○
青野小
委員 今
千葉さんから
お話がございましたので、ちょっと順序が違いますけれ
ども、私関連して
質問さしていただきます。これは
調達庁が主として御
交渉になったと思いますが、一月の二十七日に私
どもは
名古屋に参りまして、二十八日に守山の第五
空軍司令部に参りましたと遂に、御案内をしていただく人から聞いたので、これはたしか
運輸委員会で、
大石さんに私は御
質問して
お答えを願ったと思うのです。というのは、まあ七分
通りか八分
通り司令部の建物は——
調達庁と
交渉の結果、ある程度の予算を保証してくれ、
司令部の建物を予算外に、別個に建ててくれる承認をすれば、直ちに移転を始める。これが代替条件で、
調達庁の方は先方に予算を差し上げたということを承わりましたから、私はその次の
運輸委員会で御
質問して、確かにその
通りでありますということを、これは
会議録を見ればわかりますが、承わっておる。そこで二十八日に、今御
質問いたしました
畠山さんとそれからもう一人
運輸委員会の理事の木村俊夫君と三人で、その他
関係者大ぜい守山の第五
空軍司令部に参りまして、その
司令部の付属建物の建築中の状態も見て参りました。そのときに
向うさんの
お話を十分聞くこともできましたが、何さま話がとんちん
かんの場合もありました。ただ国会を
代表して、国民の
代表の議員が来て見せないわけにはいかない。軍の機密に属しておるところを見せろというのではなく、問題は
名古屋観光ホテルの代替
施設が完了しておるかどうかということを見ればいい。こういうことで、私
どもは
関係者の諸君の御案内で見て参りました。
畠山さんや私が、いろいろ副
司令官の人にお目にかかって
お話をしました。最後には、気の毒にがたがたふるえて、コーヒーをすすめすすめ、右の手も左の手もがたがたふるえて、そうして多少ふるえ声で、お説ごもっとでございますから、代替
施設もできていることであり、急速にお返しするつもりでありますという話を、そのときもされたのです。これは商工
会議所の
代表も行っており、市
役所、県庁の
代表、陸運局長、海運局長、交通公社あるいは国鉄
関係者、
観光事業に関するいろいろな団体の人が一緒に行って、全部の人が承わって帰っている。ところが最近、その
司令部の建物が建て上るのじゃなくて、予算をくれればそれをきっかけにして移転を完了するということが、いまだに実行されないということなら、百枚の契約書を取りかわしておいても、第五
空軍司令官あたりを相手にしておってはできないから、あなた方の出方によっては、私は社会党所属の議員ですが、ワシントン
政府を相手にして、直接
交渉をやらなければこれは片づかない、はなはだ失礼な言い分でありますが、私
どもはそう思う。先月の十八日にダレス長官がおいでになって、十九日に総理官邸で鳩山さん
あたりとお会いになったが、翌日の新聞を見ると、両院議員の満場一致の
決議で、原水爆実験を太平洋のビキニ環礁でやってくれるな、こういう真心のこもった
決議をした、それに対するダレス長官の
意見が出ておりました。それは二年前に私
どもはワシントンに、今防衛庁長官をしている船田中氏、あるいは田中龍夫氏、元山口県知事をし、今自民党の代議士で、有名な田中義一大将の長男です。そういう人々と大使館の諸君とワシントン
政府に行って、まだ久保山さんは死んでおらなかったときですが、マーシャル群島のビキニ環礁で何のために原水爆実験をやるのだ。ワシントンの港かあるいはサンフランシスコ近海でやるならともかく、世界の公海のマーシャル群島までこそこそ出てきて、
日本に向って十五メートルの台風が吹いているときに、何のために原水爆実験をするのだ。
日本の民族は広島でやられ、長崎でやられ、そしてあなた方の原水爆実験によってまた三回目の打撃を受けている。こういうことはおやめなさい。こう言ってダレス長官の代理で、極東経済調整局長官ボールドウインに抗議を行なった。そのときには、競争相手であるソ連が実験しており、製造しているから、
アメリカとしては国策上実験を中止するわけにいかないが、これからは万全の対策を準備して、
日本の人に迷惑をかけない方針であるという答弁を承わった。それはちょうど先月の十九日に、総理官邸で鳩山さんやあるいは岸さん
あたりが、ダレス長官にお目にかかって
お話をしたその回答とほとんど同じなんです。そのように、とにかくはっきりすれば問題は
あとへ残りません。われわれが要求して、衆議院も参議院も満場一致の
決議で、原水爆の実験を太平洋まで出てきてしてもらっては困るということに対して、しかしやはり武力を背景にする平和態勢をとっている
アメリカとしては、それはせっかくだが御希望に沿うわけにいかないという点はわかるのです。そのように、代替
施設はできているが、諸般の
事情でどうしてもここしばらくは移転ができないというならわかるのですよ。どういう
事情か、それを調べればわかる。あしたにも、四、五日うちにも移転するようなことを回答しておいて、そしてじんぜんと日を送っているのは、私は誠意がないと思う。だから話がつかなければ——あなた方の失態とは私は申しませんけれ
ども、
努力の足らない点も多少あろうし、
アメリカの第五
空軍の
関係者の諸君に誠意がないということになれば、ワシントン
政府を相手にして、少くとも衆参の
運輸委員会が中心になって
交渉を始めなければ、これはどうしてもらちがあかない、解決がつかない、こう思っている。だからこの間あなた方のところに、満場一致
運輸委員会で決定いたしました
決議文を御送付いたしましたが、具体的に
名古屋観光ホテルは
接収されて、妥当な家賃が払われておるかどうか。
ホテル側の諸君から聞いてみますと、立ちのかれた
あとさっそく困るのは修繕費だという。
大蔵省として二億九千九百万円を見積りしておりますが、妥当な見積りができたらそれを全額払ってやる
意思がありますか。おそらく私は全額払ってくれるとは思いません。十年間さんざん土足で荒して——ちょっと
日本に類例のないような、おそらく帝国
ホテル以外は使っておりますまい。機械織のじゅうたんじゃない、相当綿密な手織のじゅうたんでありまして、それが泥ぐつで踏みつけられて、これだけでも莫大な金です、少くとも三億円。あるいは
米軍諸君のやり方によって水道の損害、ちょっと天井が焦げたり、雨漏りがしたり、一部屋は火事があった、そういうものはそこ一尺か二尺の焦げているところをペンキを塗っておいて修繕というわけにはいかない。やはり部屋全体の調和をとるためには、塗らないでいいところの壁も塗らなければならない、あるいは装飾も全部
一つの部屋として一致したりっぱな、
外人の好むような
設備をするには相当な金がかかる、局部的な修繕というわけにはいかない。
私
どもが行きましたのは一月の末でありましたが、今日はどうかと申しますと、大体私の調べた範囲では、
観光ホテルに宿泊しておる軍人は一月十日でたしか百四十九名、百五十名に足りなかった。ところが五日たって一月の十五日、ことしですが、その日に守山第五
空軍司令部へ転出した人が五十三名あった。百四十九名のうち五十三名が命令があって
ホテルから出ていって守山の方にかわられた。そしてその一月十五日は差引九十六名が
ホテルを使用しておった。その後今の
名古屋観光ホテルをその九十六名が使用しておる。そんなわけで、これを使用する理由がかいもくないではないかと私
どもが突っ込みますと、今にも戻すように言った
司令官諸君は答弁に苦しんで、口をもぐもぐして、
ほんとうに手をふるわしておる。これは私が言うのではない、全員の諸君、二十四、五名が行きましたがみな認めておる。それくらい窮地に立っておって、そして早急に
皆さんの御期待に沿うように転出をいたしたいと言う。ところが最近はどうかと申しますと、この
名古屋の
観光ホテルに病院
関係の将校がさらに四十名また別に入ったのです。五十三名出て四十名また入った。そして女の教師が別に二十八名ここに入っている。そしていかにも
関係者、われわれ
日本人には宿舎が不足しているから、不自由を忍んで
観光ホテルを使っているのだというように言っておりますけれ
ども、この人たちがおった今までの
日本の宿舎はあけたままになっている。守山
空軍司令部には婦人の宿舎が現在ある。それは
大石さん御存じのはずです。完成したときには婦人の宿舎は特別に作ってあるはずです。そういう連中までそこを使わずにあき家のようにしておいて、
名古屋の
観光ホテルに入っている。病院
関係の将校が四十名、女の教師、学校の
先生か何かなんでしょう、女教師と書いてあるがそれが二十八名。五十三名出て六十八名また入ってきた。こういうことは幾ら戦争に負けたからといっても、
日本人である限りは正義を愛するはずなんです。こういうことはどこから計算をしても不当であることに間違いない。今にもあけるようなことを言って、そして現在、宿舎をあき家にしておいて婦人が
ホテルに渡ってくる。
ホテルは便利がいいですよ。飯を食ったりパーティをやったり、月に一回やったら相当な金が要る。将校諸君が金を出し合う。兵舎の方なら月一ぺんのところを、
名古屋の
観光ホテルを利用すると四回くらい山海の珍味のごちそうが食える。
名古屋の
観光ホテルになると、命令一下
ホテルの
関係者でもコックでもその
通りにして非常に値段が安い。そこにも
一つの理由があるのです。現在の守山の宿舎は、
不動産部長の
大石さんもよく御存じだと思いますが、部屋が二百六十一あります。そのうち休憩室が二十七部屋ある。どういう部屋か知りませんが個室が十八部屋ある。だから二百六十一部屋から休憩室の二十七部屋を差し引いて十八部屋を引きますと、実際は二百十六の部屋があるわけです。二百十六部屋を百八名の将校が使っているのです。ちょうど二部屋を一人で使っている。ここらからあなたが腰をかけておられる
あたりの長方形の部屋が
一つ、寝台が据えてある。隣はわれわれ議員の応接室よりはもう少し広いかあるいは同じくらいだと思います。それが二部屋続いてドア
一つで行ったり来たりできる。一人の将校が一部屋を使うということで予算を組み、その目的で建築をしておいて、現在百八名で二百十六部屋、一人で二部屋使っているのです。一人一室が原則になって建築が進められ、予算が決定しているのに、一人で二部屋使っている。
あとに残っている九十六名に四十名ふえ、二十八名ふえているが、
ホテルを利用している者はそう大したものではない。この連中を全部連れてきたって部屋は実際余るのですよ。こういうところを私
どもは追及したが、最近ちょっと情勢が変ったからお耳に入れておくのです。
こういうことをせんじ詰めますと、第五
空軍司令部の幹部諸君に誠意がないということなのです。だから
交渉の担当者である
調達庁その他の人々がてこずったり、あるいは
交渉が遅々として進まない点も十分わかるのですけれ
ども——幾ら頭の悪い人間でも、自分の子供は適当な
方法で教育しなければならない、他人とけんかをしない、迷惑をかけない、人の金を取ることはできない、親の言うことはよく聞くように、普通の子供よりはばかだと思われている子供でも、自分の子供であればやはり適当な教育をするのです。相手が手ごわい、誠意を持たない、
約束を実行しないという人でも、
交渉のやり方によっては私は効果を上げることができると思う。ましてや
名古屋には有力な
ホテルがないために、この間も二百名も三百名もの外国人が
名古屋をねらってきたのでありますが、京都へ素
通りされました。少くとも二百四、五十万トン、三百万トンあるいは五百万トンに近い品物が
名古屋港から輸出貿易の
関係で出ているのです。それが陸上に
ホテルがないばかりに、
名古屋の諸君は貿易上莫大な損害をしているのです。しかも都市
計画が大きな障害になっている。
名古屋の繁華街の中心に
アメリカ村ができ上っている。これはどういうわけなのです。大体建てるときに
調達庁の人々は、少くとも
東京の八百数十万の人口に匹敵するような
日本の中心都会が、とにかく海の方は別として、山から西、東に広がって一千万の人口の大都会でもできるときに、どうしてこういう都会のまん中に、
アメリカの派手な住宅をばらばらと建てるのか。これはさあのけろといってみたってなかなかのけない。これは県庁も困っておれば市
役所も困っておる。われわれが見ても不当だ。道路の
計画にしても家を移転するにしても、都市
計画が全然行き詰まってできない。こういう点も次の問題に移ってくるし、おそらくB52というようなジェット爆撃機がもし小牧の飛行場を活用することになれば、飛行場の大拡張工事も行われる。滑走路を三倍、里程にして約一里の長さに拡張する。そのときにはまた
名古屋の人たちは産業上どんな打撃を受けるか。いざ一朝事あるときにはどうなるか。いきなり
名古屋に向けて爆弾が向けられる。普通の爆弾ではない。原子爆弾、水素爆弾でやられるということは、
名古屋の市民にとっては忍びがたいことです。こういうことを手っとり早くいえば、これは全国にたくさんありますけれ
ども、こういうことを解決するためには自分たちの面子、ああいうことを言えばこうなる、こういうことを言えば
アメリカの軍隊ににらまれる、一週間に一回なり、月に十回なり、
向うさんのパーティに招待を受けてかたいことを一口も言えない、動きがとれない、ということはないでしょうけれ
ども、私たちが行っても
ホテルにおる人は、どうぞ用意してありますから、どうぞどうぞと言われるが、私は一ぺんにはね返した。
向うに行けばコーヒーとお菓子を持ってきて、さあ一時間ばかりでもいいから全員いすに腰かけて、お菓子でも食べて下さい。そういうことも私
どもははね返して帰ってきた。こういう因縁、情実をかりに作られると、なかなかこういうむずかしい問題解決のためには、腹では誠意を持って解決しようと思っておっても、事実上できない。そういうことが
アメリカ人特有の性格であり、特に
日本に来ている
アメリカの軍人さんは、とにかくお追従家で、町芸者で、大鼓持ちのような性格を持っておる。言うたことはやらない。女のしりを追っかけることはさかりのついた男犬みたいにしてやりますけれ
ども、しかし
約束したことを平気でやりっぱなしにしていく。
日本に子供を生みつけておいて、どんどん自分の娘や親のところ、あるいは奥さんのところに、帰っていく、
アメリカの落し子がどれだけおりますか。そういうもののめんどうを見ないから、一時婦人の代議士が三十五、六名おったのがみんなばらばらと落された。この問題も重大です。そういう無
責任な性格を
アメリカ人は持っておる。そういうことを頭に置いて
交渉しないと、同じ
日本人同士が話し合うように簡単にはいかないのです。
私が
千葉さんにお尋ね申し上げたいのは、もしおそまきながら
アメリカ軍の好意で急速に移転が完了するような事態になりますれば、大体十年間二束三文と申しますと語弊がありまするが、あまりそう高い家賃で借りておるとは私
ども常識的にみなされぬ。そういうものをも含んで昔の形の
ホテルに改造するには、
関係者は一口に三億円程度要ると言っておる。迷惑をかけて、安い家賃で借り上げて、そうして出ていってしまった
あとは、ともかく踏み荒されてしまって、修繕費に莫大なものが要る。そうすると
ホテル経営をしておっても、従業員に給料を払って、一部の税金を払って、借りた金利のために
ホテルの営業が成り立たないという状態になると、これはやはり
政府が補償してやらなければ、どこも補償してくれるところはありません。戦争に
関係のない広島、長崎に原子爆弾を落して二十三万七千名殺した、長崎は七万名殺したが、
政府から一銭でも金が出ましたか。
アメリカの兵隊は、戦争に
関係のない国民には危害を加えぬといって、原子爆弾で二十三万七千人と七万人殺したじゃないか。
アメリカが弔慰金、見舞金を一銭でも出したか。こういうことを考えると、
ホテルはなるほどわれわれの要求
通り出た。守山の第五
空軍司令部に移転してしまった
あとはどうなるのですか。これを今から
大蔵省の人たちは
一つ頭の中に入れておいてもらいたい。そのときは
調達庁の人とで十分です。事前に打ち合せをして、これ以上の迷惑をかけないという方針で進んでいかれるのが当然だと私は思います。これを
一つお伺いしておきます。
それから今申しましたように、その後病院
関係の将校が四十名、女教師が二十八名、合計六十八名入って
ホテルを利用しておるというこの事実、これだけを見ても誠意がない。それからちょうどそこにあります専門員室の建物よりもう少し長いでしょう。あれくらいの建物で二階建です。もう少し高さが高よように思っておりますが、それが予算を
調達庁がお出しになるのか、
大蔵省からお出しになるのか知りませんが、ともかく
調達庁を通じてお出しになった。この
交渉の結果、その予算をくれれば
名古屋の
観光ホテルはすぐ撤去しよう、
接収解除しよう。ところがもうおそらくでき上っておるのです。一月の末には八分
通りでき上っておったのですから、今ごろはでき上っておるのが常識でございましょう。そうしてその
約束も実行しない。われわれに対して答弁したものも実行しない。あなた方が
現地の調達局長を通じていろいろな
折衝しておっても、やはり回答が同じです。そうして昭和二十七年であったか八年であったか、今書類を持っておりませんからよく記憶いたしませんが、大体昭和二十七年、それから去年の暮れまでに前後十三回の請願書が出ておる。商工
会議所の会頭の名前、県知事の名前、市長の名前で、あるいは
ホテル関係の
責任者の名前で請願書を出しておる。そうすると代替
施設ができ上ったときには直ちに移転の完了をいたしますという公文書が来ております。私は行って調べてきた。十三回のうち十回くらいまではずっと同じような
内容で来ておる。名前も立場も、請願した人は違いますよ。市
役所を
代表したり、あるいは
ホテルを
代表したり、あるいは商工
会議所を
代表した人がその請願書を出しておる。ところが去年の暮れごろになって、秋ごろにはもう代替
施設ができ上っておるのに、暮れごろになったらどう言ったか。こういうものを持ってきてもらっては困るから、日米
合同委員会にこの書類は提出するのが当然だといってはね返してしまったのです。十三回出したうちに二回ないし三回はね返して突き戻したのです。これもいかに誠意がないかということがわかる。それであったら前のものを九回も十回も何のために——代替
施設ができたらいつでも移転いたします、あなた方の御期待に沿うように私
どもも
努力しますという弁答をしなければいい。こういう点を考えると、私
どもはもう少し
努力をして、これはもう
名古屋の
観光ホテルだけの
接収解除の問題ではなくして、
名古屋を含む
名古屋地方の産業の将来の発展からいきましても、貿易の面からいきましても、とにかく重大な影響力を持っておる。
外人というのは
日本の旅館にはなかなか泊らない。よほどのことでなければ泊らないのですから、やはり
名古屋観光ホテルのように、一部屋に必ず便所その他の
設備が完備しておる、こういうものは
名古屋の産業の将来の発展のために
接収解除を一日も早く実現して、そうして
外人とのいろいろな貿易上の取引とか、あるいはいろいろな
名古屋それ
自体の利益のために大きい見地に立って、
日本の中心の大都会、そこに住んでおる市民と市の発展のために、産業の発展のために、この
ホテルは早く
解除してやらなければならぬという観点に立って御
努力していただければ、今の状態のように八方ふさがりにならなかったのではないかと考えます。こういう点についてちょうど
次長がおいでになっておりまするので、こういうような事実もあるがということの御回答を願いたいと思います。
それから
あと山王
ホテル、軍人会館、第一
ホテル、
名古屋ホテルの
解除の件については——
名古屋の
観光ホテルについては
調達庁はおきらいになって、それは困るといっておるそうでありますけれ
ども、かまうことはないから、三月三十一日にお貸しすることは期限が切れたので、四月一日から私の方で使いますからお断わりいたしますとおやりなさい。私
どもが相手になってあげましょう。おもしろいじゃないか。原子爆弾でも飛行機でも高射砲でも持ってこい、こういう調子で
一つかかりなさい。
政府と
政府が行政協定を結んだからといって、
日本国民はその行政協定によって、個人あるいは会社の所有する民法上の権利を剥奪せられるということはありません。私が三十年間師事して、私の
先生として尊敬をしてきた松本治一郎氏は、福岡の板付飛行場のどまん中に四千四百坪の土地を持っておる。その松本治一郎初め四人が持っておる四千四百坪の土地を、彼らは無断で使っていたのだ。裁判をやったのです。第一審が御承知の
通りでしょう。
米軍は直ちにこれを
明け渡して、松本その他の諸君の原告にこれを返せ。私は言うたのです。金はかかります。訴訟費用も相当要ったのですが、
一つ飛行場のまん中に橋をかけて、私たちの土地に行きましょうや。
日本の裁判官にも骨のある人がおります。
日本の国がどういう状態に置かれておるかということを知っておりながら、やはり個人の所有権というものを尊重して、第一審を通じてとにかく
日本の
政府は——
米軍は間接的になりますが、
日本政府はこの土地を松本治一郎そのほか三人にすぐに土地を
返還すべしという判決が下ったことは御承知の
通りでしょう。新聞にも全国的に大大的に掲載された。このようにかなり無理なことが行われてきた。この問題についてもそうです。
ホテル側がもうお貸ししないというものを、——個人の所有権をだれが一体どういう法律で縛るのです。私
どもは
日本の自衛隊全部が向ってきて、高射砲だ、鉄砲だ、大砲だ、ピストルだと来てもびくともしません。私の持っておる家屋なら、
接収は国家が相手でも断じてさせません。もうこりごりだから、期限が切れたからお貸しすることができないというのが
ホテル側の
意見です。私はよろしい、おやりなさい、
調達庁がいやがっても、
政府側がきげんが悪くなってもかまわないでおやりなさい。あなた方が苦心して作った
ホテルです。改装費その他は公費で、国民の納得する範囲ならあるいは補償してくれるでしょう。こう言って私は力づけておきました。こういう点についてもどのような対策あるいは具体的なお考えを持っておるかということを、
質問にしては長い
お話をしましたが、
一つ承わっておきたい。