○
石橋(政)
委員 私は
日本社会党を代表いたしまして、ただいま
議題となっております
国防会議の
構成等に関する
法律案並びに
自由党提出の
修正案に
反対の
意見を述べんとするものであります。
反対の
理由の第一は、いまさら言うまでもないことでありますが、この
法案が明らかに
憲法に違反するという一事であります。この
法案の
根拠法規たる
防衛庁設置法が
違憲の
法律である以上、それは明瞭なのでありますが、さらに同法によれば、この
国防会議は
国防の
基本方針、
防衛計画の
大綱、あるいは
防衛出動の
可否等を審議するというのであり、これは言葉なり
行為としては、ある種の
人たちにとってなつかしいものであるかもしれないけれども、全く
日本国憲法の許さざるものであることは言を待たないのであります。
政府はすでに本年度三万の
自衛隊を増強し、陸、海、空合せて二十万になんなんとする
自衛隊を完成せんものと試みているのでありますが、これが質、量の両面から、もはや一点の疑いもない
違憲の
行為であるにかかわらず、さらに、その罪を累加させようとしているのであり、われわれの断じて容認できないところであります。
政府は
憲法を何と心得ているのか。
憲法第九条をもう一度思い起すべきであります。
総理自身、
在野当時にあっては
自衛隊違憲論をひっさげて、
吉田内閣を激しく攻撃したではありませんか。それを一たび政権にありつくや、手のひらを返すごとくに変節し、
自衛隊法や
防衛庁設置法ができ、
自衛の
目的のためならば、
自衛のために必要な
限度において、
兵力を持ってもよろしいという
主張が
議会において通ったのだから、
憲法第九条はそのままでも、
自衛隊は
憲法違反ではないと言うに至っては、全くあいた口がふさがらないのであります。これ以上の無節操、これ以上の
詭弁が一体あるでありましょうか。
議会における過半数の
意見によって
憲法の解釈がどのようにでも変るものならば、何も複雑な手続を経て
憲法の
改正を行う必要はもはやなくなるでありましょう。さしずめ都道府県は
地方公共団体ではないとして、知事の公選を廃し、官選を断行すること等は易易たることとなり、
憲法軽視、いな
憲法無視もここにきわまれりと断ぜざるを得ないのであります。
なおこのような
主張にはいま
一つの
矛盾のあることをわれわれは忘れるものではありません。それは、
自衛の
目的のためならば、
兵力を持ってもよろしいと称しながら、反面、だからといって近代的な
兵力を無制限に持ってよいというのではないとして、みずから
限度を設けていることであります。
財政経済上の
理由に基く
限度ならともかく、
自国の力だけでは絶対
防衛できない現代にあって、
自衛のために必要な
限度などというものがあり得ましょうか。もし
自衛のために
兵力を持つことが許されるとするならば、
自衛の
目的を持つ限り無制限に許されると解釈しなければつじつまが合いますまい。ともあれ
憲法違反の事実に目を閉じ、耳をおおわんがためにはかかる
詭弁を用いる以外にすべのないことは察するにあまりあるものの、これを容認することは絶対にできないのであります。
一歩を譲り、本
法案審議に応じ、
検討を加えるといたしましても、かかる無
責任なそして
自主性のない
法案が他にあるでありましようか。
政府、特に民主党は、改進党の当時から、次のような
理由に基いて、
国防会議には
民間の
学識経験者を絶対に入れなければならないと
主張し続けて参りました。
その
理由の第一は、
内閣総理大臣の
権力の抑制のために必要だというのであります。御
承知の
通り、
自衛隊法により
内閣総理大臣は、旧
憲法下の天皇の
統帥権にも比すべき
権力を持つこととなりました。そこでその
権力の過度の集中を抑えるため、特に
防衛出動の
可否については、これを
内閣のみの権限にゆだねるべきではないというのであります。すなわち
学識経験者を入れた
国防会議でなければ、国会の
承認は、緊急の場合は事後となりますので、
反対の
閣僚は罷免されることとなり、
自衛隊は
総理の
専断によって自由に動かされる危険があるというにありました。
理由の第二は、
防衛計画のごときものは
長期にわたり、かつ一貫した
永続性を必要とするから、
内閣の更迭によって異動しない
構成員を加える必要があるということであり、第三は、
防衛計画の樹立、
防衛産業等の
調整計画の
大綱の決定についても、
学識経験者を入れ、各省を超越した成案を得るようにすべきだというのであったと思います。
この論はまた
閣僚のみをもって
国防会議を
構成することは、一種のインナー・キャビネットであり、ここで首相が
議長となって審議するのであれば、それは閣議を根本的に変えるものではないという論につらなるものであると思うのであります。しかるにどうでありましょう。
自由党から
修正案なるものが提示されるや、一夜にしてその
信念を翻し、
民間人を入れても入れなくても大して変らないと言うに至っては、全くあきれ果てたことといわざるを得ないのであります。われわれのごとく、
国防会議違憲の
立場をとり、これを
アメリカの
隷属機関なりと認める者からすれば、確かに五十歩百歩、大した変りはないのでありますが、
政府にとって
民間人を入れるか入れないかは単なる
修正というがごときものではないと思うものであり、あまりにも無
責任な、
信念のない
態度にぼう然とするものであります。
民間人を入れるか、入れないか。これこそ
法案の
名称国防会議の
構成等に関する
法律の示す
通り、この
法案の生命ではないでしょうか。それを簡単に引っ込めてしまうありさまでどうしてあなた方の自称する
日本防衛の
熱意とやらの一片をこの
法案に認めることができましょう。
要するに
拙速を尊ぶ
理由の第一は、過ぐる四月、
アメリカの
防衛分担金の削減の
交渉に際して、
防衛に対する
熱意の表明として約した
国防会議の
設置を、どのような形であれ実現すればよいのだと
考えているものと断定せざるを得ないのであります。
事実、
アメリカに対する公約を果す
意味において
設置されるこの
国防会議なるものは、
設置後も、
アメリカの意向を無視しては何事も決定し得ないかいらい
的存在にすぎないといえます。それは、
アメリカの同意なしには国の
予算をすら編成できないという現状においてはしごく当然のことかもしれませんが、われわれはその
自主性のない
国防会議の
存在価値を認めないのであります。
ちなみに、
防衛計画の
大綱を
議題とした場合を想定してみましょう。御
承知の
通り、
防衛庁の第九次
防衛計画案にも明らかな
通り、
日本は
兵器の四割までを
アメリカの
供与兵器に依存しているのであります。これは
杉原長官の本
委員会における
答弁にも明らかであります。すなわち
長官は、
日本が
MSA協定に基いて
装備品等の
供与を
アメリカから相当受けている。これは事実であります。従いまして今後
長期計画を立てていきます場合にも、この
アメリカ側から
供与を期待し得る
程度等が非常な
関係を持つことは否定できませんと、明確に
答弁しております。このような
状態下にあるとき、
防衛計画の
大綱を作成するときに、事前に
アメリカの
承認を得ずして果して作成することができるでありましょうか。特に
長期防衛計画のごときは、もし
アメリカの
承認を得たとしても、
アメリカ本国の政策の変更に応じて変動せざるを得ないことに火を見るよりも明らかなところと申さねばならないのであります。事実この点についても
杉原長官は、はっきりと次のように述べております。すなわち「
アメリカ側といたしましても
財政その他の
関係で、
日本に限らず
外国に対して一体どれくらいの
軍事援助ができるかということは、これは毎年の
予算できまることでございます。向うといたしましても実はそうあらかじめ先々までのことを言い切るようなことはないわけです。」と自主的な
計画等はとうてい作り得ない、
日本の従属的な
立場を、みずからはっきりと暴露しているのであります。
総理は、
防衛六ヵ年
計画はいまだ研究中であり、
国防会議ができれば、なるべく早く作りたいと言っているのでありますが、この発表がおくれているのは、一にかかって
アメリカ側の事情によるというべきでありましょう。
ともあれ、今や
日本の
自衛隊が
アメリカの用兵たること、
日本の
防衛に関するすべての機構、訓練、
計画等が
アメリカの掌中にあることは、
与党議員といえども、客観的にものを見る目と
良心を持つ限り、認めざるを得ない冷厳な事実であり、
軍事顧問団を通じ、あるいは直接的な形での
支配介入のきびしさはすべての面で顕著になりつつあります。
政府はこの事実を幾らかなりとも
国民の目から隠蔽せんがため、すなわちいかにも
国防会議なる
日本の
機関によって審議され、決定されているかのごとく装わんがために、どのような形であれこれが
設置を急いでいるものを
考えざるを得ないのであります。これ
拙速を尊ぶ
理由の第二であります。われわれはこのような
自主性のない
国防会議なるものをどうして認めることができましょうか。
最後に、
違憲性をたな上げにして再び
検討を加えるとき、この
法案のずさんさに目をそむけるわけには参りません。それはこの
法案のどこに
軍事独裁の
危険性を防止する
具体策が述べられているかということであります。
事務局長といえば、
内閣総理大臣官房にわずか四十数万円の
予算をもって設けられるにすぎず、
自衛隊に対する
最高の
指揮監督権を有し、
国防会議の
議長に
任ずる総理を直接補佐する一人のスタッフも
事務局にいないというのであります。もし過去において、
国民を
戦争にかり立て、敗戦に導いたあの軍の専横を再び望まないとするならば、
国防会議にこそ
政治優越の最も具体的な方途を講じて置くべきでありましょう。
アメリカの
国家安全保障会議は
国防上の
最高会議でありますが、その
事務局は
国防省にあるのではなく、
大統領に直属しております。また
情報、
調査の総元締めである
中央情報局は、これまた
統合幕僚会議に設けられている
機関ではなく、
国家安全保障会議に直属し、最も重要な、しかも最も確実視さる
情報がこの
会議において披露されているのであります。だからこそ
大統領の統轄するこの
会議が、軍の
専断を押えることができるのだということを知るべきでありましょう。この
法案のどこにそのような周到な注意の片りんがうかがわれるでありましょう。
国家の
安全保障にとって、
世界的な広い視野を必要とすることは今や常識であります。もしどうしても
国防会議が必要ならば、その
設置は、この要請にこたえるべきものでなければならないはずであります。文民の優位を力説する
政府が、かかる
事務局に甘んじ、そのすべてを
防衛庁に依存するがごときは、
矛盾もはなはだしいといわねばならないのであります。
以上、非常に簡単に申上げたのでありますが、われわれはまず第一に、
憲法違反のゆえをもって本
法案に
反対するものであります。なお
検討を加えてみても、本
法案に一貫するものは、無定見と
自主性喪失のみであることを知るとき、どうして賛成することができましょう。再び
祖国を滅亡に追いやるであろう芽をつみ取り、国の安全と
国民の
生活を守るためにも断固
反対するものであります。
これにて
討論を終りますが、何とぞ
委員各位の御賛同を得ますようお願いいたします。