さい。皆同じものであります。今富士にあるもののうち、一、一〇五二号と二、二六八一号というのは、これですよ。これは青木からいっておるのと同じものですよ。われわれが見てきても、また技術者の説明も同じものです。だから幾らか部品が出るだろうなんというのは人をばかにした答弁ですよ。防衛庁も漸増計画で金があり余って困っておる。昨年のことでありますけれども、一年に二百三十数億も使い切れぬで繰越金も出しておる。そういうところだから幾らでも買うてくれるだろう、これがあんた方の腹じゃないのですか。時価で買ってもらうというのはまことに殊勝げなあなたの言葉だけれども、あなたは一方において五十万円で買い取って、それを富士重工業へ預けておいて、そうして防衛庁には千二百五十万円で売りつけておる。時価で買っていただきます、責任を持ちます、何とかかんとかまことにけっこうなお言葉ですけれども、全くこれは一人を食ったことであります。こんなむちゃなことはありませんよ。そうしてブローカーに使った金を全部防衛庁にしりぬぐいさせる。一億四千七百万円はでたらめです。これは法律的にいえば文書偽造ですよ。正木はこれは事実じゃないというのです。頼まれて作ったと正木証言したのです。それは間組から頼まれたと言っておる。社長は知らぬ。あなたは部長の決裁を得てやったという、そんなむちゃな主役を演じておる。まことにもってのほかであります。  それで最後に聞いておきます。あなたはどうして間組所有しておるものを間組が売らないのですか、これは要するにあなたの方が売るというのは格好が悪いので、富士重工業という名前を使って売る、これがあなたらのやり方じゃないのだろうか。松庫から買うときは三友という幽霊的な破産会社を使う。運動するのには千数百万円もとるところのブローカーを暗躍させた。また防衛庁へあなたが売る形式は富士重工業という名前を使う。時価と称して莫大な値段で売りつける。その証書も作っておく。まことにこれは至れり尽せりで道具がそろっておる。今でもあなた方としてはほんとうに正しいことをやったようなお考えでおられますか、それだけ聞いておきます。
  645. 塚元彰

    塚元証人 二十八年の終りから二十九年の四月ころまではまだ製品として全然できておりませんでした。富士重工さんに二十九年の七月初めて公開試運転をお願いいたしまして公開試運転をいたし、それで初めて製品としてりっぱに活用できる、こういう自信は持ったのであります。しかしこれだけの高性能のエンジンを私どもの職員では説明ができません。そこで富士重工さんにお願いいたしまして、アフター・サービスその他いろいろ技術上の説明につきまして御協力を仰いだわけであります。
  646. 辻政信

    ○辻委員 関連して。塚元さんにお伺いしますが、あなたは防衛庁売り込みに行ったときにだれの紹介でだれに会ったのですか。
  647. 塚元彰

    塚元証人 防衛庁に私が最初参りましたのは、沢さんといわれる三友の人が一度あいさつに行ってくれ、こういうお言葉がありましてごあいさつに一行ったことがあります。それから約八カ月、三十九年の四月三友と手を切る-金銭的な決済はおくれましたが、もう手を切る、こう宣告しましたとき一度ごあいさつに行ったことがあります。
  648. 辻政信

    ○辻委員 三友からあなたに、防衛庁へごあいさつに行ってくれという依頼を受けたのですか。
  649. 塚元彰

    塚元証人 二十八年の一月に第一通商からキャンセルを受けまして、その処理償還について厳談いたしました節、自分たちが責任をもって処分した代金で返却いたしますから待ってもらいたい、こういう申し出があったわけです。それにつきまして、ただいま御指摘の三友という微力な会社では売り込みができないから、一度会社の名前においてごあいさつしてくれ、こういう依頼は受けました。私どもとしましては、当時の貸金の回収の手段としてやむを得ないことだと思ってごあいさつに行ったわけでございます。
  650. 辻政信

    ○辻委員 それでは三友から、防衛庁は多分買うだろうからあいさつに行くように言われたのですか。
  651. 塚元彰

    塚元証人 多分買うだろうからという意味でなく、その当時台湾の中国大使館なんかの話も出たと思いますが、そういった面にもあいさつに行ったことはあります。
  652. 辻政信

    ○辻委員 買うだろうということがわからずに、めくらめっぽう防衛庁にあいさつに行くというのはおかしいじゃありませんか。
  653. 塚元彰

    塚元証人 品物を買っていただくつもりでお願いに行ったわけであります。
  654. 辻政信

    ○辻委員 だれの紹介でだれに会いましたか。
  655. 塚元彰

    塚元証人 古い話でございますので……。沢さんと御一緒に二、三のお部屋にごあいさつに行ったように記憶いたしております。
  656. 辻政信

    ○辻委員 だれに会いましたか。
  657. 塚元彰

    塚元証人 名前は記憶いたしておりません。
  658. 辻政信

    ○辻委員 どういうごあいさつをいたしましたか。
  659. 塚元彰

    塚元証人 当時どのようなお話を申し上げましたか記憶に残っておりません。
  660. 辻政信

    ○辻委員 あなたも子供じゃあるまいし、それだけの年輩の人が、商品をかかえて売りさばかなければ困るというときなんでしよう。それならば、防衛庁に頼みにいくときは、こういうエンジンがあるから買ってくれといってあいさつに行かなければあいさつにならぬじゃありませんか。それとも防衛庁にいろいろお世話になったのでお礼にでも行ったのですか。
  661. 塚元彰

    塚元証人 お礼に行ったのではありません。
  662. 辻政信

    ○辻委員 だから買ってくれということを頼みに行ったのじゃないか。
  663. 塚元彰

    塚元証人 当時売却につきましては三友がやっておったわけでありまして……。
  664. 辻政信

    ○辻委員 においをかいで行ったのじゃないのか、防衛庁が買ってくれるかもしれないからあいさつに行くというて……。
  665. 塚元彰

    塚元証人 三友お話では、そういう空気がある、こういうことは申しておりました。
  666. 辻政信

    ○辻委員 それならばそれを買う責任者に会わなければあいさつにならぬが、その責任者の名前を思い出せませんか。まさか演習をやるところにあいさつに行ったって買ってくれませんよ。つながりのあるところに行かなければあいさつにならぬでしょう。しかもそれは多分買ってくれるだろうというウナギのにおいをかいで、かば焼屋にかば焼を食いに入ったのじゃないですか。
  667. 塚元彰

    塚元証人 当時販売の方につきましては三友に責任を負わしておったのでありますから、私不肖にして記憶いたしておりません。
  668. 辻政信

    ○辻委員 三友防衛庁に販売する責任を持っておった、今のようにとれるのだが、そうすれば、防衛庁としては、買い上げる主任者がきまっておるはずです。それにあなたがあいさつに行くべきである。まさか演習をやるところの演習部長にあいさつに行ってもものにならないが、名前を忘れているのですか。会った人ははっきりわかっているのです。思い出せませんか。
  669. 塚元彰

    塚元証人 申しわけございませんが、記憶にございません。
  670. 辻政信

    ○辻委員 防衛庁で当時あなたに会った主任者というものは、あなたのうしろにおられるその人が責任者なんです。そうしてあなたの売り込みに行ったということをはっきり言っておられる。隠さぬでもよい。はっきり言いなさい。
  671. 塚元彰

    塚元証人 この方ではございません。(笑声)
  672. 辻政信

    ○辻委員 それでは石井課長にお伺いします。石井課長は私にはっきり三友塚元経理課長日野常務がやってきた、初対面であった、そこでこういうものがあるという話を聞いたんだ、あなたも、間組土建屋だから技術的にも信用置けないし、富士重工ならよいだろうと示唆したということをはっきり述べている、この席上で。思い出せませんか。
  673. 塚元彰

    塚元証人 石井部長にお目にかかりましたのは、富士重工の契約が進捗いたしております三十年の一月から三月までの一回か二回お目にかかった記憶があります。
  674. 辻政信

    ○辻委員 どこで会いましたか。料理屋か役所かどっちか。
  675. 塚元彰

    塚元証人 石井部長のお部屋でございます。
  676. 辻政信

    ○辻委員 石井部長という人は偉い人なんです。お役人で、官庁の主任者なんです。そこにあなたが行くのに、いきなり飛び込んで行ったのか、たれかの紹介を持って行ったのかどうか。
  677. 塚元彰

    塚元証人 三十年の初めに契約の方から、富士重工業を通して、一緒に出てこい、こういうお申し出がありまして、契約第三課の方へお伺いしたわけでございます。
  678. 辻政信

    ○辻委員 そうすると、防衛庁に聞きますが、防衛庁は初めからあれを買おうと思って呼び出したのですか。それとも間組があなた方に買ってくれと言ったのか、どっちなんです。
  679. 石井由太郎

    ○石井説明員 二十九年十二月二十七日付であったと思いますが、海上幕僚監部から調達要求が参りまして、これによりまして私ども調達実施本部におきまして、富士重工と間組と両者会いまして折衝を始めたのであります。ただいまの塚元さんのお話はその当時のことを申しておるのではないかと思います。
  680. 辻政信

    ○辻委員 私はあなたが初めて石井君に会われたように聞いておったのだが、その前に石井君の下の人にあいさつに行ったのですね。
  681. 塚元彰

    塚元証人 そうでございます。事務当局のお方と相当折衝した後、最終的な段階において石井部長のお部屋へ御一緒にお伺いしたように記憶いたしております。
  682. 辻政信

    ○辻委員 その第三課長はたれです。思い出せませんか。
  683. 塚元彰

    塚元証人 三十年、当時の契約第三課長は土生さんであったと思います。
  684. 辻政信

    ○辻委員 ようやく今になって思い出しましたか。
  685. 塚元彰

    塚元証人 いいえ。私は二十八年ころのお話をおっしゃられたと思ったので御返事ができなかったわけでございます。
  686. 辻政信

    ○辻委員 あなたがそのエンジンを買う動機は、やはり三友人たちから、大体内々話がついておるぞ、防衛庁でほしいのだから、将来もうかるぞというようなにおいをかがされて買ったのですか。
  687. 塚元彰

    塚元証人 二十九年の四月よりは、三友とは関係いたしておりません。私どもは富士工業さんにお願いしまして、その技術上の援助と御注意を期待してこのエンジンの整備、御協力を仰いでおったわけでございます。従ってまだその時分には販売といった面はございません。製品としてとにかくものにしなければいけないという研究時代でございました。
  688. 辻政信

    ○辻委員 先ほどのお話では、あなたは三友から防衛庁にあいさつに行くようにということを言われて行った。それは二十八年だということですね。
  689. 塚元彰

    塚元証人 そうです。
  690. 辻政信

    ○辻委員 その前に海幕の主任者が汐留の倉庫にその機械を見に行っておる、ということになると、これは将来防衛庁が買うだろうというにおいが当然そこに起きてくる。そのにおいがなければ、商人のあなたが買手のないものにそれだけの金を出す道理がない。それはわかりますね。――だからそのにおいをかがされたのは三友からかがされたのか、あるいは防衛庁の係から買うからということを耳打ちされたのかということを聞きたい。
  691. 塚元彰

    塚元証人 当時どなたか汐留に行かれたか知りませんが、私どもは金融上の手段として第一通商の引き受けに基いてやったわけでありますから、その当時どういう動き方をされていたかは私は存じません。
  692. 辻政信

    ○辻委員 結論として聞きますが、あなたはこのエンジン三友を通じて買うときに、これは将来防衛庁が買ってくれるという見通しを立てて買ったか、それをはっきり言ってもらいたい。
  693. 塚元彰

    塚元証人 当時防衛庁に納めるというようなことは全然念頭にございませんでした。
  694. 辻政信

    ○辻委員 念頭になくて、防衛庁にあいさつに行けと言われたときに初めて念頭に浮んだのか。
  695. 塚元彰

    塚元証人 先ほども申し上げましたごとく、二十八年の一月に第一通商から契約の破棄を申し渡されまして、これが今まで投入した資金の決済方法としまして、三友が責任を持って売却するからそれまで待ってくれ、と、そのてこ入れの意味においてごあいさつに行ったことはございます。
  696. 辻政信

    ○辻委員 てこ入れということは買ってもらえるという意味ですか。
  697. 塚元彰

    塚元証人 そういう意味でございます。
  698. 上林與市郎

    上林委員長 生田宏一君。
  699. 生田宏一

    ○生田委員 ちょっと簡単なことをお尋ねしておきますが、あなたの方は第一通商が買うというので融資した、こういうことに最初はなっておりますね。
  700. 塚元彰

    塚元証人 そうでございます。
  701. 生田宏一

    ○生田委員 そのときに第一通商は幾らで買うということになっておりましたでしょうか。
  702. 塚元彰

    塚元証人 一台九百二十万、八台の契約であったように記憶いたしております。
  703. 生田宏一

    ○生田委員 九百二十万の八台ですから七千万程度はあなたの方で出していい、こういうお考えになったのでございますか。
  704. 塚元彰

    塚元証人 そうでございます。一
  705. 生田宏一

    ○生田委員 ところが第一通商からキャンセルされたので品物が売れなくなったということで、それまでに四千万円ほど出しておった金の回収に困ったということのようでございますがそうなりますと、一億四千七百万円の領収書をもらったあのときには、四千万円の回収をしたいという申し出を三友の方へお話になったときと、この二つの時期の関係はどうなりますか。どちらが先で――あるいは同時でございましたか。
  706. 塚元彰

    塚元証人 一億四千七百万を両者納得しまして契約しました時期はずっとあとでございます。
  707. 生田宏一

    ○生田委員 何年何月でございますか。
  708. 塚元彰

    塚元証人 三十年の二月か三月ごろだったと記憶いたしております。
  709. 生田宏一

    ○生田委員 書類はたしか二十七年七月二十五日と作成上書いてあるように思いますが、これはいかがですか。
  710. 塚元彰

    塚元証人 当初一台七百九十五万、一億七千幾らの契約書になっておりまして、その契約日にすりかえしたという意味でそういった書類にいたしました。これが手続上の不備、あるいはそういった方法がまずかった、こういうことがもしありましたら、私は悪いと思っております。
  711. 生田宏一

    ○生田委員 それでは一億七千幾らという書類をこしらえたときと、それから四千万円の回収をしたいとあなたの方で決意をされたときと、この時間の関係はどうなりますか。
  712. 塚元彰

    塚元証人 一億七千余万円は二十七年の第一通商のオーダーの出ましたあとで取り結んだものであります。七月の二十五日ごろだったと記憶いたしております。
  713. 生田宏一

    ○生田委員 その一億七千余万円という計算の基礎はどういうところにありますか。
  714. 塚元彰

    塚元証人 第一通商契約単価に八台をかけまして七千三百二十万、それから千万を引いて八で割ったのが一台当りの単価になっております。千万の中には試運転費、持込費は折半する、こういう契約内容になっておったと記憶いたしております。
  715. 生田宏一

    ○生田委員 そうすると、それが一億四千七百万円に変ったのはどういう理由によるものですか。
  716. 塚元彰

    塚元証人 当初パッカードディーゼルエンジン、こういう申し出であったわけでございますが、それがディーゼルでなくガソリンになったわけでございます。品質が違ってきた、そういった何において契約金額の更改と申しますか、折衝が話し合いになりますので、相当長くかかったと思います。
  717. 生田宏一

    ○生田委員 お尋ねしましたのは、一億七千余万円が一億四千七百万円になった理由は、数字計算はどうですか。
  718. 塚元彰

    塚元証人 品物が違ったためにそれだけの減額をさしたわけでございます。
  719. 生田宏一

    ○生田委員 そうすると一億四千七百万円のあなたの方の御計算内訳は、どういう数字が積み重ねられて一億四千七百万円になりますか。
  720. 塚元彰

    塚元証人 当時三友支払いました仮払金勘定に載っております額が七千三百何がし、それから三十年の二月ごろまでに要した金利、保管料、保険料その他諸掛りを入れまして三千六百万、それから三千七百万は渡したのでありますが、当初の約束が、処分できるまで、十五台まとまるまでの費用は全部持つ、こういう申し入れでありましたので、その金額につきましては現在預かっておりますが、その金額は現在では千八百万、千九百万程度の預かりになっておると思います。
  721. 生田宏一

    ○生田委員 委員長、先ほども例があったことですから、証人証言に従って防衛庁のお答えと対比していけば、すぐ解決するように思いますので、お許しを願いたいと思います。
  722. 上林與市郎

    上林委員長 よろしゅうございます。
  723. 生田宏一

    ○生田委員 一億七千余万円が一億四千七百万円に変ったのは、二十二台分の計算でそうなったのだけれども、ホールスコット二台と、パッカード五台とが、品物が変ったり、古びて使えなかったために十五台で計算をするようになったから、一億四千七百万円に変ったのだという、そういう答えをした人も当委員会にあるのです。ところがあなたの今のお話ですと、台数が減ったために一億七千四百万円から一億四千七百万円になったのではなくして、もう全然計算の基礎が違っておる。一方の場合には第一通商のオーダーに基いてやったが、次の方はいよいよ品物を引き取って後に、自分が出した金とそれから諸掛り、金利その他を計算をしていって一億四千七百万円になった、こういうことですが、一億七千四百万円と一億四千七百万円というものの計算の立て方、これについて全然別個の考え方で立てておるという御証言になっておるのです。どっちが正しいのでしょう。
  724. 塚元彰

    塚元証人 当初は第一通商のオーダーに基いてそれを基準にして契約を行なったわけでありますが、この一億  四千七百万を取りかわしましたときは、すでに間組が立てかえをしました分、その他実費を基礎にして損害賠償を請求いたしましてもとれる相手でありませんので、計算をいたしたわけであります。
  725. 生田宏一

    ○生田委員 防衛庁にお聞きいたしますが、防衛庁から私にこの前に御答弁があったのと今のと内容が違いますね。石井部長に私がお尋ねしましたね、一億四千七百万円が十五台で九百五十万円になる。ところがそれは台数も何も書いてないじゃないか。あの契約書、あの書類には何も書いてない。そうすると何台なのか、これもわからぬじゃないか。二十二台ということになると、一億四千七百万円でいけば七百万円くらいに下ってくる。それを一台九百五十万円と考えておるのはどういうわけかとお尋ねしましたら、それは二十二台であったのだけれども、七台のだめなのか、ぺケが出てのけたから、十五台によって一億四千七百万円、これを一台分にすると、九百五十万円、こういうお答えがあったのですが、今の間組の人のおっしゃるのと違う答えが出ておるのですが、これはどうでしょう。
  726. 石井由太郎

    ○石井説明員 私どもの聞いておりますところでは、一億七千四百万円、ディーゼルエンジンという約定が成立したのでありますが、いよいよ結着をつける段階になりまして、これがディーゼルエンジンでなくて、ガソリンエンジンであったというところから、値引き交渉の結果、台数は二十二台で一億四千七百万円、いわゆる台数の変化でなくて品物の性質が違ってきたというところから、そのように変ったものと今までは承知しておりました。ただし間組のただいま申しました一億四千七百万円というのは、二十二台全部できたものではない。二台はホールスコットであり、五台は使い物にならぬというところから、われわれに向いまして計算の基礎として主張して参る場合には、十五台で今の一億四千七百万円を割った金額をベースとして主張して参っておられます。従いましてなお申し上げますと、一億七千四百万円と一億四千七百万円との差は、ディーゼルガソリンの差であったことから生じてきたというふうに考えております。
  727. 生田宏一

    ○生田委員 もし一億四千七百万円が依然としてこれは二十二台分であって、ディーゼルガソリンであったということで一億四千七百万円になったというのならば、二十二台で原価を起さねばなりません。そうすると七百万円足らずになります。ところがあなたの方ではそうではなしに、一基九百五十万円というものは、一億四千七百万円に対して十五台で割ったから九百五十万円になったのだ、こういう御説明です。どっちが正しいのですか。
  728. 石井由太郎

    ○石井説明員 台数は十五台でございます。しかし一億七千四百万円の約定ができましたときはディーゼルエンジンであった、ガソリンエンジンでないというところの約定金が一億四千七百万円、・ところがこれがガソリンエンジンであるということがわかりましたので、一億四千七百万円が一億七千四百万円に切りかえられた。そしてその対象となりました台数は、もちろん当時約定通りの二十二台であった。ただしこの二十二台のうちに、二台のホールスコットと五台の使い物にならないものがあるから、われわれに主張して参ります根拠といたしましては、十五台で割った金額で主張して参った、このように私どもは了解しております。
  729. 生田宏一

    ○生田委員 間組の人にお尋ねしますが、そうすると、二十二台でなしに、あなたの方は十五台で建値をしたわけですね。
  730. 塚元彰

    塚元証人 その当時はそうでございました。
  731. 生田宏一

    ○生田委員 そうすると、ディーゼルガソリンに変ったから値段が安くなるはずが、七百万円から九百五十万円に高くなったというのはどういうわけですか、御説明願います。
  732. 塚元彰

    塚元証人 結果的に当初予定しておりましたより費用がかかった、こういうことでございます。
  733. 生田宏一

    ○生田委員 よほど事情がはっきりしてきましたから、なお重ねてお尋ねしますが、一億七千四百万円と一億四千七百万円と二つの数の間には関係がありますか、何にも関係ありませんか、どっちですか。
  734. 塚元彰

    塚元証人 一億七千幾らと一億四千七百万円の間には関係はございません。
  735. 生田宏一

    ○生田委員 それでは日付はどうして同じ日付にさかのぼってそういう更改をなさいましたか。
  736. 塚元彰

    塚元証人 失礼いたしました。その意味をはき違えておりましたが、その金額の構成において関係がない、こう申し上げたのであります。計算基礎は関係がない、こう申し上げましたのですが、当初の約定を第一通商のオーダーに基きまして成立した三友を最後に一億四千七百万円に訂正いたしたために、日をさかのぼったのだと思います。
  737. 生田宏一

    ○生田委員 訂正なさったのですね。間違いありませんね。――それでは三千六百万円金利、諸掛りというのですが、諸掛りが幾らで金利が幾らでしょうか。
  738. 塚元彰

    塚元証人 今数字は記憶いたしておりませんが、伝票を確かめまして、御返事させていただきたいと思います。主として金利だったと思います。
  739. 生田宏一

    ○生田委員 そうするとあなたが約定した相手は金利を三千万円と言っておりますが、御記憶を呼び起していただいて、それに間違いないでしょうか。
  740. 塚元彰

    塚元証人 主として金利が大部分だったと思います。五百万ぐらいが経費だったと思います。
  741. 生田宏一

    ○生田委員 それではあなたの方には、一億七千四百万というのは証書をこしらえたときにこの品物はいつ売れるという大体のお見通しはありましたか。
  742. 塚元彰

    塚元証人 一億七千万を契約いたしました当時は第一通商だけでございます。
  743. 生田宏一

    ○生田委員 そうすると、お尋ねしたいのですが、一億七千四百万円が一億四千七百万円に額面が下ったのはディーゼルからガソリンに変ったということが理由でございましたね。
  744. 塚元彰

    塚元証人 一億七千余万円が一億四千七百万になった。これは二十八年の一月のとき品質が違うではないか、そこでそれに対してどういうような償還の仕方をしてくれるかという交渉をいたしたわけであります。しかしわれわれがそれだけの金額を取るためには品物の担保力となるだけの製品としての価値あるようにしておかないと、四千万それ自体が返ってこない計算になりますので、そういう費用は一応立てかえてやる、こういう前提で整備はさせておりました。しかし最初整備しておりました会社では整備能力からいってとても信用できない、一度一流の会社に見てもらった方がいいのではないかというようなお話を第一通商の方だったと思いますが、いただきまして、富士工業に御紹介いただいたわけであります。富士工業へお話を申し上げましたところ、一度品物を見てあげますとといって診断してくれた結果、これはシルバー・メタルがないとだめだ、それがないと本体は非常に優秀なものだが、正規の機能を発揮しない。こういうお話がございまして、メタルを各商事会社を通じて探したわけであります。ようやく二十八年の十二月ごろだったと思いますが、メタルそのほかに各種パーツがある、御希望のものがあったらすぐ知らせ、こういう返電をいただきまして、ようやく製品としての自信を持ったわけでありますが、その当時はまだ一台も正規のオーバー・ホールをしたわけでございませんので、二十九年の三月メタル一合分が入りましたとき、富士さんにお願いいたしまして、オーバー・ホールをいたし、二十九年の六月ころ公開試運転をいたしました結果、非常に成績がよかったため、初めてそこで製品として使用可能だという確信を持ったわけでございます。当時の話はディーゼルエンジンで新品だということでやってみたら、-実際は品物の本体は新品であったことは事実のようでございますが、肝心のものが抜けておった。そういう状態がわかったわけであります。そういったような過程において、次々といろいろな費用、寝資金というものが起きまして、一億四千七百万という金額になったわけであります。
  745. 生田宏一

    ○生田委員 それじゃもう一ぺん聞かなければならなくなりましたので聞きますが、第一通商のキャンセルを受けたのは何年何月ですか。
  746. 塚元彰

    塚元証人 二十八年一月です。
  747. 生田宏一

    ○生田委員 そうすると、第一通商のキャンセルを受ける前に第一通商が買うという金額は一億七千余万円で、あなたが金を出して向うから領収書を出すというのはどういう考えによるのですか。
  748. 塚元彰

    塚元証人 一億七千幾らの領収書はございません。一億四千七百万のは受け取りました。
  749. 生田宏一

    ○生田委員 さっきとだいぶ話が違ってきたのですが、一億七千余万円を一億四千七百万金に改めた、あなたは契約をやりかえたと言った、そうですね。
  750. 塚元彰

    塚元証人 はい。
  751. 生田宏一

    ○生田委員 その契約に基いて一億四千七百万円の領収書をもらったのですか。
  752. 塚元彰

    塚元証人 そうでございます。一億四千七百万の注文書、請書を取りまして、領収書をもらったのであります。
  753. 生田宏一

    ○生田委員 これは八幡のやぶ知らずのような話で、ややこしいですね。一もっとわかるように言ってくれませんか。これでは何日でもわかるまで聞かなければならぬことになりますから、もっとわかるように言って下さい。もっとわかるようにどうして言えませんか。一億七千四百万円というような計算の基礎は何ですか。もう一ぺんそれを言って下さい。
  754. 塚元彰

    塚元証人 一億七千万の方は第一通商の九百二十万円に八台をかけまして、それから千万円を引いて八で割った単価に二十二をかけた数字です。一
  755. 生田宏一

    ○生田委員 そうすると、この契約書というのは、あなたの方がそれだけの金を出すというのですか、あるいはあなたの方がもらうのですか。どちらですか。その一億七千余万円という契約書は第一通商がそれで買うというのでしよう。
  756. 塚元彰

    塚元証人 第一通商はもっといい値一段で買うというのです。当時の話は第一通商が一台当り単価九百二十万円で買う、こういうオーダーをいただきました。
  757. 生田宏一

    ○生田委員 そうすると、それまでにはまだ届かない金額をあなたの方が出すということであったのですか。そうすると、第一通商の買い入れ値段とあなたの方の一億七千余万円との間の金はだれがもうけることになるのですか。
  758. 塚元彰

    塚元証人 一億七千四百万は二十二台分の契約金額であります。九百二十二万円で二十二台売却できたとしますれば、約二億近い数字でございます。
  759. 生田宏一

    ○生田委員 それでその差額一億七千余万円は、だれがもうけたんです。
  760. 塚元彰

    塚元証人 その差は私どもの勘定になるわけであります。
  761. 生田宏一

    ○生田委員 そうしますと、それらは金融じゃなしに、あなたの方の商売になりますね。
  762. 塚元彰

    塚元証人 その契約書をごらんになっていただけばわかるのでございますが、試運転費、それから持ち込み費、そういった費用は折半にする、そういった約定がございますから、その差額が全部もうけである、こういうことにはなりません。
  763. 生田宏一

    ○生田委員 今のお話によると、第一通商へ売り込んだ金と、それから三友へあなたの方が渡すことを承諾しておる一億七千余万円との間の三千万円ほどのものは、試運転費を折半にして除いた部分は、あなたの方の利益になる、こういうことですね。
  764. 塚元彰

    塚元証人 理論的にはそのようになると思います。
  765. 生田宏一

    ○生田委員 そうすると、それは三友産業の名前を借りて、あなたの方が商売をしたということになるのと違いますか。
  766. 塚元彰

    塚元証人 その面も確かにございます。
  767. 生田宏一

    ○生田委員 それから私がお尋ねしたいのは、それじゃその三友産業に対してあなたの方が一億七千余万円を支払うということは、それはあなたの方には、その値段については、安いとか高いとかいうような――これは当然の値段だというお考えであったのですか。先ほどもお聞きしておったようですが、松庫商店から一台五十万円で買ったものだ、一千六十万円で取引が済んだものだということ、それはあなたの方ではお気づきになりませんでしたか。
  768. 塚元彰

    塚元証人 その点は全然存じません。
  769. 生田宏一

    ○生田委員 そうすると、あなたにそれじゃもう一ぺん聞きますが、九百二十万円で第一通商へ売れるという話は、修繕費その他全部加えての話ですか。それは加えずに、そのまま売るという話だったのですか。現品のままだったんですか。あるいは試運転とおっしゃってるようですから、試運転に何ぼかかるということを、いろいろそういうことを計算の上で、第一通商との間の話ができておったのですか。そこはどうですか。
  770. 塚元彰

    塚元証人 三友の話では、そのディーゼルエンジンは新品と同様である、こういう話でありましたから、ほとんど手を加えなくていいとわれわれは解釈いたしておりました。
  771. 生田宏一

    ○生田委員 それではお尋ねしますが、三千六百万円のうち五百万円が諸掛りであって、三千百万円ほどが、あなたの方の金利だというのですが、金利としてはあなたの方は幾らを計算されておりますか。日歩場何銭ですか、年何分という計算ですか。
  772. 塚元彰

    塚元証人 一割二、三分だと記憶いたしております。長期資金の金利です。
  773. 生田宏一

    ○生田委員 年一割二、三分ですか。
  774. 塚元彰

    塚元証人 そうでございます。
  775. 生田宏一

    ○生田委員 そうするとお尋ねいたしますが、お宅の方で昭和二十七年から昭和二十九年の三月までに出したお金が五千大百六十万円です。これは二十七年に出したものが二カ年の計算、それから二十八年に出したものが一カ年の計算になるのです。それでは二十七年の七月からお出しになっていまして、二十九年の三月にあなたの方は打ち切っているのですから、その間は一年八カ月ほどです。しかもそれが最初三千万円ほど出して、あと次の年次の年と出しているのですから、実際に三カ年の計算にするなら、二千万円を一三カ年貸したという程度のことになるわけです。二千万円の金利ということになりますと、年一割二分で二百四十万円、三カ年とすると七百二十万円になるのですが、それで三千万円の金利という計算はどういうことになりますか。これが防衛庁へ売り込んだ九百五十万円の基礎額の中に入っておるんですから、もし七百二十万円で済んだ金利を三千百万円とあなたの方で積みかけておったということになれば、この基礎額は防衛庁をあなたの方でたぶらかしたということになるのですが、一割二分というあなたの方の御説明ですから、どういう計算になりますか。私は防衛庁とあなたの方の関係で一番重大なのはここにあると思うのですが、いかがでしょう。
  776. 塚元彰

    塚元証人 一億四千七百万円の契約をいたしました時期は、三十年の二月ころだったと思います。従って二十八年の三友の申し出を、申し上げましたように三友に払った額だけでなく、売却できるまでの費用は持つ、こういう観点から富士、伊藤忠、そういったこのエンジン関係した費用に対する金利も当然含まれております。
  777. 生田宏一

    ○生田委員 私お尋ねしているのは、何も単に三友の金ばかりではございませんよ。三友に出した金はもっと小さいのです。これはあなたの方が三友や方々に出した金ですから、富士に出した金もあるし、あるいはトラクターに出した金もありますし、決して三友だけではありませんよ。そうすると、かりにあなたの方で三十年の契約としても、一年つきますから七百万円か一千万円にもなればけっこうな話です。かりに三年としてみて七百二十万円と計算されるが、どうでしょうか。それから三千七百万円というものを預かり金としてまだ押えてありますね。そうすると、正木君などの話、あるいは杉山の話によると、この三千万円は金利、諸掛りのために置いてあるのであって、これが二年も三年も売れなければ三千万円は私の方にもらうつもりになっているのだけれども、もらえぬようになるかもしれぬ、こう言っているのですよ。そうすると、必要以上に、こういうことをすでにあなたの方では予定されて三千七百万円押えている。しかもあなたの方の正常な金利としては一千万円以上にはなりません。あなたの方の一割二分に計算すれば、どうして三千万円になるのですか。そういう計算を起して下さい。一割二分計算で幾らになるのか、その金利計算をしてごらんなさい。
  778. 上林與市郎

    上林委員長 生田君どうでしょうか、いま一人の証人を待たしておりますから、適当なところで一つ……。
  779. 生田宏一

    ○生田委員 防衛庁の方が九百五十万円で買ったというその一番基礎の金額になっておるのですから……。
  780. 塚元彰

    塚元証人 入金伝票の裏には、積数計算ではっきり計算をつけておりますから、御報告さしていただくことで、御了承をいただけませんでしょうか。
  781. 上林與市郎

    上林委員長 いつごろ出していただけましょうか。
  782. 塚元彰

    塚元証人 すぐできます。
  783. 上林與市郎

    上林委員長 明日中にでも。――私の手元まであすじゅうに来るそうでございますから……。
  784. 生田宏一

    ○生田委員 よろしゅうございます。もうあまり大したことはお尋ねしませんが、二十九年七月九日に三友産業へ千五百万円というものを渡しておりますね。これは何の金でございましょうか。
  785. 塚元彰

    塚元証人 三友産業に対する支払い代金でございます。
  786. 生田宏一

    ○生田委員 あなたから金をもらった杉山君も正木君も、この千五百万円は三友産業名義料として支払ったのだ、こう言っておりますが、そうではないのですか。
  787. 塚元彰

    塚元証人 当時、二十九年の三月に三友に手を引かすように宣告いたしましたとき、三友の内部の問題から、支払いが分配問題にからみまして延びておったわけです。われわれとしましては、みんなの意見が一致しなければ支払えないから、こう言って、二十九年の七月に初めて全部のものが意見が一致しまして、私どものところへ参りました。そこで千五百万を支払ったわけです。
  788. 生田宏一

    ○生田委員 もうそのときには、あれは十万五百円で松庫払い下げを受けたものだということは、御存じてあったでしょうね。
  789. 塚元彰

    塚元証人 松庫から買ったということは、その当時も知りませんが、正木 -を責めて、五十万で買ったということは白状しました。
  790. 生田宏一

    ○生田委員 そうすると、私はあなたのために善意に解釈して差し上げて、五十万で松庫から買ったものを九百二十万円で第一通商へ売り込んだということで、先方もまた買おうということで、あなたの方へこの話を持ち込んでこられて、あなたの方は一台七百三十五万円まで出すという契約をさせられた。それがキャンセルせられて、四千万円ほど出したあなたの方のお金が、いつ返ってくるかどうかはっきりわからなくなった。そしてその後ごたごたして、いつどこへ売れるかわからないとあなたがおっしゃる状態の二十九年の三月に、あなたは御迷惑をこうむって、四千万円返ってくるかどうかわからぬと心配をしておるやさきに、千五百万円またその連中にあなたの方からのしをつけて差し上げなければならぬような、そういう商取引というものがあるものですか。そのときにあなたは十万五百円で買ったことはすでに知っている。それを松庫から三友が一台五十万円で買っている。だから二十二台にしても千百万円ですか、それに対してあなたの方は、もうすでにそのときには六、七千万円の金を出しておる。少くともそのときは五千万円は出しておる。そうしてなおその上に四千万円もよけいとられて――修繕代もいろいろあるでしょうけれども、少くとも三友産業だけにでも五千数百万円というものを最終的には出しておる。それにまたあなたの方は千五百万円という金を、間組ともあろう大きな会社がどういうわけで出す気になったのですか、その理由があるでしょうから、それを伺いたい。
  791. 塚元彰

    塚元証人 当時としましては、契約の一億七千幾らというものは、品質が違うわけでありますから、更改しなければいけない状態にあったことは、事実であります。ただ一カ年も二十八年の一月三友が責任を持って売るということで延び延びになっておりました契約が、とても三友にまかしておいたのではこれは元金もなくなってしまうというので、大きなリスクを背負って間組に切りかえたわけでございます。そのときの金銭的な打ち切りを七月二十何日にやったわけでございます。
  792. 生田宏一

    ○生田委員 あなたは四千万円さえ返ってくればもう現品は持って帰ってもいい、こう言っておるでしょう。二十八年にキャンセルを受けた後には……。
  793. 塚元彰

    塚元証人 そうです。
  794. 生田宏一

    ○生田委員 特に二十九年になると、またゴタゴタ代に千五百万円やろう、そうしてこれを整理するのに、富士工業に何ぼ金を払わなければならぬか、まだたくさん金が要るだろう、そういう状態で、あなた方がその品物を買い取るようにして、それでしんぼうしようというのには、防衛庁の方でもっと高く買ってくれる、あるいは防衛庁よりももっと高く売り込むことができるというあなたのめどがなければ、そんなことはしますまい。ところがあなたの話によると中華民国とかタイというような話があったけれども全然何も見込みがなかったという話です。そうしてあなたの投資した四千万円とか五千万円という金の回収に困っておるときに、それにもう品物は要らぬから四千万円返してくれとあなたが言っておるやさきに千五百万円の名義料をやって、全くどろぼうに追い銭をやるというようなことを、どうして間組ともあろうものがなさいますか。私はその点はどうしても疑問なのです。そうして、金利関係にしても、私は納得できない。一割二分の金利で、五千万円や六千万円くらいの金を二年半貸したところで、三千万円の金利にはなりません。そうすると、あなたの方は九百五十万円についたという、その九百五十万円をこしらえた基礎が、あなたの方でどうしても作為でしたとしか私には考えられない。この疑問は、これは私ならずともだれだって起きてくる。防衛庁はうかうかとだまされて――だまされたか、あるいはどういうような関係者があったか知らぬけれども、ともかく防衛庁はそれを信じたということになっている。そしてあなたの方でどうも計算上はっきりしない九百五十万円というものを、はっきりしたかのごとくされて、しかもまだあとに三千七百万円というものをあなたは押えているでしょう。それは二十九年の七月ころにはあなたの方が一億四千七百万円というので区切りを入れて、その一億四千七百万円の中で三千七百万円というものをあなたの方で預かり勘定で預かって持っておった。そうでしょう。そういうような状態からすぐに三月とか四月すると防衛庁の方で契約が成立しているでしょう。三十年十二月にはもう金をもらっているでしょう。そうしてあとの二台分を本年の三月ごろにはもらうということになったというのですから、あなたの方はすでに相当の回収ができているはずです。ですから将来金利をかけるべき金はないから、三千七百万円のうちわずかな金利を除いたらもう正木とか杉山に払わなければならぬ金になってくるでしょう。そういうようなあぶく銭をまた杉山正木に与えておいて、防衛庁の方には九百五十万円が原価ですといって近づいていくというのはひどいじゃありませんか。ともかく三千六百万円、三千七百万円の金利とあなたの方の預かり金等については、あなたの方でそうだと言ってみても、防衛庁が一ぱい食ったとしか私は考えられない。二十九年一億四千七百万円にあなたの方は建値をして、三、四カ月の後には防衛庁は何ぼで買いますと、商談取りきめができているのであります。間組ともあろうものが、そういうことをなさいますか。一千五百万円もどろぼうに追い銭をやるようなことをして、会計監査についてはあなたはそういう書類のからくりをしているとしか思えない。防衛庁だってとんまです。あなたはとにかく良心的にあなたのお考えを話してもらいたい。これ以上私は質問しません。安心なさい。良心的にあなた方はどういうお考えで一億四千七百万円という積み重ねをしたか、それをお答えして下さい。
  795. 塚元彰

    塚元証人 一億四千七百万円の根拠といたしましては、当時三十年の二月ごろまでの仮払い金勘定において整理をいたしておりまして、大体ある程度見通しがつけばできるだけ早く正規の勘定に移したいという気持があったわけでございます。防衛庁売り込みのためにそういう書類を作ったという御質問でございますが、われわれとしては正規の勘定に早く移したい、それには見通しができたところで移したい。こういう気持で三十年の二月ごろに三友に来てもらいまして、三十年の四月ごろまでの金利と今後かかるであろう諸費用の預かり、それを合計した金額が一億四千七百万円になったと思います。
  796. 生田宏一

    ○生田委員 それではいらぬことですがちょっとお聞きします。あなたはそういう場合に一般の商取引の通念として、一億四千七百万円には、三千六百万円の金利諸掛りと、三千七百万円の預かり金、将来かかるかもしれない費用として預かった七千三百万円については、実際に防衛庁に売れて、金利諸掛りが合せて二千万円で済んだというときには五千七百万円があなたの方の利益になるのである。また実際に二年で売れると思ったのが十年もかかって一ぱい一ぱいどころか食い込んだというときには欠損になる。こういうことで一般的な通念からいえば損するときもあればもうかるときもあるという気持でやっておられるのですか。あなたが土建業をやられるなら、間組が工事を請負ってそこに損もあれば得もあるということであれば、今私が申したようなことは当然だと思います。しかし本職にあらざるものに手を出してもうかるものもあればもうからざるものもあるというような考え方はちょっとひど過ぎるでしょう。特定のものであるからこんなものは十も二十も五十もあるわけではない。ほんとうに例のないことだし、これは防衛庁相手でなければ売れないものだ。損をすることもあればもうかるときもあるのだという観念はこの件では成り立たないと思う。あなたの方では、もし三千万円とか五千万円とか残るなら、これはどうも私の建値は間違いだったからとあっさり防衛庁の方に申し出をされますか。土建業の商売ならもうけるときもあるし損するときもあるが、これは特定のことで本業とは違うのですよ。良心的にあなたにお聞きしております。どうですか、そういうお考えは。
  797. 塚元彰

    塚元証人 私どもが当初防衛庁さんにお願いしました点は、そういった原価的なあれよりもむしろ時価として製品としての価値が幾らかということでお願いいたしました。従って現在でも時価でお願いしたいと思っております。
  798. 生田宏一

    ○生田委員 時価で売りたいということになれば、時価なら千三百五十万円という評価が入っている。そうするとあなたは手慰みで青木さんから四台二百万円、一台五十万円で買ってきて手直ししてやるというようにしか受け取れない。五十万円で買ったものが九百万円になった。その間には関係者は、おのおのみな六百万円とか七百五十万円とか九百万円とか千六百五十万円とかいう金を分け取りにしておるのです。それをあなたの方では白状させたというからにはわかったはずです。そうするとそれだけみなが分け取りしても、千三百五十万円という評価が入っているから防衛庁の方にはもっと高く売れるというので、あなたの方ではもうかると思って引き継いで防衛庁の方に売り込んだことになるわけです。ですから間組としてはそういうことをしてもらいたくない。しかしあなたは商売をしているのだから商売は自由ではないかとおっしゃるなら、別の角度から委員会は考えなければならぬわけです。今はただこの問題についてあなたに証人として来ていただいて事情を聞いておりますけれども、あなた方がほんとうにそういうお考えならまた別の考えもあるわけですから、よくお考え願いたい。
  799. 塚元彰

    塚元証人 私は私個人の考えを申し上げますれば、実際二千数百万もかかるものが半値で買えるという。こういうことは決して高く売ったという考えにはなりません。
  800. 上林與市郎

    上林委員長 次に佐竹新市君、御質疑を願います。
  801. 佐竹新市

    佐竹(新)委員 私は時間がありませんから簡単に要点だけお尋ねします。証人も計数で相当頭が疲れておると思いますから、そうではない方から二、三お尋ねします。  証人昭和二十七年ごろ、銀座六丁目の山下料亭に山下技官を招待し、そうしてあなたもその席におった。前に出た沢証人はそのことを認めておるのであります。杉山証人も大体山下技官を招待したということを認めておるが、証人はその席におられたという事実はありますか。
  802. 塚元彰

    塚元証人 そういった事実は存じません。
  803. 佐竹新市

    佐竹(新)委員 あなたと一緒に、沢証人杉山証人もあなたがその席におったということをはっきり言っておる。あなたは偽証になってもそのことを認めないのですか。さらにもう一つ・問いますが、あなたは渋谷の岩本という料亭を知っておりますか、どうですか。
  804. 塚元彰

    塚元証人 知っております。
  805. 佐竹新市

    佐竹(新)委員 この渋谷の岩本という料亭にも杉山並びに沢、菊岡こういう人と行って、再々会合して、山下技官と飲んでおるが、その事実を認めますか、どうですか。
  806. 塚元彰

    塚元証人 沢さんや杉山氏と三友との関係において飲食したことはございますが、それにただいまお尋ねの山下技官が同席されておった記憶は私にはございません。
  807. 佐竹新市

    佐竹(新)委員 それは、あなたは記憶がどうも思い出せぬのか知らぬけれども、これは当時あなたと一緒に行った菊岡君は、沢君もおったし、それから杉山君もおった、こういうことを言っておるのです。さらにその後に――これはあなたのところの社長の行きつけるところの料亭です。社長の得意先なんです。非常にかわいがっておるうちなんです。そこへあなたが行っておる。そうしてまた政界の人もそこで一緒に飲んでおる。そういうことをあなたが知らぬ――あなたが勘定を払っておるでしょうから、あなたが知らぬことはない。だれとだれが行ったか、-はっきりして下さい。
  808. 塚元彰

    塚元証人 具体的なお話でございませんので、私には見当がつきかねます。
  809. 佐竹新市

    佐竹(新)委員 具体的な話じゃないといっても、あなたの渋谷の岩本という料亭にはこれは山下技官はその菊岡、沢と行っておる。あなたはそこにおった、こういうことを言っておるのだから具体的なことじゃないか。これほど具体的なことはない。
  810. 塚元彰

    塚元証人 ただいま申し上げました通りそういうことは一記憶にございません。
  811. 佐竹新市

    佐竹(新)委員 この岩本という料亭はあなたが再々出入りしておる。ということは社長のいわゆる交際先で社長さんを呼ぶところです。あなたはこの事実は知っておるでしょう。
  812. 塚元彰

    塚元証人 岩本という料亭はおそらく社長はほとんど行かれないんだろうと思います。これはそんなりっぱな旅館ではなくして(「旅館じゃない」と呼ぶ者あり)料亭でございまして、私どもが寮がわりに使っておる、そういった程度の料亭でございます。
  813. 佐竹新市

    佐竹(新)委員 これはあなたが知らぬといってもわれわれの方では裏をよく知っておるんです。それでは昭和二十七年の十二月三十一日にあなたのところに行って杉山君が金を現金で百万円ほど受け取った事実がありますかどうですか。
  814. 塚元彰

    塚元証人 三友払いました金額の明細はお手元にお出ししてございますので、その日付にそれだけの金額が出ておるとしますれば三友に支払っていると思います。
  815. 佐竹新市

    佐竹(新)委員 いや、百万円の金を三友ということで出しているか私それを見てないのだが、とにかく二十七年十二月三十日、もう暮れも迫った十二月三十日にその百万円の金を次に出られる経理部長日野氏の了解を得て杉山氏に渡している事実がありますかどうですか。
  816. 塚元彰

    塚元証人 ただいま御返事申しましたごとく、今三友に払った明細がございませんので、できますればお手元にお出しした資料で御判断いただきたいと存じます。
  817. 佐竹新市

    佐竹(新)委員 十二月二十七日に百一万円出しておるんですね。これはもう明らかになっておる。日にちが多少違うが、十二月二十七日に百万円を杉山に渡したでしょう。
  818. 塚元彰

    塚元証人 そういった資料になっておりますれば三友に確かに払っております。
  819. 佐竹新市

    佐竹(新)委員 この百万円の金はあなたが日野経理部長の承認を得てそして杉山に渡して、杉山は第二会館の中助松氏のところへ持っていった。その中助松氏のところへ持っていったのは要するに砂田重政氏に渡してもらいたいということで持っていったということが、ある人から聞かれておるのでありますが、そういう事家はどうですか。
  820. 塚元彰

    塚元証人 それは全然存じません。
  821. 佐竹新市

    佐竹(新)委員 あなたは中助松氏のところにおる菊岡英雄君という名を知っておりますかどうですか。
  822. 塚元彰

    塚元証人 お名前は聞いて、二、三度お目にかかったこともあります。
  823. 佐竹新市

    佐竹(新)委員 その菊岡英雄君が中助松氏のところに、杉山氏と同道して横浜に持っていった、こういうことを言っておるのです。それはあなた方の了承を得てあなたの手から現金百万円が出た、こういうことになっておるのですが、これは違うのですか。
  824. 塚元彰

    塚元証人 杉山に渡した金はどこへいったか、それは私は全然存じません。
  825. 佐竹新市

    佐竹(新)委員 あなたは防衛庁に、当時の保安庁に行かれて、昭和二十七年、また八年にも、これは一ぺんや二へんではないですね。当時の保安庁の北村研修所長、中村装備局長、林海幕総務部長、こういう人に菊岡と同道してしばしばエンジン売り込みの折衝に行っておる。菊岡はそう言っておるのですが、あなたはその点はどう考えられるか。
  826. 塚元彰

    塚元証人 菊岡さんと防衛庁に行ったことはないと思います。
  827. 佐竹新市

    佐竹(新)委員 それは菊岡と行かなければ、これらの人々とだれとだれと行ったのですか。
  828. 塚元彰

    塚元証人 先ほどもちょっとお話し申し上げましたごとく、二十八年の七月ころだったと思いますが、沢さんと緒にごあいさつに行ったことはあります。
  829. 佐竹新市

    佐竹(新)委員 あなたは沢君や杉山君や、あるいは菊岡君、これらと絶えず折衝して、ほとんどこの売り込み運動の参謀本部の役割りを勤めておる。だからあなたはその動きを一々知っておるわけなんです。だから、しからばこの防衛庁に売り込んだのはどこへ――なかなかそれは防衛庁の中でも反対があったのです。ものすごい反対が技術関係ではあった。それが結局売り込むように工作を成功したというのは、あなたはよく知っておるでしょう。どことどこが動いて成功したかということは知っておられるでしょう。
  830. 塚元彰

    塚元証人 私にはわかりません。ただ二十九年の七月に富士重工で公開試運転した結果、製品として販売できる、こういった時期から行動を起したわけでありますから、前のことは私には全然わかりません。
  831. 上林與市郎

    上林委員長 他に御発言はございませんか。――それでは塚元証人に対する尋問はこの程度で終ります。塚元証人には長時間御苦労さんでした。退席されてけっこうです。  それでは次に日野証人より証言を求めることといたします。日野謙三君に相違ございませんね。
  832. 日野謙三

    日野証人 はい。
  833. 上林與市郎

    上林委員長 委員長よりの尋問は時間の都合もありますので省略して、委員各位より直ちに質疑に入っていただきます。吉田賢一君。
  834. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 証人間組経理部長だそうですが、いつごろから勤めておられますか。
  835. 日野謙三

    日野証人 間組に勤めたのでございますか。
  836. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 経理部長をいつからやっておられる……。
  837. 日野謙三

    日野証人 昭和二十三年ごろと思いました。
  838. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 このパッカードマリンエンジン保安庁防衛庁売り込み運動をすること、並びにこれを買い取ること、そういうことにつきましては、あなたが大体指示なさったというようにも証人証言があるのですが、それは間違いありませんか。
  839. 日野謙三

    日野証人 あのマリンエンジンの件については、買い入れから終りまで全部私一人でやりました。
  840. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 しかしあなたの方の商売は土建業が本職であります。船舶用のエンジンを買うということは、これは全く筋違いであります。こういうようなものに何千万円の、あるいは何億円のという金を出したということ、もしくは出していないにしても、そういう取引をすることは、あなたの独断でするのは少し越権だろうと思うのです。やはり社長であるとか重役会議とか何とかによってなさると思うのですが、あなたは代表取締役ではないはずだと思いますが、それはどういうわけですか。
  841. 日野謙三

    日野証人 お答えいたします。お話のごとく確かにある点は越権行為であるかもしれませんが、当初の事情を申し上げて御了解を得たいと思います。
  842. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 要点だけ述べて下さい。
  843. 日野謙三

    日野証人 一番最初は、この話が起きましたのは……。   〔吉田(賢)委員「簡単にして下さい」と呼ぶ〕
  844. 日野謙三

    日野証人 それではごく簡単に申し上げますと、金融のために始めたのでございます。(「ちょっと簡単過ぎる」と呼ぶ者あり)もうちょっと申し上げま心すか。
  845. 上林與市郎

    上林委員長 答弁を継続して下さい。
  846. 日野謙三

    日野証人 と申しますのは、最初に話がありましたときに、第一通商でこのエンジンを買い取る、買い取りについては三友産業から直接では先に金も出せないしするから、どこかしっかりしたところならばこれに注文書を出す。それでただ素通りして、間組を通るだけで、そうして第一通商から支払われた金額は、当分の間間組金融に使ってよろしいから、一部金を貸してくれということが最初の始まりでございました。
  847. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 ところで第一通商といえども、第一通商自身がこういうマリンエンジンを使用する会社でも何でもないはずなんです。やはりこれは防衛庁など、つまり軍の方に売り込むという以外には道のない商品でなければならぬ。わかりますね。でありますから、そういう第一通商がこれをかりに買うといたしましても、みずから消費するのではなしに、やはりトンネルとなって、もしくはこれを媒介して他へ転売するということが趣意であろうと思うのです。そういうことであろうと思います。その辺のことは、あなたの方は御承知であったのですか。
  848. 日野謙三

    日野証人 お答えいたします。当時第一通商は商事会社でありますから、おそらく売買が主だということはわかっておりました。それと当時は、台湾、タイ、インドあたりからも引き合いがあったということも聞いておりますが、それについてはどこへさばこうと、私の考えといたしましては、それから先は第一通商のやられることで、われわれのところは第一通商まで納めればいいのだという考えでやりました。
  849. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 ところが二十七年の九月二十六日付であなたの方の出金帳簿を見れば第一通商に百万円金を渡しております。これはおわかりになりますね、御承知でしょうね。
  850. 日野謙三

    日野証人 今これはちょっと記憶に残っていません。
  851. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 百万円という金を第一通商に渡したというゆえんのものは、これはやはり第一通商保安庁運動するということの運動資金ということがほんとうではないですか。
  852. 日野謙三

    日野証人 今の一記憶では、全然そんなことはなかったと思います。
  853. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 しかし第一通商の平という人が、いろいろとこの間奔走して、それがあちらこちらへ、あなたの方の人とも面会し、あるいは話し合いし、あるいはブローカーを中にはさみ、あるいは大森のトラクター会社へ見に行く人を案内し、保安庁の方と折衝し、そういうことが、あなたの方が第一通商と接触した直後に年じゅう行われておる。台湾へ行くの、タイへ行くの、外国へこれを売り渡すなんて、そんなばかげたことは、今は作ってそんなことをおっしゃるかもしれませんけれども、当時の実情としてそんなことを考えていた人はなかろうと思うのでございますが、ほんとうでございますか。あなたの前の塚元さんからも、符節を合して同じような言葉が出るのです。数年前のできごとですよ。これはほんとうじゃなしに、やはり第一通商の平という人が活躍して-二人だそうですが、保安庁の方へ運動して売り込みに行く、この経費が百万円というのがほんとうじゃないですか。これは国税庁から出しているのですよ。第一通商から写してきて、当委員会に資料として出したものによると、二十七年の九月二十六日に売渡代金として百万円出しておる。第一通商が買うというような場合に、そこに何のゆえがあって百万円の金を出しますか。これはやはり運動資金として、平などの活躍費に出したというのがほんとうじゃないのですか。たくさんに出ているのはみな運動費なんです。何千万円という運動費が出たと書いてあるのです。どうなんです。
  854. 日野謙三

    日野証人 今の件に関しましては、その当時は一その当時と申しますか、二十九年の三月までは、私の方としては一切売り先には関与しておりません。それで三友何とかいう・はっきりした名前は忘れましたが、三友売り込み先まで全部こしらえて持ってくるから、こちらはただ一時の金融だけしてくれ、これだけの話でありました。
  855. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 しかし三友というものは、国税庁の御説明によるとボロ会社なんです。破産会社なんです。そうしてあなたの方へ出入りしたという正木の説明によりましても、千万円どころか十万円も支払う力のない会社なんです。そういうものが売り先をちゃんときめてくる、だから金融をしてくれというようなことは、どうも考えられない。要するにこれは松庫商店の持っておるパッカードエンジンを、あなたの方が保安庁へ売り込むべく、そこでそういう妙なトンネル会社を、ボロ会社三友産業――あなたは名前を覚えているかいないか知らないけれども、三友産業を仲介に置いて、それが買ったとし、あなたの方はそれから買うということにして、保安庁売り込みの手づるを求めていく、その活躍をまた一方第一通商を通じてやる、これが真相じゃいのですか、概括的な問題ですけれども……。
  856. 日野謙三

    日野証人 今のお話は、私には全然わからないことでありまして……。
  857. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 わからなければよろしい。あなたにはっきり申し上げておきます。ここは証人として宣誓しておられますので、うそ偽わりを言うと偽証として告発しなければならぬわれわれの義務があります。よろしゅうございますね。御了承の上、願います。そこで、あなたは三友の名前すら覚えておられぬのだが、しかしながらあなたの方は、一億四千七百万円を三友へ支払ったと称する領収書を三友から取っておるのですよ。あなたの方は、どれくらいの大きな資産があり、取引をなさるかわからぬけれども、一億四千七百万円というのはとても大きな金です。ことにあなたの商業以外のことであるパッカードエンジンというような、そういう特殊なエンジンの代金ということになるのだが、そういうここもあなたは覚えておられませんか。
  858. 日野謙三

    日野証人 覚えております。
  859. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そこでこれは正木証人の言うところによれば、間組から頼まれてうそのものを作ったという趣旨になっております。――よろしゅうございますね。うそというと少し語弊がありますけれども、頼まれて作った。何も金を受け取っていないが、頼まれて作ったということを言っておる。あなたの方はこういうものを作らねばならぬ理由が何かあったのですか。
  860. 日野謙三

    日野証人 何もございません。きっちりその通りやっております。
  861. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 しかしさき塚元証人の言うところによりましても、現実に出した金はそんなに出ていないのです。塚元証人の言うところによりますと、現金は三友関係のものに七千三百万円しか出ていないのです。よろしゅうございますね。現金はそれだけしか出していない。ほかに立てかえとか金利関係とかいうようなことを計算したというようなことは言っておるのであります。だから事実におきましては、あなたの方はパッカードエンジンを相当な値段で売り込むために、一基何がしになる計算の一億四千七百万円という、こういう領収書を作らしたというのが真相ではございませんか。念を押しておきます。
  862. 日野謙三

    日野証人 はっきりお答え申し上げます。パッカードエンジンの売買値段については、パッカードエンジンの価値によって行うものであって、支払い関係とは全然別個のものであります。
  863. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 あなたの方はパッカードエンジンでどのくらいもうけるつもりがありましたか。
  864. 日野謙三

    日野証人 これは途中では、あるいは全然エンジンの完成の見込みがつかなかった時分には、全部損するかもわからないと思いました。でき上ってからは、その価値に応じて、一体もうかるものか損するものか見当はつきませんでした。
  865. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 しかしながら、あなたの方は損するかもわからない、もうかるか、もうからぬか見当がつかなかったとおっしゃっておるが、相当これは白々しい答弁と思うが、防衛庁から現在まで受け取った金はどのくらいありますか。
  866. 日野謙三

    日野証人 現在までは、第一回に四基分五千万円、第二回に、これは最近私の方の手元へ入ったはずだと思いますが、一基分二千五百万円であります。
  867. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そうして残り富士重工に何ぼ持っておりますか。
  868. 日野謙三

    日野証人 残り現在で何とか整備できそうな希望の持てるものが十二、三台あるかと思います。
  869. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 こういう重要なものが十二、三台というような、そんなややこしいことじゃなしに、そこははっきりしておるのがほんとうだろうと思う。あなたも人をやったというのだから……。私らも富士重工に行って調べてきておるし、技術者の説明も聞いておるのであります。富士重工に置いてあるもののうち、十四基は完全なものじゃないのですか。
  870. 日野謙三

    日野証人 そこまではっきりしたところはわかっておりませんが、実際に完成してみるまでは1今までも大体いいと思って、またあちらこちらから集めてきて減った場合もあります。それから最近の報告は私はまだ聞いておりません。
  871. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そうして若干不完全なものが別に四基あり、計十八基、こういうことは知りませんか。
  872. 日野謙三

    日野証人 不完全なものがどのくら  いあるかということは、まだ最近の報告を受けておりません。
  873. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そこで、本年度、昭和三十一年度におきましては、さらに防衛庁は海幕において二基、すなわち救命艇は一そう、空幕においては四基、救命艇は二そう、これだけの予算が通過して、そうしてここ数カ月のうちにこれが実施されるであろう、こういう状態に至っておることはもちろん御承知でありましょうね。
  874. 日野謙三

    日野証人 よく存じておりません。
  875. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 あなたの方は、そうはおっしゃっておるけれども、なかなか抜け目のない商売をしておられるのです。われわれが判断するところによれば、いろいろな面におきまして、ここへ出てくる証人も実にでたらめな数字を並べておることをたやすく判断し一得るのです。そうしてあなたの方は、昨年の七月に横浜の青木から同じようなパッカードエンジンを四基、それから同じく四基分はこわれておるもの、これを合せて二百万円で買い取った事実はありましょう。
  876. 日野謙三

    日野証人 前のパッカード最初のものをあちらこちら寄せ集めて、部分品が不足するので、部分品補充に買わしてあるはずでございます。
  877. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 部分品補充といったって、部分品じゃありゃしません。部分品じゃなしに、現に富士重工においてちゃんと保管しておるのであります。われわれ見てきたのであります。いいですね。部分品でも何でもない。同じものなのです。そのまま持っていてやれるものなのです。それを部分品補充のために買わしたはずでありますというのは、少しとぼけたことです。  一体防衛庁へ千二百五十万円で売り込むというのは少し口銭を取り過ぎているのじゃないですか。どうなのです。
  878. 日野謙三

    日野証人 防衛庁の値段について申し上げます。このエンジンは今製造しますと三千万円からする品物であります。それからこれより程度の落ちる現在ある品物を買い入れるとしても二千数百万円かかる品物であります。それだけのりっぱな品物を国家のためにでありますがゆえに思い切って安くあれしたものであります。
  879. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 国家のためにというのは、それはなるべく口銭を取らないようにして-商売人はうんと口銭を取って、国の出す金だからしぼり上げてよけい取るというのは国家のためでも何でもありませんよ。それは自分のためです。国が損しないようにするのが国家のためです。あなたは現に横浜で四十数万円で一基買うているのじゃないですか。それを千二百五十万円で売りつけて、何が国家のためです。そんなにするなら横浜の青木商店の方へ私の方が買うのもいいけれども-あなたの方は青木商店は一体何ぼで買うたと御承知なのですか。青木商店のその前は、丸藤棟式会社は三万四千円余りで買うておる。青木商店は六十六万円で買うておる。だからあなたの方が五十万円で買うのは、少し買い上げてやつたというようなことはあろうかもしれぬけれども、自分の方で五十万円で売るならどうぞ十万円くらい口銭を取って国家に売ってくれというのなら、これが国家のためというのです。国はみんな砂や石で支払いをするのじゃないのですよ。国民の税金で支払っておるのです。いいですね。だからあなたが国家のためというなら、国が損をしないようにお考えなさい。あなたもこの世の中に日本人として生きておる以上は、国家のために国家に損さすようなむちゃなことをやるものじゃありません。青木商店で五十万円以下で買うて、そんなものを千二百五十万円で売りつけて、それが何が国家のためなのです。どうお考えになるのですか。
  880. 日野謙三

    日野証人 御答弁申し上げます。先ほど少し言い過ぎたかもしれません。けがの功名であったかもしれませんが、もし間組でこのエンジンを完成しなかったならば、国家としては高いものを外貨を使って買わなければならなかったと思います。(「そんなものは幾らでもあるのですよ。」と呼ぶ者あり)そうですか。それはつい忘れまして申しわけございません。
  881. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 国家がそれを完成しなかったとかなんとか、それは要らざることです。あなたの方はそれよりも土建の商売をやっているのがいいのです。何も防衛庁におせっかいしてやれ魚雷艇を作ってくれの、たくさんの人を使って第一通商などともっともらしいことを言っているけれども、平という二世が活躍していることもわれわれは知っておるのです。そうしていろいろな人があなたのところに出入りして、やれ百万円の、五百万円の、千六百万円のというような金をそういうブローカーが湯水のように取って、そうしてまたあなたの方にそれが還流したかどうかは不明であります。そうして幽霊会社に千五百万円の借り賃さえ出しているという証言すら出ている。三友さんがそうなのです。三友産業会社の名前を借りるだけに千五百万円出しました。ばかばかしくて聞いておれぬですよ。そういうふうにして国がこういう機関を積んで救命艇を作るということにあなたが協力するといううことが何か大事な仕事のようにお考えになっておるかしれぬ。しかしそれは言葉だけにすぎません。いずれにしても国家の血をすするというような考えもあるのじゃないですか。実にむちゃな話ですよ。ただみたいなものを国家へ売りつけるということが、何が国に対する奉仕の気持ですか。いいかげんなことをおっしゃらないようにしてもらいたい。
  882. 日野謙三

    日野証人 当初第一通商時分には別にどこも何もなかったのであります。第一通商から注文書が出た、それから一手数料を引いたものだけで渡して、一切の責任は三友さんが持っております。
  883. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 本証人は、もう一点でおきます。一切の責任を三友さんが持っていますというが、三友産業というのは、破産会社、ボロ会社だ。そんなことあなたは知らなかったのですか。三友産業は、税務署に税金を納める能力もない。そして、法人の名前から数年前にのけてしまってある。そんな会社です。それが、一切の責任を三友さんが持ちますの、三友さんから一億四千七百万円の受取りをとりましたことが神聖でありますの、そんなお話通りません。ともかく日本の普通の常識では通りません。ましてや、あなたは会社を代表して一切しょい込んでやりましたという御答弁になっておる。それもいいかもしれませんが、何もあなた一人でしょい込む必要はない。そんなことは、間組として相当上層幹部の御相談の上に違いない。そう・思います。ことにさっきの塚元課長のお話にも、日野部長の決済を経てというようなもっともらしい言葉を使っております。またいろいろな人の証言によりますと、いろいろとあなたの方の指図を受けておるということでございますから、いろいろなブローカーを使い、そして、名もないボロ会社の名前、もっともらしい名前の第一通商というような名前を使ってf第一通商におきましてはそんなものはほとんど知らないというのですよ、私の調べたところによりますと。私の方の調査員も調べたのです。ほとんど事実は知らない。何のことはない、あなたの帳面によると、第一通商に百万円やったと書いてある。実にばかばかしい話だ。結局第一通商も、そこに活躍した何人かの人がみな防衛庁に売り込むべく踊っておる。そうしてあなたの方が手綱を引いておるような形になっている。これは、防衛庁に何で千二百五十万円もの高い金で買ったかといったら、間組が一億四千七百万も金を払ったからということが防衛庁から出てくるのです。どこもかもがみな寄ってもって国の財産を食い散らすような格好です、これを見ると。実に今日における暗黒ですよ、これは。今日の暗黒の事実の一つの典型的なものです。そういうふうにわれわれは考えておるのです。あなたはそれでもなお国家のためであるとかそんな気持でこれをおやりになっておるのであるか。さっきの証人はなお高い値段で売りつけるようなことを言っておりました。まだ大いに買ってもらうようなことを言っておったが、あなたもそんなことをまだお思いになっておるかわからぬ。あなたにほんとうに良心があるなら、青木商店から五十万円以下で買いましたから、どうぞ防衛庁の方に1防衛庁では今年の計画は六基ですよ。しかもここ二、三カ月のうちには防衛庁が引き取るのが順当です。少しおくれさすか知らぬけれども。そういうときですから、そんなものはお国のためならば五十万円でよろしい、罪ほろぼしでそうしますというのがほんとうです。私はそう思う。こういうことについて、あなたどうお考えになるのです。
  884. 日野謙三

    日野証人 最初経緯から申し上げますと……・。
  885. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 経緯は要りません。経緯はみんなわかっております。少しあなたにきつい言葉を使いましたけれども、これはお互いこういう立場ですからお許し願いまして、ほんとうにあなたは良心に従って述べておられるのですから、私の申し上げることについてどうお考えになりますか。それでよろしゅうございます。日野証人 最初このエンジンが完全なものであるという話で第一通商ときまったのが、試運転その他の結果、いろいろに研究してもどうしてもうまくいかないということで、だんだんと深みにはまっていきまして、非常に会社に迷惑をかけて申しわけなく思っております。
  886. 上林與市郎

  887. 佐竹新市

    佐竹(新)委員 ただいま吉田委員から証人に質問がありましたように、これはもう間組最初から計画してやったということと明らかにとれる点が、幾多の証言によって明らかになっておるわけなんです。今あなたは国家のためだ、こういうことをお言いになりましたが、これは結局間組に対して非常に迷惑をかけたと言われたが、当時、昭和二十七、八年、ころの間組は、われわれの知り得たところによると、大きな天下の組ですから、仕事の面、金融の面においては非常に困っておられたわけです。しかしこの仕事が入ってから、相当間組は金の回りが潤沢になった。だから国家のためではなく――間組が損をした、こう言われるが、われわれの調べたところでは逆なんです。しかもあなた方のところでは、今電源開発の工事をどれだけや、っておられるか。佐久間ダムの工事その他の電源開発のダムの工事をどれだけおやりになっておるか。これだけの莫大な工事をやるのに、このいわゆる中古エンジンの金が前に政界方面にばらまかれておるというようなうわささえある。その結果佐久間ダムをとった。そして佐久間タムにおいては、われわれの方ではちゃんと資料を通産の方から――あなたの方が何ぼ請負うて、そうして契約はどうでということは、みな調べております。これからまだ当委員会において、また適当な委員会において徹底的に調べなければならぬ。あまりやり方がひどい。そうして国家のためだ、こういうことを言われておる。いわゆる佐久間ダム、電源開発その他の仕事もあなたのところは一番大きな工事を各所においてやっておられる。それはみなどういう金だ。開発から出る金は全部国家の金である、国民の金である。そうしておいてこの中古エンジンでたくさんなブローカーを使って、そうして自分の方には損をした。損をするようなからくりにしておられる。そういうことに対してあなたはどう思うか。
  888. 日野謙三

    日野証人 絶対にそんなことはございません。
  889. 佐竹新市

    佐竹(新)委員 絶対にそんなことはないということなら、あなたの方ではどういうわけで損をしたか、どういうわけで買い入れたのか、その具体的なことを知りたい。
  890. 日野謙三

    日野証人 最初に完全なエンジンであるとだまされたのが原因であります。
  891. 佐竹新市

    佐竹(新)委員 そういうことを尋ねておるんじゃない。さっきあなたは会社に対して非常に迷惑をかけた、こう言われた。われわれは会社に迷惑をかけておらぬと思う。みなあなたのところで仕組まれた仕事なんだ。会社の方には迷惑はかかっておらぬ。迷惑がかかっておるというなら、どういう点で迷惑がかかっておるか、それを具体的に言って下さい。
  892. 日野謙三

    日野証人 第一通商から注文を取り消され、そうしてあとの改造その他につぎ込んだ費用が重なっていき、金利がかさんでいって、そうしてなお一時は果して使いものになるかどうかという非常な苦境に立たされたのであります。それから後ようやっと必死になってあちらこちらお願いして回って製造中止になっている部分品もずいぶん探し回って持って来、富士重工さんの好意によってようやく使いものになる完成品ができたのであります。その間支出ばかりで入ってくるものは全然ない、それが重なり重なって大きな損失を与えております。
  893. 佐竹新市

    佐竹(新)委員 証人に幾ら申し上げても、そういうことじゃしょうがないし、そういうことは当委員会でははっきりと幾多の証人によって調べてわかっているのですから、私はこれ以上質問いたしません。
  894. 上林與市郎

    上林委員長 坂本泰良君。
  895. 坂本泰良

    ○坂本委員 まず最初にお聞きしたいのは、二十七年の七月、当時三友を通じてこのエンジンを買われたその際には、もうこれを防衛庁に買い上げてもらえる自信があったと沢証人は言っているのですが、その点証人は知りませんか。
  896. 日野謙三

    日野証人 それは第一通商に買い上げてもらうだけで、あとのことは一切関与しておりません。
  897. 坂本泰良

    ○坂本委員 そういうことをあなたたちは打ち合せてそう言うのですが、間組の小切手がなければ松庫商店は売らないと言って、間組の手形を持ってきたからこの三友松庫商店との売買ができているのですが、その際間組は手形九百万円と現金二百万、――多少金額は違っているかもしれませんが、その金が松庫商店に支払われたのは、間組からその小切手と現金が出て払われているのですが、その際証人はそのいきさつを知っていたか知っていないか、知らずにそういう一千万円にも達する金を支出されたかどうか、その点を聞きたい。
  898. 日野謙三

    日野証人 その当時松庫商店かどこかわかりませんが、持ち主に一部代金を払う必要もあるから、三友産業で貸してくれということで、三友産業に金の支払いをしました。それを三友産業がどこへ持って行ったかは私は存じません。
  899. 坂本泰良

    ○坂本委員 そこで三友産業のことをお聞きしたいのですが、一千万円からの金を出す際に、三友産業の資産状態、それから謄本その他の内容調査をやられましたか。
  900. 日野謙三

    日野証人 何にもやっておりません。こちらは第一通商の注文書と第一通商への問い合せで、それだけを信用してやりました。
  901. 坂本泰良

    ○坂本委員 そうしますと、間組は第一通商のオーダーだけで、これを信用して一千百万円の金を出してやった、こういうことになるのですか。
  902. 日野謙三

    日野証人 仰せの通りでございます。
  903. 坂本泰良

    ○坂本委員 私は少くとも間組ともあろう会社が、一千万円からの支払いその他をやる場合には、その会社の資産状態あるいは一1金融とおっしゃっているのですが、そういう金融をする場合には、資産状態その他会社の内容ぐらいは調査しなければ出すべきものではないと思うのですが、その点もう一度念を押しておきますが、どうですか。
  904. 日野謙三

    日野証人 事実しておりません。第一通商からすぐ手形で支払われるという話を信用しただけでやりました。
  905. 坂本泰良

    ○坂本委員 それでは少し問題が変りますが、結局金融をしたのだとおっしゃるわけですが、何に対して幾ら金融をされる予定でありましたか。
  906. 日野謙三

    日野証人 第一通商からもらう七千何百万円かのうち、大体約半分ぐらいのものは当分の間金融に使えるというつもりでやりました。
  907. 坂本泰良

    ○坂本委員 だれに貸したのか。
  908. 日野謙三

    日野証人 第一通商からこちらにもらって、こちらから三友産業に払う、その間しばらくこちらにとめ置いてよろしいという約束でありました。
  909. 坂本泰良

    ○坂本委員 ちょっとわからぬですが、大体これは金融ですか、それともエンジン間組が買ったんですか、その点どうですか、買ったんじゃないですか。
  910. 日野謙三

    日野証人 これはわかりやすく言えば間組を通して第一通商に売る、間組名義手数料だということが一番わかりいいかと思います。それですから第一通商から間組へきた注文書と同じ注文書を間組から三友産業に出したわけであります。
  911. 坂本泰良

    ○坂本委員 そういたしますと、三友産業の名前を使った正木という人は、あなたは知っておりますか。
  912. 日野謙三

    日野証人 存じております。一番最初正木氏と杉山氏と岩間氏と三人来て、これが責任者で、今後正木氏は機会あるごとに責任を持つ、あと取引については杉山を代表としてよこすということで、そのときから正木氏を知っております。
  913. 坂本泰良

    ○坂本委員 少し飛びますが、一億四千七百万の領収証を出されましたですね。その点御存じですか。
  914. 日野謙三

    日野証人 領収証は向うから出したのであります。
  915. 坂本泰良

    ○坂本委員 三友産業株式会社総務部長正木恒作という人から株式会社間組に対して一億四千七百万円の領収証が昭和二十七年七月二十五日付であるのですが、この領収証は御存じですか。
  916. 日野謙三

    日野証人 はい、金額は覚えております。
  917. 坂本泰良

    ○坂本委員 この一億四千七百万円は領収証になっておるのですが、この金を間組は支払われましたか、どうですか、その点をお聞きしたい。
  918. 日野謙三

    日野証人 支払い命令をして支払った報告を受けておりますから、支払ったものと思います。
  919. 坂本泰良

    ○坂本委員 あなたは経理部長でしたね。これだけの金額を支払う場合においては経理部長の決裁は要りませんか。
  920. 日野謙三

    日野証人 口頭で決裁いたしました。
  921. 坂本泰良

    ○坂本委員 そうしますと、これはパッカードエンジンの台数は書いていないのですが、二十二台の代金、そういうことになるわけですか。
  922. 日野謙三

    日野証人 大体二十台であります。二台は――パッカードエンジンは、台数といっても中には少々抜けておりますが、形だけは二十が。パッカードエンジンであります。
  923. 坂本泰良

    ○坂本委員 そこであなたに、経理部長だからお聞きしたいのですが、三友産業株式会社総務部長正木恒作という領収証が出ておるのですね、こういう領収証を受け取る場合に、三友産業株式会社の、この会社の内容も、それから果して正木恒作氏が総務部長であるかどうかということも調査もせずにこの領収証をとられたんですか。その点お聞きしたい。
  924. 日野謙三

    日野証人 最初社長岩間氏、それから杉山氏、正木氏が来て、このうちだれでも代表として取り扱ってくれてけっこうですと三人そろっての話で、それからあとは大体杉山と、この相手方としてやっておりました。
  925. 坂本泰良

    ○坂本委員 普通のブローカー同士の領収証ならこれは別ですけれども、少くとも株式会社間組という大会社が領収証を受け取る場合に、正木恒作というのは総務部長じゃないのですよ。それを総務部長と信用してあなたはこの領収証を受け取られたかどうか。
  926. 日野謙三

    日野証人 総務部長としてでなしに、最初そろってきた岩間杉山正木、この個人を信用してやりました。
  927. 坂本泰良

    ○坂本委員 この領収証は間組から防衛庁に出しておられるのでしょう、その点どうですか。
  928. 日野謙三

    日野証人 写しか何か出しているはずだと思います。
  929. 坂本泰良

    ○坂本委員 このパッカードエンジンの積算の基礎になっているんですよ、これがね。しかもその領収証の写しを出す場合に、その会社――三友産業株式会社かどういう会社であるか、正木恒作がここに判を押している領収証になっているのですが、総務部長であるかどうか、そういうことも確かめずに、そうして防衛庁に写しを出されましたか。
  930. 日野謙三

    日野証人 お話通りであります。
  931. 坂本泰良

    ○坂本委員 そうするとこの三友産業株式会社というのは、先ほど来からお聞きだろうと思うのですが、すでにもう当時は破産状態であるから、なかったわけですよ。それから正木証人も、聞けば、この人はブローカーであって、三友産業には何ら関係はない。そうしてこの総務部長と書いているのは、これはうそを書いているわけですね。これをあなたは、間組経理部長ともある人が、それを信頼して、正しいもんだ、間違いないというところで受け取られましたか。
  932. 日野謙三

    日野証人 この件につきましては三友産業なるものは、杉山正木岩間三友産業という考えで最初からやって参りました。
  933. 坂本泰良

    ○坂本委員 それからこの領収証はいつ発行されました。実際発行された日は……。受け取られた実際の日はいつですか。
  934. 日野謙三

    日野証人 清算されて前の契約の月日にさかのぼったと思いますから、昨年初めか一昨年暮れじゃないかと思います。
  935. 坂本泰良

    ○坂本委員 三十年初め……。
  936. 日野謙三

    日野証人 三十年初めか……。
  937. 坂本泰良

    ○坂本委員 二十九年暮れ……。
  938. 日野謙三

    日野証人 暮れか、その見当ではな  かったかと記憶しております。
  939. 坂本泰良

    ○坂本委員 二十九年の暮れか三十年の初めに受け取った領収証をどうして  二十七年七月二十五日に期日をさかのぼらせたか、この点をお聞きしたい。
  940. 日野謙三

    日野証人 これは私はあとで知った  のでございますが、契約の日に合わした日付にしたという報告を受けました。
  941. 坂本泰良

    ○坂本委員 どうしてその契約の日にさかのぼらせて領収証を出したか、その点を承わりたい。防衛庁をごまかすものだ。
  942. 日野謙三

    日野証人 先ほどの塚元証人の計らいでやって、事後に報告を聞きましたのです。
  943. 坂本泰良

    ○坂本委員 何ですか、もう一ぺん言って下さい。
  944. 上林與市郎

    上林委員長 前に証人に出ました塚・元証人の御意見で……。
  945. 坂本泰良

    ○坂本委員 塚元君のどういう意見でさかのぼらせました。どういう意見があったか。期日をさかのぼらせるのにはわけがあるでしょう。それはどういう意見でした。
  946. 日野謙三

    日野証人 事実は済んで後に報告を聞きまして、事前に意見を聞いたわけではございません。
  947. 坂本泰良

    ○坂本委員 これは間組の応接間で経理課長、それから正木杉山、あなたもここにおられたのじゃないのですか、どうですか、その点は。
  948. 日野謙三

    日野証人 おりません。
  949. 坂本泰良

    ○坂本委員 いないにしても、ずっと金の支出がたくさんあるから、それを清算して、そしてこの領収証を三十年の初めか二十九年の暮に受け取る際には、何かあなたに相談はなかったのですか。
  950. 日野謙三

    日野証人 それはこのうちからこういうふうにして受け取る。さきに決済といいますか、意向を漏らされまして、それでよかろうということでやったはずでございます。
  951. 坂本泰良

    ○坂本委員 そういたしますと、最初あなたの方は金融とおっしゃるけれども、やはり昭和二十七年七月二十五日にこの三友とあなたの方にエンジンの売買の契約があって、その契約に基いてこの一億四千七百万円の金を支払ったという領収証を受け取った、こういうことになるのじゃありませんか。
  952. 日野謙三

    日野証人 それは前に第一通商から断わられたときに、そのときの契約としては、三友産業が、ニンジンに向うの言うことに偽わりがあった場合には契約を解除するという条項があって、それを追及したのでありますが、払った金は渡辺トラクターで修理に使い、もとの所有主に支払いその他して、もうないので、一つ二十台を-格好だけの二十台でありますが、担保に預けるから、至急に第一通商にかわるべきものを探すから、それまでそれを担保にして待ってもらいたいということで、結局二十台こっちでしょい込んだことになったわけであります。
  953. 坂本泰良

    ○坂本委員 この領収証は金銭の授受もないのに、すでに日付も虚偽に、また三友産業総務部長も虚偽にこの領収証が発行されたということははっきりしましたから、その点はこれでおさめて、もう一点だけお聞きしたいのは、間組エンジンのこういう金融を常にしょい込んで売買をされたのですか。これは会社目的にあるのですか、ないのですか。
  954. 日野謙三

    日野証人 会社目的にはっきりした目的はありません。
  955. 坂本泰良

    ○坂本委員 そうしますと、間組目的違反の行為をやった、こういうことになるわけですが、それでよろしゅうございますか。
  956. 日野謙三

    日野証人 私にはよくその事情はわかりませんが、もしそうなるとするならば、私は責任を負わなければならないことになると思います。
  957. 坂本泰良

    ○坂本委員 あなたは間組の重役にはなってないのですか。
  958. 日野謙三

    日野証人 取締役であります。
  959. 坂本泰良

    ○坂本委員 少くとも会社の取締役が目的に違反する行為をやればどうなるかというようなことは、これは承知していなければならぬと思うのですが、あなたはその点知らなかったのです参か。知っていてわざとやったのですか。
  960. 日野謙三

    日野証人 第一通商へ売却の仲介をするのが違反であるとは存ぜずやりました。
  961. 坂本泰良

    ○坂本委員 われわれはあなた方の虚偽の、ほんとうにうそだろうと思うのですが、いろいろ弁解を聞いていると、これはやはり一つエンジンのブローカーをやったのじゃないか。そう治して防衛庁にこういううその領収証を見せて、そして積算の基礎をやらして、そうして高く売りつけて、防衛庁をごまかしたのじゃないか。そうでなかったならば防衛庁とぐるになって、そうしてひともうけしたのじゃないか。(「その通りだ」と呼ぶ者あり)こういう嫌疑を持つのですよ。その点どうです。
  962. 日野謙三

    日野証人 事実は決してそんなことはございません。
  963. 坂本泰良

    ○坂本委員 この程度にして、前の証人ともあわせてこれは相当考えなければならぬと思います。さらにこれは必要があればもう一回証人を呼んで聞かなければならないと思いますが、まず偽証その他のほかの刑事上の問題がこういう領収証を偽造したという点で起ると思いますから、この程度で……。
  964. 上林與市郎

    上林委員長 御意見は御意見で承わっておきます。取扱い方は理事会でいたしますからさよう御了承願いた 。
  965. 生田宏一

    ○生田委員 簡単なことを経過だけをお聞きしておきます。あなた方のおっしゃることを私は善意で聞いていて、この問題の大体の経緯をどうしてもつかんでおかねばいかぬのでお聞きしますが、これは最初は第一通商が広造機へ売り込むということで一億四千余万円という金額三友産業の方に貸してやる、そうして代金がもらえたらそれを間組の方の金融に当分充ててよろしい、こういうことで始まったわけですね。
  966. 日野謙三

    日野証人 広造機かどこか、第一通商から先の売り先は存じませんが、とにかく第一通商で買う、そうしてそれを間組に払う、間組から同じ内容の契約書で三友産業に払う。その間、第一通商から間組に支払われたものは当分の間一部は間組金融に使ってよろしい、ということで始まったものであります。
  967. 生田宏一

    ○生田委員 そうしますと最初三友の方に幾らまでは貸してやるということであったのですか。
  968. 日野謙三

    日野証人 最初二千万でございます。そう記憶しております。
  969. 生田宏一

    ○生田委員 そうすると契約にある一億四千余万円というあれはどういう金額ですか。
  970. 日野謙三

    日野証人 これは全部の金額でありまして、とりあえず第一通商から入るまでに先に貸してほしいというのが二千万円であります。
  971. 生田宏一

    ○生田委員 そうすると第一通商から二億円ほど入るのですが、第一通商から入るまでに一億四千余万円というものは貸してやるということになるのですか。
  972. 日野謙三

    日野証人 そうでありません。最初出たのは二千万でありまして、それからあとは試運転にかかって、部分品がない、新しくこしらえなければならぬ、トラクターの整備の費用、そういうものを徐々に出したわけであります。
  973. 生田宏一

    ○生田委員 一億四千余万円というあり金額が出たときの契約書というものはどういうふうになっているのですか。あなた御存じでしょうね。
  974. 日野謙三

    日野証人 これは総額がこの金額でありまして、第一通商には当時確か八台ほど注文したと思います。これはその条項に八台以外の分は不要になれば契約解除してお互いに異議を言わないという契約だったと思います。それで八台を第一通商と合したわけです。
  975. 生田宏一

    ○生田委員 ところがその第一通商の方はキャンセルせられた。あなたの方は四千万円出しておって、その回収が困るので、どうしようかというので、もう金さえ戻してくれれば現品は返そう、あなたの方で引き取ろう、こういうことになりますね。
  976. 日野謙三

    日野証人 はあ。
  977. 生田宏一

    ○生田委員 そうしますと間もなく、それは昭和二十七年の暮れから二十八年のころになりますが、これは第一通商の方は話がしくじったが、中華民国やタイのことも考えてみ、なおかつ二十八年度には九隻の魚雷艇が防衛庁でできるから、その九隻の魚雷艇のエンジンに使おうじゃないかという話が持ち上りましたね。
  978. 日野謙三

    日野証人 その点は一切三友産業グループでやっておりまして、私の方はその当時は全然売り込み先についてはまだ関与しておらず、それよりも製品が完成できるかできないかわからない状態で、こっちに一ぱいでありました。
  979. 生田宏一

    ○生田委員 どっかへ売り込んでおるとか、どっかへ話しておるということは、しょっちゅう三友の方からそれはお聞きになっておったのでしょう。そうでなければ待てといっても安閑として待つわけにはいかぬから、そういう報告はあったのでしょう。
  980. 日野謙三

    日野証人 これはもう三月したら大丈夫きめてくるから、もう二月したらというようなことで、一年間引っぱられたわけであります。
  981. 生田宏一

    ○生田委員 それはどこへきめてくれるというのですか、タイですか、中華民国ですか、あるいは防衛庁の九隻の魚雷艇のエンジンに対してですか。
  982. 日野謙三

    日野証人 いろいろだろうと思います。
  983. 生田宏一

    ○生田委員 それをみな含んでですか。
  984. 日野謙三

    日野証人 はあ。
  985. 生田宏一

    ○生田委員 ところが二十八年の魚雷艇の予算はついたけれども、これはパッカードエンジンじゃなしに別のエンジンがついたわけだす。防衛庁としてはこれを購入しなかった、全然問題にしてくれなかった、こういうことですね。
  986. 日野謙三

    日野証人 何かそんな事情もあったように聞いておりますが、直接私の方ではありませんので、詳しいことはわかりません。
  987. 生田宏一

    ○生田委員 そうすると二十九年になって――二十九年度の予算というのは三月三十一日にできたわけです、その予算の中には魚雷艇じゃなしに非常に快速な救命艇の予算が取れて、これならばガソリンのパッカードエンジンは使える、というのはガソリンですから、引火性があるから魚雷艇には使えない、しかし救命艇になればこれは使えるというので、ガソリンエンジンは売り込めるぞ、こういう自信をあなたの方ではお持ちになったのではないですか。
  988. 日野謙三

    日野証人 その辺の事情は私にはわかりません。ただ二十九年の六月ですか七月ですか、初めてこれなら使いものになるという一台が富士重工業で完成していただきまして、そして富士重工業で各社のエンジン技術者を、見てもらうためにお呼びして、そしてそこで皆さんの意見としていいエンジンだということになって、初めて自信を得て、富士重工へあっせん方をお願いしたわけであります。
  989. 生田宏一

    ○生田委員 二十八年の暮れには日本製の部分品をつけてみて、一ぺん試運転をやっておりますね。
  990. 日野謙三

    日野証人 二十七年の暮れから二十八年の夏ごろまでだと思いますが、日本製のエンジンの権威者と称する人が、これなら大丈夫だといってやったのが、結果はうまくいかなかった……。
  991. 生田宏一

    ○生田委員 そういうような経過を経て二十九年の春には、あなたの方はこれは救命艇に使えるという自信を持ったのではないかと思いますのは、二十九年の三月にはお前さんたちは関係してもらいたくないといって、そしてあなたのところは三友産業とも手を切っておられますね。そのときに、えらい目にあった、会社に迷惑をかけた、こう言っておりながらも、あなた方は二十九年の三月には手を切ってもらった人に、二十九年の七月か八月には千五百万円という名義料と称するものを、あなたの方はお渡しになって、そして困った上にも盗人に追銭を出したというような格好になっているのですが、そのときにあなたの方は、今もあなたのおっしゃる通り、二十九年の夏、ころには一台しゃんとしたものかできて、これなら大丈夫だ、間違いないという自信のあったときです。そうするとそのころには、二十九年の予算の中の救命艇にはこれは売り込める、こういうので窮地を脱して、会社に迷惑をかけなくて済むのではないかというように、あなた方が愁眉を開いたときでしょうね。どうですか。
  992. 日野謙三

    日野証人 結局一台が完成したので、少くとも価値のある品物を保有できたということで愁眉を開きましたが、これだけのものを何年かかってさばけるか、その辺はわかりません。それから先ほどの御質問でありますが、手を切った、三月ごろ手を切ったというのは、一切それまでは三友産業の方で売り込み先を探すからということで、いろいろ契約金額の内払いを要求してき、その他があったので、もう相手先を探すのは一年もやったけれどもそっちに技術者もいないし、信用ならないからということでありました。それからあと、今名義料と言われましたが、名義料という名前を使っておられたかどうか知りませんが、それまではまだその契約は、片方は契約書であり片方の品物は担保という形になっておりまして、所有が向うだということになれば、いつまでもああでもない、こうでもないといってぐずぐず言ってくるので、それでこの辺ではっきりけじめをつけようというのがそのときであります。
  993. 生田宏一

    ○生田委員 その二十九年三月ころにはあなたの方からもうすでに富士重工へお話になって、富士重工はその品物を引き取って、自分の修理工場へ入れてやっておって、すでに試運転直前の状態になっておって、そして富士重工からしばしば防衛庁の方へ御交渉になっておる。これは防衛庁の方からお話になっておりますからはっきりしております。私のところへ防衛庁からきておりますが、二十九年の三月にはちゃんと富士重工の方から話があったと書いてあります。これは間違いないと思います。二十九年四月富士重工の申出によって、同社三鷹工場において部品の分解状況を、同社田無工場においてその運転状況を、海幕技術部長以下関係技術者が視察した結果きわめて良好である、こういうことを、二十九年の四月です。そうするとあなたの方がもう手を切ってくれといったときには海幕の視察を受けて、そしてこれは防衛庁で取ってもらえる、愁眉を開いたというか、逆にこれでもうかるぞというようなお気持が強くなったときでないかと私は思う。そうでないとどうも順序が……。そういうことになりますね。そうしてあなたの方は手を切った、その手を切ったときに千五百万円の手切れ金をやった、盗人に追銭をやったということですね。違いますか。
  994. 日野謙三

    日野証人 これは、これだけのエンジンを少数はけることも希望を持って、非常にけっこうなことでありますが、あと何年かかってはけるか、非常にまだまだ重荷を背負っているわけであります。
  995. 生田宏一

    ○生田委員 この海幕が見に行っておりますから、二十九年度の予算には六台買う、三十年度以降においては幾ら買う、これは防衛庁の方ではちゃんと計画が立っていることです。二年、三年後まで大体予想がつきます。二十九年度に六台売れば三十年度に幾らということはすぐに立つのです。現にあなたの前の経理課長さんが先ほど私にお答えになったのによれば――吉田さんの質問にお答えになったのかもしれませんが、青木商店から買った四台というものは、悪いものがあったり、あるいはホールスコットなんかあって、二十台あるいは二十二台、どこかの御意向といいましたが、これは防衛庁であるかもしれませんが、防衛庁の御希望の数にこれでようやく達するのではないかという希望で買ったと言っておりますから、あなたの方は六台のみならず、二十台全部売り込むという予定で海幕の方へ御相談があったものと私はそのとき解釈しておるのです。そうすると、いつまでに売れるかわからないということではなしに、政府の年間の予算はきまっておって、累年それがきまっていくのですから、本年は幾ら、来年は幾らということになるわけです。それをあなたは知らぬとおっしゃるならばなんですが、私はここで聞いておればすぐそういうことはわかるわけです。それでむしろ愁眉を開いて将来に希望を持った、こういうことでしょうね。いかがですか。
  996. 日野謙三

    日野証人 今のお話ですが、私にそう的確なことは報告がそっくり入っておりませんが、とにかく四台でも五台でも実際に使って役に立つということは将来に大いに希望を持っております。
  997. 生田宏一

    ○生田委員 そこで初めて一億四千七百万円という数字が出たのですね。そういう数字が出て、そしてあなたの方から一億四千七百万円を三友産業に支払ったという形が、そこで書類の上で出てきたわけですね。そうでしょう。あなたの方から一億四千七百万円という領収証を書いてくれということを要求されたのですから、あなたの方からそうしてくれと言っていったのですか、業者の方で合意だと言っておりますが、合意だろうが、ともかくあなたの方の意思も入っているのだから、それで一億四千七百万円という数字が出ましたね。そうでしょう。
  998. 日野謙三

    日野証人 これは最初からいろいろな手違いがあったので、最初契約を幾らか減して合意の上できめた数字であります。
  999. 生田宏一

    ○生田委員 そうすると、あなたの方は七千三百二十三万円しか払っていないのに一億四千七百万円と書いてくれと言って、書きましょうと言ったのはどういう理由によるものですか。
  1000. 日野謙三

    日野証人 これは最初の第一通商契約解除になったときに、申しわけない、すぐその買手を探すから、今後費用に対する利息その他のこれにかかるものは全部自分の方で負担するから待ってくれという話がありまして、そしてそれを一億四千七百万から差し引いただけでありまして、その分については、これで今処分がつけばその残額は当然向うで契約上やるようになるのです。
  1001. 生田宏一

    ○生田委員 そうすると、あなたの方では、五十万円で買ったものを-もうこの当時にはあなたの方はおわかりなんですから、五十万円で買ったものですから一千百万円――それにあなたの方は七千三百二十三万円お出しになっておる。なおその中に千五百万円の名義料も入っているのです。なおその上に売り込みに対する贈与等を引いて何千万円か残ったものを、なおかつその関係者の正木杉山や沢にやって、そしてあなたの方はもう原価手一ぱいでごしんぼうなさる、こういうのでございますか。
  1002. 日野謙三

    日野証人 私の見通しでは、そう簡単に処分はそこまでいかない、まだまだ金利、費用はかかるものと見通しをつけております。
  1003. 生田宏一

    ○生田委員 二十九年の八、九月ごろには海幕が六台買うということははっきりしておるのでございますよ。二十九年度中に買うということは、予算を執行するのですから、はっきりしてお  るのでございますよ。そこであなたの方は、一台千二百五十万円ということ  でありましたね、そうすると、六台で七千五百万円という金がそこに落ちてくる。そうしてあなたの方で出した金は七千三百二十三万円ですから、それだけ買った金はあなたの方に返ってくる。一応自分の出した金は二十九年度の予算で返ってくる。そうすると、あなたの方の資金的負担は零になる。資金的負担が零になれば、売り込み費用がなんぼかかるとか、あるいはいつまでに始末ができないとかいって、そうあなたの方で御心配をなさる必要はない。それまでに二十九年度の予算で金をもらうまでの間かかった金利については、あなたの方で欠損、赤字ということになるから、それを見込むことはよろしゅうございましょうが、しかし資金的負担がもう全然なくなるということになれば、将来あなたの方に何か負担でもございますか。しかし売り込み贈与といいますか、運動費に使う金は多少の金がありましょうね。そうするとそれらを合計して一億四千七百万円から七千三百二十三万円を引いたら七千四百万円です。そんなに大きな金額にそれがなりましょうか。
  1004. 日野謙三

    日野証人 そのほかに富士重工の整備費用、部品の購入費用、その他非常に多額の資金が要っております。それからあとの二台の分ですが、これは二・三日前に入った二台だと思っておりますが、ごく最近でありまして、それこれの計算塚元課長がやっておるはずでございます。
  1005. 生田宏一

    ○生田委員 それは三十年になりましてあなたの方は千七百万円ほど出しておりますよ。これはあなたの方の御報告ですから、二十九年度までは七千八百万円、三十年には千七百万円出しておる。ですからこれも大した数字では私はないと思う。あなたの方の資金負担は千七百万円あるいは千四、五百万円になるでしょう。その資金の負担の金利と、それから贈与等に七千万円というのはひどいでしょう。どういう御計算でしょうか。
  1006. 日野謙三

    日野証人 私は計算上のこまかい内容は見ておりませんので、ここでお答えできませんが、それは塚元課長が明細をこしらえて向うと打ち合せをして出した数字であります。
  1007. 生田宏一

    ○生田委員 塚元さんのお話では長期の資金でございますから、年一割二分というお話でした。そうすると、概算して一千万円ぐらいの金利になるのです。それから三十年度以降の一千七百万円、金利が一割二分ですから、七、八年しないと一千七百万円の金にならない。二年、三年で売れてしまえば二、三百万円ぐらいの金利負担で済むわけです。そうすると七千四百万円という金利負担、これは少しひどいですね。贈与諸掛りにしても五百万円と言っておられましたから、贈与諸掛りを合せて三千六百万円ですから、贈与諸掛りを引いて三千八百万円が金利、それからあと売り込みに対する贈与諸掛り等で三千七百万円、こういうのです。これは少しひどいですよ。一億四千七百万円には五、六千万円というつけ掛けがある、こういう計算をせざるを得ません。ところがあなたの方は一億四千七百万円の計算を先ほど二十台ということでお話しになりましたね。原価二十台、そうお話しになりましたね。
  1008. 日野謙三

    日野証人 先ほど申し上げましたのは、一応の格好が二十台とはっきり申し上げましたので、これを欠けたところを継ぎ合せて何台できるかは、その当時やってみなけれ全然見当がつかなかったのであります。
  1009. 生田宏一

    ○生田委員 いや、それはあなたはあんまり責任のないお言葉です。それではあなたがおわかりにならなければ私はこれを読んで差し上げます。「部品については冨士重工業で全部品の寸法の計測を行い、重要部分については抜き取り検査を行なって確かめた結果、部品の寸法はパッカード会社の」……、英語なので僕はよくわからぬですが、パッカード会社の広告をした説明書ですね、それに「記載する製造公差以内にあることを確認したので、新品同様と判定した。」と書いてある。それで、二十台を組み合せて何ぼのものができるかわからぬというような状態ではありません。これはいかがですか。
  1010. 日野謙三

    日野証人 その点につきまして私がその当時報告を受けましたのは、一番いいのをよってこしらえた、最初の検査をしたのはそうであるが、まとめるのは十五台まとまるかどうか、それからそのうちの新品同様なのがどの程度までできるか、その辺のところはまだ不明だという報告を聞いて、そのほかのことはあまり聞いておりません。
  1011. 生田宏一

    ○生田委員 これによりますと、全部品の寸法計測を行った、全部としてありますね、ですから一部分やったのじゃございませんよ。いかがですか。
  1012. 日野謙三

    日野証人 それは一台分の全部品をやったのだと、私の記憶では思っております。
  1013. 生田宏一

    ○生田委員 防衛庁の方に伺いますが、私はこの書類をいただいたのですが、あの二十台の中で全然使用に耐えないものがありましたでしょうか、どうでしょうか。
  1014. 芥川輝孝

    ○芥川説明員 今のお話の点で、ございますが、その書類に書き足りませんではなはだ申しわけないのでありますが、それは試運転いたしまして、一台についての全部品、こういう意味でございます。
  1015. 生田宏一

    ○生田委員 そうすると全体についてはあなたの方でお調べになりましたか。
  1016. 芥川輝孝

    ○芥川説明員 全体については、その当時はよくわかっておりません。
  1017. 生田宏一

    ○生田委員 現在は……。
  1018. 芥川輝孝

    ○芥川説明員 現在は、買い取りました分につきましてそういうことをやったわけでございます。買い取りの対象以外はそういうことをやっておりません。
  1019. 生田宏一

    ○生田委員 それでは今のお話で、私もあなたの説明の通り了解いたしました。ところがあなたには何台分になるかということがはっきりしないというお話でございましたね、そうですか。
  1020. 日野謙三

    日野証人 これは当時はっきりはしませんでしたが、大体布望的観測をもって十五台というものを標準にして考えておりました。
  1021. 生田宏一

    ○生田委員 先ほど吉田委員からのお話によると、四台売って、そしてまだ十四台新品同様に組み立てられるものがある、なおその上に松庫商店から何台かお買いになっておるようでございますが、そうするとどうなりますか。
  1022. 日野謙三

    日野証人 その二十台のあちらこちら持っていった足らぬ分に使うべくほかのものを補充したので、幾らかふえる可能性があるはずだと思います。これは最初三友産業の分だけの話でございまして、その後部品を補充していけばあるいはもう少しふえるだろうという報告を聞いております。
  1023. 生田宏一

    ○生田委員 吉田委員お話によれば、それは何も部品じゃなしに、その部分はその部分として、その四つのものがほとんど完全に近いものだということであなたの方に保管しておるというが、それはいかがですか。
  1024. 日野謙三

    日野証人 私ははっきりしておりません。ただこういう目的で補充しましたという報告を聞いて、果たしてそれがそのうち完全に使えるのが何台になっておるのか、全部なのか、あるいは全部が不完全なものか、そこまでまだはっきり聞いておりません。
  1025. 生田宏一

    ○生田委員 一体あなたは、こんなに大きな問題になった品物であって、現に品物がどんな状態にあるか――あなた自身としては会社に迷惑をかけて相済まなんだと言って大へん心配をしておるが、そのあなたが現品の状態がどうなっておるか知らぬという、そんなことを言って通りますか、どうですか、私は通さぬですよ。
  1026. 日野謙三

    日野証人 まことに申訳ありませんが、事実詳しいことまで調査不十分でございます。
  1027. 生田宏一

    ○生田委員 そこであなたがそういう御答弁をしなければならぬのは、実は二十台できるのだけれども、あなたの方では一億四千七百万円のあの金額は十五台分しかできないことでありましたから一台九百五十万円になりますと、あなたの方で防衛庁へ御説明をしておるのです。そこで七百三十五万円がいつの間にか九百五十万円に、二百万円近く上りましたので、それだけ防衛庁が肩がわりをしているわけです。そのことがあるから、あなたは実際は御存じになっておっても、事実はよく知りませんと、こういうことをおっしゃるのです。それで私が言いますのは、金利関係でも五、六千万円もたくさんに一億四千七百万円の中へつけ足してみたり、また二十台できるものを十五台分にして、七百三十五万円を九百五十万円に単価の値上げをしてみたりして、あなたの方で一億四千七百万円という領収書を作ってそれを防衛庁の取引の基礎にしたいということで私ははなはだあなたの方の名誉を傷つけたと思う。また私はそのことを推察すると、あなた方はこれは困ったことだ、だまされたと思っていたけれども、これは防衛庁で買ってくれるわい、しかも一千三百五十万円という東京財務局の評価が入ったから、まあ一千二、三百万円くらいに売れる、そうするとこれはむしろもうかるか千五百万円くらいやって、いざこざなしにしてやつらを追っ払らっておけば、間組間組として商売ができる、こうお考えになって、あなたの方でそうしたに違いないと私自身としては考えております。あなたの方でそうでないとおっしゃれば、私はそうでないとおっしゃるあなたの腹を断ち割って見るわけにいきませんから、これは水かけ論になりますが、しかしそうでないかと、私自身の判断はこういうふうにしておるわけです。それで良心をもってお答えを願いたいいのは、私がこういうように考えるのも無理からぬことであるかどうか、あなたがそうでございますと言いにくければ、私がこういうように考えるのは一応無理からぬ話であるとあなたが思われるのならば、そういうあなたのお気持を言ってもらえばよい。もしそういうことはありません、そんなことを考えるのは曲解ですというお考えならば、あなたのお考えは曲解ですと私に言ってもらってもよい。いかがですか。
  1028. 日野謙三

    日野証人 二つに分けてお答えいたします。一つあとの部品補充したのは時期がたしかその後であったと記憶しております。報告が出ていると思いますが、それであとになって整備台数がふえる結果になったのだと思います。それから先ほどの幾らぐらいだろうということは、あのエンジンが非常に優秀であって、価値として二千数百万のものであるということが大体わかりましたので、この方は非常に希望を一持ったわけであります。現に貿易会社からの引き合いなんかも来ておりまして、何とか将来一生懸命やれば非常にいいんじゃないか、こう考えております。
  1029. 生田宏一

    ○生田委員 それじゃ申しますけれども、あなた方の一億四千七百万円の積算の基礎になっている金利とか諸掛りとかいうことは、常識的に見てそれが正しいものであるかどうか、そうしてまた将来幾らになるともわからぬものを、あなたの方で七千三百二十三万円しか渡してないのに一億四千七百万円だといって、そうして架空の領収書を作ってそれが取引の基礎になるということは好ましくないんじゃないか。それで私はあなた方に申し上げますと、昭和二十九年度にその品物が売れておりますから、実際は一億四千七百万円というものが代価の計算の基礎になりましたことはもう間違いないことです。しかし五年後に売れたということであれば、あなたの方は金利がこれだけかかったといって値段を上げられることは私は正しいと思う。そうすると、二十九年度に売れるかもしれない、五年の後に売れるかもしれないというものですから、あなたの方からいえば年々あの品物の代価というものは違ってくるわけでしょう。物の値段は別としてあなた方の方の負担というものは年々加わってくるわけでしょう。だから三年なり、五年なりいつまでかかるかもわからないという考え方で、二十九年度に六台売れるということがはっきりきまっておるものを一億四千七百万円といって五、六千万円も架空のつけたりをして、しかもあとでは二十台できたのだけれども十五台だとしてなおその上にもう一つ単価をせり上げていくということは、私はあまりおもしろくないことだと思う。よくお考えになっていただきたい。先ほども申しました通り間組の請負事業ならば五十も百もするうちに、もうかるものもあれば勉強して損をするものもあると思いますけれども、あなたの会社目的外、定款外のものをやってちょこっと色気を出してやって、つまみ食いをしてそんなにあこぎなことをすることは間組の恥辱だと思う。またわれわれとしても国政調査立場からこれをほうっておけない。国民がほんとうに視聴を集めてこの結果を見ておるというのは、あなた方のやはり商売人道義といいうものが当を得ておらぬからだと思う。将来お考えを改められなければ私はいかぬかと思うのです。しかしまた考え方もありましょうが、あまり理屈めいたことも申し上げませんけれども、きょうお出を願った結果では一つも疑念は晴れやらぬという結果になってお帰り願わなければならぬことをはなはだ残念に思います。
  1030. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 ちょっと確めておきたいのですが……。
  1031. 上林與市郎

    上林委員長 吉田賢一君、簡単に願います。
  1032. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 証人は横浜の青木商店から別にパッカードマリンエンジンを四基と、それからそれをこわしたものを四基分、これを合計二百万円でお買いになったことはお認めになりますか。現にこれはあなたの方で青木商店に支払っておる領収書であります。ちょっと見て下さい。   〔吉田委員証人に書類を示す〕 よろしゅうございますね。そこで、あなたはパッカードマリンエンジン四基の実物を見ないので知らない、あるんやらないのやらわからぬ、用を足したやら足さぬやらわからぬという御答弁を生田委員に対してなさっておる。しかしあなたはその際これらのものはエンジンの部分品が必要であるので、それがために買ったという御説明なんです。ところが別にあなたの方の代金の帳簿の写しによれば、去年の六月にパッカードの部分品についてはトラックに四台分を、これは川崎市の西小田町高島昌雄という人から三百五十万円で別に買っておる。よろしゅうございますね。それは御承知でしょう。部分品というのはそのことですパッカードエンジンは、エンジンそのものは三鷹に二基あるじゃありませんか。これは青木商店から入ったものでありますということを三鷹で言っていますよ。それをここで白ばくれるということはもってのほかだと思います。あなたが現実に見ぬでも見ても、責任のある報告はなければならぬと思う。見たと同じ報告をあなたは受けておられなければならぬと思います。今あなたはそれを知らないというようなことで、通せますか、どうなんです。
  1033. 日野謙三

    日野証人 事実完全に二台できたということは……。
  1034. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 二台じゃない、四台です。
  1035. 日野謙三

    日野証人 今初めて伺いました。どれとどれと組み合せてどのくらいできるかということも……。
  1036. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 組み合せじゃありませんよ。見てこらんなさい。
  1037. 日野謙三

    日野証人 一ぺん見にいって参ります。
  1038. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 組み合せではありませんよ。そのまま使った形跡はございません。いいですね。使った形跡がないということは技術者全部異口同音に説明をいたしております。それを何か部分品を組み合せてやるかのように、エンジンそのものが完全なものでないかのような印象を与える御答弁は私はもってのほかだと思う。あなたはらちがあきませんが、防衛庁の方で、これはだれが説明できるのですか、芥川船舶課長ですか、あなたは説-明できますか、説明できるなら説明して下さい。
  1039. 芥川輝孝

    ○芥川説明員 あとの分は私知りません。ごく最近新聞紙上で知った程度です。
  1040. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 新聞紙上で知ったというなら、まことにおめでたい話だ。それなら次長に伺います。現にこのパッカードマリンエンジンが今そこに領収書を出しておわかりのごとくに、防衛庁も二十九年の夏に、横浜の丸藤株式会社が、パッカードエンジン八基を、一基の単価が三万四千七百五十円で、合計二十七万八千円で米軍から買い受けておる事実、そしてうち四基は事情があってつぶしております、スクラップにしております。事情がよくわからぬ。そうして残り四基は、完全な四基が、三鷹の富士重工の工場に入り、そのうち一基がさっき指摘いたしました番号のままで現在し、うち二基はあなたの方がすでに大基購入したうちに入っておるものと君は推定をしておる。これらの事実について御説明願いたい。
  1041. 増原恵吉

    ○増原政府委員 そういうものを間組あるいは富士重工で買いました事実は、最近新聞で私どもも承知をしました。その具体的なものについて、調査には防衛庁からまだたしか行っておらないと存じます。そうしてこわしたのが四基、こわされないのが四基、そのうち二基が、防衛庁が今まで二十九年度四基、三十年度二基、六基を買いました中に入っていないかと仰せられましたが、この点は、先ほど聞きましたところ入ってはいないという報告を受けておりますが、なおその点は担任の方から申し上げたいと思います。
  1042. 武内征平

    ○武内説明員 第一回に買いましたパッカードエンジンエンジン番号は一一八六七、一二〇五五、一二四〇三、一一〇五〇、第二回に入りましたエンジン番号は一九二六、一一九一九でありまして、先ほど吉田委員の御指摘になりました青木商店から買われましたというエンジン番号は、富士重工の方に問い合せてみましたら、一二六八一、一一〇五二、一二七七五、一つ馬力の小さいW8というのが五九七八というのであります。一回、二回とわれわれの方の買いました分には、あとから間組が買われましたエンジンは入っておりません。
  1043. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そうしますると、あとからあなたの方が六基買った中には、青木商店から間組が買ったものが入っておらない――これは入っておるという私の推定でありますから、一応承わっておきます。しかしともかく間組がおととしの夏に横浜の丸藤会社から一基三万四千七百五十円で買っておりまする一一〇五二、一二六八一というこの二基は完全でございまして、現在あなたの方が買い入れようと思うものと何ら変りがないということはお認めになるのでしょう。
  1044. 武内征平

    ○武内説明員 まだ私の方ではその現物を見ておりませんので、何とも申し上げかねます。
  1045. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 この点は、あなたの方で実物を見ていない、買うたものに入っていないということで問題を処理しようというお考えでは私はいかぬと思っておるのです。これはやはり全体の一部としてお考えになっておかぬといけません。それでそれは一応関連だけでとどめておきますけれども、間組自身はその四基がどういう実物であったか知らないというようなことは、私はどうしてもふに落ちぬのです。そこであなたの方も、もちろんこれは入った番号も、それから入った経路も、移した経緯一切は御承知なんですから、これは後日書面で求めると言っても大して役に立つことではありませんから、別の角度から別の方法をもって私どもは事態を明らかにしていくことにいたしますが、ともかくこんな安い値段で買っておきながら千二百五十万円で売ろうというような態度は、私は何ぼ考えてもふに落ちぬのでありますから、これだけを申し上げておきます。これは答弁はいりません。
  1046. 上林與市郎

    上林委員長 それでは日野証人に対する尋問はこの程度にして終ります。日野証人は長時間御苦労さまでありました。退席されてけっこうです。  次会は公報をもってお知らせし、本日はこの程度にして散会いたします。    午後七時四十五分散会