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国務大臣(
河野一郎君) 大蔵
事務当局とか、大蔵当局が云々という記事を
新聞で見まして、私ははなはだ遺憾に
考えまして、これは厳重に大蔵
大臣を通じてそういうことのないようにということを
申し入れをいたしております。いやしくも米に関する、食糧に関する
政策は、大蔵当局が財政上の見地から決定するようなことは絶対にこれはいたさせもしませんし、私も、そういうことは
考えておりません。この点は
一つ御
了解願いたいと思います。しからば将来これをどうするか、どういう含みで現在の食糧
政策を運営しておるかということでございますが、私は食糧問題、ことに米の統制撤廃というような非常に重大な問題は、そう軽々に決定もできませんし、また軽々にその方向をきめるべきではないというのが現在り心境でございます。今年非常に豊作であったからその豊作を契機にして統制撤廃の方向に行くべきだというようなことをしきりに論ぜられる人もありますけれ
ども、これは確かに
一つの機会ではあるかもしれませんが、チャンスであるかもしれませんが、これをもって統制撤廃ができるというようなことは絶対に私は
考えません。というのは、統制撤廃をするか、しないかということのためには、まず第一に米の統制を撤廃したならば、将来の米価はどの
程度に安定値を求めるかということを、どういうふうに合理的に、生産者も、消費者も納得のできる安定値の決定がどういう方向できめられるかということが一番大きな要素だと私は思うのであります。この方向を見出すことが一番大きな要素であって、しかも御
承知の
通り国内は豊作であったにいたしましても、なおかつ相当量の外米の輸入を必要すると今日の
日本の現状におきましては、
政府の意図がどの
程度に価格を決定するかということによりまして、外米の輸入の仕方があると思うのであります。おそらく今日のような豊作のときに外米をなおかつ輸入をし、しかも急激に下ろうとしておる外米を安く買って安く売るようなことをいたしますれば、米価はどこまでもかつての欧州戦争のあとの時代におけるような急激な
農産物の下落をわが国に持ち込むようなことになるでございましょうし、その結果非常に農村恐慌も招来するようなことになることも保せませんから、断じてそういう不安を農村に与えるようなことはすべきではない。どこまでも
政府の方針が将来の米価はどういう方向でどういう計算で安定値を求めるのだ、それが妥当である、これが消費者の側から
考えても納得のできる線であるということをきめて、そうしてその上に
農業経営を完全に、安心して営めるということをまず
政府はきめなければいかぬのではなかろうか、こう私は
考えております。ところがなかなかこれはむずかしいことでございまして、一朝一夕によくすることではないと思うのであります。さればといって、むずかしいからやらぬでいいというわけでもないと思いますので、せっかく一方に
おいて
農産物全体の価格安定
政策、これの審議に実は乗り出しておるわけであります。これは
一つの準備行為だと私は思います。諸般の情勢がととのいませぬ以上はやるベきではない。今この
農産物が非常に豊作である、米も四百万石、五百万石よけい買えたからこれを持っておってそうして一気に統制撤廃をやるべきだというようなことには私は軽々に賛成はできない。そうでなくて、米は今申し上げますように十分に豊富になって、世界的にも十分豊富になったということであれば、これをもってやみ価格だけは少くとも押えなければいけない。そうして正常とわれわれが考慮できる食生活を国民全体が安んじてできるような方向に食糧
政策は持っていくことがまず
前提である。かくいたしましてやみ価格を押えて、そうして食生活の安定感を得て、その上で統制撤廃の必要があれば統制撤廃をすべきであるし、そういうケースで食糧問題の運営が妥当であるというならば、その面で食糧問題の
政策の運営をしていいのじゃなかろうかということで、私といたしましてはただいま直ちに食糧、米の統制撤廃を急いでやらなければならぬような条件がすぐととのっているとも
考えておりませんので、いつでもやればやれるように準備はしておく必要があるだろう。ということは、統制を撤廃した、統制をしておるということが、同じように国民の食生活の上に影響なしにいけるような
政策が一番いい
政策であると
考えておりますので、この点についてただいま御
説明申し上げましたように、まず第一に
政府が負担なしに円滑に農家の収穫した米を都市に持って参りまして消費者の手に渡してやる、しかもその価格は百二十円がいいか悪いかは生産者の議論もいろいろございましょうし、一応生産者価格を一万百六十円ときめました以上はそれを
基礎にしてなるべく中間の諸経費を節約することによって積み上げた価格で消費者側にこれを渡す、こういう方向を順次馴致していくことが妥当ではなかろうか、こう
考えておるわけでございます。