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大槻参考人 農地改革が
終戦後における最も重大な、かつ成功的な政策であったということはだれしも認めるところであろうと思います。しかし
農地改革に伴う一番の欠陥は何かというと、
経済的な観察から申しますと、長期
資金の道が
農業において完全になくなってしまったということであると思う。私
ども農地改革の問題に参画したときに、その
農村に入る長期
資金の問題をどうするかということをいろいろ討議したことがあります。従来は勧業
銀行があり、農工
銀行があり、そうして最も長期な金を低利に
農村に流し、
農家に流すというその可能性があった。ところが
農地改革によってその道がある
程度において、相当に遮断されてしまった、それで
農村には入らぬ。もっとも長期信用といっても、国家事業としてやる
土地改良その他の事業あるいは共同事業としてやるものは、
農地担保にしなくても十分に入り得るわけでございます。それは依然として
継続しておる。ところが個々の
農家の
農業経営に長期
資金を入れるということになりますと、全然入る道がなくなってしまう。ところが他方から申しますと、
農地改革というものは
一つの非常な前提条件の変革である。その後世界の
経済状態その他から参りまして、
農業経営というものは変革されなくちゃならぬという事態に当面しておるのであります。この場合に
農業経営の変革が必要であるという場合に、これはどうであるか。
日本の
農業経営というものを観察してみますと、
日本の
農業経営は短期
資本過度集約的
経営なんです。たとえば農薬だとか、あるいは肥料だとか、金肥だとか、そういうものに関しては、短期
資本過度集約的な
農業経営になっている。ところが長期
資本的には過度粗放的な、世界において最も粗放的な
経営なんです。すなわち
資本の有機的構成度の最も低い
農業経営なんです。
日本の
農業経営が何ゆえに
生産力が上がらぬかというと、これは短期
資本過度集約的である。そのために肥料負けしてしまうというふうなことで、かえって短期
資本を集約的にすることによって、
生産力が萎縮するということになってくる。これを打開するには、長期
資本あるいは
資本の有機的構成度を高める方向に
農業経営というものを持っていかなくては、現在の
日本の
農業生産力の打開の道はない。ところが
農地改革によって、個々の
農業経営に入るところの長期
資金の道が大体において断たれた。ここが非常に問題があると思う。何とかして長期
資本を入れる必要があるのじゃないか。もしも
不動産信用が不可能ならば、これを
対人信用で入れる方法はないか。私は当初
対人信用の主張者だったのでございます。何とかして
対人信用的にこれを入れよう、それで私は御存じのように、
農業の簿記運動をやりまして、そうして金を借りるときには、数年間の簿記の計算、あるいは数年間の
貸借対照表を信用を与える者に呈示して、そうして
対人信用で金を借りるような、そういう方法ができないものかと思いまして、その簿記運動というものに私は力を入れてやって参りました。また現在それに努力しております。しかしこれはなかなか急にはいかぬ。しかも簿記運動というものは優秀なる
農家に偏する。一般の
農家にただちにいけるということではなくて、これはやはり相当な学力があり、記帳能力があり、
経済的にも多少余裕があるというものには、簿記は割合浸透しやすいのでございますけれ
ども、一般の
農家にこれを浸透させるということになると、ただちにはいかぬ。これは長期的には必ずいけるとは思っておりますが、今日前の問題としてそれができるかということになりますと、疑義がある。それで共同信用だとか、あるいは協同組合における信用だとか、いろいろ
考えてみましたけれ
ども、これは相当な
農民層に長期信用を流し込むということになりますと、これは全く行き詰まってしまう。それでこれをどうにかしようということになりますと、また
対人信用でそうした
資金を
農家に流し込もうとしますと、たとえば協同組合の
農家に対する信用といったようなものを見ますと、実際は信用能力があるものは富農層であります。あるいは協同組合の
理事の縁故者だとか、何かそういうようなごく限られた富農層にばかり行ってしまう。
対人信用として、
財産がなくても能力あるものには貸し付ける、あるいは
農業に精進してやり切ろうという者に
資金を貸し付けるということが、協同組合や何かはなかなできない。そうするとどうなるかということになりますと、これは結局
農地改革によって
日本の
農家の九割までは
自作農になった。そうして
自作地を持っておる。そうしますと、その
土地を持っておる
農家に対して、
土地を
担保として貸し付けるということが、貧農といわなくても、割合に中農層までは少くともいく、相当に徹底して、貧農層
程度まで
農家一般にこの
資金を流し込むことができるという可能性があるのでございます。それでこの
対人信用だけでこれはいくことができないので、
日本の
現状においては、幸いに
農地改革によって、耕作する者は九割まで
土地を持っておる。その
土地を
担保として長期信用を与えるということは、これはやはり
考えなければならぬ問題である。私はこれを実際にやっておる間に、理想論と現実論ということになりますと、食い違いが生じまして、現在の与えられた条件においてどうするかというと、これは
農地担保、こういうふうな
自作農の
土地を
抵当にして貸し付けるというやり方は、ただそれだけではいかぬけれ
ども、これは考慮しなければならぬというふうに私は漸次
考えるようになりました。
農地改革後において
ほんとうに
農業に精進しようという
農家にとって、非常に不都合な事態が生じておる。それはどういうことかというと、たとえば私がごく小さい面積の
農家であるとすると、だんだん
土地をふやしていって、適正な規模の
農業経営、おもしろい
農業経営をやっていこうということになりますと、それは現在は金があればできる。なぜかというと、昔は
農地改革以前においては、
土地は購入しなくても小作することができた。そうして
経営面積をふやすことができた。それによって適性規模の
経営にして
農業経営をおもしろくするということができた。ところが現在
農村において
農地を貸すものはない。
農地を貸してしまえば、
耕作権をただやったようなものである。それですからこれは幾ら生産が上らなくても、貸しはしません。それで今
土地を借りることは全然できない。
経営面積をふやそうと思いますと、どうしても
土地を買わなければならぬ。それでその
経営面積を無産
農家が
拡大して
経営を合理化するという道は閉ざされておる。それで優秀なる貧農というか、あるいは中農層などは、こんなおもしろくない
農業経営はできないというので、優秀な者は
農村を去るというようなことが非常に多い。耕作する者は必ず
土地を
所有して耕作するという
自作農主義をとる限りにおいては、これは必ず長期信用
制度というものが必要なんです。あるいは
農地担保金融というものが必要なんです。これはそれに付随したものである。小作
制度ならばそれはそれほど必要がありません。これが自作
制度主義に変りますと、
経営上
土地を獲得しようと思いますと買わなければならぬ。買うのには金が要る。そうして地価は相当高い。そうしますと、これは借りてやるほかはない。その金を貸すところの何らかの
制度がなければ、これは
自作農主義というものは、生産能力の上から非常に悪い
制度になってしまう。そういう意味において
自作農制度にはこういうふうな長期信用
制度というものを付随させることが必要不可欠のものであると思います。ただここで問題になるのは相続であります。この法律の第二条ですか、相続だとかあるいは疾病、災害等によって非常に困ってそのために
農地を処分しなくちゃならぬ。そうして
農業経営を細分化してしまう、あるいは縮小化してしまうということが起る場合にこうした
金融を国家が行う必要があるかどうか、また行なってうまく行くかどうかということがあると思います。それで現在親族法が均分相続法になっても、二、三男その他の相続権の放棄その他によりまして、実際は均分相続というようなものがごくわずかしか行われない。だから相続による
農業経営あるいは
農地の細分化というものは現在そう著しくなっておりません。これはしかし私は時間の問題だと思います。次第にその方向にある
程度勢いをなす性質のものであろうと思います。今までないから今後においてないということは、これは言える性質のものでなくて、今後ある
程度加速度的に行くことを予想しなくちゃならぬ。そうしますと、これはか
つてフランスに行われたように
農業経営がどうにもならぬ。
生産力が非常に萎縮してしまう。そうして
農家が貧農化してしまうという問題が起るだろうと思います。現在
日本の
農業経営というものは非常に小さいのですから、これ以上小さくするということは、
生産力あるいは国際競争力その他からいって
考えなくちゃならぬ。規模を縮小することは防止しなくちゃならぬ。そうした防止の消極的な政策ではありますけれ
ども、防止の政策をするということはぜひ必要であると思います。また
農地改革の精神というものは、やっぱり適正規模の
農業経営を育成するということにあったのじゃなかったかと思います。ただこの場合そういう消費目的の
農地金融をやったときに、果してこれが償還能力ありやなしや。今
武田さんのおっしゃった点が非常に心配になると思います。むろんこれは
金融であってただやったわけじゃない。ごく低利、長期ではあるけれ
ども、公庫その他に償還しなくちゃならぬ任務というものはあるわけだ、ここに問題があると思う。しかし私の接した
農家及び中金の一楽さんが言ったと思いますが、実際にこういうことに当って見ますと、富農層よりも主農層がまじめに償還する。
農業にどうしても精進してやっていこうという
農家は割合まじめに金を返すものだということを申します。ですから富農層に貸すよりも中農層その他に貸す方が償還が割合いい容易であるということを言われたのを私聞いたことがあるのですが、私もそういう感じを持ちます。それでこれは
担保貸付をいたしますが、
担保貸付をするけれ
ども、その
担保貸付というものは、こういう
制度がなくて、高利貸あるいは
銀行その他から借りるその金利というものは相当高い、そうしてまたその期限が非常に短かい。一度にたくさん償還しなくちゃならぬということになりますと、これは幾らまじめな
農家であっても、
農業というものは薄利なものですから返すことはできないと思います。しかしまじめな、そうして
農業に精進してやり抜こうという
農家であるならば、これは年五分五厘、そうして十五年年賦償還というのであるなら、これはそれほど私は償還し得ないことはないと思う。
貸付が一戸
当り最高二、三十万
融資が、
平均的には六、七万円になるだろうと思う。その
程度なら、まじめな
農家でございますと、返せないということは割合に少いと思います。むろんそれには条件がつきます。これは第一は
農産物価格が非常に下落する、将来においてあるいは
農業資材がむやみに高くなるということは、放任的な
農業政策をとるとかいうことをとれば、これは償還能力がなくなる。これはかりに完全な
農地担保制度であっても、地価がすでに下落してしまっている、
担保価値がなくなっている、そういうふうなことがきますと、それは非常に不安定なことになるのです。この
制度をやる以上は、
農業政策がこれに応じて、その
貸付を受けた
農家が、
平均的にいって精進してやり抜こうとすれば、必ず償還できる
程度の政策的条件を与えてあげるということは、これは
一つの条件としなくちゃならぬ。それをやるためのこれは国家側のやる条件だと思う。
もう
一つは個人側のあれでございますけれ
ども、これはぜひここにあるように
農業経営安定計画を立てる。それでこの場合に
農業経営安定計画というものが、むやみに
計画に流れるということは私はよくないと思う。これはその
計画になります。これは第一は
農業経営の
現状をあるいは
農家経済の
現状をよく明示するところのものを出させる、作らせる。それからもう
一つは、これは本人の性質といいますか、あるいは本人が
ほんとうにまじめに
農業経営をやり抜く心があるかどうかという、その人物ですね。この
対人信用というものを十分調査しなくちゃならぬと思います。これに対しては府県知事がその点をよく認定するということになりますから、その点の認定を誤まらぬようにする
制度なり何かが必要じゃないかと思う。そうして現在は
農業改良普及
制度というものは全国的に相当整備しておる。それで彼らをして指導させる、あるいは特別に指導させるという必要がある。それからもう
一つは、これはそれだけでは足りないから、やはり
農村の最下部に受け入れ態勢としての
農業技術及び
経営の受け入れ態勢としての組織が
農業団体としてできることが必要じゃないかということを思います。ただ
農業改良普及だけにまかすと、これは官僚
制度的になりますから、やはりみずからが下からこういうものをやっていくという組織としての受け入れ態勢としての
農業団体というものを、もう少し技術員その他のすぐれたものを置くというふうなことが必要じゃないかと私は思います。
この
抵当権の問題ですが、これは私ずいぶん
抵当権の問題を
考えてみました。しかし
抵当権を設定することが悪いか、今
武田さんがおっしゃったように、これは
一つの
貸付である。そうするとある
程度バンキングのプリンシプルによらなくちゃならぬ、こういうことは
貸付である限り、
金融である限りにおいて、これはなくちゃならぬ。それでそうした
抵当ということも必要じゃないか。そうしてそれがありますれば、
武田さんの、
抵当権の長所として割合に心やすく貸し得るということもあると思います。そういうことで全然これを無視することができないのじゃないか。
もう
一つは
抵当権が設定されれば、
農業経営安定計画なんかやるときに——
農民ほど
土地を手放したくない、愛着を感ずるものはないので、手放すとすれば最後だ。それでこれを手放すまいとしてまじめな
農業経営をやり抜こうという
農家であるほど、この
抵当権の実行などがされるような事態に立ち至らぬように、償還しようと緊張する、気を配るという効力が多少ありはしないか。これを全然なしに、ただ
対人信用ばかりにしてしまうということはどうか。ですから
武田さんのおっしゃったように、
対人信用と
不動産信用との両方をとらせて、そこに妙味を持たせるということが必要じゃないかというふうなことを私は
考えます。それからこの
制度がないとむしろ悪質な
土地の集中が起りますけれ
ども、この
制度があることによって
土地集中を相当防げるんじゃないか。防ぐように
農地改革をやった。国家が相当損失があってもこれをやる。長期
資金を
農村にそそぐ。国家が財政
金融においてやるのですから、当然相当に損失がありましょう。だけれ
ども損失は割合に商工の長期信用などに
比較して少くて済みはしないか。そうして割合にこれはよく償還されてそうしたことが杞憂に終ることになりはしないかと思います。この策というものは次善の策です。理想的な政策ではありません。しかし
現状において長期信用がこれほど必要なときに、長期
資金を
農村に流し入れる。
農家の
農地改革に伴って生じたいろいろな欠点というものを補正しようということになりますと、この
程度のものをやってこれを完成することが必要じゃないかというふうな、むしろ非常にこれに対して賛成で、実施して、そうして
農家経済の、あるいは
農業経営の安定をはかることが必要であるんじゃないかというふうに私は思います。(拍手)