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松井政府委員 それでは私から
お答えさせていただきます。
お年玉はがきについては、御
承知のように
お年玉つき郵便葉書等の発売に関する
法律というものに基きまして、すでに過去六カ年にわたりましてこれを続けております。大体において
お年玉はがきというものには従来も一円の
寄付金をつけております。その
寄付金はすでに今日まで二十一億三千万円に上っております。従来は大体その
寄付金を受ける
団体として、
中央共同募金委員会及び日本赤十字社という二つを指定して参
つたのであります。私
どももこれが
りつぱな社会事業に使われることは、きわめて
けつこうなことでありますし、なるべくそういうふうにやっていくことは
もとより望むところであります。また
郵政省として
個々の
社会事業自身を、そう深く指導したりなんかすることもできないと思います。ただ
郵政大臣が
はがきにそういうものを印刷し、
郵便局を通じて売り出したものである以上、そうした
国民の浄財というものが
いかように使われたかということについて、全然無
関心であ
つていいというわけには参らないのであります。私
どもとしては、しよつちゆうその金が
いかように使われたかということに対しては、重大なる
関心を持たざるを得ない立場にあったわけであります。過去の経験に徴しますると、従来の
やり方を概観いたしますると、せつかく集めたこの金が、どうしても
地方に細分化されておるという
一つの問題が一点。それからもう一点は、私
どもが直接
寄付金を差し上げておる
中央共同募金委員会というものが、必ずしも
地方に対する強い
統制権を持っておらない。結局
中央共同募金委員会に差し上げた金というものは、
中央共同募金委員会で、出された
はがきの売りさばき
概数程度のものをにらみ合せて、各
府県にこれを分けてしまう。各
府県から以下になりますと、これはそれぞれの
地方の
共同募金委員会において、それをお分けになっておるというような機構の
複雑化というような
関係で、どうしてもその使われた金の明確なる
資料を得ることには隔靴掻痒の感がある。それでどういうふうに去年の金は使われたのかという
資料提出を求められましても、必ずしも私
どもの満足するような
資料が入ってこないといった点。それから先ほど申し上げました、どうもある
意味においては悪平等に近いような分け方をされる結果、金が細分化されていく、こういう
やり方をいつまでも続けてお
つても、これはやはり
考えなければならぬ問題があるのではないか。何よりもわれわれとしてそういう
個々の問題を離れて、はっきりした金の
使途がつかみ得ないという
事情に置かれることは、これははなはだ迷惑千万だというようなことから、
一つこの際
反省をしなければならぬのではないか。その
反省ということは、かりに従来の行き方を続けるとすれば、これは当然
中央共同募金委員会というものの
性格を、もっと
責任を持ち得るような態勢に置かなければならぬということが一点でありましょう。どうしてもそれが
中央共同募金委員会と
地方共同募金委員会との従来の
関係から、
中央共同募金委員会というものに中央集権的な、そういう
性格を持たすことはできないということになりますならば、それにかわる新しい
団体を別に作るということも
考えざるを得ないのではないか。要はこの
お年玉寄付金において集ま
つた金が最も有効に
社会施設に使われ、かつその
使途というものが
郵政大臣にはっきりとつかみ得るような形に持っていってもらわなければならぬということが
問題点であります。そういうことを前提といたしまして、これは
法律上その
諮問委員会の権限をまかされておりまする
郵政審議会に、
目下いかようなる
方向で進むのがいいかということを
諮問しておるわけでありまして、ただいままでのところその
諮問の結果が私
どもの方へ答申されておりません。私
どもといたしましてはその答申を待って、これを尊重しながら必要な事態に処していきたい、かように
考えておる次第であります。これが今日までのこの問題に関する
一つの
経過であります。
それからなお
お年玉はがき云々という問題につきましては、これはいわゆる
お年玉はがき、何と申しますか
抽せんをつけた
はがきですが、これ
自身は別に本来的に
寄付金とは何らの
関係がないのでありまして、別に
寄付金がつかないから
お年玉はがきが
発行できないといった問題ではございません。おそらくその
発行できるとかできないとかという記事が
いかような
意味を持っておるか、私にも了解に苦しむのでありますが、まあ筋としていえば
寄付金がつこうとつくまいと、これは
お年玉の
抽せんをつけることは何ら差しつかえないことであります。それから時期的な技術的な問題については、現在まだ印刷にかかっておりませんが、それだからといって不可能だとは私
どもは思っておりません。
もとより早くこれがきまることが望ましいことは言うまでもありません。