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大津参考人 送っ
ていただいたときの状況を申し上げますと、
東警察署の分署が津田町にあります。そこの署員が、おじいさんが悪いから見舞に行ってやれと言うから、私はその日は留守でありましたが、おばあさんが、見舞いに行くんだったら会わしてくれるんだなと言うたら、それはわからないという矛盾した答えでありましたけれども、とにかくそういう連絡があったら行かなければならぬと思って、孫二人を連れて行ったのであります。三階に行って、おじいさんに、見舞いに来たから会わしてくれるかと言うたら、そのときに
巡査は二階から降りて来ました。そしたら田所
巡査——田所
巡査というのは、津田の方に用事に来
ているらしいから、だから
名前ははっきりしております。母親が田所
巡査に申しました。田所さん会わしてくれるかと言うたら、
巡査の答えは会わすという答えをせなんだのであります。
警察の車があいておらぬという答えをしました。だから母親はすぐに突っ込んで、田所さん私は会わしてくれるかと言うて尋ねよるにもかかわらず、
警察の車がおらぬというお答えは違うておりませんかと言うた。車のこと言うんだったら、それでは帰らしてくれるかと言うたら、帰らすと言うたんであります。そしてそのときにそれでは
徳島のタクシーを呼んで下さいと言うたら、タクシーがすぐ来たらしいです。そのときに五、六人の
巡査が自動車に乗るときに毛布をしけというから、毛布をしいたのであります。そしてタクシーに乗せました。そのときに母が一体いつごろからこんなになっ
ているのですかと尋ねたら、きのうは頭が痛いと言うたので医者を呼んだ。きょうは四時前から悪くなった。それで警官が五、六人、重たい人だなと言うてタクシーに乗せた。そのとき母がびっくりして、おじいさん、こんなになってしまったんですか、と言うたら、静かに、静かにと言うたらしいです。そしてそのときこの
留置場に収容せられる前に、父の携帯品をとっておりましたが、かさ、羽織、時計、めがね、銭入れを引き出しから出して下さった。そのとき不都合にも、
警察官はこの銭入れを勝手にあけて、中から医者代をとっておくぞと言ってとったらしいのです。母親が、不都合な、とってはいかぬとは言いません、しかし普通の常識のある者でございましたら、一応連れ合いの者に渡して、医者代はこうこういったからくれ、それであったら差し上げるというのが普通であるにもかかわらず、警官がこういうようにわがの財布かなんかみたいに、自由にあけたといって、帰ってそれも怒っておりました。外から早く、早くと呼ぶから、運転手かと思ったら、これは津田の
巡査であって、孫も知っておる。おばあさん、あれは
巡査であったというから、そのときに母は運転手の横に乗れというから母も乗ったんです。そしたら
警察官が送るというから、もう乗せて下さったら、近所の人が世話してくれるから、よろしいと言うたけんど、自動車に乗り込んで送ってくれた。その途中で母親が言うには、標準語でいいましたら苦しいかということは、阿波弁でせこいでか、こういうようになっております。おじいさん、せこいでかと尋ねたら、
巡査が、おばあさん脳貧血を起し
ているから静かにしておらぬといかぬと言われたのです。そして帰って静かに寝さしておいたらすぐなおるから、こう言われまして、帰ったわけなんです。そして帰ったらなおるどころか、死んでおる人間を運んで来たと同じであります。私はこれは
警察官が責任のがれ的に、早くとか、静かにせいとか言うたものでないのかと思うのであります。私がおりましたらこういうことは絶対にしません。医者の認定書をとるとか、そういう筋を通さなんだら連れて帰らなんだのでありますけれども、何いうても年寄りのことでありますし、何もわからぬのにつけ込んでおるのではないかと思うのであります。重複したかもしれぬけれども、そういう状態であります。
そのときに私がおやじと一緒に同房におった人で、日露戦争当時におった高木槇太、これは
徳島市方上町、この人の生れば明治九年十二月一日であります。この人も過日訪問しました。この人は病床で気の毒であったのですが、父のことについて尋ねてみたところが、息子は
徳島駅で
助役をしよるのじゃということをよく聞かされておりまして、この人が言うのには、私は
警察の方もあんたの方もひいき目で言うのではない。真実を言うてあげますと言うて下さったのです。このときに朝
食事八時前に父に、高木さんがお茶でも飲むかと申しましたのです。そうしたら返事がない。いやならうがいでもするかと言うたら返事もない。ほかの者がいってみろというのでいくと、八十何才の老体、だれが見もてこれは大へんだ、一刻も早く家族に連絡してやらなければいかぬというような重態に陥っておる。これを担当
巡査に申し入れたらしいのです。
巡査も見たのでしょうね。これは息子さんが
徳島駅の
助役をしておるし、
徳島駅は目と鼻とは言わぬが、目と鼻というのは私が言うことで、
徳島駅に連絡するのはすぐじゃ家に連絡するのが大儀じゃったら
徳島駅にすぐ言うてやってくれと言うたら、
警察官はそれはできぬと言うてけられて、頼む瀬がなかったらしいというのであります。この
巡査は調べて下さったらわかると言うてくれはりました。このおじいさんが今病床であるのでこういうことを言うたらいかぬですから、何いうたって老体で病後であるし、あのからだの調子が悪いから万一の不幸があったらいかぬと、私は確認する
意味で同町の友人江口貞次郎にもその横でそのことを聞いてくれ、万一のことがあったらあんたにも証人となってもらわなければならぬというておったわけなんです。