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松岡平市君
農林大臣にお尋ねいたします。実は
有明海というものは御
承知のように非常に干がたが広い所でございます。大体私の知っておるところで、三万
町歩は干がたでございます。干満の差が十八尺、そしてこれの干がたには……あの沿岸は昔から、きのうやきょうじゃございません、昔から漁民がその干がた
漁業によって衣食しております。大体これは単に干がたではございません。少し沖合にも出て参りますが、あの有明湾内で
漁業に専従いたしております者が、
佐賀県、
福岡県、
長崎県、
熊本県四県で約二万人おります。そしてこれが少くとも
農薬を使うことが始まりません先ほど申しました二十七年までは、多少の
漁獲の高低はありますけれ
ども、累年大体違わない
漁獲をしておった。ところが二十八年と二十九年とは非常にある種の魚族によっては
漁獲がなくなった。そして心配をして県の試験所、さらには
九州大学の農学部で試験をいたしました。先ほど申しましたように
パラチオン剤があの海水の中に相当、ある種の魚族はもうすぐ殺すに足るだけの濃度の
パラチオン剤がまざっておる、こういうことを試験の結果出したわけでございまするけれ
ども、今お聞きの
通り、そのほかにも原因があるかもわからない、こういうことでございまして、この結果だということは私も別に――ほかに原因を今おあげにならぬけれ
ども――私もこれだけの原因だということを断定する資料は別に持ちませんけれ
ども、少くとも他に特別な原因と思えるものはない。で、さらに、ことしも
農薬を使うから、ことしの
漁獲の結果を見れば、これは少くとも三年の
状況が明らかになると思うのでございまするが、しかし先ほど申しましたように、
漁獲高が半減しておる、半減どころでない、ある地域によりましては、これは一番極端な例でございまするが、
佐賀県の嘉瀬村のごときは、
昭和二十五
年度では大体十六万貫、
昭和二十六
年度十六万七百五十貫、
昭和二十七
年度におきまして十四万八千百六十貫
漁獲しておった。これが二十八
年度には、わずかに二千百五十八貫、二十九
年度には千四百七十七貫、こういう減少ぶりを示しておる。そして全体といたしましては先ほど申しましたように、二十八
年度は二十七
年度の半額以下、二十九
年度に至っては、それよりもさらにひどくなって、二十五、六、七の
平均は百三十万貫であったものが、二十八
年度には五十万貫そこそこになった。こういう
状況になっておれば、少くとも二十八
年度、九
年度における漁民の困窮状態というものは、御推察がつくものだと思います。で、県内におきましても非常に漁民は騒ぎまして、昨年
佐賀県はやむを得ずして、実は漁民の生活を一時何とかして都合をつけてやるというようなことで、多少生活
資金の
貸付等をはかりましたが、御
承知のように
佐賀県のごときは全国で最も有名な赤字県であります、職員の給料も払えないという実情になっておりまして、もはや漁民が県等に
陳情をいたしましても、らちがあかないということになっておるのに、再三お願いをしておる。何とかしていただきたい、食えない。まことに
佐賀県だけで三千九百人の漁民がおりまするが、これらの生活というものは、見るに忍びない
状況になっております。ところが一方、
農薬の
指導奨励をしておられる
改良局長は、この
影響があるかもしれぬけれ
ども、まあこれということは断定できない。
水産業の
指導奨励をしておられる
水産庁長官もまた、原因がほかにあるかもしれない、断定できない、こう言っておられる。いずれは分明する。役所の方で原因が那辺にあるかということを明らかにしていただく間に、有明沿岸二万の漁民、家族を合せまして十万の人間は路頭に迷うのであります。
そこで私は
農林大臣にお答えを願いますが、やがては
農林省の力をもって原因を、少くとも先のことはとも
かく、二十八年と二十九年のこの
漁獲高の激減というものは、
パラチオン剤の
使用によるということを立証された暁においては、国においてはこれらの漁民の
漁獲高の減少に対して補償を行うという御意図がおありになるかどうか、さらにもう一つは、そういう
状況になって、原因は不明であるが、とも
かく農薬使用の結果らしいということは、
先ほど改良局長の御答弁の中にもあるわけでありまするが、何らかのこれらの困窮しておる漁民の救済、これはよしんば
パラチオン剤の
影響でなくてもよろしい、あなたの所管下にある
水産業者二万、家族合せて十何万の人間の生活困窮に対して、この際何らかの方途を講じてやろうという御意思があるかどうかということを一つお聞かせ願います。