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参考人(
菅原清六君) 先ほど申し上げました二十八年の四月に
市長と申しましたのは、二十九年の誤りでありますので、訂正さしていただきたいと思います。
ただいまの問題につきまして申し上げますのでありますが、当時の概況を申し上げますことの方が何がしかの
参考になると存じますので、かいつまんで申し上げたいと思います。
二十七年の例の
災害でありますが、私当時
町長に就任いたしまして半年くらいのときでございまして、山では七百ミリくらいの雨だと申しておりましたが、非常に短時間に降ったために山が押し流された
格好になりまして、
立木あるいは古い木の
株等が一挙に流れて参ったのであります。もちろん
土砂等も
一緒に、山ごし流されてきたといった感じでありました。従って、途中の橋という橋はそのような
立木のために全部押し流されまして、一番下流にあります
御坊町に入ったのであります。その前後の観察によりますと、大体
堤防から一
メーター以上、五尺くらいまでの温水をしておった、
堤防を水が越えておったといわれております。またしばらくしてから見ても、
堤防等の存在がわからないくらい水が入って参ったのであります。そうして私の附近の町を流れております川が二つありますが、
一つは流程四十里と申しております
日高川であります。これが私の地帯で三カ所、それから
西川という別な川で三カ所、
合計六カ所が一挙に決壊いたしまして、約三十分くらいの間に全町が埋没いたしたのでございます。で、当時の町といたしまして
戸数約四千くらいでありますが、一番軽いところで床上一
メーターくらいから最もひどいところになりますと、二階に届く
程度の水でありました。従って大体
軒下程度に及ぶ
戸数がそのうちの七〇%を占めておったのであります。従いまして水が非常に早かったことと、そうして今申し上げましたようなことのために、一戸も
御坊町の中で
水害の
被害を受けない
戸数がないわけでございます。
商品も当時の計算によりますと、十五、六億の
被害を受けたであろうと申されております。人間の死亡いたしましたのが約百名近いのであります。それから
家畜等もことごとくこの
災害のために失われておりますし、そのようなことが一日続いて、翌日からまた四、五日の細雨がびしょびしょ降っておりました。これが当時の
状況であります。従って私なとも
市役所——ただいまの
市役所でありますが、出て丁度上のポケットがぬれる
程度のときに避難をしたのであります。そうして見ておりますうちに、避難いたしました大ていの
書類が全部目の先で埋没いたして、流れてしまったのでありまして、最後に
戸籍簿を一冊くらいずつ持って、ようやく命からがら逃げたのでありますが、自来四日間、私もただ
一つの
握り飯を食っただけで、そのぬれた姿でがんばっておったのであります。
それから私
たちはこの
水害の問題に取っ組んで参ったのでありますが、先に申し上げましたように、埋没いたしました
戸数が全
戸数の七〇%
程度でありまして、それから流失いたしました
戸数が約一千戸に近いのであります。そうして私も五日くらいたったときには、まだし
かばねの
処理に困っておりました。もうだんだんに爛熟するといいますか、腐っていく、ぐじゃぐじゃになっていくし
かばねの
処理に実に困り果てたのであります。一週間くらい
たちましたときに、ようやく隣りの町にし
かばねを舟で運んで土葬いたしたというような
状況でありました。そのあとの姿と申しますと、町の中には当時二、三日間は
腰ぎりといいいますか、実にひどい泥でありましたし、一週間くらい
たちましたときにも、全市、もとの
御坊町の全部が名状することのできないような、そのような臭い泥で埋まったのであります。私
たちもその前後いかにすべきかについて、
現地で苦労して参ったのでありますが、持って参りました
握り飯あるいは
軸パンが
——ようやく
孤立無援から救われましたのが三日目でありますが、その
食糧を町かどまで持って参りましたころには、略奪されて、町民の過半数にはほとんど一週間くらいの
間食物をとれない、そういう
惨状を呈しておったのであります。また何とかして
幹線をぶち抜きたい、
治安の
関係から申しましても、また
食糧の
運搬等から申しましても支障がありましたので、
幹線を町のまん中に一本だけ抜きたいというので、総動員してその
幹線抜き工事をいたしたのでありますけれども、遂にその問題も三週間くらいかかってようやく一本の道路を開通することができた、こういう
状況でありました。ことに当時こちらの方でも、ともすると内灘のような
状態になるのじゃないかという御心配をいただいたようでありますが、私もその間にありまして、全く悪戦苦闘を続けて参りました。
治安の確保に最も私
たちそのときに苦慮いたしたのであります。そのようにして約一カ月間くらいは
配給すべき
食糧等も略奪しされる、そういう
状況でありましたし、又
配給台帳等も全部失っておりますので、私
たちといたしましては、こういう
書類の
作成等につきましても、
県下の随所の
応援を得て、とりあえず、そのような
書類を作った、そういう
状況でありました。本日も私の随行に参っておりますが、当時の
農務関係の係をいたしておりますものが、わずかに女の子あるいは若い青年を相手にして当時の
配給等を片手にひっしょいながら、片方では
農地の
問題等につきまして、あるいは
県庁から、あるいはその他の
関係から、急速に
書類の
提出方を
お話があったのでありますが、
何分先に申し上げたような
状況下にありまして、泥の中に立ってまさにぼう然自失するような、そういう
格好であったのであります。歯ぎしりかみながら実は鞭撻し続けまして、その
書類を
提出さしていただいたのでありますが、そういう
状況下にありましたので、あるいは
皆様方に御迷惑をわずらわすような、そういう結果があったと存じますけれども、
現状はかような
状況下に作成させていただきましたので、御了承いただきたいと存ずるわけであります。