○国務
大臣(清瀬一郎君)
教育の進め方はあなた方の御専門の方はもちろんでありまするが、いずれの家庭でも今日幼稚園か小
学校、中
学校、または
大学に通わしておる児童
生徒を持たぬ家庭はほとんどないのです。で、私は
教育の専門家じゃございませんけれ
ども、私の孫も子供も今でも五人
学校に行っております。占領最中もその
通りでございます。そこで一般父兄と同じく
教育がどうなるかは実質的の関心を持っております。あの当時のことを今から回顧しまするというと、あなたも御
承知の
通り、マッカーサーが
わが国へ到着したのは九月でありまして、九月二十日に
日本占領の最初の政策というものを発表しました。あのときは私はまだ旧制の帝国議会の議員でありましてあれを受け取りましたです。それからしてそのときは東久邇宮さんの内閣でありましたが、同年の十月の九日に宮さんがおやめになってたしか十日と思いますが、幣原さんが総理
大臣になられてすぐにマッカーサーのところへ就任のごあいさつに行かれた、そのときに始まって最高司令官は
教育を国民一般に開放すべしということで、ほかにも四つありまするが、五つの司令部の要求のうちで
一つが
教育の開放であった。私
ども当時代議士として
教育を開放し、多数の人に
機会均等を符させることだから大へんこれはけっこうなことじゃと思うておったのです。それから引き続きまして私もここにテキストを持っておりまするが、十月の二十二日に占領軍の
日本教育改革の目的並びに性格という長いディレクティヴがきております。それによって私は院内におりましたので、今日のように、あの当時は代議士と行政とはだいぶん離れてはおりましたけれ
ども、今のように密接にやっておりませんが、私もちょっと疑問があると思ったのです。疑問があるというのは
日本人の愛国心を全部否定し、生活と
世界とを直結するので、中の国家というものを抜いておるのですね。私も矢島さん御
承知の
通り国家主義者じゃないのですよ。いわゆる自由主義者群に属するものでありますので、(笑声)どうなるかと思っておりましたら、それが十月二十二日だったが、たしか年末に迫って、十二月の三十日にまたディレクティヴが出たのです。それは修身
教科書を一切やめろ、それからして修身の本は全国から回収せい、こういうことなのです。もう
一つは
日本歴史を教えるな、これが十二月三十日と私は記憶しております。それで昭和二十一年正月を迎えました。正月を迎えて一月の四日に私
どもは皆追放を受けたのです。そのときに初めて発言権を失った。一方神社を崇拝することを教えるな、武道をやめろ、男と女子とは一緒に
勉強せいといったようなことがばんばんと津発され、アメリカから
教育使節というものがやってきては
日本の
学校を二月ほどの問
方々見て回った。そういうわけで占領中
日本人の発言を封じてできたのが占領前期の
教育なんです。その後、朝鮮戦争が起きてから占領後期に至っては、同じ占領でもだいぶん進駐軍は言うことを聞いてくれましたけれ
ども、前というものはこれは国会が開けておってもらっとも発言権はないのです。この文明的な
教育基本法も
学校教育法もいいとこは非常にあるのです。簡単な言葉でいえば、われわれが受けた詰め込み主義というものはやめて、自発的の
教育ということになります。それがために子供でも
生徒でものびのびして朗らかになったことは事実です。昔の子供みたいに、お客が来たら奥の方に逃げていくといったこっちゃなく、どんな人にも、それからまた私
どもの家には外人も来まするが、外人でもすぐ握手して可愛らしくよく育っておりまするけれ
ども、
一つ足らぬものがあるのです。これは私だけじゃない、皆そう骨うのです。何か今の
教育では足らぬ。それを言葉で、ここが足らぬのだ、といって文章に書き、言葉に変えて言うことのできぬ人も、お母さんも、お父さんもありますが、だんだんそれを私は探ってみるというと、
日本的なよさを失いつつあるということじゃないですか。こういうとおかしいが、まあ孝行という言葉はちとこれは朱子学、支那の言葉ですから古めかしいけれ
ども。自然的に
日本の子供は家庭的で、お父さん、お母さんを尊敬する。しいて宗教という
意味じゃありませんけれ
ども、やはり祖先は礼拝するというふうにやってきているのです。この
日本国民のよさをすっかり失うてしまうて、砂を水で溶いたようなものですね。家庭というものが失われつつあるのじゃないかというふうなことが皆さんの不平じゃないか。私はそれでも家庭を復興して戸主権を再興し、封建家庭にするというのじゃありませんよ。だけれ
ども、
日本の憲法を見ても、個人の尊厳と両性の平等、個人の尊厳と両性の平等だったら、親も子供も平等だ、夫も妻も平等だ。それじゃ家建じゃないのですね。無理に服従をしいる必要はないけれ
ども、経験あるお父さん、お母さんのおっしゃることを受け入れの
態度で聞いてくれなければならぬのです。人の言葉というものを反撥の
態度でいる時分に、なんぼ言ってもだめです。反対ばかりするのです。けれ
ども、子供の時分から可愛がって、お乳を飲まして、おむつを洗うていろいろやってきているお母さんについては親愛、尊敬の念でもっていかなければならぬ。私
どもの属している党派は世間で保守党といいますが、保守党は実は進歩党なんです。ただしかし伝統のよさを保持しつつ進歩をしよう、(笑声)こういう党派なのであり、そこでぴったりはまらぬことがあるのです。よくものを
考えてみますと、あなたのおっしゃる基本法はよく書いてある。大へんよく誓いてあるが、これはどこを見ても、
日本人たれということはないのですね。直ちに
世界人たらなければならぬ。昔の修身にいいことがありましたが、一番の結論ば、いい
日本人というのがもとの修身のおちです。ただ昔の修身の欠点は服従からきているのですね。親に服従せい、君に服従せいという外部からの服従圧迫から来ているが、今の道徳はそれじゃいかぬ。個人の尊厳、自分の自覚、セルフ・レスペクト、それから出発しなければ、たとえいいことをしても自分の良心でやったのでなければ善の値打ちはありませんから、そこらのところが、私は基本法はよくできておると思いまするけれ
ども、やはりどこの国でもその国の全体、個性、伝統というものをすっかり捨ててしまうということは、これは残念なことでありまするから、それを
一つまあ私は改めよう。これは私一人の発明じゃない、
日本のお父さん、お母さん皆そう思っているので、それを文章に書いて言わぬだけのことなんです。それをやるにはしかし一党一派がやっちゃいけませんので、二大政党組織ですからして、政府がかわっても続けていくように、内閣に審議会を設けまして、社会党のあなた方にも入ってもらい、
教育界のベテランにも入ってもらい、われわれもむろん入ります。そうして一ぺん占領前期の
教育組織をかえてみたいというのが私の衷心の願いであります。本
会議のようなああいういかめしい壇上で言うと、自然やかましいことになりまするが、まあこういうことです。決して反動
教育をしようというのではございませんから、どうか
一つ御共鳴の上、
教育改革には御協力下さらんことを切にお願い申し上げます。