○
伊藤参考人 私今御
指名にあずかりました
伊藤秀吉でございます。文京区の大塚仲町に住んでおります。ただいま文部省の純潔教育分科審議会の会長をしております。
明治四十四年以来、私は廃娼運動に一生を捧げて参った者でございまして、当時島田三郎さんを会長とする廓清会に入りまして、廃娼運動を担任したのでございます。島田先生がなくなられますと、副会長であった安部磯雄さんが
理事長となられ、私は常務
理事として廃娼運動を担当して参りました。あるいは
国会に、あるいは県会に、廃娼運動を続け来たったものでございますが、今回お呼び出しによりまして、この
法務委員会の
皆様に私の
意見を述べさしていただく機会を与えていただきましたことは、まことにありがたく、かつ光栄に存じます。
私が申し上げたいと思いますことは、
売春取締りというものは世界各国どこにもあるのでございますが、それがどういうふうになっているか、世界各国の
売春対策につきまして簡単に申し上げてみたいと思います。
大体世界の
売春対策を大別して申しますと、四つに分れると思います。一つは公認制度でありまして、日本に八、九年前までございました娼妓制度がこれに当るのであります。国家が
売春というものを適法の
行為として公けにこれを認めて、あるいは税金を課して保護するというようなきわめて奇怪な制度が日本にありましたことは、御承知の
通りであります。次に黙認制度、これはライセンスはございませんけれ
ども、ある条件を付しておって、その条件のもとで
売春行為をやっておる限りは、それは少しも違法にはならない、
処罰されないというのが黙認制度でありまして、今日ヨーロッパに残っております制度でございます。また日本に現在あるところの、
公娼が廃止された後のいわゆる
赤線区域のようなものは、すなわち黙認制度でありまして、ヨーロッパに残存するところの制度とほぼ同じゅうしておるのであります。もちろんこれが日本におけるごとく千人二千人というような大集団があるというようなことは、これは実に驚き入ったるところの制度でございまして、そういうものは世界のどこにも見出すことができますまい。
それから第三は廃認制度というのでございまして、主として英国の制度であります。廃認と申しますのはアボリショニズムといいまして、ヨーロツパにおいて一番先に廃娼国となったのが英国であります。一八八六年に英国が世界に率先して廃娼国になったのでありまするが、このとき英国のとりましたところの政策というものは、別にこれにかわるところの
売春に対する禁止の制度というものはなかったのでありまして、
売春が行われるといたしましても、それが密室においてひそかに行われる限りは男女間の私通として、野合としてこれを法律は追及しなかった。しかしながらそれが公の形あるいは風俗を乱す
行為、道路上に人を勧誘するというようなことは、もちろん
処罰されるのでありまして、これが英国の立法の特色であります。一九〇二年にノルウエーに一つの新しい政策が生まれました、今までフランスあるいはその他にありましたところの、いわゆる黙認制度は、これをレギュレーショニズムと申しまして、一つの
取締り主義と言われておったのであります。英国がこれに対していわゆる廃止主義をとりましたために、これに対してノルウエーその他のスカンジナヴィア諸国に行われましたところの新しい政策はこれをネオ・レギュレーショニズムといっておるようでございます。そのノルウエーに行われましたところの制度は今までの廃娼ではございませんで絶娼主義とわれわれの方では言っておるのでありますが、
公娼、私娼を問わず一切の売笑を廃止するというのでございまして、それをさらに一九〇六年にデンマークが法制を完備して今日に至っておるのであります。その結果がよろしいので進んで一九一八年にスウェーデンがこれを採用いたしました。それから一九二二年にチェコスロバキア、一九二六年にフィンランド、一九二七年にドイツ、一九三二年にユーゴスラビアというようなぐあいに世界各国が毅然としてこの絶娼主義、
売春そのものを一切認めないといういき方をとったのであります。さっきからもいろいろ問題が出ておりましたように、
売春そのものが絶滅されるということはなかなか困難でありますけれ
ども、絶滅を
理想とする主義で法律を作るということはすでに行われておりまして、すでに五十年の歴史の結果がりっぱに成績を上げておりまして、人間の性というものがその尊厳を保っていくことができるものであるという実証を世界に与えておるのであります。
それで私が申し上げたいのは、日本に新たに
売春禁止
処罰法の規定ができまするならば、それによってどういう効果が現われるかということを申し上げてみたいのであります。今申しましたように世界の
売春の
取締りの進歩は、公認制度から黙認制度へ、黙認制度から絶娼主義の廃認制度へ進んでおるのでありまして、形態の上から見ますと集娼制度から散娼制度へ、散娼制度から絶娼主義に進んで参っておるのでありまして、その結果はすべて良好に進んでおったために、世界各国がいずれも何らのちゅうちょなくこれを採用して参ったのであります。一九二七年に国際連盟で
婦人児童売買禁止条約の
会議におきまして初めてこの
売春問題が非常に論戦されました。次いで二十七年から三十年に至る四年の間、この禁止
会議のあるいは総会において、あるいは
委員会におきまして非常に激烈にこの問題が論議されたのでありますが、いずれの国もことごとく
売春制度というものは許してはならない、これは廃止すべきだという結論に達しておりまして、フランスのごときも初めのうちはこれはみだりに廃止するとかえって風俗が乱れる、あるいは
性病が盛んになるということを二十七年には言っておったのでありますが、二十九年になりますと変って参りましてこれは廃止した方がいいということで、フランスにおいてはコルマーとかニテアンヌとかストラスブールとかそういう都市で廃止の実行をやったところ、その結果は良好であるというような報告がされておりまして、二十九年、三十年に至っては世界各国ことごとく早く
売春を禁止しなければならないということにきまって、その結果は世界のうちでまだ
売春を許しておるような国がもしあるならば、そういう国に対して早く禁止するように書面を送ろうという決議を一九三〇年にいたしたのでありまして、日本にもその勧誘が確かに参っておるはずであります。それからもう一つつけ加えて申したいと思いますのは、一九一〇年に
婦人児童売買禁止条約というものができまして、日本もこれに加入したのでありますが、
婦人というのは未成年の
婦人でございました。ところが一九三三年にそれを引き伸ばして、成年婦女の売買禁止に関する条約というのができております。これはまだ日本は加盟しておりません。それから一九四九年にはかなりそれが進んで
人身売買及び
売春によって利益を受ける者
たちに対する禁止の条約というものができておりまして、当然これは日本がもし国際連合に加入しますならばその責めを負わなければならぬはずであります。
そうしますとさっきからいろいろ問題になっておりましたが、もう国際的にも搾取
業者というものが
取り締られなければならないところに来ておるのでありまして、その結果私が申し上げたいのは、その禁止によりましてまず第一番には
売春という
行為が罪悪であるという思想を法律の第一条において植えつけたいと思うのであります。これがないためにやはりさっきからの答弁に現われたりあるいは陳述に現われたりしますように、
売春というものに対してほとんど自覚がない。
自分たちのからだを
自分で売っておるのに何で悪いのだというような思想を持っておるのでありまして、これはどうしても
売春そのものが不道徳であるということ、あるいは犯罪であるということを知らせなければとうてい
売春問題を解決していくことはできないのであります。でありますから
婦人自身にそういうことを自覚せしむるためにも、犯罪の重い軽いは別といたしまして、それが犯罪であるという条文ができなければならぬと思うのであります。またこれを勧誘するところの
業者がちっとも自覚がない。これまた今の日本には
公娼制度のようなものがありまして、
売春させることによってその者がただ
生活しておるだけじゃなく、あるいは別荘を持ち、あるいは堂々たる実業家として名誉ある議員にもなり得るというような
社会状態がそういう思想を生んできておるのでありますから、これはどうしても早くこういうものを犯罪として
取り締るようにしなければ、性の道徳というものは日本に高まらない、外国には、たとえばインモーラル・トラフィック・アクトといって、英国にはそういう条例がありますけれ
ども、アメリカにも、デンマークにも、オランダにも、あるいは南アの大審院の判決の中にもインモーラルという
言葉で
売春という
言葉を代用されておるのであります。いかに
売春というものが道徳の中で大切な位置を占めておるか、そして性の道徳というものが重んぜられておるかということがこの
言葉を
考えるだけでもわかるのであります。わが国では残念ながら
売春ということに対して自覚が非常に低いのであります。ですから第一条にどうしても
売春というものは罪悪であるという思想を植えつけるためにその一カ条がほしいと思うのであります。
第二には、
業者の
指定地を撤廃する。
売春の指定というようなことがあり得べきでない。世界各国とも今日では指定をなくしておるのでありますが、指定を撤廃して妓楼制度というものをなくするというところにいかなければならぬ。
売春を
婦人にさせないということと同時にそういう場所をなさなければならぬ。そういう場所があるから
売春をしたいと思って初めからそういうところに行くところの婦
人たちの大多数がそういうところに陷って、哀れな
生活になるのでありまして、そういう場所をわれわれは早くなくしてしまうということが一番大切なのであります。
それから
売春に対する勧誘、媒介、あるいは家を貸すとか、金を貸すとか、そういうものに対する
処罰の規定ができなければならぬと思うのであります。そうすることによりまして
売春をしてはならぬという大上段からの禁令が出て、次に
売春の場所がなくなり、第三に
売春を勧誘する
人たち、ボン引きとかその他の者がなくなっていきますならば、これはどうしたって
売春そのものが減らざるを得ないのではありますまいか、私はこの法律だけでも、
——法律だけでは世の中がよくならないと申しますけれ
ども、法律だけでもおそらく半数に
売春が減っていくのじゃないかと
考えます。続いてそのあとにはいろいろの
施設、いろいろな保護とか予防とかそういうことによってさらにこれが進んでいく。そして
売春そのものをあるいは三分の一にし、あるいは絶滅に近いところまでやっていくということが必要であるのは申すまでもありません。今デンマークあたりを皆さんが御旅行になりまして、街頭で果して売笑婦をお見受けになりましたかどうか、オランダも同じです。先般、一昨年になりますか、オリンピックの大会におきましてフィンランドの国に世界から旅行者が、たくさんオリンピックの関係の
人たちが集まったのでありますが、日本から行った人も帰ってきて、驚いたことにあの狭いフィンランドに大ぜいの外国人が来ておるにもかかわらず、一人も売笑婦の俳回しておるのを見たことがないというのであります。これは必ずしも
社会保障制度が完備しておるからそういうふうになっておるとばかりは論じられないと思うのであります。フィンランドにしてしかりであります。私
どもはそういう点から
考えましても、安心して
皆様によって
売春処罰法を確立していただきたいと思います。
それからもう一つ私つけ加えて申し上げておきたいと思いますことは、
売春処罰法が出たならば、たとえば今の
赤線区域に六万人の者がおるといたしまして、その六万人の者
たちの行方をどうするかという問題が起きてくる。それに対する保障処置がきまらないうちに
処罰規定を出すことは危い、片手落ちであるというような議論が非常に多いようでありますが、これは実はそんなに御
心配なさらぬでもよいのであります。と申しますのは一九三六年に国際連盟の事務局が、世界各国の
売春を禁止した国々に対して、その
売春の禁止の際にとったところの措置について問い合せを発しました。それに対する回答が各国から集まっておるのでありますが、その回答を見ますと、どこの国も例外なく、いろいろの処置はした、
設備もした、ところがその
設備をしたかいは一つもなかった、何にもならかかった、全部
売春婦が来なかった、来ても
たちまちにして立ってしまったという報告で満ちておるのであります。
婦人小児売買禁止条約の一九三六年の国際連盟の事務局の報告でありますから、ごらん下さればわかるのであります。これはしかし外国だけの例ではないのであります。日本におきましても大正二年と思いますが、西久保総監の時代に丸山
保安部長が浅草の大掃蕩を試みた。あそこに
吉原三千と言われた娼妓のそばに三千五百という大多数の私娼窟があったのであります。これもそういう大遊廓がありながら大私娼窟ができるということは、集娼制度が反対に私娼を抑圧するのではなくして、私娼を誘発するという証拠でありますけれ
ども、私が申し上げますのはその点ではなくして、そこに三千五百の私娼の大集団が発達しておったのを丸山
保安部長が大掃蕩を企てて彼らに申し渡したのであります。お前
たちの
商売はもう今月末日限りでやめてしまうのだ、許さないのだ、しかしながら金は借りておってもお上の方で、金は返さないでもいいように処置してやるのだから、安心してお前
たちは廃業してしまえ、そして正業につけ、正業につくのがどうしてもいやなら、
吉原なり洲崎なり遊廓地に入ってそこで娼妓となれ、もし娼妓となるのがいやで、まじめな
生活に入りたい、しかしながら行く先がないというのであれば、そういう
人たちは、幸いにその当時のいわゆる貴
婦人の団体と称する博愛団体がありまして、花ノ日会という団体があったのでありますが、吉岡弥生さんを会長にしておったのであります。その花ノ日会でお前
たちを救ってやる、そこへ安心して参るがよいと申したのであります。それも二度ほど所轄署長が所轄署に集めてそういうことを訓辞したのであります。その結果がどうしたかと申しますと、三千五百の酌婦を集めて、金はもう払わなくてもいい、お前
たちの
商売はやめさせるのだ、今月限りだ、そう言って、行く先のない者に説いて聞かした結果が何人救われたかと申しますと、花ノ日会に救助を求めた者が五人であったのであります。その五人のうち三人がすぐに逃亡いたしまして、
ほんとうに救われたのは二人だけである。でありますからこれは日本だけではない、外国でもみんな同じである。売笑婦がそういう公認、半公認の姿のときに、それを否定されて、どこへかまじめな
生活に帰れと言われた場合に、行く先はほとんどわからなくなるのであります。もちろんその中で、あるいは半数
——数は
考えられませんけれ
ども、どこかで売笑
生活に入るかもしれませんが、急に行く先がなくなって困るという
心配は要らないのであります。これはおそらくわずかばかり
——十七カ所に日本に現在厚生省の
婦人寮がありますが、それに幾分の改築、増築をすれば事は済むのではなかろうかと思います。ですからまずもって
売春処罰法を出すにあたって、安心して出していただきまして、さらにその次に予防措置ということが大切なんであります。これは私の私案では、今にも
売春生活に陷らなければならないという家庭に対しては、本人に大体一万円くらいずつのものを貸し付ける。大正九年でしたか、東北凶作のみぎりに山形県に身売り
防止の運動が起りました。その際に私はかの地に行っておりまして、親しくその運動に参加したのでありますが、その際の
経験から申しますと、五十円あれば一応その急場を救うことができたのであります。その方法を
考えまして、この際にもやはりあの式に従って貸付をやる、おそらくその割合からいいますと、一万円かそこらで一応は急場が救えるのではないか。そういうことによって一年に一万人ずつの貸付を行うということにしていきますならば、おそらく五カ年計画でいたしますと、これまた半数は防ぎ得るのではないかと
考えられるのであります。大体彼女らが転落して参りますのは、決して
自分自身が堕落してああいうところに行くのではないのであります。大多数は、それを求めるところのいわゆる女衒とかその
業者とか称する者が、そこに行きさえすれば、幾らでも金で買ってくれるというのから始まるのでありまして、もしそういう大魔窟がなかったならば、
自分自身で探し求めて、どこにあるかわからぬようなところに落ちていくということは、非常に困難だと思います。でありますから、まず今のそういう
赤線区域のようなものを掃蕩し、そういう
業者を厳罰に付して、彼らの誘惑に負けることのないようにしていきさえすれば、大多数の者が救われて、哀れな
生活に陷るということがない。それを来年まで待つ、再来年まで待つとかいうことは、落ちておる何万人かの非常な哀れな人々の
生活に対してわれわれの同情が足らないからであると思うのであります。彼女らの哀れな
生活を
考えますならば、一日も早くこの
処罰法を上げて、日本の新しい文化国家が出発するように願ってやまない次第でございます。