○伊東
公述人 新
予算と中小
企業の問題という課題でありますが、これについて
意見を申し上げる前に、まず一昨年来デフレ
政策がとられましてからの、金融の動きということから考えてみなければならぬと思うのでございます。その非常な特徴は、どこにあったかといいますと、デフレ
政策が
日本経済の自立と輸出の増強、そういうもののために必要であると一般的に言われながらも、そのデフレ
政策が非常な不平等な階層性をもって進んできたという事実であります。まず統計的に見ましても、
昭和二十八年十二月から昨年の十二月、さらにごく新しく得られる最近の
数字まで考えてみまして、その間に中小
企業への貸し出しの比率が、全体の金融機関の総貸し出しのうちにおいて非常な減少を示してきておるということであります。たとえば
昭和二十八年一月、これは中小
企業専門の金融機関をも含めてですが、全体の金融機関の貸し出しの中で、中小
企業金融がどのくらいの比率を示しておったかと申しますと、四五・一%でありました。それが二十八年の十二月には四三・一%になり、さらにそれが昨年の十二月には四一・一%になり、さらにこうして一月には回収が進みましの四〇・六%、こういうふうな減少を示してきておるのであります。もし
昭和二十八年一月の同じ比率でもって今年の一月の金融がなされているとするならば、中小
企業向けの
資金がどのくらいふえなければならぬかということを、比率を換算して申し上げますと、約千八百億円になります。つまり同じ比率で融資がなされてきておるならば、千八百億円でなければならない、それだけさらにプラスにならなければならない、こういう
数字になるわけでございます。従って、一方、この
財政方面で
投融資等でいろいろ道をつけてやっても、結論から言えば焼け石に水だ、こういう
状況にあるということをまず申し上げなければならないのであります。つまりこの数年にわたって中小
企業向けの融資の
割合は逐次減って参りまして、大
企業向けの融資の
割合がどんどんふえてきておるということであります。今申し上げたのは、中小
企業専門の金融機関をも含めての
数字でありますが、さらにこれを銀行だけについて、つまり一般の銀行だけについて申し上げますと、さらにその減少が著しいのであります。そのうちにおきましても、この旧財閥系銀行といわれるような十一大銀行、さらにそのうちの六大銀行というようなものの貸し出しの様子を見ますと、この傾向がますます顕著であるということがいえるのであります。
地方銀行におきましては、非常に多くの部分を中小
企業金融に向けて参りましたが、最近のデフレ下におきまして、この
地方銀行に対する大銀行との系列化、さらに自己の防衛といいますか、存立のために中小
企業金融を削っていき、大口金融に向わざるを得ない、こういう傾向になってきている。さらに相互銀行等においてさえ同じような傾向が見られるということ、このことを指摘しなければならないのであります。結局今まで中小
企業に回されておった融資がどんどん回収され、あるいは打ち切られまして、それが大
企業へ向けられていった、実はこういう
状況がデフレ
政策の真相であったということであります。結局大
企業にとっては、デフレ
政策といいましても実はデフレでなかった、全体としてはデフレを示してきましたが、締められたのはもっぱら中小
企業からの吸い上げといいますか、中小
企業へ出すものの増加を押えて、そうしてその分を大
企業へ回してきたというのが事の
実態であったということがいえるのであります。こういうようなへんぱな金融の動向が進んで参りましたその結果として、この中小
企業がそういう動きのために、相当いいものまでが圧迫されまして倒産する、こういうことが起っておるのでありますから、このことは中小
企業が不合理であるからとか、あるいは中小
企業の経営が不健全であるからというようなことから起っているとして非難することはできないのであります。むしろ国の
政策、さらにこの
政策によって動いておるところの、非常に集中的な融資を進めている大銀行の動き方、こういうところから中小
企業が犠牲に供されておる、こう見ざるを得ないのであります。従って大銀行なりあるのは普通銀行においてのいろいろな経営の
やり方、つまりコマーシャルベ・ースというものからいって、中小金融がなかなかそれに乗りにくいというならば、これは一方において大銀行なりそういう集中融資を大いに規制しなければならぬのでありますけれ
ども、同時に何といっても国家の
財政的任務というものが非常に大きいといわざるを得ないのであります。そこで本年どの新しい
予算の中小
企業関係のことを拝見しますと、中小
企業金融機関への
投融資の総額は二百二十五億であり、昨年の二百四十一億よりは全体として十六億の減少を示しております。われわれは当初非常な公約がありましたので、これが相当ふえるものと期待しておったのでありますが、事態はまさに逆であったということであります。
さらにこれをこまかく見まして、中小
企業金融公庫に対する
政府出資、
一般会計からの出資は、昨年の二十五億に対して十五億に減少しておる。さらに
資金運用部からの
投融資が、昨年の百五億に対して九十五億に減っておる。両方合せて二十億の減少になっております。このことは中小
企業金融公庫というものが非常に大きな任務を持ち、期待されているのに対して、こういうふうに減ってくるということは
一つの大きな問題であります。
さらにこのデフレ下において、非常なしわが零細
企業に寄っておるのでありますが、この零細金融を担当する
国民金融公庫に対するところのものも、
一般会計からの出資、
資金運用部からのものを合せましても、これまた六億のマイナスになってきておる。もちろん、この出資等がつけ加わってくるのでありますから、全体の貸し出しそのものはふえてくるという計算になりましょう。しかしここで注意しなければならぬことは、全体の貸し出しがふえていく。たとえば七百七億、全体の中小
企業関係のそういう貸し出しが本
年度なされ得る予定であるということでありますけれ
ども、これは回収が非常に順調にいくものとして見込んでの計算なのであります。従ってこれからの
経済事情の動きによって、回収が困難になってくれば、この予定は狂ってくるということは第一に考えられなければならぬ。
さらに
資金運用部
資金に大いにたよっておりますが、ここではまた新しい事情が出てきておるわけであります。それは金利に対するところの税が免除されましたから、従って一般銀行の方へ
資金が大きく流れる、郵便貯金等の
資金の伸び悩みが生ずるであろう、こういう問題が考えられます。従ってこの方においても、予定通りいくであろうかどうかということに対して不安を感ぜざるを得ない。こうしてつまり貸し出しの予定というものが、昨
年度よりもまた非常に伸びるよううに見えますけれ
ども、これは必ずしも安心できないものである。商工中金の方に、今度
政府出資が大幅にといいますか、十億円ばかりなされました。これは見ようによっては中小
企業金融公庫のものをこちらへまわしたということでありますが、しかしこの両者は非常に性質の違った、中小
企業金融機関としましても、一方は組合金融であり、一方は長期の投資をする、ことに設備投資を中心とする機関でありますが、この一方へまわったというふうに考えることは、私
どもは取り得ないものであります。むしろ商工中金等に出資がなされるということも
一つの問題でありまして、商工中金そのものの性格というものにも
一つのここに変化が起る。そのことはともかくとしまして、商工中金にこういうふうにふえるということは、一応歓迎するとしても、中小
企業金融公庫に対して削ってきておるということは、非常に遺憾とせざるを得ないのであります。しかも全体の貸し出し予定額は、今まで進んで参りましたこのデフレ下の中小
企業への融資の比率の削減、比率が絶えず減ってくるという大きな流れに対しては、まさに先ほど申したように、焼け石に水である、こういう
状況なんです。
ところで今日の中小
企業のこういう困難というものがどうして起ってきておるか。その
一つの大きな原因は今申し上げましたような、大銀行を中心とします集中融資——全体から集めてきている。そしてそれはごく自分の系列なり一部のものにしか出されていかないという動き方であります。それが第一であります。しかし金融だけが根本の問題ではないということを申し上げなければならない。それは一方において、これはこまかい計算がなかなかむずかしくて困っておるのでありますが、大局的に考えましても、この中小
企業から税金を通じて吸い上げられてくるものがさらに還流されるという、この循環を考えましたときに、中小
企業にはわずかしかもどってこない。その多くが大きいところに使われてしまうという、この循環の不均衡の問題なのであります。先年の
大蔵省の調査——少し古いのでありますが、それ以後調査がありませんから、それを材料にして申し上げますと、中小
企業が金融機関に預けておる総額の中から、中小
企業がどれだけ借りているかという計算があります。それを見ますと、中小
企業が
預金している総額を一〇〇としますと、そのうちのわずか五五%しか中小
企業が借りていない。あとの残りは大きいものが利用しているということ、これは中小金融がまだうるさくない、中小金融が比較的順調であったときでさえそうである。今日においてはもしそれが詳しく調べられるならば、どれだけになっているかということは想像にかたくないのであります。そのように金融の面でそうであるのみならず、
財政においてもこの中小
企業の生み出したところのものが税金で上げられる。さてそれが中小
企業の発展のために向けられるかというと、その大部分が大きいものに向けられて中小
企業にこない。こういう循環の問題が
一つの根本問題になっている。それに加えましてこの独占禁止法がありながら、事実上国内の主要ないろいろな原材料等に独占的価格の傾向が生じてきております。これは特に輸入のいろいろな抑制であるとかその他をもってさらにささえられているせいでありまして、この原料高、製品安の問題、中小
企業は多くは最終の加工過程をやっていますから、従ってそこで作られたものは大衆の購買力が減れば、それによって値が下ってきて、そこでは正直に需給の法則が作用しておりますが、一方大きなところが作っているところの原材料においては、いろいろの形でその値のつり上げなり維持が行われているという、この独占価格と中小
企業製品との非常なはさみ状の差がここに出ているということであります。それがさらに国際的のいろいろな条件によって強化されてきているということが、中小
企業の採算なり原価割れを生ずる大きな原因になっております。さらにまた、それに加えて下請け関係の支払いの非常なアブノーマルが生じてきている。今日見られるような下請けに対する支払い遅延というようなことは、
戦前にないことはありませんでしたが、珍しいことでありまして、さらに世界各国を見回してみましても、このようなことが当りまえとして行われるところはどこにもない。もういわゆる商業道徳なり、
経済道徳から見て、あるいは
経済の普通の常識から見て考えられぬことであります。そういうことが当りまえとして行われる、さらにはそれが一種の経営の
やり方としてさえ常道化してきているということであります。こういう下請けに対するところの支払い遅延というものによって中小
企業は非常な苦境に陥れられている。こうして支払い遅延があるということは、次には下請け単価の切り下げの
一つの武器になっている。払ってやるかわりに下げろ、こういうことになって参ります。こうして中小
企業がこういう下請け関係というものでまた非常な理不尽な圧迫をこうむる。
このことは実はどうしてこうなるかということを考えてみますときにいろいろな
経済的な問題があります。それは一方からいえばこの中小
企業というものの存在、ことに下層の部分についてみますと、たとえば従業員五人から三十人未満くらいの、いわゆる町工場というようなところについてみますと、中小
企業の出生率、死亡率の統計でありますが、これを見まして百軒のうちで、一年間に生れるのが八軒で三軒つぶれるという計算が出て参ります。これは先年のいろいろな
数字によって計算したのであります。最近を見ましてもほぼ同じである。生まれ方は少し減って死亡がふえておるというような
状況でありまして、こういうつまり非常に高い死亡率がまず目を驚かせるのみでなくて、またそれを上回る出生率がある。非常にたくさん生まれて、そうして死んでおるのであります。こういう出生の中には、転業ということももちろん入っております。しかしその多くが出生である、こういう
一つの非常なアブノーマルな
状況があるということは何ごとか。それでその出生してくるものの前歴を調べてみるのであります。そうしますと、その多くは大
企業に勤めておった人々が退職するあるいは首を切られる、退職金や何かをもらったが、この金でどのくらい続くかわからない、何か始めなければならぬということなのであります。それは言葉をかえて言えば、相当なといいますか、ある程度の小金を持った中小の小資産家といいますか、そういう者が失業しているということです。あぶれておる、さらに広くいって中小
資本のあぶれ現象といってもいいでしょう。こうしてつまり一方で非常に失業がふえ、ことに半失業がふえてくるということは、労働力の失業現象と非常に関係を持ってくる。このことは末端においては中小
企業の家内工業においてはまさに両方
一緒になってしまいます。ところがそれから上へ来て中小の経営、さらに
企業、さらに
資本と見られるところにおいても同じことが起っておるということなのであります。非常にたくさんのものがあとからあとから生まれる、そうしてはげしくつぶれるがそれ以上生まれる、こういう奇妙な現象があって、それが今日よくいわれる過当競争という現象を起している、非常な自殺競争を起しておるのであります。こういう根本の事態を考えないで、そうしてただ何とかしてこれを整理しよう、あるいは何とかしてこれを制限しようといろいろ安定法や調整法を考えても、これはあと思案にすぎないということなのであります。そういうことの根本は何かといえば、一方においては国内における販路、購買力、中小
企業は国内の民需市場と密着しておりますが、これがどんどん縮小してきているということです。縮小というか、生産がそれ以上ふえたのに購買力が伴わないという過剰現象です。さらに海外において中小
企業が担当するところの、比較的民需的な販路というものがいよいよふさがれてきている、つまり海外
貿易の問題、国内市場の問題、この両方でマーケットがその生産の増加に追いつけない。さらに中小
企業の生産増加というものが今申したような、一方で国内の合理化がそういう過程で出てくる、そこで失業現象がどんどん入ってきて、そうしてそこでやたらに数がふえるということを起しておる、こういう悪循環が現実の姿である。こうなってきますとちょっとやそっとのこうやくばりの対策では、とうていこの問題は解決できない根本問題であることをわれわれは痛感するのであります。
そこで中小
企業の対策としては、何よりも根本的にこの市場の拡大にもっと努力しなければならない、その場合に海外市場の拡大、日中
貿易の問題がありますが、この日中
貿易の問題というものはやはり最も大きな問題であります。さらに海外市場の拡大ということも重要でありますか、もう
一つ考えてみなければならぬことは、今日のいろいろなシステムのもとで常に合理化合理化といって、そうしてこの国内の購買力をぐんぐん削っていく。生産はふえるが、購買力を削っていくという悪循環の現象であります。それに対して何とかしなければならないということであります。つまり購買力がぐんぐん減ってくる、あるいは生産のふえたに対して購買力がある程度ふえたにしても、とても追っつかないということ、国内の問題と海外の問題、輸出市場の問題、大きく言って市場問題の解決をもっと強力に推進していかない限り、これからの
基本政策である合理化
政策を進めたならば、ますます今の矛盾が深まるでありましょう。つまり合理化によって輸出が非常に増強されるといいますけれ
ども、今までもうすでに合理化ということが相当進んできておるはずなのであります。その合理化によって価格がどれだけ下ったか、ほんとうのところどれだけコストが下り、それが現実に現われてきておるかといいますと、私がいろいろ調べました断片的なことでありますけれ
ども、遺憾ながら価格は下っていない。むしろ鉄鋼なんかはまた建値を上げるというような
状況になってきておる。つまりこの合理化が必ずしも価格の引き下げになっていない。そしてある部内でこまかく調べたところによりますと、結局合理化ということが進んだ結果その中で中小
企業は整理された。そしてこの
一つの系列ががっちりでき上った。系列ができ上って、その中における利潤の配分が非常に変った。大きい一番トップにあるところは非常にもうかるようになっておる。これは経理内容にはっきり出てきておる。下に行くほど吸い上げられる形ができ上ってしまった。こういうことであってはこの合理化
政策を推進され、
産業の再
編成を進めていくにしましても、今のような点に十分な配慮を行わなければ
日本の
産業の仕組み、
経済の仕組みというものはますます土台が枯れてしまう。頭だけが栄えるというか、つまり昔の言葉で言えば、一将功なって万骨枯るるということがありますが、まさにそういう
状況になっておる。結局頭でっかちでつぶれてしまう、こういう結果を引き起さざるを得ないと思います。そういう点からもこの金融
政策というものはその場合の油のようなものでありますから、何といっても中小
企業に対する金融面の強化、ことに
財政投融資を通じた金融面の強化をはかっていただかなければならない。
もう
一つは今回また提案されておるようでありますが、大銀行の集中融資の傾向を改めさせるという処置をとらなければならない。これは時間があまりございませんから、ここで資料を申し上げませんが、非常な集中融資が行われておるということだけを申し上げておきます。
さらに先ほど申したような、下請支払いの非常に理不尽な姿というものは、いわば同じ
企業体相互でありながら、つまり同じ
資本同士でありながら、
資本内で大きな階層ができておるということであります。その階層ということが、実は一方はまるで権利を失ってしまう、あるいは無権利
状態というような
状況にある。それは彼らの非常にはげしい競争というようなことからも出てきましょうし、さらに今までのいろいろな下請関係の特質からも出てくる。一方大きいものは非常に特権的な傾向で伸びていきますので、どうしてもくっつかざるを得ないということからいよいよ従属的になる。この非常な格差というか、断層というか、こういうふうなものがある以上、これを何とか是正するなり——根本は
経済的な動きになりますけれ
ども——処置をとらなければならぬ。それに対して下請支払い関係についてのいろいろな下請関係調整法がまた考えられておるようでありますが、この案を拝見しますとまだまだこれは非常に微温的であるといいますか、つまりそれがどれだけ強制あるいは行い得るかということの保証に非常な疑問を感じます。元来たとえば全国中小
企業協議会等で考えておったもっと非常に思い切った案、それすら私
どもはなかなか問題だと思ったのでありますが、ことに中小
企業者がもっと自主的に結合しながら大
企業との間でこの交渉をしていくという行き方の組織を作らなければならぬと思うのでありますが、そういう面を強めていかなければならぬ。それがあの案を見ますと、公取がいろいろなことをやるのでありますが、一体どの程度あの実効を発揮し得るかという点に疑問を持つ、しかし私は疑問を持ちながらも、それが出ると出ないとは大へんな違いである。つまり中小
企業者というものが互いに競争しながらもお互いに困っておる。そうして大
企業の圧力をひしひしと感じておるわけなんです。何とかしてこれに処置したいと思いながら自分たちが非常に隷従的な立場に置かれたために何も言えないということなのであります。これを国家の方でそういう不当なことは不当なんだと認めてやることがすでに彼らを力づけることになるのであります。そういう
意味でこの中小
企業に対するあの下請代金支払い遅延に対する法案というものは、今までに見られなかった画期的な意義を持ったものである、その通過を望む次第なのであります。
以上申し上げましたように、中小
企業の問題というものは、全体の
経済の仕組みからさらに
基本的な
経済政策において、これをずっと貫かれていった場合に出てくる問題なのです。断片的な処置や何かでこれは解決できない。従って私が非常に遺憾に思うことは、六カ年
計画の案を拝見しましても、その中における中小
企業の置かれておる地位、あるいは中小
企業の今申し上げたような非常な悪循環の
状況をどうするかというようなことが、全くといっていいほどあそこに出ていない。つまり中小
企業に対する処置というものが、あの大きな
計画の中に入れられていかなければ、
日本の
経済の一番重要な矛盾点というものが解決されないことになる。量的に申しましても、中小
企業は数からいって御承知のように多いし、従業員数からいって農村を除いた全体の従業員の中の約八割を占めております。そういう厖大な従業員数を占めておる。そのことはとりもなおさず
国民全体だということなのです。つまり中小
企業というものは
国民の
生活そのものである。同時に
国民の
生活を対象とする商売というのはまた中小
企業である。お互いがまたマーケットになっておる。こういう関係である。従って
国民生活というものを尊重するような
政策であるならば、中小
企業政策をもっと根本的に立てなければならない。今までの歴代のいろいろな
政策を見ておりまして、ほんとうの
意味で中小
企業政策を考えたものが残念ながらほとんどなかったのではないか、こう思わざるを得ない。ようやく最近において金融対策というものが、
財政投融資からある程度とられるようになった。ところがそれが全体の金融の流れの動向において、あまりにも焼け石に水のような役割しかしていないということであります。最後に中小
企業が何よりも自主的に組織を作り団結して、そうして自分たちが伸びていくという方向が大事なのでありますが、この協同組合そのものが最近のデフレ
政策において、ますます大きいものとの圧力関係で変質してきている。いわば中小
企業のための組織であるか、大きいものの下請のための組織であるかわからなくなってしまって、単たる親工場の金融の融通だとか、それを合理化するための機関と変っている下請組合もありますし、あるいは人絹
会社の原点をうまく流し、
資金の還流をうまくやるというための組合になるというふうに変ってきてしまっておる。従って形式だけを考えてはならない。何よりもこの組合というものが、ほんとうに元来の使命を持って中小
企業のためになっているかどうか。それをそういうふうに持っていくには、どうしたらよいかということがやはり根本問題なのである。
最後に、今のような上からのしわ寄せというものが、同時に中小
企業の
資本の再生産を妨げ、行き詰まりを起しておる。そこに経営の不合理はいろいろあります。ありますけれ
ども、これは不合理を直そうと思えば金がないのであります。こういう
一つの悪循環に置かれながら、しかも数がふえるときはますますふえるという
状態に置かれておる。ことに
企業整備をやるといってなかなかできるものではない。そのことは、実はその下の従業員に大きなしわ寄せになっているという事実であります。
日本ぐらい賃金の較差のひどいところはない。各国と比較してみましても、イギリスにおいてもアメリカにおいてもあれほどの差はほとんどありません。せいぜいあって二割。
日本はまさに半分、ところによっては半分以上である。いわば失
業者のもらう六割の保険料と同じくらいのところがむしろいい方である。つまり末端の中小
企業従業員に強くそれがかけられてきている。中小
企業従業員にかけられるのみならず、そこにおいては、労働基準法はわれわれ
国民が作った
一つの憲法でありますが、それがどんどん破られてしまう。それに対して基準法をゆるめていくという方向をとれば、いよいよもってこの上からのあれは下に押し下るだけになってしまう。これでは民主化なんというかつての言葉はどこに行くかわからなくなってしまうのであります。このように今のような動き方といいますか、こういう方向を何とか変えていく
基本方針が、長い目で立てられなければならぬということが最後に私の申し上げたいところであります。