○野澤
委員 私は捕虜生活をした男ですが、引き揚げの
委員会にはめったに顔出ししないので、今の
お話を聞いておりますと、両方ともほんとうのことを言って、両方ともまた勘違いをしている部分がたくさんあると思うのです。それで、今後は努めて私この
委員会に参りまして、正しく御理解を願う方が
国民の利益じゃないかと
思います。そこでたとえばソ連のブロック建築が
重労働であるかないかという問題とか、ごまかされていやしないか、それから
栄養が悪いとかいいとかいうような
お話ですが、三つ四つ私が聞いた話を解説を申し上げると同時に、
参考人のお二人の方にも、ご一緒に参りました当時の状況から、はっきりしたことを申し上げたいと思うのです。第一に、
栄養の問題ですが、
栄養はわれわれが捕虜になった昭和二十年のときには、非常に悪うございました。二十一年から多少上向きになってきました。二十二年、二十三年と私おりましたが、当時の状況から
判断しますと、環境と
栄養というものは変化していくということを発見いたしました。つまり今
皆さんの
お話を聞くと、
ビタミンが足りないということを言うていますが、ソ連の
栄養は、
ビタミンが足りなくとも生きていける環境にあるということです。従って、
日本人が捕まったばかり半年くらいの間は、
ビタミン不足で
栄養失調でやられます。二年、三年続けていると、
ビタミンを補給できる間は年間二カ月くらい上かありませんけれ
ども、それでもあの土地に耐えられるような体質に変ってきます。ヤーガタといって野イバラの実ですが、これが
ビタミンCの摂取植物でありまして、これ以外に
ビタミンを摂取する方法はない。けれ
ども二年、三年目になると、それでけっこう生きていけるということです。ですから、単に
ビタミンだけを中心にして
栄養の問題は論じられない。それからカロリーの点については、ソ連は科学の国だけあって、二千四百とか二千八百というカロリーはきちんと計算されております。ただ消化吸収可能のカロリーは、単に与えられた食物のカロリーと変っている。この点は
皆さんがひどいことを
報告すれば父兄の方が
心配されますから、それで
引揚者も遠慮してるんでしょうが、大体計算カロリーは二千四百カロリー以上にいってる。しかし不消化でとうてい吸収できないものも相当あるということであります。それから私のイワノボに行ったり、
ハバロフスクに行ったりしました当時のことですが、
野溝さんも、その当時いいじゃないかと言っていたのを、私は一緒に歩いていたのでよく知っています。しかしそれはその当日の給与がよかったという話であって、全般的にいいなどという
判断は、おそらく
野溝さんもしておらないと思うのです。この点は将官の収容所だけが、私が聞いた範囲では、米を十五日間支給してるということであります。十五日間米をもらっていますというのですから、
日本人の給与としてはかなりいい
程度の給与がされてると
考えて差しつかえない。ただし量において少いから、おかゆにし九できないということであります。米をもらうということは、
日本人は最上の給与と
考えておる。あちらにおる人が、米が食えるから多少よくなりましたという答えをするのは当然だと
思います。また米が食えるからいいじゃないかと、視察者の方も慰問の方もそう感じられたのですが、イワノボは見せる収容所ですから、大体あの
程度の給与は当然だと
思います。それと
ハバロフスクには私の部下がまだ十名残っております。
戸叶里子さんが
手紙を託されてきて、私もらっておりますが、この
手紙を見ますというと、給与状況は昔と何ら変りありません。それから戦犯として判決を受けたのは、単に思想戦術で二十五年食ったとか、スパイ行為に協力しなかったので二十五年食ったとかいう知らせでありましたが、いずれにしても裁判は、
ハバロフスクに行ってから判決をもらったという状況であります。それから
ハバロフスクが非常に給与がよかったという事柄でありますけれ
ども、たびたび
報告を受けていますように、大体見学者のあるときには、一括してかなりいい給与をしております。ただし、これは一カ月間のうちの総体の給与のうちから一日だけ飛び離れてよくするのですから、他の日でかたきをとられる。要するに他日においては穀物が減ってくる。キャベツばかり与えられる日もできてくる。こういうふうに御理解願えばよろしいので、これらのことを聞いて
野溝さん
たちが比較的
栄養はよかったと言われることも、決して私は不自然じゃないと思う。しかし、それをもって全体を律するわけにもいかないと思う。この
栄養の問題については、たとえば
重労働なら増食を与えられるというが、これも
皆さんのお理解の
程度が変っておると思うのですが、五百人おると五百人分全体の給与の与えられたワクの中でやるので、
重労働あるいはノルマを遂行した者には増食を与えるというときには、絶対量をふやしてきて増食をやるのじゃありません。五百人の人間の糧秣のうちから工夫をして、ハンを四百グラムとか五百グラムに上げる。従って三百グラムもらうべきパンが二百十グラムしかもらえない、こういう結果になってくるので、要するに捕虜自体が
お互いに相はむという状況が、捕虜の給与状況であります。この点も、
重労働だから増食をもらった、ハラショー・ラボーだというので、よく働いたからといって増食をもらったということにはならないわけであります。初め私
たちもそういうつもりでおったのですが、結果において私は二カ所やりましたから、全部給与を調べてみました。結局、
日本人の糧食は、
日本人同士がかすめとっている形だ、こういうことで、この
栄養と糧秣の問題については、少くとも私が三年間いた間の事実とすれば、これが間違いない解説だと存じます。
それとソ連のブロック建築が
重労働かどうかということでありますが、今回の訪ソ
議員団が見てきました地域というものは、私
自分の著書にも書きましたけれ
ども、全体を通じて強制労働者というものの影を二十一日間一回も見なかったということであります。これは政府がおそらく計画してやったのだと
思いますが、捕虜ばかりでなしに、刑務所に働く人がなければならぬ。ところが道すがら全然これらの人人に接しなかったということは、今度の視察はそれ自体が相当計画を立てて、綿密なブランのもとに見させたと見て間違いない。同時に、先ほど
お話がありましたように、モスクワのブロック建築あるいはレニングラードのブロック建築というものは、あながち
重労働とは言えないと思うのです。ただし捕虜のやられましたブロック建築というのは、
一つが二キロないし四キロのブロックを、シラック・ベトンと言って、炭がらとセメントと砂を鋳型に入れて、たたいてブロックを作っていくわけです。この仕事は全くの
重労働であります。従って一日に一人が八十個作る、百十個作るといって、ノルマを与えられてやられて参りますと、相当の体力の者でも、木のつちでたたきながら
一つの型に入れてたたき上げるわけでありますし、セメントの硬化する時間を
考えて相当固くたたいたものをブロックとして作っていき、それを積み上げていく仕事でありますから、
重労働と解釈して間違いありません。またこの方の仕事は、実際に管理部でも
重労働として扱われております。ただ現在のクレーンでやっておりますああいう起重機を使う建築は全然別個のものであると
考えておりますので、この点も誤解のないようにしていただきたいと存じます。
それから、ごまかされてきたのじゃないかというような
お話がありましたが、多分にそういう面もあると
思います。従って今度の各誌ソ
議員団が
ごらんになりましたときに、これは
野溝団長と手をつなぎ合って一緒に歩きましたけれ
ども、野澤君どうです、すばらしいじゃないかと言われたときは、一一まぜっ返す必要がないから、全くですよと私も同感して参りました。しかしそれは、現実のその日のできごとであります。決して私は全体がそれでよろしいという感じでは絶対におりません。従って、こういうことならば、ごまかされたかごまかされないかは、その人の良識に待つよりほかにないと思うのであります。これをさらに追及して、あれはごまかされたのだ、これはごまかされないのだというふうにしゃくし定規で計算はできないと思うので、
参考人お二人が一生懸命述べておることも真理、またこれを他の面から突っついておることも真理だと思うのです。しかし正しく国会が審議していく以上は、こういう捕虜生活の問題についてどうしても疑義が起きた、議論が対立したというときには、私を呼んでいただけば、
一つ解説いたしますから、こういう問題よりも本質的な捕虜の問題というものをよく
考えてもらいたい。先ほどの
お話によりますと、国際法で処断された、あるいは戦犯として扱われているとか言いますけれ
ども、現在
ハバロフスクに収容されている人
たちは、われわれの仲間では、ヨーボネ・グループといわれております。つまり天皇制を支持する人
たち、軍国主義に徹した人
たち、団体規制に服しない人
たち、こういう人
たちが現在大体残されておりまして、私の部下の連中でも、ほとんど大半があちらで、たとえば
日本建設党綱領を書いたかどで二十五年食ったとかいうさむらいばかりです。そういう人
たちが現在抑留されておりますので、これらを法に照して、全くの戦犯であると断定することも早計であると
思います。それからクレムリンに参りましたとき、もう
一つは
向うの赤十字に参りましたときに、先方がはっきり申されたのは、戦犯というのは不自然じゃないかという話をしたところが、あれはソ連の刑法によって処断したんだ、こういうことをはっきり言っておりました。必ずしも国際法上の戦犯だということは言っておらないのであります。こういう点から、
日本人が勝手に解釈して、
お互いに論議されることは勝手でありますけれ
ども、少くとも現在抑留されている人
たちというものは、ほんとうに罪過を指摘されて二十五年の刑を食った者はきわめて少いということです。その将校なり兵隊なりの性格を私はよく知っております。たとえば、かつて特務機関に働いておった、これだけでもって二十五年食ったり、またハルピンで憲兵隊に働いておってソ連のスパイをつかまえてちょうど憲兵隊に入ろうとするところを、つえの中に仕込んだ写真機で写真をとられた、その首実験をされたという事柄だけで、二十五年食っている、こういう者もたくさんおるわけですから、必ずしも戦争犯罪人という名前が適切かどうかということも疑問があると
思います。しかし要は、
皆さん自身が一日も早くこれらを帰したいという熱意で御議論されているのですから、その内容については全く間違った方向に行かないように、
一つ十分御検討してもらいたいと思うのです。
それから先ほど大橋先生から
お話がありましたロシヤ語を習ったならばという
お話ですが、これはせっかくの大橋先生の
お話ですが
一つの杞憂じゃないか、私もあちらへ行ってからロシヤ語を覚えて、今度もあちらでロシヤ語もかなり使いましたが、ロシヤ語ができるからといって戦犯にすることはないのです。たまたま通訳をやった者がスパイの嫌疑を受けたという事実はありますけれ
ども、こういうことも正しく
お互いに認識することが必要じゃないか、こういう感じがいたします。決して
社会党に買収されたわけではありません。これははっきり申し上げておきます。
なお
ハバロフスクの事柄ですが、この
ハバロフスクの給与の状況は、
手紙によりますと、何ら変りないということです。それから先ほど
野溝参考人は、清掃するのは当りまえじゃないかということでありますが、大体収容所におりますと、コミッサリーとかあるいは管理局長が来るとかいうときには、三日ぐらい前からわかってくるのです。まあ掃除をやかましく言ったり、墓場の掃除を仰せつかったり、れんが積みをさせられたり、壁塗りをさせられます。そうすると、だれかえらいやつが来るのだなという
想像は必ずつくわけです。これは帰還した人がひとしくそういう証言をしていると思うのですが、今度の
ハバロフスク行きにしましても、イワノボ行きにしましても、イワノボでは、朝のうちに大体
皆さんが
おいでになることがわかっておりましたということをはっきり言っております。要するに掃除や整備の状況で大体の見当がつく、食糧の上り工合で見当がつくというのが常識であります。従って、たまたま
日本の国会
議員は一番いい条件のところを見せられて帰ってきて、それをありのままにおそらく
報告したのだと
思いますが、これをもって全体を律することはむずかしいのです。従ってきょういろいろと論争されておるようですが、間違った点も多語るということそれ一からまた間違った認識の上に
報告し過ぎてしまっておる。今つるし上げられておる状況も私によくわかります。これは
虚心たんかいに、
日本人同士であるという建前から十分やっていただきたい。
なお、ロシヤ語でラーゲルというのは強制労働収容所だと、うことがありましたが、あちらの強制労働収容所というのは、もう
一つチェルマという言葉があります。チェルマというのは、ロシヤ人が入る刑務所であります。それは
重労働を課せられておるということは聞違いありません。ただし、捕虜規定というものには、兵隊は労働に従事しなければならないが、将校は従事する労働の選択の自由を有するという法律ができております。そういう理由で、私はちょうど二十三年の四月二十九日からまる半年間、労働忌避をいたしました。ピストルを向けられ、劔を突きつけられましたが、半年間まるで労働をしなかった。そういう実証からみると、あなが軍規定を作ったロシヤ人が踏みにじるほど残酷じゃない、
日本人がおせじを使って労働をしたがるから、追い込められて
栄養失調にもなるのです。こういうことから
考えると、
栄養の状況は、命を保つだけの最小限度の糧秣だけは与えられておる。たまたま急激な環境の変化があれば死ぬことはありますが、二年目以降あまり死人が出ないのは、そうした環境による
栄養の偏向といいますか、体質の変更といいますか、そういうことで命が保てる、こういうことでありまして、現在
栄養失調の患者や胃腸の悪い患者がたくさんあると聞いておりますが、全くその
通りだと
思います。こういうことから
考えれば、一日も早く帰してやらなければならぬと思うので、誤まった認識のもとに議論されることは、現在処刑を受けておる人がまことに気の毒であります。なるべく正しい議論をして、早く帰していただくように御要望申し上げたいと
思います。
野溝さんにも、わざわざ
技術的だとか、情誼的だとか、人間内だとかいうような言葉のあやを使われないで、間違ったら間違ったでけっこうだと
思いますから、どうかそういう意味で率直に
お答えを願いたいと
思います。