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政府委員(下田武三君) それでは簡単に。いろいろこの御審議を願いますことになりますので、バック・グランドから
お話をしましたらおわかりいただけるかと思います。
まず第一に、本件は期限付の案件でございます。と申しますのは、御
承知のように、
平和条約十二条で、連合国側は
日本側に対し最恵国待遇あるいは内
国民待遇を与えることにきめますと、
日本はそれと同じ待遇を与えなければならないという義務が掲げてございます。著作権という財産権に対する保護も、やはり
平和条約十二条の規定の
適用を受けることになるわけでございまして、従いまして連合国との間に明年の四月二十八日までは、たとえば
アメリカは
日本人の著作権に対する内
国民の待遇を与えるということになっておりますので、
日本側も従って内
国民の待遇を与えることを現にやっておりますが、その期限が四月二十八日に切れますので、その二十八日以後の著作権
関係を一体どう規律したらいいかという問題があるわけでございます。そこで、たまたまユネスコの主催のもとに、一九五二年にでき上りました著作権
関係に関する
条約ができておるわけなのです。御
承知のように世界に著作権に関する多数国間
条約が二つございます。第一は、
日本が明治年間からすでに当事国になっておりますベルヌ
条約でございます。第二に、ただいま問題になっておりますユネスコ主催のもとに行われたこれが万国
条約ということに相なっております。この万国
条約を
批准しましてから、
批准書を寄託しましてから三カ月を経過しなければ効力が発生しないということになっておりますので、そうしますと、明年の一月二十八日までに
批准書を寄托しなければ、四月二十八日以後は
条約書のギャップを発生することを妨げることができないということに相なりますので、例年の例によりますと、一月の二十三、四日ごろ開会されまして、数日間でこの
条約の御審議を上げてパリまで文書を発送するということはどうしてもできませんので、やむを得ず短期
国会ではございますが、本臨時
国会の御審議をわずらわすことに相なったわけでございます。
そこで、この
条約だけの御説明を申し上げればいいわけでございますが、先ほど申し上げました二つの
条約について簡単に御説明申し上げたいと思うのでありますが、明治年間から
日本が当事国になっております著作権保護同盟に関する
条約、このベルヌ
条約と申しますものは、ヨーロッパの国がほとんど全部入っております。また米洲大陸ではカナダも入っております。これは要するに一口に申しますと、
著作物ができた、ある人が本を書いたという事実をもって直ちにそのものに対して著作権を認めまして、そうしてその著作権の保護を与えるという制度でございます。これを無方式主義と申しております。
ところが世界にはそうでなくて、著作者が本を書いたという事実だけではまだ著作権を認められず、従って保護は与えないで、著作者がその本を納本する、あるいは登録するとか、さらに著作権を得るための手数料を払うとかいう手続を経て、初めてそのものに著作権を認め、そうしてその著作権を保護するという制度がございます。これが
アメリカ初め米州諸国がとっておる主義でございまして、なぜこういう主義が生まれましたかと申しますと、まあ
日本もそうでございましたが、
アメリカはイギリス人やドイツ人、フランス人、イタリー人の子孫が国をなした国であって、どうしてもヨーロッパから文物を輸入しなければならない。輸入することになりますると、なるべくその外国の
著作物に対しては保護を与えないで、翻訳、複製等が自由にできるようにしなければならない。そうするためには、著作権の保護を与えるために納本、登録、手数料の支払い等の複雑な、手続を課しまして、なかなかそういう手続を、外国にいる者に
要求することは無理な場合もありまするが、そうして著作権が与えられない可能性を多くしておいて、そうして自由にまあ翻訳して文物を輸入するという文化輸入国側の立場からして、そういう方式主義というものが生まれたわけでございます。
それで、
アメリカは実は従来十九世紀までは文化輸入国で、あったのですが、今世紀になってはもちろん文化の輸出国に相なったわけでありますが、長年の著作権の方式主義の制度というものはなかなか変えることができなかったわけでございます。しかしついにアイゼンハワー政権になりましてから、著作権制度の
政策の大
変更をいたしまして、
一つには
アメリカはこの方式主義をとりながら、外国に対して二国間の
条約を別々に締結しておる。四十数個の二国間の著作権
条約というものを作っておりまして、相手国の実情に即してその国の
著作物に対してはこういう待遇を与えるといって、国別に扱いぶりをきめておったのです。この方式主義と、それに基く国別の取扱いぶりとの差という複雑な著作権の保護体制の煩に堪えられなかったわけであります。そこで
アメリカ自身も困ってはおりましたが、一方このベルヌ
条約の国側から見ましても、これは実に不便なわけでございます。そこで、ユネスコ主催のもとにまあ行く行くは将来は世界中
一つの著作権
条約で規律すべきであるけれども、どうもそこまで一足飛びに行けない。そこで米州諸国とベルヌ
条約当事国との間の橋渡しをするような
条約を作ろうということをユネネスコで発議いたしまして、そこでジュネーヴで
会議を開きまして、そうして一九五三年にこの
条約ができたわけでありますが、
日本はむろん代表が参加いたしまして、萩原公使はたしか法律
委員会の
委員長になって、非常にリードされたのでありますが、とにかくやっと橋渡しをする
条約というものができました。
そこで、この
条約の主眼点は、要するに結局はまあ内
国民待遇なのでありまするが、内
国民待遇を与えるにしましても、各国の法制がまちまちでございまするから、そのためにいろいろな調整の規定を置いたのでありまするが、その最大の主眼は、米州諸国で先ほど申し上げましたような納本、登録、手数料支払い等の手続を要せずして外国人の著作権が保護されるための制度、それには本にコピー・ライトのCをとりまして、Cという字のまわりを丸で包む、〇Cという符号をうけまして、本が発行された年号と著作者の名前だけを本のどこかに書いておけば、もう
アメリカでもどこでもそれだけのことが印刷してあれば著作権がただちに発生して、そして著作権者に対する保護が与えられるという簡便な方式を選んだのでございます。これがまあ非常に大きな主眼でございます。
第二の大きな主眼は、著作権の保護期間というものが非常に各国ともばらばらでございます。
アメリカは五十六年間保護する、
日本は著作者が死んでから死後三十年間保護するというよう宏ことになっておりまするが、この
条約では、相手国が自分の国よりも短い保護期間を与ておる場合には、自分の国の方でもその国の著作者に対して著作権の保護期間を相手国と同じにちょん切って同じ期間だけ保護するということを可能ならしめるという点でこの保護期間の不公平をなくすという点をとり入れたのでございます。
それから第三に、橋渡し的の
条約の当然の帰結なんでございますが、先ほど申しましたベルヌ
条約の当事国は昔から著作権の保護同盟を結成いたしまして、そうして
一つの
条約関係をなしておったのでありまするから、この万国
条約ができたために昔からあった著作権の相互
関係に影響を及ぼさせないというための規定を設けたのでございます。つまり
日本とフランスの間というものは、長くから著作権の保護についてはベルヌ
条約が支配しておったのですから、日仏間には相変らずベルヌ
条約の規定が
適用される。そのかわりに
日本と
アメリカ、フランスと
アメリカというように、米州諸国との間にはこの新しい万国
条約の保護
関係を作るということで調整をいたしておるわけでございます。
そこでもう
一つ、これはまあ国内的には非常に問題になったことなんでありますが、御
承知のように
日本は明治年間当然文化の輸入国でありましたために、昔の
アメリカと同じように翻訳の自由ということを非常に強く
主張いたしまして、一九〇五年の日米間の著作権
条約というものは、実は両国は互いに相手国の
国民の
著作物を自由に翻訳し得るということに相なっておったのでございます。ところが
平和条約の第七条に、連合国側は、戦前の
条約のうち、自己の欲するものはその効力を復活せしめ、欲せざるものは失効せしめる、いうことを認めた規定がございます。
アメリカは、先ほど申し上げましたように自身が文化輸入国から文化輸出国に変化した当然の帰結といたしまして、翻訳の自由を認めた一九〇五年の日米間著作権
条約を廃棄いたして参ったのでございます。そこでどうしても昔の日米間の翻訳自由というものは復活し得ないということに相なった。これはまあ当然の、
平和条約の規定でやむを得ないことでございます。そこで
日本側は、実はこのベルヌ
条約を
批准いたします際に、
日本は文化の輸入国であるから、もう
一つは、
日本語に翻訳するということは新たに書物を書くぐらい実はむずかしい仕事であるのであるから、どうも一般のヨーロッパ諸国間におけるような
関係はそのまま妥当しない。従って、外国の
著作物が発行されて十年間の間に
日本人が翻訳した場合には、それは契約によってずっと独占的にその著作者に対する権利は認める。しかし十年間たっても翻訳されないような外国の書物、これはもう実はほとんどないのでありますが、翻訳する価値のあるものは九〇%以上は十年間にもう訳されてしまうのでありますが、その残りの一割足らずの外国の
著作物が十年間たっても翻訳されないような場合は、
日本は自由に翻訳し得るという
趣旨の留保をベルヌ
条約でいたしたのであります。そこで、できるなら日米間にもこのベルヌ
条約に対する留保と同じような内容をとり入れた二国間の
協定を締結いたしたいと思いまして、ずっと実は二、三年来
アメリカと新しい二国間
条約の締結
交渉をして参ったのでありますが、これは
アメリカの先ほど申しました二国間
条約方式を廃棄して、対外著作権
関係はすべて万国
条約一本でいくというアイゼンハワー政権の
政策決定のあった直後でありますので、どうしても
アメリカはこの要望に応じませんで、先月ダレス国務長官から井口大使に公文をもちまして最終的に
日本側の提案にどうしても応じられないという回答をいたしましたので、従って同時に
日本側も
万国著作権条約を
批准することによりまして日米間の著作権
関係もこの
条約で規律しよう、そうしてこの
条約で規律するためには、先ほど申しましたように、明年四月二十八日以後の無
条約関係の発生を回避するために至急この
条約を
批准しようということにきめまして、今
国会に御提出申し上げたような次第でございます。
そこでこれも国内
関係方面にいろいろ
議論があったのでございますが、大体学者と申しますか、かくある方が
日本にとって利益であろうという推測をなされる立場の方は、
万国著作権条約の
批准はそう急がないでもいいのではないかという御
意見であります。もう
一つの実際に著作権を扱って仕事をしておられる方面、六大新聞を初め有力新聞のすべて、それから大雑誌社のすべて、あるいはまた文芸家協会、音楽家協会、美術家連盟、そういうような著作権自身で仕事をして、その扱いによっては非常な影響を受けるという実際の利害
関係のある方面の民間の御
意見は、
万国著作権条約を早く
批准しなければいけない、
日本はすでに外国の書物を自由に翻訳するということに利益を持つよりも、
日本はすでに文化の輸出国になっているのだから、
日本の映画でも一本で年に一億円の外貨をかせぐというようなものもどんどんできておる。また
日本のレコードもどんどん
アメリカに行って今勝手に複製されておる。そういうようなことを防止するにもどうしても著作権
条約に入る必要があるのだという民間の実利実害に立つところの御
意見は、この
条約を早く
批准すべしという御
意見でありました。そこで文部大臣におかれまして、国内の権威者を網羅されました
委員会に答申を求められました結果、
政府の善処を期待されたわけであります。結局は
政府にまあまかされたわけでありまするが、
政府側といたしましては、先ほど申しました観点、特にこの
万国著作権条約に入ることと、さらにもう少し時間をかけて日米間に二国間
条約を締結するという――これはまあ実はわれわれ不可能と思われるのですが――その方法との利害得失を検討いたしますと、どうしてもやはり
万国著作権条約によって日米間の
関係を律するのが有利だという
結論に到達したのでございます。なぜかと申しますと、第一は先ほど申し度したように、現在のままを継続いたしました場合を仮定いたしますと、
日本では国内法が無方式主義であります。だから
アメリカ人がある本を書いたという事実によって、直ちに
アメリカ人に著作権を認めるとか、何らかの保護をしなければならない。しかるに
日本人の
著作物は、
アメリカに持っていって納本、登録、手数料を払わなければ著作権が与えられない。非常に不平等の
関係にあります。でありますから、
日本の茶の湯の本でも、またいけ花の本でも、どんどん
アメリカで翻訳されるという今日でありますから、これは先ほどのマルCと書いて、何年何月何のなにがしと書けば、それがもうすぐ
アメリカで保護されるという万国
条約の方がはるかに有利だという点を認めました点、もう
一つは
日本では
アメリカ人が書いた
著作物に対しては、その人が生きている間、若い人が書けば五十年も保護して、そうしてその人が亡くなってさらに三十年たっても保護しなければならぬという、長い保護期間を
アメリカ人に与えなければならぬというのに対して、
アメリカの方では二十八年で終ってしまうという
関係でございますから、万国
条約に入りました場合には、
日本も
アメリカで二十八年しか保護しないなら、わが方でも二十八年しか保護しないということができるわけであります。そういう観点からいたしまして、著作権方面で最も
重きを置かれました対米
関係からの
見地から見ましても、
万国著作権条約を
批准して、すみやかにこれをいたして、四月二十八日以後の
関係を律する方が有利なりという
結論に到逢いたした結果、今
国会に提出いたしまして御
承認を仰ぐことに相なった次第であります。