運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login

1955-07-16 第22回国会 衆議院 農林水産委員会 第42号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十年七月十六日(土曜日)     午前十時五十五分開議  出席委員    委員長 綱島 正興君    理事 白浜 仁吉君 理事 中村 寅太君    理事 松浦 東介君 理事 鈴木 善幸君    理事 中馬 辰猪君 理事 足鹿  覺君    理事 稲富 稜人君       赤澤 正道君    五十嵐吉藏君       井出一太郎君    伊東 岩男君       石坂  繁君    大森 玉木君       木村 文男君    楠美 省吾君       小枝 一雄君    笹山茂太郎君       原  捨思君    山本 利壽君       川村善八郎君    助川 良平君       田口長治郎君    平野 三郎君       松山 義雄君    赤路 友藏君       淡谷 悠藏君    井谷 正吉君       石田 宥全君    伊瀬幸太郎君       川俣 清音君    佐竹 新市君       久保田 豊君  出席国務大臣         農 林 大 臣 河野 一郎君  出席政府委員         外務事務官         (アジア局長) 中川  融君         農林政務次官  吉川 吉衛君         農林事務官         (畜産局長)  原田  博君         農林事務官         (蚕糸局長)  塩見友之助君         水産庁長官   前谷 重夫君  委員外出席者         外務事務官         (アジア局第五         課長)     鶴見 清彦君         農 林 技 官         (水産庁生産部         海洋第二課長) 増田 正一君         海上保安監         (警備救難部         長)      砂本 周一君         参  考  人         (漁生丸実習学         生)      柳井 義昭君         参  考  人         (漁船第一大和         丸乗組員)   坂口 徳佳君         参  考  人         (無職)    津田 綾子君         専  門  員 難波 理平君         専  門  員 岩隈  博君         専  門  員 藤井  信君         専  門  員 徳久 三種君     ————————————— 七月十五日  委員淡谷悠藏君及び石田宥全君辞任につき、そ  の補欠として阿部五郎君及び田中織之進君が議  長の指名で委員に選任された。同月十六日  委員安藤覺君、加藤常太郎君、久野忠治君、松  野頼三者、阿部五郎君、田中織之進君及び川上  貫一君辞任につき、その補欠として中村寅太君、  山本利壽君、田口長治郎君、平野三郎君、淡谷  悠藏君、石田宥全君及び久保田豊君が議長の指  名で委員に選任された。     ————————————— 同日  理事安藤覺委員辞任につきその補欠として、  中村寅太君が理事に当選した。同日  理事中馬辰猪委員辞任につき、その補欠とし  て、同君が理事に当選した。     ————————————— 七月十五日  漁港法第十七条第二項の規定に基き、漁港整備  計画の改正について承認を求めるの件(内閣提  出、承認第五号)同日  昭和三十年産米の新米価決定に関する請願(助  川良平紹介)(第四二一二号)  昭和三十年産米穀検査規格改訂に関する請願(  助川良平紹介)(第四二一三号)  農業委員会予算確保に関する請願池田清志君  紹介)(第四二五六号)の審査を本委員会に付  託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  理事の互選  繭糸価格安定法の一部改正する法律案内閣  提出第七一号)  農業災害補償法の一部を改正する法律案内閣  提出第一二四号)  公海における漁船の拿捕及び韓国における漁民  の抑留問題に関し、参考人より実情聴取  杉たまばえ防除に関する件     —————————————
  2. 綱島正興

    綱島委員長 これより会議を開きます。農業災害補償法の一部を改正する法律案議題といたし、審査を進めます。  別に質問はございませんか。——質問がなければただちに採決に入ることにいたします。原案賛成の方の御起立を願います。     〔総員起立
  3. 綱島正興

    綱島委員長 総員起立。よって本案は可決いたしました。国会に対する委員会報告書の作成については委員長に御一任願いたいと思います。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 綱島正興

    綱島委員長 御異議なければさように取り計らいます。  一応休憩いたします。     午前十時五十九分休憩      ————◇—————     午前十一時五分開議
  5. 綱島正興

    綱島委員長 休憩前に引続いて会議を開きます。  繭糸価格安定法の一部を改正する法律案議題といたし、審査を進めます。農林大臣より発言を求められておりますから、これを許します。農林大臣
  6. 河野一郎

    河野国務大臣 お手元に差し上げてあります「繭糸価格安定法第九条の二の規定により会社を指定する場合の監督事項」という資料がございますが、この資料の中の三の第三に「糸価最高価格に達した場合は、」云々ということがございます。この中にまぎらわしい点がありますので、これについて私から御説明を申し上げて訂正をいたしたいと思うのであります。この中に「会社は売主に売り戻すか、」となっておりますが、この場合のことでございます。この場合は、会社売り主に対して時価によってこれを売り戻すということにいたしたいのであります。その際に特別にその売り主を非常に優遇して安く売って、その売り主に特別な利益を与えるというようなことを考える必要はないと私は思います。そういう処置をとることによりまして、会社利益が非常に生まれると思います。この利益につきましては、この会社営利法人目的として設立するのではございませんから、この会社として通常経費、それにさらに通常配当、この配当についても決して一割以上の配当をするような処置考える必要はないと思うのでありますから、そういう経費配当を控除いたしまして、残りました利益につきましては養蚕業振興のためにこの利益を提供せしめて、そうしてわが国養蚕業発展に寄与するようにいたして参りたいと考えている次第でございますから、どうかそういうことに訂正していただきたいと思うのであります。これをもし案文として修正して差し上げる必要がありますれば、今私の申し上げました精神によりましてこれを訂正することにいたして、後日皆様のお手元に差し上げたいと思いますから御了承いただきたいと思うのであります。なおこれにつきましてお尋ねがありますれば、なおお答えすることにいたしたいと思います。
  7. 綱島正興

    綱島委員長 これより質疑を進めます。足鹿君。
  8. 足鹿覺

    足鹿委員 大臣がおいでになりましたので、この機会にはっきりさしておきたいのでありますが、ただいまの大臣の御言明中、利益配当云々というお言葉もあったようでありますが、この会社性格はいわゆる国の行う適格生糸買付業務を代行するいわば国策会社であります。またそれには数十億の国費をもって融資をしていく、こういう性格のもので、従って普通の営利法人ではありませんが、普通の株式会社法に基いて設立されるということは、先般塩見局長答弁によって明らかになっているのであります。従いましてただいまの大臣の御言明から考えますならば、これは法第九条の二に相手方とただ単に記載してあり、一応の資料によってその会社性格を提示しているにすぎないという点についてかような問題が起きているのでありますから、この点についてはもっと適切妥当な措置をお講じになって、できるならばその法案の中に、あるいは政府政令等の必要な行政措置によって、この会社を監督規定する明確な条項を付すべきだと私は考えるものでありますが、近き将来においてそういう措置をお講じになる御意思がございますでしょうか。一応この点念のために伺っておきたいと思います。
  9. 河野一郎

    河野国務大臣 御趣旨ごもっともでございますから、この会社成立せしめまして、運用の上におきまして今の足鹿さんのお話のように必要が起れば、次の機会に適当な処置をとることに、私はやぶさかでございません。そういう必要があった場合には直ちにそういう措置をとるべきだと考えております。  なお今お話の、先ほど私が申し上げました利益金処分の問題でございますが、株式会社でございますから、世上の通念といたしまして私は一割以内の配当は認めてもいいのではないかというようなことを考えておりますが、場合によったら七分が妥当か、一般国策会社配当同率程度配当ということで考えていきたい、こう思っておりますが、これは事情が変って参りまして金利が下ってくれば、配当も下げてもらうという事情が起ってくるでありましょうから、これは今の一割以内という程度にて監督して参りたいと思っておりますから、御了承願いたいと思っております。配当率を下げるという場合もむろんあるということで御了承順ってけっこうだと思うのでございます。
  10. 足鹿覺

    足鹿委員 はっきり御言明になりましたので、これ以上申し上げることはないようでありますが、要するに大臣の御答弁趣旨は、国策会社に準ずる取扱いとする、それに必要な措置は研究の上追って講ずる、こういう御答弁のようでありますが、一応御確認を願いたいと同時に、なおその利益の問題につきましては、養蚕業振興のためにこれを適当に措置するということでございますが、その具体的な取扱いは、会社一つ養蚕農協連とかあるいはこれに準ずる機関とかに何らかの形において出ていくものでありますか、あるいは政府にその利益金が何らかの形で一たん入って、政府の手から出ていくかっこうになるものでありますか。非常にとっさの場合のことでありますのでちょっと私もその点がよく了解がつかぬのでありますが、その養蚕業振興のために支出し得る方法、内容等の大体の構想というものはどういうふうになるものでありましょうか、明らかにしていただきたい。
  11. 河野一郎

    河野国務大臣 これは一たん政府へ納めるというようなことをいたしませんで、政府の方で養蚕業振興に必要なものに指定寄付をするような指導をして参りたい。なお将来においてそれらにつきましては全養連等と十分打ち合せをいたしまして、適切なる措置をとっていくようにいたしたいと思います。またこれが運用につきましては、いろいろ御意見がございましたらば十分お聞かせ願いますれば、私といたしましてもこれを尊重して運用していくことにいたしたいと考えます。御了承いただきたいと思います。
  12. 川俣清音

    川俣委員 この際ちょっとお尋ねしておきたいと思います。私の方の理解するところによりますと、この会社利益をあげる会社ではなくして、繭価または糸価安定のための機関という任務を持つ会社であって、本来営業という会社ではないというふうに、私は了解しておる。従って利益をあげるということよりも、むしろ繭糸価の安定に全力を注ぐべきであって、そのためにいろいろな経費を要することは認めるけれども、主としての任務繭糸価安定のためのものである。従ってこの会社自体がもうかるいう観念よりも、繭糸価安定のために最大の努力を払わなければならないというふうに理解しなければならぬのではないかと思うのですが、この点についての大臣見解、並びにもしも利益が出るとすれば、これを買い戻したところの製糸業者がもうかるという結果になると思うのです。その糸価変動によってもうかるのはむしろ製糸業者である。この製糸業者のもうけは、この国策会社責任を持ってもうけさせたという結果になるので、これをどう行政府的に指導して割り戻しをさせるかという、むしろそっちの方が問題だというふうに私は見ておるのですが、この二点について。
  13. 河野一郎

    河野国務大臣 お話通り、今考えております会社は、糸価安定を意図する会社でありますことは論を待ちしません。従ってこれは営利目的としておるのではないのでございます。最低価格になりました場合に出動いたしまして、これがある程度戻って安定することを意図してやることでございますから、その間に必然的に結果的に利益が生まれてくるだろう。その利益処分について今足鹿委員からいろいろ御注意がありましたので、それについて申し上げたのでございます。  さらに今川俣委員から、そういうふうにすれば、総体的に国内糸価が戻ってくれば、製糸業者がそれによって利益を得るじゃないか。この点はちょっと政府の入る限界を越えておると私は思うのであります。要するに蚕糸業政策といたしましては、希望価格糸価を安定するということがどこまでも目的でございまして、これが高値にくっついていくとか底値に下ってしまうとかいうような場合がなるべくないようにしていくことがいいのでございまして、またそれが品物がよけい動いて蚕糸業全体の発展になり、国家のためにもなるということだと思うのでございます。でありますから、今のような場合は異常の場合でございまして、相なるべくはそういう事態のないことを欲する場合でございますから、あまりこれが下りますれば国家全体の不利益にもなりますし、そうしてこれを中庸価格に安定さすことになるのでございますから、その点が限界程度で、それ以上はどういう政策を行いましても、行なった結果によって、だれかもうかるじゃないか、もうかったものに利益があるということになりますと——国家目的中庸価格糸価を安定せしめるということのためにこの会社を操作してやらせるということに御了承願いたいと思うのであります。
  14. 川俣清音

    川俣委員 根本的な考え方として、価格を安定さして養蚕業並びに製糸業発展をはかるのか、あるいは投機的に価格変動というものを大きな魅力としてこの産業の発展をはかるのか、との二つのいき方があると思う。国際市場性を持っておるものには、とかく投機的魅力というものが非常に強いということも言えないことはないと思うのですけれども、最近の国際情勢から見て、そうした投機的な動きについては相当警戒しなければならない事情発生してきておると思いますし、また農村が、やはり安定しなければ、あるときはもうかるが、あるときは非常に損するということは、日本農業にとって好ましくない。底の浅い経済だけに危険なやり方でもありますので、おそらく投機的な刺激でなくして、安定を持たして斯業の発展をはかるというところにあるのだと思うのです。そういたしますれば、十九万円に下ったときよりも、下る傾向を持ったときに早く出動させるというようなことによって、会社利益よりも、早い出動を慫慂していくことによって安定をはかっていく。なるべく値幅が二十三万あるいは十九万でなくして、その中間のところに安定するような出動をさせるということが最も好ましいことであって、そういたしますれば、この会社は大した利益が上らないということになる。その中間をねらっていくということになれば、この会社はもうからないということになってくるわけです。従ってそういうねらいをすべきじゃないかというのが私の考え方でございますが、これはもう最後の結論に来ておるのですから、意見だけを申し述べておきますが、それに対する大臣の御見解をなおお聞きして、それで私の質問を終りたいと思います。
  15. 河野一郎

    河野国務大臣 お説の通りでございます。私も全く同感でございます。と申しますのは、多少の値幅がなければ業界が盛んになりませんし、業界が盛んにならなければ、これの消費の宣伝その他も起って参りません。さればと申して、あまりこれが投機の対象になりますことは好ましくないことでございます。その中庸を得て、おのずからここにかってのわが国繭糸業のような蓄積ができれば、一番けっこうなことだと思うのでございますが、その過程でございますので、いろいろ問題が起ってくると思うのでございます。しかしこれが運用政策におきましては、どこまでも今川俣委員の述べられましたような気持においてやっていくことが一番妥当だと考えております。
  16. 五十嵐吉藏

    五十嵐委員 ちょっと大臣に御所見をお尋ねしたい。この法案は、もちろん生糸輸出を増進するために繭及び生糸価格の安定が必要である、これはもう何人も異論のないところでございますが、ただ私は、この法案成立をいたしましても、単にこの法律だけでは、なかなか日本蚕糸業というものが健全な発達をしていくことにはいろいろむずかしい点がある。とにかくこの法案成立によって、繭の価格並びに生糸価格というものが安定をすることは、これはけっこうなんですが、問題は輸出宣伝だと思うのです。第一点の問題は輸出宣伝、これは政府輸出宣伝については力を入れて、予算も増額をし、大へん御配慮になっておりますが、しかし今の宣伝費使い方、それから実際の宣伝の状態、こういうものを見たときに、私は相当検討を要するものがあるのじゃないかと思うのであります。たとえばその大部分の宣伝の事業は中蚕にまかしておるというよう形をとっておるのですが、果してその中蚕に宣伝専門とするような機関があるかどうか、私はやはりああいうような大きな宣伝をするという上においては、今の中蚕等の内部に専門委員会のようなものを設定する必要がある、こういうふうに考えておるわけであります。それからその金の使い方等についてもさらに検討をする必要がある、こういうように思うのですが、この点に対してどうお考えになっておるか。これはやはり並行していかぬとうまくいかぬと私は思うのであります。  それから第二点は、何といっても繭の生産費並びに生糸生産費、この生産費の低減という問題だと思うのであります。繭生産費のごときは、まだまだ私はやり方によっては引き下げる余地が相当にある、こういうふうに考えておるわけであります。製糸また同様であります。それがためには一段と桑園改植に力を入れるとか、また打つべき手は相当あると思うのであります。ですから、第一点は何といっても今申し上げました宣伝の問題、第二点は生産費引き下げの問題、私はこの問題が並行して初めてこの法律というものの真価を発揮することができるだろうこう考えておりますので、この二点については特に強く希望を申し上げたいと同時に、大臣のお考えをこの際承わっておきたいと思います。
  17. 河野一郎

    河野国務大臣 ごもっともなことでございまして、国内糸価の安定だけで決して輸出が増進するものではないのでございます。ことに最近の化学繊維発達等によりまして、なかなか見通しは楽観できないと思うのでございますから、この点につきましては格別の努力をして参らなければならないと思います。が、御指摘のごとく宣伝費につきましてももちろん十分ではございません。多少の配意はいたしたのでございますが、これが使用等につきましては、十分に御指摘のように考えていかなければならないと思うのでございまして、今までのやり方そのままで、政府は金だけ出してまかしておくというよう考えは持っておりません。  第二点の生産費引き下げにつきましては、これはもちろん一般農産物と同様に、養蚕業発展のためには桑園改良でございますとか、さらに品種の改良でございますとか、各般にわたって、少くとも戦前以上に養蚕業に対して政府としては十分力を尽していかなければならないと考えておる次第でございます。
  18. 綱島正興

    綱島委員長 大体御質疑も終ったようでありますから、この際採決することに御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  19. 綱島正興

    綱島委員長 御異議なしと認め、採決をいたします。  繭糸価格安定法の一部を改正する法律案原案に御賛成の方の御起立を求めます。     〔総員起立
  20. 綱島正興

    綱島委員長 起立総員。よって本案原案通り可決いたされました。
  21. 足鹿覺

    足鹿委員 この際、繭糸価格安定法の一部を改正する法律案に対する附帯決議案提出いたしまして、委員各位の御賛成を得たいと思います。ただいまお手元に配付いたしました案文の中にミス・プリントがありますので、御訂正をお願いいたしたいと思います。
  22. 綱島正興

    綱島委員長 読み上げて下さい。
  23. 足鹿覺

    足鹿委員 では、私が読むのがほんとうでありますから、そういうふうに一つ御了承おき願って、適当に御訂正願いたいと思います。    繭糸価格安定法の一部を改正する法律案に対する附帯決議一、政府は、輸出適格生糸特別買入及び売戻により第九条の二の農林大臣の指定する者に剰余金を生じた場合にはその剰余金養蚕農家に還元せしむるため必要な措置を講ずること。二、政府は、農業協同組合連合会の行う乾繭共同保管数量については、農業団体意見をきいて、必要にして且つ十分なる数量を保管せしめるとともに、最低価格による六ケ月以上の融資斡旋措置を講ずること。三、政府は、前項の共同保管した乾繭であって、一定期間経過後なお販売できないものを生じた場合は、その全量を買い上げることとし、これに必要な資金措置を講ずること。    右決議する。以上であります。
  24. 綱島正興

    綱島委員長 ただいま足鹿君より提出されたる動議議題といたしますが、この動議について御異議はありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  25. 綱島正興

    綱島委員長 御異議なければ、動議としてこれを決定いたすことにきまりました。     〔「附帯決議としてだよ」と呼ぶ者あり〕
  26. 綱島正興

    綱島委員長 この附帯決議に対する農林大臣の御所信を……。
  27. 河野一郎

    河野国務大臣 この際私から一応ごあいさつを申し上げたいと思います。本案の御決定につきましては格別な御配意をちょうだいいたしまして、まことにありがとうございました。なお法案審議過程におきまして、委員各位からいろいろ御発言のありました趣旨、並びに私からお答え申し上げました点、ただいま附帯決議として御決定になりました点につきましては、責任を持って私はその趣旨徹底努力することをここに申し上げまして、御了解を得たいと思います。
  28. 綱島正興

    綱島委員長 ただいま動議として決議すると言いましたが、右の動議決議といたすことに御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  29. 綱島正興

    綱島委員長 さように決定いたしました。ただいま議題となっております繭糸価格定走法の一部を改正する法律案委員会報告書を作成すること等については、委員長に御一任願いたいと思いますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  30. 綱島正興

    綱島委員長 御異議なければさよう決定いたします。     —————————————
  31. 綱島正興

    綱島委員長 なおこの際お諮りいたします。理事の欠員が二名ございますので、この二名を補充いたしたいと存じます。その補欠選任のことについては委員長に御一任願いたいと思いますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  32. 綱島正興

    綱島委員長 御異議なければさようにいたします。この際理事中村寅太君、中馬辰猪君の両君を指名いたします。     —————————————
  33. 綱島正興

  34. 川俣清音

    川俣委員 この際最近とみに南九州を主といたしまして各県下異常発生を見ましたスギタマバエに対する決議をいたしたいと思いますので動議提出いたします。  御承知のように日本の山林の主たる森林資源であります杉に対してスギタマバエ発生をいたしまして、長年育成いたしましたこの針葉樹が非常な被害を受けておるわけであります。この森林資源を保護育成しなければならないわけであります。このまま放置することが許されないところにまで異常なる被害を与えておりますので、すみやかに政府はこれに対する処置を講ずべきであると存じます。そこで決議案を朗読いたしますから、御賛同を願います。    杉たまばえ防除に関する件   最近主として南九州県下にわたり、杉たまばえの異常発生を見、貴重なる森林資源を損耗しつつあり、このまま放置するときは、全国杉造林地に対し、重大なる被害を与えることとなるをもって、政府は、この際速かに杉たまばえを法定害虫に指定すると共に、これが防除事業の国庫助成その他万全の措置を講ずべきである。   右決議する。
  35. 綱島正興

    綱島委員長 ただいま川俣委員より決議案動議が出ておりますが、これを決議となすことに御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  36. 綱島正興

    綱島委員長 しからばさように決定いたしました。     —————————————
  37. 綱島正興

    綱島委員長 次に公海における漁船の拿捕及び韓国における抑留漁民の実情等に関し参考人より実情を聴取することといたします。  それではまず漁生丸実習生柳井義昭君より実情を聴取いたします。
  38. 柳井義昭

    ○柳井参考人 拿捕以後皆様方にいろいろお世話になりましたことを厚く御礼を申し上げます。それでは僕ら四名が韓国船に襲撃後拿捕されたときの状況をお話しいたします。  山口県下関港を二十九年十月十七日出港いたし、同月二十二日零時三十分に拿捕されたわけです。その当時の、天候は晴で、風位はノースウエスト、それで風波はともに二ないし三でした。突然三十メートルくらいに無灯火の艦艇を発見、同時に曳光弾の射撃を受け、本船は直ちに全速で無灯火をもって逃げたわけです。そうして十分くらいで拿捕され、それで船長はすぐに艦艇に乗せられ、ぼくたちが警備船に随航途中十二共進丸が拿捕されました。同日九時に済州島に入港いたしました。そうして同月の二十四日十八時に済州港から釜山に向い、そのときには回航要員として三沢船長、徳能機関長、ほか六、七名を本船に残し、他の船員は索星号内に軟禁され、翌日二十五日十七時釜山港に入港いたしました。そうしてすぐに海洋警察隊のトラックに乗り海洋警察隊に回され、そこで私物を検査され、そこへ保管されました。それでその晩はそこへ寝て、それからずっと取り調べを受けておったわけです。取り調べを受けておったのは李ラインを知って入ったか、李ラインに今から入ると船長かまたは他の者から言われたか、それで李ラインに入ってから見張りを立てたか、在学中に李ラインのあることを教えられたか、李ライン内でどれくらい漁獲したか、天測は習ったか、各人の宗教、家庭の財産等につき問われ、以上のことに対し適当に僕たちは答えたわけです。取調べは大体船長なんかが四、五日くらいかかり、一般船員が二、三日で、僕たちは大体二日くらいで済みました。そうして夜間は牧之島水上警察署留置場で寝たわけですが、そこでの起床は六時半で、就寝は九時でした。食事としては、普通の小さな食器にまる麦ばかりの御飯、その上に海草が少し乗った程度で、それが一食の食事でした。そして僕たちは取り調べを受けるため、十時ごろ留置場へ海洋警察隊のトラックが迎えに来るので、それに乗って海洋警察隊へ——そこで一日二食の食事をさせていただきました。そのときの食事は、大体どんぶり一ぱいの白飯、それからとうふのみそ汁で優遇でした。十一月の三日まで取り調べを受け、翌日の四日十時ごろ一同は私物を持って徒歩で検事局に回りました。検事局では各人の身の上その他を聞かれ、韓国漁業資源保護法違反及び平和ライン侵犯の容疑確認書を、僕たちは内容は不明であったが読み上げられ、それに捺印したわけです。そして同日の夜トラックで刑務所に送られました。刑務所で囚人服に着かえ、一同身体検査をされ、洗面具と衣料——寒いのでできるだけ着用、以外は同所に領置保管され、約八畳の板張りの監房に二十一名監禁されました。翌日本船乗組員末成年者十六名と十二共進丸五名、計二十一名、第三十監房に監禁されました。同時に本船乗組員成年者二十名隣り監房に監禁されました。監房内では起床六時、就寝十九時三十分、終日正座でした。そして二日に一回くらい洗面に行かせ、二十人二十分程度で看守が木刀を持って早くせいと追っていましたが、多分打たれた人間もおることでしょう。そうして所内の起床その他一切の行動はラッパ使用でした。そして十二月の二十二日十九時三十分、本船未成年者十九名、ほかに十二共進丸七名、一、二大和丸五名、いずれも未成年者は、違反事実あるも将来のことを考慮し検事釈放となり、身体検査の後私服にかえ、私物を携行してトラックで外国人収容所に向いました。なお本船船長以下二十名は、漁業資源保護法違反でまだ刑務所に残されております。外国人収容所関係については、十二月二十二日二十時三十分ごろ着き、そこの建物は一棟ごとにトタン屋根の平屋で、内部は中央に通路があり、両方に間があるわけです。畳はぼろぼろ畳でありますが、以上のバラックは五棟ほどありました。そしてそのむねのまわりには全部鉄条網で垣がされ、出入りできないようにしてありました。起床は自由でしたが、寝るときは市民と同様に、十時になったら全部消灯となっておりました。それで刑務所を出るときには、月に一回くらい船長たちに面会をしてやれといわれておりましたが、収容所へ行ったら面会もろくろくさせてくれず、僕たち未成年者の年の上の者が一度行ったくらいで、あとは外出させてくれるときは、散髪や入浴するときだけでした。ほかは外出といってもなかなかさせてくれず、ときどき、特別の理由がある場合には外出させてくれていました。昭和三十年の六誌五日以降内務部の所轄に変更され、刑期満了未成年名の日本漁船員は、二むねの中に集団収容されてからというものは、あまり自由もなくなりましたが、そのかわりふろは一週に一度、散髪は月に二回というようにきまっておりました。  抑留中の給与状況ですが、僕たちの船は航海のしまいごろおろされたので米が少かったのです。韓国の海洋警察隊で済州島でもらった米は白米でしたが、カビがはえた二年ぐらい前の米でした。そうして野菜は一部を本船のサバと交換し、新鮮な野菜をもらいました。済州島から釜山に回る間は、三人で二袋の乾パン、これもカビがはえたようなものでした。刑務所では貸与品は一人に囚人服——濃紺色で上下二枚、毛布二枚、アルマイト食器二個、竹ばし一ぜん、同房二十一名に対し大ぶとんが二枚ほどありました。食糧は外米二、大豆二、大麦六の混合食で、虫がだいぶ入っており、砂利が少し入っていました。その食事の形は型にはまった円錘形のもので、下の径が二・五寸、高さ三寸、上が二寸くらいのもの、それが一食で、副食はくさったような黄グチの塩辛でだしを出し、その中に大根のほしたような菜っぱや草などを入れたのが副食でした。それで僕たちはそれが食べられないので、看守に頼んでみそをもらったわけですが、日本人だから特別待遇といって、みそやたくあんをかわりがわりにくれておりました。そうして収容所の食糧事情は、初め行った十日ぐらいはよかったので、そのときには米麦半々で、副食はとうぶのみそ汁で、たくわんやいりこのつくだ煮等が出ていました、それ以後はぼくたちの炊事になり、それから米がだんだん減り、麦はふえ、一月の一日のときには朝飯は麦ばかりになっていました。そうして文句言ったところ、昼だけは白飯にし、それからずっと麦ばかりの御飯に、副食はみそ汁というよりかは塩汁と言った方がよく、三十一人で五十匁足らずのみそで、あとは岩塩ばかり入れて、それを副食としていました。それから三月一日よりは飯たきがきて、そうして米麦半々に変りました。それから帰るまでは食糧事情は同じです。そうして刑務所の中では私食食堂というものがあって、金さえあれば券と交換し、ライスカレーが二百円、ワンタン汁というのが百円、刺身が百五十円、うどんが百円、すき焼が二百円といろいろ食べられるようになっています。以上でぼくの報告は終ります。
  39. 綱島正興

    綱島委員長 次いで坂口徳佳君。
  40. 坂口徳佳

    ○坂口参考人 上席でまことにおそれ入ります。私たちの拿捕以来皆様にいろいろと御心配をかけ、またいろいろとお世話様になり、まことにありがとうございました。このたびはお忙しい中にもかかわらず、韓国に抑留されておられる船員の状況を皆様にお話する機会を与えて下さいましたことを厚くお礼申し上げます。  私は島根県浜田の底びき船第一大和丸の船員でございます。第一大和丸十名、第二大和丸十一名、二隻が一組で操業いたします。昨年十一月三日夜十一時ごろ浜田港を両船とも出港いたし、五日の朝から操業を開始いたしました。対島ウエストの方にて操業中韓国警備船が現われ、小銃を発砲しながら私たちの船の右舷につけ、韓国人が四、五名小銃を持って乗り移ってきました。そうして警備船は直ちに第二号の方へ発砲しながら追いかけていき、第二号も同じく拿捕されました。そのうち船長、機関長、それに警備船の人が三名残り、あとの普通船員は警備船に乗り移され、欲知島に連行されました。その夜は港で一泊いたして、十日に釜山港に入港いたしました。釜山港に着きまして、韓国海上警察にみなが取調べに連行されました。海上警察で二日間にわたって調べられ、調べが終ったのが十一日の夕方でした。それから牧島の水上警察の留置場に監禁され、二日留置場にいました。ここでの食べものは丸麦だけ、その上にモバ、海草が少し載っているだけでした。下は床張りで、夜具は毛布一枚でした。十三日朝刑事が来て留置場から出獄いたし、海上警察にトラックにて行きました。船から上陸いたすときに私物だけは持って上れたので、海上警察から私物をもらい、検事局に連行され、検事局では住所あるいは姓名などを書き、十三日夕方釜山刑務所に行きました。刑務所では私物、なお自分の着ている上着まで脱がせられ、青い囚人服を着せられ、未決で入獄をいたしました。大和丸船員二十一名八畳足らずの監房に監禁され、監房の中ではすみの方に四斗だるの便器があり、夜具は大ふとんを四枚、それに一人当り毛布一枚で、そこでの就寝時間は七時でした。狭いところに二十一名も入れられましたので、夜休むときにろくに休めず、みなが軍なり合って朝まで身動き一つできないようなありさまでした。起床時間は六時で、一日中すわらせられ、食べものは丸麦、大豆、米少しの、ちょうど今柳井さんの言われたような握り飯のようなものでしたが、これを入れるのに、直径二十センチ四方の小窓からほうり込んでくれるのを中で受け取るようなありさまで、まことに人道を無視したようなやり方でした。副食は塩汁で、時たま野菜が入っていましたが、この野菜も大根の葉っぱの枯れ葉のようなものが入っていました。十一月二十二日の夜、漁生丸十九名、共進丸七名、大和丸五名、計三十一名が未成年者のため検事の勾留期間のうちに不起訴で釈放され、刑務所から一里ばかり離れた収容所に送られました。収容所では外務省の管轄を受け、外務省の人が二人、警察官が一名の警備をしており、また収容所には五むねのバラック建があり、自分たちはその一むねに入ったわけですが、その家たるや、十二間と五間くらいの大きな建物ですが、中には天井もなければ仕切り、区切りもなく、部屋の中は一目で見られるようなところでした。あの冬の寒いとき、向うで零下十三度、十四度のときなど、まくら元に鶏の卵を置き、朝食べようと思って割ろうと思っても、卵の中が凍ってしまって割れないようなことがありました。このようなときにも毛布も外務省から貸してくれず、自分たちの持っている毛布の二枚かあるいは三枚、約三枚弱で眠れないような夜が幾夜もありました。食べものの方は、初めは一週間ほど米、丸麦半々でしたけれども、それがだんだんと減り、しまいには麦だけ食べたこともあります。またもみが多くて食べられず、みんなでもみ拾いをしたこともありました。副食はみそ汁と、ときどきはたくあんがあり、みそ汁などはほとんどいりこがなく、ただみそだけ入れてあるときもありました。収容所には電灯がなく、ランプでした。ランプに使う油代、理髪代、ふろ銭は自費でしたので、金がないときなど二カ月あるいは三カ月もふろに行かれず、どうしても不潔になり、一月、二月、三月ごろにはしらみがわき、一枚の毛布に六、七十匹もいることがありました。六月十五日から内務省の管轄を受け、手紙も月三回検税を受けて出すようになり、警備には警官が二名、刑事が一名おりました。このようなありさまでしたので、また金に困り、私物あるいは会社の方から送ってくれたものをみんな売って、これらを金に変え、また間食代などにいたしました。  現在、収容所から私たちが出るときに九十七名いましたけれども、あれからまた収容を受けた人もあると思います。そして六月二十二日、漁生丸四名、私たち三名が幸い帰国できましたものの、まだ刑務所あるいは収容所に二百七十名ほどの船員が飢えとこの暑さに苦しみ、また故郷のことあるいは妻子のことを思いながら、ただ帰国のみを楽しみに夢を見て暮しております。どうかこのみじめな人たちを一日も早く送還されますよう皆様にお願いいたす次第であります。  それでは私の発言はこれで終ります。皆様ありがとうございました。
  41. 綱島正興

    綱島委員長 次に津田さんにお願いをいたします。
  42. 津田綾子

    ○津田参考人 私、昨年十二月不法拿捕されました浜田港第三平安丸船長津田松市の妻綾子と申します。高いところからお話をして恐縮に存じます。  このたび第一大和丸の坂口さんが証言のために上京されることを聞きまして、私、突然急に上京を決意いたしまして、いっときも放せない小さな子供を人様に預けて、島根の果てから留守家族を代表いたし、いろいろと御心配、御配慮にあずかりますことにつきまして御礼を申し上げますとともに、一切の御配慮を賜わりますことをお順い申し上げに、悲壮な決意で参らせていただいたのでございます。私どものような者が出しゃばって、あつかましく出てくる場所ではございませんことは十分私も承知いたしておりますが、抑留された家族の皆様のお気持、生活の状態または抑留されておる者のことを思いますれば、私、うちにじっとしておることはできませんでした。またいろいろと関係者の方々にも相談申し上げまして、私のこの気持を打ち明けましたところ、本委員会に陳情、上京することはとてもむだだと言われまして、私もしばしがっかりしたのでございます。せっかくいい機会ができましたのに、さだめしあの韓国刑務所で苦しい生活をしておられるであろう船員並びに夫のことが頭に浮かびますときは、私はやはりこの上京を思いとどめることはできなかったのでございます。何のお役にも立ちません私に、留守家族の方々が大へん御期待下され、ぜひ上京してほしい、旅費がなければ皆で出し合う。またある人はかわいい子供を救ってもらえると思えば、旅費くらいは家を売って作りたい気持で一ぱいですと申されました。私はうれしくて涙が出たような次第でございます。幸いにして大へん地元の婦人会の皆々様がお力づけ下され、それについて水産関係の皆様もお骨折り下さいまして、とうとうこうして皆様の前で実情を述べさせていただきますことは、何より仕合せなことと存じております。  思い返してみますれば、あのおそろしい知らせがありましたのは、昨年の十一月二十二日の朝でございました。私の常に心配をしておりましたことがとうとう参りましたのでございます。どんなに驚いたことでしょう。また待ちに待ちました楽しい正月も、一瞬にして消え去りました。子供たちはどんなにかさびしかったことと思います。水産方面の方々にもいろいろと手を尽していただきましたのでございますが、韓国のこととてどうしていただくこともできません。その後毎日さびしい日を留守家族の者が、気づかいながら、いつしか二月がおとずれ、突然平安丸の未成年の魚崎さんが帰られたのでございます。いろいろとあちらの実情を聞き、皆様に大へん心配をしていただき、浜田の全市民をあげて署名運動に乗り出していただいたのでございますが、船員の家族の方々や私どもも、寒い中を子供を負い、飛び回ったこともございました。その後日韓会談も打ち切られたとのこと、どんなに皆様が落胆をされたことでございましょう。また最近は知名人のお方々が署名運動または嘆願書につきいろいろと御心配下さいましたおかげで、とうとうとの議会に持ち出すことができたのでございます。  抑留者の手紙は月に一通、この手紙には悲壮な気持がうかがわれるのでございます。抑留者の手紙を二、三読ましていただきます。たとえば、「お前たちに刑務所生活を知らせたら卒倒することだろう。文章を書くのさえ、大儀と栄養不足のため思うことすら満足に書き表わすことのできぬとの気持をだれが知るらん。人生いかなることにも希望を持ち、忍耐と努力の実が結ばれる暁には喜びの幸福がわきおとずれて、人生を楽しく、意義ある日常が過ごされていくのであろうと思う。月に二本の便りを送ってくれることがうれしくて、男泣きをすることすらある。海山越えて何百海里を離れている相互の環境をしのび合わせると、全く世の中は皮肉にできています。何もかもこの世の運命と諦めねばなりません。やがてわが世の楽しい天国がわれわれのために迎えてくれる日をお互いに待ちましょう。満期がきて帰られる井上さんと申す方がおとずれたら、小生の苦労をお尋ね下さい、お前たちも日ごと子供のしつけや日常生活に追われ、さぞ苦しい一日を過し悩んでおることをしのび浮べばかわいそうでならぬ。やるせない思いです。今はどうすることも許されない身の上、何とぞ勇気を出して、いかなる難関に立ちあうとも、耐え忍んでがんばって下さい。男の自分たちでも、異国であらゆる苦境や不自由生活を忍んで、内地帰還を指折り数えて満期の日を待ちながら過しております。お前に頼みが一言あるが、それを申し伝える。自分が刑務所生活をいたしておりますことなど、絶対にどんなことがあっても子供たちに教え話すことをしてはなりません。何ゆえならば子供の将来を考え合わせてのことゆえ何分とも子供のしつけと成長は母の役目であり、義務であるから頼む」。  またある手紙には妊娠中の妻のことを大へん心配して、「ほんとうに苦労ばかりかけて相済まぬと思う。やさしい言葉をかけてくれる人とてない身の上のつらさ、ほんとうに気の毒で言葉に言い表わすことすらできぬ。許してくれ」と書いてあります。  最近参りました手紙を読ませていただきます。前の分を省きます。「幸いに船長初め船員一同不安と陰うつなる刑務所生活を耐え忍び、本日まで無事過しましたことは、ひとえに皆様のたまものであることを感謝申し上げてやみません。船員のため、日夜明け暮れとなく帰国促進運動やら帰還嘆願書などを作り、一日も早く帰還の道につくよう皆様の誠意ある御努力は一通りではなく、はるばる異国の獄窓より推察いたしております。その好意に報いるために、われわれ船員は、幾多の艱難辛苦を耐え忍んで、無事に皆様と再会できる日を一日千秋の思いで、希望の綱をゆるめることばできませんとともに、一層拍車をかけ、勇猛心を振い起していることは抑留船員全員の気持であります。」  また別の手紙、「近々中要求の慰問品をたくさん送られたとのことを聞き、われわれ船員は首を長くして待ちわびております。指折り数えて全く子供と同じようです。獄窓では何一つできず、かごの鳥と一緒です。あまりにもみじめな生活ではありませんか。だれがため異国でつらい思いをして刑を務めねばならぬのか、とうてい筆や口に尽されることは不可能と思います。豚同然な生活です。主食副食は人間の口に食べる品物ではありません。生きるがために、血と油と身体を無事になつかしいわが家、わが子に見せるがために悲惨な生活に耐えております次第であります。何とぞ留守中、津田さんを初め同家族の方とみな励まし合い、お互に手を取り合って喜び笑う時期がきっと近き将来にやってきますことをお待ち申しております。」ほんとうに数々の手紙をいただきますごとに、家族の気持はどんなでございましょう。  衛生方面のことは、もういろいろと皆様のお話で御承知のことと思いますから、省かせていただきます。留守家族の生活状態を一つ二つお話し申さしていただきます。池野一平さんのお留守は八十近いおじい様、おばあ様とお妹さん、中風でお休みになっておられるお父様、お母さんは六十歳近い方ですが、毎日元気でみなの世話をしながら、近くの干魚屋に通ってわずかばかりの賃金をいただいておられるのでございます。     〔委員長退席、白浜委員長代理着席〕 佐々木清次様のお宅には、お父さんは御病身、お嫁さんはまだ乳飲み子をかかえておられますので、お母さんがただ一人、やはり干魚屋に朝から晩まで働きに行っておられるのでございます。私のところでも四人の小さい子供がおりますので、魚市場の近くに回転焼き——どらい焼きと申しますが、あの焼きまんじゅうでございます。これを売って生活の足しにしておるのでございます。みな一家の中心人物ばかりでございますので、一日も早く帰してもらわなければなりませんことと、あちらは大へん不潔なところでございまして、病気にて倒れましたら、もう私どもはほんとうにやみの中のものでございます。それのみを家族の者は大へん心配しておるのでございます。ぜひこの生命の保障と、一日も早くわれわれの夫、船員をもとしていただけますよう、政府の皆々様方が御助力下さいますようにひとえにお願いさしていただく次第であります。留守家族の皆さんは、私の帰りますのをどんなに首を長くして待っておられることかと思います。何とぞまだ韓国におられる二百七十七名の方々を私どものような気持の方ばかりでございますから、一日も早く御政府の力で戻していただきますことを、私、高いところから、くれぐれもお願い申さしていただく次第でございます。(拍手)
  43. 赤路友藏

    赤路委員 議事進行。外務省と水産庁の出席しておる人名を調べて下さい。だれが出席しておるか。
  44. 白浜仁吉

    ○白浜委員長代理 外務省から鶴見アジア局第五課長、海上保安庁の砂本警備救難部長。
  45. 赤路友藏

    赤路委員 大体この問題は非常に大きな問題なんです。この重大な問題に対して、外務省が単に一課長を出席さしておるということはけしからぬ。(「その通り」)軽視するのもはなはだしい。これでは質問はできません。委員長休憩をして、午後に継続、午後責任のある立場の人の出席を求めます。大臣もしくは次官の出席を求めます。
  46. 白浜仁吉

    ○白浜委員長代理 皆さんにお諮りいたしますが、本日は参考人に皆さんから質問をしていただいて、日を改めてそれぞれ大臣責任者の出席を求めて質問をすることにしたいと思いますが、いかがいたしましょうか。     〔「休憩々々」「理事会を開け」と呼ぶ者あり〕
  47. 白浜仁吉

    ○白浜委員長代理 それでは午後は二時より開会することとし、暫時休憩いたします。     午後零時二十一分休憩      ————◇—————     午後二時二十六分開議
  48. 鈴木善幸

    ○鈴木(善)委員長代理 午前に引き続き会議を開きます。  公海における漁船の拿捕及び韓国の漁民の抑留問題について調査を進めます。田口長治郎君。
  49. 田口長治郎

    ○田口委員 柳井君にお伺いいたしますが、今度あなた方が一緒にお帰りになったのは七名と思うのでありますが、その中で学生が四名とその他が三名ということでございますか。
  50. 柳井義昭

    ○柳井参考人 学生四名と未成年者三名、それだけです。
  51. 田口長治郎

    ○田口委員 さらにお伺いいたしますが、学生は四名で全部だと思いますが、未成岸孝は三名のほかにまだたくさんおると思うのでございますが、特に三名だけを選んで帰したという理由はどこにあるとお思いですか。
  52. 柳井義昭

    ○柳井参考人 それは僕たちにはわかりません。前の日の午後三時ごろに突然帰れるという通知があったのですから、そういうことは僕たちには全然わかりません。
  53. 田口長治郎

    ○田口委員 学生の方はよくわかりますが、未成年者でお帰りになった三人は、病気とか何とかそういう人ではなかったのですか。これは坂口君にお伺いします。
  54. 坂口徳佳

    ○坂口参考人 そういうことはありませんでした。みんな元気でしたけれども、僕たちが一番年下の関係ではなかったかと思います。まだみんな満十八歳未満です。
  55. 田口長治郎

    ○田口委員 津田綾子さんにお伺いしますが、お宅の御主人が船長をしておられた第三平安丸というのは底びき船でございますか。
  56. 津田綾子

    ○津田参考人 さようでございます。底びき船でございます。
  57. 田口長治郎

    ○田口委員 二そうびきでございますか、一そうびきでございますか。
  58. 津田綾子

    ○津田参考人 二そうびきでございます。
  59. 田口長治郎

    ○田口委員 そういたしますと、船長のほかに乗組員が十八名か二十名程度おると思いますが、これらの乗組員は津田さんと同じ浜田市の方々ばかりでございますか。
  60. 津田綾子

    ○津田参考人 さようでございます。
  61. 田口長治郎

    ○田口委員 先般山口県の萩の船が大量に朝鮮で拿捕されました。その際私らは萩に行って実情を見たのでございますが、乗組員の留守家族の生活というものは目に余るものがありまして、全く女ではどうかと思うような仕事までして生活を維持しているような実態を見て参った次第でございますが、この十八人あるいは二十人の留守家族の方が、浜田市で今生活しておられる状態は、どういう状態においてやっておられるのでありますか、その点をもう少しはっきりお話し願いたいと思います。
  62. 津田綾子

    ○津田参考人 ほかの方から見られましたら大へん労働のように思われますが、私どもの方の仕事、あれは普通の仕事だと思っております。
  63. 田口長治郎

    ○田口委員 今のお話はどうにか生活している、さような意味でございますか。
  64. 津田綾子

    ○津田参考人 さようでございます。
  65. 田口長治郎

    ○田口委員 御主人がおられないで収入がなくなってなお留守家族の方が生活をしておられるということにつきましては、この乗組員全部は漁船乗組員給与保険法にかかっておられた方ばかりでございますか。保険に入っておらなかった人もおられるのですか、その点はどうなっておりましょうか。
  66. 津田綾子

    ○津田参考人 このたび戻ってこられた方には保険がないようになっております。あちらに拿捕された分だけが保険をいただくようになっておるのであります。それから片船が戻りまして——拿捕されました前の日に松剛丸と申します船が片方遭難したのでございます。その片方の残りました船とともに第五平安丸がただいままで操業しておりました。それで幾分他の漁獲高を皆さんに配当いたしまして、保険も同じように分配して平等に分けておるような次第でございます。
  67. 田口長治郎

    ○田口委員 この点はきわめて重大でございまして、津田さんのお話によりますと、第三平安丸乗組員は全部給与保険にかかっておった、それで向うに抑留されておる間はこの保険金によって家族はどうにか生活している、帰ってきた人にはもちろん保険金の給付というものが停止をされる、なお片船が残っておるからその片船の働きによってその収入を留守の人にも分けてやっておる、こういうような話でございます。水産庁長官にお伺いいたしますが、その点はそれに間違いございませんか。
  68. 前谷重夫

    ○前谷政府委員 ちょっと今の具体的な、第三平安丸でありますか、その件に関しましては私詳細は存じておりませんが、大体当初におきましては給与保険の普及も趣旨の徹底もございませんで、当初に抑留されました者についてはかかってない場合もあるかと思っておりますが、最近におきましてはほとんどかかっておると思います。それでなおその給与保険をかける場合につきましては、船首と乗組員との間におきまして……。
  69. 田口長治郎

    ○田口委員 一般論はどうでもいいですから、この第三平安丸について…。
  70. 前谷重夫

    ○前谷政府委員 第三平安丸の具体的事件についてはまだ私は承知しておりません。
  71. 田口長治郎

    ○田口委員 今水産庁の保険の係の人がおいでになっていないからどうかしらぬと思いますが、今日まで李ラインで拿捕された船が約百八十九隻あります。そのうちでいまだ帰ってこないものが九十一隻、帰ってきたものが九十八隻、こういうことになっておりますが、こういう水域に出漁する漁船では、特に漁船保険及び漁船乗組員給与保険、この二つにはどうしてもかかっておかなければいけない、こういうことで山口県の萩の問題がありましたときに、強力にそういう方向に指導をしてもらいたいというお願いをしておいたのでございますが、今まで韓国政府によって拿捕抑留されました百八十九隻の船で、特殊保険にかかっておるもの、また漁船乗組員給与保険法に加わっておる者、これを仕訳いたしますと、どういうことに数字が分れますか、その点を一つ説明を願いたいのであります。
  72. 前谷重夫

    ○前谷政府委員 今手元にあるのは総数でありまして、韓国関係及びその他の関係ということが区別つかないのでございますが、大体二十九年度中の給与保険を申し上げますと、二十九年度中に給与保険といたしまして支払いましたのは、隻数にいたしまして百二隻、乗組員にして千百五十四名がこれに該当しております。従って支払い保険額は約四千万円程度支払っておるわけでございます。そのうち国庫の負担といたしまして千五百万円ほどを国庫から繰り入れまして負担をしておるわけでございます。その中の地域別の内訳は、ちょっと資料を持ち合せておりません。
  73. 田口長治郎

    ○田口委員 全般的なお話がございましたが、今御承知の通り中国関係の問題はほとんどなくなっておる、問題がもし起るとすれば李承晩ラインだけの問題でございまして、われわれはこの李承晩ラインの問題をあらゆる角度から解決する方法を講ずべきだが、それについては特殊保険と給与保険、この二つが非常に重大なものになるのでございますから、今日まで拿捕されましたこの海域における漁船の仕訳の資料を至急作っていただきたいのでございます。  それからアジア局長にお伺いいたしたいと思うのでございますが、先ほど参考人から承わりますと、未成年者で三名だけは、理屈はわからぬけれどもとにかく帰ってきた。ところがなお韓国に未成年者が多数におり、しかも刑が満期になってすでに釈放されておる人間も相当おる、しかもその数が百名程度に達するだろう、こういうような状態でございますが、この抑留をされておる二百七十四名の人間はともかくとして、未成年者及び刑がもう終った者、これを帰さないということは、これはまた一そうひどいと思う次第でありますが、これを何とか帰せという折衝を今まで特にこの問題についてやられましたかどうか、そうして未成年者及び刑が済んだ人間まで抑留されておる、そのことについて一体韓国は何を目的に、何をにらんでさようなことをしておるか、さような点について、アジア局で御研究あるいは折衝されたことがありましたら、その経過、見通しについて一つお伺いいたしたいと思います。
  74. 中川融

    ○中川(融)政府委員 韓国に抑留されております漁夫の方々のうちで、ことにすでに刑期が終えて、あるいはその他の理由で釈放されて刑務所を出ておりながら、なお日本人収容所に相当長く半年以上も抑留されたまま、その後日本に帰る理由があるにかかわらず、まだ帰されていない事実があるのは、はなはだわれわれも了解に苦しむところでございます。お説の通り人道的な意味から言っても、はなはだけしからぬことであると考えて、この問題につきましては、ここ半年ほどの間、何回となく韓国代表部を呼びまして、折衝してきておるのであります。それでこれらの方々のうちで、特に未成年の方は、未成年であるという事実、留守家族の方々もひとしお心配も大きいという事実から、未成年の方は特に最短期間に釈放してほしい、それ以外の方ももちろんできるだけ早く釈放してもらいたいという趣旨で、交渉して参ったのであります。どうしてこれらの人を抑留したまま帰さないか、こういうことにつきましては、幾ら理由を問いただしても、向うの代表部の者も知らない模様でございます。しかしいろいろ間接に伝わるところでは、たとえば日本が中共その他の共産圏といろいろ交渉を始めておるというような事実が、李承晩政府を刺戟しまして、理由のいかんを問わず釈放をしぶる、あるいは帰国をしばらく延期しておるのだというようなことも、間接には聞いたことがあるのでございますけれども、しかしこれを的確に確かめる機会は得られなかったのであります。なお最近七名の未成年の方が帰られたのでありますが、この方々が特にほかの方々よりも先に帰られたという事実は、やはり日本側から強く釈放を迫りまして、特に未成年の人はできるだけ早く、即刻帰してもらいたいということを交渉いたしました結果、向うも多少考えを変えまして、人道的な考慮も入れて、未成年の人は特に早く帰すという方策に出てきているのではないか、かように考えております。しかしながらただいま田口委員指摘通り、未成年者はまだ相当たくさん現地に残っておられます。われわれの計算では三十一名未成年の方がおられる。そのうち七名の方が帰られたのであります。残余の方はまだ残っておられるのでございます。この方々は至急帰してもらいたい、かように考えております。なおそれ以外の抑留者の方々もぜひ至急帰してもらうように、今後も引き続き強力に折衝いたしたい、かように考えております。
  75. 田口長治郎

    ○田口委員 この李承晩ラインの問題は別問題でありますが、抑留されておる船員を帰すという問題につきましては、これは別に今抑留されている人が領海にどろぼうに行ったというのでも何でもありません。公海で正当に仕事をしておる。そうして午前中の参考人の話を聞きましても、その滞在中の向うの生活というものは、まるでお話にならないような状態である。さような日本人がなお韓国に二百七十幾人もおる。これの釈放という問題につきまして、何だか政府に熱が足らないような感じを持ちます。中国にたつた十一人のアメリカの飛行士が抑留されておる。これの釈放に対しましてアメリカ政府は、あれだけアメリカの世論を指導し、世界の世論を喚起して、努力をしておる。しかも日本では二百七十幾人も、しかも非常なみじめな生活をさせながら、朝鮮におる。これに対する政府の釈放に対する努力というものは、もう少し一段とやっていただかなければ、何だか日本が独立国であるかどうかという、さような疑いまで持つような気持になる次第でございます。この点はいろいろ努力はしておられると思いますけれども、どう考えても、ああいう生活をしてわれわれ同胞が二百七十人も朝鮮にぶち込まれておる。それをそのまま半年も一年近くも放任しておくことは、これは断じて許されないことと思うのでございます。これに対して別の有効適切なる方法、こういうことを一つ自分らは考えておるのだ、こういうわれわれがうなずけるような処置について、何かお考えはございませんか。その点を一つ明らかにしていただきたいのであります。
  76. 中川融

    ○中川(融)政府委員 現在韓国に抑留せられておりまする日本の漁夫の方々で、まだ帰国を許されない、こういう方々を抑留すること自体が国際法の違反であって、はなはだ人道上とうてい容認することのできない処置であるということにつきましては、政府はもとより強くそう考えておるのでありまして、その趣旨は韓国側に強く申し入れておるのでございます。この日本人漁夫の抑留という事実が、このように根拠のないものである、非人道的なものであるという日本側の主張は、やはり軸国側にとってある意味で痛い主張であろうと思うのであります。従って道理を説くというこの態度が、結局問題の解決に一番効果のある方法ではないか、かように考えております。その例と申しますか、はなはだおくれてはおりますが、最近七名の方が帰られたことも、結局はその道理を尽しての説得の結果であると考えられるのであります。  なお今後さらに多数の抑留漁夫の方々を帰してもらう、あるいは帰さすということにつきましては、引き続き努力しておりますが、これは最近の非公式の情報といたしまして、抑留漁夫の帰国問題については十分考慮しておるからという連絡もあるのでありまして、私どもはもう少し忍耐をもって折衝を続けることによりまして、遠からず相当数の漁夫の方の帰国が実現するのではないか、かように考えております。
  77. 田口長治郎

    ○田口委員 船員の帰還問題の根本的の解決方法といたしましては、やはり日韓会談をできるだけ早く開催させてもらう、このことにあると思うのでございますが、この日韓会談再開に対する現在の空気だとか見通しだとか、こういうことについて外務省としてはどうお考えになっておりますか。
  78. 中川融

    ○中川(融)政府委員 一年七カ月ほど前に日韓会談が決裂いたしましてから今までの間に、会談を再開する努力というのは、これは前内閣当時、現内閣になりましてからも、引き続きまして行なってきたのであります。当初の段階は、米国を通じていろいろ再開に努力を試み、次の段階におきましては、いわば直接交渉によって再開の努力を試み、さらに最近現出閣が成立いたしましてからは、外務省の谷顧問と金公使との間に非公式の会談を行いまして、いわばその前提となる空気を醸成することに努めておるのでございます。最近二月ほどの間、この空気が多少冷却したのは事実でございますが、これはいろいろ日韓両国をめぐる国際情勢の変化というようなことから多少冷却したのでありますが、その後最近におきましては、たとえば米国大使のいろいろあっせんの努力、あるいはそれに時期を一にいたしまして金駐日公使が帰国いたしまして、いろいろまた本国政府と打ち合すというようなことから、漸次再開の空気が醸成されてきたのではないかとわれわれは観察いたしております。できるだけこの空気を醸成いたすことによりまして、近い機会に会談再開、これは正式な会談とまでいかなくても、非公式な会談あるいは話し合いというものをいたすことによって、根本的な日韓関係の打開をはかりたいというふうに努力いたしておる次第でございます。
  79. 田口長治郎

    ○田口委員 日韓会談を政府同士お話になる機会が一日も早く到来することを希望する次第でございますが、私は昨年九月に中共へ行きまして、長い間懸案でありました中共と日本の漁業問題を解決して参りました。その経過からいたしまして、中共と日本政府とは政府同士の話し合いをする筋がないのでありますが、朝鮮はその点は同じ自由主義国家という点もございますし、多少趣は違いますが、政府同士の話ということになりますと、非常にかた苦しいという点もございますし、何としても話をやわらかく、そしてときには思い切って話しかけることもできる、そういうような点は、民間団体同士の話がむしろ適切な行き方をひっぱり出すのではないか、かようにもみずから中共へ行って漁業問題を解決した経験からいたしまして考える次第でございます。この日韓漁業問題も、政府同士の日韓会談を一日も早く開いていただくようにこぎつけていただかなければならぬと思いますけれども、民間同士の話し合いというような側面的の行き方も一つの道ではないか、こういうふうに考えるのでございますが、民間でそういう空気が醸成されました場合におきまして、外務省としては、表向きの援助ということも不可能かと思いますけれども、少くとも陰の援助はしていただけるかどうか、さようなお考えについて御意見を承わりたいと思います。
  80. 中川融

    ○中川(融)政府委員 政府がいろいろ努力いたしておりますが、なかなか再開の運びに至らないのははなはだ遺憾でございます。従いまして、ある意味でこれを御援助いただくという意味におきまして、民間側におかれて韓国の民間側なりあるいは韓国の政府当局なりに直接いろいろ事情を開陳されて折衝を試みられるということも、私はけっこうなことではないかと考えております。なお韓国側の態度その他から見まして、漁業問題あるいは李ライン問題というものを、ほかのいろいろの案件と関連させて今まで先方は交渉する態度をとってきておりますので、事実問題としてはなかなかむずかしい点もあろうかと思いますが、しかしさような試みをされること自体は、私はけっこうなことではないかと考えております。
  81. 田口長治郎

    ○田口委員 最後に水産庁長官にお伺いいたしたいのでございますが、この李承晩ライン内の漁場は、長官も御承知の通り約二十二、三万トンの魚をここでとっておる、金額にして百二、三十億円のものであり、ここで飯を食っておる漁業者だけで四万人程度いる。家族を合せますと、少くとも二十万程度、そしてこれには非常な関連産業があって、冷蔵にしても製造にしても、あるいは魚カンにいたしましても銀行にしてもそうである。しかも大阪以西の日本の各県各都市の蛋白脂肪というものを、ほとんど五〇%をこの漁場からとってきておるもので供給をしておる、かような点から考えて参りますと、この危険な漁場に漁業者が行くということは、漁業者自体が自分の生活を立てるために行く、さようなことでなしに、日本国民の食糧の観点からいたしましても、あるいはいろいろな日本の経済関係からしても、やむにやまれない漁場でございます。ここは公海漁場でございまして、どこにも気がねをする必要のない漁場でありますが、ただいろいろな関係で拿捕事件その他が起ります。これにはわれわれはどうしても漁船特別損害補償法、これを各般に徹底をさせ、また一面におきまして乗組員のいわゆる給与保険というものを全部に徹底をさせなければならぬ、こういうふうに考えておるのでございまして、先ほど、今日まで拿捕された船でこの保険に加入していない船がどれくらいあるか、加入しておった船がどれだけあるかと聞きましたのもそこにある次第でありますが、この点を一つよくお考えになって、もしかかっていないような船があるとすれば、何ゆえにかけないか、そういう原因まで探求されて、全部を一つこの両方の保険に加入させる道を講じていただきたいのでございます。それと同時に、今日まで拿捕された船員のうちで、この保険に加入していないために生活に困っておるような、さような人も多分あるだろうと思う。この問題につきましては、先般山口の萩の漁業者が大挙拿捕された場合に、われわれは、当然保険に加わらなければならないのだが、そのときに加わっていなかった。ただ主人がおらなくなって飯が食えなくなった、これは現実に即して国家は見舞金という名儀で、さしあたり生活するような道を講じたわけでございます。その後の拿捕漁船につきましても、さようなものが多分相当数量あると思うのでございますが、これもケースとしては山口県の萩のケースと同じてございますから、その点も一つ水産庁としては大蔵省その他と折衝されて、そうして同じ待遇にしていただくような御努力を一段とお願いいたしまして、私の質問を終る次第でございます。
  82. 前谷重夫

    ○前谷政府委員 ただいまの田口委員お話のように、この南鮮の漁場は、漁業面におきましても、また国民の食生活からいきましても非常に重要なことは、お話通りでございます。従いましてわれわれといたしましては、ただいまお話のございましたように、特殊保険、給与保険を徹底させることによって対策を講じたい。二十七年にこの保険制度ができましてから、当初のうちはまだ普及の徹底が非常に不十分でございましたが、最近におきましては非常に徹底いたしまして、大部分と申しますか、相当入るようになりましたが、まだ徹底の足りない点もあろうと思いますから、その点は十分指導をいたしまして、全部が入るように努力いたしたいと思っております。
  83. 鈴木善幸

    ○鈴木(善)委員長代理 赤路君。
  84. 赤路友藏

    赤路委員 私は質問の通告をしておいたのですが、今まで田口委員質問に対する御答弁を聞いておりますと、これ以上質問をしてみても何ら得るところがない。問題解決の焦点すらも見出し得ないと思うのです。今までの質問に対するアジア局長答弁を聞いておりますと、これは事務当局の一応の答弁にしかすぎぬと私は思う。単なる事務当局の外交のあり方とか経過とかいうものでなしに、むしろ今日の段階では、政治的な面からの解決をはからなければならないところへ来ておる。従って私はアジア局長をどうとかこうとか言うのではありません。アジア局長にはたびたび本問題でもめんどうを願っておりますので、十分その手腕なり力量は信頼しておりますが、少くともこの問題は、もう事務当局の問題としてではなくて、政治的な問題として大きく取り上げなければならない段階に来ておると思う。おそらくアジア局長は、今おっしゃった以上の御答弁はなし得ないと思う。過去六カ月にわたって、この抑留者の送還については種々折衝をしておる、こういうふうにおっしゃった。今後も強硬にこの点については申し入れもやり、折衝を継続をしていくと言われておる。これは事務当局としての考え方であって、これからはおよそ一歩も出て、具体的にそれではこうするのだということは、私はおっしやれないと思う。それでは本問題は私は解決つかぬと思う。たとえば先ほど田口委員が申しましたように、もちろん日韓会談とは一応の関連性は持っておる。しかしわれわれが考えた場合に、もちろん拿捕されるということは、日本側の観点と韓国側の観点とには食い違いがある。かりに一歩譲って、韓国の法規によって刑が科せられたといたしましても、一旦釈放されたならば、刑が満了したならば、当然帰すということは人道上の問題です。このことはアジア局長のただいまの御答弁の中に十分含まれておる。人道上の問題であると御確認あるならば、単なる今までのような慣行的な形でなしに、もっと大きくこの問題を取り上げてやらねばねらぬと私は思う。それは全体の人数からいけばわずかでありましょう。二百七十六名、その中で百名ほどの諸君が釈放されたなりで、そのまま抑留されておる。しかしこれは国民の、特にやられておる家族の立場を考えれば、のんびりしたことは私は言っておれないと思う。そんな段階ではない。私が今ここでどれほど声を荒げて大きく申し上げて、あなたに御質問申し上げ、あるいは御希望申し上げたとしても、最後の具体的な手はここでは出てこない。あるいは次官にしましても大臣にしましても、これは出ないかもしれない。しかし少くともこの問題は、もう一応事務当局の手から離れた政治的折衝としてやらなければならぬ段階に来ておる。これをやらなければならぬときなんだ。見通しは先ほどの御答弁にも、空気が漸次醸成されていきつつある、こうおっしゃっておる。私たちは必ずしもそう解釈していない。確かに醸成されてきつつあることは事実だ。日本側の方でも、久保田発言を取り消すというようなことを、それとなしにアドバルーンを上げてみる。そういうようなことはあった。しかしここ一、二カ月の空気というものは確かに変っておると私は見ておる。この情勢を甘く見てはならないし、またこうした情勢下にあればあるだけ、ほんとうに政府責任者は、私は単に外務省とは申し上げません。政府は、本問題をどうして解決つけるか、日韓会談と切り離してでも、この問題に対しては責任を持ってやられなければならぬ。私は決してアジア局長をどうこう誹謗するものではありません。くどいようですが、私はたびたびこの国際漁業の問題についてもアジア局長答弁をお聞きしております。誠意のあることも認める。しかしながら事はこの段階に至っては、私はもう事務当局の手でどうこうという問題ではないと思う。であればこそ、私は今朝の委員会において、大臣もしくは次官が出て、政府責任のある答弁をしてもらわなければ困る、こういうことを要望しておる。出て来ない。(「その通り」)農林大臣も出てこなければ、外務大臣も政務次官も出て来ない。この問題を一体どう考えておるかということを私は今朝言ったのです。アジア局長御承知の通り、人道上の問題であると外務省全体が考えておるとするならば、外務大臣はいかなることがあっても、たとい少時間であっても、この席上へ出てきて、ここで当然責任のある答弁をすべきなんです。(「その通り」)いかにこの問題を軽視しておるかということを私は言いたい。委員長、私は質問をいたしません。
  85. 鈴木善幸

    ○鈴木(善)委員長代理 外務大臣、政務次官に交渉いたしたのでありますが、外務大臣は病気のために本日はお休みのようであります。なお政務次官は、ただいま外務委員会に入っておる模様であります。(「出ておりません。外へ出て行った。」と呼ぶ者あり)今連絡をとらしております。久保田委員
  86. 久保田豊

    久保田(豊)委員 私は李ライン問題とは別個の問題でありますが、しかし本質上李ライン問題に非常に大きな影響を持っている問題について二、三お尋ねをいたします。それはほかでもありませんが、本年の二月十四日に長崎県の生月島沖合いで日魯漁業の下関の支店に所属する第六あけぼの丸が韓国のフリゲート艦に追突を受けて沈没をした事件がある。この事件についての措置は今日までどうなっておるか。承わるところによりますと、先月末あたり外務省が出しましたこれに対する抗議書ですかあるいは照会書ですか、何かわかりませんが、それに対する韓国側の回答があったということでございますが、その内容はどうなっておるか。なおこれに対して、その後の外交折衝はどうなっておるかということをお伺いいたしたいと思うのであります。
  87. 中川融

    ○中川(融)政府委員 ただいま御質問のありました第六あけぼの丸の衝突沈没事件につきましては、事件が起りますと、さっそくこれにつきまして日本側で詳細な調査をいたしました。調査の結果を調書といたしまして、韓国代表部を通じて韓国政府にこれを送りますとともに、この事件の経緯にかんがみ、損害額等も明細に書きまして、韓国政府において適当な補償措置を講ずるようにということを申し入れたのでございます。これが三月でございます。その後韓国側からは返事が来なかったのでありますが、その間新聞報道等におきまして、韓国側でも若干の弔慰金を準備しておるというような記事を散見したことがあるのでありますが、正式には先月の十五日、六月十五日付をもちまして韓国側から詳細な回答がございました。その詳細な回答の内容は、結局衝突事件については韓国側は万全の措置をとっていたのであって、むしろ沈没した第六あけぼの丸の方に過失があるということを結論として出すような調書でございます。それをよこしまして韓国側には責任はない、この事件はきわめてお気の毒ではあるけれども、責任がないから補償の責に応ずることはできないということを、公文をもって回答してきたのであります。これに対しましては日本側におきましては、さらにその調書の内容につきまして逐一反駁の書類を、現在これは海上保安庁にお願いをいたしまして作っておるのであります。それができ次第さらに韓国側に対しまして、韓国側の理由のないことを反駁いたすとともにさらに補償の請求を継続して交渉したい、かように考えておるのでございます。
  88. 久保田豊

    久保田(豊)委員 当時の遭難された者のうちの四名だけが生きており、二十一名が死んでおります。しかもその状況は、フリゲート艦がうしろから来てつっかけて、しかもその際に、韓国側としては無電機その他を持っておりながら、日本側の海上保安庁その他については何らの救助の連絡も何もしていない、また近くにたくさん漁船がおったにもかかわらず、それに対して何らの救命助の連絡もしていない。あるいは救艇を二隻韓国の船は積んでおったにもかかわらず、一隻おろして四名を救っただけで、あとはほったらかして、しかもその船がどうかというとそのまま帰って横須賀へ入っている、こういう事実のようであります。こういう点については韓国側は何と言ってきておるか、日本側の調査とどう食い違っておるのか、ここらにも非常に私は問題がある。韓国全体の李承晩ラインを通じて韓国側が今示しておりまする態度を貫く基本的な向うの政策なり何なりというものが現われておると思う。こういう点に対しては、最後的なものは海難審判できめることでありましょうけれども、しかしながら相手は外国の軍艦だ、しかも海難審判所等で聞きますれば、横須賀へ入ったときに普通の国ならば、たとい相手はこういう場合の軍艦であろうと、海難審判所で出向いて調査をする場合は、不利なことはなかなか言わないが、少くとも乗船、それから調査には応ずるというのが、これは国際法上の通例だそうであります。しかるに当時は韓国側としては、乗船もこれを拒否し調査も拒否して、これに対しては日本側の海難審判所の調査を全然拒否しておる。そしておそらく前月の十五日かに来た向うの回答は、向うに部合のよいことだけだ、こういうことだろうと思います。こういう点については、外務省としてはどういう態度をとって今まで当ってきたか、今後さらに、今海上保安庁その他でいろいろ折衝されておるでありましょうが、どういうふうにやられるつもりか、この点をお聞きしておきたい。
  89. 中川融

    ○中川(融)政府委員 事件の発生いたしました当時、日本側の関係機関が協力して詳細に状況を調べました結果は、ただいま御指摘のありましたように、たとえば韓国の船は、うしろの方から来てうしろにぶっつかった。それから、こちらの船が沈没をいたしましてから、救命艇が二つあったにかかわらず、一つしかおろしてこれの救助に当らなかった。なおその救助に当る方法につきましても、一人を救助してまた本船に帰り、またさらに繰り出して救助するというような迂遠なことをやっていた。それから通報につきましても、日本側の海上保安庁に通報がありましたのが非常におくれて、数時間おくれてから初めて通報があったというような事実がわれわれの調査の結果判明したのでありまして、これらの事情は、逐一その調書の中に書きまして先方に抗議したのであります。先方からの回答は、この点につきましてはわれわれとしてはもちろん納得し得ないのでありますが、たとえば船の位置につきましては、韓国側の軍艦の方が権利船であり、日本側の沈没した船の方が義務船であったというようなこと、それから救命艇は一隻しかなかった。その一隻を大いに一生懸命に運転したのだというようなこと、なお通報についても、即刻韓国海軍及びアメリカ海軍に通報したというようなこと、日本側の被害船がもしほんとうに見張りをしていたならば当然うしろから来る韓国の船は見えたに違いないというようなこと、なお日本側の船は船尾に灯火をつけていたということが日本側の調書にあるのでありますが、その灯火は自分らとしては見えなかったというようなこと等が先方の調書に書いてあるのであります。これにつきましては、もちろん日本側の調査の結果が真実であるとわれわれ信じておるのでありますが、なお韓国側のその主張を論拠なきものとして反駁するための、資料を海上保安庁等にお願いしてただいま作っておるところでございます。従ってこの方法によってさらに韓国側の反省を促し、本問題について交渉を継続したい、こう考えております。  なお日本側の海難審判所からの審問要求に対しましては、ただいま御指摘通り、当時日本の港に入っておりました韓国の軍艦の艦長はこれを拒否いたしました。日本側の審理に応じなかったのでございます。海上保安庁からの要望によりまして、その後文書をもって日本側の海難審判事務のために必要な情報の提供を要求いたしております。これに対してはまだ回答が来ていないのが実情でございます。
  90. 久保田豊

    久保田(豊)委員 今お話のような韓国側の態度であるといたしますと、この問題の最後的な責任の所在を明確にし、あるいはこれに要します補償として出ておるのはたしか一億八千万であると聞いておりますが、これらの問題の最後的な決定も非常に困難だと思う。韓国側から出されるであろうところの海難審判所の調査の書類というようなものは、おそらく、少くとも当時の日本側の遭難した関係者の認めた事実とはかなり食い違って、韓国側には何らの責任のないような結論の出るような資料を出すほかにはなかろうかと一般には申されるわけであります。そういう場合に、日本側で海難審判の決定ができるのかどうか、できた場合にはその海難審判の決定が何らかの実効を持ち得るような措置があるのかどうか、この点をお伺いしたい。  なお、もしそういう海難審判の決定ができた場合に、これはただ単にそれだけで、相手が韓国でありますから、なかなか問題の解決は困難だと思うが、そういう場合には外務省といたしましては、別個にあるいは継続をして何らか強力な外交措置をおとりになるお考えがあるのかどうか、これらの点をもう一度お伺いしておきます。
  91. 中川融

    ○中川(融)政府委員 海難審判所から先方に要求いたしております各項目に、先方が真実を書いてこちらに通報してくれば、もちろんこれに基いて海難審判の処置がとれるわけでございますが、ただいま御賃問になりましたように、向うがもしも真実なことを書かない場合、先方に都合のいい結論が出るようなことだけを返答してくる、あるいは全然返答しないというような場合には、海難審判が成立するのは困難であろうと考えます。そういう場合に、それではどういう措置をとるかということでございますが、われわれとしましては、日本側の調査に基きまして、日本側の主張の利のあるところはこれを強く先方に主張する考えでございますが、一方的な主張のみではこういう問題はなかなか片づかないということも、御指摘通りわれわれも懸念されるのでございまして、むしろそのような場合には、日韓関係の大局論ということから、韓国側でもそのような法律論で回避するようなことのみをしないで、大局的に本問題の解決をはかるということで折衝したい、かように考えておるのであります。しかしながらその際にもやはり日本側の主張に利があるということを十分先方に納得のいくように説得しておくことが必要であると思いますので、やはりその調査を——ただいま第二回の調査をいたしておりますが、当時の実情に関する調査に主力を注いで、この点について十分納得のいく資料をそろえまして先方へ出すと同時に、その結果次第によりましては、さらにそういう政治的な解決方法をということで進めたい、かように考えております。いずれにせよ被害者の方にはお気の毒なことでございますので、何とか実効のある解決方法を講じたいと考えております。
  92. 久保田豊

    久保田(豊)委員 この問題に関連して、また李ラインの問題についても、その一番基底にある問題が一つあると思うのであります。それは、韓国の軍艦による遭難の起きた生月島の現場はなるほど公海かもしれない、しかし大体において日本の海上勢力の範囲内でも言おうか、こういうところをほとんど日本側に通報なしに通って、しかもその軍艦が横須賀に入港しておる、これは横須賀だけではない、李承晩ラインでも——最近はそういうのは非常に少いようですが、たとえば軍艦等がいろいろ問題を起した場合でも、どんどん向うの船は勝手に日本の、少くともアメリカの軍事基地、軍港に入って来ておるというのが事実であります。日本は外国の軍艦が日本の近海なり、あるいは領海なりを通るときには、通報なしに黙ってこれを認めなければならないのか。また同時に韓国の軍艦に限って、たといアメリカの軍事基地であろうと、それに入ってくるのを、黙ってへいこらして見ておるというばかなことはないと私は思う。ここに一番根本の問題があると思うが、これは日米行政協定もしくはその他の条約に基いて、韓国側の軍艦が当然に日本に対して持っております権利かどうか、またわれわれはそういう韓国の軍艦が勝手に近くの海を通って、そしていろいろの事故を起したり、あるいはその船が日本に断わりなしにどんどん日本の港に入ってくるということを認めなければならぬ何か法律上の義務があるのかどうか。伝えられるところによりますと、日米行政協定の中にその法的な根拠があるのだというようなことを向う側が言っておるという話であります。また一面では、はっきりしたことではございませんが、要するに韓国の軍艦はすべて韓国の軍艦であると同特に、アメリカの極東海軍の所属船となっている。従って日本の近海なり、港湾に入ってくるときは、すべて極東海軍の所属船としての立場において自由なことができるのだというふうなことが言われております。そこに私は根本問題があると思う。李ラインの問題にしても何にしても、日本政府はまことにたよりない。なぜ韓国にわれわれが卑屈な態度をとらなければならぬのかと思うような態度に終始しているように見えます。関係者のあなたがそうであるというのではございません。これは外交当局としては十分お骨折りせられておりましょうが、一般にはそう思われております。韓国の海軍とアメリカの海軍、それから日本の近海の港湾行政なり、あるいは航海行政なり、こういうところに何らかのあやふやな問題があると思う。これを明確にしない限りこれはどうにも処置のできない大きな盲点があるように思うのですが、これらについてはどういう事実になっているのか、条約上韓国の軍艦に対してはどう対処しているか、事実韓国の軍艦が来たときには、全部アメリカの所属船としての処遇をやっているのかどうか、そういうことを日本側としては何か条約上認めなければならぬのか、あるいは条約上根拠はないが、対アメリカとの関係においてやむを得ず泣き寝入りをされているのか、あるいはその点は日本側の外交上の、表面上だけは自主性を持っているが、実賃においてはアメリカ海軍に対しては、その配下に入っている韓国の軍艦に対してまで、日本が外交的に非常に屈辱的な態度を事実上とらねばならぬのか、この点をはっきり証拠のあるように御答弁をいただきたい、こう思うのです。
  93. 中川融

    ○中川(融)政府委員 平和条約発効以前、すなわち日本が連合国最高司令官の管理下にあった時代におきましては、日本の港に米国の軍隊あるいは軍艦等が入る場合のみならず、米国と共同戦争をしております韓国の軍艦あるいは韓国の軍人等が入ってくる場合におきましても、わが政府に連絡することなしに、米軍当局に連絡することのみによって入国していたのであります。しかしながら平和条約が発効いたしますと同時に、韓国は当然そういう権利は失ったわけであります。現在までに従来の何と申しますか、慣行がある意味において続きました、たとえば韓国の軍艦が日本に修理に入ってくるという場合に、日本政府の許可を受けることなしに、アメリカ軍当局の許しのみを得てアメリカの海軍墓地と申しますか、アメリカの海軍の工廠に入ってくるというようなことがちょいちょい起きたのであります。また韓国の軍人等が入国する場合に、これが普通の飛行場に着くという場合には、当然日本の入国管理規則に従うのでありますが、軍用機によって軍用飛行場に到着したというような場合には、場合によっては日本の入国管理規則を踏まずに、アメリカ軍の了解を得て入国してしまうというケースが起った例があるのでありますが、このような事例につきましては、これを発見することに韓国側、同時にアメリカ側に注意を喚起いたしまして、韓国にはそのような権利がない、韓国軍に属する軍艦であるとか、あるいは軍人とかが入る場合には、当然日本の行政上の許可を得て入るべきものであるということの注意を喚起して、漸次そういう慣行はなくなってきているのであります。しかしながらなおそれが徹底しないために、また日本として監視の目の届かない地点におきまして、そういう事態が起るということが全然ないとはまだ保証し得ないのでありまして、そういう事態ににつきましては、これを発見次第これに対して抗議し、注意を喚起して、そういう事態をなくすように努めてきているのであります。韓国自体としてはそのような権利は持っていないのでございます。
  94. 久保田豊

    久保田(豊)委員 これはちょっとアジア局長にお聞きするのは無理な問題かと思いますので、いずれ機会を見まして外務大臣にはっきりさらに突っ込んで御質問いたしたいと思いますが、ただそれに関連して一点だけお聞きしておきますのは、この第六あけぼの丸と衝突して沈没させた船が横須賀に入った場合は、こちらが知らないというわけにはいかないと思います。海難審判所が向うの軍艦に行く場合でも、おそらく外務省に連絡して行ったのだろうと思います。この入ってきた事実はあらかじめ通知があったことと思う。これだけは慣習を生かして入ってきたわけですね。あとは一つ大臣にお伺いすることにしたいと思います。
  95. 中川融

    ○中川(融)政府委員 第六あけぼの丸を沈没させた船が日本の港に入るということは、事前に日本側の許可を得て入ったのではないのでありまして、先方がアメリカ側との了解のもとに入ったということが事実でございます。
  96. 久保田豊

    久保田(豊)委員 アジア局長にはもう質問をやめますが、ただ水産庁長官がおいでになっておりますので、ここでこの問題に連関して一つお伺いしておきたいのであります。と申しますのは、この日魯漁業の態度がきわめてけしからぬと思う。なぜかと言いますと、船が沈んで二十一名の犠牲者が出た。普通の規定によりますと、沈んでから死亡確認までの三カ月間は当然遺族に対しましては給与を支払わなければならぬ。ところが死亡確認の十五日に、日魯漁業はこの二十一名に対しては全部給与の打ち切りをしております。そうして家族に対しましては、一人に対してたった一万円の手当をしましておっ放しておる、こういう事実があるわけであります。こういうことを水産庁としては黙って今まで見ておるという手はないと思う。さらにこれに対しまして、死亡給付金その他を国家が給付されたかどうか、そういう手続もおそらく本人もとるでありましょうけれども、本人はほとんど大部分の人が死んでしまっておる。会社が果して保険に入っておったかどうかこれもわかりませんが、これは非常にけしからぬじゃないかと私は思うが、これに対して農林省は、そういう事実を調査し、あるいはそれらに対する善処方法を今までとってきたかどうか。水産庁としては特にどういうことをこれについてやってきたか、そうしてその結果が今日どうなったか。遺族に対しましてどういうふうな措置をとっておるかということを、具体的に一つ御説明をいただきたい。
  97. 前谷重夫

    ○前谷政府委員 この日魯漁業の第六あけぼの丸の場合におきましては、会社側が船につきましては一般の民間保険会社に保険をいたしておりまして、漁船保険には加入いたしておりません。ただもちろん当然でございますけれども、船員保険には加入しておるわけでございます。私たち今までこの問題につきまして、衝突のいろいろな事実につきまして調査をいたしたのでありますが、ただ、ただいま久保田委員からお話の点につきましては、一時見舞金を支給いたしますとともに、この損害賠償が韓国側との間におきまして解決いたしました場合におきまして、会社側としては処置する、かように承知いたしておりまして、水産庁として特別な手は打っておりません。ただ大会社のことでございますから、その辺のことは良識をもってされるだろう、かように考えて、むしろ損害賠償の面に外務省を通じていろいろ交渉をいたしておるのであります。
  98. 久保田豊

    久保田(豊)委員 今の長官のお話、これは普通の場合はそうだと思うのです。これは特別なケースです。今外務省からお話がありましたが、相手が相手ですから一筋なわではいかぬ。一億八千万何がしかという損害賠償も、そう簡単に短時日に解決するものではない。そうすると船員保険の方の適用がいつとれるかこれもわからない。とにかくこの事件に限って、ほとんど即日と言っていいくらいすぐに身分関係を打ち切っておいて、遺族には一万円だけくれておっ放してしまい、あとは野となれ山となれではあまりにひど過ぎると思う。特に日本の国際上の地位が非常にゆがめられたために、今の李承晩ラインの抑留漁船の諸君についてもそうですが、これは大きく言えばアメリカの極東政策がそうさしているということも言えないことはない。そういうことから犠牲になっておる諸君を、法規の許す最大限の範囲において、できるだけ救うということは、政府としては当然やるべきことであります。日魯のような大きな会社が、たった一万円くらいしか払わないで、韓国に対しては一億八千万円の補償を要求して、それが取れたら遺族にも一部をやろうというのではあまりにひど過ぎる。これは早急に日魯側に交渉をされて、たった一万円でおっ放すうといようなことでなく、韓国側から補償が取れるいたしましても、これはなかなか時間的にかかると思う。その間一家の支柱を失った遺族の方はほんとうに困らなければならない。現に困っておるという連絡が私の方にも来ております。これは水産庁が責任を持って日魯側に交渉して、遺族の生活保障について適当な措置を講ずるようにやってもらいたいと思いますが、この点についてはどう考えておられますか。
  99. 前谷重夫

    ○前谷政府委員 その後の会社のとった措置については、十分調査をいたしまして交渉いたしたいと思います。
  100. 鈴木善幸

    ○鈴木(善)委員長代理 山本利壽君。
  101. 山本利壽

    山本(利)委員 わが国漁船の拿捕、船員の抑留の根本的解決が、日韓交渉その他政治折衝によるべきであるということはよく存じておりますが、本日はさしむきとられなければならない問題について、ごく簡問に一、二点お伺いいたしたいと存じます。韓国側が李承晩ラインを固執しており、わが方がこれを認めないのでありますから、こういう問題は起るのが当然である。たまたま起るのではなしに、これは常時起るべき問題であると思う。そうすればわが海上保安庁においては、わが漁船の保護の任に十分当らなければならないと思うのでございますが、この李承晩ライン付近に対して、わが海上保安庁においては常時何隻の巡視船を出しておられるか、その点をまずお伺いいたしたいと思います。
  102. 砂本周一

    ○砂本説明員 実際の船の派遣につきましては、いろいろ漁業関係の期間、それから現地におきます出漁状態等を勘案いたしまして、時によって変更がございます。今大体基本方針としてきまっておりますものは、李ラインと中共関係を合せまして常時八隻ないし九隻を一応の最大の限度としております。それで東支那海の関係、李ラインの関係の今申しました状況を勘案して、これを移動させまして、東支那海の方に多くを要する場合にはその方に集中いたします。それから李ラインの方に必要でございますれば、その方に重点を置く。こういうわけで一様には参りませんが、計画としての最大限は、今申しましたような隻数でございます。それから現在は、今申しましたように時期によりまして非常に出漁船の状況も異なりますので、現在は巡視船を二隻ないし四隻を常時派遣しております。そうしてその場所につきましては、現実の状況をとらえて最も有効な配置をやっておるわけでございます。
  103. 山本利壽

    山本(利)委員 二隻ないし四隻の巡視船で李承晩ライン及び中共方面におけるわが漁船を保護するということは、ほとんど不可能ではないかというふうにしろうと考えでは思いますが、普通は八隻——この隻数が現在非常に減っておるのは漁期の関係でございますか。
  104. 砂本周一

    ○砂本説明員 漁期とそれに関連いたします出漁の状況でございます。
  105. 山本利壽

    山本(利)委員 この巡視船には必ずレーダーが備えつけてあると思うのでありますが、日本漁船は韓国の艦船によって拿捕されるときには、必ずその付近の巡視船に向って連絡しておると考えるのであります。その点はどうでございますか。連絡を受けて直ちに救援に行ったような例があるかどうか、その点についてお伺いしたい。
  106. 砂本周一

    ○砂本説明員 お尋ねの通りでございまして、拿捕防止の効果を上げますのには、レーダーあるいは先方の発します電信の電波その他のキャッチによって、向うさんの位置並びに隻数、こういったものをあらかじめキャッチいたしまして、相手船が——日本船の僚船が無線施設を持っておりますれば、これはもう事前に出ますときにいろいろな打合せをしておるわけでありまして、隣船がキャッチいたしました諸情勢は、きめられたルート、方法によりまして連絡し、危険と思われる場合にはあらかじめ避ける。もちろんこれは公海でございますから、私どもが強制的に危険区域に入るな、どこで漁をしてはいけないとかいうことで強制する根拠もございませんが、これは拿捕防止につきましては、現地におきましてもかなりしっかりした機関があるのでございまして、御承知のように、漁船を代表いたします機関と、また私どもの出先機関とが常時密接な連絡がとれているわけでありますので、いろいろ拿捕についての技術の点の面については、現在やり得る範囲で研究いたし、それを実行いたしておわけであります。
  107. 山本利壽

    山本(利)委員 時間もだいぶたっておりますから、十分その点心得て簡潔にいたします。  私は拿捕されるときに通知があった場合には、そこへ日本の巡視船が行くと、韓国の艦船とトラブルを起して交戦状態でも起ったりすると国際関係が非常にむずかしくなってくる、これは十分避けねばならぬという心の配り方から、とかく引っ込みがちになるのではないかと漁船側を代表して懸念するのでありますが、私どもの希望するのは、そうたまの撃ち合いをして下さいというのではなしに、つかまえられようとしておる場合には直ちにその現場へ行って、そのつかまえようとする艦船一との折衝に当ってもらいたいということです。そうする間にたとい一隻でも二隻でもより多くの船が私は回避できると思う。悪いことをしておるのでありませんから、そういう災難が降ってきたときには当然逃げるべきである。わが方は逃がすべきである。だからその点を十分にやっていただきたいと思いますが、そういう方向への御努力はお願いできるものかできないものか、その点をお伺いいたします。
  108. 砂本周一

    ○砂本説明員 そのときの事態によりまして、実際に現地でやります方法はいろいろあると思うのでございますが、拿捕の危険のある場合には巡視船が現地に急行いたしまして、そこで拿捕を防止する最善の方法を尽したと思われるケースは幾多ございます。今後もそういう場合におきましては、当然その方針は変っておりませんからやる覚悟でございます。ただ、無用な紛争を起さないということに十分慎重を期しておりますし、漁船の安全操業はその一個の場合の安全操業を確保していいというわけに参りませんので、広い見地におきましてより多くの漁船がより安全にできるように、私どもに課せられました範囲におきまして広い見地で常に顧慮してやっておるつもりでございます。なお、先ほど申しましたように、いろいろ漁業の実態をよく把握されております業者関係の権威者とも密接なる連絡をとっております。それから保護につきましては海上保安庁の巡視船ばかりでなく、水産庁の監視船も十分——結果的に申しますと十分でありませんが、とにかくできる措置は講じておられますので、その監視船とも十分連絡をしてやっております。今後もその方針は堅持するつもりでございます。
  109. 山本利壽

    山本(利)委員 次にわれわれが一番懸念いたしますことは、留守家族に対する援護の問題でありますが、これらの人の苦難を救うために給与保険というものが設定されておるということをお伺いいたしまして、これはまことにけっこうなことでありますが、大体平均して一人につき、どのくらいな金額が渡るものであるかどうかということをお尋ねいたしたい。それがまず第一点であります。  第二点は、先ほどの委員の御質問によって、山口県の萩の船がこういう目にあったときに、政府から見舞金が出たということである、できるだけそれと同じような処置をとってもらいたいという要望があったのでありますが、それに対して出た見舞金は果して政府から出たものであるかどうか、金額はいかほどであったか、及びその後の拿捕船舶の抑留船員の留守家族に対しても必ず同じほどの、あるいはそれ以上の見舞金が出るものであるかどうか、この見舞金以外に政府としては、当然な国民の業務に服しておる者がそういう遭難をしたのであるから、ちょうどこれは東北、北海道方面において水害にあった農民と同じことであると私は思う。政府が認めないところの李承晩ラインに入ってわれわれの食糧をとっておる、その者が不法なる襲撃を受けるということはまことに災難であるから、今回北海道や東北地方において水害が起って農民が救助をされたと同じ態度をもって、水産庁方面においては、これらの拿捕漁船及びその抑留船員並びに留守家族に対して救援の手を伸ばされる考えがあるかどうか、そこらの点について御答弁をいただきたい。
  110. 前谷重夫

    ○前谷政府委員 お答え申し上げます。第一点の給与保険の引受額が幾らくらいになっておるか、こういう点でございますが、これはもちろん給与保険を契約いたします場合におきまして、その場合を考慮いたしまして、船主と船員との間において大体どのくらいの金額にしようかということを相談して受けるようにしておるわけでございます。現在二十九年度におきまする平均だけを申し上げますと、これはそれぞれ船長と船員と差はございますが、平均いたしますと一人当り一月一万二千八百円程度が契約金額でございます。なお、見舞金を出したかどうか、これは二十八年に突然非常に激しい拿捕の状態が起りましたときに、差し入れ等の必要がございますので、一人平均七千円程度の差し入れ費用として予備金から支出いたしたわけでありますが、その後給与保険の制度を切りかえて作りまして、そして給与保険の徹底をはかって参っているわけでございます。それから一般災害につきましては、御承知のように特別立法によりまして施設の災害復旧に対する融資と利子補給。それから災害対策一般におきましては、こういう場合の拿捕事件の特殊の損害補償等については一般の場合にやっていないのでありまして、私たちといたしましては拿捕の保険、給与保険に入るように、そして適正な金額が入るように指導いたして参りたいと考えております。
  111. 山本利壽

    山本(利)委員 今の御答弁で、ちょっと津田参考人にお尋ねいたします。今水産庁長官は、給与保険は一人当り一万二千八百円ほど手に入るような仕組みになっているということでありますが、津田さんも御主人は船長でございますから、おそらくこの平均よりはたくさん入ると思うけれども、月に給与保険があなたの御家庭に一万二千八百円以上入っているかどうか。額を覚えておられるならば、この保険からどれくらい手取りをもらっておられるか、その点お伺いいたしたい。
  112. 津田綾子

    ○津田参考人 あちらに抑留されております者は一万円となっております。しかしこちらに残っております者がございますので、それを半分に同じように分配しまして——こちらの考えでございますが、最初戻って来まして、多少仕事をしておりますので、漁獲高があります。それとまた埋め合せをしまして、同じように分配していただいているのでございます。
  113. 山本利壽

    山本(利)委員 どれくらい月もらっているか。
  114. 津田綾子

    ○津田参考人 月一万円を割らない。金額は一万円でございます。あちらに行っております者だけの保険金でございます。
  115. 山本利壽

    山本(利)委員 それでは大体一万円程度は留守家族の方が保険金でもらっている。しかし保険というものは政府の恩恵でないことは御存じの通りでございますね、それぞれ保険料を納めてやっているのでありますから。そうではないのですか、これは、給与保険というものを私存じませんから、この点ごく簡単に御説明願いたいと思いますけれども、政府は金を出しているものでしょうか。普通の生命保険のように、保険金をかけている割合でもどってくるものでありますか、その点。もう一つは、七千円程度前のときには差し入れ金があったということでありますが、今のお話では、一万円程度では五人、六人あるいは八人という留守家族を養うことはとうてい困難でありますが、やはり差し入れ金として七千円程度の見舞いは出していただくのがいいと思うのでありますが、これに対する御意見を承りたい。
  116. 前谷重夫

    ○前谷政府委員 給与保険につきましては、もちろん保険でございますが、政府はその保険料の補助のために二十九年度におきましても一般会計からも給与保険に対しまして千五百万円繰り入れをいたしているわけです。これは国庫の負担になっております。それから見舞金の問題は、これは当初拿捕が起りました当時の応急措置でございまして、われわれといたしましては、こういうふうに保険に加入せしめるということによってその対策を講じて参りたい、かような意味で加入を勧奨しております。
  117. 鈴木善幸

    ○鈴木(善)委員長代理 お諮りいたします。公海における不法な漁船の拿捕及びで韓国における漁民の抑留問題は、わが国の漁業権益を守る重大な問題であり、また人道に関する重大な問題でございますから、本日はこの程度に審議をとどめまして、あらためて外務大臣農林大臣の出席を求めて、責任ある政府措置を要求いたしたいと存じます。  本日はこれをもって散会いたします。     午後三時五十六分散会      ————◇—————