○
井上参考人 私、
名古屋観光ホテルの
社長井上行平でございます。私
どもの
ホテルは
終戦直後、二十年の九月に
接収になりまして、現在まだ
接収中でございまして、現在までのことを数えましても十カ年八カ月という長い
期間を経ております。この間のいろいろの
経過等につきましては、先般来本
委員会におかれましてもいろいろ諸
先生方の言い尽されたと思うまでによくお
話し合いがありましたようで、ただいま
会議所の
高坂さんからも詳細のお話がありましたので、これは省略させていただきまして、なぜあかないかという根本について私の直接感じておりますことを申し上げて、その道を開いていただければ、これはあすにも
解除できるのじゃないか、これは私確信を持っておりますので申し上げたいと思うのでございます。
その第一のことは、軍の
内部の責任ある人から私聞いたのでございますけれ
ども、軍の
内部では今年の四月の三十日にはあけるということが確定しておったのだそうです。ところが
日本政府との
話し合いによってこれが延びて、現在私が聞いておりますことは、六月にはあけるということでございます。ところが六月になかなかこれはむずかしそうなのでございますけれ
ども、それはまことに困った
状態にありますので、この前も
調達庁から
おいでになりまして
現地を詳しく御
視察もあり、なお
会議を持たれまして、私もそのとき末席に連なりまして聞いたのでございますけれ
ども、実態がとらえがたいということが一番のこれは難点ではないかと思うのでございます。たとえば現在
軍側で非常に強く主張しているらしいことは、
宿泊の方はわきへ移せるので片がつくのですけれ
ども、
クラブ活動がなかなか重要視されておりまして、この
クラブにかわる
施設がないではないか、
守山にあるにはあるのですけれ
ども、あれは小さ過ぎてどうにもしようがない、もう少し大きいものでなければならない、
観光ホテルのような
施設が
地元にないからこれはなかなか離せないということが、軍の一番の主張になっておるようでございます。ところがこれはまことにおかしな話なんで、
守山の
食事施設というものは大体二百五十人の
収容力があるのであります。それでは私
どもの
観光ホテルで一番
食事の多いときにはどのくらいの客があるかと申しますと、四百、五百をこえることはありません。これは普通の
食事で、
宴会でない
食事でございます。
宴会はもっと大きいものもありますけれ
ども、
普通食事はその程度が限度のように私
どもそばにいて見ているのであります。ことに最近軍の
給与制度が変ったようでして、今まで
将校は、
幾分の負担は持ちますけれ
ども無料で
食事ができたのでございますが、最近では
将校の
給与の中に
食事代が含まれているものですから、どうしても金を出して食べる。普通の
料理屋で食べるのと同じことでございますが、税金も払わないし、いろいろな条件でものが非常に安くついており、安く食べられますので、
クラブがおもに使われるのでございますが、この
クラブは今申し上げました
通り二百五十は使用できるのでありますから、四百や五百のことには事欠かないのでございます。それではなぜ軍がそういうことを言っているかといいますと、
相当大ぜいの
家族がいまして、
家族の
慰安場所なり
家族の
食事する
場所がどうしてもほしい。この前
調達庁から
おいでになりました、先ほど申し上げた
会議のときに
軍側が説明したのは、この
家族が千
家族もあるということを言ったのですけれ
ども、その後私が
調査してみますと、そうはございません。せいぜい六百くらいのものであります。これは
家族の
世帯数でございまして、そのくらいなものでございます。ですから、これをこの
食堂でまかなえないということはちっともないのでございます。
これは少し専門にわたって私
どもの
商売のことを申し上げるとよくおわかりになるのじゃないかと思いますけれ
ども、現在
帝国ホテルは大体七百五十の
収容力がありまして、普通なかなか忙しくやっておりますものですから、六百くらいは大てい泊っております。御
承知のように、
帝国ホテルにお入りになりますとあそこに
食堂がありますが、これは私念のために調べてきたのですけれ
ども、現在二百の
いすしかセットしてないのでございます。六百の客が二百の
いすで
食事している。これは
商売ですから、少し
苦情があればすぐ
商売にさわってくるので、それで客が十分満足していると考えてやっておることでございますけれ
ども、六百の
食事は二百の
いすでできるのではないか。二百五十の
いすがあって、なぜそれでは四百の
食事ができないかというと、これは要するに軍のわがままだと私は解釈しております。四月三十日に確定しておきながらあけなかったということは、やはりねばればねばれるのだという軍の考え方なんです。二百五十の
収容力のあるところで四百の
食事ができないから、もっと大きいものをこしらえるまで待てとかなんとかいうことらしいことに聞いておりますけれ
ども、これは今申し上げた
通り全然
理由のないことだと思います。
それではこの軍のそういうふうなやり方をどうしたら押えることができるかといいますと、
地元には
調達庁の
名古屋局かありましていろいろ御
調査になっておるのですが、一番残念に思いますことは、とにかく私がその中におりましても、事実がわかるのはいつも事後でなければわからない。そのことが済んでしまったあとでいろいろな人から聞き、責任ある人から聞いてわかるのですから、
調達局でお調べになる要もなし、なったところで、これでは二百五十の席しかないじゃないか、五百という
食事をさせるのにここでやれるかというようなことを言われれば、
調達御
当局としては軍の言うこともまことに無理のないことだから、何とかこれは考えてやらなければならぬ、せめて
幾分の拡張でも
——これは軍でも自分の費用でこしらえるとかいうことを現在言っておりますが、そういう
見通しなら、緒につくくらいまでは何とか考えてやらなければならないのじゃないかとお考えになるのも、まことに無理はないと思うのでございますけれ
ども、これをやって
おいでになると、いつまでたっても結局は同じことなのであります。この際
調達御
当局はぜひ
一つそういう事実があるのだということで、これは私責任を持って申し上げることでございますから、事実に即して何とか御処理願えないか。表向き行ったのではどうしても形式だけを説明して、またそういうような
サービスとか
食事とかいう御
経験が御
当局にあるわけでもないので、結局は向うの言うことをのむより仕方がないということになるのではないかと推察いたしております。
これもまた
東京の例で申し上げますと、非常によくおわかりになるのじゃないかと思いますけれ
ども、
講和条約ができまして調印が済みますとすぐに例の
発効期間がありましたけれ
ども、
発効期間を待ちませんで
帝国ホテルは三月十五日に
解除せられた。その
解除されるときにちょうど私行き会いましたけれ
ども、玄関へ予告といいますか何か張り紙が出ておりまして、明日までに
山王ホテルにみんな移れという
司令官の
命令書が出ております。当時将官があそこに七名くらいはおられたように記憶しております。それからあの膨大な大
宴会場を初めあらゆる
宴会場が
クラブというものに利用されておって、婦人だけが集まる
クラブというようなものもあるようでございます。行く先はどこかというと赤坂の
山王ホテルで、これは
帝国ホテルに比べたら何分の一という小さい
ホテルで、これだけ大ぜいいる者がそこに移れるわけがないのですけれ
ども、軍があけようとすればそういう無理までしてあけた事実が過去にあるのであります。ですから第五空軍がもう少し協力的に考えてくれたならば、この
帝国ホテルの例などをよくお
話し合いになって
——こういう無理までしてあけておる都市もあるのです。
東京のまん中で世論が起りやすい、それから
アメリカの名前が悪くなるとか、いろいろ政治的な問題もあるでしょうけれ
ども、それにしても事実はそういうふうに動いておるのですから、これに比べれば
相当小さい
名古屋の問題が片づかないはずがない。ことに
クラブの問題は
調達庁の係官の方からも伺いましたが、
日本政府として
クラブのことまで責任を持たなくてもいいのだということを伺っております。その
クラブが問題になって動けないということは実におかしなことであります。
実情は今申し上げたような次第でございまして、何とかこの点だけを打開していただけば、おそらくこれは明日にもあくのじゃないかと思います。
それからこれは私
どもの身勝手なことを申し上げて恐縮にも思いますけれ
ども、大体六月とか七月の初旬にあけられることと、もっと先へいってあけられることとは大へんな違いなんであります。実は
調達庁にも始終お願いしまして、片方に新しい
ホテルができるし、これに立ちおくれては
営業上非常に困る
状態になる。今まで
相当の犠牲を払わされた上にそういう打撃を受けたのでは、まことに忍びがたいのです。何とか少くとも同時にくらいは開業できるようにしてもらいたい。当時の
調達庁はその時分にはむろん
解除になるというお
見通しだったのであります。これは事実そう思って
おいでになったと思います。ところがだんだん延びて、これからまたさらに延びるようなことになりますと、一番季節をはずしたときに開業するような、またぶざまなところまで持っていかれるという非常な心配がございますので、私
どものほんとうに念願いたしますことは、六月中にはぜひあけるようにお骨折りを願いたいと思っております。また今まで申しました
通りやればやれることで、ただ軍の考え方を変えるということだけでできることでございますから、ぜひそういうようなことにしていただきたいと思っております。
接収解除の問題は大体その辺のことで申し上げ尽しておると思いますので、お手元へ差し上げましたプリントを一度朗読さしていただきまして、私
どもが
接収中にどういう損害を受けたか、またどういう取扱いを受けたか、その取扱いによって今度開業するときには、膨大な金がなければ開業が不能である。
高坂さんからもお話がありましたように借入金をしてやらなければならぬ。しかし銀行というものもなかなか三億、四億という金を貸してくれるはずもありませんし、借りたところで以後の経営がそれで成り立つはずもありません。ちょっと読ましていただきます。
昭和三十一年二月十日
米軍接収により蒙りたる損害の補償に関する請願
株式会社
名古屋観光ホテル
昭和三十一年二月十日
株式会社
名古屋観光ホテル
取締役社長
井上 行平
衆議院運輸
委員殿
米軍接収により蒙りたる損害の補償に関する請願
首題の補償に関し、ここに陳情いたします事由は、現在
調達庁より支払われる賃貸料が、市中一般の貸ビル
使用料の半額にも足りない低額であること、及び
営業休止に対する適正なる
営業権の補償がなされていないために、当然行うべき
資金の
蓄積をなし得ず、
営業再開に支障を来し、企業の存続が危ぶまれるに至ったためであります。
賃貸料に就ては、
昭和二十七年七月四日閣議了解の損失等補償要綱に、
第六条 土地の賃借料は、統制額のない場合においては使用時の属する年度の固定資産税課税台張に登録された価格(以下「登録価格という)に、土地
資本に対する年利廻を乗じて得た額と固定資産税額との合計額とする。
第八条 建物(附帯
設備を含む)の賃借料は、統制額のない場合においては、次の各号により算定した建物の純家賃と地代
相当額の合計額とする。
1 建物の純家賃は、登録価格に建物
資本に対する年利廻を乗じて得た額と固定資産税額と減価償却費および火災保険料
相当額との合計額。
とありますが、この条文中の登録価格は、御高承の
通り徴税の立前から、各市町村共、概ね実際価格の七割程度に査定されるのが通例であります。而して、同条中の投資利廻に関する
調達御
当局の御取扱ひは、土地を年五分、建物を年七分とされますが、基本となる登録価格が低く定められているため、実質的利廻は、更に一層低率となります。このため、
施設全般に対する投資利廻は年五分以下に下廻り、市中銀行借入金利息にも遠く及ばないものであります。
営業権補償に就ては、同じく
昭和二十七年七月四日閣議了解の損失等補償要綱に、
第十二条
営業用の土地等の使用により使用
期間中、他に転じて
営業を行うことが客観的に不能となる場合の当該土地等の賃借料は、第六条、八条
——第十一条に準じて算定した額に、当該
営業の推定年間純益額のうち、当該
営業用土地等が挙げうべき部分の額を加算する。ただし、自家
営業の場合の推定年間純益額には、自家労務費の八〇%の額を含む。
と定めてありますが、左様履行されず、
営業見舞金と称し過去十カ年半に、弐千六百万円余が交附されたのみであります。
当
ホテルの
戦前に於ける決算年度
第十期(自
昭和十八年九月一日至
昭和十九年八月卅一日)売上実績は、七拾九万一千円にして、現在の金額に直せば、二億三千七百万円強となります。猶、右は戦争末期に於ける最悪条伴下の
営業成績であり、且、新館増築前の実績であります。従って現在の
営業を仮定の場合、その売上高が年間三億円を上廻るべきことは、確実と予想されます。
この純益率は通常一割五分乃至二割でありますが、仮りに一割五分としても、年四千五百万円の純益を得ることは容易であります。従ひまして、従来受領した
営業見舞金は、僅々一カ年分にも
相当しないものであると考えます。
弊
ホテルの現状は、曽ての
帝国ホテル等の
解除時(
昭和二十七年三月)
の実態と全く異り、実に十カ年半の永きに亘る間、粗暴なる軍直接管理が行はれたため・
設備什器の悉くが甚だしい荒廃を来して居ります。
例えば、
設備では、各客室の陶器浴槽は
一つの例外もなく破損し、総ての衛生陶器類が使用に堪えない
状態にあります。亦、エレベーターは通常の毎月定期
サービスを行わず酷使したため、四基中の三基は廃物同様にて、運転不能となって居ります。
或は亦、軍は常時貯水槽へ必要以上に多量のカルキを投入するため、貯水槽及全館の給水管等は甚だしく腐蝕し、この
状態の侭にては、
営業再開は困難であります。
これは、
ホテル経営上最も根本的且つ重大な問題の
一つであります。而もこの事実に就ては御
当局も、現実の問題として肯定されますが、これに関する証明根拠が薄弱との
理由を以て、補償の対象から除かれるのが例であります。
この外、家具什器類では、ベット、椅子、その他殆んどが、
営業用に供し得ぬ程度に損耗を受け、亦、最も高価なる手織緞通も、汚損、滅損甚だしく、
営業用として使用に耐えぬ
状態にあります。
いま、これ等一切を整備し、
営業可能の
施設に復旧するには、実に三億数千万円を必要としますが、過去十カ年に受領した賃貸料等は総額一億九千五百万円に過ぎず、他面、
調達庁の算出される原状回復費補償額は、恐らく、この所要復旧費の二割を出ないものと推測されます。
この
状態は次の
通り、
調達庁の補償要領が、
実情に測しないために起るものであります。
調達庁の原状回復箇所に対する補償要領は、その当該部分の改修費に限られているために、一部の修理を行うことにより、却て全体が甚だしく不調和となり陳腐化を免れず、
営業用
施設としてその魅力を失ふ実状に就ては、何等考慮されないものであります。
従って、
施設所有者は自己の負担に於て、全体に亘り改修せざるを得ぬ羽目に立ち至ります。
以上は、総て有形の損害でありますが、
終戦以来十カ年半に亘り、企業を抹殺され、
営業を中断したことによる無形の損害は、誠に想像を絶するものがありまして、二、三例を挙げますと、
1、多年訓練して来た優秀なる
従業員は、
米軍運営の下に漸次退職離散し、
解除後は全く新規の
人員を以て、開業せざるを得ない苦境に立ち至りました。
2、当
ホテルの
接収永しと見て、他に二つの新
ホテルが設立され、あらゆる点に於て、極端な立ち遅れとなり、
営業上非常に不利な条件に追ひ込まれました。
3、斯様な
営業喪失から起る、致命的な損害に就ては、何等補償されない次第であります。
最後に、繰返し申し上げますのは、
一、土地建物等一切の賃貸料が、余りにも低額であること。
二、
営業喪失に対する補償に就て、閣議了解により規定されたる損失補償要綱の精神が尊重されず、適正なる補償が行わざれしこと。
の二点に就てでありまして、これの是正によって総ての問題が解決されるものと考えます。
何卒、この点特に御洞察賜り、
営業再開が可能と相成るよう格別の御取計ひを請願する次第であります
…………………………………
昭和三十一年二月十日
株式会社
名古屋観光ホテル
名古屋観光ホテルが十箇年(自
昭和二十年九月 至
昭和三十年八月)に亘り
接収されたために生じた損害金に就て
一、
接収解除後の
営業再開準備所要費(明細別記)
三六〇、六〇〇、〇〇〇円
一、
接収期間に積立たる社内保留金
額(〃 )
(一)六〇、七〇〇、〇〇〇円
一、
解除時に於ける
調達庁算定補償金仮定額(一)六〇、〇〇〇、〇〇〇円
一、差引
営業再開時に於ける
営業準備所要費不足額
二三九、九〇〇、〇〇〇円
記
一、
営業再開所要費に就て(
昭和三十年九月調)
建物及び附帯
設備等の原状回復費
二五六、〇〇〇、〇〇〇円
家具、敷物、カーテン等原状回復費
九五、〇〇〇、〇〇〇円
営業再開宣伝費(新
大阪ホテルの場合は八百万円)
六、〇〇〇、〇〇〇円
開業準備
期間中(ニケ月)の人件費(但し
人員一五〇名一人平均一二、〇〇〇円一ケ月一八〇万円)
三、六〇〇、〇〇〇円
合 計 三六〇、六〇〇、〇〇〇円
現行の土地建物賃貸料に就て
(
昭和三十年四月改定)
右坪当り
使用料は一般貸ビルに比較し約三分の一
相当額であるが、
ホテルは貸ビルと左の点が著しく異り一層低額な次第である。
イ、室数が多く且つ全部の部屋に浴室、洗面所、便所等を備えるため建築費が高いこと。
口、各室に家具(寝台、応接セット等)敷物、カーテン等を備え、他に厨房
設備、洗濯工場
設備等
ホテル運営に必要なる一切のものを提供していること。
ハ、自動車パーキング用その他の土地が約一千坪あること。
…………………………………
昭和三十一年二月十日
株式会社
名古屋観光ホテル
名古屋観光ホテルの賃貸料等が適正に支払われなかったために生じた損害額に就て
一、
接収された
ホテルの土地建物賃貸料に就て
現 行
固定資産評価格により算定した賃貸料
名古屋市の固定資産評価格
土地 四四、四六八、〇七七円
建物 三三五、九一四、一一五円
償却
資産 (三二、二〇七、五三八円)
(但し残置物件を除く)
計 四一二、五八九、七三〇円
右の投資利廻 土地年五分 建物年七分 に固定
資産税額火災保険料、減価償却費を加えた現行賃貸料
年額 四一、九九三、九六四円
月額 三、四九九、四九七円
坪当り月額 九八五円
修正案
時価評価格に依り算定した賃貸料
銀行不動産部の評価した額
土地 一九〇、一四四、五〇〇円
建物 四二五、七八六、六〇〇円
償却資産(但し残置物件を除く)
三二、二〇七、五三八円
計 六四八、一三八、六三八円
右の投資利回を 土地年七分 建物年一割二分 として算出した賃貸料
年額 六八、二六九、四一一円
月額 五、六八九、一一七円
坪当り月額 一、六〇二円
右修正案に依る
接収期間中(本館十年半 新館二年半)の賃貸料累計額
六一四、四三二、六三三円
接収期間中に交附を受けた賃貸料
(残置物件代を除く)総額
一四八、八七七、四七七円
差額 四六五、五五五、一五六円
二、
ホテル営業休止のために生じた損害(
営業権補償)に就て
現在の
営業の仮定の場合の
戦前実績から推定した売上高(
昭和十九年度売上高七九一千円の三〇〇倍)
本館売上高
二三七、三〇〇、〇〇〇円
新館売上高(但し本館坪当り売上高に準じて算出)
七九、四〇〇、〇〇〇円
計 三二六、七〇〇、〇〇〇円
接収期間中(本館十年半 新館二年半)の売上累計額
二、六九〇、一五〇、〇〇〇円
右に対する償却後純利益(一五%)
四〇三、五二二、五〇〇円
接収期間中に交附を受けた
営業見舞金総額 二六、八七五、五三二円
差額 三七六、六四六、九六八円
以上大体の数字上のことを申し上げたのでございますが、ただ数字ばかり並べたのでは、なかなかお聞きになってぴんとこないのではないかと思います。
ホテル業というものがどういうものであるか、どのくらいの利潤があるかという比率の実際の問題がいろいろありますが、そういうことをあまりくどく申し上げるのは恐縮でございますけれ
ども……。