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1956-05-25 第24回国会 衆議院 運輸委員会観光に関する小委員会 第4号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十一年五月二十五日(金曜日)    午前十時五十三分開議  出席小委員    小委員長 濱野 清吾君       生田 宏一君    臼井 莊一君       堀内 一雄君  早稻田柳右エ門君       青野 武一君    井岡 大治君       山口丈太郎君  出席政府委員         総理府事務官         (調達庁不動産         部長)     大石 孝章君         運輸事務官         (観光局長)  間島大治郎君  小委員外出席者         議     員 關谷 勝利君         議     員 横山 利秋君         外務事務官         (欧米局第二課         長)      安川  壯君         参  考  人         (名古屋商工会         議所専務理事) 高坂 正雄君         参  考  人         (日本交通公社         海外旅行部長) 岡本 俊麿君         参  考  人         (名古屋観光ホ         テル社長)   井上 行平君         専  門  員 志鎌 一之君     ————————————— 五月二十五日  山口丈太郎君四月二十日委員辞任につき、委員  長の指名で小委員に補欠選任された。 同日  早稻田柳右エ門君同月八日委員辞任につき、委  員長指名で小委員に補欠選任された。 同日  池田禎治君同月十日委員辞任につき、委員長の  指名で小委員に補欠選任された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  観光施設接収解除問題に関する件     —————————————
  2. 濱野清吾

    濱野委員長 ただいまより運輸委員会観光に関する小委員会を開会いたします。  本日は観光施設接収解除問題について、参考人各位より御意見を聴取いたすことにいたします。参考人の御氏名は小委員各位に配付してあります通りであります。なお最初参考人として御依頼申し上げました神野金之助氏は御用事がありますので、高坂正雄氏がかわって御意見を述べられます。  この際小委員会を代表して小委員長より一言ごあいさつ申し上げます。本日は御多忙中にもかかわりませず、本小委員会のため御出席いただき、貴重な御意見を承わることができますことは、まことに感謝にたえません。厚く御礼申し上げる次第であります。本問題に関しましては、小委員会としましても、また本委員会といたしましても、重大な関心を持ち、決議もいたしておりますことは御承知通りであります。本日は実際に接収を受けておられる方及びその関係者よりつぶさにその実情を聴取し、小委員会の審査に資したい所存であります。  それではこれより参考人各位より御意見及び実情を聴取いたします。名古屋商工会議所専務理事さんであります高坂正雄さんに御発言を願います。
  3. 高坂正雄

    高坂参考人 名古屋商工会議所専務理事をいたしております高坂でございます。名古屋観光施設接収解除の問題につきましては、名古屋経済界にとりまして非常に大きな関係を持っておる問題でございますが、この問題につきまして運輸委員会におかれまして御検討をいただいておりまして、一月二十七日、二十八日には特に委員の方々が現地を御視察下さいまして、詳細な調査をいただきまして、引き続きいろいろと御検討いただいておりますことを、現地側といたしまして非常に感謝いたしておる次第でございます。  名古屋観光ホテル昭和九年九月に名古屋市、名古屋商工会議所その他名古屋経済界の者が中心になりまして、名古屋にはそれまで純西洋式外人向けホテルがございませんでしたが、国際観光局のごあっせんによりまして、大蔵省の資金部低利資金の融通を受けて設立いたしたのでございまして、戦前におきましてはその施設食事サービス等におきまして、非常に評判がよかったように記憶いたしておるのであります。終戦と同時に、二十年の九月米軍接収せられて、その後引き続いて米軍に使用せられておるのでございますが、講和発効後も継続使用せられて今日に至っておるのでございます。この接収解除の問題につきましては、後に申し上げますように、名古屋経済界にとって非常に影響のある問題でございますので、商工会議所におきまして二十七年の三月に第一回の接収解除要望をいたしたのでございます。引き続いて名古屋市長県当局はもちろん、地元貿易界その他関係団体から数回にわたって、それぞれの向きに対しまして接収解除要望をいたしておるのでございます。これにつきましては代替施設が計画建設せられまして、これに移転すれば解除せられることになっておったように伺っておるのでございます。しかるに守山代替施設ができ上りまして移転が行われたにかかわりませず、なお観光ホテル接収解除せられておらないことは、はなはだ遺憾に考えておる次第でございます。四月以降は政府との契約も切れておるわけでございまして、ただいまは契約なくして使用せられておるような状態でございます。私ども当初代替施設ができればすぐにでも返していただけるように聞いておったのでございますが、これができてなお返らないということはいかなる理由に基くものであるか、まことに私ども理解ができない不可解なことだと考えておるわけでございます。一日も早く観光ホテル接収解除せられまして、名古屋経済界に特に役立ってもらいたいというふうに考えておる次第でございます。  御承知のように名古屋地方は戦後産業貿易躍進が非常に顕著でございまして、これもすでに御承知のことでございますが、たとえて申しますと、わが国の主要な輸出品である陶磁器につきましては、全国輸出の八九%が名古屋港から輸出せられております。また合板をとってみましても、全国輸出の四六%は名古屋港から出ております。維維機械は三割から五割の間を——年によってこれは違いますが、上下しております。ミシンは二六%名古屋港から輸出されておるという状況でございまして、その他わが国主要輸出品で、名古屋港からは輸出せられなくても、名古屋で生産されておるものは、綿織物、梳毛織物スフ織物等たくさんあるのでございます。こういう輸出品の生産を中心に、名古屋経済界というものが戦後躍進を続けておるのでございますが、この陶磁器とか合板とか、維維機械ミシンというようなものにつきましても、割合に名古屋中小商社が多いわけでございます。中小貿易商社の取扱いが多いのでございます。従って大商社の場合よりも、外国からバイヤー商社が来日いたしまして、いろいろ商談を行うことが多いのであります。従ってどうしてもこのバイヤー商談のためには、りっぱなホテルがほしいわけでございまするが、名古屋にはそのホテル施設が十分ではございません関係上、バイヤーがせっかく参りましても、日帰りをする、あるいは素通りをして東京大阪商談を行うというようなことがたまたまあるわけでございます。こういうことは名古屋貿易商社といたしまして、非常に残念に思っておるわけでございまして、日帰り等のためにゆっくりした商談ができないというようなことを、たびたび苦情を聞くような次第でございます。またこういうふうに名古屋貿易躍進しておりますので、来日いたしまする各種海外経済使節団アメリカ経済使節団、メキシコの経済使節団等々参るのでございますが、必ず名古屋には一日、二日あるいは三日滞在いたしまして、名古屋のいろいろの産業施設を見て、また貿易商社との懇談等をいたして帰るのであります。こういう使節団がたびたび参るのでございまするが、十分なホテル施設がないということは、こういう使節団名古屋に来ることのときどき支障になるわけでございます。先年もICCの大会が東京で開かれましたときに、その約十班が大阪京都方面に参ったのでございますが、名古屋に参りましたのは、ホテル施設がないということからいたしまして、わずか二班しか名古屋には来なかったというような状態があるのでございます。こういうふうに貿易界経済界から見まして、名古屋にりっぱなホテルがほしいということは、十分御納得いただけるのではないかと考えておるわけでございます。  なお貿易上の事情以外からいたしましても、たとえば、観光団が参ります場合にも、東京名古屋大阪というルートを通って、日本視察される方が多いのでございます。名古屋中心にいたしまして鳥羽志摩国立公園、あるいは長良川のウ飼いというものがあるのでございますが、この観光視察団の参りましたときにも、名古屋に十分のホテル施設がないということは、はなはだ遺憾に考えておる次第でございます。なお文化面からいたしましても、名古屋にはりっぱな大学の医学部というものがありまして、またその他理学部等におきましてもりっぱな学部がございまして、ここで国際的な学術会議を開きたいというような計画もあるのでございまするが、なかなか宿泊施設において、これを開催することに困難を感じておるような状態でございます。またいろいろ海外からの文化使節、たとえて申しますと、音楽とかあるいは文化スポーツ等団体もたびたび来名いたすのでありますが、こういう問題につきましても、十分なホテル施設の完備を必要とするような状態でありまして、私ども名古屋観光ホテル接収解除の一日も早く行われることを首を長くして待っておるのでございますが、ただいま申し上げましたような経過でございまして、今日に至るもはっきりした見通しを得がたい状態であることは、名古屋経済界にとりまして非常に重大な影響を与えているというふうに考えているわけでございます。  またこれを一企業の立場から考えてみましても、戦後十年にわたりまして、各種ホテルの同業者がりっぱな収益を上げ、施設を整備している際に、名古屋観光ホテルがこの十年という長い間ほったらかしにされている、いまだに営業ができないというような状況にあることは、戦争後十年もたってこういう状態であっていいものかということを私ども非常に憂えるものでございます。こういう点から申しまして、名古屋観光ホテルは一日も早く解除せられまして、りっぱな施設として名古屋経済界あるいは貿易界のために役立ってもらいたいということを強く期待しているのでございます。またこの解除がかりに決定いたした場合を考えてみましても、名古屋観光ホテル戦前のような姿で再起いたしますためには、相当膨大な資金を必要とするというふうに考えているわけでございます。戦後のホテルが立ち上りまして、それぞれ資本蓄積を見て、りっぱな設備を完備いたしまして、増築さえしている状況において、観光ホテルにつきましては解除になりましても、再びこれがホテルの装いをいたしますためには、四億近い資金が必要であるというふうに聞いているのでございます。観光ホテルには今までの使用料では十分な資本蓄積ができておりません。これだけの膨大な金は、借入金によらなければ施設できないような状態でございます。私どもといたしましては、この補償問題について、今までの使用料が果して公平な使用料であったのかどうか、観光ホテル営業を続けておったとするならば、すでに自己の資本蓄積によってりっぱに営業ができる状況にあったのではないかと思うのでございまして、そういう点を考えまして、営業上の損失というようなものについても、国家において相当の補償をお考えいただくことが必要なのではないかというふうに考えている次第でございます。  はなはだ粗末な言葉でございましたが、私の説明はこれで終らしていただきます。
  4. 濱野清吾

    濱野委員長 次には、日本交通公社海外旅行部長岡本参考人から御意見を伺います。
  5. 岡本俊麿

    岡本参考人 日本交通公社海外旅行部長岡本でありますが、私は昭和二十九年の九月から三十一年の三月十五日まで中部支社長といたしまして、名古屋中心といたしました中部支社を担当いたしておった者でございます。  昭和三十一年の春季の交通公社で取り扱いましたアメリカその他の外国から流れてきて、本社を通りまして地方に流れましたお客統計を申し上げてみたいと思いますが、これは本年の三月の中旬から五月の中旬までのいわゆるシーズンの例を一つ二つとってみたのであります。外国人といたしましては二十八件、百二十六名が名古屋宿泊いたしております。それから在外邦人が四個団体九十七名が宿泊いたしております。これと同じ期間に、名古屋を通過いたしまして伊勢とか京都奈良方面に入り込んだ交通公社の扱いの外客数は、外国人におきまして五百八十二件、三千二百七十名、在外邦人におきまして二十二件の五百八名、こういうことになっておりますが、名古屋が他の奈良とか京都伊勢といったようなところと比べて観光資源に多少乏しいということは言えるのでありますが、戦前に非常に評判をとっておりました名古屋観光ホテルがない、宿泊設備が非常になくなったということが、この戦後十年にわたりまして海外に言わず語らずのうちにいい面、悪い面が宣伝されまして、他の地区に比しまして非常に外客が少くなっておるということも言えると思います。これは観光面から言われるわけでありますが、貿易その他につきましては、今高坂氏が申されましたように、観光面を補ってふえてきておるという実情であります。名古屋現地におきまして案内所をたずねて手配を頼み、あっせんを頼むというようなことから見ますと、なかなかシーズンだけでなしに、四季を通じまして名古屋——観光は今のような工合でありますが、貿易商人の出入りといったような面につきまして、四季を通じてあふれるような状態であります。あふれるというのは、われわれの方で窓口で宿泊をごあっせんしてなかなかできないというような状況なんであります。これは私が長をいたしておりまして、実際先般も参りましたコザックの歌うたいの団体が一団体入りましても、この団体をどういうようにいたしましょうか、どうしてもやってくれというのですが、どこへ泊めましょうかといったような、これは一つの例でありますが、そういう状況であります。今も現地につきまして、ニュー・ナゴヤができましたことでどれくらいな件数がふえておるか、人員がふえておるかということをちょっと承わったのでありますが、これははっきりした統計を、まだ五月が済みませんので出しておりませんが、件数にいたしまして四割、人員において二割くらいな増加——増加というのは、こういう施設ができたからお泊りの客がふえてきている、こういうことが言えるのであります。  名古屋観光ホテルは今も申しますように戦前長い歴史を持ちまして、いわゆるホテル施設として、ホテルを目的として建てられましたホテルでありまして、何と言いましても、あるビルにつけ足してこしらえたといったようなホテルではないのでありまして、純粋なホテル、世界的に見ましても一流に属するホテルでありまして、お客サービスはわれわれのところで動的なサービスあるいは静的なサービス、いわゆるビルディングのでき方がホテルに適したようにできておる、これは静的なサービスになってくるわけであります。その従業員は訓練された動的な、ボーイさんからその他マネージャーの非常に経験された者がやっておられるというような世界的に評判をとったホテルであります。これが終戦接収されまして、名古屋にはいわゆるホテルらしいホテルはないのだとコムプレインこそわれわれは幾度かいただいたのでありますが、非常なおほめをいただいたことは少く、普通だったという以上には名古屋ホテルに関しては経験を持たないのであります。この点を十分に御参酌願いたいと思います。これを長く接収されているということは、名古屋にはいいグレードのホテルはないのだといったような工合評判がますます立ってくることによって、観光面におきましても貿易面におきましても大いなるマイナスだと存ずるわけでありまして、他の地にはカロニヤ号あるいはクングスホルム号というような大きな観光船が入っております。今度は長崎に入ろうかというようなことを言うております。長崎に入り、あるいは神戸に入り、あるいは横浜に入る。名古屋港は貿易一つ中心として、かような船も——奥地を控えております。長良川のウ飼いにいたしましても……。伊勢を控えております。また日本ラインを控えております。あるいは蒲郡の景勝地を控えております。知多半島、渥美半島、いろいろ背後地を持っておる中心地名古屋におきまするこのりっぱなホテルを、一日も早く解除していただきたいと念願するわけであります。観光面からもこの点を強調するわけでありまして、御参考にいたしたいと思います。
  6. 濱野清吾

    濱野委員長 次は参考人名古屋観光ホテル社長井上行平君にお願いいたします。
  7. 井上行平

    井上参考人 私、名古屋観光ホテル社長井上行平でございます。私どもホテル終戦直後、二十年の九月に接収になりまして、現在まだ接収中でございまして、現在までのことを数えましても十カ年八カ月という長い期間を経ております。この間のいろいろの経過等につきましては、先般来本委員会におかれましてもいろいろ諸先生方の言い尽されたと思うまでによくお話し合いがありましたようで、ただいま会議所高坂さんからも詳細のお話がありましたので、これは省略させていただきまして、なぜあかないかという根本について私の直接感じておりますことを申し上げて、その道を開いていただければ、これはあすにも解除できるのじゃないか、これは私確信を持っておりますので申し上げたいと思うのでございます。  その第一のことは、軍の内部の責任ある人から私聞いたのでございますけれども、軍の内部では今年の四月の三十日にはあけるということが確定しておったのだそうです。ところが日本政府との話し合いによってこれが延びて、現在私が聞いておりますことは、六月にはあけるということでございます。ところが六月になかなかこれはむずかしそうなのでございますけれども、それはまことに困った状態にありますので、この前も調達庁からおいでになりまして現地を詳しく御視察もあり、なお会議を持たれまして、私もそのとき末席に連なりまして聞いたのでございますけれども、実態がとらえがたいということが一番のこれは難点ではないかと思うのでございます。たとえば現在軍側で非常に強く主張しているらしいことは、宿泊の方はわきへ移せるので片がつくのですけれどもクラブ活動がなかなか重要視されておりまして、このクラブにかわる施設がないではないか、守山にあるにはあるのですけれども、あれは小さ過ぎてどうにもしようがない、もう少し大きいものでなければならない、観光ホテルのような施設地元にないからこれはなかなか離せないということが、軍の一番の主張になっておるようでございます。ところがこれはまことにおかしな話なんで、守山食事施設というものは大体二百五十人の収容力があるのであります。それでは私ども観光ホテルで一番食事の多いときにはどのくらいの客があるかと申しますと、四百、五百をこえることはありません。これは普通の食事で、宴会でない食事でございます。宴会はもっと大きいものもありますけれども普通食事はその程度が限度のように私どもそばにいて見ているのであります。ことに最近軍の給与制度が変ったようでして、今まで将校は、幾分の負担は持ちますけれども無料で食事ができたのでございますが、最近では将校給与の中に食事代が含まれているものですから、どうしても金を出して食べる。普通の料理屋で食べるのと同じことでございますが、税金も払わないし、いろいろな条件でものが非常に安くついており、安く食べられますので、クラブがおもに使われるのでございますが、このクラブは今申し上げました通り二百五十は使用できるのでありますから、四百や五百のことには事欠かないのでございます。それではなぜ軍がそういうことを言っているかといいますと、相当大ぜいの家族がいまして、家族慰安場所なり家族食事する場所がどうしてもほしい。この前調達庁からおいでになりました、先ほど申し上げた会議のときに軍側が説明したのは、この家族が千家族もあるということを言ったのですけれども、その後私が調査してみますと、そうはございません。せいぜい六百くらいのものであります。これは家族世帯数でございまして、そのくらいなものでございます。ですから、これをこの食堂でまかなえないということはちっともないのでございます。  これは少し専門にわたって私ども商売のことを申し上げるとよくおわかりになるのじゃないかと思いますけれども、現在帝国ホテルは大体七百五十の収容力がありまして、普通なかなか忙しくやっておりますものですから、六百くらいは大てい泊っております。御承知のように、帝国ホテルにお入りになりますとあそこに食堂がありますが、これは私念のために調べてきたのですけれども、現在二百のいすしかセットしてないのでございます。六百の客が二百のいす食事している。これは商売ですから、少し苦情があればすぐ商売にさわってくるので、それで客が十分満足していると考えてやっておることでございますけれども、六百の食事は二百のいすでできるのではないか。二百五十のいすがあって、なぜそれでは四百の食事ができないかというと、これは要するに軍のわがままだと私は解釈しております。四月三十日に確定しておきながらあけなかったということは、やはりねばればねばれるのだという軍の考え方なんです。二百五十の収容力のあるところで四百の食事ができないから、もっと大きいものをこしらえるまで待てとかなんとかいうことらしいことに聞いておりますけれども、これは今申し上げた通り全然理由のないことだと思います。  それではこの軍のそういうふうなやり方をどうしたら押えることができるかといいますと、地元には調達庁名古屋局かありましていろいろ御調査になっておるのですが、一番残念に思いますことは、とにかく私がその中におりましても、事実がわかるのはいつも事後でなければわからない。そのことが済んでしまったあとでいろいろな人から聞き、責任ある人から聞いてわかるのですから、調達局でお調べになる要もなし、なったところで、これでは二百五十の席しかないじゃないか、五百という食事をさせるのにここでやれるかというようなことを言われれば、調達当局としては軍の言うこともまことに無理のないことだから、何とかこれは考えてやらなければならぬ、せめて幾分の拡張でも——これは軍でも自分の費用でこしらえるとかいうことを現在言っておりますが、そういう見通しなら、緒につくくらいまでは何とか考えてやらなければならないのじゃないかとお考えになるのも、まことに無理はないと思うのでございますけれども、これをやっておいでになると、いつまでたっても結局は同じことなのであります。この際調達当局はぜひ一つそういう事実があるのだということで、これは私責任を持って申し上げることでございますから、事実に即して何とか御処理願えないか。表向き行ったのではどうしても形式だけを説明して、またそういうようなサービスとか食事とかいう御経験が御当局にあるわけでもないので、結局は向うの言うことをのむより仕方がないということになるのではないかと推察いたしております。  これもまた東京の例で申し上げますと、非常によくおわかりになるのじゃないかと思いますけれども講和条約ができまして調印が済みますとすぐに例の発効期間がありましたけれども発効期間を待ちませんで帝国ホテルは三月十五日に解除せられた。その解除されるときにちょうど私行き会いましたけれども、玄関へ予告といいますか何か張り紙が出ておりまして、明日までに山王ホテルにみんな移れという司令官命令書が出ております。当時将官があそこに七名くらいはおられたように記憶しております。それからあの膨大な大宴会場を初めあらゆる宴会場クラブというものに利用されておって、婦人だけが集まるクラブというようなものもあるようでございます。行く先はどこかというと赤坂の山王ホテルで、これは帝国ホテルに比べたら何分の一という小さいホテルで、これだけ大ぜいいる者がそこに移れるわけがないのですけれども、軍があけようとすればそういう無理までしてあけた事実が過去にあるのであります。ですから第五空軍がもう少し協力的に考えてくれたならば、この帝国ホテルの例などをよくお話し合いになって——こういう無理までしてあけておる都市もあるのです。東京のまん中で世論が起りやすい、それからアメリカの名前が悪くなるとか、いろいろ政治的な問題もあるでしょうけれども、それにしても事実はそういうふうに動いておるのですから、これに比べれば相当小さい名古屋の問題が片づかないはずがない。ことにクラブの問題は調達庁の係官の方からも伺いましたが、日本政府としてクラブのことまで責任を持たなくてもいいのだということを伺っております。そのクラブが問題になって動けないということは実におかしなことであります。実情は今申し上げたような次第でございまして、何とかこの点だけを打開していただけば、おそらくこれは明日にもあくのじゃないかと思います。  それからこれは私どもの身勝手なことを申し上げて恐縮にも思いますけれども、大体六月とか七月の初旬にあけられることと、もっと先へいってあけられることとは大へんな違いなんであります。実は調達庁にも始終お願いしまして、片方に新しいホテルができるし、これに立ちおくれては営業上非常に困る状態になる。今まで相当の犠牲を払わされた上にそういう打撃を受けたのでは、まことに忍びがたいのです。何とか少くとも同時にくらいは開業できるようにしてもらいたい。当時の調達庁はその時分にはむろん解除になるというお見通しだったのであります。これは事実そう思っておいでになったと思います。ところがだんだん延びて、これからまたさらに延びるようなことになりますと、一番季節をはずしたときに開業するような、またぶざまなところまで持っていかれるという非常な心配がございますので、私どものほんとうに念願いたしますことは、六月中にはぜひあけるようにお骨折りを願いたいと思っております。また今まで申しました通りやればやれることで、ただ軍の考え方を変えるということだけでできることでございますから、ぜひそういうようなことにしていただきたいと思っております。  接収解除の問題は大体その辺のことで申し上げ尽しておると思いますので、お手元へ差し上げましたプリントを一度朗読さしていただきまして、私ども接収中にどういう損害を受けたか、またどういう取扱いを受けたか、その取扱いによって今度開業するときには、膨大な金がなければ開業が不能である。高坂さんからもお話がありましたように借入金をしてやらなければならぬ。しかし銀行というものもなかなか三億、四億という金を貸してくれるはずもありませんし、借りたところで以後の経営がそれで成り立つはずもありません。ちょっと読ましていただきます。  昭和三十一年二月十日    米軍接収により蒙りたる損害の補償に関する請願     株式会社 名古屋観光ホテル  昭和三十一年二月十日     株式会社 名古屋観光ホテル       取締役社長 井上 行平   衆議院運輸委員殿    米軍接収により蒙りたる損害の補償に関する請願  首題の補償に関し、ここに陳情いたします事由は、現在調達庁より支払われる賃貸料が、市中一般の貸ビル使用料の半額にも足りない低額であること、及び営業休止に対する適正なる営業権の補償がなされていないために、当然行うべき資金蓄積をなし得ず、営業再開に支障を来し、企業の存続が危ぶまれるに至ったためであります。  賃貸料に就ては、昭和二十七年七月四日閣議了解の損失等補償要綱に、   第六条 土地の賃借料は、統制額のない場合においては使用時の属する年度の固定資産税課税台張に登録された価格(以下「登録価格という)に、土地資本に対する年利廻を乗じて得た額と固定資産税額との合計額とする。   第八条 建物(附帯設備を含む)の賃借料は、統制額のない場合においては、次の各号により算定した建物の純家賃と地代相当額の合計額とする。    1 建物の純家賃は、登録価格に建物資本に対する年利廻を乗じて得た額と固定資産税額と減価償却費および火災保険料相当額との合計額。  とありますが、この条文中の登録価格は、御高承の通り徴税の立前から、各市町村共、概ね実際価格の七割程度に査定されるのが通例であります。而して、同条中の投資利廻に関する調達当局の御取扱ひは、土地を年五分、建物を年七分とされますが、基本となる登録価格が低く定められているため、実質的利廻は、更に一層低率となります。このため、施設全般に対する投資利廻は年五分以下に下廻り、市中銀行借入金利息にも遠く及ばないものであります。営業権補償に就ては、同じく昭和二十七年七月四日閣議了解の損失等補償要綱に、   第十二条 営業用の土地等の使用により使用期間中、他に転じて営業を行うことが客観的に不能となる場合の当該土地等の賃借料は、第六条、八条——第十一条に準じて算定した額に、当該営業の推定年間純益額のうち、当該営業用土地等が挙げうべき部分の額を加算する。ただし、自家営業の場合の推定年間純益額には、自家労務費の八〇%の額を含む。  と定めてありますが、左様履行されず、営業見舞金と称し過去十カ年半に、弐千六百万円余が交附されたのみであります。   当ホテル戦前に於ける決算年度  第十期(自昭和十八年九月一日至昭和十九年八月卅一日)売上実績は、七拾九万一千円にして、現在の金額に直せば、二億三千七百万円強となります。猶、右は戦争末期に於ける最悪条伴下の営業成績であり、且、新館増築前の実績であります。従って現在の営業を仮定の場合、その売上高が年間三億円を上廻るべきことは、確実と予想されます。   この純益率は通常一割五分乃至二割でありますが、仮りに一割五分としても、年四千五百万円の純益を得ることは容易であります。従ひまして、従来受領した営業見舞金は、僅々一カ年分にも相当しないものであると考えます。   弊ホテルの現状は、曽ての帝国ホテル等の解除時(昭和二十七年三月)  の実態と全く異り、実に十カ年半の永きに亘る間、粗暴なる軍直接管理が行はれたため・設備什器の悉くが甚だしい荒廃を来して居ります。   例えば、設備では、各客室の陶器浴槽は一つの例外もなく破損し、総ての衛生陶器類が使用に堪えない状態にあります。亦、エレベーターは通常の毎月定期サービスを行わず酷使したため、四基中の三基は廃物同様にて、運転不能となって居ります。   或は亦、軍は常時貯水槽へ必要以上に多量のカルキを投入するため、貯水槽及全館の給水管等は甚だしく腐蝕し、この状態の侭にては、営業再開は困難であります。   これは、ホテル経営上最も根本的且つ重大な問題の一つであります。而もこの事実に就ては御当局も、現実の問題として肯定されますが、これに関する証明根拠が薄弱との理由を以て、補償の対象から除かれるのが例であります。   この外、家具什器類では、ベット、椅子、その他殆んどが、営業用に供し得ぬ程度に損耗を受け、亦、最も高価なる手織緞通も、汚損、滅損甚だしく、営業用として使用に耐えぬ状態にあります。   いま、これ等一切を整備し、営業可能の施設に復旧するには、実に三億数千万円を必要としますが、過去十カ年に受領した賃貸料等は総額一億九千五百万円に過ぎず、他面、調達庁の算出される原状回復費補償額は、恐らく、この所要復旧費の二割を出ないものと推測されます。   この状態は次の通り調達庁の補償要領が、実情に測しないために起るものであります。    調達庁の原状回復箇所に対する補償要領は、その当該部分の改修費に限られているために、一部の修理を行うことにより、却て全体が甚だしく不調和となり陳腐化を免れず、営業施設としてその魅力を失ふ実状に就ては、何等考慮されないものであります。    従って、施設所有者は自己の負担に於て、全体に亘り改修せざるを得ぬ羽目に立ち至ります。   以上は、総て有形の損害でありますが、終戦以来十カ年半に亘り、企業を抹殺され、営業を中断したことによる無形の損害は、誠に想像を絶するものがありまして、二、三例を挙げますと、   1、多年訓練して来た優秀なる従業員は、米軍運営の下に漸次退職離散し、解除後は全く新規の人員を以て、開業せざるを得ない苦境に立ち至りました。   2、当ホテル接収永しと見て、他に二つの新ホテルが設立され、あらゆる点に於て、極端な立ち遅れとなり、営業上非常に不利な条件に追ひ込まれました。   3、斯様な営業喪失から起る、致命的な損害に就ては、何等補償されない次第であります。  最後に、繰返し申し上げますのは、   一、土地建物等一切の賃貸料が、余りにも低額であること。   二、営業喪失に対する補償に就て、閣議了解により規定されたる損失補償要綱の精神が尊重されず、適正なる補償が行わざれしこと。  の二点に就てでありまして、これの是正によって総ての問題が解決されるものと考えます。   何卒、この点特に御洞察賜り、営業再開が可能と相成るよう格別の御取計ひを請願する次第であります     …………………………………  昭和三十一年二月十日     株式会社 名古屋観光ホテル    名古屋観光ホテルが十箇年(自昭和二十年九月 至昭和三十年八月)に亘り接収されたために生じた損害金に就て  一、接収解除後の営業再開準備所要費(明細別記)       三六〇、六〇〇、〇〇〇円  一、接収期間に積立たる社内保留金   額(〃 )       (一)六〇、七〇〇、〇〇〇円  一、解除時に於ける調達庁算定補償金仮定額(一)六〇、〇〇〇、〇〇〇円  一、差引営業再開時に於ける営業準備所要費不足額       二三九、九〇〇、〇〇〇円     記  一、営業再開所要費に就て(昭和三十年九月調)   建物及び附帯設備等の原状回復費       二五六、〇〇〇、〇〇〇円   家具、敷物、カーテン等原状回復費        九五、〇〇〇、〇〇〇円   営業再開宣伝費(新大阪ホテルの場合は八百万円)         六、〇〇〇、〇〇〇円   開業準備期間中(ニケ月)の人件費(但し人員一五〇名一人平均一二、〇〇〇円一ケ月一八〇万円)         三、六〇〇、〇〇〇円   合 計 三六〇、六〇〇、〇〇〇円    現行の土地建物賃貸料に就て    (昭和三十年四月改定)  右坪当り使用料は一般貸ビルに比較し約三分の一相当額であるが、ホテルは貸ビルと左の点が著しく異り一層低額な次第である。   イ、室数が多く且つ全部の部屋に浴室、洗面所、便所等を備えるため建築費が高いこと。   口、各室に家具(寝台、応接セット等)敷物、カーテン等を備え、他に厨房設備、洗濯工場設備ホテル運営に必要なる一切のものを提供していること。   ハ、自動車パーキング用その他の土地が約一千坪あること。     …………………………………  昭和三十一年二月十日     株式会社 名古屋観光ホテル    名古屋観光ホテルの賃貸料等が適正に支払われなかったために生じた損害額に就て  一、接収されたホテルの土地建物賃貸料に就て    現 行   固定資産評価格により算定した賃貸料   名古屋市の固定資産評価格    土地  四四、四六八、〇七七円    建物 三三五、九一四、一一五円    償却    資産 (三二、二〇七、五三八円)   (但し残置物件を除く)    計  四一二、五八九、七三〇円    右の投資利廻 土地年五分 建物年七分 に固定    資産税額火災保険料、減価償却費を加えた現行賃貸料     年額 四一、九九三、九六四円     月額  三、四九九、四九七円     坪当り月額     九八五円    修正案   時価評価格に依り算定した賃貸料   銀行不動産部の評価した額    土地 一九〇、一四四、五〇〇円    建物 四二五、七八六、六〇〇円    償却資産(但し残置物件を除く)        三二、二〇七、五三八円    計  六四八、一三八、六三八円    右の投資利回を 土地年七分 建物年一割二分 として算出した賃貸料     年額 六八、二六九、四一一円     月額  五、六八九、一一七円     坪当り月額   一、六〇二円  右修正案に依る接収期間中(本館十年半 新館二年半)の賃貸料累計額       六一四、四三二、六三三円   接収期間中に交附を受けた賃貸料   (残置物件代を除く)総額       一四八、八七七、四七七円   差額  四六五、五五五、一五六円  二、ホテル営業休止のために生じた損害(営業権補償)に就て   現在の営業の仮定の場合の戦前実績から推定した売上高(昭和十九年度売上高七九一千円の三〇〇倍)    本館売上高       二三七、三〇〇、〇〇〇円    新館売上高(但し本館坪当り売上高に準じて算出)        七九、四〇〇、〇〇〇円    計  三二六、七〇〇、〇〇〇円   接収期間中(本館十年半 新館二年半)の売上累計額     二、六九〇、一五〇、〇〇〇円   右に対する償却後純利益(一五%)       四〇三、五二二、五〇〇円   接収期間中に交附を受けた営業見舞金総額 二六、八七五、五三二円    差額 三七六、六四六、九六八円  以上大体の数字上のことを申し上げたのでございますが、ただ数字ばかり並べたのでは、なかなかお聞きになってぴんとこないのではないかと思います。ホテル業というものがどういうものであるか、どのくらいの利潤があるかという比率の実際の問題がいろいろありますが、そういうことをあまりくどく申し上げるのは恐縮でございますけれども……。
  8. 濱野清吾

    濱野委員長 それらの点は直接私の方に必要はありませんから、問題になったときにおっしゃっていただきたいと思います。  以上をもって参考人各位の御意見の開陳は終りました。これより質疑があればこれを許します。早稻田さん。
  9. 早稻田柳右エ門

    ○早稻田小委員 ちょっとおくれて参りまして、参考人の方々の意向を十分に聞くことのできなかったのは残念ですが、大体今伺って現状の一端を知り得たわけです。それについて本日御出席の政府側の方々に一つ伺いたいと思います。その第一点は、先回の本委員会において、それぞれ外務省、調達庁から次の日米委員会に対処する決意のほどを伺ったわけです。私の方はそれに大きな期待をかけておるのですが、その後の交渉経過はどうなっておるか、外務省側並びに調達庁側から一応伺いたい。
  10. 大石孝章

    ○大石(孝)政府委員 先般の委員会のあとにおける米側に対する経過を簡単に申し上げます。四月二十四日、第九十回施設特別委員会におきまして、本委員会の決議を米側に伝えるとともに、米軍側は直ちに本ホテルを返還すべきものと日本政府は考えるので、すみやかに、この返還日を回答せられたいという旨の強硬な折衝をいたしました。この日本側の議長からの要請に対して、米側の議長から、空軍司令部と連絡してすみやかに要望に沿うよう回答いたします。次に四月二十五日から二十七日までの間、丸山調達庁長官代理は、空軍司令部参謀長と会見しまして従前の折衝を繰り返し、なお第九十回の施設特別委員会から米軍内部で連絡があったものと思うが、その旨をはっきりしてもらいたい。それに対して空軍参謀長から、本件は空軍司令官みずから第五空軍司令官と協議して処置すること、並びにこれが解決のために代替施設として、旧海軍人事部の建物と水交社の建物の利用についても、十分な検討を加えるという旨を回答いたしたようでございます。その次に、四月下旬から五月上旬にわたりまして、調達庁の実務の担当官が空軍側の司令部の担当官と、守山施設と前申し上げました海軍人事部及び水交社の建物、それから観光ホテル関係について実際的な計画の折衝を重ねました。次に五月八日の第九十一回施設特別委員会において丸山長官代理から、先般の委員会に対して要請した回答方を督促いたしました。それに対して米側の議長から、近日中に何らかの回答をすべき旨の回答がありました。次に五月十七日、日米合同委員会におきまして、その委員会の終った後に丸山長官代理は、外務省欧米局長と一緒に空軍の参謀長と折衝いたしたような次第であります。  折衝の経過は以上のようでございます。なおその後も実務担当官が司令部に参りましていろいろ折衝したほかに、五月二十二日、空軍の関係並びに施設特別委員会の米側議長とこの問題でいろいろ協議いたしております。
  11. 早稻田柳右エ門

    ○早稻田小委員 今のお答えを伺いますと、四月三十日から数次にわたって交渉をしておられる。その労苦は多といたしますが、しかしただ交渉したということだけで、何らわれわれが了承するに足る回答がないわけです。先ほどの参考人の説によると、四月に返すはずだ、それが返らない。それから今度は六月に返すらしいというようなお説もあったわけなんでございますが、一体政府側としての見通しはどんなふうになっておるか、もっとざっくばらんに核心をついたお答えをいただきたい。
  12. 大石孝章

    ○大石(孝)政府委員 前の委員会でもいろいろ申し上げましたように、またただいまも折衝の経過について申し上げましたように、いろいろ努力いたしたわけで、また今後もするわけでございますが、しかし現在ざっくばらんに申し上げられることは、私ども調達庁の者といたしましては、その回答そのものは決して満足のいくものでないと判断いたしまして、なおこの問題の満足のいく結論を得るように努力したいと思っております。
  13. 早稻田柳右エ門

    ○早稻田小委員 前の委員会においても同僚青野委員からるる政府の腰の弱さ、交渉の拙劣さを指摘しておられるのだが、今の回答を伺うとわれわれもそう言わざるを得なくなる。一体いつごろ返しそうだという見通しでありますか。見通しつきませんか。
  14. 大石孝章

    ○大石(孝)政府委員 現在の見通しとしては、皆さんのお考えになっておるように非常に不満足な見通しでありまして、ただいま参考人からもいろいろお話のありましたように、何としても早期に返すようにもうちょっと努力をしなくちゃいかぬだろうと思っております。
  15. 早稻田柳右エ門

    ○早稻田小委員 それでは一体米側はどういう理由でそんなに占有されておるか、なぜ返し得ないか、こういう点をいずれ委員会においては申し述べておると思いますが、その点を伺いたい。
  16. 大石孝章

    ○大石(孝)政府委員 米側の理由といたしましては、はっきり申し上げますと、昭和二十七年当時に日本政府と米側との間に合意された移転計画そのものが十分でない、従ってこの問題にひっかかりがあってそれが達成できないという点が重要な点のように考えます。
  17. 早稻田柳右エ門

    ○早稻田小委員 米軍が移転計画にそごがあるということなんですが、守山施設はいずれ米軍の意向に従って作られたものと私どもは思う。それが気に入らぬということになれば、これは当然政府の責任である、政府は気に入るように作ってやらなければならぬと思いますが、そういう点に対してどうお考えになりますか。
  18. 大石孝章

    ○大石(孝)政府委員 ただいまの移転計画の問題に関連があるということは、気に入るとかなんとかの問題ではなくて、私どもも若干推測はできるのではありますが、二十七年当初の名古屋におきます第五空軍の状況とその後の状況とだいぶ変化がありまして、それに正確に合ったような数量ではないということは判断できる次第でございます。しかしながらこれにただいま御指摘もありましたように、日米間で合意を見てやっておることでございますので、やはりこの計画に沿って、一方の計画が完成すれば、その計画に合ったような移転を進めるというのが筋のように存じております。
  19. 早稻田柳右エ門

    ○早稻田小委員 日米間で合意を得、やっておるとすれば、そごが生ずる理由はないと私どもは思う、要するにそういうことはただ口実だけであって、先ほど参考人の言われたように、ねばればねばるだけ延期ができる。これはクラブ活動に都合がいいから存続しておきたい、あるいは家族の遊び場に存続しておきたいというような考え方で遷延しておるものとしか思えない。もしかりに今大石さんの言うような理由があるにしても、契約契約である。契約をいたずらに遷延するのはけしからぬと私どもは思っております。従って政府がもっと腰を据えて——強硬にやっておるとはおっしゃるけれども、まだほかに手の打ちようがあるのであります。そしてこれはすみやかに解除さすべきであると思いますが、今後こんなことでずるずるしておれば、日本側はますますなめられてしまうと思う。先般も申し上げたように、これは一つ舞台を変えて——この委員会が窓口だというので、窓口だけにたよっておることではなしに、政府の大きな問題として取り上げ、あるいは大使館なり米政府なりに直接に交渉さすべきが妥当ではないか。そういう点に対しては大石さんに聞くのはどうかと思いますが、調達庁あるいは外務省はそういう点に触れたことがあるか。どうですか、そういう相談をしたことがありますか。このままでいいという考え方なのか。この点を聞いてみたい。
  20. 濱野清吾

    濱野委員長 きょうは欧米局長はおいでになりません。欧米局長を呼んでおったのですけれども、外務省から安川第二課長が来ておりますから、安川第二課長に発言を許します。
  21. 安川壯

    ○安川説明員 ただいまの御質問にお答え申し上げます。はっきりした日取りはただいま記憶しておりませんが、いずれにしましてもこの前の委員会がここでございました後、間もなくだったと記憶しておりますが、外務省といたしましてもこの問題をこのまま放置しておくことはできないということで、外務大臣にもよく事情を説明いたしましたところが、外務大臣もこれはほっておけないということで、日にちは覚えておりませんが、直接アリソン大使に対して本件について注意を喚起いたしまして、早急に返還するように特別にアリソン大使の努力を強く要請したということを聞いております。その結果であるかどうかは承知いたしておりませんが、私の方の欧米局長がその後も空軍と調達庁と並行して話し合いをしましたところによりますと、極東空軍としましてはこれを早期に返還すべきだということについては、何ら疑いを差しはさむ余地がないという返答を得ております。その結果、特に空軍の司令官からも、現地司令官に対して、これは早急に返還するように措置をとれという訓令が出ておるように聞いております。しかしその結果いつ返還になるかという見通しについては、ただいま大石部長からもお答えがありましたように、決してわれわれの満足するような回答は得ておりません。この点については今後もさらに努力をいたさなければならぬと思っておりますが、いずれにしましても、そこまで政府も向うに対して交渉を重ねました結果、いつ返るかという見通しについては、ただいまはっきり申し上げられないのはまことに遺憾でございますが、従来のように四月、六月、それがさらにずるずると今後いつまでも延びることにならないということだけははっきり申し上げられます。それ以上に、あるいは六月に返るか七月に返るかということまでは、残念ながら今の事態でははっきり申し上げられないというのが実情であります。
  22. 早稻田柳右エ門

    ○早稻田小委員 他の委員の方からの御質疑もあると思いますので、もう一点だけ伺っておきたいと思います。今欧米局の安川課長からの話だと、はっきりいつということは限定できない、こうおっしゃるのですが、問題はとにかくいつという日にちを切らせることが一番肝要だと思います。そこで次の機会に、委員会で、そういう日にちを切らせる、はっきり六月なら六月にきっと返すということを確言さしてもらいたいと思います。それについては、皆さんの御努力もよくわかりますが、これはどうも外務大臣初め首脳部はほうっておるように思う。そこで一つ委員長に御配慮をわずらわしたいのは、一ぺん外務大臣を呼んでもらいたい、そして外務大臣に直接われわれからも要望しますし、また委員長からもぜひ一つ言ってもらいたいと思います。そして一日も早くいつ返すという日にちをはっきり確言させるように御努力を願いたいということを要請して、一応私の質問を打ち切ります。
  23. 濱野清吾

    濱野委員長 議事進行上必要なんですが、五月十七日に欧米局長が相手方に折衝しておるわけですね。この内容について安川第二課長はわかりませんか。わかりましたらここで御発言を願います。
  24. 安川壯

    ○安川説明員 私自身そのときの詳しい話は欧米局長から聞いておりません。きょうも参りますときに確かめようと思ったのでありますが、連絡がとれませんで、そのまま参りました。詳しく承知しておりません。
  25. 濱野清吾

    濱野委員 ちょっと速記をとめて。   〔速記中止〕
  26. 濱野清吾

    濱野委員長 速記を始めて。  次の適当の機会を作りましてこの問題を継続することにいたします。しこうしてその場合は外務大臣、倉石労働大臣今井調達庁長官、この主君を招致してこの問題の処理に入りたいと思います。  参考人の方々にはお忙しいところまことにありがとうございました。  本日はこの程度で散会いたします。    午後零時十二分散会