○
参考人(
田垣住雄君) 午前中にお詳しい御
説明がありましたので、私は少し違った観点から
意見を述べたいと思います。
終戦以来一番考えましたことは、人口増殖に伴って
食糧がだんだん足りなくなって行くということを防ぐにはどうしたらいいかということを
研究しておったのでありますが、結局その結果、
日本で今まで大きな
欠陥である草の生えているところの
経営を見落してきたということが、
農業経営で、あるいは
林業経営で
欠陥がきたために、ずいぶん長い間
農業をやってきたのでありますが、国土の一四%ぐらいの耕地しか持っておりませんし、ほかの農地を入れましても二〇%ぐらいの
経営しかいたしておりません。林野を見ましても、汽車から眺めますと、耕度の高いところは多少植林してありますが、大部分は天然造林でありますし、
牧野を見ましても、できた草を食わしているだけでありますから、培草はしてありません。従って
農業というものは、耕地の
農業だけをやっているというのが
日本の姿だと思うのであります。これでは農という
見解があまり狭いのではないか。
農業というのは、木をやったり、草をやったり、耕
作物をやったりして、葉緑素を
生産業の総体的なものに含めておるのであります。そういう観点から見まして、学界の
状態、政治の
状態を見ましても、これをやる機関が全くありません。教育する機関も、行政機関も全くないのであります。そういうわけでありますから、見落されて行くのは当然であると思うのであります。私は八年間全国を回り、ことに北海道におります
関係上、外国の
経営を取り入れまして、草産を取り入れたところの営林営農をやったならば人口問題に対する
食糧の解決点を見出すのではないかと、こう考えまして、いろいろ検討した結果、六百万
町歩の現在の農地というところで大体六千万人の人口を養うことは、現地の米穀
農業、今
農林省がやっておりますところの
農業であります。その
見解で、これは今まで世界的に集約した耕種
農業が進んでおりますから、この線はこの
状態でだんだん進めて少しでも増産をするようにして、一方において、この点では非常に
土地の
生産力が減退しつつありますから、これを防ぐために
草地農法というものを加えまして、林作地あたりを加えてこの地力維持の範囲内においてこれをやって行く。デンマーク
農業をやると非常によくなるというので、こういう
地帯に普及しておりますが、デンマーク
農業をこの六百万
町歩に普及しますと、四千万人くらいしか収容できなくなるのであります。そういうことは、これは行き詰るにきまっておるのであります。それでありますから、世界の
草地農業の進んでおる酪業形態とか、
畜産の進んでおるのは、そんな農
地帯ではないのでありまして、御承知の、今までに皆さんが御
説明になったように、草を作るところであります。実らなくてもよいところの草を
生産するところでありますから、地勢にとらわれない。気候にあまり制限を受けない。今、宗谷の南でりっぱな牧
草地ができて営農改善をしておるところがあります。北海道の一番寒いところでありますが、二十種くらいの
牧草が何でも十分によく生えるのであります。そういうような
地帯がどのくらいあるかということを見当をつけてみますと、約四百万
町歩あります。それでありますから、この四百万
町歩というところには、非常に有機質が停滞しておるけれども、湿地のために分解をしておらぬから、農産エネルギーになっておらない泥炭地というものと、片方には有機質の堆積が非常に少くて埴土がないために耕作をするとすぐ荒れてしまうという二通りになっておりますが、これらの有機性分の少いところと、あるけれども、
土壌の
関係から
植生を確実に上げて行けない、
二つの改善
方法があるのでありますが、これは草で
改良して行くというと、
土地がよくなって行くのであります。草を植えて禾本科とか、豆科とかで
改良して行くのが
草地農業であります。
草地農業というのは、草をたくさん作って
家畜を飼うだけではないのであります。そういう
改良法をとりますと、直接法でおこしてすぐ麦や何かをまくという
農業の
方法と違いまして、だんだん耕地がふえて、増殖して行くのであります。しかし地形その他が悪いから、この
生産量を既成耕地の二分の一にみますと、四百万
町歩で二千万人の
食糧はできると思います。
それからさらに今度はもっと広い
見解から見ますと、林野というものが二千五百万
町歩ばかりありますが、この三分の一くらいというものは
牧草と森林とを
経営する
地帯に仕立てることができると私は見通しております。よく主畜
農業とか、有畜
農業といいますが、この八百万
町歩くらいのところには主畜
林業であるとか、有畜
林業を
経営するのであります。いわゆる草業で
畜産をやり、自給
作物を作るくらいの耕地はできますから、そういうようなことをして国土の開発をするような基本方針を立てますと、こういうようなところが八百万
町歩ありますけれども、太陽のエネルギーは同じように受けておるのでありますが、取り入れ
能率の少い
経営になりますから、既成農地の八分の一から四分の一の
生産しかできません。従って一千万人か二千万人の
食糧の
生産を進めることができるのであります。そういうようなふうにして国土を今までの
農業の通りにやる。
農業によって六千万人を養い、
あとの四百万
町歩の相当
改良を加えれば耕地化し得るようなところで二千万人の
食糧を
生産し、これが有畜
農業、主畜
農業の重点
地帯になります。そうして
あとの林野の三分の一くらいは主畜
林業、有畜
林業というものを
経営しまして、人煙稀なる
経営を昔ながらに続けていないで、平地ばかりにこびりついていないで、もっと葉緑素
生産に進むわけであります。こういうような見通しをしてみますというと、一億人の
食糧というものを国土で
生産する力を持っておるのであります。世界で
日本よりも気候も自然も悪いところで、それくらいの
生産量を上げておるのでありますから、この最も恵まれた気象環境でこれだけの
仕事がなし得ないというような
農業では、実に情ないと私は考えております。大体農地という観念がそういう観点から草というものを耕地に入れて、
林地の草の
経営をして行くということが
草地農業の進展を
要望しているのでありまして、ただ草を作りて
家畜を飼うというような単純な問題では、これは大きな展開はできないと思います。
もう
一つ、経済的観念で簡単なお話を申しますと、よく石油、石炭の鉱業に非常な価値があるようにみな考えておりますが、あれももとは葉緑素系の
生産物であります。カロリーの点からいいますと、葉緑素が作った澱粉というものは一キロ四千カロリーのエネルギーしか持っておりません。ところが石炭は六千カロリーから八千カロリー一キロで持っております。そうして石油は一万カロリーの熱量を持っております。ところができたところの草は
家畜という製造機関を一ぺん通しますと、脂肪、
蛋白質に変るのであります。
植物生産が動物
生産に変って、そうしてできた脂肪、
蛋白というものは石油、石炭と同じカロリー値になるのであります。一キログラムが六千カロリーから一万二千カロリーにまでなるのであります。それでありますから、何も石炭や石油の経済価値を論ずるくらいなら、なぜ人間は不可食である、すぐ食えないところのものを
家畜に食わして、
家畜にストックさせて、そうして石油、石炭と等しいエネルギーを持っておる
食糧生産をやらないかということに気づくわけであります。これが
草地生産の経済の価値でありまして、石油、石炭は地下に有機物が埋まって、炭化作用を受けてカロリーがああいうふうに高まったのでありますが、草は
家畜を通しますと、
家畜の力で四千から五千カロリーの澱粉とか、糖類が脂肪、
蛋白という六千カロリーから一万二千カロリーぐらいの物質に変るのであります。そういうような高級
生産地帯が
日本に先ほども申しましたように四百万
町歩から八百万
町歩展開し得るのであります。こんなに展開したら外国よりも大きな
農業かというと、決して大きな
農業経営ではありません。外国でございましたら、これで国土の五〇プロにし
かなりません。国土の五〇プロ以下で百姓をやっている国はありません。
日本だけであります。文明国で二〇プロくらいのところで六百万戸くらいの百姓がうようよしているというような
状態は
日本だけであります。山ばかりのスイスでさえ、もう少しうまく展開しております。そういうような展開から見ますと、国土の
経営ということが
農業の使命でありまして、この国土の
経営がおくれているということは何から来たかというと、草をむだにしてきた、草に恵まれておったために、ほうっておいても草は伸びますから、これを食わしてやってきているのであります。今までは重商
政策が重点でありましたから、足らぬものは外国へ行ってとるというような観点から、貿易
関係によって国の経済を立てるということをやってきましたが、これは非常に危険なことでありますし、困難が非常にあります。またどんなことが起るかわからない。過去のことを考えてみますと、
日本ではいまだかって重農
政策というものをとったことがありません。で、この際どうしても重農
政策を重商
政策に織り込んで、そうして
日本の国を
日本人が開くのでありますから、これこそみんなでやりさえすれば、どこにも差しさわりは起らないのであります。そういうような平和的な
食糧の解決策を根本的に立てて推進して行くという力を発揮しない限り、
草地問題をとやかく申しましても、今までやっているような北海道の開発の
状態、集約酪農
地帯の状帯のように、主穀
農業の学問をしたもの、主穀
農業の
経営をする役人、
指導者というものがそろっているのでありますから、どんな法律を作りましても
指導がみな米か麦を作る方へ展開してしまって変なことになってしまうのであります。で、北海道開発というものは、南北海道でありますと、現在やっておる耕地よりも廃棄地の方が多いのであります。その廃棄地にこのごろ二十カ所以上、二十
種類以上の
牧草を作っておりますが、どこもはえないところはありません。北海道の一番環境の悪いところで作をして、どれもよく伸びる、もう異口同音に成績よく
牧草はできるという結論に到達しておるのであります。そういうわけでありますから、農政というものをちょこちょこやらないで、根本的な
日本経済の立て直しなり、農政の立て直しなりという観点のもとに、基本方針のもとに
農林省の
機構であるとか、学校の
機構であるとかいうものを進めて行くようなことが
政策の根底であると私は思います。
で、方策としましては、何しろこういうことは二千年来やったことのない
農民を相手にするのでありますから、何としてもこれは普及することがむずかしいです。頑迷な
農民に山を開けといいましても到底やりません。山へはしば刈りに行くような考えしか持っておりませんから、山で草を育てるなんということは子供のときから教わってないのです。童話を見ましてもそういうものはない、従ってこの普及というものがむずかしいです。で、先ほども話に出ましたように、いろいろの普及手段を展開しない限り受け入れ態勢というものはいつまでたってもできませんから、上の方の頭を作ったり、法律を作っただけでは、金を使うだけでずいぶんむだなことが起るだろうということを私は予想いたしております。それでどうしてもこれはそういうような結集した力によって、今見通した数字なんかも私が全部踏査したものでありませんから、大体の見通しでありますから、これらは実際に調査するところの機関あたりをしっかり作って、ほんとうにやりやすいところで、金のかからぬところからびしびしやって行くというようなやり方にして行けば、だんだんその経験によって
改良されて進歩して行くのではないかと私は考えております。
それから
土地の所有権問題などで一番問題になりますのは、
農業の法律を見ますと、部分法ばかりありまして母法がないのであります。
農業法という法律がないのであります。
農業をどういうふうに
経営するという法律がありません。国土
経営をどうするという法律がありません。林野は林野で勝手に林野にしてしまっておるし、農地は農地で勝手に農地にし、
牧野は
牧野で貧弱ながら維持しておるというような格好で、ばらばらになっております。それでどうしてもこの農政を確立するために、国土の
利用面積を上げるためには、この母法を立法しなければうまく行かないのじゃないかと私は考えております。ほかにはみな母法ができております。商法にしろ鉱業法にしろ……、この最も大きい
食糧生産という問題に対して基本法律がないということは、これは私は大きな
欠陥であると考えております。
その次は、今度は手っとり早く、それならどういうことをやったらいいかということの
意見も要求がありましたので簡単に申し上げますと、これはまあ第一、緑の週間に木だけやっておるのはいけないとさっき話がありましたが、私も同感でありまして、国を緑化するということは木だけではありません。それから
災害対策も木だけではありません。木というもので全部洪水が防げたら大へんなことであります。土が流れるということは地表に草がはえてないからであります。木なんか何本はえておっても、木の下に草がはえなかったら土は流れてしまうのです。あの流れる土が危険なのでありまして、北海道あたりで石狩川のはんらんを見ますというと、上流から流れてくるのではなくて、開拓した支流から混濁したところの濁流が流れて、毎年々々
肥料をやっては川へ流しているというやり方をやっております。集団的
土地改良をやったために全部裸にしてしまっておりますから、北海道あたりはそれが洪水の根本
原因であります。ああいう所に適当な防風林であるとか、その他の木を植えた方がいいといった所には木をしっかり植える、それから
草地にした方がいい所は
草地にする。
土地の能力によって耕地にするというように組み合せをうまくしさえすれば、洪水も減りますし、風水害の
災害が滅ってくるのであります。毎年毎年やられて救済費ばかりたくさん出しておっても、いつまでたってもこれは解決しませんから、少しはしんぼうしてももそういう経費を滅してでも、そういう基本施策の方へ回していただけたら貧乏世帯でもやりくりができるのではないか、こういうふうに考えておるのであります。習慣のない者に普及するにはどうしてもモデルが必要であります。私らも農村講演に回っておりますが、何よりも普及が第一と考えておりますから、モデルを作ることにまず一生懸命やった。それで今北海道の各地にモデルができました。世界調査団が来ましても見せてやれるモデルが、やっと見せられる程度に幼稚ながらでき上ったのであります。そういうわけで、私はこのモデルは各府県にある
畜産試験場で
家畜の
改良ばかり試験していないで、総合
経営のモデルにしたらいいと思うのであります。山は必要な所は森林
経営をやる。それから適当な所には
牧草を、放牧地を作る。平地はいろいろ
農業をやる、そうしてそこにはもう
家畜を飼っておるのでありますから、この受け入れ態勢というものは、
家畜がふえなければ草は幾ら作っても何ら経済
効果は現わさないのでありますから、そういうものを持っておる所に、そういうものを作って自給策をやるようにすれば国家の経費もはぶけます。草を作り、森林を開発する経費をぶち込んだ方が、
家畜の飼料を買ってやるよりも気がきいております。そして各
畜産試験場をモデル的に開発してしまったならば、ああいうふうにやるのだといえば、
土地を広く持っている人はそういうふうにしましょうし、
農業組合あたりでうまくやってない所はそういうふうにしましょう。
農業組合をながめてみますと、皆さんは農地
農業組合でありまして、森林ですとか、
草地というものは
農業組合では全然問題になっておりません。私はあれは総合
農業組合にしなければ、こういう点は策はつかないものと考えております。
農民が私有林の八〇%を所有しておるのであります。その
経営というものは、
農業組合でなくて
林業組合という全く別個のもので木だけ植える
経営をしておるのでありまして、そういうものを分離
経営と言いまして、そういうことは
アメリカではもう二百年前に終って、やめたことなのであります。そうして
草地というものは
アメリカの国土の半分であります。十一億エーカー、つまりこの六、七割くらいが
農民の所有に属しておるのであります。それで
アメリカの
生産が非常に伸びて来ておるわけであります。そういう
草地、
林地、耕地というものを、大体林民というものはないのでありますから、統計で調べますと一%でありまして、よくよく調べると、きこりとか、そまという、切る方の林民だけでありまして、植える方はみんな
農民であります。
農民を対象にしておるのであります。営林でも営農でも、それから
牧野でも
畜産でも対象は
一つであります。それなのに上の方で
お互いにせり合っておるということが、
農民の方ではあの人ににらまれては困る、この人ににらまれては困るといって戸惑いを起すような
指導がたびたび見受けられるのでありますが、そういうような形の
経営ではなくして、組合あたりももっと皮を脱いで、もっと
農業の観念を広くしましてやって行けば、先ほども御
意見が出ましたが、国が狭くて
生産が出ないのじゃなくて、大体
農業をやる観念が狭いために
生産力が上らないのでありますから、もう少し
見解の広い
農業をやれば、私は現在の
食糧二割、毎年々々二千億近い金を外国へ支払って八年も経過しておりますが、いまだ何にも、いろいろやっておりますけれども、それを解決するほどの問題は起っておりません。この後何年続けるつもりでおりますか知りませんが、こんなことをやっておったのでは、どんなことをやったってこれを解消するようなものは起ってきません。重商主義的の
資源というものは乏しいのでありますから……。そこでこの
奨励をやるときに、私は助成というものは金でやることはなるべくやめた方がいいと考えます。現物主義、
機械を買ってやる、あるいは
肥料をやる、種をやる、種苗をやるというようなふうに、
アメリカなんかも現物主義を重点とし、各国とも現物主義であります。大体平地の中へどれだけ金を注ぎ込んだかなんというのは、一ぺん御視察になるとわかりますが、何万石ほど木を伐ったというところを見に行ったってわかるものではありません。それでありますから、そういうごまかされやすいところの助成というものは現物で持って行く。それから金融はどうするかといえば、
土地銀行みたいなものを作って、
土地以外には貸してやらぬというようなものを作るのであります。北海道の拓殖銀行はおそらく北海道拓殖のために立ったのでありましょうけれども、今や拓殖にはちっとも貸しておりません。商業銀行になってしまって、
名前がおかしいのです。そういうことは農工銀行も繰り返しておる。中央銀行でさえそうであります。銀行屋だったら金利のいい方に回すにきまっておる。そういうものを
土地銀行というものを作りまして、そうして
土地の
評価委員というものをしっかり作って、
評価に応じて貸し付ける。そうしてこれは何もしなかったら再
評価のあったときに上らぬでしょうから、
生産力は上げないのだから、もう
貸付の増加はしないわけです。ところが借りた金で
生産力を上げるでしょう。いろいろの
仕事をして、そうして再
評価委員というもので再
評価しまして、その
生産力が上っただけまた増加
貸付をするというような
貸付方法にして行けば、貸しっぱなしで、
あとは知らぬというような
制度でなくしっかりやる、またしっかりやって
生産力を上げなければ、これは借りられぬのでありますから、一生懸命上げるということになりますので、そういうようなものを作っていただいたら、これは進むのでないかと思います。
それからこれは一般の農地の開発でありますが、大きな百万町とか、二百万町とか、あるいは十万町とか、二十万町というような大単位の開発をするためには、とても
農民の手で開発がやれるようなところはもう残っておりません。どうしても
機械開発で、今度またおかげで
機械開発の機関ができまして、われわれは喜んでおりますが、この
機械開発のやり方であります。この間の
農林省の農地局の
機械開発
委員の人たちがやっているところを見に行って私は驚いた。大きな
機械に運転手一人ついて一日三時間くらいやっておる。そういうことではだめです。データーは出てきません。
機械というものは工場を動かすようなものですから、夜昼となしに動かすような、整備もしっかりして
機械を持ち込まなければなりません。そういう
機械を三年間北大の先生、
農林省の方々と
研究して相当やぶ
地帯を開発する、こういう大きな木をぽつぽつと取って歩く昔の戦車みたいな――製造工場を切りかえて農機具を作る工場が
日本に
三つできております。そういうものは各
地方に出て行っておりますが、それを持ち込みますと、どんどんそういう
地帯の雑物を除いてしまって開発できるのであります。ところが北海道の人煙まれなところに何万
町歩の開発をしようというときに、今だれがこれに金をやってやらせるかという問題になりますと、これは非常な問題でありまして、私はそこで気がついたのは、ソ連のマレンコフの
農業政策は既成耕地に対する
農業政策であります。
牧草を植えて輪作をやって米の
生産をあげようという方策をやってきたのでありますが、遺憾ながら失敗しまして、ことしの二月にフルシチョフのウラルの付近の
草地開発にかわって、今度の五カ年計画で三千万ヘクタールの開発をやり遂げるようでありますが、これは全く
機械開発でありまして、
草地開発であります。ステップの開発であります。これが成功するかどうかは見ものでありますが、そういう大きな行政によって首脳者が変っておるわけであります。これは青年を百五十万人も動員して、
機械を何万台も持って一挙にやるのでありますが、私はそういうような乱暴なことは望みませんが、ここは
一つ百
町歩、これを一年か二年で起そうというときに、
日本で今生かし得るものは予備隊だろうと思うのです。防衛隊であろうと思う。青年を結集して、団結して組織を持っておりますから、あれをその片棒をになわしてしまって、国土開発をやらせればこれは非常に経費がかかりません。予備隊の一億何千万の演習費というのは全部農地開発費になります。これは通信から交通、橋をかけたり、道路を作ること、給与、衛生その他すべてが訓練であります。何もいないところに入って行ってこれをやり遂げるだけの部隊装備ができていない限り、あんなのは国防の力はないのでありますから、どこへでも行ける部隊ができておるわけであります。みずから橋も作れる、直せる、道路も作れる、
開墾なんか何でもない。それで
機械の運転が主体でありますから、土木
機械とか、そういう
機械がそろったならば、一個連隊とか、一個師団、そこへ行って練習をやりさえすれば、それは演習費からはみ出したものだけが
土地改良費になって、両腰でもって進展するのではないか、これは今中共もそういう
方法をとって、
二つのダムを作って大農地開発をやっております。それをまねするわけではありませんが、せっかくできたものをじゃまにしないで、あの結集した青年の力をもってこの国土開発をやらしてみたらおもしろくないか、これでもできないものなら、これは国防の役には立たないじゃないか、かように考えております。
それからそんなことして一体乳肉が、皆が食って、大体麦を
生産するようになるわけでありますから、米産は現在の六千万石ぐらいできればまあいいわけであります。そうすると、一食一回パン食をやって乳肉食にしますと解決するわけであります。それだけさえできるようになりますと、米はもう六千万石以上は要らぬわけでありまして、
あとはその麦を主体にした乳肉食をやって行けば解決する。われわれ子供のころ洋服を着てるとハイカラと申しまして、ほとんど着ていませんが、知らぬ間に羊毛もないくせに皆洋服を着ておるようになりました。洋食は、麦を主食することはこれは劣等感ではありませんで、世界の文化、経済の進んだ国民は皆麦食であります。米食民で一体文明国があるかを探して見れば、まあ
日本ぐらいが最高でありまして、そういう最低の食生活に何もかじりついておる必要はありませんから、国土はまだ広いのでありますから、そこでこういうもっと進んだ総合の近代農を展開して
食糧の解決をしますと、これが非常に
災害対策にもなりますし、また結核病なんというものはばい菌を殺したってこれは直りません。サナトリウム療法といって、そういうような
地帯へ転地して体質を変えなければ丈夫にならぬのであります。そういうような今みたいな有機
生産を主体とした有機農法に転換するというと病気がなくなりまして、
家畜が丈夫になり、農
作物も丈夫になり、人間も健康になる。そういうことが解決されるのではないかという見通しを、私は八年間あらゆる面から
研究しまして主張しているものであります。どうぞ参議院のこの農林
委員会でかような基本的な立場から、
農業の百年で本何年でもいいのですが、そういうような長期方針というものをまず把握するようにしていただいて、そうして
日本の経費の融通し得る限り、また世界銀行というものが大体そういう未開発
地帯の援助のためにできておるものであります。
日本は
草地農業においては遺憾ながら夫開発国でありますから、この
方面ならばずいぶん金を出してくれます、もっけの幸いであります。今こそそういうようなことと関連いたしまして、そういう
方面の
改革をして行きさえすれば、国民に明るい見通しができてきます。やみ経済というものの瓦解が起ってくるのでありますから、そこに明るい光明を青年に与える、国民にも与える、そういうことによって
食糧が安定して行けば、これはだれにも遠慮しないでやれる
政策になるのではないかというふうに考えておる次第であります。
はなはだ勝手なことを申し上げまして失礼いたしました。