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参考人(
玉置康雄君)
徳島県の
農務部長玉置でございます。
本件の旧
大津村、現在は
鳴門市でございますが、その
排水路の
工事につきまして、かよりに参議院の
決算委員会においてまで問題になりましたことを深く恐縮に存ずるわけでございます。この問題がいろいろの
小違いによりまして、かようなことになりましたことをまず
最初にお詫び申し上げるのでありますが、それと同時に、これはいろいろな
事情で、またいろいろな手違いからかようになりましたのでありまして、何も国家の
補助金をだまし取ろうというような悪意によってできたものでないということを御了解願いたいのであります。
事情から御
説明申し上げます。これが問題の旧
大津村の
地区でございまして、問題の
水路は、これからこう行っております
排水路なんであります。問題の
地区はこれでありまして、それからこれは問題ではございません、別の
水路でありますが、こう行きまして、ここで大代川という川に入っておるわけであります。これが二十四年の
デラ台風によって
被害を受けまして、先ほど
池田専門員の方から御
説明がありました
通りに、これからこれまでが五百七十二メートル、
あと橋梁が、三カ所と、せきとめ
樋門と
樋門が一カ所ずつあったわけでございます。これが
デラ台風によって流されまして、
災害復旧をすることになったわけでございますが、その実際の
補助金がつきましたのは、二十八年度で初めてついたわけでございます。そういたしまして、その
橋梁と
樋門とは
補助金のつく前、二十六年度にやってしまったわけでございます。そこで、どうしてこの堤を上げる方の
工事、これができなかったかということが一番問題になるわけでございます。その際ちょっとお断わりしておきたいのは、この堤を
設計通り上げる
工事はやっておりませんけれども、めいめいこの
たんぼの
所有者が、流れなくなっておりますから、その底をかき上げまして、その堤の所に土を置く、その
程度のことは実際やってしまったわけでございます。何分二十四年度の
災害で二十八年度まで
補助金がついておりませんから、少しずつ泥を上げるくらいのことはやってしまったわけでございますか、
ほんとうの
設計書通りのことをやらなかったわけであります。
それをなぜやらなかったかということを今から御
説明いたしたいのでありますが、ここにかような
道路がございまして、この
道路が境目になって、こちらが
大幸地区でございます。こちらが
段関という
地区でございます。そこで、こちらが山になっておりまして、この山から流れてくる水が、昔は全部こちら側に入りまして、この南側に大谷川という川がありまして、そこに入っておったのであります。ところが、この問題が起りましたころから、大体終戦後でございますが、
一つの
原因は非常に雨が多くなったということだと思うのであります。もう
一つの
原因は、やはり、山が荒れたせいだと思うのでありますが、非常にここに落ちてくる水量が増して参りまして、昔はあまり越えなかった
道路を越えまして、こっちの水があふれてくるのであります。そして、あふれて参りますために、昔はこの辺でせきとめておったのでありますが、この
地区にまで水がたくさん入ってくるわけであります。この
地区よりはこの
地区の方が少し低いのであります。そこで、ここに高い堤を築きますと、この
地区の人はこっちから水が流れて参りまして、しかも、水が引く際には、ここに堤がありますと、この
排水路の中にうまく入らないということになるわけでございまして、一番問題になるのは、この
地区の
たんぼの
所有者なんであります。ここの
人たちが非常に反対いたしまして、実際の
工事がなかなかできなかったわけであります。そんならこの
道路を少し上げまして、こっちの水がこっちに入らないようにすればいいじゃないかということになるわけであります。そういたしますと、今度はこっちの人が反対するわけでございまして、
大幸地区の人は常にどこかに水が流れなくちゃ困るのでありますから、この
道路の
かさ上げをすることには絶対反対であります。そして、旧
大津村の
村長がこちらの
地区とこちらの
地区の間に挾まりまして非常に弱りまして、ついに
工事はできないままになってしまったわけでございます。そこで二十八年度に
補助金がつきましたけれども、二十八年度の末、二十九年、三月三十一日までには、先ほど申し上げました橋や
樋門の
工事は済んでおりますけれども、その堤を上げる
ことば水争いの
関係からついに実施できなかったのであります。そこでその際に、実は県の方でも。あっさり
補助金をお返しすればよかったのでありますけれども、当時
村長といたしましては、何とかしてこの
工事をしたいということを申しておりましたために、ここのところは県も悪いのでありますが、一応この
工事をできたことにいたしまして、その
補助金を支出いたしまして、そしてその金を県で
雑部金という
制度があるのでありますが、
出納長のところで
雑部金として保管したわけでございます。そこてこの金は、現在まで
地元には一銭も行っておりませんで、全部
出納長のところで実は保管しているのであります。この
雑部金という
制度は、非常に変な
制度でありますが、県ではときどきこういうことを実はしておるのでありまして、年度末までにどうしても
工事ができないという場合に、
あとわずかでできるという場合には、本来ならばそれは
補助金返還とかあるいは
繰り越しというわけでございますが、急にこの問題で県議会をお願いして
繰り越しをやるというわけにも参りませんので、しばらくして
工事が終るという場合には、こういう
便法を使っておるわけであります。この
工事につきましても、もし
村長が
ほんとうにやろうと思えばすぐやれる
工事でありますから、日数はそうかからない
工事でありますから、一応
雑部金に入れたわけでございます。しかしながら、その後もやはり両
地区の
水争いは解決いたしませんので、
村長の方でもついに
工事をやらなかったわけでございます。そのうちに二十九年の八月、
会計検査院の方から
検査に見えまして、それは県の方でも包み隠しはいたしません。橋と
樋門だけやりまして、堤の
かま上げはやってないということははっきり言っておるのでありますが、
検査官もれをその
通り報告されまして、先ほど
池田専門員の方から
お話しありました
通りに、結局、三十九万九千円だけお認め願いまして、一番肝心の
水路の七十万一千円はお認め願えない、むろんやっていないのでありますから当りまえでありますが、お認め願えないということになったわけであります。そういたしまして、この
工事をやっておりません七十万一千円に当る
補助金四十五万五千六百五十円でありますが、これにつきましては、今年の四月二十日付で
岡山の
農地事務局から
返納の
指令が参りまして、先ほども申し上げました
通り、この金は
地元には渡っておりませんけれども、県でまだ保管しておるのでありますから、すぐにお返しするようにできるわけであります。またお返しするつもりでおるわけでございます。
大体時間十分ということでございますので、至って簡単でございまして、おわかりにくい点もあったかと思いますが、大体以上のような
事情で、根本は両
地区の
水争いで
工事ができなかったわけでありまして、
最初お断わりした
通り、
補助金をだまし取ろうというような意思でやったわけではございませんので、何とぞ御了承願いたいと思うのであります。