○岡良一君 私は、ただいま上程されましたる
原子力基本法並びに
関係二法案に関しまして、
日本社会党を代表いたしまして、若干の希望を添えて賛意を表したいと存ずるのであります。
こうして、今日、衆議院が、
原子力に関するその幕を切って落そうという画期的な
法律案を成立せしめるということは、実に
国会史上にも長くとどまる画期的な記録であろうと思うのであります。(
拍手)しかしながら、考えてみまするに、
原子力の秘密を解いて人間がこれを作り、またこれを利用する、これは五十年、七十年にわたる
世界のすぐれた科学者の長き夢であった。これが達成されたのでありまするが、このことは、単なる物質文明の発展のみにはとどまらないと思うのであります。精神の
世界においても、実に驚くべき革命的な影響を与えております。かつて、物質は不変なものである、変化しないものである、このように概念されておった。その物質が変化するものである。生けるものである、発展するエネルギーそのものであることが実証された。この人間の深き知恵というものは、素朴な物質観に立つところの唯物的な観念や、その上に根ざす政治秩序や社会秩序、あるいは物と物の
利害によって結ばれる資本主義秩序というものに対して、大きな自己
反省を
要求いたすものであろうと思うのであります。(
拍手)
原子力の発展は、このような形で、物質や精神の対立を越えた新しい
世界観を形づくろうとしております。ここからは、当然資本主義や共産主義を越えた、われわれの抱懐する民主主義と平和主義と社会主義の政治理念が、この理念の上に立つところの新しい
世界観が生まれようとしておるのである。この立場から、われわれは、このたび
提出の三法案に対し、根本の問題に触れて若干の希望を申し述べたいと思うのであります。
すなわち、その第一点は、
政府が
原子力基本法においてその平和利用を根本の精神として取り上げました以上は、
政府は内外の施策を通じてあくまでも平和利用に徹していただきたいのである。この点の保障をあくまでも
要求いたすのであります。われわれの同胞は、十年前、広島や長崎、あるいは昨年ビキニにおいて大きな犠牲を払い、ビキニの犠牲のあとには、引き続きまして、
国民は、飲料水を飲むにも、米を食べるにも、お茶を飲むにも、放射能の懸念に脅かされました。これらの体験を通じて、今や、心ある
日本人は、単に放射能に対して、素朴な、原始的な恐怖というよりも、このような人間の高い知恵の力というものは、人間の生命を脅かしてはならない、文明を破壊してはならない、人類の福祉と文明の発展のために貢献せよという固い信念が、
民族の悲願として盛り上っておるのであります。(
拍手)このような
民族の悲願というものは、言ってみれば、われわれ
日本民族に許された貞操帯
とも申さねばなりません。従って、われわれが、今日
原子力時代のこの朝明けに立って、基本法を通じ、
原子力の平和利用を
国民に誓いましたる以上は、いかなる
理由があろう
とも、
原子力の
軍事的利用に
協力することは許されないのであります。(
拍手)それにもかかわらず、あるいは原爆塔載機のために滑走路を拡張しようとする、あるいは原子弾頭を使用できるオネスト・ジョンの持ち込みを認めようとする、そのようなことは、明らかに
国会が基本法を通じて
国民に約束をした
原子力の平和利用というこの大精神を踏みにじるものであり、みずから
日本民族の貞操を冒涜するものと申さねばなりません。(
拍手)この点に関とまして、私は
政府並びに与党の諸君に対し深甚なる注意を喚起いたしたいのであります。
第二に、将来の
原子力に関する管理と運営は、どこまでも
国民の
意思を十分に反映し、民主的に、かつ公共的に管理をするという
原則を絶対にくずしてもらいたくないのであります。(「法律にはそうなっているのだよ」と呼ぶ者あり)法律にはそのようにうたわれても、しばしば
政府は法律を裏切っておる事実を、われわれはあまりにも知っておる。特に、石炭をたくところの蒸気機関の発明が、御存じのように、あの第一次の産業革命を招来いたしました。これが資本主義の発展となり、人間の人間による搾取、
国家の
国家による支配を許すに至ったのであります。ところが、この
原子力の発展というものは、一トンのウランから実に一万トンの石炭にひとしいエネルギーを出すことが証明されておる。あるいは、トリウムまたはウランを増殖すると、一トンのウランから三百万トンの石炭にひとしいエネルギーを発生することができるといわれておる。このようなエネルギー源が、あるいは特定の民間人によって占有をされるということに相なりまするならば、彼は
日本の産業に対する大きな支配権を独占することとなって、現在における資本主義の矛盾と撞着は、さらにとめどもなく助長される危険があるのである。
原子力によって生み出された一切の富は、すべての
国民に分ち与えられねばならない。この点に関する昨日の提案者の御説明、あるいは正力
国務大臣の御答弁は、必ずしもこの点に関してわれわれを納得せしめ得なかったのである。われわれは、原子エネルギーの動力化というこの
事態こそ、
世界の科学者が、事実をもって資本主義から社会主義へという一大転換を人類に教えておるものと信じておるのである。(
拍手)
原子力の管理に関し、その運営に関しては、あくまでも、
国民の
意思を反映した、公共的、民主的な運営と管理の
原則を貫くべきことを、ここに重ねて強調いたしたい。(
拍手)
さらに、私は、国際
協力に関しても希望を申し添えたいと存じます。本法にも国際
協力がうたわれてはおります。ところが、申し上げるまでもなく、
わが国は、この地球上において最初にしてかつ唯一の
原子力の犠牲者であります。
原子力の平和利用を国際的に発展せしめるためには、われわれはこの平和利用という大文字を、
民族の権利として、崇高な
義務として叫び続けることが当然であろうと思います。
わが国がやがて国連に加入し得れば、また、それ
とも、やがて国連に設置されようという
原子力の平和利用機構に参加し得る暁においては、われわれは、単に、そのプログラムにおいて述べられておるように、二年や三年に一回
世界の科学者が
原子力の研究に関する情報を交換するという、このようなことでは済むまいと思うのである。
世界の科学者の情報交換はもとより、
原子力の平和利用のためには、その原料なり、あるいはまた施設なり、国際民主主義の
原則に従って、大国といわず、小国といわず、これが全
世界に普及し、全
世界の人々が平和利用の恩典にあずかり得るように、
わが国としては、当然な権利として、崇高な
義務として、国際連合の中において働き続けねばなるまいと思うのである。また、このことによってのみ、全
世界の人類がかねてより悲願としている、大国による
原子力の軍事利用もこれを抑制し、これを廃絶し得ると信ずるのである。このことは決して夢ではありません。八月八日に
原子力平和利用
会議がジュネーヴで開かれ、国境を越えた科学者の良心は、相互における研究の情報を交換する
決議、その最終日には、国際連合に向って堂々と平和利用機構の設立を決定した。国際連合はこれを取り上げて、いち早く来春にもこの機構が生まれようとしておる。われわれは、このような
事態にかんがみ、
日本国政府は当然に国際平和利用機構の中において積極的な発言権を確保し、われわれの念願する全
世界に対する
原子力の平和的利用についての格段の努力を、この機会に重ねて
要求するものである。
最後に、おそまきながら
わが国にも
原子力平和利用の道が開かれたこの際、
わが国における、進歩的な、良心的な科学者の諸君と、向学の志に燃える多くの青年学徒が、
国会の
意思にこたえ、
原子力平和利用の道に格段の精進をされることを心から念願いたしまして、私の
賛成の
討論を終りたいと思うのであります。(
拍手)