○高村
委員 私は、
大臣に教育の根本についてお尋ねいたしたいと思います。
先般三月二十九日の当
委員会におきまして、
佐藤委員長より文教行政に関する基本政策についての
質問がございました。これに対しまして
大臣は、大体三つのことを言っておられるのであります。第一は、
大臣が変ることによって根本が変るのじゃ困るということを言っておられますが、これは
一つは教育の中立性ということを意味しておるのだと思います。第二は、長い間の占領行政から離脱はしたけれども、まだ教育の根本が動揺いたしておるということを言っておられるのであります。それから、概念的には、方針としては、教育基本法の大本にのっとってやりたい、こういうことをおっしゃっておられると思うのでありますが、時間の関係もございますので、私の私見を申し上げまして
大臣のお
考えを拝聴いたしたいと存じます。
まず第一に、
日本の教育の大本が動揺いたしておるということは、われわれもそう
考えるのでございますが、
一体今日の
日本の教育の根本というものが依然として落ちついておらないのは、どこに原因があるであろうかということを
考えますと、これにはいろいろな原因があろうかと思うのでありますが、すでにもう教育基本法ができまして八年以上に相なっております。これはいろいろございましょうが、まず第一には、教育基本法というものがどうも
日本の国情なりあるいは国民性というものにぴったりしておらないのじゃないかということ、第二は、教育基本法というものがあまりに理想に走っておって現実と遊離をいたしておるのではないかということを
考えるのであります。その他の教育
制度も、これに基きまして全面的にそういう点があるような感じを受けるのでありますが、そのことは、ちょうど
日本の憲法と同じように、やはり
日本の自主性のない時代に作られたものであり、いわゆる占領下の
制度あるいは法規であるというところにさような欠陥があるのであります。なるほど教育基本法は非常に理想的な内容を持っております。おそらく世界にも誇り得る内容だと思いますが、
法律というものは、理想を高く掲げるがゆえに必ずしす尊いものでもないし、また値打のあるものでもないのであります。やはりその実行が保障されるというところに
法律というものの値打があるのじゃないかと思うのであります。八年もたってなお動揺しておるということは、やはり今申しましたように、占領下の自由性のないときに向うから押しつけられたということについては少し議論があるかと思いますが、そういうところに根本の原因があって、どうも理想に走っておる、いわば占領政治の初期にこれはやったことでございますから、二十二年と申しますと、まだアメリカの
日本に対する占領政策が変っておらない時代だと思います。従って、連合軍であるソ連の力も入っておる時代でございますから、そういうことで、私はやはり
日本の弱体化と申しますか、占領政治の目的を達成する一種の軍事行動の
一つの方針としてなされた
制度である、そこに欠陥があるのではないかと思うのであります。
それから第二の、
日本の国情、国民性に合わないという点も同様でございますが、明治維新に
日本は非常な大改革をやりましたけれども、そのときにはやはり自主的にやり、また外国の文物を取り入れましたのも、大体明治維新では
日本の国情あるいは国民性に合うような意味で欧州の大陸系のいろいろな
制度なり立法例というものを取り入れた。海軍は別でございますけれども、大体憲法を初めとして、
日本の伝統というものを
考えながら
日本の国情に合う大陸系のいろいろな
制度を取り入れておりますが、今回の教育
制度のごときはほとんどアメリカの
制度を持ち込んでおるというふうなところにやはり
日本の国情、国民性に合わないものがあるのではないか、こういう点が今日教育の基本というものが依然として動揺いたしておる根本の原因ではないか。端的に申し上げますと、占領政治の自主性のないときに作られた
日本弱体化方針の当時のものであるから、非常に理想的であるけれども、
日本の実力に合わないようなところがある。それからアメリカの
制度を持ち込んだものでございますから、国情や国民性に必ずしも合わないものがある。そういうところから、この
日本の教育の基本というものは、基本法ができて八年にもなっているけれども、依然として動揺しているというところがあるのではないかと思うのでございますが、この教育の基本が今日依然として動揺している原因は
一体どこにあるのかこれをきわめることによって大本をはっきりしていく将来のしるべにもなるかと私は思うのでございまして、
大臣はどういうふうに感じ、見ておられますか。まずこの点をお伺いいたしたいと存ずるのでございます。