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桑原証人 今問題になっておる。パッ
カード・
エンジンその他五十台を買うときも売るときも、私自身は知らないのであります。というのは、私は
会社全体を統括しておりますけれども、一々の
売買に立ち会ったこと、その
機械を見たこともないわけです。それできょう現在に至るまで、私はこの
エンジンを見たこともなく、買うときも売るときも行ったことはございません。しかしながら、この
機械を買ってから一年以上というものは、買ったものの売れなかったのであります。あるいは自分で使用することもできなかったのであります。それで五百万以上の
金額というものは、人によってはわずかな
金額かもしれませんけれども、
松庫商店にとっては当時は相当大金でございましたから、いつまで寝せておってもしょうがない、金を食うだけじゃないか。月に三万五千円以上の
保管料が要るのであります。それで何とかして売ろうと思って、一年以上というものは苦心しましたから、その苦心する間の
事情は相当詳しく知っております。
それで
最初の
質問から順次申し上げますけれども、
最初は、
東京通産局で
入札されるということを聞きまして、私の方の係の者が行ってこの
入札に参加したのであります。
通産省が
アメリカ軍から七万二千円でお
買いになったということは、われわれは
商売人ですから
原価は知っております。七万二千円で買ったものを七万二千円でわれわれが買おうと思っても、これはとにかく落ちません。それにやはり
日本政府の
通産省の手数料というものを加味して、それより少し多い
金額を出さなければ、大体こういう
入札というものは落ちないのであります。それで
日本政府に対する礼儀と申しますか
商習慣と申しますか、やはり五割あるいは十割はこれにつけ加えなければいかぬだろうというので、大体五割くらいの
金額を加算しまして、
通産省の
買い受け
値段が七万二千円ですから、私の方はそれに三万ばかり加えまして、十万五百円で
入札の札を入れたのであります。それで落ちまして、結局買うようになったのであります。買ってからこれをどこに売るかということをだいぶん研究してみました。ところがこれは
マリン・
エンジンですから、これは船に使うことはきまっているわけです。
造船所その他この
機械を必要なところに
方々に売り歩いたのでありますけれども、
日本の
造船所もどこも見向きもしないわけで、結論としましては、この
機械を
買い得るところは結局
軍隊か、
警察か、
税関、この三つしかないというふうにわれわれは内部において
断定を下したのです。ところがこの
エンジンを少し調べてみますと、この
エンジンは
一つの
長所がありますけれども、
四つの大きな
欠点があるのです。
長所というのは
スピードが非常に早いこと。四十ないし五十ノットの
スピードが出るわけです。
四つの
欠点というのは、これなとにかく
ガソリンを食うのです。私も現在はサルベージをやっておりますから、何十ばいかの船を持っておりますので、
ガソリンの
所要量や重油の
所要量というものは絶えず
うちで統計をとっておりますけれども、これほど
ガソリンを食う
機械は私は今まで見たことも聞いたこともないのです。それが第一番。第二番は、普通の自動車の
ガソリンでは走らないわけです。いわゆるオクタン価の高い、高性能の
ガソリンを使わないと使用できないわけです。これが第二番目。第三番目は、
機械の
部分品というものが
日本にないわけです。それでちょっと
部分品がこわれた場合には
部分品を取りかえるということもできないわけです。これが第三番目。第四番目は航続時間が二時間ぐらいです。かりに私は、一度
鎌倉あたりにモーター・ボートをつけてお客様を江ノ島から
三浦半島にでも案内してみようと思いまして、いろいろ計画してみたのですけれども、二時間半では
三浦半島一周はできないわけです。それでこの
エンジンというものはきわめて限られた二時間あるいは二時間半ぐらいしか使えないのでありますから、遠くまで走る
目的のためには使用できないわけです。この
四つの
欠点がありますものですから、
民間ではとうていだめというので、今のお
役所の
軍隊、
警察、
税関を
調査してみたのですが、
税関と
警察——水上警察ですが、そこはそういう予算はありません。結局これは
軍隊しか道がないというので、
うちの係の者を
海上保安隊に、二、三回使いにやりまして、こういう
機械があります。
原価は十万円です、三十万か、五十万で買ってくれませんか、買うたのは十万円でありましたけれども、毎月の
保管料、手入れその他宣伝あるいは旅費というものを加算しますと、私が
海上保安隊に行ったときはすでに十万円ぐらいの
経費がかかっておったわけです。その二十万の元値のものを三十万円ないし五十万円で買っていただけないか、と申しますのは、この
機械にはいろいろ
種類がありまして、
程度のいいものと悪いものとあります。いいものは五十万くらいで買って下さい、悪いものは三十万くらいの
値打と思います。というように、
海上保安隊に二、三回参りましたけれども、
海上保安隊は、そういう能率が悪いものは、とにかくディーゼルなら
購入してもいいけれども、その
エンジンは買えないというような御返事があったわけです。私はそのとき
マリン・
エンジンですから、まさか
自衛隊の方でこれが御入用だということは考え及びませんでした。それで私は
自衛隊の方には参りませんでした。
海上保安隊がだめだということは、
日本の
軍隊には必要がないというふうに
断定を下しまして、そして
倉庫の中に眠らしたわけです。私はその後絶えず香港とかシンガポールあるいは
東南アジアへ参りますから、
向うの友人におれの方にはこういう
機械があるのだ、何とか
一つ利用の道はないだろうか、現金化してくれんだろうかということをだいぶ相談したのですが、
向うにはこの
程度の
エンジンというものはたくさんある。この
程度の
中古のものならば、
日本の
金額で百万円前後なら
売買できるわけです。ですからわざわざ
日本のものを持ってこなくても、そういうものは
向うにあるのだから
東南アジアに持っていくのをやめてしまった。
そこで私は、
軍隊でもだめだ、
外国でも近所の
外国に売れないというならば、今度はこの
エンジンを結局において
スクラップにするか、
部分品に分解しようと考えてみたのです。ところがこれを
スクラップにしますと、今は少し上りましたけれども、当時の相場としては五万円の
値打しかない。二十万円かかったものを五万円で売れるか、これはいけない。次には分解して
部分品として売ろうかということを研究した。ところが
部分品に分解してしまうと、十万円くらいになりますけれども、その
部分品を全部売るには五年間くらいかかるわけです。五年間かかるということは、十万の半分、その当時の
値段としてはやはり五万円の
値打しかないわけです。これでは意地でもとにかく
機械として売らなければそろばんに合わないというので、
倉庫の中に入れておったわけです。
ところが買ったのは二十六年ですが、二十七年の夏ごろ
三友という
会社の人が見えまして
——私は
三友さんという人には一回も応接してないのです。きょう初めてこの応接間で顔を見たのですが、
会社に見えまして売ってくれというわけです。係の者に聞いてみますと、そういう名前は聞いたことがな い。
三友という人は聞いたことがないから現金なら売りますが、
手形なら売りません。一面識もないし、同
業者でもないから事実売るわけにいかないでしょう。
向うさんは
間組の
手形を持って参りまして、
間組の
手形で買うのだ、
間組はどこの
間組ですか、
日本一流の
土建会社なんだ、
日本一流の間さんだったら売りましょうというので、
間組の
手形と引きかえに
売買が成立したわけです。五十台の
うち二十二台をその間さんに売りまして、
金額は千百万円くらいだと思います。それからしばらくおくれて二十八台の方を一千万円で売ったのです。千百万円と千万円で二千百万円で売ったわけです。私の方の
原価は大体千万円余りついておりますから、この取引によって約千万円くらいの利得になりますけれども、一年有余のこの
営業経費というものを見ますと、利益というものは二千万円で売ったけれども一割か二割
程度のものだろうと私は思っております。