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1956-02-27 第24回国会 衆議院 運輸委員会観光に関する小委員会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    本小委員昭和三十一年二月十七日(金曜日)委 員長指名で次の通り選任された。       生田 宏一君    臼井 莊一君       岡崎 英城君    木村 俊夫君       中嶋 太郎君    畠山 鶴吉君       濱野 清吾君    堀内 一雄君       眞鍋 儀十君  早稻田柳右エ門君       青野 武一君    井岡 大治君       池田 禎治君    松岡 駒吉君       山口丈太郎君 同 日  濱野清吾君が委員長指名で小委員長に選任さ  れた。     ————————————— 会 議 昭和三十一年二月二十七日(月曜日)     午前十時三十五分開議  出席小委員    小委員長 濱野 清吾君       生田 宏一君    臼井 莊一君       中嶋 太郎君    堀内 一雄君       眞鍋 儀十君    青野 武一君       井岡 大治君    松岡 駒吉君  政府委員         調達庁次長   丸山  佶君         総理府事務官         (調達庁不動産         部長)     大石 孝章君         運輸事務官         (観光局長)  間島大治郎君  小委員外出席者         議     員 佐伯 宗義君         日本国有鉄道理         事         (営業局長)  康沢  勲君         参  考  人         (国際観光協会         副会長)    平山  孝君         参  考  人         (日本交通公社         会長)     新井 堯爾君         専  門  員 志鎌 一之君     ————————————— 本日の会議に付した案件  観光行政に関する件     —————————————
  2. 濱野清吾

    濱野委員長 それではただいまより運輸委員会観光に関する小委員会を開会いたします。  本日は小委員会の第一回といたしまして、観光行政一般について、政府及び参考人各位より説明及び御意見を聴取することにし、さらに質疑があればこれを許すことにいたします。  本日の参考人方々のお名前は、小委員各位に配付してあります通り、国際観光協会会長平山孝君及び日本交通公社会長新井堯爾君のお二人であります。なお御意見を聞く問題は参考人方々にはお知らせしてありますが、民間側より見た観光行政あり方外人観光客用ホテル施設現状及び国鉄推薦旅館問題等の諸問題であります。各位の忌憚のない御意見をお述べいただきたいと思います。なお政府側からは調達庁より不動産部長大石政府委員運輸省観光局長間大治郎君、国鉄より唐沢営業局長であります。後刻調達庁次長丸山政府委員が見える予定でありまして、政府よりも実情を聴取いたします所存でございますが、最初に参考人方々より御意見をお伺いいたします。平山孝君。
  3. 平山孝

    平山参考人 私は国際観光協会会長また全日本観光連盟の副会長もいたしております。本日は観光事業に関しましてお招きをいただきまして、むしろ私らの方から皆様方お話を申し上げたいことはたくさんあるのでございまして、お招きをいただきましたことはまことにありがたいことでございまして、厚くお礼を申し上げます。  御書面によりますと、民間側から見ました観光行政あり方、それから外人観光客用ホテル施設現状、それから国鉄推薦旅館及び公給領収証の問題ということになっておりますが、これらの問題につきまして私の意見を率直に申し上げたいと存じます。  まず一番初めの民間側から見ました観光行政あり方でございますが、私は終戦運輸次官をやめましてから、もっぱら観光関係仕事に専念をいたして参ったわけでございますが、その間におきまして考えましたこと等を、運輸省というような立場を離れまして、全くフランクに考えまして、今後観光行政をどういうふうにしたらいいかという問題について申し上げたいと存ずるのでございます。一言にして結論的に申し上げますると、議会におきまして、議員皆様方その他におきまして、もう少し観光事業重要性を認識していただいて、大きくこの問題を取り上げていただきたいということが、私の率直なる意見なのでございます。私なぜそういうことを申し上げますかと申しますと、最近におきまして私が外国の雑誌で見ましたものに特に印象づけられましたものが二つございますが、その一つは、昨年の十月ごろにニュースウィークに出ました日本観光事業という一文であります。それからもう一つは、皆様ごらんになったかと思いますが、ことしの一月に読売新聞に大きく取り上げられました不評判日本観光事業という一文、これはドイツの新聞に出ましたものの翻訳でございます。この二つを私特に強く印象づけられたのでございますが、ことにニュースウィークに書いてありますのには、いろいろと日本観光事業不評判な点が書いてあるのでありますが、日本観光客が十万人にふえた、しかしこの十万人というのは、イーヴン・リットル・レバノン、一小国レバノン観光客よりもっと小さい数である、レバノンでも十五万人からの観光客があるが、日本は八万人とか十万人とかいっておるが、これはレバノンよりも少い人間なんだということが書いてございます。なおそのあとに、スペンド・マネー・メイク・マネー、金を使わないで金を集めようということは無理な話だというような意味のことも書いてあります。レバノンという国は私知らなかったのでありますが、地図で調べてみますと、小アジアの人口わずかに四百万、そして大きさは四国の半分ぐらいの小さな国だそうでありますが、そういうところと比べても日本観光客は少いのだというようなことが書いてあるのであります。それからことしの正月の読売新聞に出ましたドイツの、不評判日本観光という一文におきましては、日本のいろいろな点を批判をしてございます。ホテルが高い。日本ホテル宿泊料を百とすると、ドイツは四十である。また道路が悪い。そして加瀬大使意見によりますると、こんなことでは、海外に日本宣伝することは、かえって逆効果になるのではないかというような文句があるのであります。こういうことを考えてみますと、その後私はそういう面につきましていろいろとフランクに考えてみたのでありますが、日本観光国策というものが間違っておったのではないか、従来のようなやり方をしておったのでは、日本観光事業というものは飛躍的な発展はとてもできないのではないかというように考えてきたのであります。  そこで、それならばどうしたらよいかということにつきまして、先日来私いろいろ考えておりますが、要するに問題は、国会議員方々によりまして観光事業重要性というものを十分認識していただきまして、観光国策を大きく取り上げていただくことが、ぜひとも必要ではないかというように私は考えるに至ったのであります。その結果といたしまして、政府の機関というものが必ずしも運輸省にある必要もない、あるいは鉄道にある必要もない、もっと大きく内閣その他におきまして観光を取り扱いますものを置くということもまた一つの方便であろうし、要はただ観光国策というものをもっと大きく取り上げていただくことがぜひとも必要なのではないか、かように私は考えるのでございます。御承知のように観光収入というものは昨年は約四千五百万ドルと申しておりますが、邦貨に換算いたしますと大体百七十四、五億円になります。しかも観光収入というものはいわゆるネット収入でございます。ほとんど九〇何%というものが日本収入になるのであります。御承知のように紡績その他鉄鋼にしても、そのほかの輸出にいたしましても、輸出総額相当になりますが、日本ネット収入というものは、原料を外国から輸入いたしましたりいたしますので、紡績のごときは三〇%から、よくて五〇%、鉄鋼にいたしましても大体八〇%くらいの数字になると思うのでありますが、観光収入と申しますのは、中には日本に参りまして英国製のウイスキーを飲むというようなこともありましょうが、九〇何%というものは日本のほんとうの収入になるのであります。観光収入というものは、輸出事業に比べますと、日本経済にとって非常に有利なものでありますので、これはもっと大きく取り上げていただかなければならぬのではないか、かように考えるのでございます。百七十五億円というものが昨年日本観光収入にございましたが、しかしこれは先ほども申し上げましたように、小アジアレバノン小国と比べてもそれに劣るような状態なのでありますので、日本のような特異な国というものが、こんな小さな観光収入あるいは観光客で満足しておることは、これは非常におかしい。これは結局日本観光国策というものが全然なかったからだと言っても過言ではない、こう思うのであります。これは私はやり方によりましてはおそらく十倍、百倍になることは簡単なのではないか、こうも考えておるのであります。  これにはどうしても、先ほども申しましたように、金を使わなければ金は集まらないのであります。日本におきまして観光客を受け入れるような施設を思い切ってやらなければ、観光客は思い切ってふえないのであります。資本を投じないでただ手をこまぬいて、外国人来い来いといっているだけでは、観光事業というものは飛躍的に発展をしないと私は考えるのであります。そこで私の考えておりますることは、昨年の観光収入が百七十億でございますならば、それの五%でも、あるいは一考でもけっこうでありますから、これを国家投資する。これは集中的に投資をいたしますと、相当わずかの金で観光客を喜ばせるだけの施設ができるのであります。ごく手近に申し上げますと、日光富士箱根、それから京都、奈良、東京周辺京阪周辺というようなごく集中したところだけをやりますれば、わずかな金で外国人を喜ばせることができる、それを毎年各地方に推し進めて参りますならば、日本全国観光地として外国人に喜ばれるようになる、かように私は考えるのであります。現に毎年カロニア号というような豪華船日本にやって参りますが、これには聞いてみますと毎年同じ人が乗っているそうでございますが、そういう人は毎年来て毎年日光だけ見るというのでは、これは日本に対して魅力がないと思うのであります。従いましてある限られたところだけでも困るのでありますが、しかしそうかといって、それを一ぺんにやるわけにはいきませんので、これは順次それを広げていったならばいいのではないか、こう思うのであります。従いまして昨年の観光収入が百七十五億ありますならば、それの五%でけっこうでありますから、それを観光施設に向けまして日本観光施設整備して、こういうように整備したので、そこでぜひとも遊びに来て下さいというように外国に対して宣伝をかける。今までのように単に絵はがきや。パンフレットをただ十年一日のごとく配っておっても意味ないのでありまして、やはり新しい施設をして、その新しい施設ができたので、この施設をぜひ利用して日本を楽しんでもらいたいというような新しい宣伝をやらなければ、日本観光事業は飛躍的な発展をしないのではないか、私はかように考えるのであります。  なおまたこの際に申し上げておきたいと思いますのは、国際観光協会は、大蔵省から政府補助を受けております。しかしこの際に考えねばいけないと思いますことは、国際観光に対しては補助をするが、国内観光に対しては絶対に触れてはならぬというような意見があるのであります。しかしこれはなかなかむずかしい問題でありまして、国際観光国内観光とを区別するということは、これは非常にむずかしいことであります。たとえば今度四月の一日から緑の週間が始まります。この緑の週間終戦以後——これはなくなられました全日本観光連盟会長でありました前参議院議長松平恒雄さんが非常に熱心に唱道されまして、終戦以後いち早く日本全国に木を植える運動をやられたのでありますが、外国人の来るところだけ木を植えるのには金を使ってもいいが、そのほかはいかぬのだというような区別は、これはなかなかむずかしいのであります。ことに議会先生方全国各地から来ておられます。私の考えといたしましては、全国各地観光施設がよくならなければ、やはり重点的な観光施設もよくならないということを考えております。終戦以後、ずいぶん各地方の旅館その他が水洗便所等もできるようになりましたが、これは全国各地観光観念が非常に盛んになりましたために、日本観光自体がよくなってきたのであります、日本は御承知のように小さな国でありますので全国観光施設の充実ということに力を入れなければ、日本外国人に対する観光施設発展しないのではないか、こういうふうに考えておるのでございます。これは輸出でも同じことであろうと思うのでありますが、日本輸出産業輸出されまするいろいろな品物の大体におきまして六割ないし七割が内地で消費ができるものでないと、外国輸出はできないそうであります。それと同じことでありまして、日本観光地でも、大体六割ないし七割というものは、日本人が喜んで集まるというところでなければ、これはまた外国に対して観光地として外国人を喜ばせるということにはならぬ、こう考えるのであります。そういう点を考えてみますと、私は、日本全国観光地整備、そうしてその間におのずから外国人の来まする地点の発展がそこに出てくる、こう思うのであります。それにはどうしても議会の諸先生方観光事業というものをもっと大きく取り上げ、これを日本国策として、多くの外国人日本へ来まして外貨を落すということは、日本経済にとりまして非常なプラスになるのであります。日本はずいぶん長いこと観光観光といっておりますが、それがわずかに年間十万人ということでは、いかにも情ないと思うのであります。  国内観光国際観光のことをちょっと申し上げましたが、その一つの例として申し上げていいと思うのでありますが、たとえば伊豆半島というようなものは、これは国際観光地として最近大きく取りあげられておるのであります。伊豆半島に一体日本観光客と申しますか、そういうお客さんがどのくらい行くかと思いまして、一昨日ちょっと聞いてみましたが、大体一千万人、こういっております。そうしますると、そのうち外国から来る観光客というのはわずか十万人ということになりますからして、そのウエートというものは非常に低いのでありますが、しかし日本経済にとりますと、これらの方々が落す金が大体百七十億からおそらく——まあ百七十億と申しましても陰に隠れた金が相当にございますから、おそらく私は三百億近くになっておるのじゃないかと思うのでありますが、そういうネット収入が入りますので、これはぜひとも大きく取り上げていただいて、一挙にこれを十倍ないし五十倍ぐらいに上げることを考えていただきたい、こうお願いをいたしたいのでございます。  それから第二番目の問題は、外人観光客用ホテル施設現状でございます。日本ホテル全国で百幾つでございまして、そのベッド数がかれこれ九千ほどになっておるようでございます。詳しい数字は私持って参りませんでしたが、これは外国と比べますと問題にならないベッド数でございます。イギリスが大体ロンドン市だけで五万ベッド、アメリカがニューヨーク市だけで十万ベッドといっております。ところが日本日本全体で九千というようなことでありますから、このホテルの数はほとんど問題にならないと思うのであります。でありますから、結局外国人を大ぜい連れて参りますには、日本旅館を使用するというより仕方がないと思うのであります。しかしたとえば東京におきましては帝国ホテルなどがございます。それから京都、大阪にはそれぞれとにかく外国人を泊めるに足るホテルがございます。そういうホテル各地に必ず一つ二つはなくてはならぬと思うのであります。たとえば名古屋観光ホテルはただいま接収をされておるようでありますが、あれが接収されておりますために、名古屋で何かやろうといってもできないというような問題がございますので、各地にある程度代表的なホテルというものは必ずなくては困る、こう私は思うのであります。しかし御承知のように、ホテルというのはなかなかペイしない事業でございます。私も昨年八重洲口国際観光会館というものを建てまして、その一部をホテルにしてみたのでありますが、あれはロケーションが非常にいいのと、それから日本におきましては一番新しい施設をいたしましたために、案外に収支はいいのでありますが、しかしこれはロケーションが非常にいいという条件に恵まれておるためでありまして、そのほかのホテルにおきましては、日本人というのはホテルに泊まる習慣がないと申しますか、あまり泊まりませんから、どうしても外国人目当てになる。ところが外国人というのは先ほども申しましたように、年間にして十万人、しかもその十万人が春と秋の季節に固まってくるのでありまして、そのほかの季節にあまり来ない。従いましてホテルというものはどうしてもペイしないのであります。これは国におきまして何らかホテルに対する助長策を講じませんければ、うまくいかない事業なのであります。これは運輸省その他で出しましたパンフレットにいろいろございますが、世界各国ともホテルに対しましては、政府補助と申しますか、非常な援助をやっておるのであります。日本におきましても何らかそういうことをやりませんと、ホテルは発達をいたしません。また先ほど私が申しましたように、日本に来る観光客が一挙に増加するというような場合には、これはどうしても日本宿屋に泊まってもらわなければならぬと思うのでありますが、日本宿屋の畳の上に寝るということは、外国人は必ずしもきらわないのであります。国際旅館連盟というのがございまして、たとえば水洗便所ができ、そして厨房が清潔なものというふうなものは、いろいろ検査をした結果、国際旅館連盟というのに入っておりまして、これができましたために、日本旅館というものはずいぶん発展をいたしたのであります。ところが肝心の外国人が来ましたときに、こういう旅館外国人を歓迎するかというと、歓迎しないのであります。外国人日本お客さんと違いまして、部屋に入りまして食いものもやかましい、それから芸者をあげて一ぱい飲むというようなむだな金は使わない。従って宿屋では外国人はあまり歓迎しないというようなのが実情なのでありまして、これはどうしてもいわゆる国際向き旅館につきましては、部屋代部屋代として取り、そしてまた食堂へ行って自分自分の好きなものを食べるというようなシステムにすること、及び各部屋にかぎがかかるというふうな施設をいたしますならば、日本旅館必ずしも外国人に向かないということはないと私は思うのであります。わずかな施設によりまして、日本旅館十分外国人は泊め得ると私は考えておるのであります。しかしながらそういう施設をいたしまするには、やはり何らかこれの補助政策と申しまするか、あるいは国家からの援助と申しまするか、そういうことをやりませんと、いかにそんなものは自分でやったらいいじゃないかと、こう言いましても、実際問題としてはできないのであります。従いましてこれはどうしてもそういう点を大きく援助をしていかなければだめではないか、かように考えるのであります。従いまして、ホテル建設に対する援助、また日本旅館外国人が泊められるような施設にするための援助、そういうものを思い切ってやらなければいかぬのじゃないか。またそういうことをやりますれば、この日本へ来る観光客が一挙に五倍、十倍にふえたって、何とか処置がいくのではないか、こう思うのであります。ここには道路のことが書いてございませんが、そのほか道路の問題でありまするとか、外人客に対する査証の問題でありまするとか、あるいはドルの問題でありまするとか、いろいろございまするが、しかしこれは要するに国会におきまする諸先生方観光事業というものを大きく取り上げていただいて、これを一つ日本投資事業考えて、思い切って外国から現在の十倍、二十倍の外貨を一挙に獲得するぐらいの意気込みでやっていただきまするならば、そのほかの小さな問題は自然に解決をいたしていく、こう考えるのであります。  それから三番目に、国鉄推薦旅館及び公給領収書の問題がございます。国鉄推薦旅館につきましては、これは廃止になりましたが、私は正直に申しましてどっちでもいいと考えておるのでありまして、実はそう大きな問題ではないと考えておるのであります。それから公給領収書の問題でございますが、これは実は私公給領収書というものが実際問題としてどうなのかということにつきまして、あまり大して興味を持っておらなかったのであります。私のところも国際観光会館ホテルもやっておりまするので、いろいろと聞いてみました。大体におきまして公給領収書というようなものは、趣旨そのものは必ずしも悪くないということのようでございますが、ただここで諸先生に申し上げたいと思いますのは、とにかく税務署の若い学校を出たような方がいろいろ事務をやられますので、実際の末端事務になりますると、非常に繁雑である。また非常に小さな問題、まあ私らが考えますると、そんなことはいいかげんなところでやっておいたらいいじゃないかというような問題につきましても、非常に繁雑な手数が要るということは事実のようであります。一例を申し上げますると、ホテルでもって宴会をやる、そのときに公給領収書を出すのだそうでありますが、そのときの机の上に飾りました花については、それも金に換算をして、それの百分の十を取るのであるとか、あるいはまたお客さんが持ってきましたお酒、これはどうするのだ、そのお酒を換算をして、それはやはり納めなければならぬのだというようなことで、常にごたごたしておるようであります。そういう末端事務になりますると、非常にややこしいことがあるそうでありますけれども、そういうことさえなければ、趣旨としてはけっこうなんじゃないか、こういうように考えられるのであります。そのほかの、東京などは割合税務関係の方もわかりがよくて、割合話がいいのだそうでありますが、それでもなおそういういろいろな問題がある。ところがこれがいなかへ行きまするとさらに繁雑で、さらにやかましくて非常に困るということがあるそうであります。その問題につきまして、私特に研究をいたしたわけでもございませんので、その程度のことしか申し上げられないのであります。  大へんつまらないことを申し上げまして、まことに相すみませんでございました。
  4. 濱野清吾

    濱野委員長 次に交通公社会長新井さん。
  5. 新井堯爾

    新井参考人 私交通公社会長をしております新井でございます。大体平山君が、ほとんど私から言おうと思うようなことを言われて、私申し上げることが少くなっておりますが、立ちましたからには何か申し上げなければならぬというつもりでおります。  民間側から見たる観光行政あり方、これは平山君のお話と大体私も同じような考えを持っております。平山君は戦後だというのですが、私は非常に古いので、大正の四、五年ごろからこういう仕事にばかり携わっておるのですが、そのときからセクショナリズムと申しますか、何と申しますか、国立公園観光事業というものが非常に錯綜しておりまして、観光事業をやる人間遊覧地を作る。国立公園整備をする方も、これまた日本人遊覧地を作る。そのころは鉄道省、今は運輸省ですが、運輸省観光事業自分の方の畑だ、国立公園の諸君は、国立公園自分の方の畑だ。従ってこれを利用する観光事業もおれの方によこせというような議論が、しょっちゅう戦わされておるのであります。私らは大きく取り上げてこれを一つにしたらいいのじゃないか。国立公園の問題、あるいは観光事業の問題、あるいは文部省の文化財保護委員会、こういうものは  一つの性質のものであるからして、あるいは一つの省でもよろしい、一つの庁でもよろしい、大きく取り上げてこれを一本にして、けんかのないようにしてやったらいいのじゃないかというような議論を前からしておるのであります。このごろになってなお痛切にその感を深くするのであります。  それから観光事業につきまして、今平山君がしきりに宣伝のことを申しておりましたが、金をかけなければ金をとれない。この二月の十三日からPATAの会議をいたしました。私が会長で、太平洋沿岸の十八カ国から外国人が約百三十人ばかり参りまして、また日本人といたしましては正会員、準会員、賛助会員というもので五、六十人、二百人足らずの会をいたしましたが、これがやはり品をきわめて、宣伝をしなければだめなんだ、設備をし宣伝をすれば、幾らでも来るのだということをみな申しておりました。先ほど平山君は収入の五%くらい使ったらいいだろうということを申しておりましたが、イギリスがちょうどそのくらい使っておるのであります。一九五四年度のイギリスの宣伝費用が九十六万四千ドルであります。これは観光事業ばかりではありません。宣伝すべてにかかった費用であります。日本の費用は七万七千八百ドル余ということになっております。この中に観光宣伝で一万ドルくらい使っております。あとはたとえば生糸の宣伝であるとか、焼きものの宣伝であるとか、真珠の宣伝であるとかに使っております。イギリスは大体五%くらい使っております。日本観光収入の〇・四%ぐらいしか使っておらぬ。従いましてアメリカあたりへ参りますと、日本宣伝が足りないということをどこでも聞きます。昨年の十一月私アメリカへ参りましたが、どの都市へ参りましても、日本宣伝が足りないということを業者から聞きました。そこで戦後アメリカはマーシャル・プランというものをいたしまして、アメリカの金で自由国家援助しなければいかぬということをしきりに申しておりました。ところが昨年二月になりますと、今のアイゼンハワーが、ただマーシャル・プランで援助するだけではだめだ、それよりもアメリカ人は非常に旅行が好きなんだから、旅行にたくさんの人間を出して、その人たちに金を使わして、自由国家援助したらいいじゃないかということを盛んに申したのであります。その結果、相当アメリカ人が外国に出るように相なったのであります。  そこで私は、もう一つ申したいと思いますことは、日本の今の立場であります。大正四、五年ごろのわれわれのやりました時代と、今は非常に変っております。と申しますのは、御承知のように戦後百万のアメリカ人が来ておったのであります。これが日本に参りまして、日本が好きになって帰ったのが非常に多いのであります。これがアメリカへ帰って日本宣伝をやってくれる。今は非常にいいときじゃないかと思います。たとえば日本の建物の宣伝、あるいは日本の、妙なものでございますが、すだれなんか非常にたくさん行っております。それからもう一つ妙なことを申しますと、ハワイのワイキキの浜へ参りますと、日本の料理屋なんかでサンダルという、げたのできそこないのようなものをみなはいておりますが、海水浴へ参りますのに、日本のぞうりをはいて、しかも日本の薄べりを持っていくのです。何にするかと思ったら、ワイキキの浜に敷きまして、海水浴をしたあとでそこへ来て寝ころぶ、そうしてからだをほして、また今度済んだら、ぐるぐると巻いてたたきますと、砂が落ちるので非常に便利だというのです。そういうことで日本のものが戦後非常に向うへ行っております。もう一つの例を申しますと、われわれが若い時分アメリカへ参りましたときは、日本料理屋といえば、どこの都市でも一軒か二軒ありますが、日本人だけしか寄らなかった。ところが現在日本料理屋は、むしろ八〇%以上はアメリカ人で非常に繁盛している。今ちょうどアメリカの兵隊が帰って日本宣伝をしている。ここが一番日本のアメリカに宣伝するいいときじゃないかということを痛感して帰った次第であります。ところが申しましたように、三十年度は五千二百万円議会の協賛を得て出しております。三十一年度は八千万円ということに相なっているのでありますが、八千万円と申しましても、ドルに換算しますと幾らでもない。実に情ない話でありまして、今やりたいときに金がないというような、観光宣伝をやっております観光連盟あたりの悲鳴なのであります。私の方は、宣伝観光協会におまかせしておるのでありますが、見ていられないような状態です。どうぞ各位の御尽力によりまして、追加予算でもよし、来年度はもちろんのこと、もう少したくさんのお金を出していただいて、観光宣伝のできるように御援助願いたいと思うのであります。  外人観光客用のホテル施設現状、これは平山君の申した通りであります。ただ日本全体を通観しますと、東京だけがシーズンのときと申しますか、春、秋お客さんがたくさん参りますときにホテルがかなり足りないのであります。ほかの都市はそれほど足りないとは思いません。どうやらやっていけます。しかしあのカロニアというようなものが参りますと、ホテルが足りないので横浜に船をつけておいて、見物をしてまた横浜へ帰って寝るというような現状であります。これではいかぬと思うのでありますが、何せよホテル事業というものはあまりもうから事業なんです。戦前にできたホテルはかなりいいようであります。それはわれわれが初めにやりましたころは、郵便貯金の低利資金を借りましてホテルを作ったのであります。非常に安くできております。ですから、このホテルはかなりいいようであります。しかし戦後にできたホテルは、資材がなくて、物価が高かった、あるいは労銀が上ったというので、非常に高いホテルができておりますので、戦後にできたホテルはほとんどいい成績のところは少いようであります。ところが安いホテルを高いホテルがつり上げている観があるのです。どうもお前のところはそんなに安くやられては困る、だからもう少し上げてくれというので、安いホテルをつり上げている観があります。ですから安くできたホテルは、今でも三割くらい配当しているホテルがあるのであります。一方戦後にできたホテルは、どうも黒にならぬので苦労しておるホテルがある。これがホテル業者の悩みだと考えております。また日本旅館につきましては、全国に七万くらい日本旅館があります。そのうちの五百くらいが国際観光旅館連盟に入っておりますが、そのうちの約何百かが最も高級な旅館になっております。この旅館外国人は非常になれて参りまして、かなり使っております。畳でもいい、あるいはかぎとかふろ場とか、あるいは調理場がきれいだというような条件で、かなり利用しております。まだまだ十分でないところがかなりありますが、まずまずこれからだと思っております。ホテルの足りないところは、非常なシーズンになりましたら、そういうのを利用するほかないと思っております。オフ・シーズンと申しますか、今の二月とかあるいは一月とか十二月とかいうときになりますれば、あまりホテルが足りないとは思っておりません。しかし今平山君が言ったように、何十万という人が参りますれば、足りないことは火を見るより明らかです。何とかしなくちゃいかぬ。そこで私が皆様方にお願いしたいことは、戦前には低利資金をホテルに使わしていただいたのです。終戦までに十五、六低利資金でホテルができております。これが非常に役に立ったので、将来も何かそういうような方法をお考え下さったらいいのじゃないかというようなことを考えております。  それから第三の国鉄推薦旅館、これはどうも私のところはホテルに関係が非常にあるので、ホテル屋さんにしかられても困るし、どうもこれは実に困った問題だと思うのです。しかも国鉄も必ずしもまだやめたということを聞いておらぬのですが、おそらく世論がやかましいので、国鉄も何とかしてこれと妥協しようというので、考えているのじゃないかと思います。ここに営業局長がおるからお聞きになれば一番よくわかると思いますが、平山君はどっちでもいいのだろうと思います。われわれどっちでもいいと思うのだが、業者としては相当苦労の種のようです。もともと推薦旅館があってもそんなに弊害がないと思うのですが、推薦旅館になれなかった人が非常に運動をして、こういう結果になったと思うのであります。これはどう落ちつくか私も存じませんが、結局推薦旅館をやめて、昔のような指定旅館にしたいというようなことを言っておりますから、そこらに落ちついてもらえば一番いいのじゃないかと私は思っております。  それから公給領収書の問題、これは全く困った問題だと思うのです。大体これを作りますときに、もっと御研究になってお作りになったらよかったのじゃないかと思うのであります。私ら旅行しまして、これは例でありますが、旅館へ参りますと、懇意な旅館では、受け取り要るかと申します。要らぬ。そうですが。何のためにそんなことを聞くかというと、問題は税金の問題です。脱税ですな。料理屋に参りましても、ある料理屋のごときは、一皿一皿で二百円くらいずつ金をとってるのがあります。どういうわけかというと、やはり脱税です。脱税していない旅館が何軒あるかというような気がします。脱税方法は幾らでもあるのじゃないかと思うような気がいたして仕方がないのであります。別段詳しく調べたわけではございませんが。これがどういうわけでこうなったかというと、私は制度としてはいいのじゃないかと思うのですが、運用がうまくいかないのじゃないかと思います。そこで、まだ一カ月や二カ月前に作った法律をすぐ改正するというのも、どうもおもしろくない、いわゆる朝令暮改のそしりを免れないので、いかにして運用をうまくしていくかをお考えになった方がいいのじゃないかと思います。よけいなことでありますが、僕もここに席を置いたことがありますので、僕がいたらこうするということだけ一言申し上げておきます。平山君が大体申し上げましたので、私はこのくらいで終りたいと思います。
  6. 濱野清吾

    濱野委員長 それでは参考人に質疑があるようでありますから、堀内君。
  7. 堀内一雄

    堀内委員 参考人に対しまして、一、二お伺いたしたいと思います。結局現在の観光事業がどうもお話のような状態にあるということは、戦前において観光事業がある程度——ことにそこにおいでる御両所の御尽力等によって、ある程度順調に進んできたものが、戦争にぶつかって、そこで観光事業がストップということになり、自後終戦後においてこの方面の処理と申しますか、対策が回復していないところに、私は現在のお話のような問題があると存ずるのでございまして、そういう意味から、われわれ国会などの者がこういうものを取上げて、今皆さんのお話等お伺いするようなことになったのでございますが、それに関連して第一に伺いたいと思いますのは、先ほど平山参考人からお話のありました観光事業の組織の問題でございます。この事業の関係の中の連絡でございます。運輸関係の方面の連絡は、いろいろな機関ができておりますが、それはよくいっておると思います。施設の方の関係の連絡については、観光協会というようなものがあって、そこでやられるべきものとは思いますけれども、現状どんなふうになっておりまするか、その点をちょっと平山さんにお伺いしたいと思います。
  8. 平山孝

    平山参考人 施設の関係でございますが、私いろいろな委員会の末席をけがしておるのでございまして、道路議会等にも出席をいたしておるのでございますが、最近においては各省とも観光事業重要性ということは相当にお認めを願っておる。たとえば道路議会で、昨年二級国道かれこれ一万キロを決定いたしました。その際においても、観光道路という問題につきましては特に別に取り上げていただきまして、日本観光事業上一体どういうところが必要なのかということを、いわゆる一般産業道路と並んで御検討をいただいたのであります。ことに観光につきましては、日本の一番不評判なのは道路でございまして、向うのあれを見ますと、日本では洗たく板の上を歩いているようだというようなことを言われておりますが、こういうことにつきましても観光道路ということで特に取り上げていただいたというようなわけで、各省とも認識は非常にあるのでございます。ただしかし実行問題になりますと、終戦当時から東京日光京都−奈良、富士−箱根、この辺のところはまずまっ先にやっていただかなければならないのですが、とにかく日本へ来た観光客が、これは実際の例としてあるのでありますが、帝国ホテルへ泊っている方が、日光へ自動車で行くというので、そのときに帝国ホテルでこれから日光までは便所がありません。従ってその御用意を願いますと言いますと、年寄り夫婦のごときは日光まで何時間かかるかというので、三時間半から四時間かかるというと、その間便所がないのでは、これはとても行く気にならぬということで、やめてしまうというような実情なのであります。ところがその東京日光間が依然としてペーブしてないのであります。それからまた箱根などへ大ぜいで来ました場合には、自動車を連ねて参りますが、自動車を連ねて参りますとほこりをかぶります。日本は肥料に人ぷんを使うので、日本のほこりの中には回虫の卵が一ぱいいる、従ってあれを吸うと虫がわくのだということで、ほこりの出るところは絶対に困る。従いまして交通公社その他でスケジュールを立てますときにペーブしてない道がありますと、いかにそれがいいところでありましても、全部初めからオミットしてしまう。従ってペーブしてあるところだけを歩き回るということになりますので、滞在日数も非常に少くなる。またせっかく向うがたくさんお小づかいを持ってきて使おうと思っても使えないということになるのでありまして、ただいま東京日光間に便所を作ることを国際観光協会の方でいろいろ進めているのでありますが、御承知のように協会の方からその半分、かれこれ百五十万くらいかかりますが、七十万だけは補助をする、あとの七十万ぐらいは県の方で出していただきたいというようなことで、ただいま全国で三カ所ほどやっておりますが、それがみな行き悩んでおります。というのは、地方財政も楽でないものでありますから、その半分が出せない。それからまた東京日光のごときは約五県にまたがっおるのでありますが、その通過県におきましてはあまり興味がない。せっかくいい道を作ったって、自分の県には一つも金が落ちないので興味がないというようなことでなかなかできないでいる、こういうような実情なのであります。しかし先ほど新井さんが申されましたように、御承知のように国立公園は厚生省、文化財の保護という問題は文部省、それから道路は建設省というように、いろいろ分れております。  それから私これも相当見のがしてはいけないと思うのでありますが、日本のいろいろ重要な産業というものも、一つ観光資源ではないかと思います。ことに東南アジアその他の方面から来られる方も相当ありますが、日本の産業その他を見てもらうということは、日本の将来の経済にとりまして相当有意義なことではないかと思うのです。大きなダムでありますとか水力発電でありますとか、そういうものを見ていただくことは非常にいいのではないかと思うのでありますが、そういう点になりますと、通産省との関係があります。それからまた農林省の山林関係もございます。こういう点につきまして、観光事業重要性は十分わかっておると思うのでありますが、問題はそれの実行問題にあると考えるのでございまして、道路等におきましても、建設省は非常に御好意は持っていただいておると思うのでございます。
  9. 堀内一雄

    堀内委員 私のお伺いしたいと思いましたのは、政府の機関としてもそういった統一的なものを必要とするのでございますが、民間の団体の中で、あなたのような方があっちにもこっちにも方々顔をお出しになっておるということ以外に、連絡的、調整的な何かがあるかということなんですが……。
  10. 平山孝

    平山参考人 終戦当時に前参議院議長松平恒雄さんが、全日本観光連盟会長におなりになりました。これはここにおられる新井さんが松平さんを引っぱり出されて、松平さんに会長になっていただいたのでありますが、この全日本観光連盟というものが、民間の観光団体の中央機関でございます。これは全国観光関係の機関がみなそれに集まっております。ただしかし大体におきまして観光関係の機関というのは、みな貧乏でありまして、会費はごくわずかでございますが、全日本観光連盟は依然としてあるのでございます。
  11. 堀内一雄

    堀内委員 先ほど新井参考人からも戦前におけるホテル業に対する融資の問題等についてお話がありましたが、戦前からずっと融資関係についてどんな状態になっておるか、また現在のホテルに対する融資の状態はどんなふうになっておりますか。参考人でもしおわかりでなければ、観光局長からでけっこうです。
  12. 間島大治郎

    ○間島政府委員 それでは私からお答え申し上げます。戦前のホテル関係の融資につきましては、先ほど参考人からお話がありました通り、特に戦前におきましても観光地ホテルは、都市のホテルに比べて採算性が非常に乏しいということで、なかなかホテルが建ちませんので、政府が大蔵省と相談いたしまして、預金部資金を府県あるいは市町村に貸しまして、地方公共団体がこれを建てて、ホテルにこれを経営させる、そうしてこれを年賦償還させるという方法をとったのであります。当時の利率は、時によって違いますが、三分程度でございます。期間も、これも年によって若干違いますが、二十五年から三十年、一番長いのが三十年という期間でありまして、これによりまして、たしか十六くらいのホテル全国整備できたのであります。戦後におきましては、戦災によりましてホテル施設が著しく害を受けたのでありまして、国際観光事業が再開されました際、ホテル整備が緊急の問題であったのでありますが、国家財政の現状からしてなかなか思うようにいきませんでした。当時対日援助見返り資金の制度もございましたので、この方も極力政府としてはアメリカ側と折衝いたしまして努力をいたしました。当時におきましては三つくらいのホテルしか整備できなかったのであります。その後国内のそういった設備資金の供給を目的といたしまして開発銀行ができました。そういった対日援助見返り資金のようなものが開銀に肩がわりになりましたので運輸省といたしましては、相当多額の資金を要する本格的なホテル整備につきましては、開発銀行の資金を出すべく極力努力をいたしております。ただし御承知の通り資金が相当限られております。しかも幾つかの重要産業に毎年重点が置かれておりますので、その他産業に回ります金は、年によりまして違いますが、大体二、三十億程度でございますので、実績といたしましては年に一つないし二つくらい、金額といたしまして一億四、五千万円くらいのものしか出ていないのであります。今年はまだ未決定ではございますが、現在三件くらい候補に上っております。金はまだ決定しておりませんが、やはり資金の現状からいたしますと、その程度の範囲に落ちつくのではないかと思うのであります。大体これは本格的なホテル施設でございます。数億を要するホテルに対して、そのうち政府資金としてこの程度出したのでありますが、それ以外にホテルあるいは旅館施設の改善、これはことにホテルにつきましても旅館につきましても、外客に対しまして施設が非常に向かない、特に近代化が非常におくれておるというふうな点がございまして、これの改善も急を要する問題があったのでありますが、幸い中小企業金融公庫ができまして、わずかではございますが、この中の融資対象に旅館業というものを入れましたので、一千万円の範囲内で整備資金が出ることになっております。これは主として内部の整備というものに重点を置いてやっておりますが、この方は金といたしましてはかなり出ておりまして、二十八年度に一億五千万円、二十九年度は二億八千万円、三十年度は一億四千万円でございます。その他協同組合を作っておりますような事業に対しましては商工組合中央金庫、これは特に交渉いたしまして整備資金をそのつど出しております。たとえば昨年の春の東京におきまする国際見本市、あるいは一昨年の大阪におきまする国際見本市、こういうふうなときに特に整備を要するような場合には、個々に折衝いたしまして資金を出しております。昨年の東京の国際見本市に対しましては、約一億の資金を商工組合中央金庫から出しまして、急速な整備をはかったような次第でございます。こういうふうなのが主たる内容でございますが、現在困っておりますのは、本格的なものは今の開発銀行に年に一つ二つで、それで内部の整備くらいのものであれば、中小企業の金融公庫から出す、その中間的なものの金融制度がないというのが悩みでございます。
  13. 堀内一雄

    堀内委員 いま一つお伺いしたいのですが、今の問題で、先ほどから参考人からもお話しになったように、要するにペイしないということであるから、そこで低利資金ということを考えることになってくるのですが、今の中小企業なり商工組合などの金庫の利率は非常に高い上に、返済期間が非常に短かく急がしい、そこにホテル業者は非常に困難な点があるのではないかと思うのです。そういう意味から、あなた方の方で低利資金の融資といったようなものについて、現在の政府当局との間で交渉したような事例がありますか。
  14. 間島大治郎

    ○間島政府委員 この問題につきましては御指摘の通りでありまして、こういった財政資金につきましても特に戦前等から比べましても、非常に高い利率、しかも短期になっておるわけであります。戦後先ほども申し上げました通り、国際観光事業が再開されまして、急にホテル整備が必要となりました際に、戦前と同様な預金部資金の運用という問題を考えまして、全国的な整備計画を立てまして、大蔵省の銀行局長とも折衝いたしました。当時はことにGHQの意向が、財政資金をそういった民間事業に直接投資するという方について、非常にかたい見解をとっておりまして、交渉もいたしましてたが実現を見なかったのでございます。その後そういった問題につきまして時時折衝はいたしておりますが、一般産、業との振り合い、造船等につきましては利子補給ということが行われましたが、その他の重点産業につきましても、若干利子を下げたいという程度で、それを除きましては特別な例外がないというふうなことで、今まで実現はいたしておらないのであります。
  15. 堀内一雄

    堀内委員 平山参考人にお伺いしたいのですが、現在日本における観光上の施設等に対して、外国から投資なり援助なりを申し出てきておるというようなものがお耳に入っておりますかどうか。先般井口大使からの外務大臣に対する報告につきましても、MSA云々の問題もありましたし、かたがたそういったようなことについてお伺いしたい、
  16. 平山孝

    平山参考人 終戦当時ヒルトン・ホテルの問題がございました。あるいはパン・アメリカンがホテルを作るというような問題もありました。また吉田内閣当時には、いわゆる日本観光地整備につきまして外資導入というような話もありましたが、いずれも実現をいたしておりません。最近また外務省の方から言ってきておる問題もございます。
  17. 濱野清吾

    濱野委員長 臼井君。
  18. 臼井莊一

    臼井委員 ただいま御両氏から、議員も大いに認識を深めてというお話でありましたが、外貨の獲得という意味においては非常に重要で、造船の例を見てもやはり造船に利子補給をしておるということも、外貨の獲得という重要な面において、大きな一つの理由があったわけですが、国際観光についても、同様な意味において重要だということをわれわれも考えておるのであります。もう一つ外貨の獲得ばかりでなく、国際政治といいますか、外交上特に日本のように国際連合にも締め出しを食っておるという国において、外交を大いに有利にするという意味においては、日本の国内事情を外国によく知ってもらうということが非常に必要なので、そういう点についても国際観光というものに、大きな意味があると私は考えておるのですが、この点外務省あたりに聞いてみなければわからないが、平山さん並びに観光局長あたりどういうふうにお考えになっておるか。
  19. 平山孝

    平山参考人 私話が長くなると思いまして申し上げなかったのでありますが、外貨の獲得と申しますのは、要するにそれによって日本経済に非常に役に立つということでございまするが、観光事業のおもなる目的と申しますか、これはやはり国際親善にあると思うのでございます。私は日本人のほんとうの気持を知ってもらうには、国際観光事業とそれから日本のスポーツとこの二つであろう、こう考えておるのでございまして、そっちの方のいわゆる見えざる収穫というものが非常に大きい、こう考えておるのでございます。
  20. 間島大治郎

    ○間島政府委員 ただいま臼井先生の御指摘になりました点については、特に在外公館からは、最近日本の海外に対する観光宣伝の拡充について非常に強い要望が参っておるのであります。また私も所用で海外へ参りましたとき、各地へ行きましていろいろ意見を聞きますと、結局日本の国情宣伝は、もちろん外務省としてはやらなければならないのでありますが、そういう直接的な国情宣伝よりも、観光宣伝というふうな形でやることが一番浸透しやすい。そういう意味で大いに拡充してもらいたい。そのために在外宣伝事務所の増設、あるいはまた宣伝資料を今の形でなしにもっと質と量を上げてもらいたいという強い要望が非常に参っております。特にアメリカ、カナダ、それからヨーロッパではイギリス、フランスの日本の在外公館からは、具体的に大使館といたしまして計画を立てて要求が参っておるのでございます。
  21. 臼井莊一

    臼井委員 そういう点と、先ほど平山さんのお話を伺ったのですが、ことに東南アジア方面の方に来ていただいて日本の産業を二つよく見てもらう。単に京都とか奈良とか日光とかいう方面の観光というより、産業の視察という意味において、これは重要点が今後あると思うのです。しかし実際には、観光となると世界的に見ても、アメリカの人が海外に行くことがほとんど大部分を占めておる。ことに日本においてもやはりほとんどがアメリカ人だと思うのですが、東南アジア方面にそういう呼びかけの宣伝をやはりやっておるのだと思いますが、そういう点はどの程度でございましょうか。
  22. 間島大治郎

    ○間島政府委員 日本観光宣伝の現在の段階におきまする重点は、これはやはり何と申しましてもアメリカに向けざるを得ないのでございますが、しかし国際観光事業の持つ意味から考えまして、もちろん東南アジアあるいは南米等に対しましても宣伝をやらなければならないと考えております。ただ東南アジアに対しましては地域が広うございますのと、それから全体を合せれば、やはり年によっては違いますが、日本に参ります数が全体の二〇%あるいは二五%くらいだと伺っておるのでありますが、重点的に一国だけやるというわけにも参りません。この点非常に大きな悩みでございますが、しかし特に最近ではタイ、フィリピン等からは相当多数の人が参ります。また中には純粋の観光客もありますので、こういう方面に対する観光宣伝の拡充はどうしてもやらなければならぬと思っております。戦前は南方におきましてはバンコックに観光宣伝事務所を持ったことがございます。バンコックの公館等では強くこれを要望いたしておりますが、何分資金事情でそれが実現できないような次第でございます。
  23. 臼井莊一

    臼井委員 国際観光の重要だということは、自民党においても、党自体が今度特別の委員会を作って、委員長は前建設大臣が当っておりますので、この道路の建設ということについても立案されて力を尽すことと考えておりますし、われわれもその点は皆さんの御意見を反映するようにいたしますが、今宣伝すれば確かにまだふえるということは考えられますが、今いろいろお話を伺ってみても、まだ施設道路が足りない。そうすると、いたずらに宣伝してお客が来ても、もうこりごりだというのでは逆宣伝になってしまうわけであります。そうすると、やはり満足するような施設をできるだけふやすということが大事だと思うのですが、しかしお客さんが来る日にち等をうまくアレンジし、ある程度現在の施設に多少の改良を加えれば、まだまだ収容できる、こういうことでございましょうか。まず施設をしなければ、これ以上来てもらっては無理だという段階ですか、その程度はどうなんでございましょうか、平山さんに伺えればけっこうだと思います。
  24. 平山孝

    平山参考人 私各方面から聞いておるのでございますが、大体におきまして春と秋に固まって来るのです。そこで、そのときになりますと東京でもホテルが足りない。それから先ほど申し上げましたように、日本宿屋ではどうも満足しない。多少興味もあると思いますが、食べものの関係とか部屋の関係とか、そういうことでどうも満足しない、こういう格好になるのでありまして、昨年の十万人と申しますのも、固まって来るお客さんが多いのでありまして、先ほど観光局長も言われましたように、東京へ来ましても、横浜へ船をつないで、そうして歩き回ったあとは船へ帰って泊るというような状態でございますので、どうしても施設を急速に、いわゆる問に合せでも何とかしなければいかぬのじゃないか、こう私は考えておるのでございます。また道路にいたしましても、とにかく向うへ帰りまして、日本というところはひどいところだというような逆宣伝にならない程度の施設だけは、ぜひとも急速にやっておかなければならぬのじゃないか。そうして施設ができたところだけを見て帰っていただければ、そう悪い評判も広がらないで、将来の観光事業に支障を来さないのじゃないか。しかし今のままで置きますとかえって逆宣伝になるのじゃないか、こういうふうに考えております。
  25. 濱野清吾

    濱野委員長 参考人に御質疑はございませんか。——なければ参考人にごあいさつ申し上げます。御多用中にもかかわらずいろいろ貴重なる御意見をいただきまして、まことにありがとう存じます。厚くお礼申し上げます。  今調達庁の次長は、次官会議へ出席さしてもらいたいと言っておりますが、ホテルその他のおわかりになる不動産部長がおいでになっておりますから、この方からこの間理事会でお話ホテルに関する問題を聞きましょうか。——それでは大石さん、名古屋観光ホテル東京の第一ホテル、その他進駐軍に接収されているホテルの数とか事情とかいうようなものを説明していただきたいと思います。
  26. 大石孝章

    大石(孝)政府委員 ただいま委員長から御注文のございましたホテル関係で、現在米駐留軍に接収になっておるもののあらましの経過と先々の見通し等につきまして、若干お話申し上げたいと存じます。  先般、一月二十七日及び二十八日の両日にわたりまして、本運輸委員会の木村、畠山、早稻田、青野の四委員が、わざわざ名古屋の現地まで御調査にお出かけになりまして、名古屋観光ホテルにつきまして、いろいろ御視察いただくとともに、米軍に直接当りまして、これの返還等の事情について詳しく御調査になりましたことは、私ども関係者といたしましてもありがたく存じておる次第でございます。そのとき現地におきましていろいろ御調査になりまして、大よその御事情も御判明と存じますが、まず名古屋観光ホテルからお話申し上げたいと存じます。  すでに御承知のように名古屋にあります観光ホテルは、本館と別館と両方でございますが、本館の方は昭和二十一年五月十四日以来接収になっておりまして、講和発効後もまた行政協定第二条の施設及び区域として、そのまま継続使用されまして今日に至っておる次第でございます。また別館の方は二十九年八月二十三日から一時的に使用されておるという状況になりまして、今日に至っております。本館の方の敷地は約一千五百二十五坪、建物が二千七百五十七坪、別館の方は敷地が二百六十二坪、建物が七百八十八坪ということでございまして、私ども伺っておりますこのホテルの収容数は大体二百名前後でありますが、現在の段階ではおおむね毎日百十数名利用しておるような状況でございます。そういったような事情から見ましても、利用率が非常に少い。またもう一つの問題は、かねて講和発効後にこの観光ホテルほ返還されるものであるというふうに日米間に約束されておるわけでございまして、いずれの点から見ましても、すみやかに返還されなければいけないというふうに判断いたしておるのでございます。本日また委員会で、観光上あるいは貿易上その他の見地からいろいろ御議論がございましたが、そういうことを伺いますにつけましても、なおその感を深くする次第でございます。しからばなぜ今日接収継続のままでおるかという事情でございますが、若干詳しくなりますが、その点について触れてみたいと思います。  昭和二十七年十一月ごろ、日本政府とアメリカ政府との間におきまして、全国大体四十六カ所ほどのケースにつきまして、これを他に移転せしめるという約束ができておるのでございます。大綱は東京、横浜、名古屋等の大都会におきまして、米駐留軍が都心部に持っておる施設は、おおむねこれを都市周辺の地域に移すというのがその趣旨でございます。名古屋地区におきましても、小牧、守山に司令部及び宿舎等の施設が完了いたしますれば、大体都心部にあります各種の施設をそこに移転せしめるというのが原則になっておるのでございまして、昭和二十七年十一月に約束されましたことにつきまして、一日も早く返還になるようにという所有者の方並びに地元自治体の理事者あるいは商工会議所の代表、また観光協会、ホテル協会その他からのいろいろなお話がございましたので、私どももその約束がその通り実施されるようにというわけで、いろいろな交渉を続けて参ったのでございまして、形式的にも三十年一月に守山と小牧の両地区におきます代替施設が完成したならば、約束通り返還されるかどうかを確認いたしたわけでございます。それに対しまして、三十年四月十九日の六十四回の施設特別委員会に、返還の見通しを回答して参っております。特に観光ホテルについては、司令部の移転後返還する予定であると、はっきり回答してきておる次第でございます。ところが一方、司令部の守山におきます代替施設の建設は、若干の紆余曲折はございましたが完成して、三十一年一月十四日には移転を完了しておるような事情があるわけでございます。ところがその際に米側におきまして、現地と中央においてそれに見合う施設の返還の発表があったのでございますが、遺憾ながら観光ホテルは含まれてなかったというような事情がありました。それで私どもの方はさっそく第八十三回の施設特別委員会に、正式に覚書をもって、日本政府は日米間の取りきめである移転計画における、日本政府側の責任であるところの代替施設は完成したのであるから、当初の取りきめ通りすみやかに返還せられたいというふうに申し送ってございます。なお、以上そういったような日米合同委員会また施設特別委員会におきまして公式に要求したほかに、極東空軍司令部及び極東軍司令部に対しまして、再三再四にわたりましてこの問題の折衝を重ねて今日に至っております。私どもの見解では、当然その移転計画の中に約束がされてあるのであるから、この約束の実現を一日も早く見るように厳重に交渉するというのが筋でございまして、大いに熱意を持ってやっておるつもりでございます。それにもかかわりませず、しからばいつになったら現実問題として返還になるのかという状況につきましては、今ここではっきりとその期日を申し上げることは困難でございますが、大体このホテルと一連の関係を持っております他の施設が、四月ごろには返還される旨の公表がありますので、私どもとしましては当ホテルも当然これらの施設と関係がありますので、その節までには返還になるものと期待いたしておる次第でございます。もっともこの四月という日にちを待たないで、一日も早く約束が履行ざれることを要望いたしておるような次第でございます。  次に東京におきますところのホテルの中で駐留軍が使用しておりますのは、大きなのは第一ホテルでございますが、この第一ホテルは概略の事情を申し上げますと、当然先ほど申し上げました移転計画の中に、日米間で含んで計画を立てるべきであるというようなことがよくいわれるのでございます。ところがこの昭和二十七年十一月の日米間で策定しました移転計画の中には、第一ホテルは含んでないのでございます。その事情は、東京都内におきましても代々木のワシントン・ハイツ、それから赤坂一連隊跡のハーディ・バラックス、それから市ケ谷、そういう方面にいろいろ代替施設をやったのでございますが、当時の事情は、大体一千名前後の独身宿舎をなお必要とするというような事情があったわけでございます。ところが朝鮮事変の終結と駐留軍の兵力が最終的に減少するまでの一時的な現象であるどいうような関係から、このホテルについては代替施設を必要としないだろうという見解であったわけでございます。ところが現在の段階に至りますと、このようなおおむね不確定な要素でもってはっきりしないということはまことに遺憾なので、いろいろ日米間に交渉があったのでございますが、市ヶ谷の極東軍司令部、それから座間の陸軍司令部におきますところの見解は、目下府中に建設中の空軍司令部が完成いたしますれば、その際には都内の将校宿舎の使用量も相当の余裕ができると判断されるので、第一ホテルの返還は可能であるという申し出が正式にございました。このことは三十年の五月の百十四回の日米合同委員会において、公式に申されておるのでございます。そういったような事情で私どもとしましては、府中の代替施設の建設完了があれば、当然第一ホテルは返還になるというふうに考えまして、しかしながらその間でも当然直接的に将校宿舎として必要のないような施設は返還せしむべきであるということで、第一ホテルの付属のテニスコートは、昭和三十年の四月の六十五回の施設特別委員会で要請いたしまして、米側は三十年の八月にこれに応じて、十月に返還されたような事情がございます。それで第一ホテルにつきましては所有者の方と、そういったような事情であるから返還になるまでの間ぜひ使わしていただきたいという趣旨を申し上げたのでございまして、その間のいろいろな折衝がございましたが、最終的に昨年、三十年度の契約は困るという申し出がございまして、やむを得ず私どもの方では米軍が使用する見込みの期間だけは、ぜひこの使用権を確保しなければならぬといったような事情から、昨年四月二十八日に内閣総理大臣の事業の認定がございまして、三十年十一月一日に東京都の収用委員会に使用裁決の申請をいたしたわけでございます。いろいろ収用委員会におきまして御吟味がありましたが、収用委員会は、三十一年二月十六日に企業者の申し出ました期間、三十一年三月一日から同年十月三十一日までの八ヵ月間使用してよろしいという裁決がおりておるような次第でございます。しかしながら私ども、この十月三十一日という期限前にさっき申しましたように、府中の宿舎工事が完了いたします五月ないしは六月あたりまでに何とか返還の実をあげたいものと、鋭意米軍側と折衝いたしておるような事情でございます。  なおこのほかにホテル関係で、現在米駐留軍が使用しておるというのは、現在施設は業者の方のものではないような状況でございますが、宝塚の甲子園ホテルがございます。これはいろいろ関係の向きにおきまして、ぜひこのホテルを利用いたしまして、昔のようなホテル経営をいたしたいというような申し出がございますので、その間の事情をいろいろ研究をいたしております。  それから東京都内には山王ホテル一つございます。米軍の本土進駐とともに、大半の洋式ホテルは接収になったのでありますが、講和発効時までに大半が返還になりまして、現在おもなるものといたしましては、東京の第一ホテル、山王ホテル名古屋観光ホテルが民間のものといたしまして使用されておるような状況で、ぜひ一日も早く返還の実をあげることによって、御期待に沿いたいものと考えておる次第であります。
  27. 臼井莊一

    臼井委員 これはホテルではないのですが、ついでにちょっとお伺いしたいのです。軍人会館でございますね。あれは解除になれば何か遺族会の方へ貸し下げるというようなことを聞いておったのですか、いつごろ返還の予定になっておりますか。おわかりでしたら承わりたい。
  28. 大石孝章

    大石(孝)政府委員 今御質問のございました軍人会館も第一ホテルと同様、府中におきますところの空軍宿舎関係が完成いたしますれば、返還になる予定に日米間で話し合いがついております。従いましておそくも夏場ぐらいまでには返還になるものと期待いたしております。
  29. 井岡大治

    井岡委員 甲子園ホテルですが、これは実際問題としては米軍は二、三人しかおらないのです。それでそのままそこに置いてあるのです。だからあれは何とか解決すれば当然返還される、こういうふうに考えるのですが、その間の事情はどうなっておるのですか。
  30. 大石孝章

    大石(孝)政府委員 甲子園ホテルにつきましても、私どもいろいろ調査をいたしたわけでございますが、確かに利用率は今御質問のあったように低いのでございます。従いましてすみやかに返還になるべきものと判断いたして、非公式ではございますがいろいろ米軍側に当っております。ただ、直接の軍事施設ではございませんが、全般的にこういうようなホテルあるいはクラブ等の施設が当初に比べて減少いたしておりますので、米軍側でもその間右左しているような事情があることは事実でございます。
  31. 井岡大治

    井岡委員 ですから、これはいわゆる直接の軍関係でない、その通りだと思うのです。従って別館なら別館をそれに充てて、あとを返すという方法があると思うのです。それは、広大な甲子園ホテルにわずかに三人か四人が毎日泊っているだけであって、そうしてあと全部遊ばしておる。こういうことでは、観光ホテルが足らないというふうにいわれているときに、これは非常に不合理じゃないか。従ってこういう問題を解決することによって、ただいま参考人からお話しになったような問題解決の一助になろうかと思うのです。従ってこういう点についても十分御調査をいただいて、そうしてやはり適切な措置を講ずることが必要じゃないかと思うのです。
  32. 大石孝章

    大石(孝)政府委員 お話の次第は私どもももっともと存じますので、今後も大いに努力いたしたいと思います。今日本全国におきます米駐留軍の使っております施設につきまして、こういうような直接目的以外の、しかしながら日米間におきましては確かに必要と判断されるものでございますが、それをもう少し計画的に使用したらどうだといったようなことで交渉いたしております事実もございますので、今後とも御趣旨のように努力いたしたいと思います。
  33. 臼井莊一

    臼井委員 ついでにお伺いしたいのですが、ファイナンス・ビル、あれも何かホテルに使っていたのが、最近あけたようでございます。あれもどこか完成したのであけたのですか。
  34. 大石孝章

    大石(孝)政府委員 ファイナンス・ビル、大蔵ビルは一月に返還になったのでございます。これは事務所並びに独身将校の宿舎に使っておったのでございまして、赤坂一連隊跡に建設が完了いたしましたハーディ・バラックスの方に移りました。
  35. 青野武一

    青野委員 不動産部長大石さんにお伺いしたいと思いますが、第一ホテルの、現在まで接収しておる、大体一方的な理由でありますが、事情はわかりました。それから山王ホテルの点はよくわからぬのですが、この間、私も先月の終りごろ名古屋にちょっと理事会の決議で行っておりました。問題になっておる点は、あなたの御説明によると、名古屋観光ホテルは大体最大の収容数が二百名程度、それを現在は百二十名前後が利用しておる。ところが、今まで議員は守山の第五空軍の司令部を視察をした者はおらなかったのでございますが、ぜひということで交渉をして、地元の人とか衆議院関係の要求によりまして、初めて司令部のある宿舎の視察をさせてもらったのであります。そのときに、ぜひここはお尋ねしておかなければならぬことは、将校の宿舎が約百八十できておる。ところが建築当時には調達庁と米軍側が折衝して将校一人に一部屋、これは宿舎ですからいわゆる寝室です。一人の将校に一部屋という目標のもとに予算が組まれて宿舎ができておる。ところが実際に行ってみますと、一人の将校が、私の席から前の壁くらいな広さでしょうが、そういう部屋を二部屋使っておる。そうすると、大体名古屋観光ホテルを現在百八十人の将校が利用していても、即日、ちょっと準備もありましょうが、大体誠意があれば二、三日で守山の空軍基地に移動ができるはずです。これは少しぜいたくだと私も言ったのですが、案外な人もそれには相づちを打っていた。それで問題はそこにある。二部屋を一部屋ずつに使わしていけば、何も名古屋観光ホテルをいまだに利用する必要もない、こういうことも考えさせられたのです。そうしてもう一つは、これは何だといって私が案内の米軍の人に尋ねましたのが、二階建で目分量で約千五百坪の建物です。これは司令部の付属建物で、調達庁と交渉して今建築中である。おそらく八分通りでき上っておりました。これはおもしろいのです。というのは、調達庁が米軍から交渉を受けたときに、非常に困難な予算関係の中から、この米軍の司令部の建物を余分に予算を組んでくれてそれでよろしいという返答があれば、名古屋観光ホテルは即日でも返還していいというので、とうとう調達庁が米軍に負けてその予算を取り上げられた。それもでき上ってしまったときではないのです。司令部の建物が建ち上って完成してしまったときという条件じゃない。その予算を承認すれば、すぐに移転するという約束を調達庁としておるのです。ところが現に八分通りでき上っております。それから私が関係者の方にお集まりを願って、二十七年の三月から昨年三十年の十二月ごろまでに前後十三回、商工会議所の会頭、県知事、市長、観光ホテルの社長あるいは交通公社その他の名古屋の有力な諸君の、名前は違いますが陳情書が前後十三回提出をされた。そのたびに公文書で返答のあったのを私が読んでみますると、一日も早く移転する、代替施設ができ上ったら御希望の通りに移転を完了いたしますということを公文書で返答しておったのが、十回か十一回目ごろの返答の公文書では、かような陳情書は日米合同委員会に提出すべきものであるから、われわれの方の司令部はこれを受け付けるわけにいかないと最後になってつきましている、そういう文書をちゃんと私持っておりますが、とにかく最初のうちは御希望に沿うように、名古屋産業の発展のために一日も早く移転を完了いたしますといって、すなおに公文書で返答しているかと思うと、最後の返答になりますると、それは筋違いであるからといって陳情書をつきました。司令部の建物の予算を決定してくれれば、それを境にしていつでも移転するといって、現在予算はぶんどって建築もどんどん進んで八分通りでき上っておるのに、移転をやらない。将校一人一部屋ということで建築して二部屋を一人に使わしておいて、何も名古屋観光ホテルを使用する理由が実際問題として、実地に視察して参りましたがなくなっているのです。それは自民党の諸君も、社会党の私も、関係者のいろいろな方がほとんど一致して、これはどうも米軍の方が理由なしに接収している。それから問題になってくるのは、名古屋の目抜きの場所で、建設省あたりも非常にお困りになっておると思うし、名古屋の市役所、県庁の都市計画課の方が非常に困っておられるのは、都市計画も十分にできて、焼け跡の名古屋の再建整備のためにやっていこうとしておるときに、あの名古屋のまん中に、悪口ではありませんが、アメリカ村というものができ上って、あれに移転してもらわなければ名古屋の都市計画、都市の整備あるいは体制を整えることができない状態になっている。ところがこれらについては、ほとんどほおかむりして相手にしない。大体戦後約十年間というものを、ホテルその他約二十ぐらいありましょうが、接収している。名古屋観光ホテルのごときは約十年間使っておって、その合計金額が二千二百万円程度の、とにかく露骨に言いますと借家賃です。そうしていよいよこれが本格的に守山の第五空軍司令部に移転してくれるということになりますと、二億九千九百万円、約三億です。それが向うさんがお入りになって、勝手に手織りの、めったに手に入らぬじゅうたんをめちゃくちゃにしてしまう。火災を起して二部屋ばかり焼いてしまう。二階から下に水を漏らしている。それらを改造する費用が約三億円要るというか、とにかく二束三文で借りられた上に、口実をつけて移転をしない。そうしてかりに立ちのいてくれたとしたら、三億円の借金を残していく。これは政府を代表して、調達庁との話し合いの上でしたことでありましょうけれども、ホテル側にとっては踏んだりけったりである。しかも貿易関係で外人を相手にして商工会議所の代表者あたりがお話を進めていっても、ホテルのない名古屋に行って貿易関係の話をするということはつまらないと素通りしてしまう。そうすれば、名古屋の港は一年間六百万トンの荷が出たり入ったりしているときに、陸上の問題のために、貿易の面が重大な影響を受けている。そういう面が全部所有者の泣き寝入りに帰してしまう。損害をかけっぱなしにされてしまう。そういう点について、当然何らかの形で国家が補償してやらなければならないと私どもは考えておりますが、私が今申しましたような点について、調達庁としてどのような折衝が行われたか。もちろんきょうは観光委員会でございますが、運輸委員会全員出席のもとに、名古屋観光ホテルを中心にして、接収されておるホテルあるいは重要施設等について、持に参考人を呼んで委員会が近く行われる予定でありますから、私はあまり具体的なことは御質問したくないのですが、今申し上げました点で、おわかりになっておるところを一つ御答弁願っておきたいと思います。
  36. 大石孝章

    大石(孝)政府委員 第一の御視察の結果、使用状況が非常にぜいたくきわまるという意味の点は、私どももいろいろ現地の局長等から報告を伺いまして、必ずしも当初の計画通りではないという点は非常に遺憾に存じますので、計画通り代替施設の方に収容するように鋭意交渉を継続中でございます。ただ軍内部にも階級別の待遇規定がいろいろあると見えまして、その点、中央で日米間に行われた計画と一致しない結果、若干のそごがあるという事情があるようでございます。  それから今の守山の司令部庁舎の付属建物の問題でございますが、これは確かに御質問のように、代替施設を建設するという当初の計画の中には入ってないで、あとに追加になったのでございます。これは名古屋市内に重要なビルディング、倉庫等がたくさんあるのでございまして、一日も早くそういうものの促進をはかる必要がある。その後若干の関係各省間において協議の結果、修正を必要とするという意味合いから、そこの部分が追加されたという経緯でございます。この名古屋地区は御承知のように地上部隊ではなくて、空軍が大部分なのでございまして、空軍それ自体は、むしろ朝鮮事変終了後はあの周辺に集結されたといった事情がございまして、当初の計画よりは増強になっておるということは事実でございます。そういう事情もありまして、また建設の途中におきまして、いろいろな火災等の事故もありましたので、要は当初の計画通り各種のビルディングあるいは倉庫等を、目的通り移転せしめるという意味にほかならないのでございまして、その点は私どもの方でも米軍の方には約束通りのことをやっているのであるから、従ってこの観光ホテル自体についても、約束通り代替施設の方に収容人員を移転させるというのが筋だろうというふうに判断いたしております。現在名古屋市内におきますビルディングは、おおむね返還並びに明確な返還の期日があるのでございまして、先ほど御説明申し上げましたように、観光ホテル及び四つほどの施設につきましてまだ明言がないので、それを取りつけようといたしておる次第でございます。  それから駐留軍が使用いたしました施設が、返還後にいろいろな損失がある条件がわかりますれば、これは賃貸借契約の条項に基きまして、当然復元の補償をいたす措置が講ぜられております。以上御質問にお答えいたしました。
  37. 青野武一

    青野委員 お話はよくわかりましたが、私が現地でいろいろな関係者の方にお尋ねしましたら、今申しましたように二階建の千五百坪か二千坪程度、これは初めの予算にはなかったのを、あとから米軍の無理を調達庁が聞いてその予算を出した。その予算をくれれば守山の空軍司令部に兵を引き揚げ、移転をするという口実を設けたというが、その点はどうだったのですか。そこを一つ明確にしておいてもらいたいと思います。  それから問題になるのは、私も九州出身ですが、小さな旅館でも最初のうちはヒノキの板を張った廊下の上をじかにくつで歩いてめちゃくちゃにして、しまいには音がするからといって、じゅうたんなどを敷いたのですが、とにかく接収が解除されたあとというものは、大へんな改造費が要る。聞くところによれば、名古屋観光ホテルのごときは、大体百二十程度の居間が使われる。珍しいことには、これは名古屋の市役所が低利資金か何かを政府から借りて数十年前に建てたので、鉄筋コンクリートで、建物としては丈夫であるし、行って調べてみると、このごろできた間に合せのじゅうたんと違って、手織りのじゅうたんを使っておる。それも問題にならぬ外人客を相手にして、一室に一つ水洗便所を設けるなど、近代のホテルとしてのあらゆる体裁を備えておるところですが、これらがかりに米軍の考慮によって移転がすみやかに完了したとしましても、約三億円からの改造費が要る。それから今までが借り上げ料というか、借家賃貸あまりに安過ぎる。そういったような点で、今のお話は私はよくわかりましたけれども、調達庁を通じて何らかの形でその損害の補償ができるかということを、私はもう一ぺん明瞭にお答えを願っておきたいと思います。きょうは小委員会を十五名の人員で開いておりますけれども、やがて正式に運輸委員会が開かれて、正式にこの問題を取り上げて、具体的にいろいろな質問と応答が行われる日がもう目の前に迫っております。おそらく数日後に開かれるのでしょうが、そのときの委員会の準備にも私は御答弁か必要であると思いますので、重ねてお尋ねしたいと思います。
  38. 大石孝章

    大石(孝)政府委員 ただいま御質問の、施設が返還になりました際に、いろいろ復旧費その他で相当金がかかるという問題につきまして、国はどう扱うのかという点でございますが、調達庁が通常契約条項に基きまして補償いたしておりますのは、使用開始時の状況、すなわちその建物自体が接収された状況はどうであったか。その時点の状況に復元する、復旧するというのが主でございます。それを金銭賠償するというのが建前でございますから、いろいろその状況によって一口には申し上げかねるのでございますが、要は当時の状況に合わせるような適正な補償が実施されるわけでございます。
  39. 濱野清吾

    濱野委員長 不動産部長にちょっと委員長からお尋ねをしておきますが、今ホテル関係で接収されておるのは全国でこれだけですか。その他にございますか。
  40. 大石孝章

    大石(孝)政府委員 現在ホテル施設が接収になっておるのは、第一ホテル、山王ホテル、それから観光ホテル、甲子園ホテルでございます。
  41. 濱野清吾

    濱野委員長 それだけですか。それから軍人会館のようなもので、宿泊ができるような施設になっているもので接収されておるというものがございますね。
  42. 大石孝章

    大石(孝)政府委員 たくさんございます。
  43. 濱野清吾

    濱野委員長 これも一つ調書を作って出して下さいませんか。
  44. 大石孝章

    大石(孝)政府委員 はい。
  45. 濱野清吾

    濱野委員長 それから行政協定て、この処分を受けた当時の利用実態と今日利用されている実態、たとえば名古屋観光ホテル、第一ホテル、それから井岡君の言うような宝塚甲子園ホテル、山王ホテル、この利用度、実態を一つ調査して出して下さい。たとえば百人も泊れるようなところへ、井岡君の説明のように、これが三人しか泊っていないとか、たまたま二十人しか泊っていないというようなことは、これは当然、日本が困っているのですし、民間のことなんですから、すみやかに解除をしてもらう手続きを強力に進めなければならぬ。それはアメリカのためでもあるし、わが国のためでもあると思うのです。こういうようなことをこのまま看過することは、双方のためによくないと思いますし、観光行政の今のホテルの非常に少くて困ってるというような事情にもかんがみて、急速に解決しなければならぬ、こう考えるわけです。名古屋観光ホテルのごときは、今不動産部長の御説明によると、ほとんど理由なくずるずるに引きずられておるようですね。大した利用がないようですね。約束の条件を具備しておるにかかわらず、引っぱってるようですね。従いまして、現実の米軍の利用しておる実情というものを知って、新しく交渉を開始してもよかろうかと思いますので、その他いろいろな参考資料としてすみやかに提出してもらいたい。それができてからまた小委員会を開いて、必要があれば本委員会を開き、いずれにしてもこの問題は急速に解決しなければならない。それには強力な力が必要になるかもしれないと思います。ですからなるべく早く出して下さい。  それでは本日はこの程度で散会いたします。     午後零時四十八分散会