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高野参考人 北海道漁業公社社長の
高野でございます。非常に御多忙のところ、この問題を取り上げていただきまして審議いただきますことは、まことに感謝にたえないのであります。
ソ連の
申し入れば、この問題に関する限り、非常に突然の
申し入れであるというふうに一般に伝えられておるのでありますが、われわれの
考えるところは、必ずしも突然の
申し入れとは思っておりません。すでに昨年以来
ソ連の各方面の人々から、あらゆる
機会に
日本の
北洋漁業は非常に
乱獲に陥っている、そのために
資源が
枯渇するおそれがあるということを聞かされておったのであります。なお本年の二月十日になりましてから第一回の
ソ連の
声明が
発表された。当時われわれ
業界の者といたしましては過去の歴史から
考えまして、また
ソ連の昨年春以来の数度にわたるあらゆる
機会の
声明等を総合いたしまして、必ずやこの二月十日の
声明に対しては、何らかの
処置を書するであろうということを憂慮したのであります。当時私
どもは大
日本水産会に提議いたしまして、この問題に対する
政府の
善処方を要望しようではないかという議論も一部にはあったのであります。しかしながら
政府当局におきましては、この問題に関する限りは
相当の自信を持っておるのであるからして、みだりに軽挙盲動し、
ソ連の
考えに対して乗ぜられるようなことがあってはよろしくない、静粛に
事態を見守っておれというような
お話がありましたので、われわれとしては
政府を信頼して、今日まで
事態を静観しておったのであります。
ところが三月二十一日になりまして再度の
声明が発せられました。しかも具体的な
禁止の問題を含めたところの
声明であります。この間四十日間の時日が経過しておりましたので、われわれとしては
政府当局において何らかの万全の
処置を論じて下すっておったものと
考えておったのであります。ところがこの
声明が出されてからいろいろ
政府の方に陳情し、運動してみますと、また
新聞等において伝えられておりますところの
ロンドンの
松本全権に対する
訓令等を拝見いたしますと、必ずしもこの四十日間には適正なる
処置が講ぜられたとは私
ども考えられないのでありまして、まことに遺憾に
考える次第でございます。
しかもこれは
ソ連の一方的な
声明であって、
公海自由の
原則を曲げる
声明であるからまことにけしからぬ、これはなるほどわれわれもその
通りに
考えます。距岸十三マイル、十二マイルと申しますか、
ソ連には
ソ連の
領海の線もあり、各国にはそれぞれの
領海、異なってはおりますけれ
どもいろいろな
領海の線というものがあります。でありますからこの線を越えてみだりに
公海に
禁止の線を引くということには、われわれとしてはまことに納得のいかないものがあります。しかしながら、しからばこれは
ソ連だけの果して一方的の
処置であるか、しかも
公海自由の
原則は広く世界の
公海において守られておるかと申しますならば、遺憾ながら守られておりません。
李承晩ラインの問題しかり、あるいは東シナ海の問題にしても、また豪州の大陸だなの問題にしましても、ことごとく
公海自由の
原則というものがじゅうりんされまして、実力のない
日本としては何らこれに対処するところの道を知らず、
新聞によって伝えられるところによりますと、ここ一両日前からまた
李承晩ラインの問題がやかましくなってきておるようにわれわれとしては伝えられておりまして、非常に心配しておるような次第でございます。
もう
一つ合法的にやられました問題であって、しかも
公海に完全に線を引いておる問題があります。これは一九五二年に締結されました
日米加の
漁業協定でございます。この
日米加の
漁業協定によりまして、西経百七十五度を基準としまして、それより
アメリカ側の方には入ることができない。特に
鮭鱒並びにオヒョウの
漁獲が禁じられておるのであります。これはもちろん
日米加の三国の
政府間の調印によってなされたことでありますから、われわれとしては、当時
業界としては、この百七十五度線に反対ではありましたけれ
ども、しかし
政府間の取りきめであれば、これまたやむを得なかったのであります。
こういう経路をたどって参りますと、私
どもは今回の
ソ連の
声明が一方的な
声明である、
公海自由の
原則に反するものであるから、やがて修正せられるであろうというような手放しの楽観は許されないのでありまして、すでに東の
船団はこの二十八日に函館を出帆することに相なっております。
水産庁の御指示によりまして、本年は全
船団一斉に二十八日に出漁することに相なっております。こういう
事態において、われわれ
業界としては現在まことに混乱しておるような始末に相なっておるのであります。
ソ連は、ただいま
藤田さんから
お話のありましたように、あのきめられた線の中では二千五百万尾よりとってはいけない、
特別許可証によって二千五百万尾だけはとってよろしいけれ
ども、それ以上はとるなというような
お話でありますが、この二千五百万尾という数字につきまして、私
ども一応
考えてみる必要があるのであります。かつて戦争前にわれわれが現在の
北洋の
海域におきまして
漁獲しましたものは、ただいま
藤田さんから申し上げましたように、大体二億万尾から二億二千万尾といわれておるのであります。その当時
ソ連は大体どのくらいとっておったか、もちろん的確な
資料はありませんけれ
ども、われわれの推定ではせいぜい五千万尾
見当でなかったかと思います。従って
日本と
ソ連との
両国の
漁獲を合せますと、大体二億五千万尾から二億七千万尾
見当ではなかろうかと推察しておるのであります。つい最近になりまして、これもまた的確なものではありませんが、
ソ連の発行しております
雑誌等を総合してみますと、昨年の
ソ連の
漁獲は、大体において、
比率が逆転いたしまして、一億五千万尾くらい
漁獲しておるように
考えられます。しかも
日本における昨年の
漁獲は、
母船式の
漁業と四十八度
以南の
小型の
漁業と合せまして、約一億万尾と推定されております。
母船式は六千五百万尾、四十八度
以南の
小型船によるものは大体三千万尾、まず一億万尾と推定されます。そういたしますと、ちょうど現在の
ソ連の一億五千万尾に加えますと、大体二億五千万尾くらいになります。
両国の
漁獲の
比率は
戦前と逆転しますが、
日本と
ソ連との
漁獲数量は、
戦前と今日とほぼ一致しておるように
考えられる。でありますから、これによりまして、直ちに
資源が
枯渇したとはわれわれとしては
考えられないのであります。もちろんこれには、今
藤田さんの言われましたような
ソ連の陸地における、あるいは
河川の流域におきまするいろいろな
関係で、
産卵の
状態が悪化したというようなことも
考えられるのでありますが、しかし一方におきまして、戦時中並びに終戦後、
日本はほとんどあの
海域で
徳業をやっておりません。十数年間のブランクの時間がありましたので、
相当に
魚族がふえておるものと私
どもは推定しておるのでありまして、ただ単にこれによって
魚族が一挙に減ったとは
考えられないのであります。しかも最大限に――今日の
漁獲尾数をあげましたのは、昨年が
最高潮であります。ての前の年は
船団数も非常に少い。こういう
状態でありますから、一年や二年でこの
資源が
枯渇したとは私
どもとしては
考えられないのであります。しかも
資源の問題につきましては、われわれも決して無関心ではありません。
北海道を中心といたしまして全国に
相当の
孵化事業をやっておるのであります。現に
北海道におきまする
孵化の事情は、
予算等で
各位も十分に御
承知でありましょうが、
昭和二十六年に国より一億円を借りまして、
北海道の七カ所の
地域に施設をいたしまして
孵化事業を行なっておるのであります。しかも年々国から、さらに昨年度は一億三百万円、本年度の
予算は一億六百万円と承わっておりますが、これだけの国費を投じていただいて、さらに
北海道の
協力団体の方から毎年二千万円の金を醵出し、少くとも一年間に三億九千万粒の放出をやっておるのであります。でありますから特に
北海道におきましてはこの
事業を重要視しまして、われわれのやっております
北洋漁業に関する
団体では、
日ソの
共同調峯ということを早くから提唱しておるのであります。もちろん
国交も回復しませんし、
漁業協定もできておりませんので、一挙にそこまで運んでいくことは困難でありましょうが、私
ども日本の漁民が
北洋の
資源に対して、決して無責任な態度をとっておるのでないということを御了解願いたいのであります。
なお主としてこの間におきまする経済上の問題について、十分に皆さんの御賢察を願いたい問題があるのであります。すでに
新聞その他で御
承知ではありましょうけれ
ども、
母船十九そうを出しまして、まず一そう当り四億ないし五億と
考えますと、これに対する
投下資本は約九十五億、百億
見当であります。
独航船五百そう、この
建造資金につきましては、新しいのもあり、古いのもありいいろいろありましょうけれ
ども、大体一そうの
建造資金が、
鉄船あるいは木船を
平均しまして二千二亘万円
見当と見ますと、この
金額が約白十億、固定されます
金額がこれによりまして約二百五億円
程度に相なっておるのであります。このほかに毎年の
流動資金が大体において総括して十九
船団で百億
見当と見ております。会社によりますとさらに多くを出しておるところもありますから、それより以上の
金額に相なるかもしらぬのであります。しかも特に
考えを願いたい点は、これだけの
設備資金と
流動資金を投じておりますと同時に、この
北洋に参ります五百そうの
独航船は、ただ単に紙一枚で
水産庁からこの
許可をいただいたのではありません。このうち三百十五そうというものは、以東の底びきの権利を放棄して、
北洋に転換したものであります。なお残りの百八十五隻というものは、四十八度
以南の権利を放棄して、しかもたとえば五十トンの船でありますれば、この五十トンの船に対して七十五トンの権利を放棄して、この権利を獲得しておるのであります。ある一部の
新聞に書いておりますように、この百八十五隻の
独航船がこの権利をまかないますために、はなはだしい船は一トン当り二十万円以上の金を投じてこの権利を買っておるのであります。従ってこういうものを総合して参りますと、非常に膨大な投資がこの間に行われておるということを御了解願えると思うのであります。もし不幸にしてこの一越が未解決のままに出漁しなければならぬということになりますと、従業員の不安ももちろんのことでありますけれ
ども、万が一それによりまして十分の操業ができないということになりますれば、他府県のことは十分私はわかりませんが、少くとも
北海道に関する限りは、漁村における重大なる恐慌を招来するであろうということを私確信を持って申し上げられるのであります。しかも、単にわれわれ
母船ばかりでなく、あるいは
独航船だけにとどまりません。金融
機関はもちろんのこと、これに関連しておるところの産業、あるいは網をこしらえるところの会社であるとか、魚箱を作る会社、または一番重点的に
考えられておりますところの外貨獲得を目的としてカン詰の製品が非常に多くできますが、これに使いますところのカン詰の製カン、こういう会社が軒並みこれによって甚大な被害を受けるということを御
承知おきを願いたいのであります。われわれとしては、
政府において十分なる
対策をお持ちになってこの危機を打開して下さるであろうということは今もって確信はしておりますけれ
ども、もし万が一にも不幸にしてわれわれの期待がはずれた場合には、ただいま申し上げたような重大なる危機が到来することも十分に御賢察を願いたいのであります。
なおつけ加えて申し上げます。特にこれは私の会社について申し上げるので恐縮でありますが、
北海道漁業公社は全道の
漁業協同組合、
漁業を基盤とした会社であります。約五十隻の
独航船を持っておりますけれ
ども、この疲弊したところの
北海道の漁村をこれによって少くとも一応の挽回策はできるであろうという基点に立って、非常に無理をしてこの仕事に着手したのでありますから、不幸にしてこれがまずい結果になりますと、せっかく再建途上にありますところの
北海道の
漁業協同組合並びに
北海道の漁民の生活というものは、根底からくつがえされるというまことに悲惨な
状態に陥れられるのであります。どうかこういうような点を十分に御賢察下さいまして、一日も早くこの問題の解決をお願いしたいのであります。
なおわれわれ
漁業者としてそこまで論及することはどうかと思いますが、一般常識として絶えずれわわれ
業界のものが
考えております事柄は、少くともこの
漁業問題だけ切り離して外交上の折衝ができるとは
考えておりません。先ほど申し上げましたような
日米加の
漁業協定も、平和条約ができ上ると同時にこの問題が取り扱われております。一部に言われますように、
漁業問題だけ切り離してやられるのも
一つの方法であります。われわれ
業界人としてはいかなる方法をもってしてもこれが打開されればけっこうでありますが、一番
業界のものの心配しておる点は、少くとも
日ソの
国交が回復せざる以上、この問題が直ちに打開されるということはあり得ないだろうという
考えを持っておるのであります。この点に対して非常にわれわれも心配しているのであります。どうぞ外務
委員会におきましては十分にこの点を御推察願いたいと思うのであります。はなはだ簡単でありますが、以上申し上げまして終ります。