○稲富稜人君
大蔵省のおっしゃることは、資金繰りの
関係であるとか財政都合によって出さないということがいつでも言われる手なんです。私たちが
災害というものは重大だという考えを持っておることは、もちろん国家財政の都合はあるだろうけれ
ども、その国家財政の困難の中においても、
災害という非常時に対して対処するということは、私は
災害対策として考えなければならぬと思う。ただ私たちが最も遺憾に思いますのは、今私が申し上げた問題は、あなた方が同一だと考えていないとおっしゃるから、事例をとって
お話し申し上げたのであって、これは現に二十八年度
災害におきまして本年度の割当はきまっております。それを払ってもらわなければ、たとえば
地方の問題を話すようですけれ
ども、福岡県なんか毎日一日に四万円だけ金利を払っております。これは政府で金さえ払ってもらえば、毎日四万円という金利の支払いをせぬでもいいのです。ところがあなたの方が財政の都合によってお払いにならないから、毎日々々四万円の金利の支払いをやって、町村は非常に困っておるという事実なんです。これはなぜこういうことをやっているかというと、
一般補助並みに一期々々に分けてやられておるものですから、そういう結果になる。あなたの言われるように、
災害というものを
一般並みじゃない特殊な考えを持っておるというならば、
予算は通った、
予算措置も通った、将来の割当も通った、当然支払うべき金であるならば、そんな区分けをして出し惜しみをしなくても、一ぺんに払って、あなたの方が、毎日四万円払っているのだからその金利の補いをまたやられればいいのです。これをやられないから、結局罹災者というものはますます負担が多くなってくるわけです。そういうことをやっておる事実があるから、私はあなた方の考えというものは
災害というものを特殊に考えていないのだと、こういうことを話したのであって、その点を改めてもらうことに私はあなたの了解があったと思いますので、その点は一応改めてもらうことで、私はこの質問は終ります。
さらに次の問題は、ただいま申し上げますように、
災害が非常に重要性があるにかかわらず、国家財政の都合によって今日のように延ばされておる。先刻もここであなたの
おいでにならない前に
農林当局にやかましくわれわれ言ったのでありますが、たとえば本年度
災害を迎えて、私たちはなぜ過去の
災害というものを引っぱり出しておるかというと、政府は
災害に対して、いつでも十分の措置をとると言われ、声明をされながらも、
予算の都合によってこれが実行されない。そうすると罹災者の方では、初めからやらないとおっしゃっておればそのつもりでやりますけれ
ども、国が
相当の補助をやるといわれるから、そのつもりでやっておる。ところが
予算の都合によってこれが延ばされる。そうすると罹災者から申しますと、実にあだで返されるようなことになって、だまされるような結果になってくる。その結果、今度の
災害等にまた前の
災害がプラスしているというような状態になってきている。た一とえば二十八年
災害のごときも、三カ年間の継続事業で終るということだった。今年度はもう
予算措置においては終っていなくちゃいけないはずです。ところが実際上は、この三カ年間の継続事業で終ると言った二十八年
災害は、本年度においても三割くらいの補助しか受けていないという状態です。これはことごとくあなたの方の、国家の財政的都合によって延ばされているわけです。何も罹災者が不都合したわけでもございません。国家財政の
責任においてこれがなされている。こういう事実がある。それで私たちは、今後そういうことを繰り返したくないから、過去におきまする
災害に対する轍を踏まないように、今年度
災害においてもそういう決意があるかということを承わっておる。
それで、本年も二十二、二十三号の
災害が来ておりまするが、これに対しては、
農林省も
相当に何とかやらなくちゃならない、
建設省も罹災者に対しては
対策をやらなくちゃいけないという抱負を承わっておる。ところが肝心の
大蔵省が、経済的な財政都合によってやれないということになれば、できないことになるのでございますから、国民から考えますると——国民は何も、
建設省の国民であるとか、
農林省の国民であるとかいうことは考えておりません。国民は、国家の国民だと思っている。これは国家の連帯的な
責任において果さなければならない。それで、こういうところから、
建設省とか
農林省なんかの
災害対策に対する
意見というものを、
大蔵省はどのくらい尊重しようという意思があるか。この点をあなた方も担当されているので、十分尊重する意思があるかどうか、その点承わっておきたいと思います。