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木村参考人 私はただいまお呼び出しになりました
名古屋市
教育委員会委員長の
木村重正でございます。今回
愛知県の
高等学校の
学区制の変更につきまして、この
文教委員会の御高配をこう
むるようになりましたことははなはだ感謝にたえません。
ただいま県の
教育委員長よりるる経過の報告、
主張等がありましたが、この件につきましては遺憾ながら
愛知県の
教育委員会と
名古屋市の
教育委員会とは初めより終りまで
意思の一致を見なかったのであります。そこで県の
教育委員会におかれましては
——私の方より時々いろいろ
陳情あるいは申し入れをいたしましたのでありますが、
最後の腹は
教育委員会法の五十四条に照らして、これは県の
教育委員会が定むるものであるから、
意見として一応聞くことは聞いてやる、とるととらぬとは県の
教育委員会の勝手である、徹頭徹尾こういう
態度であったのであります。むろん
教育委員会法には、県の
教育委員会においてきめよということが明らかになっておりまするから、それはごもっともでありまするけれ
ども、しかしわが
名古屋市におきましては、
市内に
八つの
高等学校を設置しております。
ただいま
三つと
仰せになりましたが、あれは
普通課程でありまして、ほかに
実業課程あるいは
定時制等を持ちまして
八つの
高等学校を設置いたしております。そういう
関係上、この
高等学校の
通学区域を定むることにつきましては、これはどういたしましてもわが
名古屋市の
意見は
相当に尊重をしてもらわなければならぬと信じておるのであります。むろん
教育委員会法の五十四条に県が定むることになっておりまするが、その定
むるまでの順序につきましては、
名古屋市が
八つの
高等学校を持つ
関係上、
名古屋市と
協議をして、その
協議の整った上で御
改正になるのが順当であろうと思います。これが
教委法五十四条の
精神であろうと思います。これは私一個の
意見ではありません。
文部省の
調査普及局長の
辻田力氏監修の五十四条の解釈にも、県、市において
委員会あるいは
協議会を作って案を立てて
決定をするのが普通である、こう
注釈が載っております。またや
ほり文部省の
初中局の
地方課長の
北岡健二氏著わするところの
説明書、なおそれには現在の
文部次官、その当時の
初中局長の
田中義男氏の序文が載っておりまして、全部これを肯定していらっしゃる。それにも同様に県と市とは
協議をしてきめるべきものである。一方的に県の
権限であるといってきめるというようなことはよろしくないということが明らかに載っておるのであります。でありまするから私の方といたしましては、あくまで
名古屋市の立場をもって時々
意見を具申いたしましたが、遺憾ながら一回もその件についてはお取り上げがなかったのであります。今御
説明がありました
愛知県の通
学区を数区ないし二、三の
学区に分けるという大
方針、大前提を発表せられましたときに、これは重大問題である。こんな大
改正を行なって、
全国に比を見ないところの大
学区を作るということは、これは大
改正であるから
相当の
調査期間を持ってもらいたい。何も今ここ三日や五日にこれをきめるべきものではなかろう、こういうことを申しまして、今も
お話がありましたように、しばらく
調査期間を与えてもらいたいということを申し入れました。私の方では初め一カ月の
調査期間を与えてもらいたい。
全国に文書を発し、あるいは必要なところへは人を派して
状況を
調査して、大
学区の
利害得失を十分に調べてお
返事を申し上げたい。遺憾ながら現在においては県の
方針に
賛成しかねる、こういうように申し上げておきました。ところが県の方ではいわゆる今も
アドバルーンと
仰せになりましたが、
アドバルーンをお上げになったところが、各
方面より非常な
反対の声が強くなって参りました。こんな無
方針なことをしてもらっては困る。そんな大きな
改正をしてもらっては困るという声が各
方面より大きくなりました。あるいは
愛知県下のPTAやあるいは
市町村の
教育委員の
方々あるいは
愛知県内の
小中学校長あるいは
教員組合、こういうような
方面から今度の
アドバルーンについて攻撃の矢が向けられたのであります。この大
方針をおきめになったところの日は九月二十八日と記憶をしておりまするが、この日のごときも
愛知県の
教育委員会の玄関といわず、廊下といわず、室内といわず、数百人の
陳情者が
反対の声をもって集まっておったのであります。
かくのごとき
状況でありまして、今県の方からは
反対の声もあったが、
賛成の声もあったとおっしゃいましたが、私の耳には遺憾ながら
賛成の声は聞かれませんでした。またここへ持って参りましたが、当時の各
新聞社は口をそろえて
反対の
のろしを上げております。あるいは社説をもって、あるいは
教育学者の説または
父兄の
声等をすべて集録いたしておきましたが、
一つとして県の
アドバルーンについて
賛成の声はなかったのであります。そういうような
状況で、
反対の声が非常に強くなったと私は
承知しておる。そこで九月二十七日の午後七時三十分と
承知をいたしておりまするが、そのときに至って初めて県は突如緊急の本
会議をお開きになりまして、この間数分間においてこの大事件を御
決定になったのであります。ここに
会議録を集録をしておりまするが、はなはだ奇怪なことは、県の
教育委員会は御
承知の
通り公開であります。ところでその数区ないし二、三に分つという第一
号議案の審議につきまして、
委員長は
教育長にその
改正の理由を
説明せよ、こういう
お話である。ところが
教育長はただいま別室において
——これは
秘密会でありますが、
協議会で十分に
説明をいたしましたから、
省略をいたします。こう
仰せになっておる。これについて何か
質問はありませんかと
委員長が
仰せになったならば、
質問なし、しからば
異議なしとしてこれを
決定いたします。といって数分間のうちに御
決定になっておる。
傍聴者はあっけにとられました。
教育長からこの大
学区について首肯し得る十分なる
説明があるであろうと思っておったのであります。ところが
秘密会で話しておいたから
公開の席では
省略をするというようなことはまことにこれはけしからぬところの
会議だと思いまするが、そんなようなわけで、九月二十八日にこの大
学区の
アドバルーンを上げたのを御
決定になったのであります。自来県といたしましては、県の
主張したことについて
賛成を求めるために各
方面にいろいろな
協議あるいは会合を持ちまして、この大
学区賛成の声をお求めになったのであります。それからは、すなわちこの大
方針が
決定してからでありますから、中には、きまったことならばやむを得ない、これに
賛成をいたしますという声もあったようであります。あるいは中には、県が適当なる
権限によって
決定をしたのであるから、これに
反対をするのは
遵法精神にそむくものであるというようなお声もあったように聞いております。
かくのごとくいたしまして、いよいよ
最後の
決定は、十月の二十一日に至って、
名古屋市を含めた
尾張を一区、
三河を一区という
二つの区に分けるという
具体方針が
決定せられたのであります。そんなわけでありまして、この
決定につきましては、終始私の方では、今申しましたように、何とか県のお顔も立つように、大
学区ということを
仰せになったのだから、そのお顔も立つように、しかし
愛知県の
高等学校あるいは
義務教育を混乱せしめないようにということも
考えまして、初めにはこういうことを申し上げました。まあそういうようにあなたの方が大
方針を御
決定になったならば、
名古屋市だけを一
学区としてもらいたい、そして
試験は
共同試験をいたす、むろん問題も同じ問題にする、そして今
名古屋市には
高等学校の定員が
県市全部で四千五百名ありますが、
志願者のうちから四千五百名を
合格者と定め、その四千五百名は
通学の
便等をはかって適当に分配をいたして、もとの小
学区の
学校になるべくたくさん入れるようにしてはどうか、そうするとあなたの方の大
学区ということもお顔が立つし、それに対する弊害も非常に少くて済む、そういうことを申し上げましたところが、これも一蹴されました。だんだんせんじ詰めまして、
最後の
最後に至りまして、私の方といたしましては、大
学区になさるならば、それでは
試験の結果八〇%は昔の小
学区のうちから採る、そして
郡部の方からの非常に優等な人で、どうかして
名古屋の
高等学校に入りたいという人があるかもしれないし、二〇%は全県区から採る、あるいは
尾張全区から採る、こういうようにしたらどうか、そうすれば小
学区の利益もあるし、あなたの方の大
学区のお顔も立つし、こういうように申し上げましたところが、これもやはり一蹴をされまして、結局それを逆にして、二〇%だけは旧
学区から採りましょう、しかも三十一年度に限る、こういう
お話でありまして、まことに遺憾のうちにこの大
学区制がきまったのであります。
そんなわけでありまして、私
どもといたしましては、あくまで県の大
学区制には
賛成をいたしかねるのでありますから、
声明書を発し、なおかつ私
どもといたしましては、でき得る限り自分の
主張を徹底いたしたいという
考えから、これは
考えるところ、法の趣旨といたしましては、
教育委員会法五十四条は、県においてこれを
決定せよとありますが、
注釈を読みますれば、むろん
県市よく
協議をしてきめよということが法の
精神であるから、その法の
精神を尊重して、
教育委員会法五十四条は
改正をしてもらいたい。というのは、その県が定めるところの
学区内に
市町村の設立をいたしておる
高等学校のある場合には、その
市町村と
協議をして同意を得た上で
学区を定めるのだ、こういうただし書きなり第二項なりを五十四条に明らかにきめておいてもらいたいということを私
どもの方は
考えたのであります。とりあえずこれらのことを
関係の官庁にも
陳情をいたしておきました。
なお
名古屋市といたしましては、県が五十四条によって
名古屋市及びその周辺の
尾張全体を一区となさったのでありますが、そのうちには今
仰せのように
名古屋市立の
高等学校が、
普通課程、職業課程をあわせて八校存在いたしております。この八校の入学につきましては、わが
名古屋市としてはこう
考えております。これは自治法の二百十一条に照らして、もし
名古屋市以外の町村より
名古屋市の
市立の
高等学校に入学をいたしたい、すなわち、
名古屋市の営造物を
名古屋市以外の
市町村が使用いたしたいという場合には、二百十一条に照らして、
名古屋市と他の町村が
協議をして、おのおのの議会において決議をいたして、しかる後に
名古屋市の営造物を他の町村の方がお使いになる、すなわち他の町村の子弟が入学する、こういうようにすべきものであると思います。しかしその点におきましては、
教委法の五十四条で県がきめるべきものであるというから、自治法の二百十一条はそれによって消滅をいたしておるというような説をなす者もありますが、それは穏当ではないと存じます。すなわち、自治法の二百十一条には何らかかることのただし書きがありません。除外例もありません。でありまするから、二百十一条も生きておりますし、
教委法の五十四条はむろん生きております。ゆえにこれは両立いたしております。両立いたしておりますから、もし
名古屋市以外の町村より
名古屋市の
高等学校へ入学を
希望する者は、二百十一条によって互いに
協議をして
決定すべきものだと
承知をいたしております。このことにつきましては、県の
教育委員会においてもむろん御
承知のことと思いまするので、そういうような手当についてあるいはすでに御心配になっているかも存じませんけれ
ども、御心配になっておらなかったならば、これは至急その手当をしていただかなければならぬと思います。なお、もしこの点につきまして
異議がありまして、遺憾ながら県の
教育委員会と
名古屋市の
教育委員会とが
意見の一致を見ずして紛争を継続した場合におきましては、やむを得ず自治法の二百五十一条によって総理大臣の方へ申請をいたしまして、自治紛争調停
委員会をお作りになって、この解決をお願いしたいと存じております。