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安里参考人 沖繩の
軍用地問題につきまして
国会が私
たち参考人として開いていただきますることを心から厚く感謝申し上げる次第であります。具体的ないろいろな問題につきましては、他の方からも申し上げると思いまするので、基本的な問題につきまして申し上げておきたいと思います。御
承知の
通り、今回の
プライス勧告によりまして
沖繩の問題が
日本のあらゆる
方々の非常な関心の的となったわけでありますが、ただ
プライス勧告一つだけをとらえてみまして、これから
沖繩の問題を見ますることは、まだ真実の姿を握ることに遠いだろうと思います。そこで一応
プライス勧告の起りますまでの
経過につきまして、若干申し上げたいと思うのであります。しかしあくまでも
プライス勧告を
中心にいたしまして申し上げたいと思います。
プライス勧告は、形の上におきましては非常に行き届いた
報告になっておるのであります。と申しますのは、
沖繩の
軍用地問題を論ずるに当りまして、何がゆえに
アメリカが
沖繩の
土地を長期にわたって
使用しなければならないかということの国際法的な
立場あるいは事実上の
立場に対するところの弁明がなされておるわけであります。すなわち
軍用地を
使用するところの根本的な
権利関係というものが確立しない限り、その上に立てられた
軍用地使用ということが合法化づけられないかりだと思うのであります。そこで
プライス勧告におきまして、この点を三
つり段階において分けておるのであります。第一は、
沖繩におる理由は、
一つは
軍事占領である。もとよりこれは
講和条約発効前のことであります。次には
平和条約と申しております。その次にありまするのが対
日平和条約とその付随する取りきめに関連する
米国政府の施策、こういうことが盛られておるわけであります。私
たちは
占領当時
アメリカが
沖繩に軍事的な
施設をするということは、
戦時国際法上あるいはこれはあり得ることである。ただしその
範囲につきましては若干
異議があるのでありまするが、これは本日触れないことにいたします。問題は
平和条約、すなわちその
平和条約の第三条であります。第三条によりまして、
アメリカを唯一の
施設権者とする
信託統治を提案して可決されるまでは、
アメリカが
司法、
行政、
立法の
権利を有する。この
権利から
アメリカが
沖繩には長く駐留する
権利があるという
建前をとっているわけであります。これにつきましては、われわれといたしましてはさらに
疑義を持っている次第であります。その次にこの
平和条約に伴うところの
米国政府の
政策ということになっているわけでありまして、これを裏づけするために
奄美大島が返還された場合に、
ダレス国務長官の
沖繩は
極東の
緊張化が続く限り現状を保持するという
声明があり、さらに一九五四年の大統領の
年頭教書におきまして、
沖繩を無
期限に保持するという
声明がこれを裏づけているわけであります。そこでわれわれ
沖繩の
人々といたしましては、
平和条約第三条に対する国際法的な
疑義の点はまずおきましてその次に
平和条約に伴うところの取りきめに関する
アメリカの
政策とありまするところからいたしまして非常な疑問を持ったのであります。と申しますのは、ここにはっきりと初めて
アメリカの
政策、しかも
条約に関連する取りきめとありまする
関係から、
平和条約第三条のほかに
沖繩に
関係して何らかの
秘密協定がなされておったのではないかというところの疑問であります。
それからいま
一つは、
大島が返還された場合におきましてやはり
ダレス声明によって
沖繩は
極東の
緊張化が続く限りある期間保持すると言っております。その反面から
大島返還に伴う際に
沖繩の
措置に関して
日本との間に何らかの取りきめがなかったであろうかという二つの疑問であります。これは先日
外務大臣にお会いしましたときに、そういう
秘密協定はないという
お話を承わったのでありますが、私は
国会におきましてこの点をいま一度明らかにしていただきたいことを願うものであります。
次にその
平和条約の第三条、すなわち
司法、
行政、
立法の
権利を有するという
権利から、
アメリカが
沖繩に対して
軍事基地を無
期限に保持するところの
権能が生まれてくるかどうかというところのことに対して、私
たちは疑問を持っているわけであります。私
たちが疑問を持っているばかりではなくて、
アメリカ民政府が
講和条約発効後におきまして
沖繩の
土地を使って軍事的な設備のために使うことに対しまして、
アメリカの
政策が布令、
布告となって現われるのでありますが、それに基いてみますならば、明らかに
アメリカ自体がこれに対して確信と申しますか、を持っていなかったということを私
たちは感ずるのであります。
アメリカがどこまでも
民主主義の国であり、
財産権を尊重する国であるといたしますならば、当然
人民の
権利、特に
所有権に
関係するところの問題に対しまして
権能を行うといたしますならば、必ずそこには合理的な道を見出さなければならないという
立場であります。それで
アメリカといたしましては、これに対しましてこういう
措置をとっておるのであります。
司法、
行政、
立法の
権利を持っているがゆえに、直接
人民の
土地をどうにもしてもいいという
考えを当初は持っておられなかった。それはまず第一に
琉球政府、これは
行政主席、軍が任命しておるものでありますが、この
任命主席と
土地の
所有者との間に自由な任意の
賃貸借契約がなされる。そうして
行政主席が
賃貸借契約をして、これをさらに
アメリカの
代行機関に対してまた貸しをするという形式をとっておるのであります。このことは明らかに
アメリカがどういう根拠に基いて
平和条約発効後において
土地を合理的な基礎において使おうかと苦心された表われであるのであります。ところがその
内容を見まするならば、二十年間の
契約を前提にいたしておりまして、また
土地の
賃料も至って少くて、
坪当りB円で一円八十一銭というような
状況であったのであります。また
行政主席そのものも軍から任命せられた
代行機関たるところの性格を持っておるものである。これが
人民との間に
契約をして、そしてさらに自己を任命したところの
機関との間に
契約をするということ
自体もおかしいのであります。それで
沖繩の
住民はこの
契約をしない、
契約を拒否したのであります。そこで次に出ましたのが、しからば
土地収用令によっていわゆる
公共のため必要なる
土地は強権によって収用するという
市会が出されたのでございます。そしてこの
市会の
内容というものは公用、
公共のために収用するという、そのことについては何ら
異議はない。
アメリカが一方的にきめたところの
賃料額に対して
異議がある場合にこれを
委員会に訴願することができるというだけの規定でありまして、この
訴願委員も
アメリカの軍人が二人、シヴィリアンが一人で構成しておるところの
委員会であります。そしてこの
委員会でなされたところの
決定が最終の
決定であるという一方的なものであったわけであります。われわれといたしましては、当時
立法院といたしましても
土地の
所有権を
アメリカが強制的に収用するということは、少くとも
日本が
潜在主権を持っておる限りにおいて
日本の
領土権に
関係があるものである、
アメリカの
個人が
沖繩の
個人との間に
売買契約がなされるという話でありましたが、
外国人と
個人とは可能ではあるけれども、
アメリカの
政府が
沖繩人個人の
土地を取るということになりまするならば、裏から返しますならば、
沖繩の
地域内に
アメリカの
領土ができてくるということなので、
個人の場合とは
意味が違うのだというふうに私
たちは
考えておるのであります。
先回の
外務委員会におきまして、
条約局長からの
お話の中には、
個人の
売買契約を
中心に、
所有権の
取得を
中心にしての御
説明があったのでありますが、われわれといたしましては
個人が買う場合と
政府自体が
個人の
沖繩の
土地を強制的に取り上げるという問題は、
領土権にも
関係するものであり、またかような一方的な
措置については
住民の
権利を強圧するものであるということで、これも
異議を表しまして、この強制的な法をとりやめるという決議もしたのでありますが、
アメリカはこれに応じなかったのでございます。
かようにいたしまして抵抗いたしたのでありますので、次に起りましたのが一九五四年の三月でございました。
アメリカの
議会におきまして
沖繩の
土地問題を解決するために一括的に買い上げるという問題が
——その前に問題がございました。一九五三年の十二月と覚えておりますが、
布告二六号というものによりまして
アメリカが従来使っておるところの
土地に対して
沖繩の
人々は
地料を取っておる、だから
暗黙のうちに地主との間には
契約ができたんだ、今度はこういう説をとってきたのであります。そうしてその際に
沖繩に
アメリカが駐留することは
琉球列島の福祉と防衛のためである、そのために
土地を無
期限に
使用する必要がある、そして今まで
契約するために努力してきたけれども、これは成功しなかった、しかしながら
賃料の一部は受け取っておるがゆえに
暗黙のうちの
契約ができたから
使用権が生じた、こういう
建前の
布告が出たわけであります。これに対しましても、
住民といたしましては、
反対し続けてきたのでありまするが、最後に、先ほど申し上げましたように、
アメリカ議会において
土地を買い上げるということが議に上ったのであります。そしていよいよ
土地を買い上げるということになりますならば、ますます悪い
状況でありますので、これに対して強く
反対をしましたが、
土地を買い上げるのじゃない、
地料を
一括払いすることによって
使用権を得るのだというふうに変って参ったのであります。それも終局的には無
期限に
土地を
使用する、
一括払いによる
土地の
所有権の
取得ということは、やはり永久に
土地を失わしめるもとであるということで、われわれといたしましてはこれに
反対をいたしまして、いわゆる四原則なるものを打ち立てまして、
アメリカにまで代表を送りまして交渉したのであります。それが一年後に公けにされておりますような
プライス報告案となって現われてきておるのであります。
この
経過から明らかでありますように、
沖繩の
人々は
講和条約発効前はもちろんのこと、
発効後今日に至りますまで、
アメリカの
軍用地問題に対しましては、
地料の問題並びに
接収地域の問題、それによって起ってくるところのあらゆる
社会悪、こういったものを考慮しまするとともに、すなわち一面におきましては
生活権を守り
財産権を守るという
立場と、一面におきましてはたとい
行政的に切り離されておりましても、潜在的な
主権——今
領土主権は
アメリカにない、
日本にあるのだ、だからして
日本の
国土を売り渡すというようなことはわれわれはやらない。こういう切実な
建前から、今回は敢然と立ちまして、
アメリカのこれ以上の
土地の
接収並びに安い地代でもって取っておりまするところのこの問題を、もっと引き上げなければならない。
一括払いによって実質的に
使用権を取るというようなことに対しまして極力
反対をし、また付随的に
アメリカの与えたところの損害その他の問題については、完全な補償をしなければならないというふうに参っておるのであります。
そこでこの問題がこうして大きくなったのでありますが、われわれといたしましてはこの
要求は最低限の
要求であるのでございます。すでに
勧告書でも明らかでありまするので、数字的な問題を申し上げることは差し控えるのでありまするが、これ以上
土地を取られますることは非常な苦痛であります。苦痛であるばかりでなくして
沖繩の
人々に死の宣告をいたすようなものと
考えるので、あります。また従来強制的に接収いたしましたところの実例を見まするならば、どこまでも武力を用い、そうして
土地を守ろうとするところの
人々の
土地を強制的に取り上げて、ブルドーザを使い、あるいは兵隊を使いして取り上げておるものであります。そういうことがさらに来ることが予想せられるものでありまして何とかして食いとめたいと
考えておるのでございます。そこで私
たちは
政府に対しまして、
日本八千万の
方々に対しましてわれわれの八十万
沖繩の
住民の力だけではできない、どこまでも
日本国民であるところの八千万の
同胞もともに立ち上ってもらわなければならない。また
人民の
信託のもとに政治をしていらっしゃるところの
政府の
方々が立ち上ってもらわなければならない。なぜならば私
たちは現在やはり
アメリカの
実力下にある。その
実力下にありまして
外交権も何もないわけであります。
日本政府以外におきましてはわれわれのたよるところの、われわれのために
保護してくれるところの、利益を守ってくれる
政府はあり得ないからであります。そういう
意味におきまして私
たちは強く訴えておるのであります。
ただここで私は強く申し上げておきたいことは、今までいろいろな
お話も承わったのでありますが、単に
沖繩の経済的な問題が解決できればいのだというような
考え方がどこかにあるような気がいたしておるのでございます。なるほど四原則の中には経済的な
部面があるわけであります。その
経済的部面は当然
人権の問題に影響いたしております。生きるための当然の主張としての叫びがございます。しかしこれは
一つの問題でありまして、もう
一つの問題は、われわれは今度の戦争におきまして
国土を守る第一線として犠牲になった。あそこには十六万五千の霊が眠っておるのである。ただむだに死んだわけでは決してないはずである。この国を守るために死んでいったところの
方々、またわれわれも国を守るために戦ってきたところと
沖繩を、私
たちのこの時代において、
アメリカが無
期限に
使用することによって
祖国に帰るところの希望も失わしめ、ひいては
日本領土にも影響あるというようなことにわれわれさしたくない。
国土を守ろう、みずからの
土地を守ろう、そうしてみずからの
生活を守ろう、こういう基本的な線に立っておるのであります。従いまして、
日本の
同胞の
方々、
政府といたされましては、一面に
日本人であるという
立場からの
国民保護権というものを行使せられることがある半面におきまして、
領土権者としての
立場からの
保護があり得るのじゃないかということを私
たちは強く
考えております。
プライス勧告の中には、
沖繩が
アメリカの
土地になって
復興もしたということも言われております。なるほど月に見ゆる姿というものは戦前と比べものにならないような姿にあるのであります。しかし私
たちは
復興というものは人間らしい
生活を送る
状態が
復興であると
考えておるのであります。単にはなやかな一部の姿の中に
復興があるとは
考えておらないのであります。また
祖国政府から切り離されておることによりまして、いろいろな
人権的な
保護を求め得る道もないのであります。いわば
アメリカの
民主主義のもとにおきまして、私
たちはある程度自由を与えられておるのであります。またある程度食べさせられておるかもしれません。しかしながら、例をとりますならば、それは私は
牢獄の中における安定であると言いたいのであります。
牢獄の中においては
失業の苦しみはありません。食うに
心配はありません。しかしながら彼らには自由はないわけであります。
沖繩の
人々には、まず今のところ食うに食物はあるかもしれません。しかし
失業の悩みはつきまとっております。また
人権の守られなければならぬところのものも無視せられておるのであります。そういう不安な
状態からいうならば、むしろ
牢獄の中の方が
失業の憂いもなく、食うに
心配もないということになります。しかし、しゃばと
牢獄と違うところは、やはり厳として自由を束縛しておるところの高いへいがあるという
一つに尽きております。
沖繩の中にある、
祖国と切り離されたこのへいというものが取り払われない限り、われわれに真の自由はない、真の人間らしい
復興、人間らしい
生活を送ることはできない、こういうふうに私
たちは
考えております。ここで申し上げるのも何でございますが、インドのガンジーが申しましたように、最悪の自治であっても最良の
外国支配にまさると言ったのでありますが、私
たちたとい
アメリカのもとにおきましていかに豊かになりましょうとも、これは
外国の
支配のもとでありまして、こういう中に人間らしい民族としての生きる道があるはずがございません。どこまでも
祖国に帰るということが正しい姿である。また、
アメリカといたしましても、
軍事基地を使う上におきましては、何も八十万のわずかな弱い
人々、力のない者を赤子の手をねじるような姿でもって
軍事基地を使ってもらいたくない。それは正しくないと思う。どこまでも、
日本の
国土であるならば、
独立国の
アメリカと
独立国の
日本という対等の
立場に立っての話し合いによってなされることが正しいのであって、抵抗のできないところの、おとなしいところの、武器もない、力もない、たった八十万の
人々だから御しやすいというような
考えでもって
基地を作るということは、決して
自由国家の一員としてあるべきことでない、こういうふうに
考えておる次第でございます。この点におきまして、私
たちは
政府の
方々に強くお願いをいたしまして、どうぞこの
問題解決のために、
政府が責任を持って当っていただくように要請するために上っている次第でございます。ありがとうございました。(拍手)