○千田正君
外務省にお尋ねいたしますが、今度のこの
会社ができましたその重点は、この間からの御
説明によりますと、大体中南米のように
考えられるのでありますが、それとともに東部、東南アジア、あるいはその他の国に対してもこの
会社の機構を伸ばしていこうという、こういう観点を持っておられるかどうか、こういう一点と、もう
一つは、御
承知の
通り、アマゾン流域などはそう開拓するといっても、
日本人が行っても、先ほどの
戸叶君やあるいは
江田君が言ったように、そう簡単には参りません。これはよほどしっかりやらないというととんでもないことになってしまう。これはよほど腹を入れて
考えておられると思うが、もう
一つことに
考えていただきたいのは、一体漁業
移民というのは何をやるか、あなた方は漁業の漁の字もおそらく知らないと思う。この
計画の中には漁業
移民というものがある。これは雇用
移民なのか、それとも漁場を開拓するための一体漁民の進出なのですか、この点はっきりしておらない。かりに漁場を開拓したとしても、その背後にそうした
水産物を受け入れる態勢が、それをどこへ持っていくのか、こういう点全然私は
外務省として持っておらないように思う。これははっきりしてもらいたい。
農業移民にしても、これはよほど研究してもらいたい。
外務省に私は特に申し上げておきたいのは、私は一九二五年、
アメリカで当時イミグレーション・アクトが通過しまして、
日本の
移民が血の雨を降らせられた。その最中に一学生として行っておった。どんなに血涙をのんで、あの
移民法が施行されるときに
日本の
移民が圧迫されたかという歴史を私は
考えてみて、これは簡単にはいかない。今度の戦争のときにおいても、満州開拓をごらんなさい。満州開拓の
移民の、ことに青少年の義勇隊な
ども最後には銃をとって戦わせられて、今日までいかほど苦労したかわからない。われわれはこうした人
たちをかかえて、今開墾のくわをさらに入れかえようとして、現在東北なり北海道なりへこうした開拓民をまた再輸入した格好においてやっていかなければならない。そのとき、戦争の終結と同時に一番早く逃げ帰ったのは
外務省の役人です。最後に残されたのはこうした開拓義勇隊であるとか、開拓
移民であるとかで、そうした人
たちがどんなにみじめな生活のもとに生命を終り、そうして残虐の行為のもとに
日本に帰ってきたかということを想起した場合においては、この海外移住
会社というような簡単な
一つの
会社などによって解決をつけらるべき問題ではないと私は思う。将来
外務省は真剣になって
海外移民に対して最後の最後までめんどうをみるという決心を持っているのかどうか。私はその本格的な
日本の海外に対する移住の国策の根本精神で最後まで一体みるつもりなのかどうか、この点を一点聞きたいです。
もう
一つは、漁業
移民のこと、
農業と称しまして
農業移民、
水産関係の
移民として六五%みている、
あとの三五%は
工業移民だという、六五%のうち一体漁業
移民はどれだけみておられるのか。しかも漁業の対象は一体どこにあるつもりなのか。そうして一体そうした漁業の根拠地としてどこを選んでいるのか、そうしてその国がほんとうに漁業
移民を入れるだけの市場があるのかどうか。そうでなかったらば、またこういうみじめなところのいわゆる
移民となり、
移民というよりも、おそらくこじきのようになると思います。
農業であるならばやはり奥地へ奥地へと開拓の道を進められるかもしれませんが、漁業となると
一つの危機をはらんでおる。簡単ではありませんので、この漁業に対するところの
外務省の見解を承わっておきたい。