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吉田(賢)
委員 今度は、時の
関係について少し下ってきますが、
富士重工は、当初一台千七百四十二万円で売り渡したいといった。それも
昭和三十年の二月のことである。それから二十八年の夏、すでに
予算要求をしておって、それは千二百五十万円余りであった、こういうことになるので、すでにその間において、相当な値開きができておるのでありますが、結局これは
富士重工あるいは
間組などとそれから
幕僚監部の間において、大体の
値段協定ができておって、そして
間組が何ほ
どもうけたのかそれは存じません、またいろいろいろなこういうものが出ておるけれ
ども、私人間の文書であるから、どんなことであるかわかりませんが、いずれにしても、非常に安いものをうまく
入手しておるのを相当額で
買い上げるということにしたのか、あるいは相当大きなもうけを中間の
商人が得るために、
幕僚監部においてはすでに
価格の話し合いも内
交渉でもしておって、
計画を立てたのか、その辺がどうもはっきりいたしかねます。ところで今あなたの
実施本部の方におきましては、以前の段階のことは、聞いたら、文章を間接に
説明なさる以上の
答弁ができないのであります。ただし、通産
局長がばかばかしい安い
値段で
民間に
払い下げておるという事実は、動かしがたい様子であります。そうすると、これは不当な安い
値段で
民間が
払い下げを受けて、機会あれば国に高い
値段で売り込むという底意でもあったのではないだろうか、悪らつな
商人に乗ぜられておるのではないであろうか、こういうことも想像をたくましゅうするわけであります。そこでこれはやはり通産
局長の
売却値段が当を得ておらないというのであれば、もう少し事態をはっきりすることが私は必要であると思います。
でありますので、第一は、この際当時の通産
局長を当
委員会に参考に呼んでいただきたい。それからこれらの
関係を明らかにするために、
海幕の
幕僚長以下にぜひ来ていただきたい。
委員長、これはぜひお計らいを願います。
それからもう
一つ、念を押しておきますが、いかに何千万円、何億円かけて転々売買されたといえ
ども、つい二、三年前に百分の一以内の低い
価格で国が
売却したものを、百倍以上の
値段で買うということは、少くとも穏当を欠くと思うのです。そういう場合には、いかなる事情が存在するにしろ、
最初の売った
値段と見合って相当
価格をきめるべきだと私は思う。もしあなたらの考え方が相当であるとするならば、この間あるいは甲乙丙丁がさらに介在して、これらの人が出費した、あるいは高い
値段で買い受けた、それがついに転々して国が収得したというようなときには、膨大な
価格を投じなければならぬおそれがあります。こういうことになりますので、ことにこういう経歴を持った
物件におきましては、
調達実施本部としては、これらの点は相当厳密に検討せねばなるまいと私は思う。単に
言い値であり、時価である、
入手困難であるというだけの
条件としてお考えになるべきでないと思うのであります。当然これは原価
計算課長においても、あなたの部下であるこれらの立場においても、国が
売却した当時にさかのぼって精密に調査するという必要があろうと思うが、こういうことを十分しておられない。なぜならば、今
契約部長のお話によると、
間組と
富士重工との金の授受の
関係は必ずしも明瞭に御
承知じゃない、単に一片の文書等によって信じて処理されておるかと思います。これは私としましてはまことに納得しがたい案件であります。でありますので、これは当時の
関係者に御出席を願って事態を明らかにしたいと思います。なおこれは
政府関係外の人でありますけれ
ども、松庫商店の代表者に来てもらいたいと思います。それから
間組、
富士重工、そういったところのそれぞれ会社の
責任者に当
委員会に御出席願いまして、この間の事態を明らかにして相当な
価格でありしやいなや、これを明瞭にいたしたいと思いますから、
一つお計らいを願いたいと思います。これは
理事会で御相談願いましてけっこうであります。