○
金参考人 この機会を与えていただきましたことを、厚く
感謝いたします。
大村収容所の問題について申し述べたいと
思います。
大村収容所の問題は
日本と
朝鮮人民民主主義共和国との
関係の
一つの縮図となっておりますが、きようは大体
帰国問題に関して申し上げたいと
思います。
今
大村収容研における
朝鮮人の
収容状況は大体千六百余名になっております。これは異動がたびたびありますので、現在千六百余名になっておりますが、この中には一九四五年九月二日以前
日本に
居住権を持っていた者が四百名余り入っております。そうしてこの
収容所の中で生まれた者が三十九名、そしてこの中で死亡した者が十七名、女が三名と男が十四名であります。十五才以下の
子供が二百八十四名おります。そして
入院患者が二十三名、大体十五才以下の
子供は全然
教育声受けることができない
状況に置かれております。そして
入院患者の中には
精神病患者が十四名ほどおりますが、これは
長期拘留によって影響されておるものと思っております。一日一人当りの
食事代は大体七十円となっております。そうして今
朝鮮民主主義人民共和国へ帰りたいと希望しておる者が七十一名、こういう
状況です。
この中においては非常にいろいろな問題か起つておりますが、大体
張東根撲
没事件というのが、当面重要な問題として提起されております。これは一九五五年十一月十八日、
被害者張東根、三十二才、
共和国帰国希望者と、
加害者李万徳いわゆる
李承晩派の手先、こういうふうになっております。この間にささいなことで口論が起って、あらかじめ共謀していた李万徳を初め
卞相哲等十数人が集団で
張東根をなぐる、けるの暴行を加えて瀕死の重傷を負わせて、ついにその
張東根が
大村市立病院に入院されましたが、十一月二十日午前七時三十分死亡したのであります。そして翌二十一日解剖した結果によれば、死んだ原因は腸の破裂によるもの、であることが判明しております。
なお
加害者李万徳・
卞相哲は、現在
長崎地方検察庁において起訴中であります。しかしこのような
事態の
発生は決して偶然な
できごとではありません。前から幾多の
危険性があったのでありまして、将来における
不祥時の
発生を十分に予測し得るまでになっていましたが、しかし
当局はそれを予防することができないで、結果においてこういう悲惨な
事件が起きたのであります。ここに
参考資料として持つてきたのでありますが、これによりますとこういうことが書いてある。これは
請願書の形になっておりますが、
一つ参考のために読ませていただきたいと
思います。これは
自由法群団の
青柳先生と
上田先生に出そうと思って書かれたものが、実際は差しとめられてこれを出すことができずに中に今まで置いたのを最近になって入手したものであります。こういうように書かれております。
世界の平和と
日本の独立と自由と
民主主義のために、日夜御奮闘なさっておられる諸
先生方に対し、私
達朝鮮民主主義人民共和国帰国希望者一同は、
大村収各所の
鉄窓の中から謹んで
敬意と
感謝をお送りします。
この
大村収容所に収容されている我々
朝鮮民主主義人民共和国の
公民は、
拷問と
投獄・
虐殺の待つ生地獄・
南朝鮮への
強制送還を決死的に反対し、
自分自身の
祖国へ
帰国さしてくれることを一貫して
要求して参りました。しかし今日まで
朝鮮公民のこの正当な
要求は、米・韓をはじめとする
反動勢力によって乱暴に踏みにじられ、
国際法で公認された
外国人の
法的地位に対する諸原則と慣例に違反し、彼らの
意志に反してその生命を
李承晩の死の手に引き渡してきました。このために数多くの
朝鮮公民達は、
南朝鮮の
李徒党の
屠殺場で
野獣的拷問と
投獄・
虐殺を受けてきました。現在も尚このような中世紀的な
状態は続いております。幸い極東の
緊張状態を緩和し、
団際間の
友好親善を希う
平和愛好日本人民の強力な
意志を反映して、わが
祖国・
朝鮮民主主義人民共和国との
国交正常化と交易と
文化交流の促進の動きがたかまり、又在
朝鮮日本人を
帰国させる問題が具体的に推進されてきました。このことと関連して
大村収容所の我々
朝鮮民主主義人民共和国帰国希望者五十余名も、今迄にない明るい見通しをもつようになりました。しかしながら
収容所当局は
同封の
内田局長宛要請書において見られる通り、
帰国問題を終始後味にし、「
帰国問題はまだ確定していない」「上部の指示があれば
南朝鮮へ
強制送還を執行する」と言明し、我々は
自己の上にいつのびるとも知れない恐ろしい魔の手に戦々競々としています。そして
収容所内においては、
李徒党が潜入さした
特務達のますます激化していく脅迫とあらゆる策動によって、
共和国帰国希望者一同の人権は重大な危機に直面しています。しかも各棟に分散・孤立されているため我々は二重・
三重の苦しみに陥っています。すべてこのような我々の厳しい現実と無
権利状態と精神的・
肉体的苦痛から一日も早く逃れるために、我々は去る十一月二十八日に
内田局長宛・
同封の
要請書を
血署で提出しました。又我々の
首領金日成元帥宛へは
血書でもってこの実情をのべ、
在日朝鮮同胞へも同じく
血署で我々の逢着している
状態を訴えました。これはひたすらに我々の上に掩いかぶさろうとしている死の運命から免れて愛する
自己の
祖国へ帰ることを熱望する我々の血の訴へでありました。処が
収容所当局はこの問題すらも
発送を禁止するに至りました。
当局のいう
発送禁止の
理由は次への如きものであります。即ち現在五つの棟に分散されている
我我共和国帰国希望者がどのようにして
血書を集めたかということを問題にしています。我々は
当局の
許可による
面会を通じて
係官同席のもとで
血書を授受しました。
当局はこれを
面会理由事項に記載されていない
反則だとし、
反則して集めた
血署は
発送できないというのであります。そればかりかこの
反則を
理由に五十余名の
帰国希望者全体を
面会禁止・
書籍回覧禁止処分にしました百歩譲って
反則を犯したとしてもそれは数人にすぎず、その他の人達までがなぜにこのような
処分を受けねばならないでしょうか。あまつさえ
血署には全然
関係のない人が我々と同室だという
理由で同じく
面会が禁止されています。これは明らかに我々
朝鮮民主正義人民共和国帰国希望者に対する
政治的弾圧であり、一方的かつ
差別的抑圧と断定せざるを得ないのであります。と同時にわれわれの血の
要求を押えることによって
帰国問題を引き延ばし、あわよくば
南朝鮮への
強制送還を容易にせんとするように思われます。
大体こういうようなものでありますが、実際この
状況は前から続いておりまして、非常にその中においては暗黒なこういう一面があったわけなのです。だからこれを分離してくれ、一緒に固めてくれという願いを何回も出しておりましたが、そういうことが
実現されないうちに、こういう悲惨な
事件が起きたわけなのあります。そして
収容所内には久しく前から
李承晩政府の
特務の
人たちが潜入していて、
収容所中の
同胞の間にたえず対立と紛争を引き起しており、これまでも
共和国への
帰国希望者は種々の迫害とリンチが加えられています。彼らは
民主主義の法治国である
日本の
収容所内で、集団的な組織による、力による無法きわまる支配を行なってきています。
朝鮮民主主義人民共和国への
帰国希望君
たちは、みずからの身辺の安全を守るために、これまでも引き続いて
収容所当局の適正な
措置とあわせて分離してもらうよう、数回にわたって所長及び
管理局当局に要請しましたが、拒否されてきました。そしてこのたびの
張東根撲殺事件のような
不祥事件が起きて、初めて
当局はことしの一月九日
共和国へ帰りたいという者を別棟に分離しております。
この分離されておる中においてもおもしろい
現象が
一つありますが、全然北に帰りたくない者を一人この中へ入れておきまして、これは南に帰りたい者であって、そして南へ帰るべき
遺骨も持っておる者を北へ帰りたい者の中に一人入れておいて、そしてたえず中で摩擦が起きるようにさせておる。こういう問題が
一つ提起されております。
大体こういう
状況でありますから、われわれもできるだけのことを尽してこれらの
人たちを救援したい、こういうのでいろいろやってきました。そして昨年、在
日本朝鮮人総
連合会中央常任委員会では、
越冬救援月間として在日
同胞に対し大村収合所内の
同胞救援を訴え、一月末までに現在
大村収容所に送り届けられた救援物資は、現金で約五万七千円、衣類で二千四百三十五点になっています。これを
朝鮮総連代表として長崎県議長金容辰君が、
大村収容所長と交渉して配布することにしたのでありますが、この
大村収容所内の全
同胞は、非常に感激してこれを歓迎しておったのであります。しかしこの韓国の
特務分子
たちがその配給を意識的に拒否させようとして、配給希望者を脅迫し暴行を加えて、そしてまた
事件を引き起したのであります。
それは十二月三十一日のことでありますが、その中に
共和国へ帰りたいと、いう者の代表が――許吉松君が代今となっておりますが、この許吉松君に対して物資を配給するものの希望者名簿を出してくれと
要求し、それが拒否されたので、十二月三十一日午後八時ごろには、彼ら二十七名が許吉松君及びそのほか八名に対してひどい暴行を集団的に加えたのであります。そうして
当局はこの
事態にあわてて、三十七名を隔離するようにいたし、そうして今隔離中であると聞いております。この
事件に対しても、またその結果において非常に重要な問題が提起されております。それはこれらの問題を和解させるという条件が、つまり分離さすという条件のもとで これは提訴したのでありますが、提訴を取り下げるように西川警備官が働きかけて、そうして約定みたようなものを結んでこの提訴を取り下げましたのですが、その後になって向う側で言うておるのは、提訴を取り下げる約束をして取り下げたにもかかわらず、今検察の方でその問題に関して調べておる。これは許吉松が裏切ったものであるというので、許吉松を殺してしまわねばならないとう空気がずっと中に起きておる、こういう事実であります。全然約定に従って、許吉松君が検察に頼んだわけでもなく検察は独自の立場でこれを今取調べ中であろうしいのですが、ただそういう空気がどこから助長され、どういるものがそういうものを編み出すのか知らないけれども、不信と憎しみを助長さして、許吉松君及び北へ帰りたいという君
たち全部に対して、やっぱりこれを圧迫し脅迫し、そうしてしまいには命までも奪わねばならないこういう空気を醸成しつつあるということであります。もちろんこういう条件のもとにおいては、この収容者
たちの自由な意思表示というものは全然ありないのでありまして、今七十一名が
朝鮮民主主義人民共和国へ帰りたいというとの意思表示は、ほんとうに自分の命をかけておるものであります。そうしてこの許吉松君あたりはもり三年四年の
長期の拘留でありまして、数回にわたるリンチと迫害、こういう中でも歯を食いしばって、断固として自分の国へ帰りたいという意思表示をはっきりしております。
問題は今ほんとうにそういう雰囲気では自由に自分の国籍あるいは
帰国地を選択する自由が全然ないということが大きい問題であると
思います。そうしてできるだけこの
人たちを早く
帰国させたい、そうしてでき得ればこのたびでも、われわれの願いとすれば、
日本の皆さんを迎えに行く船にでも乗せて、こういう
人たちの生命を安全にし、そうして自分の帰りたいところへ送り届けたい、こういうのがわれわれの願いでございます。