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参考人(
田中周友君) それでは詳細にわたりまして事件を御
報告申し上げます。
本年の創立記念祭を
学生に認めましたにつきましては、昨
年度の創立記念日に続いて認められたるところの昨
年度の創立記念祭について御
説明を申し上げるのが便宜と存じます。で、実は京都
大学におきましては、京都
大学自体の、すなわち
大学の行事といたしまして、京都
大学の創立を記念いたしますところの創立記念日及び式典というものを創立の六月十八日に、創立以来、明治三十年以来行なってきておるのであります。他方
学生の方は、同学会と申しますところの、
建前は京都
大学の学部の
学生全部を会員としますところの同学会と申します全学的自治組織がございまして、その同学会なるものは
学生の文化祭といたしまして、あるいは学園祭と申しますか、そういう文化祭ないし学園祭といたしまして、これまでスケールの大きなものは秋に持っております。秋季文化祭とでも申しますものでございますが、そのほかに実は春にもそれよりは小さなスケールの文化祭を持っておったのであります。いずれもわれわれ
大学の
学生補導に当ります
学生部が
学生の課外活動の一つとしまして、そういう文化祭をも自治活動を進める助成の方法としまして世話をして参りました。従いまして文部省の課外活動費あるいは厚生補導費というような、いわゆる厚生補導の
費用をそのほうに援助して出して来ておるわけなんであります。そういうふうな秋季文化祭が主でありますが、春の文化祭もある。昨年につきましてみますと、その春の文化祭、すなわち五月に持たせてやるのが適当であるものが、
学生側の準備その他の事情のために時期が遅れて参ったのであります。そこで同学会代表のほうは、ちょうど六月十八日が幸いに創立記念日であるからして、それに接着したところの六月十九日及び二十日という両日を創立記念祭というような全く新しいところの行事として認めてもらいたい、こういうことを
学生部に申し出て来たのであります。そこで
学生部といたしましては、
建前としましては春秋に行うのがいいというように考えておりますために、かつ創立記念日は、これは京都
大学そのものの記念日であるから、そのときには記念式典をやるというのが適当だというようなことからして、新しい創立記念祭というものは認めないで、春の創立記念祭を、春のまあ文化祭であります、それを続けるのがいいというようなところからしまして、昨年は時間的にずれたんだからそれはまあ認めよう、ただし今年限り、ただいまから申しますれば昨年限りというような条件を付しまして評議会が決定いたしたのであります。ところが今年になりまして
学生のほうとしては、昨年限りというように、はっきり条件がついておるけれ
ども、今年も行いたいというようなことで、創立記念祭を今
年度も持ち出して来たわけなんであります。で、昨年限りというのは文字
通り昨年限りで、今年はもう春の文化祭ということなんでありますからして、
学生部といたしましてはその点これは一つのむずかしい問題である。総長なり評議会で認めてもらうのには相当こちらが、と申しますのは、
学生部が努力しなければならぬということなのでありますが、実はその点以上に、もう一つむずかしい問題が存在したのでございます。と申しますのは、昨年のその秋季文化祭が十一月に行われたのでありますが、この十一月の文化祭を行いましたときに、こういう催しにつきましては十分に
大学側と同学会代表との間において折衝いたしまして、立派な文化祭を持つように手順をきめる、プラン、スケジュールというようなものをきめるわけであります。そこでそれでよろしいということになれば、それをスケジュールに、すなわち印刷物にいたしまして実行するわけでありますが、昨年の秋季文化祭におきましては、
学生が出してきましたけれ
ども、しかしながら
話し合いの結果、
学生のほうもそれを持たないのが適当だと考えた二つの行事がありました。一つは
学生の持ち出した形でなくして許してやりました。もう一つは
学生がそれをやるということはふさわしくないというので、全然それは許さないというふうにした二つの行事につきまして二つとも不法に行われました。ことに
学生がそれではその行事は行わないということを誓約する、行わせないとまで強く誓約したところのものが実際行われまして、不法の集会というようなことになったのが二つございます。これは実は
あとからもお話が出るかと思いますが、学外者を入れてはいけないということが非常に大きな要素であった行事でありますが、それが学外者を入れて行われたというようなことで、
大学の禁止したにかかわらず、また
学生が行わないと誓約しながら行われた行事があったために、今までの京都
大学の行き方からしますと、その場合に
大学の意思に反したということで処分が行われたことがあるのであります。ところが
大学としましては処分をしない、その
代りに今後に対する警告を意味するところの告示を出したのでございます。
昭和二十九年の第七号の告示であったものでありますからして、これを
昭和二十九
年度告示第七号と言っておりますが、そういう第七号が出ました。この告示の中におきまして、今後の
大学におけるところの
学生の文化祭及び創立記念祭は、十分に今回の不祥事件に鑑みて慎重に
計画し慎重に実施すること、という警告を与えております。そして今後にこういうような不祥の
事態を繰り返すならば、同学会そのものの存立にも
関係するだろうというような、きわめて
大学としては不法事件を重大視しまして、処分はしなかったのでありますが、そういう警告を告示の形で出しているのであります。
そこで初めの話に戻りまして、今回の創立記念祭、六月十九日、二十日を予定しているところの創立記念祭を許すべきかどうかということに当りまして、
学生部といたしましては、今言ったように、去年限りという去年の評議会の決定と、それからもう一つこんなふうに不法集会を、非常に慎重に両者で相談しながらも、不法集会にならないように努力しながらも、そういう不法集会が出たという
事態の発生に鑑みまして、当分の間は
学生の今度申し出て来たところのいろいろな大規模な創立記念祭を、去年の程度において、去年よりも上廻らない程度のスケールで今年の創立記念祭を許してやるならば、これは総長も納得し、評議会も認めてくれるだろうと
学生部は考えまして、そうしてそういうことをるる評議会で
説明し総長にも話しまして、結局もう一度繰り返して申しますと、昨年の創立記念祭の程度において、つまりそれを上廻らないような程度において創立記念祭を持つようにという決定で今年もまた創立記念祭を認めてもらえたのであります。ところが同学会、
学生にとりましては、もっと内容の充実したものを要求しておりますからして、それでは得心がいかない。こちらは自粛という意味がある。本来ならば評議会、総長は認めないけれ
ども、この程度で自粛してやればというので認めてもらったのだから、この程度で実績を作って、なるほど不法集会も今後はやらぬという
見通しがつけば、そのときは諸君はだんだんと盛大な創立記念祭を持っていけばいいじゃないか、そう言って話し合っておったのであります。ところがどうしても同学会代表の方は納得がいかないと申しますので、実はここに私が最後に、こういう事件が起った
あとで、同学会の解散ということに立ち至ったのでありますが、その同学会の解散を命じましたその理由に明瞭にうたわれておるような、そういう事実が発生しましたのが、先ほど来お話しになるところの事実なのであります。要点をここで述べますとよくわかると思いますが、これを読ましていただきます。
「今回
昭和三十
年度創立記念祭の実施に当り、
大学は右の告示第七号公布後初の文化行事であるに鑑み、予め同学会に対してしばしば深甚なる自重を要望し、理由を明示してたびたびの助言指導を行うと同時に、総長自らも渡欧直前の多忙な時間をさき、五月二十三日及び六月三日の両日にわたり同学会代表と面接し、
学生の希望を直接に聴取した上、率直に
大学の決定の理由を述べ、これに従つて行事の支障なき実現を要望したにもかかわらず、」これは「
大学の決定」と申しますのは、先ほど申しましたように、大体において昨年
通り、昨年以内でやれということであります。「同学会代表は終始自己の要求を固持して譲らなかった。かくて六月三日、約九時間にわたって総長の行動の自由を束縛するという不祥
事態の発生をみるに至ったのである。即ち、同日午後一時から二時まで、総長は総長応接室において同学会代表十名に面接し、平穏裡に面接を終ったが、二時半頃総長退出の途中、多数の
学生が総長を取囲んで阻止し、あまつさえ暴力を加えるに及んだ結果、総長は退出できなくなり、やむなく階上の総長室に引返した。よって
大学は階下に参集したこれらの
学生に対し面接理由を述べて即時解散するよう勧告したが、同学会代表は依然として決定の理由が納得できないと称して積極的に解散につとめず、むしろ参集
学生に同調し総長が自らその場に来て
説明をすることを強要し続け、喧騒を極めた。
大学はこの
事態の収拾策として、同学会代表に対し数度にわたり現場及び別室において、かかる
学生群を背景にして面会を強要することは、
大学人としてとるべき態度ではなく、且、この
事態の継続は、創立記念祭の実施はもとより秋季文化祭及び同学会存立に重大影響を与えるであろうことを明示し、全学的自治機関としての同学会代表の善処を終始要望し続けたのである。しかしながらこの段階においても、同学会代表は依然として態度を変えず、遂に
大学は同学会に対して午後九時前、次の最後的
発言を行つた。一、
学生部
委員会を開いて君達の希望を
報告する。二、総長は明日出発されることであるから、九時二十分までに解散せよ。三、解散しない場合は不法集会と認め、適当な
措置をとる。同学会代表はこれをきき、ただちに席を立つて参集
学生にこれを伝えると同時に、百数十名の
学生と一体となり、総長室前に乱入して来た。ここに及んでは、大きな声で歌を歌ったり、総長を罷免せよとか、総長をやめろとか、あるいは非常に喧騒をきわめまして、ドアをけっておるというような状態であった。約百数十名の
学生が総長室前の廊下にいわゆるすわり込みをやったわけであります。「ここに及んでは、非常
措置以外の方法で総長の不法監禁の状態をとくことは全く不可能となつたので、遂に
大学は止むを得ず警官隊の出動要請を行つたものである。同学会代表のかかる一連の行動は、
学生全般の意向を反映した妥当なものとは断じて考えられない。」
以上長々と読ましていだたきましたのが、事件当日の事実でございます。