○三田村
委員 これは
花村法務大臣の責任ではありませんが、大体法務省は怠慢ですよ。これくらい
世論がやかましくなってきた問題を――今
刑事局長の申されたように、
売春問題対策協議会というものがすでに政府にできておるのであります。もう長い間
審議が続けられておるのです。少くともこの
法案が当
委員会に提出されると同時に、この問題については、かくかくの経過を経て、この
程度の方針を持っておるのだくらいの具体的のものをお示しになるべきですよ。そうしてどのような用意があるかということは十分お示しにならなければ非常に迷惑する。そういう
意味で私は申し上げておるのでありますが、この点はこれ以上あまり追及いたしません。
それから、この
法案に盛られた
一つの法益と申しますか、この立法の中に盛られたものの
一つに、しばしば
提案者の説明の中にも聞くのですが、白色奴隷をなくするのだという
言葉が使われておる。これはまことに洗練されたと申しますか、新しい用語形式で、耳に入りやすい
言葉でありますが、私は実に不愉快な
気持で聞くのであります。一体白色奴隷とは何だ。肉体を切り売りする婦女に対して冠せられた
一つの名前かもしれませんが、われわれの当
委員会だけでなくて、新しい民主革命の過程を十年も経た今日、何よりも
考えなければならないことは文化的な秩序の確立であります。民主主義的な諸
制度、秩序の確立であります。そこの中に、いやしくも奴隷的存在のあることは許されるものじゃございません。けれども一体奴隷とは何でしょうか。奴隷はもちろん解放しなければ
なりません。白色奴隷も黒色奴隷も解放しなければ
なりません。一体この
法案で白色奴隷の解放に
なりましょうか。私は
売春そのものを認容するという
考えは毛頭ございません。けれども
社会の現実が示す
通り、どうにもならない生活の苦悩から、
子供をかかえて生死の関頭に立ちながら、善悪の判断をもはや失ってしまって、この
社会に転落する気の毒なあわれな御
婦人もあるのであります。その人たちに白色奴隷なる
言葉を冠して、解放するにあらずして、鎖でつないで鉄格子の中に入れることが、一体白色奴隷の解放になるかということを私は叫びたい。今
刑事局長は保安処分、保護的な処置をとらなければならないと言われました。少くとも政府は力のあらん限りを傾けて、こういう悲惨な
社会の落伍者を救い出さなければ
なりません。白色奴隷の名を冠して自然法上の刑事罰と同じような刑罰の範疇の中に入れて刑罰の対象にし、捜査権を発動して刑務所につなぐことが、果して白色奴隷の解放になるかということを私は叫びたい。文化革命の一環としてこれはあくまでも強行するのだという、その思想的あるいは政治的な闘争については、われわれも同感するにやぶさかではありません。けれども、われわれは現実に政府を構成し政治を担当しておるのです。現実を直視して、ほんとうに
社会にあるもりをすなおに見て、何が一番妥当かということを
考えていくことが政治でなければ
なりません。少くとも政府の衝にある
大臣並びに各省の首脳部の真剣に思いをいたさなければならない中心課題であろうと思うのであります。率直に申しますが、
言葉のあやだけでその問題の
答弁をどうにかされることは非常に迷惑なんです。どのようにして、いわゆる白色奴隷と言われるこの気の毒な
社会の落伍者、見るにたえない存在をなくするということは、党派のいかんにかかわらず、与野党にかかわらず、政府並びに
国民一般の真剣に
考えなければならぬ当面の一番大きな問題であろうと思います。この間も当
委員会に
参考人として出てきたある
婦人が言っておられた。その
言葉には修飾もありましよう、ありましょうが、その御
婦人が、
自分は夫をなくして
子供を三人かかえて幾たびか生死の関頭に立った、何べんも死のうと思ったけれども、
子供の愛に引かれて遂に死を思いとどまったのであります。そうして求めたところがこの道だったのだ、悪いということを知りながら求めたのがこの道であった。そのわれわれに対して、あなた方は一般の御
婦人と変らない基本的な人権を持っておる方々ですよ、人権に目ざめなさいという呼びかけをしばしば受けるのだ、われわれはありがたくその
言葉を聞いておりますが、その
言葉の裏から、お前たらは
売春婦だ、犯罪者として刑務所につなごうとおっしゃる、どこに基本的人権を尊重するという
考えがあるのか、われわれにはわからないのだという
言葉を述べている。私は真剣な叫びだと思います。その
参考人に対してある
参考人の一人は、それはあなたの
考えは間違いなのだ、そういう
社会によりて得た金であなたは
子供を育てる、育てた
子供が成人したときに、そのお母さんの愛に対してどう
考えるか、
考えてみたことがありますかといわれたことがありました。これはしばしば
社会に見られる悲劇の大きなものであります。けれども
子供をかかえてまさに死の道を選ばんとするとき、限りなき母親の愛から、どのような世間の非難もあえて意に介せず、
自分のからだをその
社会に投じて、
子供の成長を親の責任において見ていくということも大きな愛でありまして、そういう
社会こそ政治が救わなければならぬ。その
言葉は単なる一
婦人の修飾辞として聞きのがすにはあまりにも深刻であります。そういう立場から、私はこの
法案についても率直に当局の御決意を伺いたい。この間
花村法務大臣と
川崎厚生大臣が出てきた。そして
川崎厚生大臣も大いに
努力すると言明していきました。大体とりあえずの手当だけで八十億の金が要ります。どうぞ
花村法務大臣に申し上げますが、御賛成なら八十億の
予算措置を至急整えていただきたい。そしてこの
法案の成立に大いに
努力していただきたい。そうでなければ、こういう
法律を作って、自然犯の範疇に追い込んで、これが白色奴隷の解放だということは、いかにしても私は
国民の前に吐く
言葉がないのであります。なるほど奴隷解放、
公娼廃止のために長きにわたって
努力と研さんを積んでこられた方々には私は限りなき敬意を表します。けれどもこれをほんとうに有終の美を全うせしむるためには、やはり十分政府の
予算的措置、その他各般の準備を完了してやらなければ、ただにこれを文化革命の一環として、資本主義的悪を剔決する突破口にするのだというだけではわれわれは賛成しがたい。
花村法務大臣もその点は
一つよくお
考えいただきまして――この
法案の
審議もだいぶ長くなっております。そういつまでもだらだらとやってもおられません。われわれは対案をもって臨むか、どのようにしてこの
法案に肉をつけ、実施の場合の顧念なきを期するかを
考えなければならない段階にきておるのであります。
法案には賛成だ。ただ大いに
努力するというのでは、――一昨日でしたか、
警視総監も、
警察庁長官もこの
法案が成立いたしましたら、大いに取締りを厳重に励行すると御言明に
なりました。私はあとからどのように厳正に励行されるか、具体的なお
考えも伺いたいと思いますが、ただそれだけの
言葉では済みはしません。われわれはここを議論の場や、
言葉の表現の場として
考えておるのではない。三田村自身の経験から申しまして、私は非常に苦い経験を持っております。こんなばかな
法律を作ったら日本はだめになると身体を張って反対したこともある。そのために現に私は刑務所に行ったのです。不幸にもわれわれが
考えた
通り国敗れてしまって、非惨な民族転落の汚名をわれわれはなめてきたのであります。その中からわれわれは立ち上らなければならぬ。今日も私は
国会対策の部屋へ入ってみたのですが、壁一ぱいに張られている
法案は数え切れな
いくらい無数にあります。何でもかんでも
法律を作ってもそれでは足りるものではありません。民主主義の建前というものは
法律を作ることではない、
制度を複雑にすることではない。真実
国民の中にあるものを政治の上にくみ上げることが民主政治の目的だろうしあり方でなければならぬ。
法律だけをどんどん作る。この
法律ばかり作ったことによってわれわれは権力と
法律のがんじがらめになる。一切の自由を奪われてしまってあの八月十五日悲惨な運命を迎えた。私はこの
売春取締法そのものには反対ではない。より
効果的な、よりりっぱなものにしたいということについては人後に落ちません。けれどもが、どのようにしてこれを実施するかということについては真剣な検討を要する。だから
花村法務大臣、井本
刑事局長に私は歯にきぬを着せずに申し上げます。私も与党の一員で
花村法務大臣と共同の責任をとらなければならぬ。幸か不幸か、この
委員会の
委員として席を列してこの
法案を
審議する以上、責任を感じます。感じますがゆえに、
法案が成立した場合のあり方というものを私は真剣に共同の責任でここで掘り下げて検討してみたい。いま一度
法務大臣に伺いますが、今
刑事局長の言われた
通りです。まさにこの立法は画期的なものであります。
売春そのものを自然犯の範疇に入れて刑事訴追の対象にする、数十万というものに対して直ちに刑事訴訟法を発動する
売春婦が五十万おります。直ちに百万の被告人、被疑者が対象になるのであります。単一犯行でありません。相手がなければ成立しませんからこれは共犯であります。その者に対する刑事訴追、検察活動の用意いかん、どのようにしてこれを人権の侵害なく、つまり奴隷解放という線に沿って実施されるか、
法務大臣は
法案の成立に大きな期待をお持ちのようでありますから、まずその点に責任ある御言明を伺いたい。