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赤路委員 今御答弁願った
通り、現段階においては会社間のことであってこれが非常に複雑である、それだけにどの程度といった線を引くわけにもなかなかいかない、こういうことだと思うのです。従って、息のかかっておるものは一応それは系列である、こういう御趣旨だと私は思うわけです。従って本年はそうだが、来年はその息のかかっておるものが断ち切れさえすれば別のものとしてやっていきたい、そういうことが正しいやり方であるというふうに理解いたします。私がなぜこれを申し上げるかというと、戦後今日までの
母船の操業形態の増加数を見ますと、系列というものが引かれますといささか不明朗な感じを受けるわけです。私が申しましたように、それは八〇%息がかかっておるか一%しかかかっていないかわからないのですから、こういう息のかかったものを抜いて、純然たる
母船独自の
立場においてやっておる数字を二十七年度から拾ってみますと、これに対してはやや疑問の点が出てくるわけです。この前
北洋漁業の問題がここで議題になったときにも私が申し上げましたように、事実はどうかわからないが、昨年河野農林
大臣が告訴を受けたということは事実なんです。今度はそういう不明朗な形を残してはならぬ。少くとも
北洋漁業に関心を持つ者は、やはり一応不審を抱いておる。だから三十一年度の
許可については、そういう不明朗なことのないように明確にしておかれた方がいいだろう。ほんとうにガラス張りの中で、どこから押してもこれが正しいという数字、あるいはそういう
許可の姿が出ることが望ましい、こういうふうに私は申し上げた。調べてみますと、
昭和二十七年、二十八年は試験操業なんです。このときには日水、日魯、大洋は各一船団ずつなんです。二十九年度になって大洋はやはり一船団、日魯が二船団、日水が一船団、函館、極洋が合せて一船団。三十年度は日魯が四船団、大洋が二船団、日水が二船団、大洋と函館が一船団、極洋が一船団、報国、宝幸が一船団、北海道公社と大洋冷凍が別にあります。こういう形で、今度の三十一年度の発表になったものを見てみますと、最終的な線では大洋冷凍が一、北海道公社が二、大洋
漁業が三、日魯が六、日水が二、これは
鮭鱒です。それから極洋が二、函館が一、報国が一、宝幸が一、十九船団になっておるわけです。そこで私が特に言いたいことは、河野農林
大臣が就任されてからやたらに日魯がふえておるのです。河野さんはかつて日魯に
関係があったということで疑惑を持たれておることは事実なんです。これは私一人じゃないと思う。少くとも
北洋漁業に関心を持つ者はみな疑惑を持っておる。なぜ日魯だけがこうふえなければならぬか。かつて
北洋における
漁業は日魯がリードしておったということは認めなければならぬが、しかしそれに再び復帰させるということであってはならぬと思うのです。こういうような不明朗な形のものはなくなさなければいかぬと思う。こういうふうに日魯に船団がふえてくることには何か
理由がなければならぬだろう、こういうような疑惑が、私だけでなしに一般にあるから、この際こうしたことをほんとうに明確にしておくことが、今後
北洋における
漁業の発展のためにも正しいやり方じゃないか、こういうことを私は
考えるので、くどいようでしたが、一体系列とは何かということを特にお尋ねしたわけです。この点に対して
長官はどういうふうにお
考えに
なりますか。