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1955-05-24 第22回国会 衆議院 法務委員会 第11号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十年五月二十四日(火曜日)     午前十一時十二分開議  出席委員    委員長 世耕 弘一君    理事 古島 義英君 理事 三田村武夫君    理事 馬場 元治君 理事 福井 盛太君    理事 田中幾三郎君       椎名  隆君    高橋 禎一君       長井  源君    生田 宏一君       猪俣 浩三君    神近 市子君       細迫 兼光君    淺沼稻次郎君       佐竹 晴記君    細田 綱吉君       吉田 賢一君    志賀 義雄君  出席政府委員         警察庁長官   斎藤  昇君         警  視  長         (警察庁刑事部         長)      中川 董治君         検     事         (刑事局長)  井本 台吉君         法務事務官         (人権擁護局         長)      戸田 正直君  委員外出席者         参  考  人         (徳島信用金         庫専務理事)  森  達雄君         参  考  人         (徳島防犯連         合会役員)   橘  基一君         参  考  人         (毎日新聞社社         員)      亀田  昇君         参  考  人         (日本国有鉄道         徳島助役)  大津 義兼君         専  門  員 村  教三君         専  門  員 小木 貞一君     ————————————— 五月二十三日  小林かなえ君が議長の指名で委員に選任された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  人権擁護に関する件     —————————————
  2. 世耕弘一

    ○世耕委員長 これより法務委員会を開会いたします。  この際委員長より御紹介申し上げますが、永田安太郎君の御逝去のため委員一名欠員となっておりましたが、昨二十三日から小林かなえ君が当委員会委員となりました。以上御紹介申し上げます。  それでは、これより人権擁護に関する件について調査を進めます。徳島市における選挙違反取調べ事件について、参考人の四名の方が御出席になっておりますので、実情を聴取いたしたいと存じます。  参考人方々は、森達雄君、徳島信用組合常務理事。次に橘基一君、徳島防犯連合会役員徳島伊月町。次に亀田昇君、毎日新聞社員徳島市籠屋町。大津義兼君、国鉄徳島助役、以上四名の方々が本日御出席になっております。  参考人方々に一言ごあいさつを申し上げますが、御多用中にもかかわらず、遠路わざわざ当委員会のため御出席下さいましたことをお礼申します。当委員会においては、人権擁護立場から、委員諸君より種々の質問があるはずでありますが、隔意ない実情を御供述下さることを要望いたします。なお参考人として最初に供述なさる方は、職業年令をはっきりお述べ願いたいと思います。なお供述を求める順序は、森達雄君、橘基一君、亀田昇君、大津義兼君の順に、一人ずつ質疑を行いたいと存じますから御了承を願いたいと思います。  それでは最初に、参考人として森達雄君に委員長からお尋ねいたします。  御本人であること、並びに職業住所、氏名、年令最初にお述べ願います。
  3. 森達雄

    森参考人 私は徳島信用組合常務理事であります。住所徳島入田入田字笠木八十三番地、森達雄であります。四十六才。
  4. 世耕弘一

    ○世耕委員長 それではお尋ねいたしますが、今次の地方選挙に際して、あなたは警察取調べを受けたことがあるかどうか、まず最初にその一点についてお尋ねいたします。
  5. 森達雄

    森参考人 取調べを受けました。
  6. 世耕弘一

    ○世耕委員長 次に取調べを受けたについて、その容疑の事実はどうであるか。
  7. 森達雄

    森参考人 事実はありませんが、逮捕状は、二月二十一日亀田昇と共謀の上、徳島伊月町一丁目橘基一宅において数名の者に数十万円を授受したという事実による逮捕状であります。
  8. 世耕弘一

    ○世耕委員長 次にお尋ねしますが、逮捕勾留の年月日はいつでございましたか。
  9. 森達雄

    森参考人 昭和三十年二月二十五日であります。
  10. 世耕弘一

    ○世耕委員長 時間はおわかりございませんか。
  11. 森達雄

    森参考人 時間は午前十一時と記憶いたしております。
  12. 世耕弘一

    ○世耕委員長 次に警察取調べの結果は、どういうような状況でございましたか。
  13. 森達雄

    森参考人 逮捕状の事実につきてましては、虚疑の申告による警察官の誤認に基く逮捕状であったために、無罪になっております。
  14. 世耕弘一

    ○世耕委員長 警察取調べを受けるに至った原因並びにそういう事柄について詳細にこの際陳述されたいと思いますが、今参考人がおっしゃった中に、事実無根云々のお話があったが、事実無根を強調した際の警察態度は、どういうような態度であなたに臨みましたか。
  15. 森達雄

    森参考人 取調べ警察官といたしましては、別に不法であったとは考えておりません。ただ、渡した相手方がすでに事実を認めておる、だからあなたも早く事実を申し述べて、いっときも早く取調べを打ち切るような段階に進めてくれ、こういうふうな論旨のもとに一貫して私に自白を強要しました。
  16. 世耕弘一

    ○世耕委員長 参考人の方に申しますが、私の発言中はどうぞ着席していただいてけっこうであります。ただ発言なさるときに便宜お立ち下さるようにしていただくとけっこうだと思います。  次にお尋ねいたしますが、柏原義明または山田と称しておるようでありますが、あなたとこの柏原義明との交際関係はどういうふうな関係でございますか。
  17. 森達雄

    森参考人 全く未知でありまして、現在もなお面識ありません。
  18. 世耕弘一

    ○世耕委員長 次にお尋ねいたしますが、柏原義明警察に情報を提供するに至った動機は何だとあなたは思われますか。この点について実情がおわかりでしたらあなたの説明を求めたいと思います。
  19. 森達雄

    森参考人 釈放後いろいろと自分でも聞き人にも聞いたのでありまするが、今なおその警察逮捕状を出した原因が那辺にあるかということは判然といたしておりません。
  20. 世耕弘一

    ○世耕委員長 参考人に御参考までに申し上げますが、あなたは証人としておいでを願ったのではなくて、参考人として当委員会に御出席を願ったのでありますから、そのつもりでゆるやかな気持で、率直にあなたの考えたままを供述していただきたいと思います。  次にお尋ねいたしますが、橘基一氏並びに亀田昇氏との交際関係はどうだったのですか。
  21. 森達雄

    森参考人 最初亀田昇君のことから申し上げます。亀田昇は、私が南方から復員いたしまして、私の部下でありました彼のおいに当る者の遺骨を持って帰りまして届けてやりましたときに、昭和二十年の八月であったと思いますが、私の宅へお礼に来たわけであります。そのときに初めて面接いたしまして、以来三年くらい会いませんでございましたが、私がいろいろな事業に関係いたしましてその役職をやっております関係上、亀田大阪毎日広告の業務に携わっておりました関係広告を二、三度取りに来まして、それで再度の面識をしたわけであります。その後は全然私的の交際はいたしておりません。今度の選挙公明選挙という広告をしてくれということで私のところへ参りましたので広告いたしました。選挙中であります。そのときに広告料を取りに来ましたのと、広告してくれと頼んで来たのと二回であったと思います。それ以外には何の関係もありません。  それから第二に橘基一でありますが、これはもう全くきょう汽車の中で初めて会ったような方でありまして、当法務委員会へお呼び出しになりましたことはわかっておりましたが、向うは私の宅へたずねて来たのでありますが私はちょうど不在でありまして、きょうまで面識なしであります。きょう初めて知ったのであります。
  22. 世耕弘一

    ○世耕委員長 次にお尋ねいたしますが、久米敏夫氏との交際関係並びに同氏の経歴、人柄等についてお知りでしたら御説明願いたいと思います。
  23. 森達雄

    森参考人 久米も今度の選挙に初めて事務所へ参りまして、私の兄を知っておりますかということでありました。それはあなたのにいさんは知っておる。大阪朝日の記者をしております兄は私は知っております。それの弟だということでありまして、ああそうかということで、今回の総選挙事務所で会ったのが初めてであります。
  24. 世耕弘一

    ○世耕委員長 次にお尋ねいたしますが、三月一日の夜、警察留置場久米敏夫氏と面談したことがあるかどうか、そのときの事情を詳細に述べていただきたいと思います。なおそのときの時刻、房の外であったか内らであったかということをまずお尋ねいたします。
  25. 森達雄

    森参考人 申し上げます。警察取調べを受けまして、その日は八時ごろに取調べが終りまして、房の中へ入りまして早くから寝ておりましたところ、検事の前でも申し上げたと思いますが、ちょうど夜半ごろだったと思うのでありますが、私の寝ております房の中へ久米なる者が入ってきまして、私をたたき起しました。そのときはだれが入ってきたかということは知りませんでして、看守が用事があるのかと思いまして起きますと久米であります。それでお前何しに来たんだ、こう申しますと、今看守に言ってあるからちょっと出てきなさいということでありました。それで何か用件かと思いまして出ていきますと——そのとき看守がおりません。看守があたっておりました火ばちを前にしていすに腰かけておったところが、久米は少しく酒を飲んでおりました。そうして私に、金を渡してある先がわかっておれば連絡しておこうということでありました。それで私はそういう事実はないからありがた迷惑だということで断わりました。その次には私にたばこを出して、のまぬかということで、私も一本もらいましてのみました。そして手帳を出しまして、何かことずけがあればということで、私に何か言え、こういうふうな話がありましたが、何も言うことはない。いつまでおっても仕方ない、早く帰ってくれ、こういうことで私はどうも親切にありがとう。そして私みずから房へ入りまして寝ました。その後は私は存じておりません。ただ房のドアが締ってかぎがかかった音はいたしておりました。
  26. 世耕弘一

    ○世耕委員長 房の外へ連れ出されたときにあなたがだれだということを聞かれたと言われておるが、そのときにわしはだれだれだということを名乗らなかったのですか、連れ出した人が。
  27. 森達雄

    森参考人 それは私はもうすでに選挙事務所久米なる者を知っておりますから、私はだれだということは言いません。ただ寝ておるときに房の中に入ってきてたたき起されたので、だれだというて反間いたしまして私が起きたのであります。
  28. 世耕弘一

    ○世耕委員長 連れ出されたときは久米敏夫君であることを知っておったわけですね。
  29. 森達雄

    森参考人 知っておりました。
  30. 世耕弘一

    ○世耕委員長 たばこをもらってのんだというのは何というたばこだったですか。
  31. 森達雄

    森参考人 光であったと思います。
  32. 世耕弘一

    ○世耕委員長 連れ出された場所はどこなんですか。立って話をした場所は……。
  33. 森達雄

    森参考人 場所は、すぐ房の前に看守場所があるのであります。机を一つ置いてありまして、いすが三脚ほどあります、看守のおる席であります。
  34. 世耕弘一

    ○世耕委員長 そのとき警察官が立ち会いましたか。
  35. 森達雄

    森参考人 警察官はおりませんでした。
  36. 世耕弘一

    ○世耕委員長 その後久米敏夫氏から何か差し入れを受けたことがございますか。
  37. 森達雄

    森参考人 当時は徳島県板野郡東警察署にありまして、徳島東警察署へ移りましてから差し入れ食事が五、六回あったと思います。私が久米に会う前に私が警察取調べ不在の節に来て、雑誌二冊とキャラメルか何か差し入れてあった事実があります。
  38. 世耕弘一

    ○世耕委員長 雑誌名前は、どんな雑誌差し入れてきましたか。
  39. 森達雄

    森参考人 雑誌は一冊は小説倶楽部であったと思うのであります。それと小説新潮であったと思っております。
  40. 世耕弘一

    ○世耕委員長 警察取調ベに対する所感についてお尋ねいたしますが、深夜にお取調べを受けたことがあるかどうか、あるいは食事抜きの長時間の取調べを受けたかどうか。
  41. 森達雄

    森参考人 今の二件ともありません。一番長い時間で十一時ごろまででありました。それと食事につきましては差し入れがありまして、その都度間違いなく差し入れが届いております。
  42. 世耕弘一

    ○世耕委員長 あなたは勾留をされたのが相当長かったように思われます。二十三日間勾留されたように報告があるのですが、その二十三日間に何回くらい取調べを受けたか、その回数と、大体どういう時間に取調べを受けたか、御記憶があれば述べていただきたいと思います。
  43. 森達雄

    森参考人 取調べ回数は二十三日の間で十五回くらいであります。あるいは十六回かもわかりませんが、十五、六回と記憶いたしております。それと、時間は午前と午後に引き続いて調べを受けまして、大てい朝の九時ないしは十時、夜は八時から九時というのが平均した時間であります。
  44. 世耕弘一

    ○世耕委員長 午前と午後に分って取調べを受ける場合に、取調べ官は同一の人間で取調べを受けましたか、それ とも常に午前と午後とは別の人によって取調べを受けましたか。
  45. 森達雄

    森参考人 大てい同一人でありましたが、二、三回人がかわりました。ただ取調べはごく簡単な取調べでありまして、ほとんどは看守巡査付で空白の時間が多かったわけであります。
  46. 世耕弘一

    ○世耕委員長 その他自白を強要されたというような感じを持つようなことはございませんでしたか。
  47. 森達雄

    森参考人 強要というような観念は持っておりませんが、ただ取調べの手段といたしまして、トリック的なことで、私にやったのであろうが、やったなら言って下さいというような程度で、もうすでに関係者は全部自供しておるのだ、あなただけが今一人がんばられてもそれはとうていだめだ、あなたが言われなくとも起訴できるのだから、言われても言われなくても一緒であるけれども、言われた方が立場上いいのじゃないか、こういうふうな態度で臨んだわけであります。
  48. 世耕弘一

    ○世耕委員長 大体私から参考人にお尋ねする要点は済んだと思いますが、なお参考人に申し上げ ます。今まで私がお尋ねしたことであなたが御回答下さったことで何か思い違いとかあるいは訂正したいことがあったら随時訂正していただいてけっこうだと思いますから、御注意までに申し上げておきます。委員長からの森参考人に対するお尋ねする事項は一応これで終ります。  ついては森達雄君に対しての質疑の通告がありますから、委員から補足質問をしていただきたいと思います。まず最初馬場元治君。
  49. 馬場元治

    馬場委員 参考人釈放される場合に、徳島東署長藤山某参考人に何か言ったことがありますか。言ったことがあるとすればその内容を聞きたい。
  50. 森達雄

    森参考人 警察署長から何も言われません。
  51. 馬場元治

    馬場委員 警察署長でなければ署員なりだれなり、あなたに対して釈放の際にどうも事実無根でひどい目にあわせて申しわけなかったと、こういったことを陳謝したような事実はありませんか。
  52. 森達雄

    森参考人 最後に取り調べておりました係の警察官が、長い間御苦労でございましたと、こういう程度の言葉を申しました。
  53. 馬場元治

    馬場委員 それはだれですか。
  54. 森達雄

    森参考人 それは徳島警察本部第一捜査課西尾警部補であります。
  55. 馬場元治

    馬場委員 検察庁取調べを受けたことはありませんか。
  56. 森達雄

    森参考人 検察庁で三回あります。
  57. 馬場元治

    馬場委員 係の検事は……。
  58. 森達雄

    森参考人 植村検事であります。
  59. 馬場元治

    馬場委員 植村検事だけですか。
  60. 森達雄

    森参考人 それと田村検事は、久米なる者が入ってきて私と面接したという事実について聴取しただけであります。
  61. 馬場元治

    馬場委員 主任は植村という検事さんだったわけですね。
  62. 森達雄

    森参考人 さようでございます。
  63. 馬場元治

    馬場委員 検察庁で取り調べた結果は、これは事実無根だということが明白になって、検察庁としては早く釈放するようにということを警察署に忠言をした、こういう事実をあなたは知っていますか。
  64. 森達雄

    森参考人 それは釈放になります一週間くらい前に植村検事からも私に、あなたのことはもう早く帰したらどうかということを警察に言ったんだが、警察は聞かなかったというような、こうしたことを言っておりました。
  65. 馬場元治

    馬場委員 さらに進んで検事が、柏原というのがこれが誣告をやったんだからむしろこれを逮捕すべきだということでその旨を警察に話をしたが一向らちがあかない、こういうような意味の話がありましたか。
  66. 森達雄

    森参考人 お尋ねの意味がちょっとわかりかねるのでありますが、それは私についてでありますか、または検事警察官との間でありますか。
  67. 馬場元治

    馬場委員 検事警察にそういうことを言ったということをあなたは承知しておられるかということです。
  68. 森達雄

    森参考人 それは承知しております。検事が言うておりましたのも承知しております。
  69. 馬場元治

    馬場委員 柏原誣告だから、むしろそれを逮捕すべきものだということを検事警察に言っておった。  この警察取調べを受ける長い間接見は許されておりましたか、たとえば親兄弟であるとか弁護士とか、そういう者との接見は許されておったかどうか。
  70. 森達雄

    森参考人 接見はもちろん禁止でありますし、担当の弁護士に会わしたのが一週間日であります。それ以外にはだれとも会うておりません。
  71. 馬場元治

    馬場委員 そうすると弁護士以外にはだれにも会わせられなかった。しかるに久米が夜中に起しに来ていろいろ話をあなたにしかけた。そのときにあなたはどう考えましたか、久米が会いに来たことをあなたはそのときにどういうふうにおとりになったか、これは親切な人であるとかというふうに考えたのか、どういうふうに考えられたか。
  72. 森達雄

    森参考人 私は当時は二様に考えました。一つは親切できたのかもしれない、あるいはまた警察久米との関係が相当密接であるということを人から聞いておりますので、あるいはうかつなことをしゃべっちゃったら大へんな問題が起きるのじゃないか、こう思いましたので、最初から相手にいたしませんでした。それで先ほど委員長殿にも申し上げましたように、かえって迷惑だからすぐ帰れというような態度に出たのであります。
  73. 馬場元治

    馬場委員 久米が来たのは一度きりですか。
  74. 森達雄

    森参考人 一度きりであります。
  75. 馬場元治

    馬場委員 この柏原というのは何を職業といたしておりますか。
  76. 森達雄

    森参考人 私が聞いておりますのは、下で自分理髪業をやって、上で家内かだれかがパーマネントの営業をしておるようであります。
  77. 馬場元治

    馬場委員 柏原は何か刑事事件で処罰されたことがあるという話をあなたは知っていますか、もし知っておられるとすればその罪名並びに判決、それをお述べ願いたい。
  78. 森達雄

    森参考人 私が約一年くらい前に新聞で承知いたしておりますのは、当時自分が使用しておりました弟子のまだ未成年の女をあるインチキな宿へ連れ込みまして暴力をもって強姦をした、そして傷をつけたということで逮捕になりまして、その刑は一年だか一年半だったと記憶しておりますが、一年半で二年半の執行猶予で出ておる男であります。
  79. 馬場元治

    馬場委員 柏原徳島東署というものには何か特殊な関係があるという事実はお聞きになっておりませんか。特別に親しいとか何か深い関係があるというような事実をお聞きじゃありませんか。
  80. 森達雄

    森参考人 これは人の風評でありますが、柏原という男が——現在山田という姓に変っておりますが、釈放後常に警察官が出入りして散髪をしてもらっておる。それで相当数警察官が出入りしておったようなことを風評で聞いておりますが、私自身はそれを見たこともありません。ただ風評にすぎぬのであります。
  81. 馬場元治

    馬場委員 あなたは家宅捜索をお受けになったようだが、その場所はあなたの自宅ですか。それともそれ以外にあなたの関係において家宅捜索を受けた場所がありますか。
  82. 森達雄

    森参考人 私が逮捕になります前日の二十四日の朝に、現在の生田代議士の宿舎へ私の名前でもって森達雄という肩書きを書きまして、選挙違反の嫌疑による家宅捜索するというような書類で、これはあとで見たのでありますが、警官六、七名が参りまして、当時候補者だった生田代議士の居室を取調べ、あるいは同じ宿に泊っておりますところの、何も関係のない県外客の持ち物並びに名刺、金等取調べをやって引き上げたということを、私は直後に参りまして宿屋の女中、並びに宿泊人から聞きました。
  83. 馬場元治

    馬場委員 あと本件検察庁取調べをいたして、柏原誣告によって本件が誤まって進行せしめられたということで、検察庁関係署を取り調べたことがありますか。もし取り調べたとしたら、その取調べの結果を明瞭にしていただきたい。処分されたものなら、だれがどういう処分を受けたか、その点を明瞭にしていただきたい。
  84. 森達雄

    森参考人 検察庁でその後無実の逮捕事件であるということが判明いたしましてからは、取調べを受けておりません。ただ他の派生した事実について、二回ほど調べられまして、その後久米が監房内に入ってきたという事実について、参考の調書を取られております。
  85. 馬場元治

    馬場委員 私がお尋ねしたいのは、あなたがお取調べを受けたかということもさることながら、それよりも柏原であるとか、あるいは久米であるとか、警察諸君とか、そういったあなた方を調べた、もしくは告訴をした、あるいは警察の中であなた方を引っぱり出して久米といったような、そういう連中が検察庁取調べを受けたか、そういうことを聞きたい。そうしてそれに対する処罰、行政上の処分があれば行政上の処分刑法上の処分があれば刑法上の処分、そういったことを承わりたい。
  86. 森達雄

    森参考人 久米につきましては、家宅侵入罪か何かの罪名でもって、二千五百円の罰金を課したらしいのです。それから署長は訓告を受けております。それから捜査課長も訓戒を受けております。それから私が久米と面接したときに、当時その当直でありました野口という巡査は、一カ月の百分の一の減俸の処分を受けたと聞いております。そのほかは何ら処分を受けたようなことは聞いておりません。
  87. 馬場元治

    馬場委員 その問題の発端になった柏原それがしはそのままですか。
  88. 森達雄

    森参考人 今はそのままであります。
  89. 馬場元治

    馬場委員 これは処分留保のままですか、不起訴になったのですか、御承知ないですか。
  90. 森達雄

    森参考人 私が新聞で承知いたしましたのは、起訴猶予ということに、当時の徳島新聞に書いてあったと思いますが、その後聞いてみますと、やはり保留をしてあるということも聞いておりますが、その事実は判然といたしておりません。
  91. 馬場元治

    馬場委員 これで終ります。
  92. 世耕弘一

  93. 生田宏一

    生田委員 大体馬場先生質問で尽きておりますからいいと思います。
  94. 世耕弘一

    ○世耕委員長 それでは椎名隆君。
  95. 椎名隆

    椎名(隆)委員 私から二、三お尋ねしたいのであります。森さんは今まで選挙運動に携わったことはありますか。
  96. 森達雄

    森参考人 選挙は相当経験者であります。
  97. 椎名隆

    椎名(隆)委員 逮捕状が出たのは二月二十五日だとこう承知しております。どこで一体執行せられたのですか、お宅ですか、信用金庫の事務所ですか。
  98. 森達雄

    森参考人 私は選挙事務所内でやられました。
  99. 椎名隆

    椎名(隆)委員 一番最初警察に行きまして、行ってからどのくらい待たされましたか。
  100. 森達雄

    森参考人 逮捕されましてその日は四時間ぐらいであります。四時間ぐらいいたしまして、午後五時ころに、こういう逮捕状の事実はないか、こういうことで取調べを受けた。それも約一時間です。そのほかは十時近くまでいろいろと他の面を捜査する関係かもしれませんが、看守巡査がつきて添いましただけで、取調べを受けておりません。
  101. 椎名隆

    椎名(隆)委員 今まで森さんは警察署あるいは検察庁取調べを受けたことがありますか。
  102. 森達雄

    森参考人 私は選挙事件関係いたしまして取調べを受けたのはこれが初めてでありまして、他の事件においては一回もありません。
  103. 椎名隆

    椎名(隆)委員 一番最初取調べのときはただその事実があるかないかというだけの取調べ、それでその後相手方が事実を認めているからあなたも早く認めてもらいたいという取調べを受けたのは、何回目くらいからこういうことになりましたか。
  104. 森達雄

    森参考人 そういう取調べの始まったのは翌日の二十六日からであります。
  105. 椎名隆

    椎名(隆)委員 三月二日に、久米が房に入ってきたといいますが、あすこの警察署は一人入るとすぐかぎをかけるという規則になっておりますか、あけっぱなしであったですか。
  106. 森達雄

    森参考人 それは厳重でありまして、常に必ずかけております。
  107. 椎名隆

    椎名(隆)委員 しかしその晩はあなたの房へ入ってきて……。
  108. 世耕弘一

    ○世耕委員長 ちょっと待ってください。御発言のときに記録の便宜上委員長とお呼び願いたいのであります。
  109. 椎名隆

    椎名(隆)委員 寝ているときにあなたの房へ入ってきて、起きろと起されたとおっしゃいましたね。そうするとかぎがかかっていたとすれば、そのかぎはあけたのですか。
  110. 森達雄

    森参考人 それは看守があけたらしいです。それは検事から当夜の野口という看守は相当調べを受けておりまして、自分があけたのだということを自供した、こういうことを聞いております。
  111. 椎名隆

    椎名(隆)委員 そうするとその看守かぎをあけてよそへ出ていってしまったあとで、久米さんとあなたと話をさせるような立場看守がつくったのでしょうか。
  112. 森達雄

    森参考人 私の考えでは今お尋ねのありましたような状態だと思います。
  113. 椎名隆

    椎名(隆)委員 あなたがさっきおっしゃった言葉からいうと、久米さんは今度の選挙で初めて事務所で会った、それの兄さんは知っておる、こういう話だったのですね。そうすると久米さんは同じ町うちなんですから、久米さんのうちわさは聞いて知っていたわけですね。
  114. 森達雄

    森参考人 それは今廃刊になっておりますが、徳島民報社という日刊の新聞がありまして、それの板野郡支局長の職名で久米が板野郡の警察へ常に出入りしておったということは、早くから耳にいたしておりました。
  115. 椎名隆

    椎名(隆)委員 そうすると久米が入ってきた目的というのは、結局あなたに自白せしめようとしたものか、何かほかに親切な心で、雑誌を入れてくれたりあるいはキャラメルを入れてくれたり、今まであなたに対しては何も知らなかったのですが、その目的がどこにあったかはあなたはどういうふうに考えるのですか。
  116. 森達雄

    森参考人 それはやはり私が選挙をやっております下で参謀をしておりました元警察官である男がよく知っておりましたので、いろいろ私の身上の心配もしてくれておりました関係上、久米本人といたしましたならば、警察の事情はよく知っている、期間は何年であったか知りませんけれども、記者として板野郡の東警察署へかなり出入りして、幹部並びに刑事の顔見知りであった、ことに相当の深いつき合いをしておったという関係で、自分が行けばどうでもなるのだろうということで、一つは私にいろいろなことを作用したのであるとは思うのであります。また取調べの経過からいたしましていろいろな疑点がありますのは、あとから参考人が申し上げると思いますが、久米と東の警察署におけるところの関係から推測いたしまして、私もあまり信用ならぬ男でありますから、先ほど申し上げました通りに迷惑だからすぐ帰ってくれということで、あまり相手にしなかったということは、彼の日ごろにおける行動が非常に非人格的な行動をするということを聞いておりましたので、その点につきましては今なおどちらが真相であったかということはちょっと判断いたしかねております。
  117. 椎名隆

    椎名(隆)委員 かぎをあけて出て、看守の席であなたと久米とすわってたばこを一本ちょうだいしたというのですね。それからあなたがもどって房へ入って錠を締めたのはだれが締めたのですか。
  118. 森達雄

    森参考人 私はその当時みぞれが降りましたし寒い晩でありましたので、すぐ房へ帰りまして自分で戸を締めて入りまして、毛布をかぶって寝ました。あとで、四、五分くらいの間看守が出てきておったと思います。そして久米いろいろ話しておったと思います。それも私は入口の方へ足を向けて寝ておりましたので見ておりません。それでごたごた言いよったのが聞えておりました。それからしばらくしてかちんと錠が締まる音も聞いておるのであります。
  119. 椎名隆

    椎名(隆)委員 そうすると森さんは長い間選挙運動に携わったというと、ある程度まで徳島市内における選挙の情勢はわかりますね。ざっくばらんに言って、一体生田さんが警察の通りが悪かったということはなかったでしょうか。もう一つは、警察署長が何党に好意を持っておるか、あるいはだれに好意を持っておるかというようなうわさはどうでありますか。
  120. 森達雄

    森参考人 県下の事情につきましては一応知っておるとは自負はいたしておりますが、当時の警察といたしましても捜査課長の吉川警部は私のかつての軍隊時代の部下でありますし、そう政党政派に片寄ったというようなことは考えておりませんし、また東の警察が自由党にどうだとか、あるいは民主党にどうだとか、社会党にどうだとかいうような、そうした捜査の線は出しておるようには考えておりません。またそういううわさも聞いたこともありません。
  121. 椎名隆

    椎名(隆)委員 それでは私はその程度でけっこうです。
  122. 生田宏一

    生田委員 ちょっとお尋ねしますが、あなたが逮捕せられた容疑について尋問を受けたのは、あなたの勾留期間中何日ぐらいであり、逮捕状以外の事実について尋問追及を受けたのは何日からであったか、それをちょっと……。
  123. 森達雄

    森参考人 お答えします。今問題になっておりますところの不法逮捕の問題外に私が取調べを受けましたのは、逮捕後十二、三日ごろからだったと記憶いたしておりますが、これは問題がそれますが、かつて私が県庁に奉職いたしておりましたときに、友人でありました元知事官房の課長をしておりました森井六郎というのが、現在県庁をやめまして失職いたしておりますので、これが常に選挙が始まったら雇ってくれということを言うて私の事務所へ参っております。よし、それは私も選挙するやらせぬやらわからぬけれども、もしするのだったら君を重要なポストとして働いてもらおうかという約束をしておりました。それが選挙が始まりまして事務所に参りましたので、私は三日目かしらんに金一万円をまあ日当がわり、月給がわりとして、少いけれどもとってくれということで渡したのであります。それが警察逮捕がありましたときに、同じく私の下で参謀をしておりました森野正一というものがいろいろの書きものを持っておりまして、それを押収せられまして、その中に森井六郎という名前が記入されておったようであります。しかもその森井六郎というものはかなり重要なポストであるということで警察官逮捕したということを記憶いたしておるのでありますが、それが大へん気の弱い人間でありまして、二日目に、最初警官の取調べで、お前森から十万円もろうたというが事実かということで追及されたらしいのであります。そうしたらそいつにうまいこと乗りまして、いや十万円てうそです、それは一万円しかもろうておりません、こういうことを自供したのです。そうしたらすぐ警察が、その金はどういうものに支出したか、他にやったか、こういうことを追及せられたのでありますが、このときに、いや私は持って帰って、家内と分けて、私が五千円持っておって、家内に五千円渡した、こういうことを言うたために、すぐ奥さんも逮捕されまして、女のことでありますからすぐしゃべってしまいまして、その金はたんすの引き出しに五千円置いたということを申しましたので、警察官が飛んでいったところが、やはりたんすの中に五千円あったのであります。そこで私に対して、こういう事実がはっきりしているのだから、もう隠す必要はないじゃないかと言いましたが、私は当時、ただ警察官が買収した買収したと言うものですから、決して買収した覚えはないということで相当頑強に否認しましたが、最後に二十三日の日に、警察官がもうはっきりしておるのだからあっさり言うてくれということでありましたので、私はそのときに取調べ室でうどんを一ぱい呼ばれまして、その席であなたは買収やと言うが、買収でないのだ、あの一万円はあなたの方で勘違いしておりはせぬか、私は日当及び車馬賃として渡したのだ、こう申しましたら、その通り調書になって出ておるのであります。そうしてこの事件につきましては現在起訴になっております。それから森という男は、その後ほこりが出るということを考えたのかもしれませんが、私が出まして約一週間おそく逮捕になりましたので、一週間くらい刑務所に入れられまして、二十三日一ばい刑務所におって、帰ってきて相当くやしがっておりましたが、結局逮捕になったのは、森が法律的な用語の間違いでそれは運動の報酬としてもらった、こういうことを言うたのであります。運動の報酬であれば違反になる。ただし私の方は日当として渡した、こういうことで渡してありますので、そこに取り調べた時分に発言した私と相手方の陳述が相当違っておりますために、検事はこれを起訴したものと思っております。
  124. 生田宏一

    生田委員 そうすると、逮捕事実についてはその後追及がないのですか。
  125. 森達雄

    森参考人 その後何にもありません。
  126. 三田村武夫

    ○三田村委員 一、二点参考人にお尋ねしておきてます。今参考人の御陳述を伺っておりまして、どうもふに落ちないところが一、二点あるのであります。久米何がしが留置場に入ってきたときに、その房内には参考人だけでしたか。
  127. 森達雄

    森参考人 六房でございますが、その房にはみな一ぱい詰まっております。みな留置されたいろいろな関係の方がおりました。しかし相当時間もふけておりましたので、私が房から出てみますと、みないびきをかいて寝ておりました。それで久米と私だけがその当時といたしましては話をしておっただけでありまして、看守はおりません。
  128. 三田村武夫

    ○三田村委員 そうすると、参考人は独房におられたのですね。
  129. 森達雄

    森参考人 私一人は独房におりました。
  130. 三田村武夫

    ○三田村委員 留置場の構造がちょっと頭に浮んでこないのですが、そうしますと六つ房があって、あなたはその一つの房におられた。他の房には他の留置人がおられたのですね。あなたは房から出て、房の前の看守巡査のいる火ばちの前で話をされた、こういうことになるのですが、そうするとこの監房に入ってくる前にもう一つ入り口があるでしょう。ここにもかぎがかかっているはずです。このかぎをはずしてあなたは出られたわけですが、あなたが出られてここで話をしておられる間看守巡査はおらなかったわけですね。他の房には留置人が一ぱい入っておるが、看守巡査はここにはおらぬ、こういうことになるのですね。
  131. 森達雄

    森参考人 今お尋ねにありましたように、入口のところから約二メートルくらい入ったところの独房に私はおったわけです。それからずっと第一号から第六号まであるわけです。私の入ったすぐ真正面の房に一人おりました。もちろん、今お尋ねにありました通り、房のもう一つの入口には常にかぎがかかっておる出入りのドアがあります。それをあけて入ってきたわけでありますので、その房のかぎ看守が常に持っておったわけです。他の房には平均四人ぐらい入っておったと思います。
  132. 三田村武夫

    ○三田村委員 そうすると、あなたの入っておった房のかぎ看守があけたのですか、その監房に入っていく入口のかぎもあいたままだったのですね。あいたままでその巡査看守場所を離れておった、つまりあなたと久米何がしが話しておられた間は看守巡査はその場にはおらなかったのですか。
  133. 森達雄

    森参考人 今のお尋ねの通りであります。全部かぎ看守が持っておりますし、二つのドアもあいておりますし、看守もおりませんし、ただ二人がおっただけであります。
  134. 三田村武夫

    ○三田村委員 そうすると、あなたがそのまま房を出て警察の外に出ていこうと思えば、出ていかれる状態だったわけですね。
  135. 森達雄

    森参考人 それは出ていこうと思えばいつでも出ていけます。
  136. 三田村武夫

    ○三田村委員 その点ははっきりいたしました。  そこでもう一点伺いたいのですが、三月一日といいますと、さっきの参考人のお話によりますと、まだ接見禁止中で弁護人にもお会いになっていないのじゃないですか。
  137. 森達雄

    森参考人 お尋ねの通りまだだれにも会っておりませんし、弁護士もまだ何とも返事のないときでありました。
  138. 三田村武夫

    ○三田村委員 参考人のお話を伺っておりますと、社会的地位も相当高いと思いますし、常識もりっぱに備えておる方だと承知いたしますが、そのような環境の中で、逮捕令状を執行して身柄を拘禁されておる現場に、しかも接見禁止処分を受けて、家族の者は言うまでもなく、弁護人すら面接を禁じられておるその環境のもとに、しかも夜おそくとかくのうわさのある久米何がしが酒気を帯びて留置所に入ってきたということについては、先刻お話になったように好意を持っておるのじゃないか、また何らかの他意があるのじゃないかというような疑念のほかに、もう一つ何か深い疑惑がありそうに思われる。相当常識のある者の判断からいたしますと、選挙違反事件ではありますが、逮捕令状の執行を受けて身柄を拘禁されて、家族との接見も禁止され、弁護人との接見すらも禁止されておるその環境から、しかも夜中に房のかぎをあけ、監視巡査もいない、あけっぱなしにして、逃亡しようと思えばいつでも逃亡できそうな状態において房に入ってくるということは、それ自体ただ普通の好意とか悪意とかいう以外に、あなたの常識から判断されますならば、そこにもう少し深い何かがあるという疑惑が起きてくるはずでないかと私は考えるのですが、その点いかがですか。
  139. 森達雄

    森参考人 ただいまお尋ねになりましたことにつきましては、先ほど他の委員にもお答え申した通りですが、常識といたしまして、あの選挙違反は相当重要な刑事事犯でありますが、その人間がおるところへやすやすと近寄せるというようなことにつきまして——これは全貌が明らかになっておりますから申し上げますが、一升買うてきて、その看守でない当直の刑事部長と一ぱいやって、そうして二合ぐらい残っておった酒を持ってきてすべての巡査、晩でありますからすべての巡査といったらおかしいのでありますが、当直の巡査あるいは留置場看守というものに酒を飲まして、そうして全く了解が十二分に成り立った上で私の房をあけさしたということにつきましては、これはどんな関係があるのか知りませんけれども、かなり警察久米なる者は深い関係があるといまだに感じております。
  140. 三田村武夫

    ○三田村委員 私がお伺いしたかったのはその最後にあなたの言われたことで、あなたの常識から判断されますならば、逮捕状を執行されて接見すら禁止されておる、その被拘置人、留置人のところへ夜一人でのこのこ警察官にあらざる者が入ってきたという事実は、これは容易ならぬ事実なんです。だからその事実に関連して、あなたの常識から当然頭に浮んでくることは、この男相当警察と深い関係にあるんだなということだと思うのです。酒を飲ましたという事実はあとからお知りになったんでしょうが、普通の者が一升持っていこうと五升持っていこうと飲みもしないでしょうし、またかぎを渡してくれるわけもない。だからその事実を基礎にしてあなたの常識で判断される場合は、この男警察と相当深い関係にあるんだなということは、あなたもお気づきになったと思うのです。その点はいかがですか。
  141. 森達雄

    森参考人 今お尋ねのありました通り、私も相当深い交際があるように考えております。
  142. 三田村武夫

    ○三田村委員 済みました。
  143. 世耕弘一

    ○世耕委員長 田中君。
  144. 田中幾三郎

    ○田中(幾)委員 あなたは事実無根ということがわかって、二十数日間拘禁されて、そのままのことで済んでしまえば泣き寝入りということになるのですが、あなたを逮捕することになった原因柏原義明の投書によってあなたが逮捕されたということをいつ知りましたか。
  145. 森達雄

    森参考人 それは釈放後です。釈放後、この事実というものが一体どんなことから起きたかということを人に聞きましたときに、ただいま申しました理髪屋の柏原という者が中に介在して警察に虚構な情報を提供した、警察がそれに乗った、そして逮捕状を発行した、こういうような順序になっておることを承知いたしております。
  146. 田中幾三郎

    ○田中(幾)委員 そうすると、あなたを逮捕して取調べにかかったときに、何かほかでこういう証拠がある、ああいう証拠があるということをあなたの方に示されましたか。
  147. 森達雄

    森参考人 お答えします。それはここへ参っております橘君からもあとからお話があると思いますが、私には翌日取調べのときに、森さん、なんぼ隠してもあかんぜ、そこへ生田代議士の名刺と、市長に出ておりました山本氏の名刺と、自由党の県の元幹事長をしておりました太田氏の名刺と私の名刺とが橘の家の便所の中から出てきた、それから活動の入場券が十四、五枚出てきた、明らかにあんたは生田候補者の代理人として橘の家へ出入りしているじゃないか。私の名刺はありましたかと言うと、おまはんのことだから名刺は使うとらへん、それは生田はんの名刺をおまはんがかわりに持って橘の家を訪れている、だから当時としては金を渡したことも間違いないだろう、そのときに一緒に持っていって渡したんじゃないかということで、向うから問うてきたわけであります。
  148. 田中幾三郎

    ○田中(幾)委員 あなたはそれを否認したんでしょうね。
  149. 森達雄

    森参考人 はい、しました。
  150. 田中幾三郎

    ○田中(幾)委員 これはあなたがあとで聞いたというのですが、投書はいつあったということを聞きませんでしたか。あとでもよろしいが、何日ごろの投書でありますか。
  151. 森達雄

    森参考人 あとで聞いたのでありますが、投書じゃなくして、先ほどお答えいたしました通りに、これは私の考えであり、また世間もそういうふうに言うておるのですが、柏原は散髪屋でありますが、相当数が柏原のうちへ行って散髪してもらいよった、そのことからそこへ出入りしておった刑事が柏原からそういうふうな情報の提供を受けて、それを第一線の刑事がでっち上げたのである、それで当時警察の上司も第一線の刑事の言を信用して、また周囲におります相当幹部の警察官もいろいろと相談にあずかったんじゃないか、ほんなら、これ間違いない、やれということで、相手が常に出入りしております柏原の言でありますから、あまり内容を深く検討せずしてすぐ乗ってきてたというふうに世間でも言うておりますし、私は現在もそういうふうに考えております。それは投書でなくして、警察官が情報を受けて、その当時の一線の刑事がこしらえたように記憶いたしております。
  152. 生田宏一

    生田委員 今のことでお尋ねしたいのですが、山本警察本部長が、事件新聞等で全部明るくなった、その後に警察本部自体としてもその真相を公表しなければならなくなった、そういう状態になってきたので、新聞記者に事件のてんまつを語っているのですが、県議会でもそういうことを報告しておるのですが、それによると、柏原警察へ言ってきたのは二月二十一日に言ってきた。そうして森達雄亀田昇が橘の家に行って金を十万円渡した。二十七日になると柏原にそのうちから二万円橘から渡すことになっておる、そういうことを柏原が言ってきたので、選挙の投票が二十七日に行われますが、投票が終るまで待てば柏原も二万円を橘からもらうことになるので、せっかく警察に好意を示してくれた柏原を買収の選挙違反に問わなければならなくなる。それでこのことはかわいそうなので、選挙前ではあるけれども至急に着手しようじゃないかということで、二十一日に柏原が言ってきたのを二十三日に柏原東署に呼んで、そうして柏原の供述書を取って、それを基礎に橘君なり森君なり亀田君の逮捕状の請求をする、こういうことで事件が始まったのである、こういうように山本本部長が公表しておるのですが、私はその事実を見てみると、もし柏原を犯罪人とすることが困るというのであるならば、柏原警察へ情報を提供してきた男ですから、警察が真に柏原に対してその身をかばってやるならば、あるいは橘君と二万円もらう約束をしたかもしれねが、それは絶対にもらっては相ならぬぞということを本人に言うてやれる立場警察はおるわけですから、何も二十七日まで犯罪が起るのを手をこまねいて待っておる必要はないのです。そこらに私はこの事件を起した動機について大きな疑問があるわけです。そこで私は率直にあなたに聞きたいのですが、橘君とあなたとは面識もない。また柏原とも面識がない。そうして選挙についてそういう相談をしたことはない。しかもそれをあるがごとくに柏原が情報を提供した。しかも警察の扱いとしてはいろいろ扱い方があるにかかわらず、二十七日の選挙投票が済むまで待てば、二万円柏原が橘からもらって犯罪人になるということがたった一つの理由で、選挙投票前の二十四日にあわててこれを着手しておるということは、むしろこの事件、私はもっと気を悪くして考えるならば、おとりの事件としてこれを考えてみるならば、むしろつじつまが合うのではないか、こう思うのです。柏原警察のだれか一線の刑事との間に特殊の交友関係があって、そうして一つのおとりの情報を提供したかのごとくに私は思えてならぬのですが、あなたはそういうようなお感じを持ったことがございますか。もしそれについてお考えがあるならば率直に一つ聞かしてもらいたい、こう思います。
  153. 森達雄

    森参考人 私は案外ぼうっとしておりますので、そういう深いことを探索したことはありませんのですが、ただ世間ではかなり刑事と柏原との間にいろいろおなご出入りの関係があるとか、あるいはおなごを世話してもらうとかいうようなことで風評は立っておりますが、その事実について私は確かめもいたしておりませず、またそれのなにを突きとめたこともございません。これはただ単なるうわさにすぎませんが、かなり広く世間の人に、柏原を中心にする警察間とのスキャンダルが飛んでおることは事実であります。
  154. 世耕弘一

    ○世耕委員長 御質疑がなければ、次に橘基一君に参考人としてお尋ねいたしたいと思います。なお、森達雄君には長時間御苦労でございました。あなたに対するお尋ねはこれをもって終了いたしました。  それでは引き続いて橘参考人にお尋ねいたすことにいたしますが、まず最初にあなたの住所、氏名、年令等について供述をお願いいたします。
  155. 橘基一

    ○橘参考人 徳島伊月町二丁目十六番地、四十三才、橘基一
  156. 世耕弘一

    ○世耕委員長 なお橘参考人にお願いしておきますが、御発言の際には委員長を呼んで御発言をお願いいたします。  それでは順次お尋ねすることにいたしますが、今次の総選挙においてあなたの違反容疑の事実の問題、どういうような状況で取調べを受けたか、簡単に御説明を願います。
  157. 橘基一

    ○橘参考人 二月二十四日の朝六時ごろに私の家へ、私がまだやすんでおりますときに、警察の方から参りまして、そうして私に逮捕状を出しました。その逮捕状の内容は、生田派の運動員であるところの森達雄氏が二月二十一日に私のところへ参りまして、そうして私がその十万円を私の家の裏座敷で受け取ったという容疑でございました。それでそのとき私は森達雄氏とは全然面識がない、従ってこういう事実がないということは申し述べました。しかしながら、いかに私がそこで申し述べましても、これはやむを得ないので、出るところへ出てこの黒白を争いましょうといって、自動車で警察当局の方へ参りました。そうして向うへ参りましてすぐに、二十四日の午前七時、八時ごろになりまして、直ちに取調べを開始されました。そうして警察の方のお調べは、お前のことで森達雄がこうこう言っている事実がある、だからそれをすみやかに白状してくれないかと言われましたのですけれども、私は身に覚えのないことを、うそを申し上げることはできないといって、二十四日は正面衝突をいたしました。そのときに、いろいろな取調べの方法でもって、あらゆる事実があるのだから、絶対間違いないのだからという方法でもって来られましたけれども、私は身に覚えないことですから、まっこうからこれを否認いたしましたときに、一言私は警察当局の方に申し述べました。と申しますのは、私が白と申しますし、警察当局の方は黒と申しますけれども、私は身に覚えないことです。かりにまたこの問題が身に覚えあるとか、覚えないとかいうことは別問題といたしましても、最終の裁判が決定されるまで、私は一容疑者である。だから私を取調べるに際して、犯人として取り調べられては困る。私はどこまでも潔白である。しかしながら、これは一応ここで言っても水かけ論になる。私は最終裁判まで行くつもりだ。だからその裁判が済むまでは、私は犯人じゃないはずです。一容疑者であるがゆえに、犯人としてお取調べをされては困るということを、私は一言そのときに申し述べました。そうしますと、警察の御当局の御答弁としても、それは橘の言う通りである、そういうことはしないからと言って、お取調べをせられました。そうして、その翌日になりますと、やはり前日の通りいろいろなことになるのですが、そのときに、直接森氏との関係を私はこう申しましたのです。この問題を、かりに私の言う通りしてくれないか、そうすればこの問題はすぐ解決つく。私であったら、一時間か半時間で解決つけてしまうからと申しました。と申しますのは、戸別訪問でも、知らないところへは訪問しないはずである。かりそめにも十万円という大金を取引するのに対しては、お互いが友達であれば兄弟以上の親しき仲である。しかるがゆえに、森達雄氏とこの橘とが、過去何十年の間に一度でも面識があるかないか、橘の友だちと森達雄氏の友だちを調べてくれないかということを申し述べました。そして調べました間に、森達雄氏と橘とが面識があるというような人間が一人でも出て来ましたら、ここへ連れてきてください、対決をして、私の言が間違いならば、私は腹でも切って警察の御当局におわびをいたしましょう。第二点は、森達雄氏が私の家へ来て二月二十一日金を渡したという以上、私の家のどこに火鉢が置いてあるか御承知のはずである。座敷に来て渡した以上。そうすれば森達雄氏に私の家の構造を直接書かしてくださらぬか。そうして私と対決さしてください。その時分には警察の方が全部御列席願った上で対決さしてください。そうすれば問題は早く解決がつくじゃないか、と申しましたところ、警察官のお答えは、橘そう言ってもだめなんだ。森達雄だけじゃない。何人も君のところへ行っているんだ。その全部の人間が君のところのたんすの置き場所、洋服たんすの置き場所を知ってるんだ、と申される。そういう確たる証拠があるんだから、と申されましたので、私は、そうすれば森達雄氏以外に何人も来たんですか、と言ったら、何人も来ている。私の方は、森達雄氏以外に何人も来ているならば、なお私とすればけっこうです。なぜかといえば、事実私の家へ来ていないのに、私の家の構造を書けるはずがない。森達雄氏以外に何人も来ているというなら、その人に書かせれば、けつの割れるのは先方からだと申しました。
  158. 世耕弘一

    ○世耕委員長 ちょっと参考人に申しますが、その程度で次にまたお尋ねしますから、次に移ります。逮捕の日と時刻、逮捕状にどういう理由が付せられておったか。それと勾留の日と釈放の日。御記憶があったら、簡単に御説明を願いたい。
  159. 橘基一

    ○橘参考人 逮捕は二月二十四日の午前六時ごろであったと思います。逮捕の内容は、生田派の運動員である森達雄が、私の家の裏座敷で二月二十一日私に金十万円渡し、私が受領したという容疑でございます。釈放は三月十一日の午後三時ごろであったと思います。逮捕されてから釈放まで十六日目でございます。
  160. 世耕弘一

    ○世耕委員長 次にお尋ねしますが、警察取調べの結果はどうなったのです。
  161. 橘基一

    ○橘参考人 三月十一日の三時ごろ、署長室におきまして、橘、長い間御苦労であった。君に迷惑をかけて済まなかった。きょうはこれで帰ってくれ。私の方の間違いであったと言って、署長は私にあやまりました。そこで私はそのまま帰りました。
  162. 世耕弘一

    ○世耕委員長 その後取調ベを受けておりませんか。
  163. 橘基一

    ○橘参考人 その後現在まで全然ありません。
  164. 世耕弘一

    ○世耕委員長 次にお尋ねいたしますが、検察庁では、むしろ柏原義明というのが情報提供者だと言われているようだが、この情報提供者たる柏原義明誣告で取り調べるべきであるとの意見を漏らしたということを言われているのですが、これを聞いたことはございませんか。
  165. 橘基一

    ○橘参考人 私の意見としてですか。
  166. 世耕弘一

    ○世耕委員長 いや、検察庁で、むしろ情報提供者である柏原義明誣告罪で取り調べるべきであるという意見を述べられたということを、聞いたことがないかというのです。
  167. 橘基一

    ○橘参考人 柏原義明なる人が、私の取調べ中に出てきましたのは、私が逮捕されてから約一週間過ぎてからです。ただそのときに、柏原という人間の性質とか、私とどういう交わりであるかということを聞かれました。その後私が検察庁でお取調べを受けたときにも、柏原との関係柏原の性質を聞かれました。そして私が今申しました三月十一日に出て、柏原がここにうその事件をでっち上げたということを、初めて私は聞きました。それで私の取調べの間において、柏原がどういうふうにその事件に介在したかということを、柏原名前が出て来ましたので、察しましたけれども、柏原がでっち上げた事件は、私が出て以後に聞きました問題であります。
  168. 世耕弘一

    ○世耕委員長 次に橘君にお尋ねいたしますが、あなたの逮捕勾留は、警察柏原何がしなる者のから情報に踊らされたのだという結論が出てくるのだが、あなたはさように信じますか。
  169. 橘基一

    ○橘参考人 柏原義明なる者のでっち上げた事件というて、この事件ができ上ったということは、法務省において見解を発表せられましたので、私は一応、柏原なる者がここに事件をでっち上げたということは信じます。しかしながら、先ほどこの事件柏原警察とのうわさが妙に立っておるということを森さんもおっしゃられましたが、私もその事件は耳にしております。それで、果してどこまでがこの問題の真相であるかということは、いまのところ私としてはわからないわけです。
  170. 世耕弘一

    ○世耕委員長 わかりました。なお、橘参考人に申しますが、あなたの御発言中のいろいろな問題は、当委員会において参考として御意見を承わっているんですから、あなたの責任にかかわるような問題が起らないわけなんです。それでどうぞ率直に感じたままを御説明願いたいと思います。  なおお尋ねいたしますが、あなたはずいぶん妙な容疑で警察へ十六日間も勾留されてまことにお気の毒な結果を生んだということになるのですが、本来ならばこの警察の処置に対して抗議し、相当な手続をとらなくちゃならぬだろうと思うが、こういう点について法律家と相談して手続きをおとりになりましたか。
  171. 橘基一

    ○橘参考人 私がいかにするかというお尋でありましたが、私は一応この法務委員会の結論を待ってみてからにいたしたい、そうして弁護士と相談してみたいと思います。
  172. 世耕弘一

    ○世耕委員長 なお念のためにお尋ねいたしておきますが、警察でなりあるいは検察庁柏原義明とあなたは対質取調べられたことがありますか。
  173. 橘基一

    ○橘参考人 私が二月二十四日に逮捕されて三月十一日に釈放されるまでの間に第三者と会ったことは全然ありません。
  174. 世耕弘一

    ○世耕委員長 警察の上司はあなたの保釈後、所轄警察の捜査責任者に対して何か適当な処置をしたことを御存じですか。御存じでしたらこの際お話を願いたいと思います。
  175. 橘基一

    ○橘参考人 ただ私は逮捕されまして、そうしてその十六日間に担当の係長に調べられましたので、どういう処置を警察がとられたかということは全然わかりません。
  176. 世耕弘一

    ○世耕委員長 柏原義明に対する誣告容疑事件はその後どうなったか御存じございませんか。
  177. 橘基一

    ○橘参考人 柏原義明に対して誣告がどうなったかというのは、現在まで私どもの方に対しては何も通知もなし、また発表もないのでありまして、わかりません。
  178. 世耕弘一

    ○世耕委員長 さらに補足して参考人にお尋ねいたしますが、警察取調べに対する感想、たとえば深夜の取調ベを受けたとか、あるいは食事抜きの長時間の取調べを受けておったのでなかったかどうかということ、自白の強要を受けたような感じはしなかったかどうか、並びに十六日間に何回取調べられたか、こういう点について御記憶があれば御説明願いたいと思います。
  179. 橘基一

    ○橘参考人 私が逮捕されて釈放されるまでの十六日間、私に対しまして自白の強要とか私の人権を侵害するような取調べを受けたことは全然ありません。かえって私を無実の罪で逮捕したという問題と別個に、取調べそれ自体におきましては私は基本人権を認められ、しごく丁寧であったのは事実です。終戦前は取調べが相当であったと聞いておりますけれども、今日の私を取調べ警察官のその態度と比較いたしましたときには、そこに非常な差がありまして、かく基本人権を認められたということは国民としても喜ばしいようになったのじゃないかと思います。また何回取調べを受けたかというお尋ねでありますが、これは十六日間に十五日は毎日受けました。ただし十五日の日はもうほとんど取調べという取調べはありませんでした。ただ十四日間というものは取調べを受けた次第であります。それが回数にするならば日に二回のときもあり、三回のときもありあるいは四回のときもあった。回数とすればちょっとわかりかねるのですが、毎日受けたことは事実であります。
  180. 世耕弘一

    ○世耕委員長 橘基一君に対する質疑はございませんか。——なければ午前中の調査はこの程度にとどめ、午後二時まで休憩いたします。     午後零時五十六分休憩      ————◇—————     午後二時三十七分開議
  181. 世耕弘一

    ○世耕委員長 それではこれより法務委員会を開会いたします。  調査を続行いたします。まず参考人として亀田昇君より実情を聴取いたすことにいたします。職業年令住所等についてお述べ願います。亀田君。
  182. 亀田昇

    亀田参考人 亀田昇、毎日新聞広告徳島取扱所員、四十七才、徳島県板野郡北島町大字中村。
  183. 世耕弘一

    ○世耕委員長 亀田昇君にお尋ねいたしますが、今次の選挙に関しまして、あなたは警察でお取調べをお受けになったことがあるかどうか。もしあったとしたなれば、その容疑の内容並びに警察取調ベを受けた結果はどうであったか、並びに逮捕勾留の年月日等について御記憶の点を御説明願いたいと思います。
  184. 亀田昇

    亀田参考人 逮捕は三十年の二月二十四日午前六時、釈放は同年の三月十八日午後五時ごろであったと思います。その間二十三日であります。
  185. 世耕弘一

    ○世耕委員長 参考人にお尋ねいたしますが、逮捕勾留されるに至った容疑内容の理由は何でありますか。
  186. 亀田昇

    亀田参考人 逮捕状の内容は、二月二十七日行われる衆議院議員選挙において、生田宏一候補者の運動員になって、森達雄参謀と共謀の上、徳島伊月町三丁目橘基一氏方裏座敷において、現金数十万円を授受した疑いによる、これが逮捕状の内容であります。
  187. 世耕弘一

    ○世耕委員長 お尋ねいたしますが、あなたは柏原義明という人と御交際がございますか。
  188. 亀田昇

    亀田参考人 柏原義明は、私が広告の方をやっておりますために、開業した当時に広告をちょうだいしました。その金二万円が、幾ら待っても未入になっておりますので、しばしばそこに催促に行っておりました。その間に親しくなりまして、散髪にも時折参っておりました。
  189. 世耕弘一

    ○世耕委員長 次にお尋ねいたしますが、橘基一という方との交際関係はいかがでございますか。
  190. 亀田昇

    亀田参考人 全然ありません。
  191. 世耕弘一

    ○世耕委員長 次に久米敏夫さんとの関係はございますか。
  192. 亀田昇

    亀田参考人 ただ彼は日刊新聞をやっております関係上、道でしばしば会う程度でありまして、深い交際はいたしておりません。その程度であります。
  193. 世耕弘一

    ○世耕委員長 次にお尋ねいたしますが、三月六日ないし八日ごろの夜十時ごろ、正規の取調べ後、留置場へ帰って間もなく、再び警察署長室へ呼び出されたことがございますか。
  194. 亀田昇

    亀田参考人 あります。
  195. 世耕弘一

    ○世耕委員長 そのときの事情を御記憶があれば、この際御説明を願いたいのであります。御参考までに申し上げますが、署長室へ行ったときにだれかいましたか。
  196. 亀田昇

    亀田参考人 はい、署長室には、署長、吉川係長、久米の三人がおりました。
  197. 世耕弘一

    ○世耕委員長 次にお尋ねいたしますが、署長室へ入って、最初にあなたと面談した方はどなたでありますか。
  198. 亀田昇

    亀田参考人 久米であります。
  199. 世耕弘一

    ○世耕委員長 次にお尋ねいたしますが、面談中、後にその部屋へ入ってきた人がございますか。
  200. 亀田昇

    亀田参考人 ありません。
  201. 世耕弘一

    ○世耕委員長 面談の内容は御記憶ございますか。
  202. 亀田昇

    亀田参考人 面談の内容は、いきなり第一参考人でありました森達雄から、金を幾らもらったか、こういうような第一声でありました。
  203. 世耕弘一

    ○世耕委員長 その次には……。
  204. 亀田昇

    亀田参考人 それで黙っておりますと、さらに二回、三回と追及して参りました。それで私が、お前に問われる必要はない、警察官なればやむを得ないが、君に問われる必要はない、こう突き返しました。ところがあえて、お前が白状すれば、署長に願って放釈してもらってやる、こういうような言葉もありました。
  205. 世耕弘一

    ○世耕委員長 それは久米敏夫がそばにいて言うたのでございますね。
  206. 亀田昇

    亀田参考人 そうでございます。そしてその次に、まんじゅうを食え、たばこをのめと、私の前にまんじゅうを突き出しました。それで私はまんじゅう一つとピース二本をいただきました。
  207. 世耕弘一

    ○世耕委員長 次にお尋ねしますが、その面談時間はおよそどれくらいの時間でございましたか。
  208. 亀田昇

    亀田参考人 はっきりいたしませんが、十分内外であったと記憶いたしております。
  209. 世耕弘一

    ○世耕委員長 次にお尋ねいたしますが、その十分内外の対談の中で署長は何か発言しましたか。
  210. 亀田昇

    亀田参考人 久米が私に対しまして再三、森から幾らもらったか、森から幾らもらったかとしつこく聞くものですから、私はある程度やけくそになりまして、五万円もろうたと大きな声で突き返しました。そうすると久米は、その金をどこへやったか、こう発言がありました。そのときに署長が初めて、待てと、こう言って制止しました。これで面会は終ったのであります。
  211. 世耕弘一

    ○世耕委員長 面談の目的、理由についてあなたは警察の説明を求めましたか。
  212. 亀田昇

    亀田参考人 求めたことはありません。
  213. 世耕弘一

    ○世耕委員長 あなたは警察取調べに対してどういうふうにお考えになりますか。
  214. 亀田昇

    亀田参考人 一つ申し上げたいことは、全般的に見まして、二十三日間——私も初めてのことでございまして、前はこうだ、今はこうだと比較する何はございませんが、初めて入って感じましたことは、そうここで取り上げてどうこうということはございません。しかしながら同じことを、金をやったか、もろうたかとか、あるいは橘を知っておるかとか、全然知らないことを毎日々々朝から晩まで追及されまして、それに知らぬ存ぜぬで、私は隠すことなく正直に申し上げておるのにもかかわらず、毎日々々つっ込んでくる。二日三日同じ問題で追及して、おそくも五日くらいすれば、大体これは白か黒かということがおわかりにならなくちゃならない、私はかように思うのであります。今後のためにもう少し白黒のつけ方をはっきりすれば、もしこれが五日内外ではっきりしたものでありましたら、不要な勾留もなかったでありましょう。特に私はその日働いてその日食っておるものでございます。五日間ならば経済的にも影響はございません。しかし二十三日間留置されますと、経済的に大きな影響があります。それで今後取調べ官に対しましては、もう少し目先の見える方を教育していただきたい、こういうふうに存じております。
  215. 世耕弘一

    ○世耕委員長 釈放されるときに、何か警察側があなたに対して話がございましたか。
  216. 亀田昇

    亀田参考人 警察側から、御苦労様でした。私はそのときに、きょう釈放されまして私はうれしいのでありますが、何のために逮捕されたか、私はうれしい反面において何かはっきりしないものがある。署長さん、お差しつかえなかったならばお教えください。しかし秘密なればこれはやむを得ません。こう申し上げました。ところが署長いわく、橘君に対して気の毒でな。これが私の問いに対する答えでございました。それで私は礼を言って退出しました。
  217. 世耕弘一

    ○世耕委員長 次にお尋ねいたしますが、久米敏夫氏が署長室にいて、署長と一緒に夜十時ごろあなたを呼び出して、いろいろな発言をしたということに対して、あなたはどういうふうに思われますか。
  218. 亀田昇

    亀田参考人 その当時は、ただ事件を早く解決していただきたい、これ一ぱいでありましたので、別にそういうことも考えなかったのでありますが、釈放後じっと考えてみますと、どうしてもこれは警察の手では白黒がつかない。それで久米亀田を知ってい関係上、もし久米が発言して亀田が白状すれば、これは成功だ、こういうふうな材料に使ったのじゃないかと考えたこともございました。
  219. 世耕弘一

    ○世耕委員長 久米敏夫はそのとき酒気を帯びておりませんでしたか。
  220. 亀田昇

    亀田参考人 私はにおいははっきりしなかったのでありますが、顔はふだんから赤いのでありますが、少々飲んでおったような気もいたします。
  221. 世耕弘一

    ○世耕委員長 最後にお尋ねしておきますが、森達雄橘基一、両氏とあなたとの関係はいかがでありますか。
  222. 亀田昇

    亀田参考人 全然ありません。
  223. 世耕弘一

    ○世耕委員長 委員長からお尋ねすることは一応終ったのでありますが、委員諸君からどうぞ補足質疑がございましたら、御質疑をお願いしたいと思います。古島義英君。
  224. 古島義英

    ○古島委員 あなたが逮捕されたことはきわめて重大なことですが、逮捕されてから初めて調書をこしらえるときまで、何日かかりましたか。
  225. 亀田昇

    亀田参考人 二日間であります。
  226. 古島義英

    ○古島委員 二日目には調書ができたわけですね。二日目にやって、署長室へ呼ばれたのはそれから何日ぐらいたっておりますか。
  227. 亀田昇

    亀田参考人 三月の初めですから、一週間ぐらいではなかったかと思います。
  228. 古島義英

    ○古島委員 そうすると調書ができた後に署長の部屋に呼ばれたわけですか。
  229. 亀田昇

    亀田参考人 そうなんでございます。
  230. 古島義英

    ○古島委員 その後調書をこしらえましたか。
  231. 亀田昇

    亀田参考人 その後調書は全然作らずに毎日々々、もろうたであろう、やったであろうということばかりでありました。そして一番最後に君は白になったのだからもう一回調書をとる、こういう話でありました。私は逮捕された翌日申したことと同じでありますからそれをごらん下さいと言ったら、それはいかぬ、それはそれ、これはこれだといって同じものをとりました。
  232. 古島義英

    ○古島委員 あなたは新聞に御関係のある方だから、警察が二日はとめておけるが、その後は判事の勾留状によって十日勾留される、その十日目に今度は蒸し返して十日だけ更新されたということを御承知でしょうね。
  233. 亀田昇

    亀田参考人 ええ。
  234. 古島義英

    ○古島委員 初めの間は二十三日とめておかれたとあなた言われました。一日だけ不当勾留があるのじゃないですか。二十二日は置けるわけですね。
  235. 亀田昇

    亀田参考人 二十四日から三月の十八日……。
  236. 古島義英

    ○古島委員 そうすると二十三日ではありませんか。二十二日目の晩に出されたわけですね。
  237. 亀田昇

    亀田参考人 それは私の誤まりでございました。
  238. 古島義英

    ○古島委員 それから署長室でたばこをごちそうになったり、まんじゅうをごちそうになった、それはだれのごちそうだと思っておりますか。
  239. 亀田昇

    亀田参考人 それは久米という人間から私にごちそうしてくれたものだと思います。
  240. 古島義英

    ○古島委員 そうすると久米があなたに自白を強いておったわけですね。
  241. 亀田昇

    亀田参考人 そういうことになります。
  242. 古島義英

    ○古島委員 久米、その男がごちそうしたわけですね。そうして久米にごちそうになった以後は、調書を作りませんで聞きっぱなしですね。
  243. 亀田昇

    亀田参考人 そうであります。それから一番最後に、君は白になったからきょうは調書を作るというまでは作りませんでした。
  244. 古島義英

    ○古島委員 結局逮捕されて二日目に調書をこしらえて、そのまま間歇的に取調べを受けて、署長の部屋に署長が呼んでごちそうになって、そのまま調書も作らず二日目の調書が生きておるわけですね。
  245. 亀田昇

    亀田参考人 そうでございます。
  246. 世耕弘一

    ○世耕委員長 ほかに質疑はありませんか。生田君。
  247. 生田宏一

    生田委員 ちょっとお尋ねしておきますが、署長室で調べられたときに署長は同席しておったのですから、久米をしてあなたに自白を強要せしめるということは、もちろん署長は目前におってこれを認めておる態度であったのでしょうね。
  248. 亀田昇

    亀田参考人 あのときの私の感じはさように考えました。
  249. 世耕弘一

    ○世耕委員長 椎名隆君。
  250. 椎名隆

    椎名(隆)委員 ちょっとお尋ねしますが、あなたは房にいたのでしょうね。そして署長室へ迎えに来た。その迎えに来たときに何と言って迎えに来たのだろうか。おまわりさんか看守か、いずれかがあなたを迎えに来るのだろうが、迎えに来てかぎをあけるときに何と言ってきたか。署長が呼んでおるとか、取調べの要があるとか、あるいはだれか用があるといって、看守かぎをあけるときに何か言うたでしょう。
  251. 亀田昇

    亀田参考人 看守があけた場合に、お前は何と感じたかというのですか。
  252. 椎名隆

    椎名(隆)委員 いや、その看守が、だれか用があると言って迎えに来たのですか。
  253. 亀田昇

    亀田参考人 出てこいと言いました。どこへ行くかわからなかった。そこであとからついていきますと署長室に入ったのであります。
  254. 椎名隆

    椎名(隆)委員 次に署長室に入ったわけですね。
  255. 亀田昇

    亀田参考人 はい。
  256. 椎名隆

    椎名(隆)委員 それであなたは今ビールをごちそうになったというようなことを言ったようですが、このビールをごちそうになったのは久米からごちそうになったと思うというのですか。
  257. 亀田昇

    亀田参考人 ビールではありません。ピースであります。たばこであります。
  258. 椎名隆

    椎名(隆)委員 ピースをごちそうになったのですか。それは久米が持っていたのを出してくれたのですね。
  259. 亀田昇

    亀田参考人 そうです、ポケットから出した。私どもにまんじゅう約百円ばかりのものを……。
  260. 椎名隆

    椎名(隆)委員 そこの部屋には十分間ぐらいいたとおっしゃいましたが、その十分間くらいのうちで、あなたとそれから久米との間の押し問答だけで、署長は一番最後にあなたにはどういうことをおっしゃったのですか。
  261. 亀田昇

    亀田参考人 もうこれでやめぬか。久米がその金をどこへやったんかと言い出したなれば署長は制止して、そうしてこちらにおります吉川係長に目で知らせまして、もうこれくらいでおこうじゃないかというような表情で、私はまた留置場の方へ行きました。
  262. 椎名隆

    椎名(隆)委員 そうすると久米署長の了解のもとにあなたを取調べしたわけですね。
  263. 亀田昇

    亀田参考人 あのときの状況から直感したところでは、さように考えました。
  264. 椎名隆

    椎名(隆)委員 最後に署長はもうやめぬかと言う、その間に署長は一ぺんも座を立ったこともない、つまりその部屋から出たことはなかったのですか。あなたが出てくるまで、終始あなたと久米署長と三人でいたわけですね。
  265. 亀田昇

    亀田参考人 そうです。
  266. 椎名隆

    椎名(隆)委員 一つざっくばらんに話してもらいたいと思うのですがね。選挙にあなたは今まで携わったことがありますか。
  267. 亀田昇

    亀田参考人 ありません。
  268. 椎名隆

    椎名(隆)委員 ざっくばらんに一つおっしゃってもらいたいと思うのですが、徳島では生田さんが立候補したことについて生田さんを落選せしめたい、落さねばいかぬというような、何か警察にそういう空気がっあたんでしょうか、なかったんでしょうか。
  269. 亀田昇

    亀田参考人 私はただいま申し上げましたように選挙ということには若干興味は持っておりまするが、そういうことを今までやったことはございません。従いまして警察生田さんは私には関係がないものと私はふだんから考えておったぐらいでありまして、警察の内部がどうだこうだということ、むろん署長さんも刑事の方も私はだれ一人として知っている者はなかったのでございます。それくらいのことでありますので、実際この問題について政治色があるとかないとかいうことは、ちょっと私にはわかりかねるのでございます。
  270. 椎名隆

    椎名(隆)委員 亀田さんは新聞記者でしょう。そこで少くとも警察あたりの空気がどっちの方に向いているかというようなことがわからぬようなことはないと思うが、そんなことを参考人として言ってあと警察からにらまれたら大へんだというようなそんな考えは抜きにして厳正公平な立場から……。
  271. 亀田昇

    亀田参考人 いえ、そうじゃありません。
  272. 椎名隆

    椎名(隆)委員 何ら警察関係のない立場久米署長室へ入って、しかもあなたを取り調べるがごとき態度をとったということについて一体どういうふうにお考えになりましたか。久米に対するお考え、並びに署長は取り調べるとするならば自分自身が取調べしなければならないにもかかわらず、赤の他人の何らの関係のない久米警察官にかわってあなたを取り調べるというような態度について、署長に対する考え、久米に対する考えはどうですか。
  273. 亀田昇

    亀田参考人 それは前申し上げました通り、面会した直感は、どうしても警察の方では黒になるらしいという状況になってきたのではないか、そのときの警察の空気はわかりませんけれども、たまたま署長久米とは知り合いの仲らしいのでございます。それで久米署長が話をして、亀田が入っておると言われたことから、久米署長の間に話ができ上ったもんじゃないかと思います。なお面会した直感は先ほどの通りでございまして、久米に言われて亀田自白をすればこれは成功だ、警察の手助けになる、こういうふうにもそのときは考えました。しかし私、こうも考えるのであります。実は久米住所も知らず、酒飲んだこともなし、お茶を飲んだこともありません。ただ道で会う程度に知っておるのでございます。この間もちょっと道でお会いしたときに話を聞いてみますと、——私はこの事件についてはあまり口から出したくなかったのであります。ところが向うからちょっと口が出ましてこの話になったわけでございますが、あのときての久米氏は、君を取り調べて、警察の拘束つまりおとりになるというようなことは、亀田君、ぼくは毛頭考えなかったのだというようなことを久米が話をしてくれました。いやそれはどっちがどうだということはわからない、もう済んだことだから今さら再びそれを繰り返してどうこうする気持はない、こう言って別れたこともあります。ただいま御質問のように、君を調べるのにたとい百円にしろ何もまんじゅうを持っていって君にやるわけはないじゃないか、こういうようなことを久米は言っておりました。これはどちらにも偏しない私の感情でございます。そんな話もちょっと聞いたことがございます。
  274. 椎名隆

    椎名(隆)委員 私も二十三日ぶち込まれてあの中でくすぶっていたことがあるのですが、どうも入っているといろいろなことを考えますけれども、あなたは森達雄さんと同じように、生田候補者選挙運動をやったのでしょうね。
  275. 亀田昇

    亀田参考人 私ちょっとここでお尋ねしたいのですが、私はこの年になりまして選挙運動ということがわかりませんです。選挙運動から一つお教えを願えたらと思うのです。選挙運動というのはどういうことをすれば選挙運動と言えるのか、それが私にはわからないのです。私の考えでは、選挙運動とは雑役夫とか何かで選挙事務所の方からお金をもらってやっているのが選挙運動員だと私は解釈しておったのでありますが、それでは間違いでございましょうか。それからお聞かせ願ってからお答えをしたい、かように存ずるのであります。
  276. 椎名隆

    椎名(隆)委員 警察へ行ったときに、あなたが署長室で一番最初調べられたときからでけっこうですが、その後生田候補者の問題に対していわゆる選挙違反取調べを受けておるということはおわかりになったろうと思います。そのときに生田候補者に対する何か逮捕の手とか干渉の手が伸びたなというようなことを考えませんでしたか。警察に留置されたときあるいはこういう違反でもってお前さんを調べるのだと言われたときに、あなた自身としては自分は青天潔白で何でもない、それにもかかわらずおれを逮捕してあたかも森と共謀して数十万円の金の授受をやった、これは生田候補者に対するところの何か選挙干渉の手が伸びたのだというような考えを起したことはありませんか。
  277. 亀田昇

    亀田参考人 それは感じました。
  278. 椎名隆

    椎名(隆)委員 けっこうです。
  279. 世耕弘一

    ○世耕委員長 ほかに御質疑がなければ次に参考人として大津義兼君より実情を調査することにいたします。亀田君お忙しいところをありがとうございました。あなたに対するお尋ねはこの程度で終了いたします。  大津義兼君、あなたの氏名、住所職業年令等について最初にお述べを願います。
  280. 大津義兼

    大津参考人 大津義兼、生年月日明治四十三年二月七日、職業国鉄職員、徳島助役
  281. 世耕弘一

    ○世耕委員長 それでは委員長からお尋ねいたしますが、この間の徳島県知事の選挙に際しましてあなたの実父市ヱ門氏の違反容疑の事柄についてお尋ねいたしたいと思うのですが、すでに御当人の父市ヱ門氏はおなくなりになっておるようであります。あなたから当時の実情をできてるだけ詳しくこの際御説明願いたいと思うのであります。まず第一にお尋ねいたしたいことは、逮捕された日時並びに逮捕されるに至ったその逮捕の理由、それから市ヱ門氏の年令逮捕された当時の健康状態等最初にお答えを願います。
  282. 大津義兼

    大津参考人 その当時の事情を大体申し上げます。父が逮捕せられたときの状況は、だれが来たのかわからぬので、母親が出ていきましたらおじいさんおるかと言うから留守でありますと答えたのです。そうしたら孫が事務所にいる、こう申しました。その事務所は、津田に漁業組合というのがあります。昔そこで専務をやっておりましたので、その事務所かと思ったら、それは今度の徳島市会議員に立ちました枡田重雄市会議員候補の事務所であることがわかりました。それというのは、警察官がここの事務所に行きまして、私の父は、事務所の跡を取る人か、それははっきりわかりませんが、その人に連れられて帰ったわけです。そのときに、ああこれは警察逮捕だということがわかりました。私はそのときは二階で読書しておりました。もう夕刻が迫っておりましたから、父に食事を済ませて行くように僕が言ったら、警官が、僕は選挙の投票がまだ済んでいないのだから早くしてくれと言うから、父も食事を中止して立ち上ったわけなんです。このときに私が警察官に頼みましたのは、私のおやじは、去年の十一月の三十日に中風邪で大わずらいをして、医者に見放されておったような危篤状態に陥った、それを家族の厚い看護によって、どうやらこうやら歩ける程度になっているのだ、しかしまだ自分で大便なんかできないのだ、だから大事にしてくれということを警官に依頼したわけなんです。そのときに母親も同じことを言いました。私のところのは大便ができないから私もついて行くと言うたら、早くせえと言うから、女のことだから早くせえと言うたって、人の中に出て行くのに、うち着の、ボロ着というのですか、そんなざっとした格好では出られないから着がえて参りますと言うたら、早くせえと言うから、そんならあとから行きますと言うてあとから行ったわけです。そうして母親が行ったときには、東警察署の刑事係長室、三階です。これは病体というよりも、老体であったら上っていくのにも苦しいのです。そこで取り調べられたらしいのです。これはあとから警察署長に言うたら、そういうところで調べないようにと言うておいたと言うておりましたが、あとから母親がついて行ったときには、事実三階で調べられて、おりていくときに、おじいさん、気をつけておりて行きなさいよと言うたのが、それが最後でありました。そのあとから私が聞いたんです。それは差し入れの件、それから父の病体の件について刑事係長に言うたら、そのときに、医者はつけておく、こう言いました。医者はつけておくというのは、私は鉄道へ行っておるのでありまして、警察も鉄道も、むろん各官庁は内部に病院があるという非常識かもしらぬけれども、あると思っておりました。だからつけてくれておるというような甘い考えで安心しておりました。そうして安心して帰ったわけなんです。そのあくる日、差し入れにお弁当を持って行きました。そのときにお弁当は合格になりまして、氷砂糖とあめ玉は不合格でした。私は留置場のおやじのところに持って行こうと思いましたが、それは許されなかったです。当分は差し入れがしてあるから来ないでよろしいと言うてくれました。お名前を聞いたときに、これは秘密であるから言えない、こう申しておりました。そのときに、畳の上で調べをするのだから、毛布とふとんとを持って来ていれば、わが家におるのと同じことであると言うて下さったから、私も安心しておったわけなんです。それは差し入れの弁当を調査した巡査であります。その巡査差し入れの方に持って行ったあと——その前に刑事係長室の手前には、交通巡査のような方がたくさん講義を終ったあと——その巡査名前もわかりません。会って話したらわかるかもしれませんけれども、言うたのは確かであります。鉄道の超過勤務のことについて、それから警察の超過勤務のことについていろいろ話し合いをいたしました。そのあとでその巡査から、この三階へ上って来たときのおっさんは何とも言えなんだ、かわいそうだったということを聞かされたときは、私はほんとうに涙が出ました。その後警察署長に会ったときに、私の父は普通の人と違うぞ、警察署のためには相当協力してある、警察署のためにあれだけ協力している人間をこんなに残酷に取り扱うのか、下にいるところがないのかと言いました。そのときは警察署長は、三階で調べたようには申しませんでしたけれども、私の母親は、警察署の刑事係長室、三階で調べたことをはっきり申しておりました。父の年令は七十三才であります。
  283. 世耕弘一

    ○世耕委員長 勾留されてから何日目になくなられたのですか。
  284. 大津義兼

    大津参考人 勾留せられたのが四月の三十日であります、帰ってきたのが五月三日でありまして、四日の六時四十分に死亡しました。死亡したというよりも、警察におったときにすでに死んでおったと同じであります。昏睡状態であって、ただ単に息をしておったというだけで、人間としての価値はありませんでした。
  285. 世耕弘一

    ○世耕委員長 医師の診断は、どういうふうな診断でございましたか。
  286. 大津義兼

    大津参考人 医師の診断については、そういうことを聞いてもはっきりわからないのですけれども、血圧が百六十とかなんとか言うておりました。それは普通状態だろう、普通状態だったら静かに調べたらかまわぬだろう、これは被疑者として調べるのではなくて、一般患者として往診するという筋の通ったことは言うておりました。けれども調べたときは十時でありました。十時前後、大体推定で十時と言っておりました。そのときに十時であるとすれば、医者は警察に対して、家族への連絡方が非常におくれていたと思います。時間は大体十一時過ぎでありました。
  287. 世耕弘一

    ○世耕委員長 警察から家に帰されたときは、もうすでに意識不明であったのですね。
  288. 大津義兼

    大津参考人 意識不明でありました。
  289. 世耕弘一

    ○世耕委員長 警察からあなたの家までどのくらい時間がかかりますか。
  290. 大津義兼

    大津参考人 ちょうど一里であります。私が歩いたら四十分くらいです。
  291. 世耕弘一

    ○世耕委員長 そのとき警察の医者がついてあなたのお宅まで届けられたのか、それとも他の方法によりましたか。またどういうような車で送られましたか。
  292. 大津義兼

    大津参考人 送っていただいたときの状況を申し上げますと、東警察署の分署が津田町にあります。そこの署員が、おじいさんが悪いから見舞に行ってやれと言うから、私はその日は留守でありましたが、おばあさんが、見舞いに行くんだったら会わしてくれるんだなと言うたら、それはわからないという矛盾した答えでありましたけれども、とにかくそういう連絡があったら行かなければならぬと思って、孫二人を連れて行ったのであります。三階に行って、おじいさんに、見舞いに来たから会わしてくれるかと言うたら、そのときに巡査は二階から降りて来ました。そしたら田所巡査——田所巡査というのは、津田の方に用事に来ているらしいから、だから名前ははっきりしております。母親が田所巡査に申しました。田所さん会わしてくれるかと言うたら、巡査の答えは会わすという答えをせなんだのであります。警察の車があいておらぬという答えをしました。だから母親はすぐに突っ込んで、田所さん私は会わしてくれるかと言うて尋ねよるにもかかわらず、警察の車がおらぬというお答えは違うておりませんかと言うた。車のこと言うんだったら、それでは帰らしてくれるかと言うたら、帰らすと言うたんであります。そしてそのときにそれでは徳島のタクシーを呼んで下さいと言うたら、タクシーがすぐ来たらしいです。そのときに五、六人の巡査が自動車に乗るときに毛布をしけというから、毛布をしいたのであります。そしてタクシーに乗せました。そのときに母が一体いつごろからこんなになっているのですかと尋ねたら、きのうは頭が痛いと言うたので医者を呼んだ。きょうは四時前から悪くなった。それで警官が五、六人、重たい人だなと言うてタクシーに乗せた。そのとき母がびっくりして、おじいさん、こんなになってしまったんですか、と言うたら、静かに、静かにと言うたらしいです。そしてそのときこの留置場に収容せられる前に、父の携帯品をとっておりましたが、かさ、羽織、時計、めがね、銭入れを引き出しから出して下さった。そのとき不都合にも、警察官はこの銭入れを勝手にあけて、中から医者代をとっておくぞと言ってとったらしいのです。母親が、不都合な、とってはいかぬとは言いません、しかし普通の常識のある者でございましたら、一応連れ合いの者に渡して、医者代はこうこういったからくれ、それであったら差し上げるというのが普通であるにもかかわらず、警官がこういうようにわがの財布かなんかみたいに、自由にあけたといって、帰ってそれも怒っておりました。外から早く、早くと呼ぶから、運転手かと思ったら、これは津田の巡査であって、孫も知っておる。おばあさん、あれは巡査であったというから、そのときに母は運転手の横に乗れというから母も乗ったんです。そしたら警察官が送るというから、もう乗せて下さったら、近所の人が世話してくれるから、よろしいと言うたけんど、自動車に乗り込んで送ってくれた。その途中で母親が言うには、標準語でいいましたら苦しいかということは、阿波弁でせこいでか、こういうようになっております。おじいさん、せこいでかと尋ねたら、巡査が、おばあさん脳貧血を起しているから静かにしておらぬといかぬと言われたのです。そして帰って静かに寝さしておいたらすぐなおるから、こう言われまして、帰ったわけなんです。そして帰ったらなおるどころか、死んでおる人間を運んで来たと同じであります。私はこれは警察官が責任のがれ的に、早くとか、静かにせいとか言うたものでないのかと思うのであります。私がおりましたらこういうことは絶対にしません。医者の認定書をとるとか、そういう筋を通さなんだら連れて帰らなんだのでありますけれども、何いうても年寄りのことでありますし、何もわからぬのにつけ込んでおるのではないかと思うのであります。重複したかもしれぬけれども、そういう状態であります。  そのときに私がおやじと一緒に同房におった人で、日露戦争当時におった高木槇太、これは徳島市方上町、この人の生れば明治九年十二月一日であります。この人も過日訪問しました。この人は病床で気の毒であったのですが、父のことについて尋ねてみたところが、息子は徳島駅で助役をしよるのじゃということをよく聞かされておりまして、この人が言うのには、私は警察の方もあんたの方もひいき目で言うのではない。真実を言うてあげますと言うて下さったのです。このときに朝食事八時前に父に、高木さんがお茶でも飲むかと申しましたのです。そうしたら返事がない。いやならうがいでもするかと言うたら返事もない。ほかの者がいってみろというのでいくと、八十何才の老体、だれが見もてこれは大へんだ、一刻も早く家族に連絡してやらなければいかぬというような重態に陥っておる。これを担当巡査に申し入れたらしいのです。巡査も見たのでしょうね。これは息子さんが徳島駅の助役をしておるし、徳島駅は目と鼻とは言わぬが、目と鼻というのは私が言うことで、徳島駅に連絡するのはすぐじゃ家に連絡するのが大儀じゃったら徳島駅にすぐ言うてやってくれと言うたら、警察官はそれはできぬと言うてけられて、頼む瀬がなかったらしいというのであります。この巡査は調べて下さったらわかると言うてくれはりました。このおじいさんが今病床であるのでこういうことを言うたらいかぬですから、何いうたって老体で病後であるし、あのからだの調子が悪いから万一の不幸があったらいかぬと、私は確認する意味で同町の友人江口貞次郎にもその横でそのことを聞いてくれ、万一のことがあったらあんたにも証人となってもらわなければならぬというておったわけなんです。
  293. 世耕弘一

    ○世耕委員長 次にお尋ねいたしますが、逮捕に際して病状を述べて、できたら在宅のまま取調べがしてもらえぬかということを本人なりあるいは家族の者から検察側に要求されたことがございますかどうか。
  294. 大津義兼

    大津参考人 それはありません。それは私はかように思っております。こういう選挙違反のことであるし、重大犯の逮捕とかいうのでなくて、旅館とかそれから家庭の尋問はできるというのは、常識で私は知っておりました。しかし父は今連れられて歩いてきたばかりにそういうことを言うのは何やら卑怯な感じがするので、とにかくからだが先ほど申した通りこうであったから大事にしてくれということは申しました。
  295. 世耕弘一

    ○世耕委員長 逮捕された当時の病状を、もう一ぺん詳しく説明して下さい。
  296. 大津義兼

    大津参考人 もう一度申し上げます。逮捕せられたときは、鉄道病院にあのカルテがあるように、大分よくなっておりまして、歩くのは不自由であったのですが、内臓は割に食も進むようになっておったのです。ただ足が不自由なのと、大便が自分でできないので、これは特に頼んでありました。警察署の方では男をつけておくということを言っておりました。その男は同房の人だろうと思います。
  297. 世耕弘一

    ○世耕委員長 大便を一人でできないくらいにからだが不自由であるということになると、言葉の点はどうですか。
  298. 大津義兼

    大津参考人 やはり言葉は年は年であるし、ちょいちょいもつれて話しておりました。
  299. 世耕弘一

    ○世耕委員長 頭の程度はどうです。判断なんかは……。
  300. 大津義兼

    大津参考人 頭が痛いというのは再々申しておりました。
  301. 世耕弘一

    ○世耕委員長 記憶とか、そういう点はどうですか。
  302. 大津義兼

    大津参考人 記憶は割にしっかりしておりました。
  303. 世耕弘一

    ○世耕委員長 通常の健康人と比較してどうですか。
  304. 大津義兼

    大津参考人 通常の健康体みたいに——年は年であるし、大体はっきりした線でありました。
  305. 世耕弘一

    ○世耕委員長 大体委員長からの大津参考人に対する質問事項は終りましたが、続いて質疑を行います。福井盛太君。
  306. 福井盛太

    ○福井(盛)委員 二、三点お尋ねをいたしたいのですが、四月三十日に連れていかれて出所するまでに、だれが面会に行っておりますか。
  307. 大津義兼

    大津参考人 面会は母親と私が行ったわけなんですけれども、直接面会してくれということは言わなかったのであります。
  308. 福井盛太

    ○福井(盛)委員 しかし、御本人とは会いましたのですか。
  309. 大津義兼

    大津参考人 会いません。
  310. 福井盛太

    ○福井(盛)委員 その逮捕中に差し入れはやりましたか。
  311. 大津義兼

    大津参考人 差し入れは、私は、先ほど申しました通りに五月一日に行きました。それだけであります。
  312. 福井盛太

    ○福井(盛)委員 そうしてその差し入れしたものはみな食べておりますか。
  313. 大津義兼

    大津参考人 これは同房の人に聞いたら、食は残しておったらしいです。
  314. 福井盛太

    ○福井(盛)委員 逮捕当時の病状につきましては、先ほど委員長の御質問によってわかりましたが、発病当日、十一月三十日に発病したというのですが、そのときの状況をいま少し詳しくお話願います。
  315. 大津義兼

    大津参考人 そのときは私も仕事の方に行っておったのであります。そうしましたら、ちょうどそのとき収入金の調査をしておりましたのですから、すぐ帰るとは言ってあったものの、すぐでなかったのです。それが終らぬと、一応当時の責任者であるし、だれにも申し送りできませんので、金庫へ入れまして、そうしてそこにおる駅手に、父が危篤状態になっておるから、ちょっと帰ってくるからということを言っておったところに、ちょうどまた電話がかかってきて、早く帰ってこないか、親が死にかかっておるのに何しておるのだというて、隣の人か、親戚であったのか知らぬけれども、名前は聞かなかったのですけれども、怒られて飛んで帰ったのです。そうしたらいよいよ危険状態になっておりました。
  316. 福井盛太

    ○福井(盛)委員 発病したときの病名は何というのですか。
  317. 大津義兼

    大津参考人 大体中風みたいなのから神経痛みたいなのがまざっておったのではないかと私は思うのであります。
  318. 福井盛太

    ○福井(盛)委員 お医者さんの診断はどういうのですか。
  319. 大津義兼

    大津参考人 お医者さんの診断は、ちょっとあれははっきり書いてないのですけれども……。
  320. 福井盛太

    ○福井(盛)委員 それではもう一ぺん聞き直すが、歩行言語等はどうなんですか。
  321. 大津義兼

    大津参考人 そのときはとても歩くところまで行けません。
  322. 福井盛太

    ○福井(盛)委員 そうして逮捕に至るまでの間における病気の状態の経過はどうだったのですか。昨年十一月三十日から四月三十日に至るまでの病気の経過、健康状態……。
  323. 大津義兼

    大津参考人 健康状態は春まで寝通しでありました。そうして春ごろからぼつぼつ歩行ができるようになりました。
  324. 福井盛太

    ○福井(盛)委員 春ごろというのは、いつごろまでですか。
  325. 大津義兼

    大津参考人 ことしの桜時分です。三月の末か、四月最初というころでありました。
  326. 福井盛太

    ○福井(盛)委員 それから出るときに昏酔状態になっておったという参考人のお話でしたが、その昏酔状態になったのは、いつからなったかということはわかりますか。
  327. 大津義兼

    大津参考人 それは先ほども申しましたように、朝食時ですね、だから八時前と同房者は申しておりました。
  328. 福井盛太

    ○福井(盛)委員 八時前というのは四月三日ですか、四日ですか。
  329. 大津義兼

    大津参考人 それは五月三日です。
  330. 福井盛太

    ○福井(盛)委員 いま一ぺん繰り返すようですが、五月一日に差し入れをしたのですね。そうするとこれは五月三日に出てきたのですが、その間の食事はどうなっておりましたか、差し入ればなかったのですか。
  331. 大津義兼

    大津参考人 それは先ほども申しました通り一日に私が行きました。そうしたら警察官差し入れしなくてもよろしい、これは差し入れてくれておる人があるからよろしい、こう申しました。
  332. 福井盛太

    ○福井(盛)委員 大体わかりましたが、出てきたときには昏酔状態であるというのですが、警察で調べられた状況等については、家族の者に話はしなかったのですか。
  333. 大津義兼

    大津参考人 警察で調べた状況ですか。それは私に少し言いました。
  334. 福井盛太

    ○福井(盛)委員 どんなことですか。
  335. 大津義兼

    大津参考人 そのときは供述書というのですか、やはり選挙のこういうような違反は自分が認めたとかなんとか、こう申しておりました。それは警察がそう言っておりました。
  336. 福井盛太

    ○福井(盛)委員 くどいようですが、帰るときはハイヤーで帰ったんですね。
  337. 大津義兼

    大津参考人 ハイヤーで帰りました。それは私のところから要求した車であります。
  338. 福井盛太

    ○福井(盛)委員 最後に一点お尋ねしたいのですが、あなたのお父さんの性格はどういう御性格ですか。
  339. 大津義兼

    大津参考人 私のところのおやじは、とにかく若いときから人の世話をするのがごく好きなんです。自分の財産を投げ捨てても好きなので、当時在郷軍人分会長をしておったときなんかでも、とにかく身銭を捨ててでも世話したくらいなんで、これは現地で調査して下さったら、父がどれだけ世話して世話損になった人間であるかということはよくわかります。
  340. 福井盛太

    ○福井(盛)委員 今の点ですが、小心者ですか。気持の小さい、心持ちの小さい人ですか。
  341. 大津義兼

    大津参考人 いや決してそんなのではありません。からだは巨体であります。そして小心者ではありません。
  342. 福井盛太

    ○福井(盛)委員 私の質問はこれで終ります。
  343. 生田宏一

    生田委員 今福井先生の御質問に対してあなたは取り違えてお答えしておるのではないかと思いますが、容疑事件について認めたとか認めないとかいうことをあなたに話したのは、お父さんが話したのですか、警察の人が話したのですか。
  344. 大津義兼

    大津参考人 それは警察官であります。
  345. 生田宏一

    生田委員 それでは、あなたのお母さんがあなたのお父さんの発病したのを受け取って、警察で会って、これをお宅へ連れて帰って、そうしてなくなられるまでの間にお父さんがものを言いましたか、言いませんでしたか。
  346. 大津義兼

    大津参考人 一言も言いません。
  347. 生田宏一

    生田委員 それでよくわかりました。それから警察官があなたのお父さんをお母さんに渡すときに、脳貧血を起しておるのであるから、静かに連れて帰って静養させればなおる、こう言ったのですね。
  348. 大津義兼

    大津参考人 なおると申しました。
  349. 生田宏一

    生田委員 そのときにはもうだれか徳島市内のお医者さんがあなたのお父さんの容態を見ておるわけですね。あるいはそれを診察したようなことは言っておりませんでしたか。
  350. 大津義兼

    大津参考人 斎藤病院が見たように言っておりました。
  351. 生田宏一

    生田委員 斎藤博士から何かその後にあなたのお父さんの警察における発病の状態が脳貧血であったかあるいは脳溢血の再発であったか、そのいずれかについてお話を聞いたことがありますか。
  352. 大津義兼

    大津参考人 それは血圧のことについて話はしておりましたです。そうしてそのお医者さんが言うのには、これは静かに……。それは三日の日ですか。
  353. 生田宏一

    生田委員 いいえ、あなたのお父さんが警察で発病してそうしてお宅へ帰られるまでの間に必ず警察は医者に見せておるはずです。そうしなければ裁判所に対して勾留を解いて自宅へ帰らす処置ができないはずです。必ず見せておるに違いない。そのときの診断というものが脳溢血であるか脳貧血であるかということは、はっきりしておるはずです。そのことをあなたは見たお医者さんから聞いたかどうか、それを伺いたい。
  354. 大津義兼

    大津参考人 それは私うっかりしてはっきり聞いておりません。
  355. 生田宏一

    生田委員 それから福井先生のお尋ねに対してお答えをしておったことで、私が聞いておってもはっきりしないと思うことがあるのですが、去年の十一月三十日に発病されたのは脳溢血と神経痛と両方合さった病気であった、こういうことは間違いございませんか。
  356. 大津義兼

    大津参考人 それは間違いありません。
  357. 生田宏一

    生田委員 それではその後瀕死の重態であって、そして鉄道病院あたりへでも入院されたか、あるいはそのまま自宅療養しておったか、どちらであったか承わりたいし、また桜のころですから、三月下旬にようやく起きることができるようになった、こういう状態だったと承わったんですが、そのときに、たとえば左の足が不自由であるとか、あるいは手がふるえるとか、あるいは食事をするにも食器を持つのに不自由であったとか、そういう状態はありませんでしたか。
  358. 大津義兼

    大津参考人 足は両足不自由でありました。そして私が電気マッサージの機械を買って、それであわせて療養しておったわけです。
  359. 生田宏一

    生田委員 わかりました。
  360. 世耕弘一

    ○世耕委員長 この際警察庁長官に対して御所見があれば承わっておきますが、警察庁の関係において本件に対する警察方面の調査、たとえば本朝来の参考人の陳述等を参酌してみますと、警察官の不当の捜査、不当の処置、たとえば警察の房内に第三者の入室を許可したような事実並びに正規の取調べによらずに署長室において第三者に取調へ類似の行為を許可したような事柄、こういう点についてすでに警察庁は調査を開始されたかどうか。また監察調査の方法、それからいつごろこういうことが本委員会に報告することができるかどうかという点。なおもう一点は法務省関係でありますが、柏原義明に対する謹告容疑の捜査に着手しておるかどうか、その結果起訴起訴についてすでに決定されておるかどうか、こういう点に関しまして、井本刑事局長並びに警察庁長官、中川刑事部長からそれぞれ説明を求めます。
  361. 斎藤昇

    ○斎藤(昇)政府委員 今朝来参考人から私もここで承わったわけでありますが、かねがね伺っておりました事柄でもあり、警察といたしましては県本部において十分事情調査をいたさせておりましたが、これをもって十分と考えることはいかがなものであろうかと考えましたので、四週間ほど前に四国管区警察局から直接事情の調査に当らせたのであります。その後中間報告が参っておりますが、さらに調査をすべき点が残されておると考えましたので、その点等を指摘してさらに調査の完全をただいま期しております。また警察庁の本部からもただいま警察官を派遣いたしまして、四国管区の調査の仕方その他についてさらに再調査をいたしております。事件の概要はけさほどから大体承わった通りでありまして、事実の大要は間違いがないと思っております。警察官の責任、とるべきいろいろな処置というようなことは調査の完結を待って指示をいたしたいと考えておりますが、久米氏が房内に入って森氏に対していろんなことを聞こうとしたというあの事件につきましては、看守それから警察署の責任者等に対して警察本部長が処置をしたようでありますが、その他の事柄についてはまだ処置をいたしておりません。にせ情報関係につきましては、警察がにせ情報ということがわかって、誣告罪でこれをさらに柏原氏を逮捕いたしまして取調ベをいたしたのであります。これが起訴になっておるかどうかという点は法務省からお答えがあるだろうと存じております。で、その完結を待ちまして、またわれわれの方の監査を待って、処分あるいはその他の必要な措置を講じたい、かようにただいま考えておるわけでございます。いずれ完結をいたしましたならば適当な機会に御報告を申し上げたい、かように考えております。
  362. 井本台吉

    ○井本政府委員 柏原こと山田義明関係誣告被疑事件につきましては、本年の三月二十八日徳島地方検察庁におきまして事件を受理して、引続いて捜査を行なっております。この柏原こと山田は、本年の四月六日に一応釈放はしております。そうして現地の徳島地方検察庁におきましては、ある程度の結論に近づきつつあるようでございますが、われわれといたしましては、この不実の申告をなすに至りました動機、原因などについて複雑な事情が存在するものと考えられますので、本月十五日には、特に法務省からは長戸刑事課長を現地に派遣して調査せしめるとともに、最高検察庁におきましても、この事件を重視しまして目下厳重に検討中でございます。まだその結論には達していないのでございます。いずれ結論に達しましたら適当な機会にその結論を御報告申し上げたいと思います。
  363. 世耕弘一

    ○世耕委員長 今井本刑事局長並びに斎藤長官からの説明があったわけでありますが、近来警察の行き過ぎ、たとえば事件捜査に当って、見込み捜査、おとり捜査と、十分の傍証を固めずしていたずらに無辜の民を数週間拘置するがごときことは、文化国家として、はなはだ遺憾千万でありますのみならず、かくのごときことは検察行政の権威にもかかわることと考えられますので、なお各方面の資料を得まして、人権擁護その地法の権威を維持する意味において、さらに本委員会はもっと真相を究明いたしたいと思うのであります。  本日はこの程度にとどめ、次会は公報をもってお知らせいたします。  これで散会いたします。     午後三時五十二分散会