○
青野小
委員 そこでこういうものを一方的におきめなさって、
ホテル側に押しつけておる、大体
東京都内でも
外人の
ホテルというものは余っておるとはわれわれにも認められません。そこで
ホテル経営者としては、当然三十一年度の
契約をお断わりする、
収用はお断わりする。これぐらいな
程度の
家賃その他の借り賃では大体
収支が償わない、
経営者も困るからという立場から、こういう
訴訟が起ったと思います。話を転じて
名古屋に持って参りますると、
部長も御
答弁のときにおっしゃったように、すでに
守山の第五
空軍司令部には
代替施設ができ上っておる。とにかく
米軍側に
誠意があれば、一週間か十日間の猶余
期間があれば、百五十人や百八十人の利用しておる
将校の
移転ぐらいはすぐにでき上るはずです。あまり大きい
部屋ではございませんが、私
どもはちょっと見ただけですが、この机から
向うまでくらいの
部屋が二つある。それを一人で二
部屋を使わしておるということが大体不合理なんです。私
どもが
現地に行って聞くところによれば、これは自民党の人々もおいで下さって、
名古屋の
商工会議所、市役所、県庁あるいは
交通公社、
陸運局、
海運局等がみんな
立ち会って、
空軍司令部に行って、主として私が
いろいろ話をしたのですが、とにかく
将校の
部屋は完全にでき上っておる。そこで
将校一人について一
部屋ということが原則になって建築が始められて、実際はでき上っておる。実際は一人の
将校炉二
部屋を利用しておるということです。
米軍側に
誠意があれば、
接収を直ちに
解除して、一週間か十日の日限があれば
移転ができると思う。それがひいては
名古屋の
産業に大きな影響を来たしておる。一年間に港湾を通じて六百万トンぐらいな品物が輸出入として取引されておるときに、外国と貿易上のいろいろな話があるけれ
ども、
外人が
名古屋にはわれわれの泊る
ホテルがない、そういう点で不自由するから、せっかく商売はよくわかるけれ
ども、今回は
一つお断わりしましょうと言ってそっぽを向かれることが多いので、この
名古屋の将来
産業上の発展に大きな
支障を来たしておるという点、単なる一
観光ホテルの
接収解除の問題ではない。
守山の第五
空軍の
司令部に
将校の
宿舎ができ上っておるということは、拒むことのできない事実なんです。
日本の
政府に、
調達庁の方に腰があれば押していって
解決のつかない問題じゃない。現に私
どもが
関係者と一緒に二、三十人参りまして
交渉すると、副
司令官の六十ぐらいの年配の人がいろいろ
説明をするうちに、コーヒーを飲んでいる手ががたがたふるえて
答弁しておる。その
内容はどうかというと、ご
もっともです、とにかくいろいろ御迷惑をかけて済みませんし、
産業上非常に悪影響を来たしておることもよく
承知しておりますから、一日も早く
移転を完了して、
ホテルを
経営者側にお戻しするつもりでございますという
答弁をしているのです。そういうふうなことをはっきり話しておって、なおかつ
米軍が
理由のないのに
ホテルを
接収して、これを
使用させておるということですね。そういう点を考えると、やはり
文書による
契約、
明け渡しについての
米軍側の意向というものが
文書の上に現われてこなければ、私
どもは都合によったら
現地の
空軍司令官だとか
名古屋空軍司令官、そういうものを
相手にしないで、
ワシントンの
政府を
相手にしてそういうものをとらえて、堂々と
政府が外交上の問題にして、不当なる
接収をしておる場合はこれを
解除してもらう、
移転のできるものはどんどん
移転してもらう。
全国にたくさんあるこの
接収家屋とか土地とか、たとえば
小牧飛行場の
拡張であるとか、特に
名古屋のごときは二十ばかり
接収されておる。こういうところまできてもなおかつ
解除をしないということは、私
どもは
理由がないと思う。ましていわんや、
名古屋の
大都市計画の上に大きな
支障を来たしておるものは、あの
アメリカ村と俗にいっておる、
アメリカの
一つの部落がある。いわゆる
将校用の住宅が
名古屋のまん中に建っておる。これをのけてもらわなければ、これらの
代替施設をこしらえて、どこかに
移転してもらわなければ、大事な
名古屋の百年の大計を立てる
都市計画というものが全然成り立たぬ。非常にむずかしい問題ではあるが、これは
移転を完了してもらわなければ、
名古屋の
都市の
整備も、
都市計画もできない状態であるということが、この次の問題になってくる。
名古屋の
観光ホテルが
接収されておるのを、もう
移転のできる時期になっておるのを、
移転をしないというくらいのことで
政府が手こずっておれば、次々にこういう
事態が起ってくる。また大事な問題がある。
アメリカ村の
立ちのきを要求して、そして必要あれば
日米の条約によって、
行政協定その他の問題によって、
代替施設を作らなければいかぬ場合もありましょうし、地元の
反対があれば、
小牧の
飛行場の
拡張ができない場合もありましょう。いろいろ問題があるのですが、大体
解決の一歩手前までその時期が到達しておるときに、まだ遅々として進まない。
現地に行ったのがたしか一月の末でした。まだ
東京に帰ってこないときに、緒方さんが急になくなったということを私は朝新聞を見て驚いたのですが、一月の末だったと記憶いたします。この問題については
ホテル側にも
相当の損害を与えておる。また
東京の
第一ホテルもその
通り、
代替施設ができるならば
軍人会館の
返還も要求しなければいかぬ。
山王ホテルは国の
所有であっても、これもやはり
立ちのいてもらわなければならぬということで、いろいろの問題がたくさん残っておりますから、手っ取り早い
解決のつくものはぐっと一腰入れて
解決ができるように、
一つ最善の
努力をしてもらいたいと私は考えますが、こういう点についてどうしてもこれから先の問題で
代替施設でも作ろうとする場合は、その
契約の
内容を
文書によって取りかわしておく。それでもなおかつ
現地の
司令部とか、あるいは
軍関係の
最高幹部が、いろいろな口実を設けて
立ちのかざる場合は、それは
外務大臣をして、
日本政府が
ワシントン政府を
相手にして話をするということになれば、やはり話は私は
解決がつくと思う。
ただ口の先だけで
代替施設ができたらすぐに
移転を完了いたしますといって殊勝らしく、ちょうど法廷に引き出された
凶悪犯人が、とにかく裁判官の前でぺこぺこ頭を下げるようなことをいっておるが、あくる日は舌を出して
相手にしないという
やり方です。一筋なわでは
相手はいかないのですから、
一つ腰を入れてやってもらいたい。そのためにはやはり
交換文書をぜひ
政府側にとっておく必要があると思いますが、その点はどうでしょうか。