○八木(
一男)
委員 今
曽田さんはそう
考えられたと言いましたけれ
ども、今私も申しました、また
横錢委員も申されました。そして私
どももこの問題に夢中になって取っ組んで調べているわけでございます。それをよく聞き入れられまして、
自分たちの
意見が正しいのだ、専門家の
意見だというようなことに固執されずに、われわれの
考え方を入れて、もう一回即時今晩でも
考え直してほしい。いろいろの問題がございます。たとえば三交代の
看護婦がつけばいいじゃないかというのは管理者の
立場、お医者さんの
立場であって、患者の
立場ではございません。たとえば重症患者で、いろいろなものを横に動かすことの不自由な人にとっては、つき添い
看護婦の場合には、どこに何が置いてある、こういうときにはこういうことをしてもらいたいということは、一回聞けばそれが引き続きその
人たちにわかっているわけでございます。それを三交代の
看護婦さん、しかもまた三交代というだけじゃなくて、昼間もまた交代する
看護婦さんに一々それを言わなければなりません。また言えるくらいならいいですけれ
ども、半分
自分の雇ったような形になっているつき添いさんでなければ、遠慮があってなかなか言えないものであります。片方でせき込んで苦しんでいる、
自分も苦しいけれ
ども、そのときに呼んだら片方の人の
看護はやめなければならぬ、そういうときには片方には遠慮があって、苦しいのをがまんしなければならない。がまんできて済めばいいけれ
ども、がまんすることによって容態が悪化することがございます。そういうようなしろうとが
考えても明らかに低下の部分がある。それを専門家のあなた方が向上だと言う。実に情ないことだと思う。どんな大きな圧力があっても、医務局の担当者としては、向上でない部分は向上でないと言ってほしい。それができない理由の財政的の
措置については、われわれも
考えましょう、
政府全体も
考えなければならない。そういうような大きな圧力に抑えられないで、ほんとうに医務局の
立場から万全な
措置をとるためには、完全
看護にする道程において、現在の
看護婦の定員も少い、
常勤も足りない、しかもそれが完全になるまでは、今のつき添い
婦制度を五年でも十年でも二十年でも並行して持っていかなければならないというような勇敢な
意見を打ち出してほしいとわれわれは
考えるわけでございます。
それからもう
一つ、つき添い婦の
人たちの
立場になって、もっと
考えていただく必要があるのじゃないか。直接雇用じゃないということで、
厚生省の
人たちは簡単に
考えておられるようでありますが、
厚生省の事務局の政策によって、あなた方の立案した政策によって何千という人が首を切られる結果になる、それをよく
考えていただきたい。どこの官庁でも全般的に時の内閣の政策によって行政整理が必要であると打ち出されても、
自分の官庁からは首切りを出したくない、
自分の担当のところから首切りを減らしたいということで必死になってがんばるのが普通です。ところがあなた方の場合は、あなた方の案によって大ぜいの人の首切りになるようなことを平気で作って、そして言葉で万全の
措置を講じます。何が万全ですか。このつき添い婦の
人たちの事情は、御
承知であろうと思いますけれ
ども、もう一回申し上げますが、非常に困難な状態にあることは皆さん方も御
承知だと思います。もう一回その点を振り返って
考えていただきたい。転職ができないといっている人が大部分であります。百人のうち九十五、六人までは転職の見込みがないというような状態でございます。そうしてこれは御婦人でございます。御主人がある人とない人、これもない人が大部分、七割以上がない人でございます。ある人も御主人が病気で寝ている、その他もほとんどどうにもならないような事情の人が大部分です。そうして三人くらい子供をかかえている人が七割くらいございます。子供をかかえてない人は、
自分がかなりの年であって、だれも扶養してくれる人がないという人が圧倒的でございます。このような
数字——
数字だけでなくて
実態をよくかみしめて
考えていただきたいと思います。つき添い婦になるまでに、この苦しい世の中で、未亡人で子供を数人かかえてどうやって暮らそうか、日雇いになり、また米の買い出しに行って、かつぎ屋になり、そのような苦労をさんざんしてそうして子供を育ててきた。それでもやり切れなくなって、さんざん探して最後にこの
仕事が見つかった。この
仕事をやれば結核にうつるかもしれない。そして夜も寝ないで、朝から晩まで働かなければならない。結核じゃなくてもからだがぐんぐんいたむ、子供にも毎日会えない。そのような状態でも、何とかして子供を育てるために、人のいやがる
仕事、人の大小便を始末したり、病人の毎日うんうんうなる中で朝から晩まで
看護したり、そういうことをしてもこの
仕事でやっと
生活が成り立った。そうしていそしんで、その
仕事を一生懸命やってきた人が大部分でございます。そうしてやっとその
仕事になれて、やっと子供と一緒に暮らせると安心した人が、ここで皆さん方の
計画でみな路頭にほうり出される。前の経歴がその
通りでございますから、新しい
仕事など見つかるはずはございません。この
仕事につくまでにまさに一家心中をしようとした。しかしこの
仕事が見つかったからそうしないで済んだという人がたくさんあるわけでございます。ところが皆さん方はそれをほうり出す。今度そのようになったときには、言いにくい言葉ですけれ
ども、ほんとうにこの問題について真剣に
考えなかった皆さん方がみずから手を下したといっても過言でないようなことが起るわけでございます。科学者としてそしてまた官庁の上級の担当者としていろいろの確信を持ってやったといわれているが、確信を持ったということは、すべての部分について
考え抜いてやっていかなければそういう言葉は出ないはずでございます。ところが、
療養所長の命令が一ぺんに行き届くかどうか、そのような点をのみ
考え、ほかの働く労働者がどうなるか、患者がどうなるかというような配慮が実に少なかったのではないかと私
どもは
考えるわけでございます。今までこの問題についてほんとうに快く患者の団体なり、つき添い婦の団体なりの陳情を受けられたとは私
どもは了解しておりません。皆さん方は社長の
立場で、首を切る
立場でございますから、皆さん方は、われわれは国民の官吏である、一番公平に一番正しいことをきめているのだという自負心がおありかもしれないけれ
ども、この問題に関する限りは、雇用者としての一般的な判断をする誤りを犯す危険性が多分に大であるということは前から申し上げております。ですから、その場合には当事者の
意見を十分に聞かなければならない。患者の団体、つき添い婦の団体あるいはまた今重症でほんとうに
看護してもらっている人の声をほんとうに聞かなければならない。ところがいろいろな話を聞いていると、こういう
報告があった、そのくらいのことで判断しておられる。それではほんとうの責任が保てるとは思えないわけでありますが、その点についてはどうお
考えでございますか。