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1955-06-07 第22回国会 参議院 文教委員会 第10号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十年六月七日(火曜日)    午後二時十九分開会   —————————————    委員の異動 六月六日委員鈴木一君辞任につき、そ の補欠として大山郁夫君を議長におい て指名した。   —————————————  出席者は左の通り。    委員長     笹森 順造君    理事            木村 守江君            竹下 豐次君            荒木正三郎君    委員            雨森 常夫君            大谷 瑩潤君            川口爲之助君            佐藤清一郎君            加賀山之雄君            高橋 道男君            高田なほ子君            松原 一彦君   国務大臣    文 部 大 臣 松村 謙三君   政府委員    調達庁長官   福島慎太郎君    文部政務次官  寺本 広作君    文部省大学学術    局長      稲田 清助君    文部省社会教育    局長      寺中 作雄君    文部省管理局長 小林 行雄君   事務局側    常任委員会専門    員       竹内 敏夫君    常任委員会専門    員       工楽 英司君   参考人    京都大学学生部    長       田中 周友君   —————————————   本日の会議に付した案件参考人の出頭に関する件 ○教育、文化及び学術に関する調査の  件(大阪市立大学校舎接収解除に関  する件)  (京都大学事件に関する件) ○博物館法の一部を改正する法律案  (内閣提出)   —————————————
  2. 笹森順造

    委員長笹森順造君) ただいまより文教委員会を開きます。  参考人の件についてお諮りいたします。去る六月三日に起りました京都大学事件に関し、京都大学学生部長田中周友君を参考人として本日の委員会出席を求めたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 笹森順造

    委員長笹森順造君) 御異議もないようでありますので、さよう決定いたし、直ちに手続をとることといたします。   —————————————
  4. 笹森順造

    委員長笹森順造君) 次に本日の会議に付する案件は、公報に所載のごとくいたしたいと思いますが、特にこの際大阪市立大学校舎接収解除に関する件を議題といたしたいと思いますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  5. 笹森順造

    委員長笹森順造君) それではこの問題に関しまして、かねて担当大臣から発言を求められておりましたが、本日は労働大臣衆議院社会労働委員会けい肺法案の答弁中でありますので、調達庁長官からこの問題に関する報告を求めたいと思います。
  6. 福島慎太郎

    政府委員福島慎太郎君) 大阪市立大学解除の問題について御報告申し上げます。この大阪市立大学杉本町の校舎接収昭和二十年十月からでございます。文書で御報告を申し上げておると思いますので重複いたしますけれども、一応従来の経緯をとりまとめて、まずもって申し上げておきたいと思います。昭和二十年の十月以来兵舎として使用されておりましたわけであります。これは別にアメリカ軍側がこの杉本町の校舎を選んで接収したわけではございませんので、終戦当時日本側海兵団施設になっておりましたものでありますから、軍事施設を、日本におきます軍事施設を全部引き継ぐという形で自動的にアメリカ軍の手に入りましたわけであります。その後朝鮮事変の勃発に伴いまして病院施設に切り換えられたわけであります。なお一言申し上げておきたいのは、キャンプ堺アメリカ側は申しておりますが、このキャンプ堺施設と申しますのは大阪市立大学接収いたしまして、そのほかにそれとほとんど同じくらいの地域大学以外の地域民有地でございますが、これを併せて接収いたしまして、この上にも施設をいたしたのでございます。併せて接収いたしました民有地の方はさら地でございましたので、その上に最も多くの施設終戦処理費によって建てられまして、それと学校側建物とを併せて使っておったというわけでございます。なおさらにつけ加えさしていただきますならば、接収されましたときは大阪市立商科大学でございましたわけであります。その後商科大学総合大学に昇格いたしましたので、学校施設の方は拡大いたしまして建物そのもの接収であるという事態になりまして、特に建物返還が希望されるという問題になったわけであります。朝鮮事変以来病院施設に切りかわりまして、二十九年、昨年に再び兵舎として使用されるようになり現在に至っておるわけであります。その間講和発効と同時に従来の占領中に持っておりました施設行政協定に基く提供施設に切り換えるというときに、この施設は自動的に切り換えられませんので、解除請求をする部分の中に入っておりました。アメリカ側との話し合いのつかないままにいわゆる保留分の中に分類せられまして今日に至っておるわけであります。いろいろその間に部分的な解除交渉が行われまして、現在学校が入っております部分解除はすでに成立しておりまして、学校といたしましては大体接収せられました地域の大体半分の面積地上面積建物といたしましては三分の二くらいになりますか、それらが一応は返って来ておるということであります。ところが解除も長い間もめてはおりましたけれども、進捗いたさないままに最近の事態になりましたし、また病院である限りはいずれは解除であろうかという考え方もあったわけでありますが、昨年から兵舎に切りかわったということになればこの解除見通しがつかなくなるという関係もありまして、解除問題の見通しを早急につけるという必要が出て来たわけであります。昨年中はこの解除問題につきましてはアメリカ側の態度は本年の十月一日頃までは兵舎として使用する必要があるであろう、十月頃になれば人員配備計画が再編成される、日本における陸軍関係本国帰還とか、いろいろな問題が具体化するのであろうと思われるので、十月一日頃になればその後の計画見通しがつくという話がありましたのが昨年の初めの頃の話であります。昨年国会開会中に当時の本委員会委員長であらせられました堀委員長が、アメリカ参謀次長と会見せられまして、この問題を話し合いになったおけでありますが、その際に初めてアメリカ側が十月までに計画をたて直して解除見通しをつけたいと考えていると、かねて申しましたのを、六月一ぱいくらいには兵員移動関係計画を立てることができるであろう、従って六月末頃までにこの校舎解除問題についての見通しをつけることができるであろうということを初めて言い出しました経緯もございまして、われわれといたしましては正式の合同委員会のなに、その他の関係では来年の十月一日ということで、つまり本年の十月一日頃までには兵舎使用という問題のめどをつけるということになっておりましたが、六月一ぱいくらいにはめどがつくであろうということになりましたわけであります。一方それと併行いたしまして昨年の話でありますが、来年にならなければ、つまり本年にならなければ解除という問題のめどがつかないとすれば、その間暫定的にも学校使用状況を改良するために返還された学校内部部分的にアメリカ側使用区域が突き出している部分がございますので、これを取り払ってしまえば学校として地面が一括して使えるということ、学校の正門の位置などが旧に復するということ、アメリカ側の出入口との関係が改良せられるということなども考えられましたので、これらの一部分状況を緩和のためにこの解除という問題をアメリカ側と相談をいたしまして、この解除計画はきまったのでありますが、ただそこにございます消防署その他の施設を取り払っただけでも済みませんので、特に消防署のごときはどこかへ移すという必要もあったわけでありますが、たまたまこの消防署が小さいのではありますけれども、コンクリートの建物であるとか、そういう関係もありますので、これを別な、もと学校敷地であった以外へ改めて建築するという、学校敷地に残っているものは解除するということに話し合いもつきまして、その準備を進めておりましたのでありますが、代り建物を建てるという問題は私どもの方で話し合いがつきましても、これは建設省に回して建設省で建ててもらうという関係になりましたので、その手配を進めたわけでございますが、建設省の方の仕事関係で七月頃でないと代り施設の完成ができない、でき上るのは七月頃であろう、昨年度予算で三月末日に工事契約をいたしましてでき上るのは七月頃であろうということが明らかになって参りましたので、私の考えではそういう一部分改良工事も必要なことではあるけれども、本年の七月ということになれば、これはむしろ学校全般解除という問題の予定せられた時期である、代り建物国費をもって多少小さいものでありますから多額の経費ではないかと思いますけれども、それにしても代り建物ができ上る時分に解除ということにもしなったのでは、われわれの仕事といたしましても、国の経費を使う面でございますので妥当を欠くと思いますので、アメリカ側との解除全般についての話し合いを確かめまして六月末頃には解除話し合いが固まるという見通しのもとに、これは私の責任でございましょうが、話し合いのついておりました部分的な改良工事というものが、七月にしかできない改良工事であればやめてもらいたいということで、これはやめてもらうことにいたしまして、六月一ぱいぐらいに話のつくという予定でおりました解除問題を固めることに全力を注いだわけであります。アメリカ側予算年度も六月で終りまして、先方の新年度計画その他が、五月ごろになりまして逐次具体化して参りましたので、その間にアメリカ側配備計画その他からくるキャンプ解除という問題を推進して参りましたわけであります。四月、五月のころ、いろいろ私自身の自分でやります仕事も、まあ飛行場の問題とか富士の問題とかたび重なりましたので、その間にこの問題について十分な話し合いのできないことも心配されましたので、極東軍参謀長あてに個人的な手紙を書いておきまして、キャンプというものの問題を、六月ということであれば六月中ぐらいにアメリカ計画を明らかにしてもらわないと困るということを申し入れてありましたのですが、五月十九日に至りまして、アメリカ側参謀次長から、合同委員会の席上でありましたが、私に対して、かねて調達庁から申し入れのある大阪市立大学の問題に対して、こういう御返事ができるということで書面をもらいました。それによれば、大阪附近に駐留する第九海兵連隊は七月一日までに沖繩移動する、こういう返事を、お前さんの手紙に対する返事の一部をなすであろうということでよこしましたので、従って杉本町にあります軍隊は七月一日までにいなくなるということはこれでわかったわけなのであります。従いましてこれと前後して解除問題の手続きを進めるということであります。本日も施設特別委員会その他でその手続きを進めておりますが、ただ兵員移動ということを上層部で決定しておるだけで、アメリカ事務当局の方はまださほどよく知っておりませんので、現実移動いたしてからでないと解除問題というものが手続き的に固まるわけには参らないと思いますので、アメリカの兵隊が大阪市立大学からいなくなるのは今月一ぱいということはわかっておりますが、それから正式に解除になるのはいつであるかという時期的な見通しは、そう大して日数のかかる問題ではありませんけれども、正確に何月何日ということは申し上げかねると思っております。いずれにいたしましても新学期までには片ずく問題だと考えております。通常アメリカ軍隊がいなくなりまして、建物解除ということになれば三カ月以内に解除するということになっておりますので、九月、三カ月には少し足りませんけれども、新学期までにはその問題は解消すると考えております。軍隊がいなくなりましてから本式に解除になりますまでの三カ月というのは、これは蛇足でありますが、その間に受けました建物の損傷とかその他の将来の原状回復のために要する補償の額を算定いたしますためにも、調査もしくは双方のそれに対する合議その他の成立の必要もございますので、若干の日時がかかるわけでございます。従いまして、アメリカ軍隊がいなくなりまして以後、われわれの方で賃貸料を払っておりますものも三月間は払える建前になっております。できるだけ早く学校の手元に建物をお返ししようと思っておりますけれども、若干の日時がかかるわけであります。七月一日から解除手配が始まるということは大体確実であると考え、従いましてこれを急げば新学期までには全面的にこれが妥結すると考えております。
  7. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 長官には、市立大学接収解除の問題についていろいろ御苦労をわずらわしまして、今日解除見通しが大体明白になったようでございまして、この点いろいろ御努力に対しまして私はお礼を申し上げておきたいと思います。ただこの際ちょっとお尋ねをしたいのでありますが、あの市立大学付近民有地にかなりの建物が建っております。ああいう建物処理といいますか、どういうふうになっておるのか、かなり大学の中まで入り込んでおります。あれがたんぼとか畑であれば、そういう影響はないと思いますが、建物が建っておりますから、ああいう建物はやはり民間の所有に移るのか、どういうふうなことになるのか、お聞きしておきたいと思います。
  8. 福島慎太郎

    政府委員福島慎太郎君) お答えを申し上げます。大阪大学接収いたしまして、あわせて付近民有地接収いたしまして、両方に追加の施設を国の経費もしくはアメリカ経費でいたしたわけであります。学校敷地内部に建てましたものを解除いたします際には、その敷地と一しょに、とにもかくにも敷地を全部学校に引き渡さなければなりませんから引き渡します。その場合にそのうちに従来学校のものでなかった建前が追加されておるとすれば、学校がそれを使うことができると思えばそのままにして渡せということを学校がおっしゃってもいいわけです。その場合には、終戦処理費で建てた建物でありますから、若干の利得を市から頂戴をしなければならん。建物経費を取り返すというほどの金額ではございません。それからまた、いかように立派なものが建っておりましても、そういうものは学校計画にはまらないものであるから、国は原状回復する義務があるといえば、原状回復いたさたければなりません。あるいは話し合いに基きまして回復費用を差し上げてそのままにして返ってくるということもございます。御主張によりましては、もとの通りさら地にして返さなければならん、こういうことになります。なお、敷地並びに学校建物だけお返しすれば、いわゆる大阪市立大学返還というものは成立するわけなのであります。私はまあ大阪にもおりましたし、また大阪市役所仕事にも関係しておったこともございますので、多少の内情を知っておるわけでありますが、学校といたしましては、学校だけ返されたのでは実は困るわけであります。学校だけ返されたのでは、元の市立大学の用地しかないわけであります。これを総合大学にいたしましたために生徒も非常にふえ、学生がふえまして、現に大阪市内の各小学校、中学校生徒がはみ出しております。これは極端な言い方でございますけれども、かりにこれが市立大学接収されませんと、あの拡張ができなければ、今日生徒がそとへはみ出しておるという実情がやはりあるわけであります。そこで問題は、そのキャンプ堺日本側に対する解除という問題であれば、学校以外の敷地その他も全部返させなければならない。大阪市立大学返還であれば、元学校であった部分だけ返せばいいということになる。そこで話としては大阪市立大学返還ということで、そういう形の問題になっておりますのですが、私どもアメリカとの交渉経過におきましては、学校の将来の計画ども、ある程度予測いたしまして、キャンプ堺全体という問題でこれは扱っておるわけであります。そこでその問題の扱い方が多少違うわけなんで、現在のアメリカの使っておりますキャンプ堺というものの元学校であった部分というものは、半分よりはるかに小さいわけであります。建物の分量でいきますれば五分の一くらいであります。学校だけ返せばいいんだということになれば、これはほんとうをいえば割合に早くできたわけであります。学校を返さんといってしらを切っておったんでは学校の方ではそれはかえって困るのではないか。全部返せということになりましたものですから問題が長びいているわけです。学校の方も附近民有地の問題はまさか人の土地でありますので、それを学校に返せという議論は成り立ちませんし、民有地所有者の方は何もおっしゃっていない。こういうわけでございますので、全然第三者の財産を学校と私どもの間でとやかく申すことはできませんので、問題の扱い方は非常にむずかしいのであります。私どもの希望している事態と申しますのは、どうせ学校拡張の御計画総合大学になった以上は解除になったところで入りきる学校ではないのであるから附近民有地を買収して拡張される必要がある以上は、まあこれはまことに申し上げかねる話ではありますが、何とか接収中にでもそういう方の手配を完了せられた方がよろしくないか。そうすれば、学校所有地ということになれば一挙に返還ということも場合によっては考えられるというようなことで、本年の初めから私どもの方から積極的に大阪市ないし学校の方にそういう措置の促進をお願いしておる実情なのであります。まだ、実を申しますと、それは緒についていないというのが実情であります。そこできょうも実はアメリカ側と話したのでありますが、アメリカ側学校さえ返せばさしあたり文句を言われる筋合いはないじゃないかと言い出す傾きもありますので、ぜひ学校のために民有地も確保をしてあげたい。さりながらちょっとそういうことはあまり表向きに持ち出しましても民有地所有者の方に義理が悪いということになりまして、扱いには苦労しておりますけれども学校の将来の拡張計画というものをこの際の解除問題によって一歩でも二歩でも前進されるようにお取りはからいして、せめてわれわれの罪滅しをしたいものだと考えておる次第であります。建物学校敷地の上に建っておりますものは学校側の御希望で、原状回復費用を国からとるなり、あるいは国によって原状回復をさせるなり、その建物学校が要ると思えばノミナルな金額で引き取るなり、いずれともできるわけです。ただ民有地の上に建ちました膨大な設備の方は、これは学校地面の上に建っているというわけではないのでありまして、この辺をどういたしますか。民有地所有者との間に完全な了解がついておりませんとなかなか措置上はむずかしい問題が起るかとも考えております。
  9. 笹森順造

    委員長笹森順造君) 本問題に関して別に御発言はございませんでしょうか。
  10. 高田なほ子

    高田なほ子君 原状回復する費用というものは大体今度の予算の中に組んであるわけですか。
  11. 福島慎太郎

    政府委員福島慎太郎君) 御承知の防衛支出金と申します予算が七十九億何がしございます。そのうちへ盛り入れてございます。
  12. 松原一彦

    松原一彦君 ちょっと福島長官に伺いますが、学校敷地内にあるあとから建てた建物は、現実学校利用のできるようなものでございますか。
  13. 福島慎太郎

    政府委員福島慎太郎君) 学校敷地内に建ちました建物劇場風のものが一つ大きなものがありまして、あとはほとんど小さいものでありますので、小さいものはほとんど役に立たないのではないかと考えております。劇場風のものはこれは講堂にでも何にでもなると申せばなるわけでありますが、学校の方はすでに立派な講堂解除になりました部分にあるわけでございまして、おそらくお入り用ないのではないかと思いますけれども、なお建物のことでございますので、いろいろ模様がえその他御利用できる面があれば原状回復で、国の費用によってとりこわしされるよりは国から払い下げをするという段になりますと、こういう事情での払い下げでありますので、そうむやみな負担もかかるわけではありませんので、そういう御研究ができればそれに越したことはないと考えておりますけれども学校敷地内に建っておりますものはごく僅かでございます。大部分学校であるいは利用できるかもしれぬと思われる兵舎の何棟も並びましてずっと建っているのは全部民有地に建っておりますので、その辺いかがかと思います。
  14. 松原一彦

    松原一彦君 長官についでに伺いますが、その民有地に建っているものは総合大学として拡張する場合の校舎として、教室として使い得るものでございますか。多少の変更を加えれば学校施設となるものかならないものか、その辺はいかがですか。
  15. 福島慎太郎

    政府委員福島慎太郎君) 多少の変更を加えれば立派に教室になるものであると私は見て参りました。
  16. 笹森順造

    委員長笹森順造君) 大阪市立大学校舎接収解除に関する件の審議は本日はこの程度といたしまして次の議題に移ることに御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕   —————————————
  17. 笹森順造

    委員長笹森順造君) 次に博物館法の一部を改正する法律案議題といたします。  質疑のある方は順次御発言を願います。  委員長から申し上げます。この前に本法案関係のありまする博物館入場料に関する件について政府からの先般の説明に対して補足説明がありまするからその補足説明を求めます。寺中社会教育局長
  18. 寺中作雄

    政府委員寺中作雄君) 前回の御質問有料博物館におきまして大体年間にどれくらいの入場料収入があるものかというふうなことについての御質問がございました。その際大体一日二百万円くらいの収入と思っているということを説明したのでありますが、これは一日の平均収入のことを申し上げましたので、全国の全体の入館料調査につきましてはその後実態調査によりまして出しました数字を申し上げたいと思うのでありますが、この博物館の中には国立、公立、私立とございまして、私ども博物館法によりまして助長し、奨励したいと思っております博物館の対象は大体公立ということになるわけでございまして、その公立博物館における有料博物館入場料収入の総額は館数二十七館に対しまして二億九千九百五十七万円となっております。ですから平均いたしますと一館平均が千百二万一千円でございます。全国国庫支出も含めました入館料収入は、これは館数として二百一館の五五%、百十館になるわけでありますが、それは六億一千八百八十六万円で、一日平均が二百三万二千円となる次第でございます。そういうわけでございますので、もし国費でもってこの公立の二億九千九百万円を負担をすると、それを補助するということになりますれば、現在の運営のままで有料博物館無料博物館にかえるということができるというような関係になると思います。  それからもう一点、やはり前回の御質問の中で戦後博物館における入場者が年々ふえておることと思うが、大体どんな状況になっておるかという博物館利用者に関する御質問がございまして、調査した上でお答えしたいと申し上げましたが、全国入館者全国的に調べますことがちょっと資料不足のために困難でございまして、東京にあります科学博物館、それから東京都の動物園、それから運輸省の持っております交通博物館と、この三つにつきまして年間利用者調査いたしましたが、その人員科学博物館が、昭和二十六年、二十七年、二十八年、二十九年といたしたわけでありますが、人員は二十九年度科学博物館が五十二万人、動物園が四百三十二万人、交通博物館が四十万人ばかりでありますが、昭和二十六年を一〇〇といたしましてどういう増加率になっておるかと申しますと、科学博物館につきましては二十六年を一〇〇としまして二十七年が少し下って九七、二十八年が一〇八、二十九年が一二四と、それから動物園は二十六年を一〇〇といたしまして二十七年が七四、二十八年が一〇二、二十九年が九四という関係でございます。それから交通博物館の方は二十六年を一〇〇といたしまして二十七年が一二八、二十八年が一四一、二十九年が一四七と、こういう関係で全体的には漸次増加しつつある状況でございます。
  19. 笹森順造

    委員長笹森順造君) ほかに御発言の御要求はございませんか。
  20. 竹下豐次

    ○竹下豐次君 この間の文部大臣の御説明のうちに、「従来の講習は学芸員の資格取得の道を開いたものでありますが、わが国の博物館実情に応じ、博物館職員の学芸員資格取得の便宜をはかり、学芸員の充実を一そう促進するため、文部大臣の認定制度に改めようとするものであります。」という御説明を承わったのでありますが、これは講習をしないで文部大臣が認定しても従来今日まで講習を受けた者と比較して同等以上の実力を有する者が多くなってくるのであるから、認定制度に改めてもよいと、こういうふうに了解してよろしゅうございますか。
  21. 寺中作雄

    政府委員寺中作雄君) 大体仰せのような考えでございますが、つまり三年間の講習をやりまして、大体講習員の大部分が講習を終ったわけで、その他の者は講習の関係と、あるいは博物館の実務の関係で一ヵ月も三カ月も東京に出て講習を受ければ博物館仕事ができないというような状況もありますし、一方講習をやることによりまして博物館学芸員のいい者がそれぞれ博物館に勤務し、いい影響を受けたことによって他の者も相当標準も上ってきましたことと、講習によって博物館学というようなものの体系もでき、そのための参考書、テキスト・ブックというようなものもたくさんできておりますので、自分で勉強して試験を受けて認定をしてもらえれば十分講習を受けた者と同等以上にやっていけるという見通しがつきましたので、このたび講習を廃止してもよいという結論に到達した次第でございます。
  22. 笹森順造

    委員長笹森順造君) 速記をとめて下さい。   〔速記中止〕
  23. 笹森順造

    委員長笹森順造君) 速記を始めて下さい。
  24. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 京都博物館の問題ですね。たしか去年文部委員会であすこを視察いたしました。あの博物館東京博物館と並んで重要な博物館であると私も考えておるわけです。ところが建物が非常に古くて、そうして火災の危険も相当多い、それから建物自体も相当いたんでおる。それであれを何と申しますか、再建するといいますかね、建て直す必要があるということを、博物館のあそこの当局はわれわれに話したことがあるのであります。それについては相当な計画もあるようでございましたが、この問題は文部省の方でどのようにお考えになっているか、聞いておきたいと思います。
  25. 寺中作雄

    政府委員寺中作雄君) 京都の博物館は、これは文化財保護委員会の管轄でございまして、私の方はちょっと所管が違うものですから、その点伺っていないのであります。
  26. 笹森順造

    委員長笹森順造君) ちょっと速記をとめて下さい。   [速記中止〕
  27. 笹森順造

    委員長笹森順造君) 速記を始めて下さい。  本件に関する質疑は本日はこの程度といたします。   —————————————
  28. 笹森順造

    委員長笹森順造君) 次に京都大学事件議題といたしたいと思いますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  29. 笹森順造

    委員長笹森順造君) 御異議ないと認めます。  先ほど本件に関して京都大学学生部長田中周友君を、参考人として本日の委員会出席を求むることに決定をいたしたのでありますが、成規の手続を経て、同君の出席を求めましたところ、ここにお見えになった次第であります。この際委員長から、同君がこの委員会に御出店下さいましたことに対して敬意を表します。また本委員会において求められまするこの事件に関しましては、率直簡明に事実をそのまま御提示下さることを望みます。  それではまず田中君から事件の経過の大要について御説明を求めます。
  30. 田中周友

    参考人田中周友君) それでは事件の経過を申し上げます。  京都大学には、全学生自治組織といたしまして、同学会と申すものがございます。で、本年同学会代表は、京都大学の創立記念日、六月十八日の翌日、十九、二十日に創立記念祭として学生の行事が行われることにつきましては、かねて同学会代表の要望に基きまして、京都大学の総長及び最高の会議でありますところの評議会によって認められておりましたところ、学生大学の適当と認める範囲以上の盛大なる創立記念祭を持ちたいという要望を続けましたために、今回の六月三日の不祥なる事件を惹起したのでございます。その詳細につきまして、必要でございましたら申し上げます。
  31. 佐藤清一郎

    佐藤清一郎君 詳細に御報告願います。
  32. 田中周友

    参考人田中周友君) それでは詳細にわたりまして事件を御報告申し上げます。  本年の創立記念祭を学生に認めましたにつきましては、昨年度の創立記念日に続いて認められたるところの昨年度の創立記念祭について御説明を申し上げるのが便宜と存じます。で、実は京都大学におきましては、京都大学自体の、すなわち大学の行事といたしまして、京都大学の創立を記念いたしますところの創立記念日及び式典というものを創立の六月十八日に、創立以来、明治三十年以来行なってきておるのであります。他方学生の方は、同学会と申しますところの、建前は京都大学の学部の学生全部を会員としますところの同学会と申します全学的自治組織がございまして、その同学会なるものは学生の文化祭といたしまして、あるいは学園祭と申しますか、そういう文化祭ないし学園祭といたしまして、これまでスケールの大きなものは秋に持っております。秋季文化祭とでも申しますものでございますが、そのほかに実は春にもそれよりは小さなスケールの文化祭を持っておったのであります。いずれもわれわれ大学学生補導に当ります学生部が学生の課外活動の一つとしまして、そういう文化祭をも自治活動を進める助成の方法としまして世話をして参りました。従いまして文部省の課外活動費あるいは厚生補導費というような、いわゆる厚生補導の費用をそのほうに援助して出して来ておるわけなんであります。そういうふうな秋季文化祭が主でありますが、春の文化祭もある。昨年につきましてみますと、その春の文化祭、すなわち五月に持たせてやるのが適当であるものが、学生側の準備その他の事情のために時期が遅れて参ったのであります。そこで同学会代表のほうは、ちょうど六月十八日が幸いに創立記念日であるからして、それに接着したところの六月十九日及び二十日という両日を創立記念祭というような全く新しいところの行事として認めてもらいたい、こういうことを学生部に申し出て来たのであります。そこで学生部といたしましては、建前としましては春秋に行うのがいいというように考えておりますために、かつ創立記念日は、これは京都大学そのものの記念日であるから、そのときには記念式典をやるというのが適当だというようなことからして、新しい創立記念祭というものは認めないで、春の創立記念祭を、春のまあ文化祭であります、それを続けるのがいいというようなところからしまして、昨年は時間的にずれたんだからそれはまあ認めよう、ただし今年限り、ただいまから申しますれば昨年限りというような条件を付しまして評議会が決定いたしたのであります。ところが今年になりまして学生のほうとしては、昨年限りというように、はっきり条件がついておるけれども、今年も行いたいというようなことで、創立記念祭を今年度も持ち出して来たわけなんであります。で、昨年限りというのは文字通り昨年限りで、今年はもう春の文化祭ということなんでありますからして、学生部といたしましてはその点これは一つのむずかしい問題である。総長なり評議会で認めてもらうのには相当こちらが、と申しますのは、学生部が努力しなければならぬということなのでありますが、実はその点以上に、もう一つむずかしい問題が存在したのでございます。と申しますのは、昨年のその秋季文化祭が十一月に行われたのでありますが、この十一月の文化祭を行いましたときに、こういう催しにつきましては十分に大学側と同学会代表との間において折衝いたしまして、立派な文化祭を持つように手順をきめる、プラン、スケジュールというようなものをきめるわけであります。そこでそれでよろしいということになれば、それをスケジュールに、すなわち印刷物にいたしまして実行するわけでありますが、昨年の秋季文化祭におきましては、学生が出してきましたけれども、しかしながら話し合いの結果、学生のほうもそれを持たないのが適当だと考えた二つの行事がありました。一つは学生の持ち出した形でなくして許してやりました。もう一つは学生がそれをやるということはふさわしくないというので、全然それは許さないというふうにした二つの行事につきまして二つとも不法に行われました。ことに学生がそれではその行事は行わないということを誓約する、行わせないとまで強く誓約したところのものが実際行われまして、不法の集会というようなことになったのが二つございます。これは実はあとからもお話が出るかと思いますが、学外者を入れてはいけないということが非常に大きな要素であった行事でありますが、それが学外者を入れて行われたというようなことで、大学の禁止したにかかわらず、また学生が行わないと誓約しながら行われた行事があったために、今までの京都大学の行き方からしますと、その場合に大学の意思に反したということで処分が行われたことがあるのであります。ところが大学としましては処分をしない、その代りに今後に対する警告を意味するところの告示を出したのでございます。昭和二十九年の第七号の告示であったものでありますからして、これを昭和二十九年度告示第七号と言っておりますが、そういう第七号が出ました。この告示の中におきまして、今後の大学におけるところの学生の文化祭及び創立記念祭は、十分に今回の不祥事件に鑑みて慎重に計画し慎重に実施すること、という警告を与えております。そして今後にこういうような不祥の事態を繰り返すならば、同学会そのものの存立にも関係するだろうというような、きわめて大学としては不法事件を重大視しまして、処分はしなかったのでありますが、そういう警告を告示の形で出しているのであります。  そこで初めの話に戻りまして、今回の創立記念祭、六月十九日、二十日を予定しているところの創立記念祭を許すべきかどうかということに当りまして、学生部といたしましては、今言ったように、去年限りという去年の評議会の決定と、それからもう一つこんなふうに不法集会を、非常に慎重に両者で相談しながらも、不法集会にならないように努力しながらも、そういう不法集会が出たという事態の発生に鑑みまして、当分の間は学生の今度申し出て来たところのいろいろな大規模な創立記念祭を、去年の程度において、去年よりも上廻らない程度のスケールで今年の創立記念祭を許してやるならば、これは総長も納得し、評議会も認めてくれるだろうと学生部は考えまして、そうしてそういうことをるる評議会で説明し総長にも話しまして、結局もう一度繰り返して申しますと、昨年の創立記念祭の程度において、つまりそれを上廻らないような程度において創立記念祭を持つようにという決定で今年もまた創立記念祭を認めてもらえたのであります。ところが同学会、学生にとりましては、もっと内容の充実したものを要求しておりますからして、それでは得心がいかない。こちらは自粛という意味がある。本来ならば評議会、総長は認めないけれども、この程度で自粛してやればというので認めてもらったのだから、この程度で実績を作って、なるほど不法集会も今後はやらぬという見通しがつけば、そのときは諸君はだんだんと盛大な創立記念祭を持っていけばいいじゃないか、そう言って話し合っておったのであります。ところがどうしても同学会代表の方は納得がいかないと申しますので、実はここに私が最後に、こういう事件が起ったあとで、同学会の解散ということに立ち至ったのでありますが、その同学会の解散を命じましたその理由に明瞭にうたわれておるような、そういう事実が発生しましたのが、先ほど来お話しになるところの事実なのであります。要点をここで述べますとよくわかると思いますが、これを読ましていただきます。  「今回昭和三十年度創立記念祭の実施に当り、大学は右の告示第七号公布後初の文化行事であるに鑑み、予め同学会に対してしばしば深甚なる自重を要望し、理由を明示してたびたびの助言指導を行うと同時に、総長自らも渡欧直前の多忙な時間をさき、五月二十三日及び六月三日の両日にわたり同学会代表と面接し、学生の希望を直接に聴取した上、率直に大学の決定の理由を述べ、これに従つて行事の支障なき実現を要望したにもかかわらず、」これは「大学の決定」と申しますのは、先ほど申しましたように、大体において昨年通り、昨年以内でやれということであります。「同学会代表は終始自己の要求を固持して譲らなかった。かくて六月三日、約九時間にわたって総長の行動の自由を束縛するという不祥事態の発生をみるに至ったのである。即ち、同日午後一時から二時まで、総長は総長応接室において同学会代表十名に面接し、平穏裡に面接を終ったが、二時半頃総長退出の途中、多数の学生が総長を取囲んで阻止し、あまつさえ暴力を加えるに及んだ結果、総長は退出できなくなり、やむなく階上の総長室に引返した。よって大学は階下に参集したこれらの学生に対し面接理由を述べて即時解散するよう勧告したが、同学会代表は依然として決定の理由が納得できないと称して積極的に解散につとめず、むしろ参集学生に同調し総長が自らその場に来て説明をすることを強要し続け、喧騒を極めた。大学はこの事態の収拾策として、同学会代表に対し数度にわたり現場及び別室において、かかる学生群を背景にして面会を強要することは、大学人としてとるべき態度ではなく、且、この事態の継続は、創立記念祭の実施はもとより秋季文化祭及び同学会存立に重大影響を与えるであろうことを明示し、全学的自治機関としての同学会代表の善処を終始要望し続けたのである。しかしながらこの段階においても、同学会代表は依然として態度を変えず、遂に大学は同学会に対して午後九時前、次の最後的発言を行つた。一、学生委員会を開いて君達の希望を報告する。二、総長は明日出発されることであるから、九時二十分までに解散せよ。三、解散しない場合は不法集会と認め、適当な措置をとる。同学会代表はこれをきき、ただちに席を立つて参集学生にこれを伝えると同時に、百数十名の学生と一体となり、総長室前に乱入して来た。ここに及んでは、大きな声で歌を歌ったり、総長を罷免せよとか、総長をやめろとか、あるいは非常に喧騒をきわめまして、ドアをけっておるというような状態であった。約百数十名の学生が総長室前の廊下にいわゆるすわり込みをやったわけであります。「ここに及んでは、非常措置以外の方法で総長の不法監禁の状態をとくことは全く不可能となつたので、遂に大学は止むを得ず警官隊の出動要請を行つたものである。同学会代表のかかる一連の行動は、学生全般の意向を反映した妥当なものとは断じて考えられない。」  以上長々と読ましていだたきましたのが、事件当日の事実でございます。
  33. 竹下豐次

    ○竹下豐次君 お伺いしてよろしゅうございますか。
  34. 笹森順造

    委員長笹森順造君) どうぞ。
  35. 竹下豐次

    ○竹下豐次君 昨年の文化祭の際ですね、二つの条件がたがいに約束されたのにかかわらず、それを履行しなかった。一つは学外者を入れてはいけない。もう一つは私は聞き落したのかもしれませんが、二つの約束に違反した。今年はもうそういう約束に違反するようなことはしないから、やらしてくれということが学生側からの申し入れだったのでございましょうか。
  36. 田中周友

    参考人田中周友君) その点でございますが、二つの条件と私が申しましたが、それは先ほど私の発言の間違いでございまして、二つの不祥事件が起ったのでございます。そういう二つの不法集会が起りましたので、その結果告示を出しまして、今後は自粛してくれろ、こういうことを言うておる。それから数カ月たって今度夏の創立記念祭、こういうふうに考えるわけですが、その場合には一つ学生諸君自粛してもらいたい。そうして不法集会の契機になるような屋外の集会でございますとか、そういうものは今年は一つしんぼうして、それを除いた、スケールで、それがまさしく昨年の創立記念祭では屋外の集会というものはございませんで、そういうスケールにおいてやってもらいたい、こういうことを言ったのであります。と申しますのは、一つはもちろん昨年そういう不法集会を起したのは、屋外の集会でそういうものを許したものでありますからして、そういうおそれもあるので、それがために告示が出たのであります。告示が出たということもよく考えて半年の間は一つ自粛してもらいたい。一つそういうことをやらないということになれば、今後は幅を広げてますますそういう文化祭を持たしてやれるからというのが私ども学生部の考え方でございましたのです。
  37. 竹下豐次

    ○竹下豐次君 どうもまだはっきりしないのですが、自粛してもらいたいというのは、屋外集会はやらないように自粛してもらいたいというのか、屋外集会はやってもいいけれども、学外者を入れないような屋外集会をやってもらいたいと、こういうことなのですか、具体的には。
  38. 田中周友

    参考人田中周友君) 具体的にはこういうことを申しましたのです。今年許すときに実は学生代表の方からいろいろなプランが出ておりまして、前夜祭というようなことだと、踊りの会というものをやるとか、あるいは園遊会というようなふうに、仮装行列だとか、寸劇だとか、合唱だとか、そういうものを総合した園遊会をやる計画だ、あるいは他大学学生諸君と一緒にやるところのゼミナールというようなことを記念祭の中に入れようとしてきたわけであります。ところが、そういうふうなものはいずれも昨年の創立記念祭ではそういうような形では出ておらぬ。もっとも、その前夜祭というものは昨年創立記念祭で許したのでありますが、これは分校限りのものでありまして、またその前夜祭というものは好ましくないということを総長が二十三日に会見した時に申しておりますので、そういう点からいたしまして、昨年の不法集会は二つとも場合によっては御説明申し上げたいと思うのでありますが、二つとも屋外集会であって、しかも学外者を多数導入いたしまして、本来学外者は大学の集会規程では許されておらぬのでございますが、そういうものを多数導入した、そんなことがございまして、先ほどるる御説明申し上げましたように、実は学外者を入れてはいけないという集会規程があるのでありまして、それを入れません、と同学会代表自身が誓約しながら、しかも実際に入れておるというようなことから考えまして、今年はもう園遊会を含んで屋外集会はやらない、やらないというのは、要するにまた繰り返して申しますと、昨年の創立記念祭にそういうスケジュールはなかった。要するに昨年通りの程度で一つやってもらえばこれは評議会も総長も納得してくれて、その程度は認めてもらうということで、私実は持てるようにしてやりましたので、これは私としましては、まあ成功たったと思います。と申しますのは、昨年限りで、本当にそういう意味だったものですから、今年もう一度持ってもらうというためには、そのくらいの条件を付けないと見込みがなかったということなんであります。
  39. 竹下豐次

    ○竹下豐次君 私、新聞で見まして、問題の要点は屋外集会をやりたいというし、やらせないというし、それが争いのもとになったのだな、というような感じを新聞の記事では受けたのであります。やはり実際はそういうことになるわけなんですか。今のお話を承わっておりますと、向うはどこまでもやはり屋外集会をやりたい、あなたの方ではやらせたくないんだと……。
  40. 田中周友

    参考人田中周友君) そうでございますね。実は屋外集会の問題が相当なウエートを持っておりますが、そのほかにいわゆるゼミナールというようなものもございますしね。それから前夜祭というものもございまするし、で、前夜祭というものを十七日に屋外集会として持つというのが一つございます。それから十九日に最初はカーニバルと言っておりましたが、園遊会という形式で十九日に屋外集会、それからゼミナールというのはこれは屋外集会とか、そういうものとは違いまして、他大学学生を単なる聴衆とか観衆という意味でなくして、積極的、主体的に一緒に、いわば主催者的に一緒にやるというので、これは私の方の学内集会規程というものに反するのでございます。そんなことで屋外集会を、園遊会を含む屋外集会は今年は自粛しろというのは一つの大きなウエートでございますが、それだけではないわけでございます。
  41. 大谷瑩潤

    ○大谷瑩潤君 私ちょっと大臣にお伺いしたいと思いますが、はなはだ抽象的なことになるかもしれませんが、この大学の不祥事ということに対しましては私の故郷である京都に起った事件でありまして、われわれといたしまして、市民としても、府民としてもまことに国会に対しても世間に対しても申し訳のない事態であると考えておるのであります。けれども、これを今さらかれこれ申しましても、根本の問題がどこにあるかということから解決してゆかないとなかなか問題は解決がむずかしいのじゃないかと思うのであります。で、御承知であるかないか存じませんが、京都におきましては先年立命館大学学生ストライキをやりまして、荒神橋で負傷者や死者まで出たような騒動が起りました。また同志社大学の学長の御令息が殺人事件を起したような問題もございます。かつまたそのほか天皇が京都へ見えたときに革命歌をもって学生が歓迎をしたというような問題も起っております。最も日本でクラシックな京都と申しまするか、非常な古典芸術を持っている京都におきまして、学生の部面のみが非常に民主主義の行き過ぎとわれわれは考えておりますが、そういう思想の面において非常にすさんでおるということに対しましては、われわれ京都人として常に一つの悩みを持ち、また自分の子弟に対する将来というものに対しましても、少からざる不安を感じておる者なのであります。そこで私はこういう問題が京都に続出するということ自体は、智育の面においても大学と申すれば卒業後完成されたものと認めていい階級だと思いまするが、徳育の面においては全体最高学府である京都大学を出ようとするような学内にこういうことが起るということ自体が、私非常に割り切れぬものを持っておるわけであります。  そこで私のお伺いしたいと思うことは、天野元文相は処世訓でございましたか、われわれのこの国民として、かつまた人格完成の教育の基本法に基いて、これから将来立っていかなければならぬという国民に対する方針と申しますか、方向というか、そういうものを出そうとされたのでありましたが、ついにこれは日の目を見ずに終ったように私は聞いております。そこで今度文部大臣におなりになりました松村さんにお伺いいたしたいのは、こういうような方面に対しまして、実は私昨年中国の方へ旅行いたしまして、東洋道徳というものが中国においてすでに滅んでおるということは、孔孟の教えがもう時代おくれとなりまして、今や姿を消してしまいまして、孔子廟のごときはその内容何もないものになって、いわゆる協同組合、あるいは診療所、あるいは図書館というようなものに内容においてすっかり変っておるのでありますが、この東洋道徳の根本の国であった支那の状態が赤化されてからああいう状態になってしまったので、日本に及ぼして参りまする東洋道徳の基準の面においても、日本としては日本としてのあるべき形をこれから打ち立てて参らなければならないのではないかと思いまするし、われわれ自体が徳育の面においてはどう進むべきかということに対して少からざる迷いを持っておるわけであります。この点につきまして、教育の最高の地位においでになりまする松村文相のお考えを承わり、かつまた今度の京都大学におきまする問題の処理につきまして、その責任なり、その跡始末なりに対しましては、稲田局長から一つお聞きをいたしたいと、かように存ずる次第でございます。どうか一つ。
  42. 松村謙三

    ○国務大臣(松村謙三君) 今お話の京都大学のこの不祥事件、これはまことに遺憾なことでございまして、私は単なる園遊会とか、それだけに限った事件とも思えません。単なるあの暴行事件、大学の総長に学生が暴行を加えるということ自体が、きわめてわれわれは重視する必要があると考えまするし、それのみならず、今田中さんの御説明は、そういう面には触れていませなんだけれども、京都大学におけるずっと過去の何からみまして、単なるその場限りのこととも思われない節があると私は考えます。それで昨日滝川総長がお越しになりまして、その当時のいろいろお話を、報告を承わりまして、それからまた、ゆうべたってローマのほうに行かれた。両方の用事でお尋ねを受けたわけですが、私は強く滝川総長に善後の処置を明確におやりになることを希望いたしておきました。もちろん大学の自治のことでありますから、それをかれこれ指揮命令はいたしませんけれども、強く要望いたしておきました。大体近来大学の傾向は戦後のあの混乱時代からだんだん落ちつきを見せて参りまして、東京あたりの官立、公、私立の大学におきましても近来はある程度落ちついて、あのような不祥事件は過去のこととなりつつあるわけでございます。これは非常にいい動向と私どもは見ております。それが大学の自治のうちで自然にそういうふうになるということは最も好ましいことと思っておりましたのに、それが京都においてまたああいう事件、しかもそれは去年もそれに類することがありました。ずっとこれまでにもそういうことがあります。そこで私は特に滝川さんに、これはこういう不祥事件が再び起らないのみならず、学問の独立を標榜すべキ農高の学府において、この思想的に一部に偏向したる形を時折見るということはいかにも遺憾なことである、この今度のことがそういう思想を根拠にして起ったか起らないかはわかりませんが、あの指導者の一部にはやはりそういう色彩の脈絡を持つ人がおるといううわさも聞きます。あるいはこれはうわさじゃななくてむしろ本当であろうと思いますが、そういうようなことであることは、最高学府において実に遺憾なことでありますから、私は滝川君に十分希望しておいたわけであります。本来からいうと、外国においでになるのなんかとめて、専念、善後の策に当っていただきたいとさえも思いましたが、しかし火急のことでありますので、人をかえるわけにもゆかない、また大学の総長が向うに行きますのにこんな事件で行けなくなったということが外国に対しても恥かしいことでありますので、あとのことは手はずが大体できて心配ないと言いますから、それならば早く行って早くお帰りを願いたい、こう言うていたようなわけでございまして、私のほうはこれを一つの契機として、大学が自治的に大学の当事者も学生もともに深く反省をされて、自治の力で本当の意味の京都大学の面目を取り返していただきたい、こういうふうに考えているわけであります。また今日の教育の方針につきましては、お話の通りの次第でございますが、しかしこれを教育勅語のように文書でこの国民の教育の何を政府がきめるということも、果してそれが本当に教育の上においていい効果を来たすかどうかは、なお研究をする余地があるのではないか、それはほかでもありませんけれども、これは明治大帝が出された、そうしてそのときの状態が何でありましたが故にあの教育勅語の精神というものは国民のすみずみまで行きわたって、ああいうふうになった。これは制度の力もあるかもしれませんが、明治天皇という偉い方の個人の感化というものが大きくあったろうと思います。昔から政府できめて、それが国民にああいうふうに普及した例はない。やはりクリストが教えるとか、孔子が教えるとか、お釈迦様が教えるとかいうことが、やはりそれが思想の流れ、道義の基礎となるのじゃないか。明治以来今日に至りまして、型は違いますけれども福沢先生のごとき、新島先生のごとき、この人によって思想が現われ、国民に徹底するのでございまして、役所においてこれを成文化しても、どういうものかと私は考えまして、どうもこういう時代におきましては、国民に子弟の教育に関する考え方を、もう常識を持っていただくよりしようがないじゃないか、こういうふうに考えております。その常識といいますと、先刻も申したかもしれませんが、一つは世界のどの民族と伍しても劣らない高い人格、高い品性を涵養することが第一。それから良知良能と申しますか、良能とはいわゆる技術を身につけるということ、それと豊富な常識を持つということ、それにきわめて強い同胞愛、祖国愛というものを持たすということが大体今後世界の進運に劣らない、どこへ行っても大手を振って外へも伸び、内にあっても立派な国民となる、大体そういうところじゃなかろうか、これを一つ国民の常識化いたしていくよりほかに道がないんじゃないかというようにただいまは考えておるわけです。これを文書にいたして、そうしてやりますならば、これにこしたことはないと思いますけれども、これにはなかなかいろいろ困難なこともありまするが、文字では表わせないと思いますので、そういうふうにただいまは考えておるわけでございます。
  43. 稲田清助

    政府委員(稲田清助君) 私のつけ加えること、ないように存じます。
  44. 佐藤清一郎

    佐藤清一郎君 私は田中部長さんにお尋ねしたいと思います。昨年秋の文化祭において不法の集会が二つ行われた。そして一つは同学会の名によらずに他の名によって行われたというのですが、その一つの同学会でない他の全会というものを、いま少しアウトラインでかまいませんから、話していただきたいと思います。
  45. 田中周友

    参考人田中周友君) 二つの不法集会のうちのただいまお尋ねにあずかりましたものは、学生代表がやはり最初は秋季文化祭の行事の一つとして出してきたものでございます。名称といたしましては左京、左京と申しますものは京都市におけるところの区画の一つでございます。左京うたと踊りの会というものでございまして、これは文字が示しますように、単に学生だけではなくって、左京のうたと踊りの会というような外部の、学外者のものも交えたところのものでございます。京都大学といたしましては、学外者が単なる聴衆、あるいは観衆というようなふうに受動的あるいは消極的と申しますか、そういう参加は学内開放の秋季文化祭においては考えられますが、積極的にそういうふうに学外者が行事のうちに役割を演ずるということは、京都大学集会規程というものから許し得ないものなんであります。そこでそういうことを言いまして、これは認められないという助言をいたしましたところ、同学会は取り下げました。そのプランを取り下げました。そうしてやらない、またそういうものはやらせないと誓約いたしましたが、実際はそのときになりましてその行事を行いました。で、学生部といたしましては、やっておりまする現場へ参りまして、許されておらないのだから散会するようにというように掲示も出しましたが、また説得もいたしましたが、そのまま続けましたし、また同学会のボックスへ参りまして、責任者にやらせないというふうに誓約しておるのであるからして、現場に行って少くともそれをやめるように説得すべきだ。もちろん強行するならば、いかに同学会といえどもそれを実力をもってやめさせることは不可能でありましょうが、やらせないと誓約しました以上は、責任者のだれかが行きましてやめるように勧告すべきであったのでありますが、学生部のものが同学会のボックスに行きますと、だれもそのときには引き払っておりません。そういう事実でございます。
  46. 笹森順造

    委員長笹森順造君) 田中参考人に対する質問は、なお継続したいと思いますが、この際大臣に対する御質問がありましたら御発言いただきます。   〔委員長退席、理事竹下豐次君着席〕
  47. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 先ほど大谷君の質問に対しまして、大臣からいろいろ所見を述べられたわけでありますが、その問題に関連して、一言お尋ねをしたいと思うのです。それは思想の自由という問題です。先ほどの大臣の答弁の中には、何か思想の自由を否定するかのような言葉があったようでありますが、学生の自治会の指導者の中には、ある特別な思想を持っているものがあると、こういうものに対しては、確固たる処置をしなければならぬということを総長に要望しておいた、というような意味の答弁があったのです。私はそこで大臣が、思想の自由は守っていかなければならないとお考えになっているのか、あるいはそういうお考えを持っておられないのか、はなはだ了解に今苦しんでいるわけなんです。そこでこの際思想の自由、学問の自由という問題について、大臣の御所見を開いておきたいと思います。
  48. 松村謙三

    ○国務大臣(松村謙三君) 思想の自由については、これはもう申すまでもないことでございまして、何も思想の自由を束縛しようとは考えておりません。ただ学園内におきまして、その思想から出た行動が、この学校の規則、規律に影響をし、そうしてかえって他の考えを圧迫するというようなことなどが起ったらば、これはとめなくちゃならない、こういうことでございまして、思想の自由と、そうしてその思想の伝播をするいろいろの行動とは、これは違うと思います。そういう意味で申したことでございまして、思想を束縛をすると、こういう意味ではございません。
  49. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 重ねてお尋ねをいたしますが、思想から起ってくる行動という今お話をしておられたわけでありますが、そうして思想そのものに対しては、何ら拘束する考えはないわけだ、こういうお話なんですが、ただいま、まあ共産主義なら共産主義でよろしいのですが、そういう思想から起ってくる行動は抑制しなければいかぬ、こういうお考えですか。
  50. 松村謙三

    ○国務大臣(松村謙三君) それがこの社会の秩序を乱し、学校の秩序を乱すならば、それは厳に取り締らなくちゃならぬと考えております。京都大学においてはそういう事態が過去においてもございました。それだから心配いたすのであります。
  51. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 もちろん学内の秩序を乱るとか、あるいは社会の秩序を乱ると、そういう行為を取り締るということは、私はこれは当然なことだと思います。しかし思想から起ってくる行動を取り締るというのとは、私は意味が違うと思う。これは思想のいかんにかかわらず、そういう秩序を乱し、安寧を害するような行為は、いかなる思想に対してもこれは取り締る必要がある。ただここにある特定の思想から起ってくる行為を取り締るのだというのとは、大分性格が私は違うと思う。その点明確にしてもらいたい。
  52. 松村謙三

    ○国務大臣(松村謙三君) それでありますから、私は思想と申しました。従ってそれは右でありましょうとも、左でありましょうとも、社会の秩序を乱し、学内の秩序を乱す、それならばこれを取り締るのは当然であると私どもは考えております。
  53. 松原一彦

    松原一彦君 田中教授に伺いますが、田中先生は滝川総長が暴行を加えられたところを御覧になっていらっしゃったのでございましょうか。いかがでしょうか。
  54. 田中周友

    参考人田中周友君) お答え申し上げます。今回私どもが不祥事件と申しておりますのは、一貫して六月三日の事実を指しているものでございまして、従いまして、もう少し具体的に申しますと、総長が学生諸君と一時間にわたる会見で十分意のあるところを尽して、その面会がすんだのち、渡欧の準備のために研究室へ退く途中において総長の退出を阻止し、ける、打つということがあったのが一つの暴行でございます。それからやむなく総長が引き返しまして、もとの総長室へ入って、その以後約九時間にわたりまして危険なためにそとへ出られない。そういう不法の状態が続いておりました。それがやはりよくない。まあ具体的に申しますとそんなふうに暴行事件と不法にカン詰と申しますか、そういう事件、この二つが主だと考えます。
  55. 竹下豐次

    ○理事(竹下豐次君) 半ばですが、文部大臣は予算委員会等の都合で時間をあまりお持ちになっていないようであります。元来、今議題にのせられておりますのは、参考人の御意見を承わるということでありまして、ちょっと横道へそれて大臣に御質問が出てお答え下すったわけになっております。この際大臣にお引き上げ願いまして、また後日適当な機会にお尋ねの点があったらお答えしていただくということにしたらいかがかと思います。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  56. 竹下豐次

    ○理事(竹下豐次君) それじゃそういうことにいたします。
  57. 松原一彦

    松原一彦君 そのお言葉の中に滝川総長をける、打つというお言葉があったのですが、新聞にもそうありますが、私ども学生が総長をける、打つというようなことは想像に絶するのですが、あなたはそれをごらんになっていらっしゃったかどうかとさっきからお尋ねしておるのです。
  58. 田中周友

    参考人田中周友君) お答えいたします。私はその現場を見ておりません。ただ総長がそういうふうに私に申しましたし、それから総長が出て行きますときに総長についておりました大学の職員、そういうことになりましてあとからますます数もふえまして数人の職員、そういうものが現認しております。
  59. 松原一彦

    松原一彦君 それは現にからだの一部に傷がついておられますか、いかがですか。
  60. 田中周友

    参考人田中周友君) その点こういうことでございます。私がその直後及び引き続いて総長室に総長を守って一緒におりましたが、結局約九時間の監禁ののちに、一時前でございます。従いまして四日の午前一時頃に総長は自宅に帰りました。それを私また一緒に参りましたが、その頃全部通じまして総長が示しましたその足には青黒くなっております。足をけられたあとが青くなっておりました。それからその翌日、五日でございますが、また昨日、六日あたりに総長はその足がはれまして痛むという状態でございます。
  61. 松原一彦

    松原一彦君 京大の学生の数はただいま何人ございますか。
  62. 田中周友

    参考人田中周友君) 京都大学は学部の数がただいま八学部ございまして、その学部の学生数は約六千人でございます。そのほかに大学院及び旧制の大学院がございますので、全部で約八千名でございます。
  63. 松原一彦

    松原一彦君 その八千人中に、今のような暴行を行なった学生の集団はおよそ何人くらいあるのですか。
  64. 田中周友

    参考人田中周友君) この三日の事件につきまして、参集しておりました学生は約百数十名でございます。
  65. 松原一彦

    松原一彦君 総長が学生からとりかこまれて、けったり打たれたりするといったようなことは、われわれ老人には想像もつきませんが、八千人の京大の学生は総長がかようなことにあうのをだまって見ておったのでございましょうか。
  66. 田中周友

    参考人田中周友君) その場の事情を簡単に御報告申し上げますと、京都大学本部は二階建でございまして、いわゆる上に時計台がございます。時計がございますから時計台と申しております本部がございます。その二階に総長室がございます。それで学生たちは数日前から大学が示しているところの形における創立記念祭には不満であるというので総長と会見して、総長と十分話し合いたいということでありましたために、すでに五月二十三日に第一回のその創立記念祭に関する会見をいたしております。それから第二回が当日の午後一時から二時まで行われております。その午後一時から二時までの会見のときにわれわれが学生諸君に希望したのは、平静に総長と話し合ってもらいたい。それがために従来のように多数の学生が会見の場所、総長応接室でありますが、その前あるいはその隣りの部屋に殺到して喚声をあげるというようなことは好ましくないから、こう言いまして、他の学生は全部階下に退いているように申しました。いつも総長と学生との会見のときには大学詰の新聞記者諸君は、むしろ大いにわれわれがやっているところ、学生の補導というようなところを見てもらいたいので、来たるものは拒まずというような関係で、新聞記者は随時出ておりましたが、そのときは新聞記者は傍聴はもちろん当然でありますが、その他の学生は平静裡に会うために二階に上らないようにという条件をつけました。そこで多数の学生は階下におったわけであります。そういう会見の後におきまして、階下におった学生がそれを非常に不満に思いまして種々喧噪し、総長をやめろ、総長を罷免しろというような盛んな状態でありますので、総長は二階のもう一つの別の階段から降りて研究室へ行こうとしたのであります。従いまして、その別の階段を降りて行く場合に、それを認めた学生が十数名と申しますか、追いかけたのでございます。従いまして、一般の八千名の学生というようなものがそれを見たならば、あるいは引きとめたかと思いますが、そういう事実はなかったのであります。
  67. 松原一彦

    松原一彦君 そこで、こういうような事件が起ったあとで、新聞で見るというと同学会の解散を命ぜられたということでありますが、こういう諸君に対して京大八千人の学生はどういう反応をもっているでしょうか。われ関せずえんといったような恰好でございますか。若干のこれに対する批判が起っておりますか。あるいはこれを不満としてこの暴行者に同じて、なお騒ぎ立てるという傾向があるのでございますか。その辺の反応の状況をお聞きいたしたい。
  68. 田中周友

    参考人田中周友君) お答えいたします。この事件が起りましたのは、六月三日の午後二時以後というふうにお考え下さっていいわけなんであります。一時から二時まで総長と学生が会見しておりました。それで二時以後におきまして今の総長の負傷事件、それから自来のカン詰ということが起りまして、終りましたのが、十一時半に警察官の出動のために辛うじて通路が開けたというようなことでございましたので、総長が帰りましたのが翌日の四日でございます。ところが学生の方は、四日になりまして抗議大会というようなことで、午後学内の正門内に集まりました。その数は数百に上っておったようであります。この集まりましたのは大学は認めておりません。掲示を出して、本日集会するなら、それは許されないものであるから解散せよとか、あるいは絶えずスピーカーでもって、本日の集会は許されておらない会合だから、集まらないようにというようなことをやっておりましたけれども、なお、かつ数百の学生が集まりました。そのうちには、しかしながら言葉は適当でないかもわかりませんが、抗議だけに集まった学生だけではなくして、相当数の第三者的なヤジウマと申しますか、そういうものがあったと考えられます。のみならず、若干の学外者もまじっておりました。これはむしろ扇動者といいますか、そういうものと考えられます。ところが私どもが聞きましたところでは、そういうふうに集まりました学生は、当然総長を罷免せよとか、あるいは自分たちの希望する線で創立記念祭を持とうとか、あるいは同学会を守り抜こうとか、そういうことを中心にやっておったようでありますが、発言をする者の中には、今回は同学会のやり方が、力をもって押そうとしておるのはけしからぬ。あるいは総長に手を加える、けるというようなことは行き過ぎであるというような反省の声があったそうであります。しかしそれはすぐ指導者といいますか、そういう人たちの戸で消されてしまいました。きわめて弱かったのでありますけれども、従来にみないそういうふうな発言があったということは、注目すべき現象だとわれわれは考えております。ただ、まだ四日の事情は私知っておりますが、五日の夜私がこちらへ参りましたために、その後の動きはわかりませんが、今のところ、まだ特に学生が、こういうことはけしからんことだというふうな、当日の事件に対するところの大きな反省の声が上っておるというような報告はいただいております。
  69. 松原一彦

    松原一彦君 わかりました。
  70. 佐藤清一郎

    佐藤清一郎君 ただいまの第三者というのは、どういうふうな学生ですか。あるいは共産党員ででもあるのですか。
  71. 田中周友

    参考人田中周友君) 私の申しましたのは、たまたま抗議集会を四日にやっておりましたときに、他大学学生が入って来ておったという報告を受けております。
  72. 佐藤清一郎

    佐藤清一郎君 およそ同盟休校とか、あるいはこういったような問題には、教授の中に学生を扇動する者が内部に存在している場合が非常に多いようでありますが、京都大学における教授というものの動向はどういう状況であったか、率直に述べてもらいたいと思います。
  73. 田中周友

    参考人田中周友君) その点は、ただいま事実としまして私正確には聞いておりません。ただ、ただいまお話しがございましたように、うわさは従来大学においてもございます。
  74. 佐藤清一郎

    佐藤清一郎君 このいろいろな騒擾事件を起すという場合には、まあ二・二六事件の場合においてもそうですが、軍隊上層部に、これを扇動して、事件ができればわれわれが処理してやるというような扇動家がおってああいう事件ができた。すべて学校の騒擾におきましても、私はそういう面が非常に多いと思う。これについて真相というものを明らかにすることが私は大切じゃないかと考えておるものですが、滝川学長がおらんのでありますから意見を聞くわけにはいきませんが、田中学生部長としてはどうお考えになっておりますか。一つ率直に述べてもらいたいと思います。
  75. 田中周友

    参考人田中周友君) ただいま御発言のございました外部、あるいはどう申しますか、外部からの扇動がそういうものにはありそうであるが、その真相いかんとおっしゃいましたかと思いますが、その点私どもは捜査というようなことは、そういう力がございませんので、実情を明確に知り得ないのが残念であります。
  76. 高田なほ子

    高田なほ子君 今の佐藤さんの質問についてお尋ねしたいと思いますが、教授の中に学生を扇動する者があるかないかというような質問だったと思いますが、ただいま田中さんのお答えでは、そういううわさも聞いている、こういうふうに御答弁になっておったわけですが、これは非常に私は問題が大きいように思うのです。学生を扇動してこういう暴行をさせるというようなことを、かりにも教授の方々がやっておるなどということは、私はもう、どうしても考えられないんです。そのうわさというのはどういううわさなんですか、伺いたい。
  77. 田中周友

    参考人田中周友君) お答えいたします。私は先ほどの御質問のときに、一般論としまして、教授が学生を扇動するうわさを聞いているというお言葉がございましたので、私もそういううわさは聞いたことがあるというまででございまして、今度の事件につきまして教授が学生を扇動しておるといううわさを聞いたという意味ではございません。
  78. 高田なほ子

    高田なほ子君 そうすると、この問題について、別に京都大学の教授が扇動したというようなことは、これはないということですか。
  79. 田中周友

    参考人田中周友君) ないともあるとも私は申しておりません。そういううわさは、私は今度の事件については耳にしておりません。
  80. 高田なほ子

    高田なほ子君 一応の御説明を承わりましたし、私も十分この問題については研究もしておりませんから、深い質問はできないと思います。しかし、第一番にお尋ねしたいことは、学生部長という立場は、学生に対してどういうような立場をとっておられるものか、また同学会の組織と学生部長というものは、どういう関係で結びついているのか、その点について伺いたい。
  81. 田中周友

    参考人田中周友君) ただいまの御質問につきましてお答え申し上げます。従来も実は学生補導のために、戦前におきましても、補導制度といたしまして学生主事、生徒主事というようなものがあったのでございますけれども、戦後特に学生の補導カウンセルと申しますか、そういうことが非常に重要視されて参りました。これは私は非常にいいことだと思います。大学は研究の府であると同時に、教育の場でございますから、その教育が正しい方向に進むのが望ましいのは言うまでもございません。その場合に、単に教授によって学生を導くのみならず、なお学生の正課以外に、いわゆる課外活動を通じて学生を補導するというのが大学の一つの重要な仕事でございます。それがために、戦後におきましては特に学生部、名前はいろいろございます。補導部、あるいは厚生補導部、いろいろございますが、学生部というものが新しく制度として大きく取り上げられました。従いまして今まではせいぜい学生課長、学生主事というのでございましたが、今は学生学生部長というのがございまして、大学におきますところの事務面の事務局、従いまして事務局長と同位におきまして学生補導の学生部、学生部長というものが置かれておるのでございます。従いましてこの学生部といたしましては、これはまさにお預かりしております学生のいろいろな希望、いろいろな福祉発展というようなことに対する窓口、執行、助言の所でございます。文化祭にいたしましても、創立記念祭というようなものにいたしましても、これを何とか正しい適当な形でもって学生の課外活動を盛んならしめる、そういうことに私は全力を尽しております。従いまして一般大学内の人たちの、教官を初め、皆様にこの学生補導の必要性と重要性を認識してもらうように努力いたしまして、なるべく学生をして楽しく学び、かつ楽しく学園生活を終るように、及ばずながら、努力いたしておる次第でございます。  次に、御質問学生部と同学会との関係でございますが、同学会と申しますのは、先ほどから申し上げましたように、建前といたしましては京都大学の入学生、従いまして学部の学生約六千名というものを、入学と同時に当然に会員とするところの全学的な自治組織でございます。しかしこの大学内には、同学会以外に種々の学生団体がございまして、運動団体もございますし、あるいは文化団体もございます。趣味の団体もございます。美術部だとかあるいは演劇部、映画部だとか、あるいは英語研究会、いろいろございますが、そういうものはすべて私ども学生の学内団体、こういうことにいたしまして、大学内に学内団体規程というようなものを設けまして、結成願い出がありますと、それを学内学生団体として許可し、公認の団体といたしております。そういう形式の点から申しますと、同学会も一つの学内学生団体でございます。しかしながら他の個々の面の学生団体、たとえば美術部だとか、あるいは書道部だとか、あるいは各学部の自治会だとか、そういうものに比べまして、同学会の方は全学の学生を会員とするところの全学的な集まりであるという意味におきまして、実際的なウエートは非常に大きいところの一つの学内団体、こういうことであります。従いましてこの学内団体として総長が形式的には許可するのでございますが、私どもはこういう学内団体を課外所動の面において、大いに盛んになるように補導しております。そういう点におきまして、やはり私どもも全学的な自治組織としての同学会が適正な発展をするように常に助長するやり方で進んできておるのでございます。
  82. 高田なほ子

    高田なほ子君 学生の自治運動というのは非常に私大切な運動だと思っているわけです。その運動を正しく補導していく重要な責任にあるのは、やはり田中さんであったように今の御説明では伺うのです。こういう問題が起りましたことを、単にこの学生が不逞のやからであるというような考え方を私は持ちたくないのです。やはりこれは学生の補導の任にあられる田中先生の責任というものは、またきわめて私は重大な段階にきておるのではないかと思うのです。で、一つ最終的にお伺いをしたいと思いますことは、全学的な六千の学生の自治組織を解体するという問題は、これは非常に重要な問題だと思うのです。今度の問題について学生側が、総長に対しては絶対に暴力をふるった覚えはないというように、まあ新聞には出ているので、その真偽のほどはわかりません。わかりませんが、この問題を通してその全部の学生の自治組織を解体するということは、やはりこの学校側と、それから学生側と、その間に今日まで何らか意見の食い違いがたびたび生じながら、ここにきて、これがきっかけとなって全学の自治組織の解散という方向にいったのじゃないかと思いますが、その間同学会と学校当局との間に何らかの深いみぞができてきておったのじゃないかと思いますが、この点はいかがでしょうか。
  83. 田中周友

    参考人田中周友君) お答えいたします。同学会とは、私どもはただいま御説明申し上げましたような方針で常に折衝いたしております。ただし、今回の不祥事件が起りましたのは、率直に申しますと、同学会の執行部であるところの、まあ中央執行部の委員諸君、あるいは代議員会の議長というような少数の学生の代表でございます。そういう者が同学会を適正に導いていく能力がなく、そうして実際に適正に導き得なかったために今回のような不祥な事件に追い込んだ、こういうことでございまして、同学会そのものが、解散の理由にも明らかにしておりましたように、全学的な自治能力を喪失した。そこでこのままでは、かえって同学会の機能を発揮し得なくなる、こういう結論に達しまして同学会を解散せしめたのでございます。そういう詳細な理由につきましては先ほど申し上げた通りであります。そういうようなことでございまして、この同学会を解散したからといって学生の自治組織が全部機能を停止したということではないのでございます。と申しますのは、同学会の傘下には各学部の学部自治会というものがございますし、それから先ほど申し上げましたように、学内団体というものがいろいろな面におきまして百以上現在存在しております。皆許可されているところの合法的な学内団体でございます。そういうものが依然として活動を続け得るのでございます。ただそういう団体のいわば調整といいますか、連合的なそういう機能を同学会が持っておる。そういうふうな連繋的な機能が同学会の解散によって一時停止された、こういうのが本体といいますか、実際の状態でございます。
  84. 高田なほ子

    高田なほ子君 同学会が正しく運営されなかったということは、ほんの少数分子の責任であるように今おっしゃっておりました。しかし私から言わせれば、なるほど少数のそういうものがあったとしても、学生部長という立派な責任ある方がおられるわけですから、当然学生部長の責任においてこの少数の方を指導していくというのが私は当然だと思うんです。そういうことについてあなたは責任をお感じにならないのですか。
  85. 田中周友

    参考人田中周友君) お説の通りでございまして、私どもは同学会の執行に当るところの代表の少数の学生諸君がわれわれの指示したり、勧告、助言するところをよく了解してくれるように極力努力しております。そこで先ほども申し上げましたように、今回の事件につきましては私どもと折衝をした後、なお総長から五月二十三日、六月三日の二回にわたりまして懇談をしておるのであります。その結果、代表諸君は総長の言っておることは一応まあ聞いたわけでありますが、それには納得できないとしまして、初めから学生代表が持って来ておるところの計画を全部受け入れなければ承知できないというような態度でございました。しかしそれにしましても、ともかくそういうことはいろいろ考えた末、適当な線だというので、それはまあわかったわけなんでありますが、帰っていきますと、待っておりますところの学生大衆に対しましてそれを納得も、聞いて来たことの報告もしないで、むしろ先ほど読み上げましたように一般学生を取り扱うのみならず、その一般学生は自分たちが出した代表であったので、それで代表が出たのであるから、代表が言うことをまた代表を通じて学生部にいろいろ話すべきものでありますが、執行部を信用しない、形式的には信用しないというような形で、直接に総長に会わせろというような態度に出たのが今度の事件を破局に導いた大きな原因であったのでございます。
  86. 高田なほ子

    高田なほ子君 そうすると学生はあなたを信頼していないわけですか。
  87. 田中周友

    参考人田中周友君) 率直に申しますと、信用するという言葉よりも、学生諸君が代表として出しておるのが、私に対する場合には、学生部長である以上は学生の要望を開くべきだというようなことからして、出して来たものを全部それを受け入れるのが学生部長の態度だというような態度でございますので、なかなかそれを納得させるのがむずかしいのでございます。
  88. 加賀山之雄

    ○加賀山之雄君 今度の事件は全く新聞を見たときに、われわれ自分の目や耳を疑ったぐらいなんですが、先ほどのお話しを伺って、また一そう驚いた次第ですが、もう一度私は念のために伺いたいのだが、これは確かに学生が暴行をしたということは、はっきりしておりますか。
  89. 田中周友

    参考人田中周友君) その点は私が現認したのでございませんけれども、総長を途中で取り巻いて、そのうちの学生が暴行をしたということは私は総長なり、あるいはそのときに一緒におりました職員から聞きましたのでありますけれども、私はそれが真実であることは信じております。具体的に申しますと、総長をけったというようなことは確かに京都大学学生がけった。で、私も実は京都大学の歴史が始まって以来、あるいは全国におけるところの国立大学におきまして総長をけったというようなことは、私は初めてであります。私としまして遺憾至極に存じております。私でも不思議なんでございます。
  90. 加賀山之雄

    ○加賀山之雄君 それが学生であり、しかも京都大学学生であったということは、これはまあ京都大学として初めてであるばかりでなく、おそらく今まで私が聞いておる範囲では、わが国始まって以来のことじゃないかと思うのですが、それらの学生は一体どういう傾向の学生であるか、そういう点は、はっきりしておりますか。
  91. 田中周友

    参考人田中周友君) 傾向と申しますると、どういうことでございましょうか。
  92. 加賀山之雄

    ○加賀山之雄君 これはまあ平常の、たとえば学問に対する態度、あるいは思想傾向、そういうようなものがどういう……。
  93. 田中周友

    参考人田中周友君) お答えいたします。そういうふうに総長に対してまあ暴行いたしました学生二名ぐらいは総長は確認いたしておりますが、その学生につきまして思想傾向というようなことは、実は京都大学はただいまもお話しが出ておりますように八千名の学生がおりますので、一々の思想傾向というものは、むしろ所属しております学部のほうでわかっておるのはわかっておるという程度でございます。
  94. 加賀山之雄

    ○加賀山之雄君 先ほどから学生部長の責任をいろいろ同僚高田委員から追究されたのでありますが、私は大学生となればこれは児童生徒じゃないのだから、もう本来の判断力なり行動の指針というようなものはみずから持っているべきものであって、大学生としての行動として、現われたことによって特に非常な大きな意義を持つ、これは単なる学生部長一人の責任に帰するにはあまりに大きな問題であると私は思う。京都大学としては、さらに同学会を解散されるという措置を発表されたようだが、一体それだけの、その解散の適否は別として、そういった学生、実際にそういう行動に出た学生をさらに追究し、それに対してどういう処置をとられるか、そういうふうな大学としての態度がおきまりになっておりますか。それともこのまま同学会の解散でそのまま見過ごすつもりか、これは学生部長としてまだお答えになれぬかもしれないが、そういう点についてお聞かせ下さい。
  95. 田中周友

    参考人田中周友君) その点についてお答えいたします。今回の不祥事件が起りましたにつきまして、直ちに考えられますその事後処置は大体おもな点が三つございます。一つは計画しておりまして、評議会ですでに認めましたところの創立記念祭の実施の問題でございます。二つは総長に対するところの暴行ないし長時間にわたりましてのカン詰、そういうような、これは大学の総長に対するところの不法行為というべきものでありますが、及びその後において四日あたりに先ほど申し上げましたように抗議集会をやっております。大学におきまする集会は当然大学としての管理の点からしまして集会規程を持っておりまするからして、その集会規程に準じて、それに従いまして行うべきものであります。具体的に言いますと、許可願いを出して許可されて初めて持ち得るものでありまするからして、この点におきましてもこの事件後不法集会が行われたわけなんです。許可願いももちろん出さないで直ちに集まった不法集会をやっておる。マイクだとか、あるいは掲示をもって不法だということを掲示してあるにかかわらず続行しておりまして、そういうような不法集会だ、そうしますとそういうふうな続いて行われておるところの不法的な問題に対するところの処理が必要になってくる、言いかえれば暴行及びその後の不法に対するところの責任者の処分という問題が二番目でございます。それからもう一つ根本的には先ほどお話に出ておりますところの、同学会が自治機能を失っておる、自治能力を失っておるからして、まあ出直すべきだという意味から、ほうっておいては一そうよくないからして、全学的の自治組織をこの際解散せしめるという、この際同学会の解散という、こう三つの問題がすぐ考えられたわけであります。なお繰り返して申しますと、記念祭をこんな事態において、ことしなお持たすべきか、禁止すべきかという問題、それから責任者の処分の問題、それからもう一つ同学会の解散の問題、こういうものはいずれも総長が、形式的に申しますと許可し、あるいは禁ずべきものなんでございます。それにはもとより学生委員会とか、あるいは補導会議と申しますか、学部長会議、あるいは全学の最高の意思機関でございますところの評議会、そういうようなものがきめるのでありますけれども、形式的には総長が同学会を解散し、あるいは責任者の処罰をするということなのでありまして、総長はただいまもうすでに出発してしまいましたのですが、この出発前、総長として意向は出しておりました。もっとも総長が出発いたしますと、あとは総長代理が置かれておりまして、それが今後の問題の処理に当ります。従いまして、実はその三つの問題のうち、同学会の解散といういわば重要な問題が、まず五日に解散ということで決定いたしました。それから記念祭というものを、ことしの創立記念祭というものをどうするかということにつきましては、同じくこの五日に、ことしは行わない、禁ずるということをきめました。残りますところの問題は責任者の処分の問題でございますが、これは個人の処分というふうに考えるならば、個人がやった行動を、やはり学生の処分でございますから十分明瞭にいたしまして、その後におきまして処分すべきものというふうに考えられますので、これからしかるべき機関におきまして、十分に検討いたしまして処分いたすわけでございますが、私の見通しでは、若干の、と申しますか、数はともかくといたしまして、処分が行われることは当然であると考えております。
  96. 加賀山之雄

    ○加賀山之雄君 かかる不祥なことは今後絶対にこれを防止しなきゃならぬと思うのですね。その今の措置で、今後そういうことが京都大学として今後一切起きないだろうというような自信なり、御判断をお持ちになるかどうか、そこまで一つ突っ込んだ私は措置が必要だと思う。よって来たる原因をただして、今後そういうこと、不祥事を二度と繰り返さないという方針のもとに、私は厳たる措置をおとり願いたいと思います。これは私のお伺いと同時に、希望として申し上げます。
  97. 竹下豐次

    ○理事(竹下豐次君) まだ御質問ございますか。
  98. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 答弁がちょっと抜けておったように思うのですが、答弁が済んでからちょっと。
  99. 竹下豐次

    ○理事(竹下豐次君) 今のは御希望だけで、答弁を求められておりません。
  100. 加賀山之雄

    ○加賀山之雄君 京都大学として、それで自信を持っておられるかどうか、その点です。
  101. 竹下豐次

    ○理事(竹下豐次君) ああ、希望だけじゃなかったんですか。それじゃどうぞ。
  102. 田中周友

    参考人田中周友君) 私は先ほど学生部の任務というようなところで申し上げましたように、学生部の仕事と申しますのは、これは非常に大きな問題です。今まで大学というようなところでは、学生の補導というようなことは実は第二義的に考えられておったとも言えるんでございまして、大学はただ講義をすればいい、大学学生を狭い意味の教育をすればいいと、こういうふうに考えられましたところに、非常に大きな誤まりがあったと思います。(「その通り」と呼ぶ者あり)そこで私どもといたしましては、今後学生の訓育、これは決してワクにはまった、そんなものじゃございませんので、学生を指導し、人としての形成に、学生を人格者として扱いながらも、その人格の完成に向うように努力する、あるいは別の言葉で言えば、研究に従事するところの教官というものに対するところの学生の橋渡し手である、あるいは窓口であるという役割を果すものが学生部であるというふうに考えます。別な言葉で言えば、これはまさに健全な学生の課外活動をさらに助長するのが仕事だと思っておりますので、私どもがそういうふうな心組みで、全部のこの衝に当る人間が、京都大学と言わず、そういう所信を持って進みますならば、こういうふうな不祥事件は防止し得るだろう、そういうふうな信念を持っております。
  103. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 私も簡単にお尋ねをしたいと思いますが、今回の暴力行為が事実であると、特に総長に対する暴力行為が行われておるというふうなことが事実であれば、これは非常に遺憾な問題であり、これは今後かかる事態が起らないように、十分大学当局でも考えてもらわなきゃならぬ問題であるということは申すまでもないと思います。しかしこの問題は非常に私はむずかしい問題であると思うのですが、それについて一、二、お尋ねをしておきたいと思いますが、その一つは、総長に対して学生が相当信頼しているかどうかということです。これはちょっと質問が過ぎるかもしれませんがね。学生は相当な信頼と敬意を持っているかどうか。こういうことをあなたに質問することも、私はお答え願うことも、どうかと思うのですが、やはり私は重要な問題だと思うのです。やはり大学といえども教育の機関ですからね。そういう点はどのようであるか。私はうまく行っていると思うのですが、そういう点、一つ差しつかえなければお話しを願いたいと思います。  それから時間の関係もありますから、続けてお尋ねをしておきます。学生の自治の問題ですが、先ほどからの御税明によって、学生の自治をこういう問題のために全般的に禁止しよう、そういう考えはないということははっきりしましたが、しかし今回一応同学会というものの解散を決定せられておるわけなんですが、この同学会の解散は、次にどういう事態を予想して——おそらくよりよき学内の自治が行われることを希望して解散を決定されたのだろうと思いますが、具体的にこの解散によってどういうことを期待し、次にはどういう措置をとって行こうと考えておられるのか、その点を私は第二番目に伺っておきたいと思います。  それから第三番目の問題ですね。同学会の運営について、学生は全学的にその運営については相当関心を持っておるのかどうかですね、平素から。よく言われることですが、もう幹部まかせであまりそういうことについては関心を持っておらぬ、あるいはまかせきりだと、こういうことも言われるのですが、そういうことはないのか、あるのか、そういう点一つお話しを願いたいと思います。
  104. 田中周友

    参考人田中周友君) お答え申し上げます。まず第一に、学生の総長に対する信頼の点でございますが、私はそれに対してこういうふうにお答えしたいと思います。京都大学は八千の学生でございますが、その八千の学生は、ほとんど全部と申しますか、ほとんど全部が学生として総長を信頼しております。全部信頼しておると言ってもいいのでありますが、ごく一部少数、——非常な少数の学生が総長を信頼しておらない、これが私のお答えであります。  それから二番目に自治機関としての、正確に言いますと、全学学生の自治機関としての、自治組織としての同学会が解散を命ぜられた向後はどういうことになるかということでございます。これにつきましては、かつて京都大学におきましては、昭和二十六年にいわゆる天皇事件というものが勃発いたしました。当時天皇が京都に来られまして、京都大学を訪問をせられたことがございます。普通なれば、天皇が訪問せられるならば万歳でも唱えて迎えるところを、プラカードを立て、「平和の歌」というような歌を高唱して迎えたという不穏な状態が起ったことが天皇事件であります。その天皇事件の直後に同学会が解散されたのでございます。同学会が解散されました二十六年後二年たちまして、二十八年現在の同学会が再建されまして、そのときに同学会という名前をもう一度とるかどうかというようなことも問題になりましたが、歴史のあるものであるからして、今までのような不当な同学会、あるいは同学会の運営というものはあり得ない、従って名前をたとえ以前の名前を冠しても、真の同学会になり得るというようなことも考えまして、名前も同学会、規約としましては私はいつも考えておりますが、学生の自治組織の根本法としまして、京都大学の同学会規約というものは理想的で非常にりっぱな規約でございます。そういうものができましたために、同学会の再建を大学当局は認めたのであります。ところが今回同学会が再びこういう不祥事件を起しましたのも、これは第三の御質問の運営にも関すると思いますが、せっかくのりっぱな自治組織の法というものがありながら、私をして言わしめるならば、民主主義というものがいかに実現する場合に本来の理想通りに行われにくいか、それに似た点もございまして、結局執行部に当る諸君の能力が欠けておるためでありましょうか、運営の点において、せっかくのりっぱな組織法が文学通りには実現しておらないというところに、非常に遺憾な点がございます。これは言い直しますと、全学の学生が、これは全国におけるところの学生諸君の通弊でありますが、自分たちの大学の自治組織というようなものを真に盛り立てて、自治を理想的にやるというような熱意がない、無関心である、インディファレントである、大多数の学生がインディファレントであるということはこれは学生を責めるのではありませんが、ある意味において世相を反映しておるかと思います。そういうところに実は根本的な欠陥があるのでありまして、私は学生諸君が自治の観念、学生が自治の観念に徹するというように努めるというのが、また学生の一つの大きな仕事であると考えております。
  105. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 それで先ほど、今後こういう事態が起らないためには、いろいろやっていきたい。特に完全なる人格の育成ですか、そういうことにも努力したい、こういうふうなお話がございましたが、私は自治会の運営といいますか、あるいは学生の自治ということについて、やはりあまり関心を持っていない学生が多ければ多いほど、その自治はうまくいかないと思うのです。行き過ぎたり、あまり感心しないことが起ってくる。そういう意味で、やはりもう少し学生の自治に対する指導といいますか、そういう方面について力をお入れになるというような必要はございませんか。
  106. 田中周友

    参考人田中周友君) これは実は私どもがお願いしたいところでありまして、大学におきまして学生の自治、学生の課外的な活動の発展というようなこととほんとうに取り組んでいるのが、実は今のところ、学生及びこれの趣旨をよく了解していただいているごく少数の教官というようなことでありまして、何とかもう少し学生部の仕事が理解され、発展するようにならぬものか、先ほど申しましたように戦後どうやら軌道に乗りかけてきたのであって、そんなふうに今から理想的な自治というものの拡充が、そうやすやすできるものではないのでありまするけれども、もう少しこれがテンポを早め、われわれのもう一そうの努力が実を結ぶようになりたいと、いつも無力を感じながら痛感しているところであります。
  107. 松原一彦

    松原一彦君 私最後に申し上げますが、最近すべてのものの解決を暴力でやろうとする傾向がやはり強く現われる。六月三日は奇しくも昨年衆議院において大騒動のあった日なんです。私はあの日の朝懲罰委員長を命ぜられ、あれを聞いて肝を冷やしたのでありますが、自治というものはなかなか行われないもので、最高の国民代表を集めている衆議院ですらも自治は行われない。ああいう乱暴をやって、解決を暴力でやろうとする日本の今通弊の一つだと思うのです。一大学の問題じゃない。しかもこの暴力で解決しようとする人々が、最も声高くしている言葉は平和、いわゆる平和主義者が一番暴力で解決したがる一連の人々であるように私には思われる。ここに日本のの通弊がある。われわれは無抵抗主義であれとは申しませんが、決して無抵抗を奨励するものではないけれども、暴力でものを解決するということだけは、あらゆるものに先だって考えなくちゃならない重大な教育の基本であると思う。それが行われないならば、もう大学などは私はつぶしてもいいというくらいに公憤を感ずるのです。東京大学が相当御承知のように学連の騒ぎがあったのですけれども、もはや今日鎮静いたしておる、ああいう傾向はない。今残っておるとすれば、日本の六十年の伝統を持つ京都にかくのごとき不祥事件が現われた、しかし現われたのであって、それが伏在しているのは事実でありますから、私は切望いたしたいのですが、一つ暴力でものの解決をするという考え方を根絶する教育を施していただきたい。それが私は大学における訓育の最も重大な一つの使命じゃないかと思う。これを最後に申し上げます。これは私の希望でございます。(「同感」と呼ぶ者あり)
  108. 竹下豐次

    ○理事(竹下豐次君) どうでしょう、大分時間も過ぎまして、相当に詳しいお話を承わることができたと思っておりますが、この程度で……。(「異議なし」と呼ぶ者あり)  それからきょうの日程は公報で、ごらんの通りまだたくさん残っておりますけれども、もう時間も過ぎましたから、今日はこれで散会することに御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  109. 竹下豐次

    ○理事(竹下豐次君) それじゃ田中さんお礼申し上げます。お忙しいところ、どうもありがとうございました。  それじゃ散会いたします。    午後五時一分散会