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国立国会図書館長(
金森徳次郎君) この前、あらかたの筋だけは申し上げましたが、もう少しはっきり申し上げたいと思います。
今になって
考えますと、私どももいろいろ
考えの足りなかった点もございますし、世の中の一般の行く道にも、また不幸な原因があったように思いますが、当初私どもの
考えましたのは、
設計者が
懸賞募集に応じ、それが
一等ときまれば、ほかに支障がない限りは、できるだけこの
一等の
設計を尊重いたしまして、建設省で事業は運んでいただく、ただ
一等当選者の
意見は十分取り入れる。こういうような気持で
図書館関係でこしらえております
建築協議会でも、あらかじめその方針で話を進めていったわけです。ところが
懸賞の結果によって
一等当選者がきまるということになりました際に、問題がやや新しくなりまして、その
設計が非常に現代の
日本としては特色のあるよき
設計である、こういうことを
建築協議会の
委員方が異口同音に認められておるわけであります。かような
建築の特殊な
考え方というものは、つまり人間の頭の働きであって、容易に人に実行させることはできない、著作権の中身とでも申しますか、その人の個性が伴うものであるから、できるだけその人にたよらなければよき結果は得るものではない、こういうことが現われてきたわけであります。ある
建築家が私に申しまして、
当選者が、ほかの人であったらこういう紛糾は起らなかったであろう、たまたまこの
当選者が
一等になったために、面目が変った、こういう
意見を述べられたのでございます。多少その気味はあるものと思っております。
そこで、その問題を進めてゆきますためには、かなりな
部分を
一等当選者の意思あるいは芸術的な、実際的なこの
建築の
考え方を取り入れていかなければ、よき結果は得られない。こういうような
考えが強くなってきたわけであります。
ところが従来の
建築のいき道によりますると、建設省の設置法によりまして、官庁
建築は、ことごとく建設省がやるということが法律にきまっておりまして、その線を通っていくと、これは建設省が自身で一から十までを行うべきものである。当初の輪郭といいますか、
依頼者の求める輪郭だけは
依頼者が与える、こういう理屈になろうと思うのであります。
もとより実際には、いろいろ交渉をいたしまするが、こういうまあ姿になろうと思うのであります。そこで私の方は、はなはだ困難を感じましたが、大蔵省に向ってはこの建設の
当選者に
相当の尽力をしてもらうように予算を出してもらいたい、こういう
希望を述べましたけれども、大蔵省は従来の
考え方に従って、建設省がやるもの、建設省でやればいいという。特に
設計者に対して必要な経費を払う必要は認められない。こういうような気持が中心になっておりましょう。そこで多少の金は出ますけれども、
設計者の予想するような金は出る道がふさがってしまったわけです。大体
設計者は千二百万円ないし千三百万円、はっきりしたその細かい数字まではどうも得ておりませんが、とにかくそれだけの金額を受け取ることによって
設計の援助をすることができる、こう言っております。それから
日本の
建築学会等の
意見も、そのくらいの金は一般の標準からいえば、ごうも不当の金ではない、こういうふうに支持しておられますけれども、予算の
関係で、そういう金が出る道がないのでありまして、いろいろと交渉をした結果、二百万円くらいならば、何らか製図の手伝いをするというような気持で
設計者に払うことができるというような羽目になりましたけれども、二百万円と千二、三百万円との間の差がとうてい話を円満にいたしていくことができないのであります。そこで私の方は万策窮しまして、それではやはり建設省にやってもらうべきである。そうすればさような特別な費用を出さなくてもよろしい。しかし今までいろいろな方面と話合いあるいは建設省側も同意せられまして
懸賞募集という段階を通ったのでありますから、
懸賞募集をしてかような
当選者ができたという歴史を尊重して、そしてその上に建設省において適当にこの
建築の
方法をとって頂くことにできないものであろうかという研究を求めたのであります。それが今から約一月半くらい前になっております。そこで建設省ではそれに従って
考えるということでいろいろ御研究を下さったようでありまするけれども、人の
考え方の入っておるもので、受け坂って、しかも合理的なものを作るということには、非常に難色がございまして、今もって正式にできるともできないとも御返事はないのであります。内輪で申しますればあるいは御返事があったと解釈するのが正しいかもしれませんけれども、しかし私どもは非常に紛糾した問題でございますので、ただ内輪の話だけで、どちらとも判断をすることができません。大体今まで実質上承わっておるところでは建設省で引き受けることもなかなかむずかしい、こういう結論が出ておるのであります。
そういたしますると建設省に頼めばできないということになる。それから
設計者の力を
相当取り入れるという
方法をとりますれば、予算上の制約が出て実行することができないという
相当長い
期間実は困っておる、立ちすくみの姿になっております。われわれは早く何か話のまとまって適当な
建築物がほしいのでありますけれども、いかんともしょうがない
状況になっております。この上はもう少し
状況がはっきりいたしましたならば、もっと政治的な何か御
考慮を皆様方に願って、どちらの道をとるか、
設計者の力を借りて
一つの芸術的な意義を含んでおる、芸術といっても美術という意味じゃございません。
建築技術上の諸般の目的にかなうようなものを作るか、それとも建設省に御
依頼し、
設計者の
考え方を幾ら離れてもかまわないという方向をとるか、今二つの分れ道になっておるのであります。ただ私ども進まんと欲しましても、事実建設省からの建設省と申しましてもたくさんの人の集まりでございまするから、誰の
意見をもって建設省の
意見と見ることもできません。今なお逡巡しておる
状況でありまして、いろいろこう
技術家が中に入りまして、中間に立って御尽力は下さっておりますけれども今日さらにその上の手を打つという道はございません。要するに今申し上げた二つの道であります。大蔵省に得心してもらって、今までの建設法の運用の例外をこしらえ
設計者に
相当の尽力を求めて、それに世間の承認する費用を払うという道によるか。どうなろうとも、建設省の自由な建設によるか。この二つを選ぶ段階になっておりまして、今日まだはっきりしたことを申し上げかねる
状況でございます。
まあ今までのところは、そういう
状況であります。