○津田
参考人 私、昨年十二月不法拿捕されました浜田港第三平安丸船長津田松市の妻綾子と申します。高いところから
お話をして恐縮に存じます。
このたび第一大和丸の坂口さんが証言のために上京されることを聞きまして、私、突然急に上京を決意いたしまして、いっときも放せない小さな子供を人様に預けて、島根の果てから留守家族を代表いたし、いろいろと御心配、御配慮にあずかりますことにつきまして御礼を申し上げますとともに、一切の御配慮を賜わりますことをお順い申し上げに、悲壮な決意で参らせていただいたのでございます。私どものような者が出しゃばって、あつかましく出てくる場所ではございませんことは十分私も承知いたしておりますが、抑留された家族の皆様のお気持、生活の状態または抑留されておる者のことを思いますれば、私、うちにじっとしておることはできませんでした。またいろいろと関係者の方々にも相談申し上げまして、私のこの気持を打ち明けましたところ、本
委員会に陳情、上京することはとてもむだだと言われまして、私もしばしがっかりしたのでございます。せっかくいい
機会ができましたのに、さだめしあの韓国刑務所で苦しい生活をしておられるであろう船員並びに夫のことが頭に浮かびますときは、私はやはりこの上京を思いとどめることはできなかったのでございます。何のお役にも立ちません私に、留守家族の方々が大へん御期待下され、ぜひ上京してほしい、旅費がなければ皆で出し合う。またある人はかわいい子供を救ってもらえると思えば、旅費くらいは家を売って作りたい気持で一ぱいですと申されました。私はうれしくて涙が出たような次第でございます。幸いにして大へん地元の婦人会の皆々様がお力づけ下され、それについて水産関係の皆様もお骨折り下さいまして、とうとうこうして皆様の前で実情を述べさせていただきますことは、何より仕合せなことと存じております。
思い返してみますれば、あのおそろしい知らせがありましたのは、昨年の十一月二十二日の朝でございました。私の常に心配をしておりましたことがとうとう参りましたのでございます。どんなに驚いたことでしょう。また待ちに待ちました楽しい正月も、一瞬にして消え去りました。子供たちはどんなにかさびしかったことと思います。水産方面の方々にもいろいろと手を尽していただきましたのでございますが、韓国のこととてどうしていただくこともできません。その後毎日さびしい日を留守家族の者が、気づかいながら、いつしか二月がおとずれ、突然平安丸の未成年の魚崎さんが帰られたのでございます。いろいろとあちらの実情を聞き、皆様に大へん心配をしていただき、浜田の全市民をあげて署名運動に乗り出していただいたのでございますが、船員の家族の方々や私どもも、寒い中を子供を負い、飛び回ったこともございました。その後日韓会談も打ち切られたとのこと、どんなに皆様が落胆をされたことでございましょう。また最近は知名人のお方々が署名運動または嘆願書につきいろいろと御心配下さいましたおかげで、とうとうとの議会に持ち出すことができたのでございます。
抑留者の手紙は月に一通、この手紙には悲壮な気持がうかがわれるのでございます。抑留者の手紙を二、三読ましていただきます。たとえば、「お前たちに刑務所生活を知らせたら卒倒することだろう。文章を書くのさえ、大儀と栄養不足のため思うことすら満足に書き表わすことのできぬとの気持をだれが知るらん。人生いかなることにも
希望を持ち、忍耐と
努力の実が結ばれる暁には喜びの幸福がわきおとずれて、人生を楽しく、意義ある日常が過ごされていくのであろうと思う。月に二本の便りを送ってくれることがうれしくて、男泣きをすることすらある。海山越えて何百海里を離れている相互の環境をしのび合わせると、全く世の中は皮肉にできています。何もかもこの世の運命と諦めねばなりません。やがてわが世の楽しい天国がわれわれのために迎えてくれる日をお互いに待ちましょう。満期がきて帰られる井上さんと申す方がおとずれたら、小生の苦労をお尋ね下さい、お前たちも日ごと子供のしつけや日常生活に追われ、さぞ苦しい一日を過し悩んでおることをしのび浮べばかわいそうでならぬ。やるせない思いです。今はどうすることも許されない身の上、何とぞ勇気を出して、いかなる難関に立ちあうとも、耐え忍んでがんばって下さい。男の自分たちでも、異国であらゆる苦境や不自由生活を忍んで、内地帰還を指折り数えて満期の日を待ちながら過しております。お前に頼みが一言あるが、それを申し伝える。自分が刑務所生活をいたしておりますことなど、絶対にどんなことがあっても子供たちに教え話すことをしてはなりません。何ゆえならば子供の将来を
考え合わせてのことゆえ何分とも子供のしつけと成長は母の役目であり、義務であるから頼む」。
またある手紙には妊娠中の妻のことを大へん心配して、「ほんとうに苦労ばかりかけて相済まぬと思う。やさしい言葉をかけてくれる人とてない身の上のつらさ、ほんとうに気の毒で言葉に言い表わすことすらできぬ。許してくれ」と書いてあります。
最近参りました手紙を読ませていただきます。前の分を省きます。「幸いに船長初め船員一同不安と陰うつなる刑務所生活を耐え忍び、本日まで無事過しましたことは、ひとえに皆様のたまものであることを感謝申し上げてやみません。船員のため、日夜明け暮れとなく帰国促進運動やら帰還嘆願書などを作り、一日も早く帰還の道につくよう皆様の誠意ある御
努力は一
通りではなく、はるばる異国の獄窓より推察いたしております。その好意に報いるために、われわれ船員は、幾多の艱難辛苦を耐え忍んで、無事に皆様と再会できる日を一日千秋の思いで、
希望の綱をゆるめることばできませんとともに、一層拍車をかけ、勇猛心を振い起していることは抑留船員全員の気持であります。」
また別の手紙、「近々中要求の慰問品をたくさん送られたとのことを聞き、われわれ船員は首を長くして待ちわびております。指折り数えて全く子供と同じようです。獄窓では何
一つできず、かごの鳥と一緒です。あまりにもみじめな生活ではありませんか。だれがため異国でつらい思いをして刑を務めねばならぬのか、とうてい筆や口に尽されることは不可能と思います。豚同然な生活です。主食副食は人間の口に食べる品物ではありません。生きるがために、血と油と身体を無事になつかしいわが家、わが子に見せるがために悲惨な生活に耐えております次第であります。何とぞ留守中、津田さんを初め同家族の方とみな励まし合い、お互に手を取り合って喜び笑う時期がきっと近き将来にやってきますことをお待ち申しております。」ほんとうに数々の手紙をいただきますごとに、家族の気持はどんなでございましょう。
衛生方面のことは、もういろいろと皆様の
お話で御承知のことと思いますから、省かせていただきます。留守家族の生活状態を
一つ二つ
お話し申さしていただきます。池野一平さんのお留守は八十近いおじい様、おばあ様とお妹さん、中風でお休みになっておられるお父様、お母さんは六十歳近い方ですが、毎日元気でみなの世話をしながら、近くの干魚屋に通ってわずかばかりの賃金をいただいておられるのでございます。
〔
委員長退席、白浜
委員長代理着席〕
佐々木清次様のお宅には、お父さんは御病身、お嫁さんはまだ乳飲み子をかかえておられますので、お母さんがただ一人、やはり干魚屋に朝から晩まで働きに行っておられるのでございます。私のところでも四人の小さい子供がおりますので、魚市場の近くに回転焼き——どらい焼きと申しますが、あの焼きまんじゅうでございます。これを売って生活の足しにしておるのでございます。みな一家の中心人物ばかりでございますので、一日も早く帰してもらわなければなりませんことと、あちらは大へん不潔なところでございまして、病気にて倒れましたら、もう私どもはほんとうにやみの中のものでございます。それのみを家族の者は大へん心配しておるのでございます。ぜひこの生命の保障と、一日も早くわれわれの夫、船員をもとしていただけますよう、
政府の皆々様方が御助力下さいますようにひとえにお願いさしていただく次第であります。留守家族の皆さんは、私の帰りますのをどんなに首を長くして待っておられることかと思います。何とぞまだ韓国におられる二百七十七名の方々を私どものような気持の方ばかりでございますから、一日も早く御
政府の力で戻していただきますことを、私、高いところから、くれぐれもお願い申さしていただく次第でございます。(拍手)